うちにこないか?

mimisemi2009-02-08

ソーシャルサイコロジーのクラスなんだけど、例の衒学的な馬鹿がいなくて、馬鹿女だけだったんだけど、この馬鹿女だけだと意外と悪ノリが少ないみたいで、ようは衒学的な馬鹿とこの女がそろうと化学反応を起こして悪のりが始まるらしい。で、この女の子なんだけど、別に悪のりしなければ別にふつーのそこら辺にいる若い子って感じだね。顔は結構可愛い。


まぁそれはともかく面白かったのがさ、クラスが凍り付いたような質問をしちゃったんだよね。このクラスで。っつーのはさ、別にこの時は成敗する相手がいなかったし、別に無理に発言する必要は無かったんだけど、でもあれなんだよね、クラスで発言するという癖をつけていかないとこっちの大学でやってけないっつーか、いつまで経っても英語を喋る時にあがったままになるっつーかさ、まぁこれは前から書いていることなんでそれはいいんだけど、その質問ってのがね、まぁソーシャルサイコロジーの授業で、Self-Serving Biasってのがあってさ、まぁ細かい事を書くと長くなるし面倒だからやめるけど、まぁ簡単に説明すると自我を規定する要素っつーのが色々あって、それが外的な要素、ようは社会的なルールであったり状況的なものであったりというその一方で、個人的なことに帰属するような要素があったりっつーね、ようは自己というのを自覚する際に影響してくる傾向性ね。


で、その中にIllusionary Optimismってのがあってさ、ようはあれなのよ、「いや、俺に限っては死ぬ事ないだろ」って思うような非現実的な楽観主義ね。それも自我を規定する要素の一つなんだけど、これを見て瞬間的に思ったのがさ、人生ってそもそもイリュージョンじゃん?仏教じゃないけどさ。で、このIllusionary Optimismってのはようは空元気みたいなもんだよね。根拠の無い楽観主義。でも人生を生きるってことってそもそもが幻想的楽観主義だよね。「辛い事もあるけど楽しい事もある。何より希望や愛がある」みたいな言い方をして自分を騙しながら生きていかないとやってけないわけじゃない?で、他のドミニカン出身の本当に頭が良い生徒がさ、「それはよく言われるポジティブシンキングとどう違いがあるんですか?」って先生に質問してたんだよね。「お、こいつやるな!」って思ったんだけど、まさしくこの質問は正鵠を得ているんだよね。ポジティブシンキングって自分を鼓舞するための根拠の無いオプティミズムじゃない?で、ちょっと頭の良い奴はDefensive Pessimismに走るよね。これもドミニカンのやつが質問してたんだけど、ようは何かに対する期待値を下げる事で失望を逃れるという一種のニヒリズムね。


まぁこれは凄く面白い人生と付き合っていくために必要な2つの方法なんだよねっつーのがIllusionary OptimismとDefensive Pessimismなんだけど、俺が教室を凍りつかせてしまった質問ってのがさ、いや、全然今日は狙ってなくて天然だったんだけど、さっき「これを見て瞬間的に思った」って書いたけどさ、どうしても発言したくなっちゃってね、緊張するしまた声が震えて発音が酷くなって文法も酷くなるんだけど、今日は黙りっぱなしだったから最後にいいだろうと思って先生に聞いたのがね、「仏教じゃないですけど、人生ってイリュージョンですよね。なのでIllusionary Optimismと生きるということは同じ意味を持つんじゃないですかね?つまりようはなんというかそのイリュージョンを生きるためには楽観主義が必要なんですけど、でも我々がそれをイリュージョンだと知っているなら、結局、そのジレンマから逃れるためには死を選ぶしかないですよね。フロイトの死の欲望じゃないですけど、結局全てが死に帰結するなら、そのイリュージョンを抜け出すために自殺をするしか無いんじゃないですか?」ってすげーKYだよね。先生は顔を赤くして困ってて、んで割とノリが良かった教室は静まり返ってたね。


で、先生が「・・・・・あー・・・え、えーと、でもそういうのは大体まぁ歳を取ってから発生するもので・・・」っつたら俺が「いや、でも僕にはすでにあるんです」なんて答えちゃったもんだから余計に先生も困っててクラスも静まり返ってたね。いや別に哲学者ぶっているわけじゃなくて、思った事を言っただけなんだけど、いや、かなりKYだったなと。自分でも何言ってるんだ?って感じだったけど、でもまぁ良かったんだけどね。俺ってそういう意味でいつもこっちの学校で台風の目になってるからさ、俺のこういうかなり奇抜な発言がまた他の発言を呼んで、んですんげー盛り上がるんだよね。俺のこのタナトスの件からも意外とまた盛り上がったんだよ。「あ、俺、また台風の目になってる」って思ったりしたんだけど、なんか俺ってこっちの大学に合ってるんだろうな。なんかすんげー異質ながらも受け入れられてる気がするんだよね。あ、んで死に関して言えば前に書いた通りね。自分の善をやるのみ。それが自分の人生。それが出来なくなったら死ぬと。すげーシンプル。まぁ楽観的に言えば例えば将来、姫みたいな人と出会って、んで結婚したりなんかして独我論的世界観から脱却したりなんかして考えが変わるかもしれないっつーか「守るものが出来たんで死ぬ事はできない」みたいなクサい台詞が言えるような状況になってたら別だけど、恐らくそれは無いからまぁいいんだけどね。ただやっぱ家族が悲しむというのが凄く気になるんだよね。それはいつも死を考える時に凄く思うんだよね。家族とか少ない知り合いは悲しむなぁーって。だからといって自分の善が出来なくなる人生なんて生きる価値は無いし、かといって家族や知り合いを悲しませないためにだけ生きるっつーのもどうかなぁー?って気がするしさ、びみょーなんだよね。凄く。


まぁ死ぬ話はいいや。今はノリに乗ってるからそこまで深く考えなくても大丈夫だろう。で、ポリサイのクラスでさ、また結構色んなやつが発言して熱くなったんだけど、先生がさ、完全にマルクス風の資本主義の説明をしてるんだよね。教科書がそうなってるっつーのもあるんだけど、今日は主に資本主義についてっつー話で、んでパラダイムマルクスだったんだけど、先生は簡単に社会の起源みたいなのをマルクス風に説明して、んで資本主義のシステムをマルクス風に説明した後で、「ではこのシステムでどうやったら資本家が利益を得られるのか分かるかい?」って生徒に質問してたんだけど、根っこからの左翼の俺はもう脊髄反射をするかの如く「労働力に対する搾取です」って即答したんだよね。自分でも呆れるぐらい左翼だなって思っちゃった。あまりに回答の早さに先生は「ワーオ!このクラスにすんげースマートなやつがいるぜー」なんて半分ぐらい俺をからかったような言い方をしてさ、「んじゃあそれはなんと言うのかな?」って俺だけじゃなくて生徒に聞いてたんだけど、これまた俺は早撃ちガンマンならぬ早撃ち左翼の如く「剰余価値です」って答えたのね。これまた異様な早さにクラス中はシーンとしてて、んで先生も無言で「surplus value」って黒板に書いててさ、「・・・・んーじゃあまぁーえーと、この剰余価値について説明は出来るかい?誰か?」って聞いてたんで、これまた早撃ち左翼の俺は「例えば8時間の労働があったとして、実質、労働者が得られる実質の賃金はその4時間分のみで、残りの4時間は資本家が持っていきます。なので搾取が成り立つわけです」なんて答えちゃってさ、緊張しながらも意外とちゃんと喋れるもんなんだなって思ったけど、クラスの終わりにちょっと調子に乗っちゃって「先週、アナーキズムに対する偏見に関して僕は発言しましたけど、それはマルクスについても言えることなんです。この国はマルクスアナーキズムのようなものを極端に敵対化というか悪魔化する風潮があると思いますが、実際、マルクスはただ資本主義の分析をしていたわけで、過去の社会主義国共産主義国に見られるような暴力的な国家のイデオローグだったわけではありません。まぁ結果的にイデオローグになってしまっただけで、マルクス自身が悪いわけではないんです。マルクスの思想とマルキシズムが違うのはそういう理由からです」なんて言ったら、先生が「ビルはエキストラに最高なポイントをついてくれたね!そう、マルクスは資本主義の分析をしていたわけで、全体主義国家の建設を示唆していたわけではないんだ」って生徒に説明してたんだけど、生徒のレスポンスがどうだったかは分からないね。


なんか先生もマルクス的なパラダイムで資本主義を説明しつつ、なるべく共産臭さを出さないようすげー気を使いながら授業をしている感じだったからさ、「いっそのこと言っちゃえ」って勝手に思って、んで最後に「だから今こそマルクスを読み返すべきなんです」なんて日本語に訳せば廣松渉の本のタイトルになるような発言を付け加えたんだけど、まぁ今後もあれだ、アメリカの若い連中がどれだけ共産的なものに嫌悪感があるのか?っていうまぁ個人的にすげー知りたいことでもあったことだから、授業でまぁまた色々発言して、んでまぁ様子をうかがってみるよ。先生も別に怖がる事無いのにな。あれだけマルクス的な資本主義の説明をしているなら、もっとマルクスに言及しなきゃいけないだろうって勝手に思ったんだけど、まぁあんま先生の邪魔しちゃあれだから調子に乗りすぎるようなことは絶対しないようにするけどね。あ、んで俺は資本論は一巻しか読んでない日和見ですけどね。


まぁね、もちろん今の資本主義ってマルクスで全部説明がつくほどそんなにシンプルな構造じゃないんだけどさ、でもなんかすげー報われてる感じだよね。引きこもり時代に色々と吸収したのが、今は「優等生キャラ」みたいな結果となって出力されてるんだから面白いよね。本当に逆転人生って感じ。日本の学校では典型的な劣等生だったのに、アメリカの大学では典型的な優等生キャラみたいな感じなんだもん。まぁ2年生大学レベルだからなんだけどね。「アメリカの大学に入ったら俺の知識が役に立って思わぬ優等生になるんじゃないか?」なんて引きこもり時代に妄想していたことが今完全に実現してるわけでさ、これって凄いよね。本当に。別にアメリカの大学じゃなくてもいいじゃんって話なんだけど、なんでアメリカの大学に入りたかったのか?っていうと、10代の半ばぐらいから日本に失望してたから、渡米の夢ってのはあったのね。で、今日のこのマルクス事変でさ、まぁ去年の哲学のクラスでも書いた事だけど「あの酷い時代に妄想していたことが全部実現してるな」ってすんげー感動するんだよね。


いや、まぁ英語は酷いんだけどね。プライベートで誰かと話す時はそうでもないんだけど、やっぱクラスで喋る時っつーのはクソ緊張しちゃって、全てのクオリティが下がるんだよね。発音とか文法とかが初級レベルになっちゃう。でもそれを恐れてるといつまで経ってもクラスで発言できるようにならないから、だから発言できるようなレベルの英語じゃなくてもやるんだよね。やるんだよ。その結果、夢が叶っているんだから報われてるよ。まぁそれはともかく今日書きたかったのはこんなことじゃなくて、これはただの序章に過ぎないわけね。メインは今まで書いてきたことほど長くはならないんだけど、このクラスの後にさ、先週もちょっと話したもう結構こっちに長くいるアジア系の留学生のやつなんだけどっつーかすんげーペラペラなんだけど、今日のマルクス効果もあったのか、授業後にさ、すんげー唐突に話しかけてきてんで「今度うちに来ないか?で、色々話そうじゃないか」なんて言うわけ。あまりに唐突だから肉体関係を強要されてると思ったんだよね。一瞬。いきなり「うちに来ないか?」ってヤマジュン語みたいだよね。


くそみそテクニックのリアルバージョンか?とかって思ったんだけど、俺は前も後ろもリアルバージンだぞとかって思ってたんだけど、どうやらこいつは相当俺に興味があるらしいっつーのは自分で言うのもなんだけど、割と頭が良いやつってのは、さっきのソーシャルサイコロジーじゃないけど、分かるんだよね。「あ、こいつは頭が良いな」ってすぐ分かる。逆を言えば「こいつ馬鹿だな」って思う事も多いわけで。そんな類友的な感じでこいつは俺に興味を抱いたんだろうっつーかあっちも「こいつ頭良いな」って思ったんだろうね。で、その後まぁ駅まで一緒に帰ったんだけど、こいつすんげー頭の回転が速くてさ、すんげー早口で色々喋るわけ。で、大雑把にアメリカの外交の話とかイデオロギーの話とか色々したんだけど、妙にこいつが詳しいんで「メジャー何?将来は何のメジャーを取るの?」って聞いたら「国際外交」だっつーんだよね。ようはリベラルアーツの社会科学系のリクワイアメントを満たすためにやっつけ的にポリサイ取ってるんじゃなくてマジなやつだったってことね。で、ちょっと話した感じだと本当に分かってるやつなんだよね。俺がそれこそウォール伝で書いてる民主主義の問題点とかさ、アメリカの根底的な右翼性とかさ、表面的な政治の話じゃなくて、かなり玄人的で突っ込んだ政治の話が出来たのね。で、基本的にこいつは俺と基本的にイデオロギーに関しては似てて、資本主義でも社会主義でもないその中間ぐらいっつー均衡の取れた社会がベストだって思ってるわけよ。ようはもう社会は資本主義しかありえないわけだけど、俺がいつも書くようにそこに社会主義的なエッセンスを入れればバランスが多少マシになるって話なのよね。ようはセーフティーネットとか再配分とかさ、まぁ基本的なことよ。所謂まぁリベラルって話だわ。


あともう一つ。凄い話がね、このマイケルムーアな先生の個人的なストーリーなんだけど、なんかさ、「俺は色んな場所にいた」っつーわけ。ドイツとかイタリアとかヨーロッパ各地に子供の頃は転々としてたらしいんだよね。「なんで?」って思ってたんだけど、別にまぁ気にしてなかったんだけど、今日の授業の最後に「君たちに僕の個人的なことについてちょっと話しておきたい事がある」っつってさ、何を説明しだすのかと思ったら、この先生の親父さんっつーのがCIAだったっつーんだよ。しかもバリバリ30年もCIAにいたベテランだったんだけど、30年CIAやってて気がついたのがね、ようはアメリカってのは他国にアメリカの価値観を押し付けて、んで資本家やらアメリカ側に都合の悪い例えば共産主義みたいなのを弾圧したり情報をコントロールして、全ての世界の流れというのをアメリカ中心に回るように常に操作し続けているんだっつーね、まぁチョムスキーとかが暴露しまくってるようなアメリカの事実っつーのをまぁ内側からリアルに知ったわけだね。30年かけて色々なことを。で、引退した後はね、CIA DIaryってのを書いて出版したんだよ。ようはCIAの内情とかを書きまくった暴露本みたいなのを出版したんだけど、そしたら国から狙われちゃって、んでマジで命が危なくなっちゃったんで、色んな国に逃げながら暮らしてたんだよね。っつーのが先生がヨーロッパ中を点々としていた理由ってわけ。凄くない?


その意志を継いだ先生はマイケルムーアとなってアメリカの真実を伝えるために今日も教壇に立っている・・・というわけ。凄い先生と出会ったなと感動しちゃったよ。まぁ別に親父さんのストーリー関係なく良い先生なんだけど、ただなんつーかこの先生がアメリカ政府に対して批判的な理由というその根底がさ、左翼のオナニーとかじゃなくて、もっと根源的なものなんだよね。そのパワーに感動したわけよ。日本のダメ左翼みたいなのとはえらい違いだよ。で、そんな先生に出会ってるこの俺のラッキーさというかなんというか、アメリカって国が俺に対してウェルカムって言ってるような気がしてくるんだよね。こういう時だけ。その一方で前セメスターのフレンチとかスピーチみたいなクラスがあるから、別に「これも運命だ」なんてドラマティックに楽観的にはなれないんだけど、でも良い出会いだよね。一期一会とはよくいったものでさ。


で、その例の国際外交官の卵とは来週あたり時間があるときにそいつの家で政治の話をすることになったんだよね。いやー良い出会いだよぇーっつーか前にも書いたけど俺がアメリカの大学に求めてるのってこういうことなんだよね。政治学の学部に入って、んで凄い生徒とか凄い先生に会って刺激を受けたり議論をしたりして、んでまた自分を磨いていくみたいなね、そういう学園生活の知的な強度を求めているわけだけど、ちょっとその入り口が見えた感じなんだよね。今。それこそ俺がやるべき学科っつーか本業を今やれているわけだし、そこで刺激的な先生や生徒と会えたというのが本当に素晴らしいことだよね。去年の哲学のクラスとかサイコロジーのクラスでもそうだったけど俺もポテンシャルがあるんだよね。ようは先生なり他の生徒からコンタクトがあるっつーのはあっちが俺に見た目だけではないただならぬ何かを感じているわけでしょ?そのただならぬ変なオーラを持っている俺が凄い人達を引き寄せたり魅了しているなら、それこそ俺が磁石みたいなもんだよね。それは俺がそういう凄い人達を吸い寄せるだけの何かを持っているということでしょ?こっちに来てから色々と成長して、んでそんな自分になれたっつーのがまた嬉しいよね。まぁ昔から変なオーラがあるとはよく言われていたし、今に始まったことじゃないんだけど、でもそれがアメリカでも通用しているというのが凄く嬉しいんだよね。ようはその引き寄せる力ってのも才能の一つってことだ。で、俺にはどうやらその才能があるらしいよ。嬉しい事に。んじゃあさ、あとはもう英語上手くなって政治学の勉強をすればもうあとはオッケーじゃんって話で夢の実現がかなり現実的になってきているんだよねっつーかもうほとんど叶ってる感じなんだよ。あとはもう問題は経済的なことだけなんだよね。学業とか俺自身とかはもう全然オッケーなんだから。


楽観的に「夢は叶う!」とかって言ってるんじゃなくて、地道な積み重ねの結果、自分が夢に近づいているというこのリアリティがたまらないね。それって飛び上がるほど嬉しい事ではなくて、むしろ自分がそれを望みながら日々生活しているので、むしろそれに真摯に向かえば向かうほど実現は当たり前のことのようにあっちから向かって来るんだよね。まぁもしくは俺が向かっているのか分からないけどさ。ようはさ、「うわーこの山登るのぉ?無理無理!!」っつって諦めないで、どんだけ時間がかかってもいいから地道に山を登って行けば、まぁある意味当たり前のことで地道ながらも登っているんだからいつかは頂上に着くよね。その地道な歩みというのが夢の実現への方法なんだよね。だから夢って非現実的なもんじゃなくて、自分から地道に日々向かって行くものなんだよね。


っつーかなんか真面目にかなりクサいことを書いてしまったな。いや、「夢が実現しつつあるな」という実感は今始まったことじゃないんでね、別にポリサイのクラスが楽しいからって一喜一憂しているわけじゃないのよ。それは去年の哲学のクラスから見えてきていた夢への道だったわけだから。


ってことで今日はこの辺で。精神病院の前のバス停で泡吹いて倒れてたような筋金入りの引きこもりメンヘラー(通信制高校卒)がアメリカの大学で大成功したらなかなかのサクセスストーリーだと思わない?でもさ、このまま今みたいに地道に読書と英語の勉強を続けていきつつ、ちゃんと学校に通って単位取ってれば夢が叶うんだよ。この実感が凄いわけ。もちろん経済的なことの問題はあるんだけどね。それを除けば不可能な話じゃないってことね。今でも十分感謝しているんだけど、でも今以上に過去の地獄みたいな生活に心から感謝ができるようになれたらその時は本当に心から「人生って悪くないな」って思えるかもしれない。今はまだまだって感じだからね。


はいってことで今日はこの辺で。で、以下のアドレスがポリサイの先生のお父さん(故人)のウィキペディアのページです。壮絶な人生を送られたようです。


http://en.wikipedia.org/wiki/Philip_Agee

思考の整理学 (ちくま文庫)

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