ソクラテスの立ち話(氷点下にて)。

mimisemi2009-03-14

いやーすげかった。何がすげかったって例の変人ロバートと地下鉄の駅で極寒の中1時間半ぐらいずーっと立ち話をしていたんだよね。いや、相変わらずポリサイのクラスでさ、まぁ普段から期待されているビルとしてはまぁ発言の機会をうかがってるわけじゃない?っつーか面白かったのが音読をここ2日ぐらい続けてるんだけど、口が軽いのね。サラサラっと言葉が出てくるっていうか、何を言いたいかが頭でまとまってればブロークンながらも割とちゃんと喋れる感じになってるんだけど、これには驚きだったね。「すげー音読効果だ!」って授業中に勝手に喜んでたけど、まぁ今後は毎日例外無く音読を続ける事にしよう。で、音読用のテキストはシュトラウスが編集に関わっていたHistory of Political Philosophyっていう980ページの本ね。大学生向けに作られた本らしいんだけど、コントリビューター達がシュトラウスの教え子ばっかりで、まぁ結果的に入門書ってよりかは入門書っていう体裁を取った哲学評論集みたいになってるんだよね。特にシュトラウスによるプラトンの項目なんて明らかに入門書レベルじゃないことが書いてあってなんか笑っちゃったね。こんなのましてや今の大学生が理解できるわけないじゃないかって読んでて思ったね。逆にあれだよ、大学のテキストって馬鹿でも理解できるように死ぬほど分かりやすく書かれてるからね。だからこの政治哲学の歴史は明らかにアドバンスなわけだけど、まぁ稀に見る名著だと思うね。こんだけ完成度の高い政治哲学の本ってなかなかないと思うね。


まぁそんな音読効果を実感しつつ、本領を発揮したわけだけど、例えば凄く嬉しいっつーかクラスで発言したりするのが楽しいのって、例えばこのウォール伝みたいなので書いているようなことをダイレクトに先生に聞いたりクラスメートに聞いてみたりできることなんだよね。俺の最近のマイブームである勝手な俺のネオコン論とかさ、まぁブロークンならもまぁ民主主義の話が出てくるとまぁ民主主義ってのは無理じゃんって先生にツッコミを入れるんだけどっつーかエリート統治が必要だとかってクラスでも発言してるのよね。説明が難しいんだけど、ギリシャ的な意味でのステイツマンが必要だみたいなのをまぁ政治的ヴァーチューの概念と共にこれまたブロークンに説明するわけだけど、先生は喜んで聞いてくれるんだけど、あまりに議論がアドバンス過ぎるっつーんでまぁスルーされたんだけど、先生が言うに「ビルみたいなセンシティブなやつはこういうパラドックスに気がつくわけだ」っていうなんつーかさ、俺を気違いとして扱わないのね。先生もある意味で政治学者だから、俺の議論をあくまで熟考の上でのオリガーキー肯定なんだっつーのを分かってくれるんだよね。これが嬉しくてしょうがなくてさ、なんつーか話が通じる人がいるっていうのが凄く嬉しいのね。英語が通じているというのも嬉しいんだけど、何より俺の政治的思考が通じているというのが凄く嬉しい。


で、まぁクラスの後にはまぁロバートに「あ、例のDVDは持ってきた?」なんて何気に聞いたんだけど、それからまたロバートは一気に話し始めるわけじゃない?そっからもう永遠と政治の話が続いてさ、で、地下鉄に着くぐらいの頃には社会の話になっていて、で、一時間以上凍えながら改札の前でずーっと話していた結果、発展したのは哲学の話ね。人間の本質とか実体とか存在とか意識の話にまで話が及んで凄かった。ロバートは元々よく喋るから基本的に話のイニシアチブはロバートに与えるんだよね。で、俺が話を聞きながら相づちを打ったり、ロバートの議論にツッコミを入れたり話が発展するような質問をしたりして、んで話が進むんだけど、なんかそのまま本にしたら出版できるんじゃない?ってぐらい凄まじく高度な議論で驚いたね。マジで。俺がロバートの英語についていけているというのにも驚いたけど、議論のレベルの高さにも驚いたっつーかまぁ感覚としては去年の夏に日本に帰った時の元相方との現代思想トークに近い感覚があったね。話している間も凍えてるんだけど知的刺激があるっていうか、ましてやロバートがすんげー勢いでありえないぐらいの密度と言語で喋るんでなんつーか会話のリズムが凄いんだよね。凄まじく激しいっつーか、なんつーかフリーザと悟空の戦いみたいな感じなんだよね。「は・・・速過ぎて見えない」みたいなことをクリリン君が言いそうなぐらいの勢いっていうか。


ロバートはまぁ友達と独自の政治運動を続けてるっつーか今は映像を編集したアンチ・オバマのムービーを作っているらしいんだよね。いかにオバマ政権が傀儡政権かというのを暴く内容らしいんだけど、まぁ俺としては政府が仮のどんな形であれ僣主制みたいなもんであってもまぁリベラルなら共和党よりマシって単純な考えがあるんだけど、まぁ前にも書いたようにネオコン的発想から言うとまた違ってくるっていうか、日和見的なリベラルではなく強硬的リベラル姿勢を貫くならネオコンが背後にある共和党だろうって話になるんだけど、まぁそれはともかくまぁロバートはそんなムービーを作っているらしいよ。で、それを大量生産したいらしいんだけど、自分で作るとコストが半端じゃないんで、色んな自分のムービーの内容を理解できる人に何百枚単位で買ってもらって、んでそこからまたその何百枚買った人が独自に手売りするみたいなことを考えているらしいんだけど、「別にYoutubeでもいいんじゃない?」ってツッコミを入れたんだけど、彼曰く、情報そのものを得ようとする志向性が無い人達が多い世の中にとってYoutubeみたいなのは結局アクセス数を稼げないってことらしいんだよね。だからあえて何らかの物理的な媒体でそれを売ったりすることでオピニオンを広めようとしているらしい。まぁ俺としては最後まで手売りとYoutubeの差が分からなかったんだけど、俺は明らかにYoutube派なんだけど、でもまぁロバートの言っていることは分からなくも無いな。何しろKing of Dickkin'でそれは経験済みだからねっつーかアクセスの使用が無いんで知ってる人しか落とせないっつージレンマがあるわけだよね。


仮にクオリティがその辺のミックスより数倍良くても、何らかの口コミ的なものが伝達しない限りそのクオリティの高さっていう認識が広まらないっていうようなことだよね。実際、サブウェイのサンドイッチの店員っつーか例に最初に渡した奴ともう一人のやつが「俺にもくれよ」っつーんで持ってったんだけど、あとで感想を聞いてみたら「マジでお前が作ったのか?」みたいなリアクションでさ、もうとにかく最高で毎晩聞いているらしいんだよね。いや、やっぱクオリティは高いんだよねって確信したよね。あとこっちの知り合いのヒップホップのインディーズレーベルを運営している日本人の女の人にも渡したんだけど、これまた評価が高かったし。何より玄人筋からの評価が高いっていうのは嬉しい事だよね。だからまぁロバート風に言えばさ、ディッキンを製品化して、それを格安で何十枚か何百枚単位で色んな人に買ってもらって、んでその買ってもらった人がまた手売りするっていうさ、まぁパッケージングの効果っつーのかな?まぁミックスでそれをやると明らかに違法だけどねっつーかアップロードすらも実質的には違法なんだけど、ミックス系って常にグレーゾーンだからね。まぁだからディッキンをミックスCD化して手売りするみたいな発想なんだけど、でも誰がそれを買うの?って話だよね。仮に中身が良くても得体の知れないものを買う人なんてあんまいないじゃない?ましてや変な名前のDJのミックスCDなんて買わないよね。その辺をロバートはどう考えているのかな?


まぁいいや。んであれなんだわ、試しにまぁ最近の俺のネオコン的な意見ってのをあえて露骨に言ってみたんだよね。ロバートに。ロバートは色々分かっているやつなんだけど、やっぱり民主主義を信じているながらもでも大半の人は馬鹿だって言っていて、ただ分かっている4パーセントぐらいの人が世の中を変えていかなきゃいけないって言うんだけど、それってネオコン的なさ、その4パーセントが権力によって世の中を変えるのと、4パーセントが立ち上がって世の中を変えるのとどう違いがあるの?っていうさ、それを質問したんだけど、まぁちゃんとした明確な回答は無かったね。さすがの天才ロバートも困ってたみたい。俺としてはそれを権力でやったほうが実際の変化があるじゃない?ってことをずーっと主張してたんだよね。「みんな起きるんだ!」っていうウェイクアップ系の啓蒙なんて成功した試しがないじゃないかっていうのをずーっと言っていたんだけど、やっぱロバートはウェイクアップを信じているんだよね。俺はもうそれを信じてないから、だからまぁネオコン的な発想になるんだよね。別にネオコンにドグマティックになっているわけではなくて、まぁシュトラウス派的な発想ってことね。


でもさ、チョムスキーもロバートもネオコンとかと発想が変わらないじゃないって思うのがさ、チョムスキーとかロバートみたいな頭の良い人達って普通の人達がそこまで頭が良く無いって分かってるんだよね。それが分かっているのにウェイクアップを促すんだけど、それって前にも書いたように仲正的な言い方をすれば左翼のおせっかいだし、ドッグヴィルのグレースに例えて言うなら傲慢な態度だよね。ウェイクアップもなにもボーっとテレビを見ているのが好きだったらそれはそれでいいじゃないかって考えが俺にはあるんだよ。それこそ前のルームメイトみたいな人が「政治なんて暇人が考えることだ」とか言いつつさ、パリスヒルトンの特集とかを見てたとしても俺はこの人に文句を言える筋合いは無いよね。だってこれはこの人の人生なわけでさ、俺がそこで「そんなものは幻想だ!起きるんだ!」なんて言ったところでウザがられるだけでしょ?ましてや前のルームメイトみたいな人に真面目な政治の話をしたって伝わるわけないんだし理解できないんだからそもそも啓蒙自体が無駄なんだよね。


だって引っ越し前日に口論になったときも壮大な相手の理解の浅さってのが原因で口論が永遠と続いたんだからさ、こんなレベルの低い人に話が理解できるわけないんだけど、そこをチョムスキーっつーかまぁ啓蒙派っていうかさ、それはムーア先生も同じなんだけど、ムーア先生も10年教師やってても大半の生徒は政治なんて気にしないし一時的に自分のクラスによって関心を持っても次のセメスターになれば忘れてるっていうさ、そういうやつらが大半なんだよね。ムーア先生も頭が良い人だからそんなことは分かってるんだけど、でもそこにまぁムーア先生の実存的な信念があるんだよね。いつの日がhuman beingそれ自体が本当の民主主義をもたらすって信じているわけ。だからその信念のレベルの違いっつーかさ、それがまぁイデオロギーの違いの一つなのかもしれないけど、俺としてはもうそんな呑気なことは言ってられないって感じなんだよね。もう船は沈みかかっているのに乗組員を啓蒙してもしょうがないでしょ。沈みかかっている船の軌道を直すのにコンセンサスなんていらないわけ。分かってる人が舵を取ればいいだけの話なんだし、それで船が救えるならさ、それはそれでいいんだよ。逆にコンセンサスなりを待っている事で船が沈没しちゃったらおしまいでしょ。


啓蒙っつーのもさ、100人いて1人ぐらい理解できれば御の字っていうような生産性の低いものなんだよね。だからほとんどボランティア活動みたいになっちゃうわけ。それでもそれに熱心にコミットする人達がいるっつーのはやっぱりあれだよね、信念があるからそれだけのパワーが出てくるんだよね。あとは自分が啓蒙しているとう活動自体から来るカタルシスというか満足感を得られているというのもあるだろうし、それは少なくとも主観の上では「社会のコントリビュートしたな」って満足してるわけじゃない?でも実際はさ、大半の観衆ってのは忘れるんだよね。その時にだけ「素晴らしいスピーチだわ!」って感動して、んで家に帰ったらやることだらけで生活に追われちゃってそんなことを考えている暇が無くなっちゃう。大衆が馬鹿だというのもあるけど、それ以外にも生活に忙しいっつー理由もあってだから民主主義なんて無理なんだよ。だから俺みたいな時間がありあまっててなおかつ事柄にセンシティブなやつが政治について考えたりしないといけないっつーのがまぁ古代ギリシャ的な哲学者の発想なんだけどね。いや、ここにはね、哲学者っつーのが凄い人達なんだっていうような意味は無くてっつーはあってもまぁ半分ぐらいはネガティブな意味なのっつーのはね、暇で物好きな好事家って言うあんまりポジティブじゃない意味も含まれているわけね。そんなこんなも含めた意味で実際の政治的主体なんてのは暇人にしか務まらないんだよ。生活に追われている人なんかにはキャパ的に務まらないわけ。逆を言えば俺が忙しかったらこんだけ色々考える暇もないわけで、俺もまた政治なんて務まらない人間の一人になるわけね。俺には脳内キャパとか好奇心とか時間とかっていう古代ギリシャの哲学者的な特権的なものを持っているからここまで色々考えれるわけね。学校行ってあとやってることはオナニーと読書だけなんてさ、脳内の余裕はバッチリでしょ?


だからたぶん政治って特権的なものになっちゃうんだよ。それを専門とするような人にしか務まらない厄介な仕事になっちゃうわけ。でも民主主義っつー擬制を保つために一応、プロセスだけそうなるように見せるっつーのがまぁその一部の特権階級っつーか支配者がやる操作だよね。プラトンの洞窟のアレゴリーで言うところのまぁパペットマスターね。でもアメリカでも日本でも実際の政治を担っているのが古代ギリシャ的なステイツマンじゃないから物凄い問題が起きるんだよね。独裁的な体制ってのはどの政府も同じなんだから構造的にしょうがないことだとして、ようはその独裁体制にいる中の人間達ってのが例えばソ連みたいな酔っぱらいじゃダメなのね。酔っぱらいが政治やってたら国が沈没するわけでさ、だからそこでステイツマンが必要になるわけだけど、そのステイツマンってのがまぁ政治家たるべき人達なのね。そこには現実の政治家とステイツマンとの大きな乖離があるよね。似ても似つかな過ぎるぐらいの違いがある。だから俺は独裁的な体制に関しては批判しないんだよ。どの道、政党ってのはそうなる運命にあるわけだからしょうがない。ならそういったことを自明のものとした上でんじゃあ誰が統治するの?っていう議論が最近の俺の一貫した議論なんだけど、そこでまぁ出会ったのがシュトラウスってことで、まぁシュトラウスに没頭しているわけだけどね。


政治に疎い感覚って俺もかつてはそうだったから凄く分かるんだよ。911後なんてのは「テロリストをぶっ潰せ!」なんてマジで思ってたし、また他のちょっと政治的意識があるパンピーと同じく反戦の雰囲気が出てきたらホームページに「No War!」みたいな知ったかぶったようなバナー貼ったりしてさ、それでなんつーか自分は政治について考えているみたいな虚無的アピールをしていたわけだよね。あの馬鹿さ加減っつーのがまさしく過去の俺なんだよね。中途半端にマルクスとかをかじってるすんげー中途半端な日和見左翼っつーかさ、政治について考えているように見える連中ですらああいう昔の俺みたいな輩が多いわけで、その政治的ダメさ加減っつーのは全く政治を考えない人達も含めて総数が凄まじいんだよね。そんな連中が民主主義を叫んでるわけだからタチが悪いよね。「おー!戦争が始まったー!」なんてさ、報道を真に受けていて、んで反戦の雰囲気が出てきたら「戦争はよくない!」なんてホームページに書いたりするのって相当アホだよね。政治的主体性ゼロでしょ。ましてやアメリカのケースで言えばイラク戦争を支持してたパンピーこそイラク戦争の責任を取らなきゃいけないよね。一部のネオコンに責任をなすりつけているようだけど、まぁ虐殺へと向かったプロセスはクールポコ状態っつーか例外状態的だったとしても、それでも戦争を支持してた人は多いわけだよね。で、「なんで私たちに攻撃なんてするの?彼らは幸せな私たちの生活が妬ましいのね」なんてことをマジで言ってたりする人が多かったわけだし、ましてや911後はアメリカの国旗を掲げたりする家とかが相当多かったらしいからね。むしろ移民のほうが「非国民め!」なんて言われるのを防ぐかの如く自分の国の国旗とアメリカの国旗を同時に掲げてたりしたらしいからね。これがまぁパンピーの反応だよ。自然な感情から吹き上がる怒りとナショナリズムね。


で、一部のイラク戦争を初期から批判してたような一部の知識人やメディアには物凄い批判があったわけでしょ?「こんな状況で何を言ってるんだ!」って。これこそがまさしくパブリックオピニオンだしデモクラシーの実体だよ。イラク戦争をしたかったのは利権が欲しかったネオコンとか右翼じゃなくて、アメリカ市民なんだよ。それは民主主義的だったから批判も糞もないんだよね。散々の戦争反対運動の果てに戦争へ至ったプロセスというのがあるなら、そこには政府への強硬的な姿勢への批判というのが成立するよね。「我々はあれだけ反対していたのに政府は国民の総意を裏切った!」みたいに言えるけど、実際は80パーセントだか90パーセントの人がブッシュ政権を支持してたわけじゃない?俺もまぁ支持してた一人だったけどね。だから全然人のこと言えないの。もう恥ずかしくてしょうがないもん。真実を知らなかったり中途半端な知識を持っているというのはつまりはこういうことだよね。そういう中途半端な存在の集合体がデモスなわけよ。


あとロバートに説明してもなかなか伝わらなかったのが、まぁ西洋的な例えを使いながら言ったことなんだけど、本当の天使は共通善のために悪魔に見えるようなこともするような崇高な存在だってことなんだけどね、これこそがまぁ真のマキャベリアンであり政治家の姿だって俺は言ったんだけど、ロバートはそれをルシファーだって言うわけ。つまりは堕天使ってことね。でもそれは違うんだよな。堕天使ってのはまさしく腐敗した政治家達のことでさ、本当の天使のビジョンってのは普通の人には分からないんだよね。表面的なことから言えば恨まれるようなことも共通善のためにやってるかもしれないわけでさ、その真意をパンピーが理解するのは至難の業なんだよね。だからまぁ俺はロバートに本当の天使たるステイツマンは絶対悪魔に魂を売るようなことはしないって言ったんだけど、まぁこれがまたなかなか伝わらなかったな。あとはロバートが言うには悪魔のコミットメントをしてしまうと、そのコミットメントのプロセス自体が精神的になものに影響して、最終的にその天使達は何が本来の善だったかが悪魔のコミットメントによって分からなくなってしまうって言うわけね。これはちょっと言えてるかもなって思ったんだけど、そう思うと俺っつーかシュトラウスとかアリストテレスとかプラトンとかソクラテスが言ってたようなステイツマンって敷居が高過ぎるんだよね。それこそ隠居してしまうぐらいの認識レベルにある人達かもしれないわけで、逆に政治なんていう俗っぽいことにはコミットしないかもしれないんだよね。それはシュトラウスプラトンについての説明で書いていたことだけども。


だから結局、シュトラウシアン的なエリートっつー概念も左翼のそれと同じく理想主義的というかありもしないものを求めているという一種の理想主義と見なされてしまう可能性があるんだよね。そんな人が政治家になるわけないだろう!っていうツッコミをされると話がそれまでになっちゃうし、逆にシュトラウスのドグマを曲解した俗人が下手なエリート思想を持ってしまって、俗人による専制政治の傾向制をより強めてしまう潤滑油のような働きをシュトラウスのドグマがしてしまうかもしれないんだよね。そういう意味でシュトラウスの思想って危険物なんだと思うよね。勘違いしたやつがシュトラウシアンになって権力を振りかざしまくったらそこにあるのはただのファシズムだからね。まぁ権力者達はシュトラウス派気取りなんだけど、実際は全然政治なんてできてないっつーね、これがシュトラウスの悲劇だと思うね。


まぁ今のネオコンにどこまでシュトラウス派がいるのかは分からないから、アメリカのネオコンっつって一口に批判できるものではないんだけど。シュトラウスの実践者達も勘違いしてシュトラウス的手法を実行してしまって、んで批判する側もその間違ったシュトラウス的手法をシュトラウスそのものだと見なして批判をするっていうのはさ、あれだよね、プラトンが言ってたような詩人に対する批判と同じだよね。それを今の政治家で言えば、まぁマルクス主義全般も含めて、哲学者の真似をする政治家が元の哲学的発想を劣化させてしまうっつーかようはダビングみたいなもんでさ、世の中に溢れているネオコン論とかシュトラウスへの批判とかマルクスへの批判ってダビングのダビングみたいなのを基準にしたものへの批判なんだよね。俺はまぁシュトラウスにしろマルクスにしろまぁ影響を受けた思想家として好意的に受け止め過ぎかもしれないんだけど、でも少なくともまぁ俺から言わせれば俗流マルクス主義とか俗流シュトラウス主義っつーのはなんつーかダビングのダビングだとしか思えないんだよね。


必ずその聖書にしろコーランにしろドグマと解釈者の間にはダビングっつー劣化が生じるプロセスが必然的に介在するのだとすれば、元々ドグマをちゃんと広められるような人って本当に少数なんだよね。大半は曲解したり適当な解釈で実行したり布教したりするわけじゃない?その辺をまぁカルヴィンは改革したわけだねっつーかまぁより原理主義的なものに回帰したってわけだよね。問題はさ、例えば共産主義ですって言われたら、それはもう人々はそれ自体をマルクスに源流があるものだとかマルクス主義なのだと解釈してしまうことだよね。元を知る事なく、解釈者によって解釈されたもしかしたら曲解されているかもしれないドグマをそれそのものとして信じちゃうんだよね。なので一般的に流布しているドグマのイメージなり哲学のイメージっつーのが実際のものとはかけ離れたまるでシュミラクラムのようなものとして散種されちゃうんだよね。そこにまたさらに解釈者が介在して・・・・ってプロセスが続けばダビングが劣化しまくって原型をとどめなくなるのは言うまでもないね。


だからこそ一般に流布しているドグマなり情報なりっつーのはさ、言わばダビングにダビングを重ねまくった俗説みたいなもんでさ、だからこそ理解ってのは原著を読み込むことでしか得られないんだよね。でも元が難しいとそれこそ100人読んで100人が理解できるわけではないし、ましてやシュトラウス流のEsoteric teachingみたいなものがあると特定の人にしかドグマは通じなくなるんだよね。じゃあさ、ただですら時間と労力を必要とするようなものをさ、ましてや読んでも分からないようなものを頑張って読んで理解するなんて誰がやるの?っつー問題が出てきてさ、だからこそ結局、そういう読み込みができるのって暇人とか好事家しかいなくなるわけ。だから哲学的なものは常に哲学者達にしか実質的には伝達しないままなんだよね。それは他の領域で言えば現象学に関する誤解なんかが良い例だね。実際、現象学をちゃんと理解している学者ってのが以外に少ないんだけど、でも現象学みたいなのって敷居が高いから素人には無理なんだよね。同じ事がマルクスシュトラウスに言えるわけ。だから結局、そんな実際役に立つかどうかも分からないようなものの研究に没頭するやつらっつーのはさ、限られた暇人とか好事家だけなんであってさ、んじゃあその少数の暇人や好事家に哲学者がいるか?っていうといるかもしれないけど、でもそいつらが果たして政治家になれるか?っつーとまた別問題だよね。例えば俺みたいなやつが良い例でさ、こんな気分障害とか被害妄想とか鬱があるようなやつが政治なんてできるわけないじゃない?行動力も無いし体力的にもすぐ疲れちゃうから絶対無理だよね。物理的に。で、哲学者っつーか物好きタイプって俺みたいなやつが多いと思うんだよね。それこそ喪男タイプっつーかさ、そういうのがまぁ豹変すれば合田とか久世みたいになるのかもしれないけど、まぁあくまで少数中の少数だよね。


だからこそあれなんだよね、これがまぁシュトラウスの奥義中の奥義なのはさ、っつーかまぁ俺の勝手な解釈なんだけどさ、本当の哲学者っつーのはさ、どっかの洞窟だとか山みたいなところに籠っていて、んでたまにステイツマンが哲学者の助言を仰ぎにくるんだよね。そこで見えない形としての政治的媒介というのが哲学者によって行われるわけだけど、実際の哲学者は表舞台には一切でないっつーね、まぁかっこ良過ぎるっつーか伝説っぽ過ぎるって話だけど、でもソクラテスとかプラトンとかアリストテレスが言ってた賢人統治ってこういうイメージが一番しっくりくると思うよね。30年経った現在において、シュトラウスが墓からブッシュ政権に指令を出しているみたいな伝説が流布するのも、こういった賢人哲学的発想の概念があるからだと思うんだよね。だからブッシュ政権はパペットで、実際はネオコンというパペットマスターが背後にいるみたいな伝説が流布するわけ。何しろ彼らが辛抱している賢人政治に一番近いイメージがこの伝説のイメージとそっくりだからね。


あーそれにしてもあれだなぁー口頭でも文でも質はともかくこのぐらいの勢いで英語で喋れたり何か書けたりできれば凄いんだけどなぁー。これだけ喋れて書ければなんとかなりそうな気がするって漠然としたイメージがあるね。だからこそ英語すらなんとかなってしまえばあとは大丈夫だろうっていう自分への信頼感みたいなのがあるんだよね。少なくとも俺には自分で考えるという脳なり能力があるから、あとは出力の方法さえなんとかしてしまえば、まぁなんとかなるだろうなっていう。


ってことでした。ロバートとの1時間半にも及ぶ氷点下での立ち話で体が芯から冷えてしまったなぁー。それにしても。なんかでもさ、例の卵にしてもさ、ロバートにしてもさ、なんか将来何かになりそうなやつってのが身近にいて、んでそういうやつらと会話ができてお互いに認め合うことができるって凄い知的に恵まれた環境だよね。そういう環境に身を置く事でしか得られない進歩ってのがあってさ、それって引き蘢ってるだけじゃ無理なんだよね。そこがまぁソクラテスの言ってたDialecticってことなんだろうね。ってことでロバートとの外での立ち話のことをこれからソクラテスの立ち話って名付ける事にしよう。


PS


あとあれ、天使がやる悪魔と言われるコミットメントでロバートに説明したのがさ、「例えば今、こうやって自分たちが喋っている地下鉄で、いきなり変なやつが銃を乱射して人々を虐殺するというビジョンを予言者としての俺が見たとするよね?で、仮に俺がマイノリティーリポートよろしくこの気違いを殺したとしても、こいつが銃を乱射するというのは俺以外誰にも見えていなかったわけで、人々は俺を人殺し呼ばわりするよね。でも実際は俺はガーディアンだったんだよ。でも人々は俺の行為だけを見て俺を殺人者呼ばわりして、俺の見えていたビジョンも誰も信じようとしない。ここにマキャベリアンのジレンマがある」みたいなことね。我ながら思いつきにしては良い例えだなと思ったんだけど、基本的に会話においてもウォール伝ペースで色々浮かぶからだからまぁあれだけ長く喋れるんだろうね。ロバートもウォール伝タイプの変人だから、だからウォール伝の出力同士が知的にぶつかり合って、んでまぁ悟空とフリーザの戦いみたいになってたってわけ。それにしてもこの銃乱射の例えは気に入ったんだよね。我ながら上出来だなと思ったわけで。


あと冷えきった体で乗った電車で思ったのが、フリーライダーね。今のニューヨークの治安はジュリアーニによる人権全般をかなり無視した強硬的なやり方によってもたらされたと仮定するのであれば、今の治安をエンジョイしているニューヨーク市民が「ジュリアーニは大量の無実の人達を刑務所送りにした!人権侵害だ!」なんて言えないんだよね。パトリオット法しかり。人権やらをある程度踏みにじった上で保証されている現在の状態ってのが我々の生活なんだとすれば、もしかしたらパトリオット法の恩恵を我々はエンジョイしているかもしれないわけで、パトリオット法なりを完全な悪法だと否定しきることはできないのね。もしパトリオット法が無かったら・・・というif thenみたいな議論が事実上不可能だから、論理的に完璧な批判は不可能ってことなのよね。ここに人権やら民主主義を至上のものと見なす危険性があるんだよね。それら重要視するがあまりより多くの人権や民主主義的生活が踏みにじられるのであれば、ちょっとぐらいの犠牲には目をつむらないとってことになるんだけど、その辺との兼ね合いが難しいよね。そういうのをいいことに共和党みたいなのがやりたい放題やっているのも事実だし。難しいね。

History of Political Philosophy

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