シュトラウスのOn Tyrannyについての覚え書き。

mimisemi2009-03-18

シュトラウスのOn Tyrannyって本を読んでるんだけど、まぁあれなんだよね、結局、シュトラウスって古典の読み込みを行っていたわけでさ、それがベースになってシュトラウス的政治哲学が出来上がっているわけで、何気にまぁ古典的な政治学の集積みたいな感じではあるんだよね。まぁ読み込みが独自かもしれないんだけど、例えばこの本だとXenophonのHiero or TyrannicusっつーまぁXenophonのマイナーワークの読み込みっつーか分析を元に僣主政治についてのことが色々書かれてるんだけど、SimonidesってのとHieroっつーのとXenophonのダイアログなんだけど、まぁ誰が何を言っていたかまでは覚えてないっつーかいちいち気にとめてないんだけど、Tyrant側は普通の人より自由を楽しめないっつー議論があってさ、ようはパンピーのほうがより自由だの享楽だのを楽しめるんであって、タイラント側も楽じゃないんだぜっつーのは分かりやすい話で、まぁ別にタイラントってわけじゃないんだけど、例えばまぁ雅子さまが鬱になるようなもんで、パンピーから見ると特権的に見えなくも無いああいう地位もやってる側はそれなりに大変なんだぜってことなんだよね。で、シュトラウスというかまぁXenophonというかさ、そのタイラントの条件っつーのがまぁ十八番の徳のある賢人ってことなんだよね。


独裁者っつーとさ、イメージ悪いじゃん?ヒトラーとかスターリンとかさ、でもそうじゃなくて賢人が独裁者になったらどうなの?って議論なんだよね。簡単に言っちゃえば。で、その賢人ってのは個人的な快楽だの金儲けだのに喜びを見いだすんじゃなくて、良い町づくりに喜びを見いだすってわけで、例えばタイラントコンテストみたいなのがあってさ、その競技のポイントってのが何人殺戮したか?とか、どれだけの圧制を行っているか?ではなく、どれだけ良い町づくりをしているか?ってところでコンテストがあったら面白いじゃんっていうね、シュトラウスの言うタイラントって全然流布しているイメージと違うんだよね。高貴な嘘も人々を善なる道に誘導するだけではなく、パワーエリートみたいな政治家も統治者たる賢人は誘導するんだぜってことで、まぁさ、あれだよね、ホント、パペットマスターに近いイメージなんだよね。ただその陰で人々や政治家どもを操っているのが、例えばロスチャイルド家だのさ、ロックフェラーだのじゃなくて、徳のある賢人ってことで、なんつーか陰謀論に出てきそうなロスチャイルドだのロックフェラーだのが世界を牛耳っているっていうようなイメージをそのまま賢人にしたのがシュトラウス流の賢人独裁って感じかな。


基本的にprivate interestっつーかまぁindividual interestのためにロックフェラーだのロスチャイルドだのなんだのってのはまぁ社会を牛耳り政治を牛耳るって感じじゃない?まぁ陰謀論の話だとね。それをさ、基本的にcommon goodのために社会を牛耳り政治を牛耳るってのが賢人独裁なんだったらさ、それって悪い話じゃないよね。操作されているのには変わらないんだけど、でも陰で社会を牛耳っているのが徹底的な善人っつーか徳のある賢人だったらそれはそれでいいじゃないって感じだよね。パンピーは与えられた自由を享受しながら人生を楽しめばいいわけで、政治は賢人と賢人に使われるエリートによって成されていればいいんだよっていうね、そこは前にも書いた個人レベルでの自由と政治レベルの自由って違うものなんだよっていうね。だからこれは俺の意見だけど個人レベルでの自由をエンジョイできれば政治レベルの自由なんていらないじゃないかって思うわけね。政治形態としてのデモクラシーとデモクラティックな生活って違うからね。善い市民社会が善いエリートと賢人によって統治されているなら、パンピーは別に政治的自由なんてなくたっていいんだよ。もちろんチェックアンドバランスが必要だから常に監視はしなきゃいけないんだけど、それは別に今でも賢人独裁でも変わらないわけ。


んでもさ、賢人独裁っつってでも賢人が権力握ったらやっぱ腐敗するんでしょ?っつーのがまぁつかれたら痛いところっつーかロバートもいってたようにさ、そんなやつはいないんだ!って前提に立っちゃうと、シュトラウスタイラントの定義って出来ないんだよね。そういうやつが統治すればいいんだって議論が出来なくなっちゃうってのは、そんなやつはいないし、いてもその場についたら腐敗するだろっつーさ、そういう言い方になるとまぁどうしようもなくなるんだけど、俺に言わせれば民主主義だって無理なんだからさ、別に全然変わらないことだと思うんだよね。ただ賢人独裁の難点は仮にその賢人達について市民が反感を持ったときに、んじゃあどうやって別の賢人を統治者として立たせるの?って話でさ、結局それってなんかあんま選挙と変わらなくなっちゃうよね。選挙の問題点はパンピーが政治家を選べる素質なんて無いし、どうせパンピーが持ってる党派制とかで公明党みたいなのも票を得られるわけでさ、それが問題なわけじゃない?俗人が投票するんで俗人が政治家になっちゃう。それを阻止するための賢人独裁なんだけど、賢人独裁においてのチェックアンドバランスをどういう風にやっていけばいいのか?っつーのはまだちょっとはっきりとは言いきれない感じだね。


ただね、結局あれなんだよね、儒教っつーか孔子ソクラテスプラトンアリストテレスも基本的に同じ事を言っていてさ、それってのの真髄がまぁ徳のある人物が統治者になるべしっつーかまぁ別の言い方をすれば統治者たるもの徳を持つべしって話なんだよね。これって相当ベーシックっつーか当たり前のことだよね。ただシュトラウスの場合、そういった古典回帰的な言い方を現代で提唱しているからまぁラディカルっつーかcontroversialなんだよね。なにしろ民主主義が当たり前に良いものとして半ば洗脳されている近代において、独裁政治の必要性を掲げるなんてのは結構な大事だよね。だからそこで、まぁ左翼系の人達がチャンスとばかりにシュトラウスナチスに影響を与えたニーチェだのハイデガーだのシュミットだのの子孫なんだみたいな言い方をしてさ、まぁそれは左翼系のシュトラウス研究者のShadia Druryのシュトラウス解釈に依拠したLaRouchiteって人が言ってたことなんだけど、問題はね、メディアで流布しているシュトラウスのイメージっつーか解釈ってのの大元がDruryの偏った解釈なんだよね。そこをLaRouchiteみたいな人がより広めることで、まぁそれがメジャーなメディアでのシュトラウスのイメージになっちゃってるわけだけど、はっきりいってまぁ今の今ぐらいの浅いシュトラウスの理解でもシュトラウスナチスだのファシズムなんてのを提唱しているわけじゃないってのは明らかに分かるわけ。シュトラウスってのはまぁ反民主主義者だけど、その反民主主義姿勢は古代ギリシャ的なんだよね。


それがまぁつまりはさっき書いた儒教古代ギリシャ哲学共通のVirtueに重きを置いた賢人政治なんだよね。反民主主義=ファシズムというのはちょっと安易なんだよな。そういう意味で。俺もいつも書いているように反民主主義的でも人々が善のある市民社会を享受出来ていればそれでいいじゃないって話だし、出来ればそれがベストって話だよね。民主主義にしちゃうと、結局、既存の政党とか党派制を持った諸団体の対立になっちゃうわけじゃない?例えば左翼右翼みたいなね。


まぁーあれだけどね、まぁ賢人に政治を勤めさせるなんてまぁ非現実的かもしれないよね。でもそれをまぁ正確じゃ無いながらも意志を継いでやっているのがシュトラウシアン達ってことになるわけだね。彼らが賢人かどうかは分からないし、なにより俺は「自分のことよりも社会のことを優先に物事考えて、善い社会を作るということに喜びを見いだすような賢人」って意味でやっぱり既存のネオコンに対しては全くそれを感じないんだよね。特にイラク戦争で儲けたシュトラウシアン達も含めたネオコンがいたりするわけでさ、なんか既存のシュトラウシアンとは違ったシュトラウシアン学派みたいなのが必要な気がしてきたね。どうもやっぱなんつーかシュトラウスの政治的手法をただ使ってるだけってイメージがあってさ、シュトラウシアン達にはね、シュトラウス政治哲学の白眉とも言えるVirtueの部分がすんげー抜けてると思うんだよね。いや、それがあった上での様々な政治的コミットメントなのかもしれないけど、んーどうも信用できないっつーかなんつーか俺にとってはどいつもこいつも俗人にしか見えないんだよなぁー。


あとはあれね、前にも書いたけどエリート統治っつってんじゃあエリートになりたいやつが明日からどうやったら統治者になるように頑張ればいいの?とかさ、仮に徳のある哲学者がいたとして、んじゃどうやってそいつを独裁者として置くの?って話だよね。政治が出来て、んでなおかつ徳のある哲学者って滅多にいないよね。まぁ哲学者じゃなくても、ようは徳があればいいんだけど、その徳って概念も曖昧だし、徳が無いやつらが大半の既存の政党やらでさ、どうやって徳のあるやつを政治に食い込ませるかってのが大問題でさ、それをんじゃあ国民投票で決めるのか?とかってことになると基本的に代議士とどう違うの?って話になるよね。


ってことで結局、国民が徳のある政治家を代議士として選ぶってことしかなくなっちゃってさ、それって結局、今の民主主義と変わらないんだよね。むしろシュトラウスが言っているような賢人ってのは普通の人にはその賢人ぷりってのが分からないぐらいの高尚な存在なんであってさ、代議士とかってレベルじゃないんだよね。なんかまぁすげー変な言い方をすると現役のマザーテレサとかガンジー独裁政権を持つみたいなのと近いんじゃないかな?ガンジーとかマザーテレサですら腐敗する可能性が無いわけでもないよね。でもまぁほとんど自分の人生を捨てて、善い社会を作るために人生を捧げる事が出来る人なんて、それこそマザーテレサとかガンジーレベルの賢人なんであって、まぁレア中のレアでしょ?しかもマザーテレサ並の徳の高さを持ちつつなおかつ政治的能力もなきゃいけないわけでさ、ほとんど無理って話になりかねないよね。


まぁ俺の中で高いレベルのヴァーチューを持っていたのってマザーテレサガンジーがパッと浮かぶんだけどね、あとキング牧師とか。で、カウンターアーギュメントとしては彼らが腐敗しないなんてどういう根拠で言えるのか?って話だよね。徳のある哲学者的な政治家なんて古代ギリシャで語り継がれてきた理想的なステイツマンというイデアルな存在なんであって、実際は存在しないって言われちゃったらまぁシュトラウス的な議論もネグリ/ハートのマルチチュード理論の如く「無理です」って言われて終わっちゃうよね。


ちなみにこの本ね、日本語版はどうか分からないけど、On Tyrannyに関してはRevised Expanded Editionってのが出ててね、XenphonのTyrantに関するダイアログのサマリーみたいなのが最初にあって、んで第一部がシュトラウスの本編で、その後にコジェーヴシュトラウスに対するカウンターアーギュメントってのがあってさ、んでその後にシュトラウスからのコジェーヴへの返事とも言えるXenohonのHieroに関するrestatementってのが載っててね、んで第三部はコジェーヴシュトラウスの往復書簡が載っているわけ。必ずしもタイラントに関する話題ではなさそうで、まぁ残っている彼らの貴重な文通をおこしたものが載っているんだけど、凄いボリュームだよね。洋書って大抵が日本の本に比べて1ページの文字数が死ぬほど多いし、それで300ページ越すとかなりの大著なんだよね。まぁOn Tyrannyに関してはシュトラウスのTyranny論と、ゴジェーヴとのディベートと、あとまぁ往復書簡で構成されてるんで、まぁコンピみたいな感じなんだけど、それにしてもまぁ読むのに時間がかかるね。ましてや読みやすく無いからね。コジェーヴの文もシュトラウスの文も。で、今はまぁ第一部を読み終えただけなんだけど、まぁちょっと適当な覚え書きをしておきたかったんで、書いてみましたってことで。


プラクティカルではないかもしれないけど、コラプトしようのない人格者みたいなのが統治者になってたら、まぁそれはそれでいいかもね?なんて思わせてくれるのがシュトラウスの議論だね。なんでプラクティカルではないって言うのか?っていうと、そんなやついるの?って話と、そんなやつがいて、んじゃあそいつがタイラントになるの?っつー話があってさ、既存のシステムではほぼ不可能に近いんだよね。政治家ってのは自分が徳のある政治家なんだっつーのをまぁアピールするわけじゃない?で、実際は全然違うじゃんってのがまぁよくあることなんだけど、ふつーの政治家がやる嘘ってのは自分が当選なり支持されたいがための嘘でさ、プラトン式の高貴な嘘とは全然違うんだよね。ではなんでそれが「高貴」と呼ばれるのか?っていうと高貴な賢人達が人々を導くための嘘ってことなわけでさ、既存の政治家がやってる嘘なんてただの嘘なんだよね。


「嘘」という言葉は恐らくどの国々でもネガティヴなイメージを持っていると思うんだけど、例えばね、長距離恋愛中の受験生の彼女が事故で死んだのにも関わらず、来週の入試のために例えばその受験生の親が彼女が死んだってことを伝えないのもまぁある種の高貴な嘘だよね。「病院に運ばれたって聞いたけど大丈夫なの?」って受験生が親に聞いた時に、事実を知っている親が「大丈夫みたいよ。入試が終わったらお見舞いに行ってあげたら?」っていうのが高貴な嘘なんだよね。ここで真実を知らせてしまったら受験生は入試どころじゃ無くなっちゃうわけじゃない?そこをあえて今は伝えないっていうのはさ、まぁある意味の優しさじゃない?受験生の将来のことを考えればこれは必要な嘘だったんだって正当化が出来る嘘ね。もちろん結果がついてこないとただの嘘になっちゃうんだけどね。あくまで高貴な嘘ってのはこういう用途で使われるってことね。間違えても政治家の私腹を肥やすために存在するものではない。それが社会にコントリビュートするものでない限りそれは高貴な嘘にはならないのね。ようは嘘を使われている側が得をする嘘というのが高貴な嘘ってわけだ。まぁあくまで俺の定義だけどね。


そこをね、シュトラウスの方法論だけを取ってきて実行してもそりゃーただの形骸化されたシュトラウスのメソッドなわけ。VirtueだのCommon goodだのっていう概念がついてこないシュトラウスのメソッドなんてただの偽物だよね。こういうところだけを取ってきてマキャベリアンだとかって批判するのはお門違いなわけね。あと政治を考える上で必要なのってさ、独裁者にしてもモチベーションは分からないってことなんだよね。中には単純な支配欲によって独裁者をやっているような、まぁ金正日みたいなのもいるけど、中にはね、誰っていう例えはないんだけど、例えば歴史的に悪だと言われている独裁者なんかも、実は良い社会を作るために必要だっつって色々あくどい事もやってきた可能性もあるんだよね。政治的な人物の評価ってのは歴史によって決められているわけで、その彼らが持ってたビジョンまでは分からないし、まぁその人物に関する文献なんかを読まないとまぁ分からないし批判もできないんだよね。


いや、まだ完全に読み終わってないんだけどね、またなんかあったら書くかもしれない。ってことで今日はこの辺で。

僭主政治について〈上〉

僭主政治について〈上〉

僭主政治について〈下〉

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On Tyranny: Including the Strauss-Kojeve Correspondence

On Tyranny: Including the Strauss-Kojeve Correspondence

  • 作者: Leo Strauss,Alexandre Kojeve,Victor Gourevitch,Michael S. Roth
  • 出版社/メーカー: Univ of Chicago Pr (Tx)
  • 発売日: 2000/05/15
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