黄金比と黄金律と因縁和合の話。

mimisemi2009-05-15

黄金比と黄金律の話に展開があったんで書くね。


まぁ前にも書いたようにさ、黄金律ってのがどの宗教でも普遍的なのは、それ自体が黄金比的あり方を示しているので、それはフラクタルに考えれば人類が幾何学的に発展していったので、黄金比に関係あるものに人間が普遍的に何かを感じるのはバイオロジカルなレベルで説明がつくってことなんだけどさ、まぁここまでがおさらいでさ、まぁDNAとかもそうなんだけど、あれって勝手にさ、それこそバクテリアの繁殖だかみたいに短時間で勝手に何かを形成するじゃない?時間の差はあれそれは恐らく時間軸っていうかさ、それ自体のあり方の時間軸に関するものなんであって、恐らくその形そのものってのはさ、普遍的って言い方をすると大げさだけど三次元世界のあり方ってのがあるんだよね。で、それが黄金律でさ、人に喜ばれるようなことを他人にせよっていうのはね、幸せになりたかったら人に喜ばれるようなことをしろっていうような仮言命法ではなくてさ、定言命法なのね。何も先立たないルール。なんでこれが黄金なのか?っていうと黄金比と一緒でさ、人類やら生物やら三次元的なもののあり方の根底にある普遍的なルールだからなんだよね。で、俺はそれを最近さ、まぁマックスみたいだけどね、「8:20 Restate my assumption!」みたいなさ、マックスごっこをしてるのは分かるんだけどね、自分で実践してるんだよね。自分が何者にも何事にも先立たずにあり方としての黄金律を守ると。で、その結果として俺の身に何が起こるか?っていうね、で、俺の印象としては全てが上手く運んでる感じがするんだよね。今日もさ、例のトラブった学生VISAのオフィスの人にさ、たまたま会ったのねっつーかオフィスに行こうとしたら階段でその人が誰かと喋っててさ、「あ、あの人だ!」と思ってさ、前回は相当印象悪くしたってのもあって、まぁちゃんと話そうかなって思ったのっつーかさ、まぁ結局その人は帰る時間で今日はプロセスを踏むのは無理なんだけど、とりあえず書類とか見てもらったのね。で、相手に嫌な思いをさせないようにっつーかこれが俺の悪い癖だけどさ、調子が悪い時って顔とか態度に全部出ちゃうんだよね。


で、その調子の悪い感じが他者に伝達して、んで他の調子悪い感じっつーか調子の悪いバイブレーションを生んじゃうわけ。で、PSのおかげか最近調子の良い俺は「この間はふてぶてしくてスミマセンでした!」みたいな感じで素直に謝りつつさ、「ちゃんと用意してきたよ!」みたいなね、子供みたいな態度っつーか俺そのものの態度で接したのね。「僕のこと覚えてますか?」っていうさ、こういう俺の態度が生み出すのはこのオフィスの人の笑顔だよね。「えー分からないけど思い出してみるわよーえっと・・・」「あのF-1に引っかかった生徒なんですけど」っつったら「あー思い出した!」みたいな感じでさ、「あのときはスミマセンでした」みたいなのをパフォーマティヴな言語で表しつつ、調子の良いときの俺のポジティヴな感じってのを完全に出してさ、作り笑顔とかではないね、完全なる表情でコミュニケーションをするんだよね。そうすると生まれるのはお互いの笑顔なんだよね。で、最後に出てくる「ありがとう」の言葉。これが善なるものの連鎖を生むんだよ。これが黄金律の急所ね。嫌なヤツの嫌な態度は嫌な感染なり伝染なりバイブを生んじゃうっていうさ、だったら嫌なヤツにすらも黄金律の態度で挑むっていうね、まぁキリストだかもさ、敵にこそ優しく接しろみたいな言葉があるでしょ?敵すらも愛せみたいなさ、これってまさしく黄金律ねっつーか俺の定義で言うところの黄金律ね。


これじゃあ仮定のレベルなんで最近大嫌いになった天文学のクラスの先生にこれを応用してみようと思ってさ、今日でクラスは最後だったんだけど、クラス後にあえて話しかけてみたのね。相手も俺を避けてる感じだし、お互い目をそらしちゃうような感じなんだけどっつーのはさ、前にも色々と書いた通りなんだけどね、でも俺は黄金律的な態度で先生にさ、「数学的に証明出来ればそれが物理的に証明出来なくても存在することになるんですか?」みたいなね、最近俺がハマってる数学理論とか幾何学の話の質問を色々してみたんだけど、先生は最初まぁ予想してない感じっていうかさ、まさかこいつから質問されるとは思わなかったみたいなね、そんな感じだったんだよね。で、先生は顔を赤らめながら驚きつつも色々と説明してくれてさ、で、話がアインシュタインとかね、空間の話とかになったんだけど、まぁ詳細は端折るっつーか俺の専門知識が無いんで下手に説明したくないっつーのもあるんだけど、会話の途中でさ、先生が「キミはとてもスマートだよね。授業中になんであんな高度な質問をするのか理解しかねたよ。だけどね・・・・キミは・・・・テストの点とか宿題の点が良くないよね?なぜだね?あのぐらいのテストの結果を出す生徒がキミであるはずがない。こんな生徒がどうやってそんな高度な質問を出来るんだ?」なんてさ、まぁ謙った言い方っつーか直接的な言い方じゃなくてさ、俺のある程度の知性は認めつつもスクールワークどうなの?っていうさ、そういう質問を投げかけられたわけ。


で、俺はまぁ色々とあるけど、まぁ一番便利だなと思ってADDなんですって言ったのね。そしたら先生が「あーなるほど」みたいな感じでさ、全ての事が説明ついた!みたいな感じでさ、「だったらなぜ診断書を提出しないんだね?」みたいなアファーマティヴアクションの話になったりしてさ、まぁともかくね、先生は俺の事をまぁある意味恐れてたってのは確かなんだよね。俺としてはそんな高度な質問をして来たつもりはないんだけど、先生もまぁ長らく先生やってるけど、俺みたいな変な質問をしてくる生徒ってのはほとんどいないらしくてね、だから「あいつなんなんだろうな?」って戸惑ってたって感じだったんだよね。「わけのわからない質問のように見えて話題とは関連してるんだけど、どうその話題とこんなややこしい話が結びつくんだ?」っていう感じだったらしいんだよね。まぁそれはともかくさ、「色々と本当にありがとうございました」とか言いつつさ、最後に分かれる時に先生が握手を求めて来たんだよね。あんなにぎくしゃくしてた関係っつーかさ、言葉にできないようないやーな感じってのがこの握手で全部解消されたっつーの?俺はお辞儀をしたんだけど「キミは東洋的なやり方だね。これが西洋のやり方だよ」っつってさ、握手をしたんだけど、なんつーのかな?マジで俺の理論ワークしてるじゃん!って感動しちゃったよね。このありえなさっつーのかな?まず質問をするような関係じゃないっつーかさ、それこそrate my professorとかで匿名で低い評価をつけたくなるようなさ、そんな感じだったんだよねっつーかそれは俺が大泣きした日とかのことを考えれば分かるよね?


気分が変わったので質問する気になったとかじゃなくてさ、自分の想定をワークするか試してみたいっつーさ、相当なギャンブルだったんだけど、やっぱり最後にあるのはお互いの良い気分と「ありがとう」の言葉だったんだよね。これって素晴らしいことだよね。全てにワークするかはまぁ俺自身が色々と試してみないといけないんだけどさ、ようは俺自身が実験者にならなきゃいけないんだよね。俺の理論を証明するための実験ってのを日々の人間関係の中でやっていくっつーのかな?このダイナミズムがようはさ、黄金比の数字みたいなもんなんだよね。一瞬一瞬が一個一個の数字でさ、一瞬一瞬が黄金比を紡いでるんだけど、その波に乗れる人は感覚的にそれが分かってる人か、それを理解した人だけなんだよね。これは仏教とかでも一緒でしょ?良い行いをすればそれが良いこととして帰ってくるみたいなさ、連鎖ね。全ては繋がっているというのはようは人類のはじめっつーか宇宙のはじめからの黄金律によって全てが繋がっているわけでさ、自分もまたアトムの一つなんだよね。アトムの所産のアトムが自我があるかのように振る舞っているっていうアトムっていうかね、限界があるにも関わらず無いとかって感じてるっつーかさ、錯覚してるアトムなんだよね。それは恐らくアトム自身もそうだろう。アトムに意志があるとすればアトムは自分のことをアトムだとは思わないよね。でも実際はただの原子なんだよっていうね、その原子は原子の法則っつーかさ、動きの法則みたいなのによって化学反応を起こしたりさ、それ自体が動いたりしたりしてるんだけど、アトムそれ自体にはそれは分からないことだよね。徹底的に不可知なことっつーかさ、でもそれを理解するってことがつまりは真実を理解するってことだよね。


それは安っぽい使い古された古い言い回しとかのさ「善行をせよ」ってことではなくて、なんつーのかな?まぁそれ自体はあってるんだけど、そういうワンセンテンスじゃない細かい事とかも含めてその普遍性を証明したいっつーのかな?そういう欲求が最近あるね。で、それが何らかの数式で表せたら最高だなって思うんだけど、それこそ数学なんて全然やってこなかったし大嫌いだったからさ、まぁ基礎からやらなきゃいけないけど、恐らく何かを表すのに数学って伝えやすいっつーか分かりやすいと思うんだよね。それこそナッシュのゲーム理論みたいなもんでしょ。そういうのがなんつーのかな?黄金律理論とかさ、善の理論みたいなね、そういうので表せたらいいなって思うのね。


で、勝手にそれの鍵を握ってるのがラプラスの悪魔の概念だなって勝手に思ってるんだけどね、ようは不可知なものを知るというのは量子論とかで何かを知った上で計算することで何かを知るというプロセッサーとしての全てを知る知性ではなくてさ、それそのものとしての知性なんだよね。ようは我々の次元なり世界ってのが誰かの脳の一部みたいなね、それはまぁ天文学の最初の授業の時に思いついたってことと一緒だけど、最後の日にまた凄い発見をしてしまったな!って感じだよね。全知全能的なもののあり方ってつまりはラプラスの悪魔的な概念だよね。それは証明不可能だと言われてもそれは人間の概念で証明が不可能なんであって、証明が不可能であるからといってその存在が否定されるってことではないんだよね。まぁそういうようなさ、一見証明不可能そうに見えることを証明してみようかなっつーのが俺の黄金律のアイデアなのね。そりゃー無理だよっつーかさ、こういうケースがあったらこれはワークしないよっつーのは一瞬で分かる事なんだけど、そうじゃないレベルで存在する存在そのものの秩序のあり方っつーのかな?それに沿えば誰もが秩序に乗る事が出来るっていうようなね、で、それは徹底的に献身的じゃなきゃいけないんだけどね。自我がありすぎるとこれは不可能な事なんだけど、それを例えば今日の俺は俺の個人的な感情ってのを殺してさ、単純に自分の想定の実験ってことであえて天文学の先生に話しかけたらこういうことになったってことでさ、そりゃーたまたまでしょ?って言えなくもないけど、でもやっぱこの意外性だよね。


俺も相手もこんなことになるとは思ってなかった。ただお互い理解し合えたみたいなさ、そこにあるのは俺の理論の実験という行動からもたらされた帰結だよね。で、それは全て黄金律によって成り立っているので、俺がそれに乗りさえすれば人間的な感覚で言う調和というか善なる感じっていうか気分が良い感じっつーか「ありがとう」っていう感覚っつーか英語で言うgratitudeっつーのかな?で、これは俺は聖なる力だと思ってるのね。ここはまぁユダヤ神秘主義が入ってるけどさ、一瞬一瞬が聖なる瞬間で、その一瞬一瞬で善なることをすれば、その善の行為がある帰結を生み出すっていうさ、だから常に人間ってのは選択を求められてるんだよね。ただそれは流れる川のようにさ、川自体がその川の流れを感じられないように、人間ってのもまたこの人間の流れってのを感じられないんだよね。でもそこをあえて感じ取るっつーかさ、感じ取って人間にとって全てが上手く行く秩序という名のルールに乗ってみるっていうかね、進んで従うっつーか身を捧げるんだよね。で、その結果として自分にも良い事が起きるっていうね、これ自身がつまりは調和のあり方というか秩序そのものを表してるんだよね。なので決定論的な部分は流れそのもののあり方なんであって帰結ではないのね。その流れに乗る事でもたらされる良き結果というのはあるんだけど、その因果性の体系っつーのかな?因果性の力学だよね。その因果性に自分を乗せられるかどうか?ってのが個々の行いに依存しているんだけど、それは全てが黄金律で説明できるっていうね、黄金律的な原則から導きだされる様々な行動が個々の秩序も全体の秩序も生み出すっつーね、これ自体がつまりは人類の幾何学的連鎖っていうかさ、黄金比の連鎖を表す人類のあり方なんだよね。なので人類そのものがその因果性にの乗らなきゃいけないわけでさ、その黄金律に乗った人類というのに約束されている帰結は恐らく理想郷なんだと思うよね。つまりはカオスを統治する黄金律という原因には必ずしも収束しない流れのあり方っていうのかな?これが存在すればカオスって概念は無くなるよね。だからまぁ俺が勝手に考えている黄金律の理論って平和の理論みたいなもんなんだよね。


でもこんな青二才が断片的な知識で思いつきで色々書いててもダメだから、それはなんつーかちゃんとした形で出さなきゃいけないんだよね。で、そのためにはやっぱ勉強が必要っつーね、まぁ勉強っつーか、自分が吸収したいと思う事を吸収し続けるってことね。とりあえず今のところそんな感じだわ。だからまぁ何らかの介在者としての神は俺は信じるってことになるよね。ラプラスの悪魔ってだからまぁ神だよね。つまりは。YHVH的な形が無い神としての神っていうさ、神とすらも呼べない神の存在ってユダヤ神秘主義ではEIN SOFっつーんだけど、これはあるよね。これは絶対間違いなくある。パイは無理数でしょ?EIN SOFも無理数なのね。で、人類とか宇宙とかっつーのは全部黄金比の中に表されているアカシックレコードなのね。信じるも信じないもとにかくまぁどの道、みんなこれに気がつけばユートピアが訪れるってことだよね。まぁー難しいことだとは思うけども。とにかくまぁ俺はこの原則に従って色々行動してみるね。で、まぁ物事が上手く運びすぎたりしているようだったらさ、なんとなくまぁ俺が俺の人生としてそれを体現出来てるって感じがするじゃない?今もまぁその中にいるんだろうけど、今後はもっと意識的にそれを悟るっつーのかな?EIN SOFも自分の思いつきの法則も全部想定した上で物事を客観視して分析して帰結を見いだすっていうね、この行い自体が恐らくEIN SOFと俺の理論の存在証明になると思うのね。それと同時にまぁなんつーか普遍的な形でこれを表したいっつーのがあるっつーのはさっきも書いた通りね。因縁和合と同じようなことをユダヤ神秘主義も言ってたりするんで面白いよ。マジで。


ってことで今日はこの辺で。


ps


5月10日のエントリーにコメントがあったんでサクっと答えます。


imaokazuki 宗教, スピリチュアル シンクロニシティ、意味ある偶然、神秘体験、神との出会い。シミュラークル云々とか、神は人間と似ている、人間は神と似ている、とかはよく分からないなあ 2009/05/12


神と人間が似ているというのは創世記で人類がYHVHに似せて作られたという神話から来ています。「分からない」って理由は全くその通りですね。日本ってキリスト教っていうか創世記なんて学校で習ったりしませんからね、だから「は?」って感じですよね。でもユダヤ的な神の概念はスピノザ的な汎神論に近いものがありまして、それは日本の原始宗教と似たような自然崇拝とか八百万の神とかっていう概念と似ていたりします。ユダヤ教神道の奇妙な一致に関しては陰謀論止まりなのでここでは書きませんね。ウィキのYHVHの項目に「創世記のとおり人類はヤハウェに似せて造られたことが伺える。但し、広義では他の生物、物質も人類と性質が似ており、人類がヤハウェに似ていることは宇宙空間全体の事象に帰納(きのう)できる。」とありますが、基本的に僕が言っているのはこういうことです。つまり人間が全てではなく、物質も人類も全ては宇宙全体そのものという現象として説明出来るということです。例えばシャンプーを流していて、泡が排水溝に流れる時の泡の模様は宇宙の模様とそっくりですね(例えばM81という渦巻銀河にそっくりです)。少なくとも僕の地下室のシャワー室ではいつもそうです。ちなみに排水溝はアインシュタイン相対性理論ブラックホールを表したときの形状そっくりです。まぁようは僕はこういうのをただの偶然だとは捉えないという世界観で生きていこうって決めたというか、勝手に認識したわけですね。いきなりユダヤ神秘主義に走ったわけではなく、色々な考えの末に至ったまぁ一つの認識です。その中にユダヤ教ユダヤ神秘主義などの影響もあったりするってことです。あとまぁ驚いたことに天文学ですね。