意味論と解釈。

mimisemi2009-05-13

ソーシャルサイコロジーのクラスでさ、プレゼン日だったんだけどすっかり忘れててさ、んでもPSが効いてる自分を試したくて即興でやってみたらまた大成功だった。ヤバ過ぎるね。ミルグラムの実験の内容っつーかまぁコンセプトみたいなのをさ、脱構築っつーとあれだけど、前に書いたじゃない?俺が精肉やってたころにさ、古い肉をタオルで拭いて再パックするとかさ、和牛っつって実際はオージービーフ混ぜたりとかさ、そういうのがようはシステムの中で行われてるんで、俺自身の道徳感情とかが関係なくなっちゃうっつーのかな?最初は罪悪感を覚えるんだけど、もうさ、ましてや怖い店長からの命令だから逆らえないんだよね。それをやるってのが当たり前でシステムが回ってるんで、俺がそれに抗うってことはイコールクビになっちゃうっつーかさ、だから俺はシステムによってそれをさせられているわけで、俺自身がやりたかったわけじゃないし、俺自身がその行為によって何かを得ているわけではないんだよね。自分の仕事って意味で偽造をしてたっつーかさ、一日でやめたヤクザ経営の出会い系のサクラもそうだったもんな。


働いているやつらはダメそうなやつ多かったけど、ある意味みんな真面目なのね。オタクとかゴスロリみたいな格好してるやつとかさ、他では雇ってくれないだろうなっつーような感じのやつらばっかでさ、んでみんな命令に従ってるわけ。やってることは詐欺なんだけど、自分はその主体じゃなくてただのバイトってことでやってることの罪悪感が無くなるんだよね。俺には無理だったけど、あんな物事を考えないやつとか、生活に必死なやつは時給が良いしあれは続けちゃうだろうなって思っちゃったよ。規模が違うけどナチスも同じだよねっつーさ、まぁそんなようなことをね、「俺はスーパーマーケットのアイヒマンだったんだ!」みたいな感じでさ、ちょっとズラしてプレゼンやったのがオオウケでさ、またちょっと図みたいなのを書いてっつーか英語力に自信が無いっつーのもあるんだけど、前と一緒ね。図解が全部帰結に繋がって、んでドカーン!っていう笑いと俺が言っていることへの理解が生まれるんだよね。このドカーン!の瞬間が本当にたまらない。受け狙いでやってるわけじゃなかったんだけど、結果的にウケたってことで凄く嬉しかった。今セメスターは天文学のクラスを除けば何かしらのドカーン!があったような気がするね。挙動不審なんだけど、それも含めてまぁウケるんだよね。前に俺の事をマッドサイエンティストみたいだって言ったやつがいたって書いたけどっつーか例の自衛隊だったやつね、このエキセントリックな感じもさ、言ってることの整合性が保たれればオッケーなんだよね。これで言ってることが電波だとアウトなんだけど、言ってる事がすげー!とかさ、分かりやすーい!とかだとむしろエキセントリックタイプとしての評価を受けるっていうかさ、まぁいつも書くように妬まれることも多いんだけど、まぁこれが前に書いたダイナマイトとしてのADDだよね。


ADDっぽさを隠さずに動きとか喋り方とかも普通にしようとしないで全部俺のままでやるっていうさ、最初は「なんだこりゃ?」ってなるんだけど、プレゼンなり喋ってることがオッケーっつーか整合性が保たれてたりすればそれはオッケーなんだよね。むしろ「変に思われないようにしよう」ってことに神経を注いじゃうとダメなんだよね。それで緊張したり不安になったりそこに注意が行き過ぎてプレゼンなりがダメになっちゃう。それこそモノローグやってるときみたいな勢いでプレゼンやっちゃえばいいんだよね。そうするとまぁ成功するっつーか俺は成功している気がするな。変なところ隠さないってことは本当に楽だね。それに対する批判もあるだろうけど、基本的にまぁプレゼンとかにしてもさ、ちゃんとしてればいいんだよ。やり方がまぁユニークかもしれないけど、内容がオッケーなら全然それはオッケーなの。そこでさ、拍手とかもらうとさ、社会認証っていう意味での自信がつくんだよね。ちょっと変でも成功しちゃえばいいんじゃん!っていうことでそれが自己肯定にも繋がるっていうかなんていうか。鳥居みゆきとかって典型的だよね。あの感じをコントロールしながらも全面に出してることでまぁ能力が発揮出来てるっつーのかな?俺もまぁタイプは違うけど、ああいう変な感じなんだけどネタが深いとかさ、面白いとかって意味では凄く似てると思うんだよねっつーかまぁ変人タイプってことね。メンヘラーであることも自虐ネタとして全部出しちゃうっつーかさ、被害妄想が凄いとかってネガティブなことで隠したいようなことなんだけど、それを大っぴらに言うことで逆に笑いにしちゃうっつーかさ、で、本人は本当のことを言ってるだけっていうね、キャラを作らずに元のキャラそのものがキャラを作り出すみたいなね、こういうところに成功の秘訣があるような気がするね。


で、書きたかったのはこれじゃなくてさ、凄い発見をしたのでね、報告したいんだよね。っていうのもさ、プレゼンでさ、お転婆娘もプレゼンやってて、んでさ、まぁ内容が集産主義的社会と個人主義社会の違いみたいなやつだったんだけど、お転婆娘が言うにさ、特に東洋だと仏教とか儒教とかの影響で調和を重視するっつーことでさ、だから個人が出過ぎずに個人が調和を求めるんでアメリカみたいな自分勝手な感じが無いんだみたいなことを言ってたんだけどさ、まぁ俺は明らかに異論があるけど、まぁ論破してもしょうがないんで、ショートコメントをしたっつーのはさ、宗教とか哲学とかの違いはあれ、他人を気にするとか傷つけないっていう黄金律は全ての宗教に存在するみたいなことを言ったんだけど、まぁあんま伝わってなかったみたいだけどさ、それはともかくこの黄金律ってのが今日の俺のメイントピックねっつーかまぁあのあれ、脳細胞と宇宙の話ぐらい強烈なものが来たのでね。また世界で公演しなきゃ!とかって勝手に思いつつ帰りの電車でグワー!って感じでノートに色々と書きなぐったんだけどさ、ノートに書かなくてもいいんだけど書きたくてたまらなくなっちゃうから書くんだよね。そうするとスッキリするんで。ウォール伝と一緒ね。


で、その内容ってのがね、まぁ最近カバラ経由で数秘術みたいなのにも興味を持ち始めたって書いたけど、まぁ全然数秘術的な話なんでね、オカルトってことで話を聞いてほしいんだけど、フィボナッチ数列ってのがあるじゃない?黄金比に収束するやつね。まぁ詳しくはググってみて。んでさ、何気なく出た言葉っつーかまぁ思いつきでお転婆娘に言ったんだけど、プレゼン大成功の後にさ、「良かったなぁー」とか思いつつもう嫌になった天文学のクラスでさ、あまりに暇だからフィボナッチ数列を暗算でやってたのね。で、意外と俺って計算得意っつーか早いなっつーのは去年算数のクラスを受けてて思ったことだけど、百万桁ぐらいまでだと暗算で出来るのね。これは意外だった。怪しいところはちゃんと計算してみるんだけど合ってるんだよね。まぁそれはともかくさ、フィボナッチ数列にハマってたらいきなり学校のサイレンが鳴り始めてさ、「総員退避ぃー!」みたいなアナウンスがあってっつーか小火があってみんな避難してくださいみたいなのがあってさ、「カンカンカン」ってアラームと色んな音が煩くてさ、先生は「なんだよ!途中なのに!」とか怒ってる感じだったけど、まぁ避難しなきゃいけないってことでみんな避難したんだよね。で、避難後に戻って来ても授業の時間はあんま無いってことで自動的にこれで解散ってことになってさ、「ちょーラッキー!」とか思いつつフィボナッチ数列に関する本を立ち読みしようと思ってまた本屋に行ったんだよね。


で、まぁ大半が難しそうなやつばかりなんだけど、フィボナッチが載ってるかはともかくとしてさ、ホーキング博士が書いた数学の歴史みたいなすんげー分厚い辞書みたいな本があってさ、ユークリッドから全部解説してあるような本なんだけど22ドルぐらいだったんで買ったのね。まさか俺が数学の本を買うなんてね!驚きだよね。ましてやホーキング博士って熱中してたのが登校拒否だった引き蘢りの中学の頃でさ、あのあれなんだよね、ニュートン超ひも理論とか読んでたんだけどさ、原点回帰ってわけじゃないけど、意外な出会いだったよね。ピリオディカルっつーかさ、人生の機転の時に何らかの共通したものがあるってまぁ最近の俺は意味論に走り過ぎなのは分かるけど、恐らくね、この本のタイトルがさ、名前忘れたけど、神がどうのって言うのが書いてあってさ、物理学者が神どうこうって言うのはおかしいじゃないか!って思えるけど、恐らくね、ホーキング博士ぐらいのやつだとさ、数学とか物理を知り尽くすと何らかのインテグラルな創造主的なものが介在していないとこの世のあり方みたいなのが説明できないみたいなさ、逆に偶然であるっていうことの確立の方がすんげー低いっていうね、ある意味での論理的帰結から宗教的な神ではなくて創造主としての神を想定してしまうってさ、これってカバラとかも同じなんだけど、まぁ感動したよね。恐らくホーキング博士も同じようなこと考えてるんだな!ってまぁ勝手な思い込みだけどね。でも俺は感動したんだよね。あとまぁ幾何学の美しさっつーか神秘みたいなのが図解で書いてあるカラー本を買ったんだけどさ、まぁ分かるよ。俺。カバラ経由っつーか宗教経由から数学に行ったりするのって電波っぽい気はするけど、でもこれが俺の自然なドライブなんで身を任せようと思うのね。


で、良い本買ったなぁーとか思いつつさ、帰りの電車で思いついたことがね、前にいた人がお年寄りに席を譲っててさ、で、黄金律の話を思い出したんだけどさ、実際、黄金比と黄金律が関係あるかはともかくとしてさ、まだ調べてないんだけど、勝手に思ったのがね、ようはさ、ゼロって神なんだよね。全ての始まりがゼロ。で、そのゼロが1という名のアレフっつーかアダムをお作りになった。で、これは女性男性って意味ではなくて人間っていうレベルの1ね。実体が無い0が自己投影として物理世界に作り出したのが1。で、ベートっていう名の女性が1と1っていう概念から生まれるっつーのかな?あ、まぁ1が女のほうが生物学的に信憑性があるのかな。1ってのが二つあって、んで2っていう概念が生まれる。最初に違う1と1があって2が生まれてね、で、3というギメルという名の1と2の子供が生まれて、んでそっからは黄金比っつーかさ、フィボナッチ数的な人類の繁栄が生まれてそれが社会になるっていうね、人類が幾何学模様だとは言えないんだけど、でも黄金比によって整合されている存在が人類なんだよね。で、「他人にしてもらいたいと思うような行為をせよ」という名の定言命法が基本的な人類のあり方をひまわりの種の模様のように存在することで人類は螺旋状に進化していくっていうか発展していくわけね。もちろんそういう整合性を壊すやつもいるんだけど、それは誰かが人類のあり方の鍵を握っているフィボナッチ的繁栄というかさ、黄金律による人類の繁栄っていうね、かつて創造主が望んだ人類のあり方ってのをようは人類が体現しないといけないんだよね。黄金比が妙な美しさを保っているようにさ、人類における人間の存在の美しさっていうのも黄金律によってその幾何学的調和ってのが生まれると思うんだよね。人種とか関係なく人間が普遍的に美しさを見いだしてしまうのが黄金比なんだとしたらさ、このフィボナッチ数的なあり方って形そのものではなく、模様そのもののあり方を規定している個々自体が黄金比という名の数を担わないといけないんだよね。で、それは黄金律によって保全されるっていうね、まぁ黄金律によってそれがもたらされれば、その社会は普遍的な幾何学的美しさのようなあり方を示すだろうみたいなね、そういうことなのね。


そこでまぁソーシャルエンジニアリング的なさ、ゲーム理論とかを使って、個々のあり方ではなくどうカオスの中で黄金律を生みだすようなシステムを構築するか?っていうのもまぁ重要なんだけどさ、でも個々のあり方としてさ、それは個々のヴァーチューというか存在の美しさのあり方としての黄金律ってのを持ってないといけないよね。だからさ、人に良いことをして感謝されるってその図って美しいじゃん?さっきの地下鉄の話だけどね。こういう相互的な人類のあり方っていうのかな?0から始まる存在である1足す1とか1足す2で繁栄した人類の幾何学的なあり方っつーのかな?それがまぁ政治の鍵を握るわけだよね。アリストテレスの人間は政治的動物であるっていう定言もさ、つまりは黄金律や黄金比に基づく概念だとも解釈できるよね。つまりは個々が個々として孤立していても全体の繁栄は生まれない。人と人とが協調し合うことで生まれるハーモニーが美しい幾何学模様をたたえた繁栄を生み出すっていうね、その繁栄をどう人類にもたらすか?っていうのが恐らく政治学のコアなんだよね。まぁ哲学のコアと言ってもいいかもしれないけど。


そんなことを思いついた時にさー前みたいに人目をはばからずオブセッシヴにノートに色々殴り書きした後さ、「スッキリしたー!」とか思ってさ、んで「今何時だろう?」って思って懐中時計を見たら時計が止まってたんだよね。で、電車の中の時計を見たらさ、俺の時計と5分違いでっつーのはね、俺って時計を見るたびにその時計の時間に自分の懐中時計の時間を直す癖があるんだけど、サブウェイサンドイッチの時計に合わせたんだよね。電車乗る前にね。ってことは恐らくサブウェイの時計が5分進んでるんだけどさ、電車の中の時計が8時25分でさ、俺の時計が8時30分っつーか、何が言いたいのか?っていうと時計が止まってたってことなのね。8時半で秒針は2を指してて、んでそれを全部足すと15なんだけどさ、これってヘブライ文字で言うところのYHVHの一部なんだよね。時計がピッタリその時間に止まってて、んで秒針が2を指したまま動きそうで動かないっつーか引っかかってるような感じでさ、「これは神からのメッセージだ!」って最近数秘術とかカバラにハマってる俺が思うのは自然なことだけど、合計が10+6で書くと良くないYHVHの一部ってのに気がついたのは今だけどね。で、また驚いてるんだけどまぁ半分電波だから気にしないで。こういうのって完全に意味論だからね。黄金比然り。でも俺は最近妙にハマっちゃってるんだよね。で、地下鉄降りた後のにバスの中で「時計壊れたかな?っていうか電池かな?」と思って見たら戻ってたのね。ようはちゃんと動いてたの。


でも電車の中でさ、ガーッ!っと電波みたいにノートに書きなぐった後に時計見た時には確かにさっき書いたように止まってたんだよね。すんげー不自然な止まり方っつーか動いてるのに秒針が2のところでずーっとつっかえちゃってるっつーさ、あんなの俺の時計で一回も見た事無いから驚いたんだよね。それだけでも驚きっていうかなんていうか。YHVHが「それ正解」って言ってるような気がしたってのは考え過ぎ?でもまぁそんなの考え方次第だから俺はこの考え方を続けるよ。滅多に無い総員退避ってのが起こったのも聖なる力の介在だね。このおかげで早く終わったんで本屋行く気になったんだから。この行動による時間軸で俺は本を買って幾何学の本を買って昨日俺の会計をしてくれた本屋の人にまた会計をしてもらって「また会ったね」みたいな感じで接せられて気分良く買い物した後に気分が良くなるような席を譲るって行為を見てこれを思いついたってさ、全部偶然だよね。まぁさ、笑顔とかね、人に感謝するってことってまぁ黄金律だからさ、気分が良いときはこれを信じているわけだけど、今回はまぁ凄かったね。滅多に無いことがこんだけ続くと何かが確信に至っちゃうんだよね。総員退避と時計の話ね。まぁ俺にとってのこれらの事柄が滅多に無いように見えるだけであって、全部は偶然か何者かの手によるものっていうかさ、何者かによる所産だったらfree willってあり得なくなるんだけどね、まぁそれはともかくまぁあれだね、いきなり洗脳されたとかじゃなくて進んでそう思うようになったっつーのが凄いよね。ヤバいように見えるかもしれないけど、カバラっつーかさ、ユダヤ神秘主義っつーのとあと数が何かを表してるってホントなんだよね。気がつくか気がつかないかの差っていうかなんていうか。電波っつーのはさ、逸脱した何らかの概念を矛盾しまくってることで述べまくるってことだけど、俺の電波の場合さ、そこに宗教的な意味論っつーか解釈が介在しているだけで、言ってることは別にそこまで間違ってないんだよね。別にどう解釈しようが勝手でしょ?っていう。ましてや黄金律の話なんてさ、宗教的な概念無しでも全然言えてることじゃない?だから俺がその人類のあり方について宗教的な解釈をしようがまぁ俺の勝手じゃん!ってことなのよね。


ってことで今日はこの辺で。


God Created The Integers: The Mathematical Breakthroughs that Changed History

God Created The Integers: The Mathematical Breakthroughs that Changed History


ある分野のことを何もかも知り尽くして「こりゃ創造主がいるとしか考えられないな」って消去法でそれに至ったっつーのが恐らくホーキング博士だと思うんだよね。勝手な予想だけど。ちなみに本だけど1300ページあるんで読み尽くすのが大変そう。最終試験の準備とかマジでやってられねぇーな。試験終わってから買ってくれば良かったかな?


PS



あ、んでちょっと追記。1と1が男と女である必要はなくて、1と1はおんなじっつーかさ、アダムとイヴっつって男女である必要は無いのね。罪の後に物理的な存在としての男と女というアダムとイヴが分かれたって話でさ、これがようは1足す2なのね。あとはまぁ話的にあのパイのレニー・マイヤーがカフェでマックスに説明するトーラーの説明と一緒ね。ヘブライ語で父を意味するAB(アブ)はアレフ(1)+ベス(2)。ヘブライ語で母を表すHALMは40(メム)と1(アレフ)。アブである3足すメムである41を足すと44。で、ヘブライ語の10と30と4が子供を表すYELEV。で、レニーが言うエデンの園(KADEM)は3文字の合計が144で、エデンの園の知識の実を数に直すと223,144,233。で、144と233はフィボナッチ数。で、233と144を割ると1.618っつー黄金比が出てくる。前にも書いたように知識の実を食べることが人間の原罪で、しかしながらそこから人類がスタートしたら、そのスタートはアダムとイヴの実体的分裂にあって、そこからの繁栄は黄金比によって表されるっつーのが人類ってことね。映画のパイはこのややこしい概念を示唆していて、無神論者であるマックスが神を見ちゃうっつー話なんだよね。で、俺の今回の話は黄金比と黄金律の関係で、黄金律が人類の黄金比の整合性の鍵を握っているってことなわけで、政治のコアは黄金律にあるってことを書いたわけ。人間が黄金比に関わる何かに美を見出すのも、それが人間のオリジンに関わるものだからなんだよね。だから誰でもそれに整合性みたいなのを見いだすわけ。人間ってのは自分がひまわりの花の一つなんで、上から見た感じは神にしか分からない。ただ総体としての人類には幾何学的調和がある(べき)っていうね、つまりは俺みたいなやつがこの世を憂うのも黄金比によるものってことなわけ。人類を上から見るという想像力が無いと政治は担えないってことなのね。で、これがまぁ色々飛ばすと哲人政治にまで行き着くわけだ。ひまわりの花の模様を見れる人にしか政治は担えないってことね。あ、んで、黄金比ってのがギリシャ文字でのThetaを表すってことね。


http://en.wikipedia.org/wiki/Theta



PS2


あ、んでアレゴリカルなレベルでの追加だけどね、ひまわりの頭状花序ってのがさ、ようは人類なんだよね。多数が集まって一つの花を作っている。しかしながら一個一個を見てみると一つ一つが花で雄しべと雌しべがある。本文中でひまわりの花って書いたのはこの一個一個の花びらのことね。で、花びらは太陽のほうを向くじゃない?それはまぁプラトンで言うところのgoodとしての太陽だよね。まぁそれをアリストテレスをベースとした宗教的に考えてgodと捉えてもいい。ただ太陽の光が無かったらひまわりってダメじゃん?いや、植物学的にどうなのか分からないけどさ、でもひまわりの生態ってもちろん全体のひまわりを担っている一個一個の小さい花よって担われているわけだけど、成長は太陽に依存してるわけじゃない?たぶん。哲人政治ってのはさ、この太陽の光を知るものによってひまわりの成長が促されるということっていうかさ、生態系が保たれるっていう感じだよね。個々の花はそれ以上でもそれ以下でもないんで全体性のことは考えられないし把握しづらいわけね。だからなんつーか物語とかヒーローとかを失ったひまわりってさ、萎びたひまわりみたいなもんでさ、まぁポストモダンチックな状況ってつまりはこういうことだよね。まぁ俺の定義だけどね。だからこそポストモダンにおけるプレモダン感覚ってのが必要なの。今更なんだけどあえてgodとかgoodとかって言ってみるっつーかさ、ポストモダンだからこそ古の英知ってのが科学だのなんだのっていう近代的な知の体系によって忘れられちゃうんだよね。もしくは合理性とか科学性の名の下に重要視されないとかさ、でも実際はそうじゃないんだよっていうね、それがまぁポストモダンにおけるプレモダン感覚ね。KY極まりないけどね。日常会話で「プラトンが言ってたんだけど」とか「ソクラテスによれば」とかってちょーKYじゃん?何なの?っていうさ、デリダとかドゥルーズとかだと「何々それ?かっこよさげ!」っていうような感じがあるんだけど、ソクラテスとかプラトンとか仏陀とか老子とか孔子とかってベタ過ぎるっつーかさ、ベタでもないみたいなね、ただのシンボリックなキャラクターとしてのフィギュアティブな存在っていうかさ、その本質は忘れ去られているみたいな感じがあるっつーのかな?まぁいいや。つまりは頭状花序=黄金比=黄金律ってことね。


PS3


今回の話とは直接的に関係があるわけじゃないんだけど


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090513-00000525-yom-soci


高学歴ワーキングプア  「フリーター生産工場」としての大学院 (光文社新書)

高学歴ワーキングプア 「フリーター生産工場」としての大学院 (光文社新書)


センセーショナルでしょ?でも至る所で腐敗した教育システムの中でこういう悲劇が起こってるっつーことの詳細が書いてあるのがこの本ね。凄まじい絶望感だよ。これはあれね、まぁ勝手な予想だけど、自分より頭が良い学生の論文を受理しないみたいなパワハラね。既存のシステムに巣食ってるようなやつがさ、ちょっと秀でたやつの出世を拒むっつーのかな?論文受理が教授のご機嫌取りに依存したりしてたらもうアカデミックな世界って崩壊するよねっつーか日本はもうダメだと思うけどね。こういうダメ教授が告発とか法とかによって裁かれて業界からいなくなるってことがようは病理を生み出さないっつークリーンな世界を生み出すんだよね。ようはこういうのって膿みたいなもんなんだよ。優れた頭脳がバカなやつの妬みとかによって失われるってもう社会として最低なことだからね。これ以上無いってぐらいの悲劇だよ。こういうのは。で、本によるとこういうことって至る所で起こっててさ、こんなのっつっちゃー失礼だけど、このケースも氷山の一角にしか過ぎないのね。両親の告発によって明らかになったってだけで、実際はケースなんて腐るほどあるっていうね、恐ろしい現実があるよね。出る杭を打つの典型例みたいなのが色々書いてあるのがこの本なんで気になった人は読んでみてっつーか既存のシステムとかにうんざりしている人は読んだらスッキリすると思うよ。こういう理不尽に悩んでるのって俺だけじゃないんだ!って思えるはず。で、何らかの変化ってのをもたらしたくなるはず。どう既存のシステムを変えていくのか?っていうようなね、そういう問いが生まれると思うんだよね。権力に迎合する事=世渡りみたいな世界観はもう終わりだよ。マジでっつーか終わらせないとダメ。じゃないとこういう悲劇は永遠と続くよ。彼の死は日本の大学院の腐ったシステムの変化の礎になると思うんだよね。反乱する大学院生みたいなのが増えればいいと思うんだよね。「みんなであのダメ教授を吊るせ!」みたいなさ、良い意味での文化革命が大学で起こればいいと思うね。文革のコンセプトってそういう意味だとダメじゃないんだよ。まぁ殺すまではいかないにしてもさ、既存の権力に巣食っているダメなブルジョワとか知識人を徹底的に排除するっていうコンセプトそれ自体はありなのね。ただ毛沢東の場合、それを見境無くやったんでただの殺戮になったわけだけどね。でも大学院とかのシステムだったらさ、まぁ会社員とかにしてもさ、一人一人が紅衛兵的っつーのかな?常に反乱を起こす態度でいるっつーのかな?まぁ紅衛兵っつーと全体主義的か。まぁ迎合しないことが重要なのね。で、連帯してダメなシステムをぶっ壊すってことを至る所でやらないとダメ。小さな変化はこういう連帯で起こせるからね。マジで。