続きね。

mimisemi2009-08-08

んじゃあ続きね。昨日の。


そこまで極端な地頭の差とか関係なくさ、決めたら無条件に進学コースに入れるとかさ、仮にそれが社会から一方的に押し付けられた「知的エリート」みたいなあり方の価値観であってもコミット出来ればまだマシじゃん?そのコミットメントすらも経済力に依存するからだから経済差による固定格差が生まれるんだよね。まぁ実際は分からんけど私立の大学批判とかでさ、アメリカですらね、高い私立とかは学費とか高いし実際、入るための条件は結構厳しいところもあるんだけど、入っちゃえば逆に私立なんでっつーか少人数生だったり先生の質が良かったりして、つまりは構造的に生徒が必然的に良いグレードをとれるようになってるみたいなさ、アホな教師みたいに生徒に全てを丸投げしてくだらない暗記をさせるみたいなことをしない教師が多かったりさ、あとは劣等生とかに思えるようなやつにも配慮が行き届いてて、例えばエキストラポイントを稼げるチャンスを個別に教師が作り出したりさ、そういうのもあって面倒見の良い少人数の私立は学費は高いけど質も良いってことになるじゃん?


つまりは地頭っつーよりかは面倒見が良いんで良い先生のクラスを受けられれば大体まぁ良いグレードがとれるってことなんだよね。ちょー優秀な私立とかは違うのかもしれないけど、でもまぁこういう話も聞くよね。ようは面倒見の話ね。だから生徒のアヴェレージのグレードが高いっつーね、それはその学校の生徒が頭が良いというよりかは教師の面倒見が良いし、学校の名声のこともあってっつーか偏差値維持っつーのもあってB以下は滅多につけないみたいなさ、で、結果的に大体の生徒が地頭とか関係無しに良い学校を良いグレードで卒業して良い大学院に進めるとかさ、良い企業に入れるとかさ、完全にこれって経済依存じゃん?バカでも入れば自ずとディレクションが見えてきて良いグレードがとれるような学校にお金によって入れればさ、それって能力差じゃないじゃん?ようは年間200万とか300万の学費を払って有名大学の単位を買うようなもんだよね。いや、有名大学が楽なんだとは言わないよ。ただまぁこういう一面もあるってことね。


実際そうか分からないけど最近の私立は経営のために生徒に迎合して甘いグレードをつけるっつーのも結構聞く話ではあるよね。下手すると公立とかのほうがテストとか難しいとかさ、グレードの付け方が厳しいとかね、で、公立とかに通ってるやつに限って普段も忙しくてさ、生活のためにバイトをしてたりなんかして宿題なんてこなせないとかさ、それに比べて面倒見の良い私立のご子息共は公立ほどではない努力っつーかまぁ時間を学業に割く事で良いグレードで卒業出来るっていうね、これってちょー皮肉だよね。まぁ逆に学費が安いところが甘いグレードつけてたらそこが学歴ブローカーみたいになっちゃってさ、つまりは日本の大学みたいになっちゃって生徒の質も大学の質も教員の質もガンガン下がっていって結果的に社会を担う市民のレベルもガンガン下がっていくみたいなさ、そういう悪いダイナミズムを生んじゃうからダメなんだけどね、まぁ甘いグレードの付け方でブルジョワ共に迎合して卒業させてやるっつーのはまぁどの道、ブルジョワ校の特権である必要はあるんだよね。


でもやっぱなんだかなぁーって感じはするよね。誰でも入れる公立とかを卒業するのは大変で、学費が高過ぎて払えないようなところは少人数生とかによって結果的に卒業が楽になるってさ、いやね、私立が生徒を甘やかせてるとは言わないんだよ。面倒見が良かったりさ、面倒見が良いことで効率よく生徒が学べて良いグレードをとれるとかってまぁ先生の手腕じゃん?バカがやるような暗記だけのテストとかをやらせないで思考力を問うエッセイとかを書かせてさ、んで添削とかして何回も書き直せば最終的にはまぁオッケーが出るみたいなね、そのプロセスによって生徒が色々なことを学べるわけだしさ、それを考えるとまぁ配慮が出来る先生っつーかそういうシステムがある学校に入るっつーのは有利っつーか良いことだよね。でもまぁ学費高いですよっていうね、だからみんないけないみたいなね。


つまりはさ、逆を言えば雑な授業しかやらないで講義聞いてるだけじゃ雑でさっぱり分からないようなダメ学校でさ、でもバカ教師は自分がちゃんとした講義をやってると思ってるからみんな理解してるだろうっつーか理解してて然るべきみたいな前提でテストとかをやらせてさ、んでほぼその先生の粗悪さによって生徒が満足な結果を出せないとかってさ、バカ学校にありがちだなって思うっつーのはバカ学校に通っててそれは実感するよね。生徒が馬鹿だからバカみたいなグレードしかとれないとかさ、レベルの低い授業しか無いっつーのもある反面、教師の質も悪いから結果的に生徒が「は?」って感じになってその教師が敷いたディレクションに沿えなくて何も学べなくて何も分からないままでいるみたいなさ、まぁ変な話ね、バカ学校にしか入れないようなバカも面倒見の良い優秀な教師がいる学校に入れれば教師の手腕と配慮によってそこそこの結果を出せるかもしれないし、バカが賢くなる可能性もあるんだよね。ようはまさしく学ぶってことだよね。バカなりに「なるほど!」って思う事があって学業が面白くなるとかさ、まぁそれって先生の手腕じゃん?で、良い学校ってのはまぁそういう先生が多いはずなんだよね。ってことはやっぱ良い学校に行けばいくほど良い授業を受けられるってことだよね。また配慮っつーのは別の話だけどね。


で、繰り返しになるけどバカ学校は雑な配慮と適当なシステムと適当な講義とバカバカしい理不尽なテストによって元々たいして地頭が良くない連中が余計にバカになっていくとかさ、たいした結果を残せないとかさ、何も学べないとか、俺がいつも言う最悪のケースとしてはバカが馬鹿教師にアダプトしようとしてバカがバカバカしいシステムの犬になるのね。どんなに理不尽で不毛なテストとか暗記だろうがさ、グレードのために頑張るっつって盲従してバカなシステムとかやり方にそのままハマっちゃって、んでそれをこなすことが良いことなのだって思っちゃうようなね、そういう認知のゆがみを生み出すシステムなんだよね。粗悪な教育システムって。日本って今は全体的にそうなりつつあるよね。


だから一概に私立を批判出来ないんだよね。少人数生で良い先生がいて面倒見が良いという背景には当然高い支払いが必要っつーのはまぁある意味で道理が通ってるじゃん?でもこれがまぁ逆に格差固定を生み出す原因の一つでもあるんだよね。ようはスムースな教育システムを享受するためにはそれなりのペイが必要だっつーんで支払えない人達はコミカレに通うとかさ、たいしたことない公立に行って苦労しながら卒業しなきゃいけないとかさ、まぁそういうのはあるよね。そこにあるのは能力差ではなくて経済差じゃん?家庭が持っている資本の差がさ、どの教育システムを通るのか?っつーレールの選択を規定するじゃん?それがダメなのよね。頑張れば面倒見の良い私立に入れるっつーような枠がもっとあればいいんだよね。チャンスっつーのかな?まぁだからアメリカって奨学金の倍率とか凄まじいらしいからね。格差が学歴によって決まってるような面があるんで教育に対する配慮が半端じゃないのね。みんな生存のためをと思ってがっつくわけね。そうなんだよね。生存のためなんだよね。学問のために学校行くわけじゃないもんね。食うためっつーかさ、ある程度底辺から抜け出すとかさ、底辺で競わないようにするためにハイソサエティーに入るために教育のところで頑張るんだもんね。そういうようは階級闘争の場だよね。アメリカの大学って。


でも残念ながらさ、大学のデータとか見てるとさ、学費がバカみたいに高い私立の学校とかって生徒がほぼ白人なのね。で、黒人とかヒスパニックが多い学校は今の俺の学校もそうだけど学費も安いけど質も低いみたいなさ、それがあたかも有色人種とかね、黒人とかヒスパニックにアホが多いみたいなイメージを持たせる要因にもなってるけど、俺はそうは思わないんだな。やっぱそれは知性っつーかさ、ブルデュー的な文化資本としての知識差ってのもあるじゃん?黒人で言えば元が奴隷でさ、んでずーっと奴隷でいるしかなくて、奴隷じゃなくなった後も無産者でずーっとロクな教育を受けられなかったとかさ、そういうのがずーっと継承されてだから黒人は頭が悪いとかさ、教養が無いみたいなイメージがつくんだよね。いや、実際、白人に比べればバカが多いかもしれないけど、それは所謂、人種の問題ではなくてハビトゥス的なさ、生活の問題ね。継承されてきた固定格差が今も永遠と続いてるってだけでさ、仮に人種って話で言えば例えば白人と黒人を丸まる入れ替えたらそんなに違いは無いと思うんだよね。黒人が社会を牛耳ってて白人が奴隷の子孫みたいになってるわけでさ、人種の差とかじゃないのね。だから黒人が遺伝的に奴隷だったからバカが多いってことじゃなくてね、遺伝じゃなくて環境的なことなのね。


100年単位で見ればさ、例えば全然資本関係なく誰でも良い教育が受けられて職業とかにしても一切差別が無いみたいな社会が形成されたとしてんでその50年後とか見ればさ、白人支配なんて終わってるわけ。黒人が会社の社長になってたりするしさ、ヒスパニック然りね、ヒスパニックの開業医とかさ、黒人の政治家とかがふつーの割合でいたりさ、つまりはある一定のコンディションが与えられればね、ある意味自然科学的にさ、シムシティ的に生態系を半世紀単位とかで観察していけば今の被差別層とかがどんどん上昇してくるわけ。それによって分かるのはいかにコンディショナルなね、状況的な要素で知的な要素とか生活の要素とか経済的な要素が規定されていたか?ってことなんだよね。白人がなぜ今もなおアメリカを支配してるっつーか世界を支配してるか?っつーとそういう白人優位に物事が運ぶようなストラクチャがあるからだよね。その恩恵を白人達が受けてるだけで決して彼らが特別格別優秀だからってわけじゃないのね。


かといって俺はどの民族も知的水準とか能力は同じであるみたいな理念的な平等主義みたいなことは言わないよね。やっぱ人種による差はあると思うよね。でも全体で見ればたいした差は無いのね。例えばユダヤ人とかはやっぱ明らかに頭が良い連中がいたりするんで基本的に知能が高い民族と言えなくもないんだけど、でも全体的な比率を見ればさ、恐らくIQ分布率とかと同じような形を見せると思うんだよね。アヴェレージが一番多くて凄まじく知能指数が高いのは限られてるっていう。ただ平均値が他と比べて高いみたいなね、そういうのはあるかもね。でもそういうのも環境的な要素も多いからさ、例えばロングタームで見れば今まで肉体労働しかしてこなかったような全部とは言わないにしてもまぁ黒人とかヒスパニックとかがさ、俺がさっき書いたような機会平等ってのが存在している社会によって知的な職業とか労働をするようになったらさ、変わると思うんだよね。遺伝子のレベルで変わっていくと思う。だって日本人でもそうじゃん?じいちゃんより前の代とかまでいくとただの素朴な農民なんだけどさ、環境的な要因によって例えばいくらでも本が読めるとかさ、テクノロジーがあるとかって理由でその素朴な農民の血筋を引いてる祖先が知的になる可能性だってあるっつーか今の大半の日本人はそうでしょ?


自慢になっちゃうけど、今はかなり落ちぶれたけど俺の場合、母方も父方もなかなかのエスタブリッシュメントでさ、俺の名字のほうね、そっちの家系に関しては万世一系みたいな感じで結構長く続いてるっつーか先祖に割と高名な将棋の棋士がいたりさ、囲碁棋士がいたりね、まぁ別に自慢じゃないんだけど、農民系ではないのね。俺は。でも別に例えばさ、俺の家計でも親戚とかでロクでなしとかいるからさ、あんま関係ないんだよね。血が良いと言えばうちはすんげー良いはずなんだけど一族にロクデナシもいるから結局はまぁ個体差の話なんじゃんってことでさっきのユダヤ人の話に戻るわけ。アヴェレージは高いかもしれないけど個体差があってさ、ロクでなしのバカのユダヤ人もいるわけよ。みんながアインシュタインとかチョムスキーとかマルクスとかシュトラウスみたいにユダヤ人だからっつって頭が卓越的に良いってわけじゃないのね。良い率は高いが全てではなくて、その能力の分布図みたいなのを見ると基本的にどの民族もIQのカーブみたいな形になるってことね。つまりは俺も俺の血筋は関係ないってことね。関係あるかもしれないけど関係が無いかもしれない。別にチョムスキーユダヤ人だから頭が良いってわけじゃないじゃん?ああいう卓越した人物はどの民族にもいるわけでさ、特にユダヤ人だからってわけじゃないんだよね。ただまぁ知において卓越した連中が多いのがユダヤ人の特徴なんで、ユダヤという要素はあるかもしれないみたいな可能性はあるよね。


でもこの辺はまぁ面白いよね。俺が思うに遺伝型ってある程度のパターンがあると思うんだよね。所謂、ユダヤ系の卓越した頭脳型みたいな類型があったらさ、その家系ってのは大体みんな頭が良いみたいな感じでさ、日本でもエスタブリッシュメントの中から出てきた学者とかインテリってそうじゃん?遺伝的な要素で知能指数が高いとかさ、知的な生活を環境によってもたらされたとか経済的な理由で許されたとかさ、その一方でうちはそうだと思うんだけど、まぁ俺の地頭は普通よりかはいいよ。それは恐らくサイコロジカルなところでさ、ADDの話とかにもなるけど、なんつーか脳の機能障害とか突然変異的なもんでさ、うちの親なんかで言えばまぁ世の中の馬鹿親とかよりかは明らかに洗練されてるし頭は良いと思うけど別に卓越はしてないんだよね。特別頭が良いわけではない。それは妹を見れば分かるんだよね。妹も普通よりかは頭はいいしバカではないのは当然なんだけどでもまぁ普通の範囲内なんだよね。だから俺だけ逸脱してるのね。色んな意味で。で、これはもう突然変異としか言いようがないよね。俺だけここまで変なのはおかしい。でもそれによって仮にさ、障害と引き換えに類まれなる感性とか創造力とか知性が備わってたらそれってギフトじゃん?ありがたいギフトだよね。だとしたらそのポテンシャルを引き出すしかないよね。既存の社会には対応してないけど、でもそれは正常な親が生んだ特殊な子供ってことでさ、それは類まれなるギフトなんだからなんとか活かさないといけないよね。だから俺はまぁ実存的にギフトだって思いたいんだよね。障害と引き換えのギフトなんだって思わないとやってられないっつーのはまぁいつも書くことだけども。


で、そういうタイプの卓越したやつらが面白いし色々何かを作っていくタイプなんだと思うよね。そういうのは少ないけどいるんだよ。それはエスタブリッシュメントのまっただ中に生まれて育ったような英才児とかじゃなくてさ、オーディナリーな親から生まれた特殊なタイプってことでこの卓越性が持つ価値ってどんな形態であれ凄く価値のあるものなんだよね。それを既存の社会とかに当てはめて考えたりするのは本当にもったないないしそれはその能力を殺すことにもなりかねないよね。だからそういう意味でもさ、多様性ってすんげー必要でさ、画一性は特異点によって生み出される良い爆発みたいなのを無くしちゃうよってことなんだよね。この突然変異で言うとさ、それこそ奴隷の子が凄まじい麒麟児だったりするわけでさ、だからこそ経済による格差固定ってダメなんだよね。ある意味でつまらないエスタブリッシュメントから出てきた英才児しか育たないっつーかそういうやつらがエリートだって言われるような世の中ってつまらないじゃん?ゲットーから生まれた天才みたいなのが活躍できる社会のほうが面白いし結果的にそっちのほうが社会が回ると思うんだよね。回るっつーかまぁエスタブリッシュメントがそのまま引き継がれて行く世の中よりかはよっぽど良いものになるってことね。


で、普段の天才論みたいな話になるけど、天才にも色んなタイプがあってさ、ヒエラルキーもあるし、様々な類型もあるんだよね。天才ってそれほどシンプルなことじゃなくてさ、すんげー細分化されたものがあるんだよね。それを活かすか活かさないか?で天才って決まるんだよ。だからみんなが天才の素質を持っているとかは大噓でね、天才ってある意味で脳障害っつかさ、脳が普通とは全然違うってことなんだよね。つまりは別に凄いってわけじゃなくて「違う」ってだけなのね。俺はリニアな思考とかが大嫌いでさ、だから論文とかも大嫌いなんだけどさ、これってようは普通の人だったらまぁ大抵はそっちを選ぶっつーかそれが普通だよねっつーのが俺にとっては普通じゃないっつーかそれは嫌なことだってことになるわけじゃん?で、それと俺が天才かは全然関係ない話だよね。全く関係なくはないよ。


ようは創造性はある意味で無限じゃない?ADDタイプとかによく見られるような無限の創造力ってこういうことだけどさ、かといってADDとかさ、俺みたいなタイプイコール天才じゃないじゃん?そういう素質はあるにしても見極めてそういった能力を伸ばすとかさ、そういった能力を活かして何らかの業績を残すとかさ、形にするとか、そういうのがあって初めて天才性って表出するんだよね。内在されてるだけだとそれは脳の違いってだけなんだよね。だから凄くもなんともない。凄いポテンシャルがあるのは間違いないけど活かせなければ意味が無いどころか、むしろ俺を見れば分かるように社会に適応出来なくて精神病があって・・・・ってネガティヴな要素ばっかになっちゃって、むしろホントただの使えない人間になっちゃうよね。天才とバカは紙一重っつーのはつまりはこういうことだよね。天才性を活かせなければただのバカに見えるっつーさ、実際そうなんだよね。本当の天才はそうだと思うね。だから秀才と天才は違うわけね。秀才はいくらでも潰しが効くんだよね。頭の回転が速いってことで色んなものに対応出来る。でも天才ってのはそいつが持ってる資質以外のことはさっぱりってことが多いんだよねっつーか大体そうだよね。


これまたこういうことを書くとさ、キャリさんみたいに「それはあなたがアメリカに来てちょっとチヤホヤされたから、元引き蘢りが天狗になっていい気になってるだけ」みたいなことを言う救い用の無い凡人がいるわけじゃん?例えば俺の話を要約すれば俺はそういう特異な思考システムを持っているかもしれないけど、まだ活かし切れているとは言い難いって感じじゃん?もしくは活かすも何も今が限界ですみたいな話もあるよね?だから天才にはヒエラルキーがあるってことなんだよね。これは実存的にね、俺が俺を肯定したいから言ってるのではなくてさ、色んな本とかを読んで分かったのは天才に共通しているのは他人と違った生来的な思考システムってことなんだよね。頭が違うってこと。ただそれはポジティブな意味で違うんじゃなくて、それは下手すればただの変人っていう意味でも違うってことね。


その違う思考を数学とか物理学とか科学とか哲学とか芸術とかに活かせれば人は彼を天才って呼ぶけどさ、何かに結実しない限りは「変わった人」なんだよね。だから今の俺ってただのエキセントリックな人じゃん?OEという観点からギフテッドかもしれないとか言ったところで誰も信じないじゃん?どんだけ頑張ってネガティヴな要素を集めて天才性を語ろうがさ「キミはそんなんじゃないよ」って言いたがる人が多いよね。それはみんなが凡人だからなんだよ。違う人が許せないか、明らかにどうあがいても獲得出来ない何かを持ってるんで妬ましいのかどっちかだよね。仮に才能とか天才性とかっていう面で俺の事を認めてくれる人がさ「才能あるっていいね」とかって言ってくれたところでさ、今の俺としては全然嬉しくないよね。だってその才能が社会的なものに結実してないから変人止まりになっちゃってるじゃん?ましてや生活基盤が作れてないっつーのが痛いよね。つまりは今の状態ではただの逸脱者ってことなんだよね。思考がリニアじゃないだけに人からあんま好かれたりしない場合もあるわけ。気に入ってくれる人はとことん気に入ってくれるけどね、でも大変だよ。大変としか言いようが無い。だからこそ俺は何か持ってるっつーか人には無いものを持ってるっつーのはね、みんながそういうのを持ってるみたいなアホ臭いレベルじゃなくて、「違う」って意味で違うものがあるわけだから何らかの形で昇華させれば報われるかな?っていう思いがあるから生きられるんだよね。それが無ければ後は絶望しかないからマジで死ぬしかないもんね。


誰かが面倒見てくれればまぁある意味で脱社会化された存在として浮世離れな生活を送れるかもしれないけど、俺はそうじゃないからね。だからまぁなんとかしなきゃいけないんだよね。どうもやっぱ理解されづらいのはさ、天才論とかを自分の例とかを引き合いに出して書くと「天才気取りかよ」とかって思われるってことなんだよね。なかなか俺が俺自身を対象化して客観的な分析をしているというのが理解されないっつーか下手に他人にこういうことは喋らないほうがいいなっつーのはキャリさんから多くを学んだよね。恐るべきドリームキラーという名の暗黒パワーを持った人達が世の中に多いわけでさ、下手なこと言って潰されるよりかは黙ってたほうがいいよね。だからどの道、その人が天才だったとしてもそれを全面に押し出さないほうがいい。明らかに嫌われたりする率が高いからね。嫌われたり嫌味を言われる率が高いっつーのかな?そういうのを本当の天才は心得てるからだから能ある鷹は爪を隠すになるんだよね。下手に出すと攻撃されるというのを知ってるんで出さなくなるのね。


ってことで終わりなんだけどさ、そうなのね、まぁ前にも書いた事だけど脳の違いなんだよね。脳機能の違いなのね。逆を言えば俺みたいなのがデフォルトの世の中では今の社会で考えられうる「普通」が逸脱なんであってさ、そこにあるのはただの違いでさ、価値とかはまた後でついてくるっつーか後天的なもんだよね。完全に。そのラベリングが天才とかじゃん?だから天才って秀才とよく誤用されてるけどさ、つまりはあれだよね、違う脳機能を持った逸脱した人間が凄まじい業績を残したり凄まじい創造性を発揮した時に天才って呼ばれるだけなんであってさ、これまたその結実もあれじゃんね、社会的じゃん?その社会で「凄い」とされるもので何か凄いことをしないとそれは天才にならないじゃん?今回のあれね、河童研究の天才と天才芸人みたいなもんね。


いやさ、違うんだったらとことん違いたいなって思うんだよね。中途半端に普通だったら色んな意味で俺は終わりだもんね。ここまで大変だったら度合いの差があってもマジで狂人レベルでもいいから違いたいよね。いや、もう狂人レベルかもしれないけどさ、いや、いいんだよ。天才とか呼ばれたいってことじゃなくてさ、違いたいのね。ここまで面倒な脳を持ってるんだったらその違いってのをエンハンスさせたいっつーか活かしたいっつーか普通でありたくないっつーかさ、アウトサイダーへの憧れとかじゃなくてね、それはまぁ中二病じゃん?アウトサイダーって生きてるだけで勝手にそうなるもんだから憧れるもんじゃないんだけどね、いや、違いなのよ。違い。狂っててもいいんだなっつーか狂ってれば狂ってるほどいいんだなっていう自己認証だよね。


何がなんだか分からなくなってきたからもうそろそろやめるわ。ようはちょっと違うぐらいだったら悲劇ってことね。プラマイゼロにならないでひたすらマイナスだっつー話ね。

Project Logic

Project Logic

これさ、ロジックのファーストなんだけど、これが成功したのかさ、セカンドからジャムっぽくなるっつーかバンドっぽくなるじゃん?まぁセカンドセカンドでいいんだけどファーストは色んな意味でヒップホップだね。セカンドほどジャムれるほど名声も無いしさ、金もないからひたすらタンテで曲を作ったって感じのなんつーかDJ Camのファーストな感じっつーのかな?ラフなんだけどそのラフさがたまんねぇー!っつーね、Camなんかもあれじゃんね?だんだん洗練されていってつまらなくなるじゃん?金無い時のやつが一番面白いんだよね。そういうのって色んなことに言えるよね。映画とかにしても金無しでインディーズで撮ったみたいなやつが一番良くてさ、メジャーデビュー後のやつはつまんねぇーみたいな。まぁいいや。