数学とエロス。

mimisemi2009-09-30

とりあえずハマれるものがあると生活がそれ中心になるので、あんま鬱とかになってる暇がないっつーか、余計なことを考えなくてよくなるんでまぁある意味で健康だね。好きなことをやってるときが一番その人にとっての能力を発揮できて、んでなおかつ精神の健全性みたいなのを保てるって意味だとまぁ最高のヘルシーだよね。「好きなことばかりやって暮らしていけるわけじゃない」みたいなのってようはそれができない人の言い訳だよね。それができないか、もしくは好きなことが無いってことでなんつーか社会的に「えらい」とされることっつーか「仕事」ってすんげー抽象的な概念だと思うんだけど、とりあえず仕事って言っておけば万事オッケーじゃん?魔法の言葉だよね。ただまぁ好きなことって言ってもまぁそれをやるための努力ってのは必要っつーかまぁそれに付随するやりたくないことってのはまぁやりたいこを支えるために必要だからそれはやらざるを得ないんだけど、んでもそれってやりたいことに包括されてるんで独立したやりたくないことではないよね。まぁだって買い物とかさ、洗濯とかってあえてやろうと思わないじゃん?掃除とか。でも必要だからやるじゃん?そんぐらいのもんだよね。やらなきゃ生活が成り立たないっつーものね。


で、まぁやりたくないことだけに生活が占領されると最悪なんだよね。仕事のために生きてるっつーかさ、そういう人が多いのってっつーかまぁ多いかは分からないけど、結局なんつーか幻想的な自己充足と仕事って繋がりやすいんだよね。Ignorance is blissじゃないけど、やってることはただの組織の歯車なんだけど、なんつーか「仕事してる!」みたいな充実感って無知じゃないと無理だよね。実際は資本家に利用されてるとか、ただの社会的なダイナミズムの一部に過ぎないっつーBig pictureを描けないがために行動することそれ自体に満足感を得るっていうね、関係無いけどさっつーかいきなりだけど最近まぁ色々と久しぶりに映画を見てるけど、まぁSawはあれから4と5見たんだけど、キューブってのもまぁ前に見たんだけどさ、あれだよね、これに出てくる最初に顔が解ける脱獄が得意な囚人いるじゃん?彼ってのがさ、ある意味で行動する人の見本みたいなもんでさ、ほとんど出口が無いようなキューブにいるってこととかを考えないでさ、とりあえず目先のことだけに対処していってさ、余計なことは考えない主義ってまぁまさしくこれだよね。レンって名前だったと思うけど。


実際はさ、ブーツを投げてトラップがあるか無いかをチェックしながら先に進むって言ってもさ、結局はそれって進んでるように見えて同じところをグルグル回ってるだけじゃん?それをさ、あのメガネッ子とサヴァンっぽいやつが数学を駆使してまぁ全体像を知ろうとするじゃん?それにしてもこのメガネの子さ、当時は28ぐらいだったらしいけど見た目高校生みたいだよね。つぐみみたいな見た目で声はあややっぽいっつーか声優っぽい。ファンが結構いるみたいね。カルト映画に出てくるカルト的な存在ってまぁカルト的な人気になるじゃん?マニアが好むマニアなキャラみたいなね。まぁそれはともかくさ、レンがあのまま仮に死ななくてもさ、彼は少なくとも彼だけだったらキューブの全体構造なんて永遠に知れなかったわけじゃん?でも考えるより先に進むのがいいってことで先に進むことだけを考えてるんだけど、実際は堂々巡りっていうね、社会もまぁキューブみたいなもんだよね。で、レンみたいな感じのことを繰り返しながら「前に進んでる」とか「仕事をしている」っていう充実感とか社会的なサンクションみたいなのを得られたらさ、まぁそれで虚偽的な充足を得られることになるよね。で、まぁいきなり会社をクビになったりするとハッ!と我に帰って、んでそれが幻想だったって分かったりするんだけど、今はそういうのが分かりやすくなってる世の中なんで、だからまぁ会社神話みたいなのが崩れたっつーのもあるよね。制度も崩壊したし、神話も崩壊したっつーね。でも物語を求めてるんだけど見つからないみたいなね、焼け野原を彷徨うような世紀末的な感じだよね。


レンって偉いのかな?誰の力も借りずに自分で前に進んでいくっつってもまぁ1から10に移動して、んでまた1に戻ったり3に戻ったりするのを繰り返してるだけっつーののなにが偉いんだかって感じだよね。かといってキューブの実体を知ったことで先に進むのを諦めて自殺するとかさ、何もしないっつーのも問題ではあるけど、キューブの俯瞰図を知っちゃったタイプの引き蘢りってのはまぁそういう意味で賢いニヒリストではあるよね。そこで全体を見つつ計算をしながら進んでいける人がどれだけいるか?っつーとまぁ絶望的だよね。Kazさんに会ったって書いたけど、なんつーか彼のような頭の良い若者の典型みたいな人はさ、いや、典型でもないのかな。


典型だったら彼は孤立しないはずだからねっつーかまぁ鬱蒼とした感じを感じないはずじゃん?いや、彼みたいなタイプはみんな絶望しているって言えばまぁそれも類型には入るのかもしれないけど、まぁタイプ別診断はいいとして、彼はまぁここにも書いてくれたからグラスノスチでいいと思うんだけど、ある会社から年収500万円以上を保証されててさ、んで大学辞めてもそこに入れるし、卒業するんでも卒業まで待ってくれるっつーさ、まぁこんなご時世にすんげー好条件で一流の企業に入れるっつーのに彼がなぜそれにそこまで魅力を感じないか?っつーのはさ、例えばもっと歳のいった人でさ、そういう感じで生きてきて、んで年収とかが1000万とかあっても、そういう暮らしをしてる人達の顔を見るととても幸せそうじゃないっていうさ、ようはそれがただの年収が良いだけのただの監獄だってのが分かってるから、だからこそそれを回避しようとするんだよね。「いや、俺はもっとそんなんじゃない才能があるはずだ!」みたいな青い鳥症候群なのではなく、そういうのは監獄だからゴメンだっていうさ、一カ所に縛られないある意味でまぁコスモポリタン的な生き方をしたいって考えててさ、んでそういう暮らしができるということがオブジェクションになってるから、それは才能を試すとかさ、自分を試すっつーよりかはリアルな現実に対するコミットメントなんだよね。


だからようは監獄暮らしは金があっても先が目に見えてるからそんな道には行かないっていうまぁ賢い選択なんだよね。いや、彼は頭が良いし社交性っつーかコミュニケーション力があるから世界のどこでも通用するような人間だと思うんでまぁどの道やれるだろうなとは思うけど、ポイントはそれがようは監獄を避けるという選択でもあるってことなんだよね。いや、何が言いたいか?っていうとキューブに例えるなら彼はあんだけ若いっつーのにもうキューブの全体像を知っちゃっててさ、だからこそそんな逃げ道が無いゲームはやらないぜっていうことを考えながら生き方のオルナタティヴみたいなのを探してるっつーか切り開こうとしてるっていうさ、それはようは人参をぶら下げられた馬程度の知能しかなかったら選択できない賢いコミットメントなんだよね。保守的に言えばその企業に入って一生安泰がいいのかもしれないけど、それが決して幸せなものじゃないっつーのが計算できるからこそそれをむしろリスクだと考えて他の道を考えてるっていうさ、まぁ金稼ぎの手段としての就職はあるんだろうけど一生はやらないみたいなさ、それもまぁ計算じゃん?


っつーか何を書こうとしてたんだっけな?まぁSawにしてもキューブにしてもいきなり知らないところに投げ込まれてなんとか行動をとらなきゃいけないってことを強要されるっつーのはまぁ被投性そのものだって前に書いたけど、全体像が分からないままでも飢え死にしないで衣食住は保証されてて、んでレンみたいな行動を一生続けていくってのが良いんだったらまぁそれはそれでいいんだけど、でもまぁやっぱ俺は全体像を知ってほとんど無理にしてもまぁやっぱ出口を探そうとは思うよね。そのリスクがどれだけ高いものであっても、どの道、長生きしようななんだろうがキューブの中にしかいられないんだったら死んでもいいから出口を探すよね。キューブの中に安住するってのもようは死の一種だって考えるとどの道、逃げ道を探すしかなくなるじゃん?


何を書こうとしてたんだっけな?まぁいいや。いや、別にKazさんのことを褒めようと思ったわけでもないし、キューブの批評とかをやろうと思ったわけでもないんだけど、あ、思い出した。なんのことは無い学校のことだ。まぁ女の子関係のことなんだけどさ、セメスターが始まったらまぁこれについて書かなきゃダメだろうっつーのもまぁ変な話なんだけど、Abnormal Psychologyっつークラスでさ、まぁ俺が患者そのものなわけだけど、前の英語のクラスの割と可愛い子と同じクラスになったんだよね。彼女はそれを凄く喜んでてさ、んでよく話しかけてくるんだけど、アンドレっつーさ、彼女のことを好きなやつってのがいてさ、んでそいつがいつも健気に彼女の授業が終わるのを待ってたりさ、学校の外で待ってたりするんだけど、当然、彼女のことを待っててさ、んで俺がその彼女と話しながら学校から出てきたら嫌じゃん?


俺がアンドレの立場だったらすげー嫌だよね。仮に俺がリア二千を待ってたとして、んでリア二千が誰か他の男と話しながら学校を出て来たらそれだけで鬱になるよね。んでまぁ俺はなんつーか彼女を奪うつもりはないし、正直、恋愛感情はさっぱり無いんだけど、アンドレは当然ながら俺のことをよく思ってないんだよね。邪魔なやつと思われてるっつーかまぁ当たり前っつーか邪魔してるようなもんだからさ、あんま邪魔したくはないんだけど、例えば今日もさ、今日はそのサイコロジーのクラスじゃなかったんだけど学校でたまたまあってさっつーか「ビル!」って声が聞こえたんで見たら彼女でさ、んでアンドレと一緒に座って何かを話してたんだけど、「ビルがいたら私は無視をしないわよ!ただそれが言いたかっただけ」とか言ってさ、いや、結構微妙だなーって思うんだけどさ、で、俺も何を思ったかそのまま「んじゃまた」って去るのもあれだからと思ったりなんかして頭が痛かったから「アスピリン持ってる?」って聞いたらさ、「ヘルスオフィスに行けばくれるわよ」とかってさ、「んじゃ私についてきて!」とかいってそこからまぁ近かったんだけどわざわざ連れてってくれてさ、んで紙に何か書きつつ結局まぁアスピリンみたいなのを二錠もらったんだけど、アンドレとしては最悪だよね。


彼女が俺に声をかけてさ、んで俺がアスピリンの話をしたりなんかして、んで一気にコミュニケーションが分断されて、んでヘルスオフィスみたいなのに一緒に行く羽目になってさ、んでその後はクラスがあるからっつって分かれたんだけど、俺と彼女は授業が地下だったから地下まで一緒に行ったりなんかしてさ、アンドレにすげー嫌な思いをさせてるなーってすげー罪悪感があるんだよね。調子に乗ってるとかじゃないんだよ。マジで。彼女には正直、まぁ可愛いとは思うけど恋愛感情は無いしさ、何よりアンドレがすんげー彼女のことを好きでいるわけでさ、それの邪魔をしたくないんだけど、んでも彼女は割と俺のことを気に入ってる感じっつーのかな?


アメリカンガールってみんなそうなのかな?リア二千にしてもお転婆娘にしても可愛い子ってのは大抵常に誰かに言い寄られつつさ、気になる男子がいたらちょっとしたキューみたいなのを出しつつ、言い寄られてるやつに関しては断ることもなくキープしつつ、手のうちに無い本命みたいなのにアタックというほどではないサインを出して反応を伺うっていうさ、まぁすげー狡猾なやり方ではあるよね。可愛い子の特権ではあると思うけど、そういう子達から言い寄られまくってる今の俺は明らかに黄金期だと思うんだけど、まぁ自慢はさておきさ、女の子との関係ってやっぱ微妙だよね。ジェンダーが違うんでやっぱ男と女っつー属性が出てくるんだけど、でもさ、俺って変なことにいつもそうなんだけど女の子とのほうが気が合うんだよね。こっちでちょっと話すぐらいの知り合いは人種関係無しに女の子ばっかだし、クラスとかでもちょっと仲良くなるのって女の子ばっかりなんだよね。かといって別に恋愛感情があるわけではないんだけど、でもなんつーか話しやすいっつーのかな?


んでもこういうのも全部自信と結びついてるのかな?って思ったりもするよね。明らかにこっちに来てから色んな面で自信がついたし、だからこそまぁ可愛い子でもなんでも割と話せるっつーか声をかけたりすることがそこまで大変なことでもなくなってるっつーさ、それは下手すると八方美人にもなりかねないじゃん?変に愛想がいいんで勘違いさせちゃうとかって最悪だなって思うしさ、ましてや誰かとの邪魔をするとかって絶対したくないんだよね。でも俺と彼女との関係っつーと大げさだけど、まぁ俺の中ではまぁ仲の良いクラスメートっていう関係があってさ、別にアンドレがどうこうって話じゃないっつー次元の関係はあるんだけど、でもなんかそういうつもりじゃないんだけど侵略してるような気分になったりもするんで嫌なんだよね。マジで。ただそれを理由に意図的に無視するっつーのも変な話でさ、かといって邪魔はしたくないし、勘違いもさせたくないっつーさ、すげー微妙なところだよね。


正直な話、まぁ当時も書いたけどお転婆娘にしてもクリティカルの子にしてもまぁ両方ともそういう感じではあったよね。そういう一気に恋愛っていう次元にはいかないにしても、んでもまぁ友達でいてもいいじゃん!ぐらいのカジュアルな関係でもいいじゃん!っつーのは正直あったよね。でも告白されちゃったから一気に関係性が恋愛にまで高まってるっつーさ、そこが微妙でんで結局まぁ特にアタックせずっつーかまぁ微妙な感じで終わったけどさ、後悔してないけど、でもちょー微妙だよね。肩の荷は降りた感じはしたけど、でも惜しいなー!っつー感じはあるっつーか特にいつも書くようにリア二千とお転婆娘とクリティカルの子はマジでクオリティが高かったからたまに思い出すと「あーあー」とかって思ったりはするよね。かといって関係が続いててもどの道まぁ俺じゃ無理だろうなってのは分かってるんだけど。


で、英語のクラスのナオミワッツだけど、なんつーかニコール・キッドマンとナオミワッツを足して2で割って回し蹴りを加えたような感じでさ、コピーライトは高田純次だけど、なんつーかまぁ可愛いよね。マジで似てるから。ホントに。で、この微妙な時期が一番ブレイクビーツなんだよね。なんか彼女もちょっと俺を意識してる感じっつーかさ、エスカレーターとかでさ、降りる時とかに一瞬対面するときがあるじゃん?俺が今から降りようとしてるって時にエスカレーターに向かってて、んで彼女はもう降りてるって時に降りる彼女と目があったりするとさ、あっちもなんか見てきてるっつーか俺がまぁ見過ぎなのかもしれないけどね。いや、俺ってちょっと気になるって子にはすげー目線を送ってるのかもしれんってマジで思ったね。だからいつも可愛いなって思う子にアテンションを得られるっつーかさ、それは得ようとしてるんじゃなくて、俺が目線を送り過ぎなんで相手もそれを気にしちゃうってことだとしたらまぁそれはやめたほうがいいよねとは思ったよね。そんなジロジロ見てるんだとしたらそれはまぁ失礼だろうっつーかさ、でも可愛いとまぁそりゃー照れるじゃん?っつーかまぁチラ見するのが男の性だよね。その知らず知らずのうちにやってるチラ見が相手にキューを与えてしまってるのだとしたら、それは勘違いを引き起こすきっかけになるので大いにやめたほうがいいって思うんだけど、でもそれをやめるってすげー意識的なものが必要だよね。見たくても見ないっつーのはまぁ禁煙みたいなもんだよね。


いや、でもね、はっきりいって今回のワッツにしても今までの子達にしてもそりゃー普通の男なら誰でも可愛いと思うような子だからさ、まぁだからいいじゃん!って思うんだよね。可愛い子を見て何が悪い!っていうさ、学校にはマジで恋愛しに行ってるようなもんだからさ、いや、今は数学があるからいいけど、楽しめる学科が無かったらマジで可愛い子と話すとか会うってことぐらいしか良いことが無いよね。いや、そこで日本に帰った時にさ、元相方にさ「いやー勉強なんて自分でやれるし、学校からは学べるものはないし、だから学校でやることといったら恋愛ぐらいしかないでしょ」みたいなことを言ったら「うわーかっこいいねぇーそれ」みたいなことを言われたんだけど、別にかっこつけるつもりはなくて、それはマジだからしょうがないんだよね。いや、それがかっこいいのだとしたら、それはかっこつけじゃなくて自然な状態でかっこいいんだからまぁそれはそれでいいんじゃない?みたいなさ、別に自慢するようなことじゃないし、自慢する人もいないしね。それが事実なんだとしたらしょうがないよね。それにプラスアルファを付け加えるのが数学専攻なんだけどね。まぁ恋愛にしても数学にしても俺にとって共通しているのは両方ともプラトニックだってことだね。まぁ最高のロマンだよね。


抽象的な思想とか数学とか恋愛とかと永遠に戯れてるっつーのは究極のエロスだと思うね。Knowledgeにしても女の子にしても物理的な形であれ観念の形であれ、得るということが絶対無理なんだけど、俺はそれらを渇望し続けるってことでまぁエロスが成立してるよね。そういう意味でまぁ最高にロマンチックだね。学問にしても恋愛にしても。それだけを目的にやってるって最高にエロいと思う。所謂、可愛い子を彼女にするとかさ、学歴を得るとかさ、まぁ学歴に関してはまぁ目標ではあるけど、それって付随的な打算というかさ、必要なことだからやるっていう感じの部分で目的論的に言えば戯れること自体がテロスじゃない?エロスがテロスなんだよね。ようは。だから永遠にそれは終わらないっつー意味でまぁ無知の知のプラクティカルな実践でもあるし、つまりは哲学者とか数学者になれなくても、数学とか哲学を愛することはできるじゃん?恋愛も一緒で彼女と一緒になることはできないけど、んでも彼女を勝手に愛することはできるじゃん?いや、一歩間違うとキモイっていうかさ、デブオタとかがこういうこと言ってたらすんげーキモイと思うけど、俺の場合、割とまぁ真面目っつーか真っ当な意見だと思うよね。実感としてマジでそう思うからさ、だからまぁ俺はプラトン主義なんだろうね。政治的にも思想的にも。


かといってそれは観念論主義って意味でもないし、ルソー的なロマン主義でも無くてさ、まぁ趣としてはっつーかまぁ考え方としてはロマン主義バリバリっつーかそれが地の属性だからある意味でしょうがないんだけど、でもそれはプラクティカルな意味においてプラトン主義なんだよね。それはイデアに逃げているということではなくて、現実主義だからこそ観念論主義的になるってことなんだよね。その観念的なモデル・ビルディングをするのがある意味で数学だし思想じゃない?Ideal Objectが体系化されることでReal Objectのインプリケーションになるっていうさ、論理学の記号で言うところの→だよね。I(イデア)→R(リアル)って感じだよね。そういう意味で数学はどんだけ抽象的なものであったとしてもverificationによってそのイデアルな存在が証明されるってことでなんつーかまぁリアルなイデアの世界だよね。結局はまぁ抽象的な概念の世界に憧れてるって意味で結局はまぁ哲学とかと全然変わらないんだよね。だから全然哲学の延長って感じなんだけど、でもまぁ思想もそうだし哲学もそうだけど、数学もすんげーエロいよね。証明とか公式ってイデアの実体化だもんね。イデアの存在を証明するものじゃん?だからエロいなと思うわけ。


話がだいぶ逸れたな。あ、んであと覚え書き的にメモっておきたかったのがハーディーの言葉なんだけどね、

I have never done anything "useful." No discovery of mine has made, or is likely to make, directly or indirectly, for good or ill, the least difference to the amenity of the world. I have helped to train other mathematicians, but mathematicians of the same kind as my self, and their work has been, so far at any rate as I helped them to it, as useless as my own. Judged by all practical standards, the value of my mathematical life is nil; and outside mathematics it is trivial anyhow. I have just one chance of escaping a verdict of complete triviality, that I may be judged to have created something is undeniable: the question is about its value.


The case for my life, then, or for that of any one else who has been a mathematician in the same sense in which I have been one is this: that I have added something to knowledge, and helped others to add more; and that these somethings have a value which differs in degree only, and not in kind, from that of the creations of the great mathematicians, or of any of the other artists, great or small, who have left some kind of memorial behind them.


凄いよね!これ。イデア宣言とでも言うべき数学的ステイトメントっつーか、このマスを萌えに変えたらそのまま秋葉系にも適応できるって意味ですんげーイデアルだよね。数学の本とかを読んでると所謂、名のあるというか歴史に名を残した数学者ってほとんどが哲学者みたいなもんでさ、誰も公式ばかりを暗記させられるようなテキストとかを好まさそうな感じなんだよね。所謂、数学でA取るような秀才っつーよりかは数学と共に生きているような数楽人みたいな人達が多い。だからまぁ俺が仮に今後まぁ数学を続けるにしても数学者じゃなくて数楽者でありたいなと思ったよね。あとまぁ結局はまぁ別にそれが使えるものかどうかなんてまぁ後で考えればいいっつーことに対するまぁある種の後押しにもなるっつーかさ、まずは極めてからそういうのを考えなっていう感じで、まずはやりたいようにやったほうがいいって感じだよね。


まぁ今みたいな精神状態というか頭の感じでいるからだからこのハーディーの言葉っつーか文が胸に突き刺さったのかもしれん。こういうさ、チャンネルというか周波数がそれに合ってる時ってのが一番それを感じやすいし覚えやすいし頭に入りやすいし、まぁそういう意味でまぁイデアだけに学ぶ人の精神状態にも凄く関係するよね。俺はまぁ別に数学検定を受けるとか資格とかのために数学をやるんじゃなくて、まぁ色々あって話が数学に行き着いたってことでまぁ哲学の延長としてやるだけってことでさ、まぁピュアにイデアルじゃん?で、そういうイデアルなものにチャンネルが合ってるんでさ、ある意味でまぁ最高の状態だよね。資格のために頑張らなきゃ!っつってさ、やりたくはないんだけど資格とか学歴のために頑張るみたいな血の滲むような努力がいらないっつーかさ、好きなことをやるっていうまぁマスだけにマスみたいな感じでやれるっつーのがまぁ最高だよね。


で、色々と数学の本を読んでると微分積分とかすんげー面白いじゃん!って思うようになってきたし、幾何学なんかも味をしめると最高に面白いものなんだな!ってことでさ、あとはまぁトポロジーなんかにも興味が出てきたりなんかして、チャンネルが合うとまぁこっちのもんだなって感じだよね。プラトンアカデメイアの入り口の上に「幾何学を学ばざるもの、門戸を入るべからず」って書いてあったらしいけど、ようはさ、イデアのものでもなんとなく知るってことじゃなくて、イデアルなものであるからこそ具体的にそれを知る必要があるって意味でさ、イデアルなものをやる上での基礎としての幾何学っつーかようはイデアルのファンデーションっつーのかな?まぁそんな気がするよね。古代ギリシャとかだと本当に数学が独立したものじゃなくて当たり前の哲学のブランチに入ってたっつーかさ、本当に一体のものだったんだっつーのがまぁよく分かるよね。


そういう意味でまぁ学校ではなんつーかカラカラの干上がった形だけの数学だけしか学べないって感じだよねっつーかまぁ数学アレルギーが多いのはさ、イデアルなもののエロス無しにただ史実的なものだけを無理矢理覚えさせられるって意味でまぁ苦痛なんだろうなって思うよね。「そうだったんだ!」みたいなさ、理解することの喜びみたいな感覚無しに教えられるものってまぁ一般教養に必要なものとはいえまぁ苦痛だよね。俺もまぁそんな苦痛を感じていた人間だったけども、んでもまぁ逆になんつーか今じゃないと無理だったなって気はするよね。少なくともまぁ俺が10代の頃にこういう数学の考え方というか愛し方ができるとはとても思えないよね。哲学経由じゃないとまぁ無理だわな。


そういう意味で別に俺は数フェチなわけじゃないからね。10代の頃に数学に目覚めたりするやつは単純にまぁ数フェチなんだと思うね。まぁそれはそれでいいんだけど、まぁそれって哲学なき数学でまぁすんげーつまらないなって思うんだよね。少なくとも俺はそういうのには興味は無いな。デカルトとかライプニッツが哲学もやりつつ数学をやってたっつーかまぁ別に哲学と数学を分けてやってなかった感じがするのはまさしく今俺が感じられている哲学の延長としての数学ってことだよね。それこそ古代ギリシャにあったような、哲学との境界線が無いものとしての数学っつーかさ、現代的な感覚で言うとそれってつまらない教科の一つとしての数学じゃん?切り離された形だけの数学っつーかさ、だからつまらないんだよね。今は俺の中で哲学っつーかイデアっつー概念と数学が見事に繋がったからだからまぁこんな知識欲が出てきてるんだと思うよね。


本棚で言えばさ、哲学のコーナーにしか行かなかったけど、数学のコーナーも哲学のコーナーに行くのと同じような感覚で行くっていうさ、まぁその行く棚が増えたっつーかさ、頭の中の棚でもいいんだけど、そういう感じだよね。今までのものと一体な感じ?哲学は最終的になんつーか俺の中ではプラトンに行き着いてさ、んで行き着いた先から数学が見つかったってまぁ最高だよね。行き着かなかったら見えなかった道だしさ、それが見つかって本当に良かったと思うな。あとはまぁやるだけだけど、なんつーかコツは掴んだっつーか楽しさが分かってきたんで、あとは思想とかと同じ感覚でやっていけばオッケーだろうなって気はするよね。まぁだからあれだ、論理学的に言えばBiconditionalなものだよね。数学経由の哲学でも哲学経由の数学でもまぁどっちが先でもどの道まぁ両方繋がってるっていうね、p→qでもq→pでもどっちでもって感じっつーのかな?まぁようはライプニッツの「数学なしに哲学を深く究めることはできない。哲学なしに数学を深く究めることはできない。数学も哲学もなしに何事であれ深く究めることはできない。」ってことだよね。むしろそれが何かを極めることに重要な要素なのだとしたら、ただの哲学バカにならずに済んだって意味でも数学に目覚めたっつーのは自分の哲学においても重要なことだなって思えるようになったよね。


だからなんつーか今の感覚としては哲学ってまぁ前からそうだけど、独立した学問の一種としてやってるっつーよりかはもう自分のことの一環としてやってる感じじゃん?で、この自分のことをやるっていう感覚のまま、それが数学にも適応できるっつーかまぁ盲点だったなって意味でそのスコトーマが外れたって意味でまぁデカかったわけだよね。今回の目覚めが。少なくとも「なんで数学なの?」っていう理不尽さっつーか非合理性は全く無いんだよね。SPKがノイズからディスコになったようなわけのわからなさは一切無いって感じ?そういう意味でまぁすげーこの確信はNo doubtな感じだよね。ただまぁ俺に数覚があるのか?っつーのはまだ分からないって意味でちょっとやっぱ不安ではあるよね。まぁ数覚は養うこともできるけど、結局、哲学と一緒でまぁある意味でニュータイプみたいなもんだよね。ニュータイプ的な素質が無いと極められない感じってのがある。まぁなんつーかそれが無いとただの数学教師とかで終わっちゃう感じっつーかさ、それは哲学にしたって数学にしたって絶対嫌なんだよね。でも数学も哲学で必要とされるような感覚が必要なんだとしたら俺で言えば少なくとも哲学に関してはそういうニュータイプ的なものがあるから、それがそのまま数学にも適応できればまぁもうこっちのものって感じだよね。まぁニューガンダムのフィンファンネルでもサザビーのファンネルでも操作に必要とされるのはニュータイプ的素質でさ、そういう意味でまぁ俺は哲学ではファンネルを使えてるなら、まぁ他の機種のファンネルも操作方法を覚えれば使えるようになるだろうっていう感じはあるよね。


だからまぁ養える数覚ってのはまぁ強化人間的な人工的なものでしか無いと思うね。所謂、秀才がこれに当たるね。で、まぁ俺が天才である必要はないんだけど、少なくともニュータイプ的なものが無いものに関しては興味あってもやりたくないっつーのはあるんでさ、ようは先が見えるじゃん?どの道、強化人間止まりだったらそれって悲しいしやりたくないわけよ。だからまぁニュータイプ的素質を信じるしかないってことなんだよね。なんつーかでも抽象度が高くなればなるほど物事がピュアな概念のレベルになるんで、だからまぁ哲学的素質があれば、抽象殿高い数学もできるような気はするね。抽象度が低いものに対してあまり興味が湧かないというのは哲学にしても同じなわけでさ、だったとしたらまぁすんげー抽象度が高いレベルになれば哲学と数学との差なんてプラットフォームの違いっつーかインターフェースの違いみたいなもんでさ、だからこそ別の分野でファンネルが使えてるなら、抽象的な分野だったらそこでも使いこなせるようになるだろうって思えるってことね。なんつーか抽象度が高いって概念がとろけるイメージだよね。抽象度が低くて学問的なのは型にハマったゼリーみたいなもんで、抽象度が高いものに関しては液状のゼリーでさ、結果は結局、ゼリーっつー型なのか、プリンって型なのか豆腐って型なのかさ、元が液状って意味で共通してるって意味で、そのトロトロなものを扱える脳があるかどうか?ってのがようはニュータイプ的素質を規定すると思うよね。数学はフォーミュラの暗記なんてやってたらそりゃつまらなくてさ、一番良くて早い理解ってのは抽象度の高いレベルでそれをフォーミュラっつー型で理解するよりかは概念として理解することなんだよね。


で、そういう理解をしてると応用力も出てくると思うんだよ。自分のものというかトロトロが脳の一部と化しているんで、だから他の分野にもその発想なり方法論なりを適用できるっていうさ、こういうレベルの理解だとまぁ学問バカにはならないと思うね。学問バカがなんでバカって言われるか?っていうと恐らく型でしか理解してないからだと思うんだよね。それがトロトロであればそれは結局wisdomとかknowledgeっていうものに集約されるのでバカ足り得ないっつーかさ、ようは抽象度が高いってそういうことだよね。


あ、もう長くなりすぎたからやめるわ。なんか普段よりもよりいっそう取り留めが無い感じになったけどまぁ全部大体がイデアって部分で共通してるんじゃないかな?なんつーかあれだね、学校で学べる数学はだから学校からゼリーなりチョコをもらって、んで自分の脳でそれを溶かすっていう感じだよね。数学の場合、型にハマってても知らないことが多いからゼリーでもチョコでももらえればまぁ自分のためになるっていうね、ギブミーチョコだね。アメリカだけに。