話が散らばりすぎてて俺でも分からん。

mimisemi2009-10-02

数学にハマっていると言いつつも、なんつーかやっぱりモノによっては全然理解できないものがあったりして、ちょっと不安になるというかかなり不安になることがあるね。いや、ちゃんとガッツリやれば理解できるんだろうけど、そんなんじゃもう遅いっつーか、俺の基礎学力って中2で止まってるっつーか、中2の頃でも最悪の成績だったんで、実質はまぁ小学生くらいなんだよね。そんな俺がこんな歳になって長年のブランクを乗り越えて知らない分野に踏み込むっつーのもさ、並かちょっとできるぐらいの理解力だったら全然遅いんだよねっつーか遅いっつー言い方はあれだけど、マジでそのフィールドでやっていくなら遅れて始めたちょっと理解力のあるやつなんてあきらかに不利じゃん?幼少の頃から数学にハマり倒してきたやつとかに敵うわけがない。


いや、競争をするつもりはないんだけど、基本的に社会でやっていくっつーのはまぁ結局は競争じゃん?ダメなやつはダメだよね。特に俺みたいな状況だとさ、市民でもないやつがそのフィールドで職を得て市民権も得るなんてさ、並外れてないとダメじゃん?だからできる子じゃ全然ダメなのよね。数学の先生に「僕は哲学の才能はあると自負していますが、数学の才能があるかどうかは分からないので、仮にメジャーを数学に決めてしまった後、自分の才能の無さに気がついたりなんかしたら、それは大問題になります」って言ったらね、先生は「数学をやるのに数学オリンピック金メダル並の数学脳はいらないよ」って言われたんだけどさ、ようはね、才能があろうがなかろうが理解できるまでとことんやりつめて知識っつーか公式を詰め込んでいけばマスターできる学問らしいんだけどさ、でもそれだと結局、俺が言っているただのできる子になっちゃうんだよね。哲学にしてもそれだったらまぁ誰でもできるよね。それは哲学というよりかは哲学史研究に近いよね。


思想でも哲学でも抽象概念でも、そういった既存の概念というパッチを身につけつつ、そのパッチを利用して新しいものを作るとかさ、そういうのができないとなんつーか学問やる価値が無いと思うんだよね。どの道、俺にとってはこれは死活問題なんだよね。ステータス的にもただできるだけじゃまず市民権は無理だろうし、市民権云々置いておいても学問をやる上でなんつーかできる子じゃ全然意味がないって思うわけでね、まぁ別に俺が何か新しい証明を見つけるとか難題を解くとかってことをやる必要は無いんだけど、まぁ別にやれてもいいんだけど、俺が言いたいのは、今まで普通にやってきた哲学的だったり抽象的な思考ってのを数学っていう言語とか概念を利用してできるのか?って話ね。


こないだ抽象概念はトロトロだって書いたけどさ、仮に数学的思考があんま得意じゃ無かったらそれって結構アウトだよね。図形とか苦手とかさ、数式は分かるけど処理がイマイチとかさ、そういうなんつーか地頭の問題があったりすると凄く嫌だなというかcrucialだなって思うんだよね。そこがまぁ自分の脳を信じるしかないんだけど、でもやっぱいつも不安だよね。俺って結局、哲学でも思想でもなんでもやりたいことがさ、大風呂敷を広げるとさ、結局なんつーか歴史的な連中とまともにやり合うぐらいのレベルなんだよねっつーかそのぐらいのものじゃないとやる価値が無いだろうって思っちゃうのね。音楽で言えば既製品に似たようなものを作るのに俺が全く価値を感じないのと一緒で、俺がやることに意味があるぐらいのものを作らないと本当に意味ないなって思うわけでね、で、そこでまぁ問題なのは俺がそんな凄まじい連中とまともにやり合えるの?って話なんだよね。


まぁバトルってわけじゃないけど、いや、正直、哲学とか思想系では全然もうオッケーなんだけどね、数学でそれがやれるか?っつーのが不安ってことね。まぁあまりにダメだったら途中でメジャー変えればいいんだけどさ、なんつーかやっぱ哲学とか政治学とか真面目に読み出す前もそうだったけど、分からないことをやる時って地頭の不安があるよね。あんなに難しそうなことを俺に理解できるんだろうか?っていう不安がすげーある。んで実際やってみるとそんな不安なんて感じる暇がないぐらい没頭してしまって、いつの間にか難しいと感じるものなんて無くなるんだけどさ、この知らずのうちにマスターする感じっつーか感覚をつかむ感じってのが数学で起こるのかがイマイチ分からんね。


いや、正直、数学のクラスではトップだと思うよ。何週間かかけてやることを最初の5分ぐらいで理解できる。で、授業中に質問すると「それはだいぶ後に話すことだから今はまだちょっと待って。もしあれだったらまたクラスの後にでも質問してくれればいいよ」って感じでさ、まぁ所謂、普通のコミカレの学生よりかは明らかに理解が早いのは分かる。でもさ、そのフィールドってさ、コミカレっつーよりかは世界各国のトップというか、すげー数学に強いやつみたいなのが大学院とかに居るわけじゃん?そういうやつらの中に入ったときの俺ってどんなもんなの?ってのが不安なんだよね。トップレベルを見た時に自分がトップレベルでいれるのかが凄く心配。それって残念ながら最初から決まってるからね。


ある程度のレベルなら誰でも努力すればマスターできるものだけど、それ以上となるとその分野に関する才能とか能力とか卓越した地頭が必要だったりするわけでさ、アカデミックな分野でやっていくってつまりはそういうことじゃん?特に俺みたいなガイジンの場合は中途半端は許されないんだよね。中途半端なのはもう間に合ってますって感じでさ、卓越してればビザのサポートとかをしますよってことでさ、そういうなんつーか中途半端に安住できない条件ってのがあるじゃん?自ずとトップレベルを求められる感じ?そうじゃないとどの道、仕事も無いし市民権も得られないってことでさ、俺の目指しているある程度のレベルと、俺のコンディションってのがまぁ直結してるんだよね。だからこそ不安なのね。ちょっとぐらい理解が早いからっつって全然いい気でいられないわけ。だってそういうやつらが集まるのが上のレベルでさ、そういうのは当然で、しかもプラスアルファなんか新しいのを思いついちゃうようなすげーやつらがいるわけでさ、自分がそういう素質が無かったりしたらもう人生終わりだなって感じでまぁいよいよ本当に時期が迫ってきたなって気はしてるよね。


リアルにメジャーを決めなきゃいけないっていうことになると、それが仮に哲学でも政治学でもこういう問題に直面するよね。ガイジンである俺がアメリカにアピールできるぐらいの何かをできるぐらいの能力があるんだろうか?っていうリアルな問題になるよね。勉強したいっつーだけだったら何でもいいし自分でやればいいんだけど、これを専攻にして自分の専門にするとなるとさ、それってある意味でフィールドが決まるってことでさ、結構な決断だよね。そこでなんつーか数学科とかに入ってさ、んでふつーの生徒ぐらい問題を解くのに苦労してたらもう終わりだよね。完全に。そうなったら頑張る気になれないな。もう地頭の低さを呪うしか無い。


イメージとしては俺が政治学とか哲学とかで考えてたのと同じ感じで、別に宿題とかやらなくても全然内容が理解できて、んでテストとかサラサラっとやってパスしちゃうみたいなね、で、自分の時間は自分の勉強に費やすっていうさ、所謂、学校に生活がオキュパイドされるぐらい俺のレベルが低かったらもう終わりなんだよね。それってまぁ俺がアヴェレージってことでさ、アヴェレージなら人員は間に合ってるどころか余ってるわけじゃん?失業率がこんな高い中であえて変なガイジンに市民権をくれてやるって相当の能力が必要じゃん?だからダメなのね。普通の生徒っぽい感じで苦労しながらやってるレベルじゃもうそれはダメだと思ったほうがいい。で、数学はそれが凄く顕著に出やすいジャンルだと思うので、選んだはいいけど、そんな感じになった場合が凄く不安ね。そうなったときの絶望とか恐怖感ってのが本当に凄いと思うんで凄まじくそれが恐ろしい。「いや、でも頑張ろう!」とかってもう俺的にはアウトなんだよね。頑張ってやってるやつなんて他にもいくらでもいるわけでさ、少なくとも俺のステータスではそういうレベルじゃ先は見えてるよね。とても市民にはなれないだろう。


で、言わずもがなだけど、俺って精神病全般があって、他にも色々と困ったことがあるからさ、仮に能力が平凡でもすんげー頑張って仕事できるやつとかさ、売り込みできるやつとかさ、人脈を作るとかってことにコミットできるやつならそれはそれで素質あるんだよ。それは学力というよりかは行動力とか活力ってところでブイブイ言わせる感じで、芸人で言えば面白さよりも、なんつーか先輩との関係とか事務所との関係とかテレビ局とかプロデューサーとの関係が上手いっつーんで上手く使ってもらってるやつっつーようなもんでさ、そういうのは俺には絶対無理じゃん?やろうとも思わないし、それをやるしかない!って追いつめられてもそんな器用なことはできないって意味で最初から勝負しなきゃいけないところが見えてるよね。学力っつーと変だな。まぁ能力だね。才能っつーかなんつーか。学力なんてどうにでもなるもんね。宿題とかみっちりやってさ、出席とか全部満たしてさ、んでテストとかもみっちり勉強して挑めば良い成績は取れるわけでさ、ようはこういうレベルだともう俺はダメだなってことなのね。そこまで頑張れないし、地頭の無さを補うようなことなんてできないのは目に見えてる。


だからこそそういう次元じゃないレベルのものを持っている必要があるし、それを地でやっていけるぐらいの何かが無いとどの道ダメなんだよね。それは基礎を通り越していきなり高度なことをやるっていうショートカットがしたいってことじゃなくて、あたかもショートカットに見えるぐらい基礎なんて一瞬で終えなきゃいけないっていうことだよね。だからまぁある意味でメジャーを本格的に決めるまでまぁあと一年ぐらいはあるから、この一年で自分を試すっつーかまぁ観察するしかないなって感じだね。気がついたら数学コースでやるようなやつは大体終わっちゃってたってのがまぁ理想だね。哲学とか政治学で起こったことね。準備をしておこう!っつーのもあって読み始めてたらもう学校でやることなんて無くなっちゃったっていうね、いや、完全ではないし、それについて何かを書けるレベルではないけど、んでもそれはいつも書いてるように大意がつかめちゃうとさ、少なくともundergraduateのレベルでやることなんて無くなるんだよね。あとはなんつーかそれこそ大学院レベルの勝手な自分のリサーチっていうレベルになるじゃん?だとしたらもう大学いらないよね。それでも大学でリサーチを続けるってまぁ学歴のためだったり、研究者であればまぁ給料もらうためじゃん?


少なくともまぁ数学でも入る前にそのぐらいになってるぐらいじゃ無いともう望みは無いだろうなって思うのね。だから頑張るんだ!ではなく、自分の直感っつーか「面白い!」とか「知りたい!」って思ったことにただ忠実でいるだけで色々なことがマスターできるようでないと、まぁこっちでは勝負にならないって話だね。黙って哲学とか政治学やってりゃよかったのに下手に数学なんかに手を出すからダメになっちまったんだみたいになったらもう本当に最悪なのね。それが怖い。だからまぁ観察するしかないんだよね。この先一年ぐらいで。


でもなんつーかプリンストン出版とかのさ、大学でやる数学コースの全容が書かれたような本とか出てるからさ、理論的に理解したければそういうのにアタックすれば割とすぐなんだよね。そういうのは割ともう見えてるね。本屋では散々立ち読みしたしさ、どういう風な感じて進めていけばいいのかは大体分かったよね。今はまぁ数学とは?とかさ、数学史みたいなのとか概要とかが書いてあるのとかそういうのばっかり読んでるけど、まぁそれで形を完全に掴む感じだよね。で、具体的な公式だのなんだのっつーのはまぁテキスト的にまぁ気が向いたらやるぐらいのもんでいいんじゃないかと。まぁ俺としてはそんなテキストなんて読まずに面白そうな本ばっかり読んでまぁ知らないうちに色々覚えちゃってたっつーのが一番いいし、まぁそうしたいんだけどね。参考書とか買わなきゃいけないぐらいだったらちょっと地頭を疑うな。こんなんで俺大丈夫なの?っつー不安があるよね。


で、どれとはまぁ具体的には言わないけど、まぁ基礎とか通り越して一気に理論的なものとかも読んでるけどやっぱ理解できないところもあるんだよね。そういう時に凄く不安になるのね。それは基礎をやってないからだなって自分に言い聞かせることもできるけど、逆を言えばそこまでの地頭は無いってことじゃん?苦労して理解しなきゃいけないようなものがあったとしたらそれは結構ヤヴァイよね。哲学とかの場合、例えばハイデガーとかさ、カントとかラカンとかってっつーかラカンをここに並べるのもどうかと思うけど、ラクラウとかも明らかにまぁ難しいっつーか理解し辛いじゃん?で、こういうものに対して分かりづらいとか難解だって感じるのは自然であってさ、それはそれでいいんだよね。ただ俺が数学で心配なのは、ちょっと頭の良いやつだったらすぐに理解できるようなことが理解できなかったりするっていうことがあったとしたらもうそれで終わるなってことなのね。


いや、一歩ずつ前進していけばいいみたいな呑気なことを言ってられないのはもう明らかな事実じゃん?前みたいな実家のサポートがあればまたこれまた甘えられるって意味でまぁゆっくりやれたかもしれないけど、今はそれがリアルに無理になったからこそ卓越してないと成立しなくなっちゃってるんだよね。しかも上手いことにジワジワと俺をどんどん追いつめるような感じで状況が変わってきたりするじゃない?そういう逆境の中でまた色々と進歩してるっつーかさ、分かったりね、逆境じゃないとっつーか少なくともまぁ親に甘えられないって状態じゃないと得られないものとかを得られているって意味でまぁいいんだけどさ、だからこそ中途半端が許されないんだよね。上手いことギリギリでハングリー精神っつーか、どの道、卓越してないと話にならないっつー状況がそれを産むってこともあるかもしれないけどさ、やっぱでもついていかない部分ってあるかもしれないじゃん?どんだけハングリーになっても努力とかじゃどうにもならないレベルの話ってあるでしょ?そういうのがあるとしたら早めに知りたいと思うしさ、変に高いレベルに行ってから気がついたりしたら遅いからね、そういう意味でもまぁ早めにそういうのは知っておきたいってのはあるよね。


今のところ「知る」ということにおいて困難なことは全然無かったっつーか興味持っちゃえばそれが勝手に頭に入ってくるって感じでさ、だからまぁそれなりになんつーかまぁ自信もあったわけじゃん?「あ、俺、思ったよりバカじゃないんだ」って思ったっつーのはだいぶ前に書いたけどさ、数学ではまたそれが一からって感じなんだよね。「俺が馬鹿だったらどうしよう?」っていう渡米する前の不安っつーかさ、あのときの感じが今蘇ってる感じね。それはまぁさっきから書いてるように全く知らない分野に踏み込もうとしてるわけだからさ、だからまぁ知らないからこそ感じる不安なんだよね。だからこそ今の数学の授業みたいな「もう分かったからつぎいこーよー」みたいな感じが永遠と続けばまぁ俺の天下なんだよね。それがコミカレレベルではなく、アドバンスのレベルでもそれが続けば全く問題ない。ただ他の生徒が苦労してるような苦労を自分がしてしまったらそこはもう終わりなんだよね。所謂、俺はまぁ有り余った人材としてまぁ恐らくあえて雇用されることはないだろうなっていうことになるよね。それを知る可能性が無くも無いのが怖いって意味でまぁ渡米前の恐怖と似たものがあるってことね。


ただまぁそれは不安に思っててもしょうがないし、何より今は知ることが楽しいからまぁこれを続けていけばいいだけなんだけどね。


ってことでした。努力すればなんとかなる!っていう次元の話が元々嫌いっていうのもあるけど、まぁそんなレベルじゃダメだよって実家の状況からもアメリカの状況からも言われてるのがまぁ逆にいいのかもね。だからこそそう思えるわけでさ、怖いけど、まぁ中間が無いんだよってことは最初からまぁ分かってたことだからまぁ何を今更!って感じではあるけどね。


で、関係無い話なんだけど、ダヴィンチ・コードを見たのよ。思えばこれを見たのってこっちのペンステーションあたりの劇場だったんだよね。キューティーの従兄弟と見に行ったんだけどさ、思えばこれってもう3年前なんだよね。リアルに俺がこっちに3年いるんだなってのを感じたけど、やっぱり当然ながら当時字幕無しで見たときより明らかに話が分かるんで面白かったね。逆を言えば当時のリスニングは本当に酷かったなって思えたね。話の半分ぐらいしか分かってなかったなって思ったわけで。まぁ話は別にたいしたことなかったけどね。まぁ原作はもっと複雑らしいけど、そんなことより相変わらず凄まじいのがオドレイの殺人的な可愛さね。フロントミッションをやってるときにまぁエルザのフランス語訛りの英語が殺人的だってのは散々書いたけど、フランス訛りの女の子の英語ってなんであんなに可愛いんだろうな?


それはアメリカ人でも可愛いって言うと思うよねっつーか可愛いって言っているアメリカ人はいたね。やっぱそうなんだーって思ったけど、なんつーかスペイン語訛りとかさ、イタリア訛りとかって可愛さが微塵も無いんだけど、女の子っつーか可愛い女の子に限るけど、ロシア語訛りとか北欧系言語訛りはすげー可愛いね。でもやっぱフランス語訛りには敵わない。あの舌足らずなオドレイの英語は本当に最高だな。もう音声のアートだと思うね。「可愛い」という属性における、恐らく人間が知覚しうる中のその属性のもので特に上級のものというのが例えばオドレイの英語だったりエルザの英語だったりするんだろう。フランス人っていいよなー。デフォルトでなんつーかパリジャンとかパリジェンヌとかって言われるっつーかステータス高いしさ、英語喋れば可愛いしさ、母国語が最高にエレガントだしさ、他のアルファベット圏の言語を習得しやすいようになってるしまぁ良いことだらけだよね。日本人みたいなのがコンプレックスを持つ理由がよく分かるね。越えるに越えられない感じだもんね。フランスっつーかパリのイメージ。


男は男でジャンレノみたいなやつがフランス語訛りの英語を喋るとかっこいいよね。フランス語ってのは有利であるし、フランス人っつーのもなんつーか有利過ぎると思う。あんまこういうことは言いたくないけど、少なくとも外見的な部分とか物事の上辺だけっていうレベルでは最高のデフォルト値が高いよね。フランス人。だからこそ劣等感を持ったアジア人とかがコンプレックスを抱くんだよね。ここでさ、いや、でも日本は凄いんだ!ってあえて相対的な感じで日本を再評価とかってコンプレックスの裏返しっつーかまぁ負けを認めてるってことだよね。だから特になんつーか2000年以降ぐらいのプチナショナリズムとか対外的な感じってみっともないんだよね。元々はダサくないのにダサイ日本人達が日本をダサくしてるって感じなんだよね。別に最初からフランスとまともにやり合わなくても全然勝ってるっつーかあえて言葉に出すほどでもないところで素晴らしいところなんていっぱいあるのに、あえて見つけ出してきて誇るとかさ、相手を悪口を言いつつ日本はここが凄い!とかって言ってるのって最高にダサいよね。問題は日本文化じゃなくて、日本社会とそれを担うダサい日本人達だよね。これが最高に日本をダメにしている理由だと思う。日本がデフォルトで凄いなんてこっちにいればすぐ分かるよ。特にトーキョーって言葉が持っている独自の威力はパリのそれに匹敵するぐらいのものでさ、だからこそ別に俺はあえて今更日本が凄いなんて思わないんだよね。まぁこっちに来てやはり良い国だなっつーか潰すには惜しい国だって思うからだからまぁマーク・トゥウェイン的な外から見ることで生まれる良い愛国心だよね。まぁそういう愛国心からくる憂国心だよね。まぁ憂って言葉自体が心ってのを包括してるんでまぁ憂国心ってまぁ変な言い方だけどさ。


日本人に欠けているのはまさしくこれね。俺みたいな愛国者の見本みたいなやつが持っている良い愛国心を持ってないっつーのが最高に問題。だから国賊が蔓延ることになるし、変な間違ったナショナリズムを持ったやつらが暴走し始めたりなんかしてそれ自体が社会をダメにしていくことになるんだよね。だからこそっつーとあれだけど、俺が前から言っているのはまぁ戦前の右翼に学べ!ってことなんだよね。まぁそこで血盟団の話とか出てくるわけだけど、それは前に書いたからいいか。自分の国の首相の悪口を言っちゃいけないとかさ、自分の国のことを悪く言っちゃいけないとかさ、もう名前も出すのは嫌だけど、まぁある人も言ってたけどね、こういうのって本当に最悪なんだよね。自分の国だからって理由で悪いことにも目を瞑るっていうかさ、自分の国がやってることなんだからサポートするべきだ!みたいなのって最悪だよね?


でも今のダメ右翼ってこういう感じじゃん?で、国がダメになってるときなんてさ、党派性関係無しにそれは既存の政府とか政治家とかに批判的であるという意味では最高に左翼的になるし、血盟団がそうであったように革命的になるんだよね。こういう革命的な要素が無い愛国心なんて全部偽物だよ。俺に言わせれば。それはお国のために死ぬとかじゃなくて、どうせ死ぬんだったら国賊の一人でも打ち取ってから死ぬっていうさ、そういう精神だよね。まぁそれをテロリストとかって言うのかもしれないけど、俺は少なくとも権力に抗うテロリズムなら肯定できると思うね。それは前からずーっと変わらないな。だからこそまぁ俺が政治学とかやってもしょうがないっつーのもあるんだよね。なんつーか色々と考えてたら最終的に行き着いたのがエリート政治とあとは直接行動的なテロじゃない?もうこれ以上やっても無理だなって気はするよね。俺が何かをやるとしたらそれはテロになるわけで、それは家族からも止められてるから俺はやらないけどね。母親に言われたのは「あんたはそれで気が済むかもしれないけど、家族とか親族に迷惑がかかるからそれだけはやめてくれ」ってことなんだよね。もしくはやるんだったら誰に迷惑もかからないような形でやってくれと。


いや、まぁ俺はやらないから安心して。ただなんつーかNOVAの会長が暴力団に監禁されてたみたいな事件があったじゃん?で、こういうのがなんつーかさ、法とかじゃないレベルの天誅としてやってるならそれは全然アリだと思うのね。永井なんたら殺人事件ってのもあったじゃん?あのカメラが直接殺人現場を映したってやつ。あれも自称右翼の犯行だったけど、まぁあれを本当に天誅としてやったんだとしたらそりゃもう右翼の見本ですよ。マジで。老人達を搾取するだけ搾取して、あとは逃げようなんてそうはいかないぞ!法は命を要求しないが、俺がそれを許さない!っていうね、まぁこれもテロリストみたいな話だけど、まぁ右翼の精神ってこれだよね。優しくなった鈴木邦夫さんはテロを否定してるけど、やっぱ俺はなんつーかそれでもさ、言論でやっていくべき!って姿勢はやっぱある種の逃げだと思うんだよね。ポストモダン左翼とかが革命だマルクスだとか言っておきながら大学から出ないのとか見てると殺意を覚えるんだよね。俺は。そういう意味で俺は全然学者タイプじゃないんだよね。少なくとも思想に関しては。


それは結局マインドは10代の頃から変わってないんだよね。基本的にやっぱ革命家なんだよね。だから言論でとか言いながら政治理論とか言いつつ空論ばっか言ってる世界ってのが大嫌いってのがあるね。やっぱ政治ってのは行動しかないでしょってのはまぁ変わらないよね。そういう意味でまぁ俺はマキャベリアンなんだけどね。あーマキャベリアンっつーと意味が違うのか。これってサイコロジーのタームであるんだよね。自分勝手なやつっつーかさ、自分が得たいものは何も考えずにどんな行動をとっても得ようとする姿勢みたいなさ、そういうエゴイスティックなものを指すタームになってるんだよね。そういう意味では俺はマキャベリアンじゃないのは当然ね。前にも書いたけどフォルトゥナをコントロールする力としてのヴィルトゥね。で、ヴィルトゥはヴァーチューと同じ意味だけどマキャベリのタームでは意味が違ってくるんだけど、んでもプラトン的なっつーか政治哲学的なヴァーチューともコンパチビリティがあるっつーか政治哲学的なヴァーチュー無しにヴィルトゥはありえないからね。ヴァーチュー無きヴィルトゥってのはただの権力の横暴だからね。それが正当化されるのはヴァーチューによってでしかない。そういう意味でのパワーポリティクスとかは必要なんだよね。


で、アメリカ政府にこういうマキャベリアンが結構いるんだとかって勝手にさ、ネオコンとかの本を読んでて色々思っててさ、んで一時期、アメリカ政府には可能性があるとかって書いたけど大違いなんだよね。実際のネオコンの大半は政治のど素人ばっかでさ、伝説化するほどのスキルも無ければ、当然、シュトラウス派なんてのはほぼ皆無ね。いつも書いているようにシュトラウス派が政府にいればそれは理想的なステイツマンを意味するわけでさ、それはむしろ好ましいことなんだよ。でもまぁいないんだよね。で、結局はまぁ権力闘争ってことになっちゃうのね。で、まぁね、ありふれた話だよね。どの政府でもそうだけどさ、メディア操作とかポピュリズムとかね、政治云々よりかはそういう政治的手法のほうが重要になるのね。だからまぁーダメじゃんと。むしろ伝説化してたようなシュトラウスの志を受けついたネオコン達がマキャベリアン的な発想でパワーポリティクスをやってたならそれは最高なんだよね。世界警察の名にふさわしい権力者ってことになるけど、実際は全然そうじゃないんだもんね。イラク戦争っつーかまぁイラク平和化っつーか民主化っつーのも大失敗してるじゃん?ああいうお粗末な結果とかを見せられるとゲンナリするよね。で、オバマだなんだっつってもまぁ最近は全然ウォッチしてないけどさ、あいつはソーシャリストだ!みたいな意味不明な批判があったりさ、あいつはナチだ!とかさ、またバカの意見が色々あるわけじゃん?オバマの意志は分からんけど、政治的なビッグピクチャーを描けないモブ共がオバマ批判をし始めるって結局まぁ衆愚政治だよね。


期待してて損したとかさ、んじゃあ何を期待してたの?って話じゃん?で、政治的にはアンリアルなことを期待してたりしてたわけじゃん?もうだからダメだよね。ピープルが政治に介在してる限り政治は無理。だからこそ民衆にそんなもん任せてられないって意味でも結局はそういう理由でポピュリズムやらメディア操作なんかもある意味で正当化されちゃうしさ、かといってそうなると権力者の思うつぼじゃない?かといって思うつぼにさせてるのが民衆だってことでなんつーか完全に矛盾してるんだよね。政治って。そこでまぁさ、政治哲学者とかが、政治とは矛盾の解消だとかさ、闘争を続けることだ、とかさ、まぁ色々言うけど結局、ああいうのって政治っつーのをネタにして哲学やってるだけでさ、リアルなのって少ないんだよね。まぁムフとかコノリーはいいと思うし、フーコーとかもまぁ有効だとは思うけど、ただなんか別に没頭するほどでもないよね。大体分かればいいやって感じだよね。俺がやりたいのは実行なんであって研究じゃないんだってのは本当によく分かったから、だからこそまぁ政治学をメジャーにするとかってまぁ良い意味で諦めがついたんだよね。まぁ良い意味でも悪い意味でも無駄だなっつーのがよく分かったジャンルっつーかなんつーかまぁ俺の場合、政治思想だからさ、まぁ無駄だよね。比較政治学とか国際関係学とかそういうのは別よ。そういうのはプラクティカルなものとしてすんげー必要だし、俺は政治学を批判したいんじゃなくて、俺がやろうと思ってた政治学の中のサブカテゴリーってのはまぁ勝手に趣味でやってればいい次元の話なんだなってのがよく分かったってことね。


そういうのもあってまぁある意味でだからもう政治学とか哲学って選択肢は無いんだよね。これらをメジャーにするっていう選択肢は消去法的に言ってもう無い。そんな中で数学を見つけたんでだからこそ飢えをしのぐかの如く食らいついてるっつーのはあるかもしれないね。虚無感を埋めるファンタジーとしての数学ね。俺がなんでこんなに数学に惹かれているのか?って理由は客観視すればするほどどんどん出てくるよね。まぁ今書いてるのもそんな一部でしかないんだけど。


そういうのを分かった上でやればまぁ理由も動機も明確で迷いが無くていいよね。政治学とか哲学の場合、相当それが微妙だったっつーかやりながら探していった感じで、んで今は自分なりに付き合い方が分かったんでだからまぁ専攻ではないなってことになったんだよね。いや、それを専門にしないって意味じゃないのよ。それは今まで通り続けるしね、政治哲学に愛想をつかしたってことじゃなくて、それは勝手に自室で今まで通りやりますよってことなのね。それを外でもやろうとしてたけど、まぁそれはやめようじゃないかという提案ね。


あと現存のリアルタイムの政治哲学で言うと、例えばバディウとかジジェクとかクリッチリーとか見ててキツいよね。ジジェクは個人的に好きだけど、なんつーか政治思想の切れ味の鈍さが半端じゃないんだよね。優等生がやってる政治哲学だからしょうがないんだけど、極めてもあれじゃ先が見えてるよね。あのぐらいになれたら相当御の字じゃん?逆を言えば御の字でもあんぐらいっつーのが見えてるんじゃやる価値無いよね。特にバディウとクリッチリーの優等生哲学は読んでて吐き気がするな。マジで。絶対いざとなったら日本刀一本とかで政党の事務所とかに突っ込んでいくような気迫が無いじゃん?あとまぁあれだわ、ランシエールもまぁ同じ感じだね。で、バディウとかクリッチリーとかジジェクとかランシエールっつー小さいサークルの中でお互いに褒め合いをしつつ討論とかをしてるのとか見るともう本当にくだらねぇー世界だなって思うよね。


ああいうのがアカデミアのトップに君臨してるなら先が見えるじゃん?で、ああいうやつらを言い負かす政治理論って何か?っていうと直接行動しかないよね。バデュウとかも読んでるとなんつーかまだ毛沢東への傾倒があったりしてさ、武力をほのめかすようなことを言ってるんだけど、色々と言葉を巧みに操ってなんかそれらしく見せるだけで終わってるっつーかさ、んだったら誰でも理解できる過激なパンフレットとか書いてさ、アカデミアとか追放されてもいいからそういうのを書くべきだよね。本当に過激なことを書きたいんだったら。なんつーかアカデミックな中での自分の立ち位置とかキャリアとかを気にしてる感じがすげー嫌なのね。まぁそういう意味でネグリは過去は行動の人だったから評価できるんだけど、実際やってる政治哲学がロールズ並の現実味の無さなんで本当にダメだよね。


ハートとかもそうだけど、活動家タイプが必ずしも良い政治哲学者になるとは限らないっていう良い例だよね。こういうのを見ても本当にダメだなって思うし、まぁこれは色々と読んで分かったことだからいいんだけどね、まぁ読まなきゃ分からなくてさ、んで散々学費とか使いまくって「いや、結局無理って結論に至りました」じゃ最悪じゃん?そういうのをやる前に分かったから良かったなって気がするっつーかまぁ自分でやったから分かったことだよね。だからまぁやる前っつーのはおかしいか。だからやっぱ独学って一番いいよね。一番お金がかからないし効率が良いし本当に最高だね。数学も多分同じだろうな。ある程度基礎やっちゃえば後は自分でできるってことに落ち着きそうだな。ただいつも書いてるように数学はまだ分からないけど、未知の分野だから今から一年後でも学校から学べることはまだまだあるっていう可能性はあるんだよね。だからまぁあえて学校でやる価値がある唯一残った思想的で哲学的なものってことだよね。


次はファイトクラブ見ようと思ってたんだけど予想以上に長くなったんでもう寝るかな。まさかこんなに長く書くとはね。前に言ったようなさ、日記程度の軽い更新でもいいから更新しようかなっていうさ、短いやつでもちょっと思ったこととか覚え書きとかさ、そういうのでもいいかな?とか思って書き出すと長くなるっていうのが多いね。いや、ちょっとの更新のつもりが長くなる場合も多いんだけど、分けるほど長くなるやつはやっぱ書きたいことが山ほどあったときだよね。ああいうのは書きたいことが溜まってる時に精液の如く放出する感じなんでね、だからまぁ長くなるよね。


なんかさ、でもウォール伝でも月並みだけど政治の話とかさ、実存やら人生の話とかさ、知覚についてとかさ、いつも色々書いてるからなんつーか俺が思いつくようなことはもう大半がどっかに書いてあるんだよね。どこか自分でも分からないけど過去のエントリーをディグれば出てくるっつーのが結構多かったりしてさ、だからまぁ結構書き尽くした感はあるよね。今日のポピュリズムがどうとか権力がどうとかって久々に政治関係のことを書いた気がするけど、まぁ言ってることは前と一緒だもんね。だからまぁ別にあえて繰り返す必要も無いんだけど、でもなんかああいうのが自然に出てくるってことはまぁ自分の中である程度体系化された考えが出来上がってるんだろうね。完全ではないし、それは今後も極め続けていくつもりだけどさ、でもだいぶ落ち着いた感じはあるよね。知りたいことは大体知ることができたっていう感じだよね。っつってもまだ読まなきゃいけないのは政治関係でも山ほどあるし、シュトラウス研究は相変わらず続けていくし、なにより凄まじくデカイビックサブジェクトがプラトンだよね。これの文献の量が半端じゃないんで本当に時間かかるだろうなって感じ。プラトンの原著から研究書やらさ、膨大なんだよね。まぁ思うにシュトラウス派界隈の人達ばっかのものだけどね。いや、結構な量ですよ。マジで。


哲学で読むのがあって政治学で読むのがあって数学で読むのがあってっていくら時間があっても足りないよね。だからもう学校に行く時間は勿体なくてしょうがないんだよね。基本的に読書ってのがあるからレジャーに使う時間以外のものって本当に無駄に思えてくる。数学の授業はいいけどね。だから学校ではもう数学しかやりたくない!ってことで数学専攻は決定じゃないか!何を迷っているんだ!俺は。やるしかないでしょ。だってどう考えてもそれしかないじゃん?政治学と哲学がもう無いわけだからさ、消去法でも数学だし、やりたいことでも数学だし、まぁどの道数学じゃんね。あと話は違うんだけど、なんかさ、プラトンとかを読む場合ってなんかもう味わうって感じでさ、完全に趣味の世界なんだよね。元々まぁ全部趣味の世界なんだけど、特にシュトラウスプラトンに関しては他の思想家にはないようなそれ自体を味わうみたいな読み方ができるから、やっぱ俺がやることって研究じゃなくてただ味わうことだよね。ってことでまぁ哲学とか政治学を学校とかアカデミアでやるって話はもう無くなったってことで、まぁもう数学ですな。本当に。これしかないでしょう。


ってことで恐ろしく長くなったけどこの辺で。

数学的センス (ちくま学芸文庫)

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