未来の自分から金を借りる。

mimisemi2010-09-29

結構空いたなぁーとか思ってさ、んでも一週間ぐらいなのね。いや、悪いけど毎日充実しまくってるよ。いや、何がって読書。それこそこの三昧っぷりはニューヨークの夏休みみたいな感じだよね。一時帰国して本買いまくって戻って読書三昧みたいな。


んでもなんか全然なんつーかあれだ、書きたい欲が無いな。全然なんつーか無いし書きたいことがないしまぁなんつーか充電期間なのかな?とか思ったり思わなかったり。まぁ放電してないじゃんって話なんだけど。まぁインプットの時期ってことですね。だからまぁあんま更新とかしないかもしんない。あとはまぁイベントが少ないよね。毎日同じような感じで読書してナンバーズ見て寝るだけだし。でも懸念してたさ、物理空間に対するawarenessがあることによって妨げられる抽象思考みたいなのは思ったよりないなっていうかさ、それがまぁ馴化ってことなんだよね。前に書いたけどまぁあまりに同じ過ぎるからゲシュタルトが崩壊してくるっていう。ただそれに絶望はしていなくて、まぁニューヨークでも感じていたような変わらない日常だよね。まぁ毎日大変じゃないから呑気なもんかもしれないけど。


ところで理科大繋がりってわけじゃないんだが最近秋山仁の本を色々と読んでてさ、あとでまぁ貼るけどさ、この人は典型的ななんつーか知的好奇心に動かされて数学やってきた人だなっていう。いや、実際、タレント数学者みたいな感じだから数学者としてどうなの?とかってまぁみんな思ってるだろうけど数学者としての貢献もデカくてさ、それは啓蒙活動以外にも数学者としての業績が特にグラフ理論みたいなのでは日本の先駆けみたいな感じだったらしくて。誰もやってないことをやろうっつーか競争すると他の頭が良さ過ぎる数学者に敵わないから誰もやってなさそうなことをやろうってことでグラフ理論を開拓したらしいんだけどまぁ詳しいことは本を読んでくれ。


いや、でもやはり気になったのがさ、こういう世代の人はみんな思ってるんだろうけどさ、いや、全然数学と関係無いところでね、いや、自立ってことなんだがさ、秋山仁曰く、とりあえず親元から離れれば自由っつーか親からのプレッシャーとかも無いしっつーかサポートされてるとそれだけでプレッシャーだし、何よりまぁ全部自分でやるために学費まで全部自分で払うためにバイトをしながら大学に通ってたらしいんだけど実際は全然大学に行ってなかったっていう。


そのなんつーか俺が批判している自立幻想だよね。俺は秋山仁を批判する気は全く無いんだけど、このなんつーか「親元を離れる」って一種のなんかステータスっていうかバイタリティを計る何かっていうかさ、見せる何かっていうかエライでしょ?みたいなさ、でもそれってまぁ幻想だと思うんだよね。いや、単純に考えて大学生の仕事は勉強をすることだよね。バイトするのは偉いけど、んでもその自立やら自活やらのために学業が疎かになってしまっては本末転倒だよね。


いや、それでもまぁ自分で金払って生活して学費まで払ってるってまぁエラいのかもしれないけどさ、でもまぁ別にそれって個々の価値観だよね。俺はやっぱ勉強するのが第一だろうって思うわけで。だからさ、そういう意味でも格差なんよね。自立とか関係無しにさ、いや、最強なのはね、金を湯水のように使えてっつーか生活に困らないで行きたい大学に行けてずーっと勉強できるって人だよね。まぁ客観的に言えば俺みたいな脛かじりでさ、まぁそれが大学生とかだったらまぁいいんだけど、んでも別にバイトすることが大学生らしいことじゃないでしょっつーかさ、むしろ勉強できる時にやりまくるってのが親の臑をかじる醍醐味だと思うんだよね。醍醐味っつーと変だけど養ってもらっている限りはまぁ何かやらなきゃいけなくてさ、いけないって言い方はあんまり好きじゃないんだが、それは別に必ずしもバイトじゃないわけだよね。


自分の可能性を計る何かみたいなさ、抽象的でバカバカしいようなことでも親がやらせてくれるうちはやっておけばいいと思うんだよね。恥ずかしがらずに。だからまぁそれは別に恥ずかしいバンド活動とかでもいいしさ、まぁなんでもいいわけだよ。ただまぁそれにも限りがあるからさ、それはやっぱ自分のケツは自分で拭けだよね。糸井さんとの対談で永ちゃんが言ってたことだけど。それはボトムラインとして必要だけどプロセスの中では別に引き蘢りの時期があったっていいし脛かじりの時期があったっていいわけだ。まぁ自分の生活の正当化みたいになっちゃうけどね。


まぁ労働すれば一人前なのか?ってそれは違いますよね。やっぱ。やりたい仕事とかなりたい自分になれるとかさ、あとはまぁ後悔しないような道を選択するとかさ、とりあえずまぁ狂わないような道を選んでやっていくってのが自立っつーかまぁ自分の道を歩むってことですよねっていう。レールに乗ってきてさ、んで一流企業に入ったはいいけどパニック障害になって退社とかそれじゃーやっぱダメっつーかさ、いや、パニック障害はいいんだけどさ、パニック障害になるぐらい狂うような環境っつーか合ってない環境に身を置いちゃうとかってやっぱダメだよね。


それはまぁ自分が分かってないっつーかさ、自分の道を歩めてないよね。歩めてる風に見ても実際は歩めてないって人が大半だと思うしさ、んでもまぁそんな中で妥協したりしてやってるのかもしれないけどさ、つまりはそういう道みたいなのを見極める時期ってのがもっと長くていいんじゃないかとってことだよね。なんで大学卒業したらすぐ就職っつーかさ、あとはすぐ自立みたいになるのかね?っていうさ、まぁ脛かじり過ぎもどうかと思うけどさ、俺の場合はまぁ典型的な夢追い人みたいな言い方になるけどさ、親のすねを齧ってるっつーよりかはさ、未来の自分から借金をしてる感じだよね。出世払いってつまりはそういうことだよね。今は凄く自分の人生全体ということを考えても凄く大事な時期だしさ、そういう時期にやりたいことやりまくれるっていうかさ、インプットしまくれるっていいよね。


「あーもっと勉強しておけばよかったなぁー・・・」とかって勉強してこなかったやつって誰でも思うと思うけどさ、別にそんなこと思うんだったら今からやればいいんだよね。未来の自分から借金をして大学とか行きなおせばいいわけで。人生なんて二十代前半とかに定まるわけがないんだよね。そんな定まらない時期に決めたことなんて大抵まぁ間違いだろうっていうか逆にそういうのが見つかる人ってレアですよねっていう。それでも昔はそんなこと言ってられなかったって分かるけどさ、でも今は言ってられる余地がある人もいるわけだし、言ってられるなら言ってられるうちに自分の道を探したほうがいいんじゃない?って思うんだよね。それこそがまぁ人生のオリジナリティってことだと思うわけよ。自分で作る人生だよね。でもまぁケツは自分で拭かなきゃいけない。


変な話、親が死んだらどうするの?とか言われ続けながらニート続けて親が死にそうでマジで「ヤヴァイ!」って思って何かを始めるとかやり直すでもいいと思うのね。それは遅過ぎるけど始めないよりかは全然いいし、そんぐらいずーっとニート続けてきた自分のケツを拭くって意味でもまぁそこまで危機感感じるまで感覚が麻痺しててさ、んでヤヴァイ!ってなってから動くんでもまぁいいと思うのね。少なくともそいつにとってはそんぐらいになるまで分からなかったわけでさ、その分かるって感覚がそいつに訪れただけまだいいじゃない?っていう。


俺もまぁ本当に遅かったからねぇー。自立の必要性をマジで感じ始めたのってここ3年ぐらいだからね。アメリカ行って二年ぐらい経ってからか。まぁ遅過ぎるよね。一般的には。まぁ親は死ぬ年齢ではないが。でもかといって自立ということに囚われ過ぎて自分の行く道を見失うってのもダメだと思うからね、そのへんのまぁバランスですよね。俺が仮に自立自立って言い始めたらまぁハロワで3K仕事とかさ、どっかの工場とかまぁそんぐらいしかないでしょ。


仮にまぁもっと良い条件の労働があっても俺はやらんけどね。どうせ頭がおかしくなるのは目に見えてるからそんな道は選ばない。月収20万そこそこでさ、自分で自立して生きてますって言うだけのために労力費やして発狂するなんてバカバカしいからね。だからなるべく自分に合った仕事を見つけるしか俺はやっていける道がないわけだから探すわけだよねっつーかまぁ準備するわけだよね。贅沢だって言われそうだけどまぁこれ以外に無いわけでさ、贅沢も何も過去の経験から言ってるわけでさ、合わないもんは合わないのよ。やっぱり。それでまた鬱とかパニック発作が酷くなってもしょうがないからね。


そういう意味でのまぁメンタル面でのリスクマネージメントだよね。メンタル面で言えば最善の道は引き蘢りなんだがそれは俺はやっぱ嫌だし、家的にも無理だからやっぱ自立せなあかんわけだけど、メンタル面に優しい仕事なんて滅多に無いわけでさ、んでもそれしかないからまぁそれに向かって進むわけだよね。まぁ具体的にどの仕事!ってのは無いんだけども。


どうもやっぱ甘えっぽく聞こえるんだよなぁー。このさ、できないって思ってるからできないんだみたいな精神論あるじゃない?あとはまぁ家が無かったらそんなこと言ってられないよみたいなぬるま湯理論ね。秋山仁もある意味で今の若者にそういうぬるま湯理論を言ってるのかもしれないけどさ、でもまぁなんつーかぬるま湯にはぬるま湯なりのリアリティってあるわけじゃない?俺の精神的な脆弱さがぬるま湯によって作られたとは思わないからね。俺は。まぁ敏感さって意味でまぁ中学で登校拒否になったのは必然的だったろうなっていうかさ、まぁもっとまともな学校行ってれば違ったんだろうけどさ、でもまぁそれは今からやり直せるからね。俺の場合。まぁ公立ってリスク高いよね。


バカが多いのはしょうがないけど教師もろくでもないのが多いから本当にどうしようもないなっていう。そういうので道を誤る若者が多いっつーのもあるよね。教師達がミスリードしてるっつーかまぁ教育って意味だと本当に教育とは対の概念だと思うんだけども。いや、やってることがね。全部が全部そうだとは言わないけども。まぁ無理なんだけどね。良い教師ってレアだから公立の全てにそういうのをプレイスメントするなんて無理でさ、あとはまぁ変なダメな村社会みたいなのが形成されてるからちょっと手法が違う斬新な先生とかは教師の側からいじめを受けるみたいな。まぁサラリーマン社会ですよね。


でもまぁこれはようはアヴェレージ社会ってこういうことなわけで、俺は俺の能力とか関係無くとりあえず決まっていることはそういう社会ではどう足掻いてもやっていけないからだからアヴェレージには飲まれずになるべく上を目指すってことだよね。無理だったとしてもそれしかないからそれをやるしかない。あとはそういうアヴェレージと関わらないでも生きていける方法を模索するとか。とりあえずまぁそれがダメだというのは分かりきっているから選ばないわけだ。まぁその選ばないっつー選択ができるのは親のおかげでさ、だからこそ今の時間ってすげー貴重だと思うのね。


親から見れば無駄に過ごしてるっつーかそうは思ってないんだろうけど家から出ないから前の引き蘢り生活と変わらないじゃん!って思ってるんだろうけど、昔はゲームばっかやってたのに比べて今は読書っつーか学問系なんだからいいじゃんっていうね、まぁ差はたったその差なんだけど、仮に学問で無理って言われてもまぁ今の所自分にとってはそんぐらいしか選択肢がないからとりあえずそれをやるんだよね。コンビニでバイトするとかよりかは絶対やる価値があるわけだからまぁそりゃーリスクとか関係無いよね。それしかないわけで。まぁそれを選択した中からまた見えてくる可能性っていうのはいいんだよ。でも大前提としてまずは道を選ぶってことがあるよね。


で、あとはもうそれこそ秋山仁が言ってるように無から有を作り出すだよね。常識的に無理とか言われても自分で壁を壊していくとか道を作っていくとかそれしかやりようがないんだったらそれをやるしかないわけでさ、だからまぁそれをやるんだよね。その道作りは別にニューヨークにいなくてもできるし、仮に道が作れればいつでもアメリカなんて行けるわけで。まぁそういうことですよね。


未来の自分から金を借りてるんだ!なんて言っちゃったらもうその未来の自分っつーか財源を自分で作るしかないからね。未来から金を借りるってそういうことよ。俺はそういう感覚でまぁずーっとあっちでもやってたんだけどね。だから割と平気で金を使うんだけどもそれは変な自信があるからなんだろうね。まぁそんぐらいの自信とやる気が無いと道なんて作れないからね。


逆を言えばガンガン借金を作るぐらいのバイタリティが無いと石橋を叩いて渡り過ぎて何もできなくなるっていうか石橋を叩くことぐらいしか自分にできることがなくなるっつーかさ、なるべく金を使わずにそーっとだましだまだし・・・ってやっていくとそれでやっていけたりするからね。まぁ極貧のバイト生活を一生続けるってことなんだが、俺はそういうのは嫌だから。だから未来から金を借りまくって今できることをやりまくるんだよね。


それによって未来の自分に近づくっていうか未来の財源を作るっていうか。まぁ金をガンガン使え!とは言わないけどさ、まぁでも俺は金使い荒いよね。まぁ本だけど。親に散々やめてくれって言われてもマーケットプレイスとかでも買い続けるっていう。まぁだいぶ買ったからもういいけどね。出版業界には良くないけどんでもマーケットプレイスで激安の本を買うとかさ、オールドエディションを安く買うとかってのもまぁ今の環境から得られた智慧だよね。1円の本とか買いまくってるけどさ、まぁ本当に出版業界には良く無いんだけど、でもまぁ背に腹は変えられないっつーかまぁ金を得られるようになったら新品を買うようにしようっていうかなんていうか。1円の本とか激安の本とかって映画をダウンロードみたいな罪悪感があるよね。


いや、これってデフレなんかな?マーケットプレイスはヤヴァいよね。あれは誰も新品買わなくなるだろうっていう。オールドエディションを安く買うってあっちのコミカレで貧乏なやつらがテキストをそんな買い方をしてたけど大学っつーか出版業界的には困ったもんだよね。だからまぁどんどんニューエディション出すんだよね。あっちのテキストって。売るためでしょ?あれって。


いや、なんか結構長くなってるね。書き出すとまぁ相変わらず止まらんのだよね。いや、でもマーケットプレイスってマジで罪悪感あるな。俺って新品買いがデフォだからすげー罪悪感を感じる。まぁブックオフで買うよりかは全然いいんだけどね。ローカルな古本屋とかも出品してたりするからそういうところの利益になったほうがブックオフなんかよりよっぽどいいからね。んでもまぁ新品の本マジで売れなくなるよなぁーっていう。そもそもまぁホント、金無い人が多いんだよね。人が何かに金を出すっつーハードルが上がりまくってるよね。マジで。


そんな中で時代を逆行するかの如く湯水のように本を買っていた俺だけどいよいよ無理になってきたから今度はマーケットプレイスがメインになるなっていう。まぁーしょうがないよねー。んで意外にマーケットプレイスで欲しい本が安く変えちゃうってのが怖いんだよね。それが罪悪感ってことなんだよね。良いコンテンツに金を払わないってどうなのか?っていうことだよね。ましてやそこから知識を得てるのに俺はペイしてないっていう。そこにすげー罪悪感を感じる。エンタメ的な音楽とか映画なら正直罪悪感はゼロだけどやはり知識に関わるものには罪悪感があるよね。だからこそ俺は金を払いたいわけで。でも読む量が尋常じゃないからまぁそんな感じでやってると財政破綻するっていう。


まぁそんな感じですね。あ、んで高木センセのさ、代数学講義ってのを買ったんだけど、つまりは俺はさ、なんで高木貞治の本を買うか?っていうとなんであんなに盲目的に支持されてるのか?っていうかさ、格調高いだのさ、理系のバイブルだのっていう、なんかある種の共産党宣言的な毛沢東語録的な盲目感があるでしょ?実際は絶対まぁ特に解析概論なんかは古過ぎるっつーかさ、専門家から言わせれば色々と突っ込みはあるんだろうけどさ、俺はそのなぜそんなに支持されるのか?ってのが気になるんだよね。他にも良い数学書なんて今は市場に溢れてるだろうにさ、んでもなんでいまだにありがたがられて読まれているのか?ってのが不思議でしゃーないわけだよね。


前にも書いたように俺は個人的に高木貞治は大好きだけどあの盲目的な崇拝されっぷりは凄く大嫌いだからそれを知りたいがためにもまぁ歴史的な意味から読んでるのかもしれないね。まぁどこが良くて悪いのか?って解説できるぐらいの数学力はまだないけどまぁそのうち分かるようになればいいなっていう。その時にまぁ理由が分かるんじゃないかなってことだよね。


いや、ただの崇拝っつーか昔の名残って大いにあると思うけど。前にも書いたあれね、ライ麦畑を中学になったら読むみたいな言い伝えね。別にまぁ中学になったらウォール伝とか読んでもいいわけだしさ、まぁそれは半分冗談にしてもまぁでもサリンジャー中二病っぽいフレーバーってウォール伝にもあるでしょ?それを俺は言いたかったわけだけども。まぁ青臭さはいいと思うけどね。イカ臭さは良く無いからシャワーは浴びるようにしてるけどね。家族に迷惑だからね。まぁ俺ってなんかさ、オリジナリティってのにすげーこだわりがあってさ、んでも眼鏡にしても日傘にしてもスタイルにしても時代が追いつくわけだよね。みんな俺の真似をするわけだ。


いや、これまたジョーダン12.5だけどもさ、つまりは究極的なオリジナリティって生き方だよねっていう。まぁその根底には思想とかってのが必要だからまぁ常に研ぎすましておく必要はあるんだけどさ、仮に書いたものとかやったものとか作ったものにさほどオリジナリティが無いにしてもさ、それが俺の人生っつーコンテキストの中で発信されてればそれって俺の人生っつー大部分を見ればまぁオリジナリティっつーかまぁ全体を見てオリジナリティを規定する要素にはなるよねっていう。個々がオリジナルじゃなくても作品とかなんたらってことじゃなくて人生っつー全体像を見た時にオリジナルだよねぇーっていうまぁそういうことでもいいんじゃないかってことだよね。


あまり一個一個に目先のオリジナリティとか斬新さってのを求め過ぎてもしょうがないし、それはさっきの自立幻想と一緒だよね。それもまた一種のオリジナリティ幻想なんじゃないか?っていう。もっと大観で物事を見なきゃいけないってことだよね。つまりは。総合性の統合性みたいな。総合性によって要素が統合される感じだよね。まさしくまぁintegrityだよね。スキゾな俺が言うのもなんだけども。


それにしても腹減ったな。バナナでも食おうっと。それにしても学費とか分からんけどとりあえず大学には余裕で受かるよーとかって簡単に言っちゃったからなんかマジで受からなきゃいけない感じになってきたよねっていうかさ、仮にすぐ受けるとしたら割とすぐだよね。受験戦争とかに飲み込まれてないからさ、仮にレベルが下がってるとは言えFラン大学に行くわけじゃないんだからさ、それはまぁ考えなアカンよね。かといって参考書とか退屈過ぎてやる気がしないからだからまぁ面白い数学書とかさ、さっき書いた高木センセの本とかさ、自分が楽しめるのをベースにさ、ただんでもなんつーか受験っつーdutyもありますよーってことで読書のウェイトを数学書に置くみたいなさ、そういう戦略は必要だよね。それがまぁまだイマイチできてない気がするな。


今は図解雑学とかで概念を理解してる感じだから。遅過ぎか。それにしても微積分ってやればやるほど面白いよね。まぁこれも本にもよるんだけどね。数学ってダメな本でやるとマジで嫌になるね。あまりにつまらな過ぎてっていうかなんていうか。いや、これは教師とか授業然りだよね。そういう意味で高木センセの本は知的刺激を刺激する何かはあるなってのは読んでて思うね。なにしろつまらなくないから。ハーディの本とかもそうだけど。全然読んでないけどね。まぁ参考書ってつまらないのは当然だよね。特に受験用のって受験の攻略本なわけでさ、数学書じゃないからね。


ここが今回の俺の最大のweak pointだよね。受験に凄まじく興味が無いから恐らく対策はできないだろうっていう。だから面白いと思う数学書で受験対策をするしかないなってことだよね。まぁみんな本当に苦労してんだなぁーって受験とかを調べると分かるけどなんかお疲れさまって感じだよね。御愁傷様っつーかなんつーか。そもそも学問って苦労するもんじゃないだろうっていう。学問が苦学になってるのがすげー気に食わないんだな。俺は。だからあんなのに付き合う気は全く無いわけだ。俺は俺なりにやる。今までもそうやってきたわけだしさ、今後もまぁそうするしかないよね。だってさっきの話じゃないけどそういうやり方しかできないんだからさ、まぁ細かいfixはしつつも自分なりにやってくしかないよねってこういうこと言ってるとそもそも大学行く動機が無くなるんだけどね。全部自分でできるじゃん?っていう。まぁその話はいいか。


ってことできょうはこの辺で。