お買いもの中毒な私!を見たんだが。

お買いもの中毒な私!っつー映画を見たんだが素晴らしい断捨離映画だった。基本的にフォーマットはプラダを着た悪魔っぽい感じでスタイリッシュなニューヨーク映画なんだが、こういう一見軽い感じに見えるアメリカ映画によくある人生への示唆とか国への批判とか皮肉が込められててなかなか良かったね。まぁ買いもの中毒から断捨離に繋がるって流れで見れば分かるようにストーリーはそのままなんだけど、買いもの中毒の人の心理をよく描けてるっつーか俺もそうだからよく分かる。「買う」という行為自体に快感を感じるというか、まぁそれは脳科学的にもそうで、ドーパミンだかとにかく快楽物質が買う時に放出されるから、それがやめられなくなってまぁ一種の麻薬中毒みたいになるっていうまぁ原理としては同じなんだよね。細かい違いはあれどパチンコ中毒とかも一緒だろうね。「きたきた!」って感じに中毒になるっていうか。


でもさ、資本主義って基本的に剰余が必要じゃん?何にしても。必要なものばかり買ってたら娯楽産業とかさ、それこそ3DTVとか電気自動車とかいらないじゃん?他にももっといらないのいっぱいあるけどさ、でもまぁいらないのを買う人がいるからこそ回ってるシステムじゃん?いらないって言い出したらいるのってホント少ないからね。それこそまぁレコードを掘る快感ってこれなんだよね。ヴァイナルジャンキーも色々あると思うけど、俺はまぁ所謂買いもの中毒だったなと。で、今はそれが書籍にシフトしてるだけで治ってないんだよね。毎日まぁ苦労はしてないけどつまらないからさ、やっぱたまに快感を求めたくなるじゃん?で、めちゃめちゃ興奮するのがやっぱ本屋なんだよね。で、頭は常に欲望することを探しているから例えばこないだの場合「物理学のコーナーをあさってみよう!」とかって思うわけじゃん?みるだけっつってすげー買っちゃったわけだけどさ、支払い能力が無いくせに買ってるから何かを手放すハメになるんだけど、まぁこれはこれでいいサイクルではあるんだけどね。


俺の場合、断捨離というよりかは今必要なものを買うためにいらなくなったものを売ってそのお金で買うみたいな物質的な循環だよね。場所も限られてるしさ、何しろ管理しきれなくなるから捨てるというよりかは売ってそのお金で今必要なものを買うっていうさ、俺ってそういう意味で無駄遣いはしてこなかったから使ってきた金ってのがなんらかの物質的なものに変換されてるんだよね。もうさすがに底をついてきたけどさ、でもまぁ帰国後半年とか結構無茶な量の本買ってきたけど払えてたからね。まぁいつもギリギリだったけど。


ギターとかも全然後悔してないからね。あれこそまさしく「やりたい!」って思って買ったらさ、そこから色々広がったじゃん?今はだいぶ一過性の熱は冷めたけどでもまだ好きっつーか最近はベースやりたいんだけどね。あとはノイズ系でも他の方法論を探さないとなぁーとか思ってさ、結構出したい音を短期間で集中的にやった結果、出せるようになったりしちゃったから結構やることない感じではあるんだけどね。まぁ強いて言えばスタジオで爆音だよね。で、アンプに繋いで爆音でやればさ、まぁギターってそれで完成系じゃん?だからそこからのまた音作りとか模索が始まるんだけど金が無いしそんなしょっちゅう行けないだろうからさっつーかまぁ一回は行ってみるけどね。でも今は寒いからっつーか機材運ぶの大変なんだよなぁー。


まぁいいか。んでなんだったっけ?まぁようはあれなんだよね、モノに機能を持たせるってことだよね。いや、レコードとかも思い入れがあったりさ、一時期すげー好きだったりしたやつとかも相当売ったわけっつーのは前にも書いたようにさ、今はそれらをあえてタンテに乗せて聞いてないっつーさ、強いて言えば「これアナログで持ってるよ」ってコレクション自慢するか、あとはまぁ棚を色々と見ながら自己満足するかだよね。実際聞いてるのなんか全然ないわけだからまぁ俺的にはもういらないなってことでさ、まぁいらないし、今は本が欲しいからだからまぁその費用に回してる感じだよね。


ただ本にシフトしたのって結構前だからさ、本でのお買いもの中毒ってのも結構長いんだよね。紀伊国屋とかで高いのにありえないぐらい買ってたし、B&Nとかでもかなり買ってたからね。だからもうあんま買うのないっていう。新書とかって安いし「一冊」とかさ、あとはすぐ読めるから読んだ感があるじゃん?「一冊読んだ」って言えるみたいな。そういう安易さってあるんだよね。知的に相当ヤバい安易さだよね。そういうスパイラルに一時期相当ハマってたよね。そのおかげで今はもう買う事もあんまりなくなったんだけど。


今は逆にもう古典とかさ、まぁ古典と言えるか分からないけど、フーコー・コレクションとかアレントの本とか、文庫で安くてゲンナリするぐらい分厚いって本を読んでるよね。だからまぁ数買わなくて済んでる感じだけど、それでは買いものの快楽が得られないから、だからこないだはまだあんまり持ってない本ってことで物理学にいったんだろうな。脳が完全に欲望を求めてるんだよね。で、2時間とかずーっと本屋にいたんだけどさ、まぁ昔から俺そうなんだよね。


映画にハマり倒してたころはツタヤで100円の時とかに20本とか借りてみてたしさ、そのおかげで半額クーポンとかしょっちゅう来てたんだよね。普通の人だったら払えるけど見る時間が無いっつーさ、それが俺には無かったっつーか時間が腐るほどあったし今もあるから普通の人がやれないようなペースで本を読んだり映画を見たりできるんだよね。その結果、まぁ結構大体のものは見たり読んだりしちゃうみたいな。まぁ音楽もそうだけどね。で、今の所もう見通しがついてないよね。欲望がどこに行くのか分からないっつーかそろそろもう無くなってきたなって感じっつー割には色々買ってる気がするけど。


まぁ俺はさ、あんまり買わない!みたいなさ、そういうの嫌いなんだよね。むしろ買う為に売るみたいなそんな感じだよね。それで物質的なものを回していくみたいなさ、それがなんか動力みたいになってる気がするんだよね。それが回ることで俺もアクティブでいられるみたいな。今はまぁ出費と売ったものの収入のバランスがとれてたからいいけど、まぁもう売るのなくなってきた感じだからまぁ今後どうするか?って感じなんだけど、まぁちなみにダサいけど書籍代っつー枠は作ってもらってるんだよね。学術書とかのみ良いっていう枠があって、まぁそんなに多くないけどまぁそれだけでは足りないから色々売ったりしてたんだけどさ、でもまぁギターとかスニーカーとかああいうのは特別会計にはならないから、だからまぁあれなんだよね、そういうのは当然何かを売って払ってたんだけど。まぁ書籍代っつってまぁ学費的な扱いにしてもらってるのはいいけどいつまで学生やるわけ?って話になるからね。まぁそれは将来の話とかにもなるんだけどまぁいいか。


とにかくまぁそういう機能なんですね。だからただ置いてあったりするだけの置物的なものは本当に流したほうがいいんだよね。売るのが一番いいよね。それを必要としてる人が買うわけでさ、そのモノが持ってる機能ってのを果たせるようになるじゃん?お金も基本的にそうだよね。だから使わないとかって経済にとって良くないんだよね。だから俺はケチな人が嫌いなんだよね。俺はある意味ではケチだけどそれは使うところがあってのケチだからね。使う所すらも使おうとしないか安く済ませようとするとかってすげー嫌なんだよね。それってまぁ資本主義のシステムから言ったら反社会的だよね。で、俺なんてよっぽど社会的だと思うんだよ。売れないと言われている書籍をガンガン買ってさ、あっちで手に入れた良いレコードとかガンガン流してるわけだからってまぁ誇れるようなことでもないんだけどね。まぁ消費者の心理とは矛盾するんだけど書籍ってやっぱ新品で買うっつーほうが社会的だよね。ダイレクトにそれがまぁ利益になるっつーかさ、書籍の元を作ってる所に行くわけじゃん?でもブックオフとかってすげー反社会的だよね。ああいう中古カルチャーっつーのは本当に反社会的だと思う。


でも消費者のニーズと合ってるからまぁ良しとされるみたいな感じだよね。まぁ俺も相当マーケットプレイスで買ってるけど、個人がやってる書店とかさ、そういうところから買う分にはまだいい気がするな。ブックオフみたいなシステム化された中古市場みたいなのって本当に良くないと思うよね。まぁそれがブックオフの画期的なところでもあったわけだけどね。書籍っつーある意味でまぁ結構なんつーかさ、昔だったらすげー大切に扱われたようなものをもう消費物として雑に扱うみたいな感じじゃん?「モノに機能を与えましょう」的なことを言ってるプロパガンダがずーっとブックオフで流れてるけどあれって一種の洗脳だよね。ブックオフで売り買いすることがなんか良いことをしてるみたいな感覚にするっていうかまぁ罪悪感を消す役割をしてるじゃん?あれってだからずーっと流れてるんだと思うんだよね。アコギさを隠蔽するっていうかいる人に考えさせないっつーかなんつーか。


やっぱ本って書く人がいて出版社なりエージェントがいるから出せるわけでさ、その大元が儲からなくなるとかってダメだと思うんだよね。まぁブックオフを諸悪の根源にはしないけどさ、なんかでも例えばちくま学芸文庫とか平凡社ライブラリーとかすげー尊敬するんだよね。アルチュセールイデオロギー装置のやつを文庫化するか!みたいなさ、ありがたいじゃん?ああいうのって。まぁ俺はVersoのやつを持ってるからいいんだけどさ、でもなんかああいうところって無いとダメじゃん?だからまぁ新品買わないとダメだよねっつーか俺も金に余裕があれば中古なんて買いたくないんだけどね。安く買おうとすることを美徳とするような人って多いと思うんだけど、もっと大局的にモノを見るべきだよね。ヤクザから安く買えたらそれでいいのか?って話じゃん?消費にも道徳ってあると思うんだよね。そうじゃないとえげつない商売をするところばかりが儲かるようになるよね。ドンキホーテとかもすげー胡散臭い気がするんだけど。


日本人ってこの店へのコントリビュート感が本当に無いよね。大型店で安く買えればそれでいいみたいなさ、ただ俺はお金の問題があるけど書店として好きなジュンク堂で買いたいんだよね。それは俺がジュンク堂ファンだからさ、ジュンク堂で金を使うと高くてもなんかまぁいいかっつーと変だけどちゃんとお金を使ったなって感じがするんだよねってまぁ自己満足かもしれないけど、でもまぁブックオフで買う事も無いこともないけどでも買った後の罪悪感は凄いな。それこそダフ屋でチケット買ったみたいな感じじゃん?まぁそれで言うとデカイところって意味ではアマゾンも一緒なんだけどねぇー。書店ってやっぱ俺はあってほしいと思うけどアマゾンで買えるものが多過ぎるとなんつーかさっつーかまぁアマゾンで買うようになっちゃうよね。まぁこの書店応援感みたいなのはまぁそれを愛する人独自の独りよがりな愛だとは思うんだけどね。それってCD屋が潰れるからmp3を買うな!って言うようなもんだからね。まぁmp3で買うなら別にちゃんとアーティストとかレーベルにお金がいくからいいけどね。


まぁそれで言えばアマゾンもそうなんだが、ただまぁ書店の場合、立ち読みっつーかさ、まぁ買うかどうか決める基準を作れる場だからいいよねっつーかまぁCD屋で言えば全部試聴できますみたいな感じだからね。CD屋ってだからまぁすげー不利っつーかリスキーだったよねって今なら言えるよね。それでもまぁジャケ買いとかして失敗するみたいな。まぁそれも込みで面白いんじゃん!って言う人もいそうだけどでもまぁ合理性から行ったら変な話なわけで。でもまぁそういうのが嫌いじゃなかった俺としては音楽を聴くことがつまらなくなったってのはあるかもねってそれは俺が聞き過ぎたっつー理由もあるだろうけど、聞くことに快感を覚えなくなったのもあるかもしれないよねっつーかまぁ具体的にCDとか買わなくなったしさ、まぁ買ったっつーさっき書いた買いもの中毒的なまぁ快感も込みで音楽鑑賞だったんだとすればね、それが無くなったから味気ないのかな?って気はしなくもないけど、でもまぁ便利な今のほうがいいけどね。全部試聴できるからまず失敗ってことが無いっつーか皆無ではないけどまずそんなリスキーな代物には手を出さなくなるよね。


逆にそれが無駄をなくすからだからまぁ味気ないものになるのかもしれないよね。まぁこれは音楽ファンのロマンだなってことで本に関しても所詮同じなのかな。消費物としてしか考えてない人達にとってはブックオフみたいなシステムって願ったり叶ったりだもんね。なんかでもさ、本当に好きなものに対する所有欲って無いとなんか成立しないと思うんだよね。逆にその所有欲カルチャーってオタクカルチャー全般そうじゃん?アニメオタクでも色々いるだろうけどフィギュアとかまぁその最たるもんだよね。代替出来るものがないからだからまぁあんなに高くても売れるのは分かる気がする。あとはまぁグッズとかだよね。それはまぁ他のアニメオタクとかじゃなくても似てて例えば映画オタクでもさっつーかあれだ、まぁオタクの種類が違い過ぎるから同列に語るのはどうかと思うんだけど、まぁいいや。


いや、映画ならまぁ公開時のパンフレットとかさ、DVDはもちろんのこと他にもまぁ色々ありそうだけどまぁ浮かばないけどさ、でもまぁこれも所有欲を満たすっつーか本当に好きでしょうがないっつーんでまぁ所有できそうなものは持つ!っていうことだよね。それで成立するカルチャーとかお金が回るルートってのがあるからいいよね。断捨離って行き過ぎると本当に何も消費しなくていいやってまぁそれは真実なんだけどさ、でもそれって経済的に余計に悪い気がするんだよね。ある程度やっぱ使うってことは大事なんじゃないかな?って思うね。まぁ貯金なんて一切したことがない俺が言うのもアレだけどね。そもそも貯金っつー感覚がありえないんだけどね。俺は使ってこそのお金だと思ってるからね。あとはまぁプロパガンダかもしれないけど「読書は投資だ」って言葉は大好きだね。だから大事なレコードとか売ってでも手に入れようとするんだよね。


まぁでも好きなものを所有しようとするって人間の感覚で言えば健全だと思うんだよね。ギターマニアとかエフェクターマニアとかいるけどさ、俺は健全だと思うね。煩悩の塊だとは思わないな。ああいう筋金入りのコレクターとかってやっぱ違うじゃん?使う使わないってことに重きを置いてないじゃん?そういう意味で俺はまぁコレクターではなくてさ、機能させることが大好きなモノマニアではあるよね。だからまぁ新しいモノを買ったり取り入れたりしようとするんだろうね。だから金があればいらないとかいいつつ絶対3DTVとか買ってると思うけど金があればむしろそんなもん当たり前の行動だと思うんだよね。まぁただ食事とか飲み食いには全然使わないだろうねっつーか一切使いたくないよね。そのかわりまぁ趣味的なものには金を使いまくるみたいな。


まぁそれって経済的に良いことだと思うんだけどね。何がなんでも節約貯金っつーのは資本主義が続く限りそれはやり過ぎると反社会的な行為になると思うんだよね。税金払ってるとかって全然エクスキューズにならんし。まぁあとはモノを買わなくてもイベント行くとかさ、どの道まぁ金が動くっていうことをしてればとりあえずオッケーでそれで言えばキャバクラとか風俗で使うのですらも使わないよりかはマシだよね。いや、あるのに使わないっていう行為に対してまだマシってことね。無い人が貯金するとか使わないってのは分かるけどある人が使わないって悪徳だと思うんだよね。だからそういう意味で仏教的な滅却とかってさ、俺はずいぶんと提案をしてきたけど、でもまぁ資本主義にとっては悪だよね。だって金使わないんだもん。で、玄米と納豆だけで良いとかって言ってる生活なんだから反社会的だよねってまぁ今回は反社会的って言葉を多用してると思うけど、まぁこれは何も爆弾をしかけるとか痴漢をするとかそういうことだけではないんだよってことが言いたいんだよね。


社会から見れば悪徳なのも合理性っつーものに包括されて良しとされちゃうみたいなさ、それがまぁ何が何でも安く買うみたいな精神なんだけどそれって組み込まれた悪徳だよね。新品で安く買えてもえげつない方法でそれを仕入れてる業者とかから買いたくないじゃん?でもそんなの関係ねぇーっつって安く買えればいいから関係無いとかって考える事を俺は悪徳としてるんだけどね。だからまぁビックカメラのほうが安いからみたいな理由で買う分には全然いいんだけど。そういう正規ルートでの限界の安さを求めることは消費者心理としては当たり前だと思うけどさ、でも行き過ぎるとまぁダメだよねってことだよね。


前に誰だったか韓国人だったか中国人の友達だったか忘れたけどさ、スニーカーの話をしててっつーか偽物の話をしててさ、んでそいつが偽物でも見た目がナイキならそれでいいとかって言っててさ、だからまぁあんなにコピー品が出回るんだなって思ったんだよね。ああいうのでもいいとする考えってのが不正なコピー品とかを流通させる原因になるわけでさ、いや、ABCマートとかのセールとかですんげー安く買うとかだったらいいんだけどさ、偽物と分かってて買うとかってダメだよね。かといってもその一方で音楽とか映画で言えばまず手に入らないようなのがネットに転がってたりするからさ、そういうのはまぁダウンロードしてもしょうがないかなって気はするけどさ、でもかといって少量ですんげー高い値段で出たりしてもまぁ買わないだろうなっていうさ、その辺がまぁ微妙なところではあるんだよね。


だから俺はそういう来るべきコピー地獄に備えてネットがアーカイヴ機能を持ったほうがいいと思っててさ、まぁ何らかの形で著作者に金がいくようなシステムを構築してさ、基本的に作品はタダでも出回ってますみたいなさ、それでいいと思うんだけどね。いや、でも結局著作権が切れるとかってのの利点とかってそれじゃん?アーカイヴ化できるってことじゃん?で、俺は元々文化的なものなんてデフォでアーカイヴでいいと思ってるのね。DVDとかで利益を出そうと無理矢理高い定価で出したりするよりタダのほうがよっぽどいいと思うんだよね。なんだったっけ?なんたらコモンズみたいな思想があるけどあれだね。端的に言えば。


タルコフスキーの映画とかGoogle Videoとかで見れるじゃん?あれでいいと思うんだよね。もうなんつーか教養みたいなもんだから見たいって人がいればすぐにでも見れたほうがいいわけで。まぁそういう意味だと思想は社会主義的だよね。必要なものとか教養みたいなもんは基本的にタダか、あとはまぁすんげー廉価版で出回ってるみたいな感じだよね。虚数の情緒的な感じだよね。すげー高くなりそうだけど学生とかでも買えるように安く出すみたいな、ああいう思想ね。それを国が支援して文化的なものとか教養関係のものは書く側とか出す側が守られるっつーか何らかの形で利益を得られるようなシステムを作ったほうがいいと思うんだよね。


いや、なんかさ、教養っぽいもので利益が出ないから出せないみたいな現状が無いわけでもないじゃん?だからまぁドラッカーの本みたいなフォーマットのやつが流行るんだろうけどさ、ただやっぱガチでやってる人の本とかも出ないとダメだと思うんだよねっつーかドラッカーの研究者みたいなのがまぁ食えるっつーかさ、まぁなんとか出版できるみたいな。質という基準で何かが淘汰されていくならいいんだけどさ、質すらも問えないみたいなコマーシャルベースっつーかマーケットベースになったら何もかも終わりだよねっていうかまぁそんなことは過去から再三言われてきたことなんだけど、でもそれはどの時代にも思い続けたり言い続ける人がいないとダメだよね。まぁ簡単に言えばコマーシャリズム反対!か。


ところでさ、書こうとしてたことってのがあれなんだよ、この映画に出てくる台詞なんだけどさ、priceとworthは違うみたいな言い方が出てくるんだよね。で、こないださ、言語の限界が哲学の限界を規定するわけじゃないってことなんだけどさ、つまりはこういうことでもあるんだよね。ようはそういう言語感覚の違いだよね。洗練された人はpriceとworthの違いが分かっているけどイコールな人もいるじゃん?つまりは言語が概念とone to one correspondenceな感じで対応はしていなくて、そもそも言語と概念にそんな厳密なルールは無いってことだよね。それは定義上あっても定義上のもんであって、人間全てがそんな定義に厳密であるわけではないし、そもそも厳密な定義って何?って話になるし、仮にその言語とやらが生活圏を規定していたり作り出しているのであれば、そもそもがかなり曖昧なものによってなんとなく作られてるってことだよね。なので意見の違いとかが生まれるわけだ。


はっきり言ってさ、言語と概念にone to one correspondenceが存在すれば考えの多様性って無くなると思うんだよね。それこそ個々が違う風に思っている概念とかの体系が主体みたいなもんじゃん?でもその相違も含めてやっていくのがまぁ人間的なコミュニケーションでしょっていう。まぁ俺はそういう意味で良くないところがあるんだよね。特に最近そうなのかもしれないけど言葉の定義とかにこだわりすぎてさ「そんなのいいじゃん。別に」みたいな感じになっちゃうっつーかさ、俺としてはでもそのどういうタームでそれが使われているのか?ってのをその場でクリアにしないと意見の相違が生まれるから定義は厳密にして例えばここで言う「一般」とはどういう意味か?みたいなことを知りたいって思うんだけど、でもまぁそれは普通はちょっとやり過ぎだよねっていう。そこまでいかないのがコミュニケーションじゃん?


概念の違いとかを補正したり修正したりしあうみたいなさ、この人にとってのこの言葉の意味は他の人とは違うから・・・みたいな感じで言語感覚を変えるわけだよね。そんなことが無限に起こってる中で生活圏なり社会ってのが生まれてるからさ、まぁ分からん、ウィトゲンシュタイン関連の本とかをもうちょっと読みなおしてはみるけどさ、いや、初期だったかな?ウィトゲンシュタインってそんなこと言ってたじゃん?言語と概念の対応みたいな。そんなわけねぇーだろ!って思うわけだけど、まぁ後期とかにそれは修正したのかな?分からんけど、なんつーかとにかく言語に重きを置き過ぎる哲学とか分析哲学が嫌いなのはこういう理由なんだよね。なんでそんなに言語ってのを緻密で厳密な体系だと思っているのか?っていうさ、いかにもななんつーか数学者っつーか論理学者的な考え方で浮世離れしてるよね。俺も別な意味で浮世離れしているけど言語感覚に関してはそこまで酷くないよ。


いや、主張とか意味は論理記号に変換可能だと思うし、それは俺が前に国語とセットでロジックもやるべきだって言ってたのはそれでさ、例えば主張ってのがあったとしてまぁそれを分析してさ、論理的なおかしさが無いか?ってのを分析したり間違ってたらどこがおかしいとかってまぁ言えるようになればさっつーかまぁアメリカってそういうロジック教育はちゃんと成されてるよね。西洋人がロジカルだっていう風に見えるのはアジア人って言い方はアレだけど日本人の論理がお粗末過ぎるからなんだよね。俺はそれにいつもいらいらするから喋れる人としか喋りたくなくなっちゃうんだよね。逆に喋れる人にはずーっと喋りたいなのはあるんだけど。


まぁそうね。物理学の本っつーか高校の物理学の基礎の本とかさ、ゲーデルのやつとか読むやついっぱいあるんだけど、とりあえずウィトゲンシュタイン系の本を再読してみるね。あとクリプキの例の二冊はまだ読んでないからこれも読もうかな。好きではないんだけど、でも知らないと分析哲学に対してなんとも言えないじゃん?クワインだったっけ?あの辺の界隈の分析哲学とかっていつも違和感を感じてたんだよね。クリプキはメタレベルにいってるような気がして割と好感持ってて、あとタルスキのモデル論はいつかやろうと思ってるんだけど、結構なんか俺って忙しいでしょ?


全く何も労働とかしてないし外にもいってないんだけどやることだらけなんだよ。100パーセントが人間的な活動って感じでしょ?いやさ、この言語感覚と政治って切っても切れないんだよね。それはアーレントとか最近読んだから余計に思うね。結局まぁ俺のイニシアチブって政治なんだよね。まぁ善き社会だよね。まぁ単純な知識欲ってのが本当のところではあるけど、やっぱり帰結するところは政治なんだよね。っつーか今日あんま本読んでないから読むことにするんでそろそろやめるわ。


今日のオススメ書籍。



前にも貼ったことがあるけどまぁ名著やね。新書なんだけどでもなかなかのボリュームでっつーかちくま学芸文庫みたいな感じかなっていうかまぁそんぐらい本格的ってことね。



あとこれが今日の映画ね。