音漏れっくす。

ヘッドフォンが壊れちゃってっつーか割れただけなんだけどさ、テープで補正したんだけど外ではもう使えないなってことで親父のヘッドフォンを借りて病院行ったわけよ。そしたら電車でさ、隣に座ってた若い兄さんにさ「静かにしてもらえますか?」とかって言われてさ、「えー!」とかって思ってっつーか、まぁ音楽を愛するものなら誰でもある経験だと思うんだけどさ、すげー気持ちよくなってるのに「うるさいですよ」とかって言われたときのまぁ下がり度っていったら無いよね。


で、そんなに音漏れしてるかな?と思ってさ、いや、調べてみたらすんげー音漏れするのっつーか最大音て聞いてると軽いスピーカーぐらいの音がしてさ、本当に情けなくなったね。いや、注意された時は「あー日本だなぁー」とかって思ってたんだけど、そもそもヘッドフォンの音漏れのレベルが尋常じゃないっていう。いや、んでかなり下げたんだけどそれでもまだ気にしてたね。この人。なんかノートに書いてて理系っぽい感じだったけど、そこで思ったのはさ、ああいう場のプライオリティだよね。別に図書館じゃないんだからさ、集中したいことがあれば逆に自分がヘッドフォンをするべきだと思うんだよねっつーか耳栓とかね、そもそも電車という空間に極端な静音を求めるのはおかしいだろっていう。その割にまぁお年寄りに席を譲らなかったりとかグダグダの公共感があってどーしょーもないんだけどね。


でもまぁ俺はこの兄ちゃんを責めようという気はないんだよねっつーのはそもそも今日の俺の音漏れは尋常じゃなかったからね。かといっても下げた後にさ、逆に電車のノイズのほうが音楽のレベルに勝ってるぐらいのレベルで聞いててもまだ気にするってのはどうなの?って思ったよね。電車ってそもそもデフォで静かな場所じゃないんじゃない?っていう。なんかあと私語は慎む的なところもあるじゃん?前も猫の世話の帰りに中学生ぐらいのやつが喋っててさ、でもまぁ普通にテンション上がっちゃった感じでちょっと声がでかくなったんだけどさ、そこでおっさんに注意されててさ、なんかすげーやり辛いっつーか日本のこの閉塞感ってこれだよね。こういう細かい所での規制が多過ぎる。だからまぁ自主規制するしか無いじゃん?


個人主義も行き過ぎるとアレだけどさ、なんかやっぱああいう時はニューヨークの地下鉄が恋しくなるよね。まぁ比べるのはおかしいんだけど、日本の電車ってあの図書館感が凄まじいんだよね。アメリカでも図書館的なところではああいうサイレントを求められるんで独特のテンションがあるしさ、それは自習室とかでもそうだったんだけどさ、でもそれは完全にそういう静かなものを必要とされる場所だから分かるんだけど、電車ってどうなのかな?って思うんだよね。俺の今日のヘッドフォンは論外だけど、まぁでも音漏れっつってもまぁ若干はしょうがないだろって気はするよね。DSとかをヘッドフォンしながらやっててゲームの音が漏れてるとかさ、そんなのしょうがないと思うんだけどね。


なんつーかこの自由に対する寛容さの無さっつーのかな?ルール好きっつーかさ、雁字搦め好きだよね。そうあることが一人前っつーか大人ってことであるみたいなバカバカしい考えが存在してて、それにアダプトできないやつは人間扱いされないみたいな。ってことは大人であるって条件は爆音で音楽を聴かないってことになるよねってまぁそんなこともないんだけどさ、クラブカルチャーとかが根付かない感じが分かるよね。関係無いって言われそうだけどでもニューヨークとかって地下鉄乗ってるだけですげークラブが流行ってそうな雰囲気があるからね。爆音で音楽聴くみたいなのが当たり前っていう雰囲気がある。まぁ迷惑がる人もいるしまぁそれはTPOだけどね。


でも電車の中で演奏したりしてる人もいるしさ、まぁ日本はそうならないかな?ってまずなりませんっていう可能性が微塵も無い感じが凄いなって思ったね。「いや、ここは日本だから」って大人ぶる人がいるんだろうけど、でももっと自由な雰囲気がいい!って思ってる人はんじゃあ我慢しなきゃいけないのかね?っていうさ、なんかあの楽しくない感はなんなんだろうなぁーっていう。電車とかでももうこっちに帰ってきてから二回ぐらいホームとか階段で喧嘩してるのを見たね。すげー全体主義的だよね。ホモソーシャルなんで多様性が無いからみんな同族っていうかさ、変な近さがあるんだよね。いつも書いてたけどあっちの場合、まずは公共的な場では他人に迷惑をかけないってのが基本っつーか睨むとかありえないわけよ。日本って睨むとかって成立するじゃん?それってなんかさ、学校の先輩が後輩を睨むみたいな、狭い共同体の中で通用するような力ってのがなぜか全てに行き渡ってるような感じがあるんだよね。


会社とかのパワハラとかアカハラとかも酷いっつーのも分かるよね。多様性が無い同族だからこその狭いいがみ合いっていうか、まぁ前に書いたように村社会なんだよね。基本的にみんな村人っていう設定で社会が動いてる感じがあるよね。少なくとも「市民」って感じがしない。ニューヨークとかは市民感が凄かったよねっつーか日本が無さ過ぎるのか。かといってもさ、恋しいか?といえばそうでもないんだよねぇ。だってあっちでも基本的に引き蘢りだしさ、こっちでもそうだからあんま変わらないんだよね。ただまぁ外に出た時に開放的な気分になってたけどね。あっちは。日本の場合、何かに覆われた外部というのに出て行く感じがある。ニューヨークはそれがすげー開けてるっつーのかな?


日本って独特の世間っつー階層が人間と社会の間に存在してると思うんだけど、これが生き辛さっつーか閉塞感を産んでいる原因の一つではあると思うよね。前に貼った「学問と世間」って本にも書いてあったけどさ、世間の支配が凄いよね。俺があっちでこんな俺でもやってけそうな気がしてたのってさ、俺みたいなのでも受け入れる体勢があるんだよね。それはすんげーダメそうなやつが吉野家の店員とかやってたりするからさ、なんとかなる感はあったよね。あとまぁ俺の個性はアメリカではウケる個性だったからあっちでならやってける!って思ってたんだけど、こっちでは絶対潰されるなって外に出る度思うね。だからあんま正直もう大学とかに興味無くて。まぁ日本の大学でやっていこうとは思わないけどさ、でもやっていければそれはそれでいいんだけど、なんか壮絶な世界ってイメージがあるよね。


元相方の話然りネットの書き込みとか本とかでも共通する壮絶さってのがあってさ、これだけ一致してるってことは本当にそうなんだろうなぁーって気がするよね。かといってまぁあっちでもさ、すげー優秀なやつでも非常勤掛け持ちとかでやってたりするからまぁ同じようなもんなんだけど、なんかでもさ、学校って場でそんなに上手い英語じゃないけどディベートとかできたりさ、意見を言って「凄いね!」とかって言われてたって俺が凄いとかっていう話とかじゃなくてアクセプタンスだよね。下手でも結構な正論を言ってるってことで評価されるってどんだけ間口広いんだっていう。


ただまぁしばらくは日本でやっていかなきゃいけないから色々と考えてはいるんだけどね。考えてるように見えないでしょ?でもまぁ考えてんのよ。一応。ホントでも俺のこの日本への合わなさ感って尋常じゃないね。生まれてきた場所間違えたってぐらい存在自体がKYみたいな感じだよね。俺なんて。そんなKYなやつがKYなことを言い続けられるっていう下地でもあればいいんだけどねってまぁここで書いてるからいいんだけど、ただまぁこれだけじゃダメだよねぇー。自分でも言うのもなんだけど日本って恐ろしいぐらいいないんだよ。俺みたいなKYな自由を求めようとするやつらが。


みんな就職だのなんだのって言っててさ、んだったら逆にブラック企業とか多過ぎるんだったら学生全員でゼネストでもすりゃーいいんだよね。一切みんな就職しません!みたいなことやったら面白いと思うんだけど。なんかでもさ、普通にちゃんとしたやつが会社でパワハラとか受け手鬱になって自殺するとか辞めるとかってのを見たり聞いたりすると何なの?って感じだよね。俺みたいなのはどこでもやっていけないからいいんだよ。でもさ、普通のそれこそそこそこの大学出た真面目な青年とかって就職したんだったらそこでやっていけなきゃダメだよね。鬱になって辞めるとかありえねぇーよな。ブラック企業取り締まりとかなんでやらないのかね?あと8時間で帰っちゃいけないわけ?法的にそれを守らなきゃいけないんだからむしろ帰らなきゃいけないんじゃないの?っていう。


まぁ俺は勝手に自家発電しててさ、今日も最近すんげー熱が出てきてる物理学の本買ってきてさっつってもまぁ入門書とあとあまりに好きになりすぎて物理専攻にしようと思ったときように秀和システムの高校物理のやつとか買ってきたんだけどさ、何で面白く感じられるようになったか?ってやっぱ数学ある程度やったからだよね。まぁ相変わらず計算とかはできないけど概念は理解してるから分かるわけだ。だから「なるほど!」っつーAHA体験が無学な故にAHA体験の連続で面白くてしょうがないんだよね。まぁプリミティブな知的興奮だよね。とかいいつつも捨てたもんじゃねぇーなぁーって思ったのがジュンク堂の数学のコーナーで微積分の本を読んでる可愛い子がいてさ、ああいう子がいるってまぁ救いだよね。まぁ大学の単位のためなのか分からんけど、でもとりあえずあのぐらい可愛い子が微積分の本読んでるとか俺にとっては救いだよね。なんかやっぱ生活圏がこっちになったからこっちの子が好きになってるよね。最近は。AVとかも洋物はご無沙汰になったもんな。


結構最近リアルに誰かと付き合いたいんだよねぇー。なんかこういう実存的なことも含む悩み全般を聞いてくれるような子と付き合いたいって中二病もいいところだけどね。まぁ引き蘢りが誰かと付き合いたい!って言ったところで何にもならんのだけどさ、ただまぁーこないだ横浜行ったりして思ったのは捨てたもんじゃないよね。活き活きとした若い女の子とか見てるとなんかアメリカの女性には無いような可愛らしさってのがあってさ、まぁおっさん目線なのかな。もう。まぁでも付き合いたいっつってもまぁー無理だよね。色んな意味で俺の話に付き合える子なんていないだろうっていうかいてもそれなりの人と付き合ってたり結婚してたりするよねーっつーかさ、いや、見た目が可愛いだけでも頭が馬鹿じゃ意味ないじゃん?


そういう意味だとまぁ友達で言うとこないだあった画家のyokoはすげー自分をさらけ出せる数少ない人だなぁーとは思ったね。昔は彼女は暴走機関車みたいな感じだったけど、最近のちゃんとした大人っぷりは凄いよね。すげーしっかりしてるっていうか、だから俺のガキっぽさが目立つんだよね。いつも飯驕ってもらってるし。あとやっぱ哲学トークを永遠と何時間も絶えることなく出来るってのも彼女ぐらいしかいないかもしれないっつーか彼女の勉強っぷりが凄くてさ、前にも書いたけどソクラテス以前の哲学とかさ、ナチュラリスト系の哲学者とかさ、あとはゼノンの話とかすんげー詳しくてずーっと話聞いてたね。めちゃめちゃ勉強になったっつーか彼女の哲学好きもあるし、あとはやっぱさすが哲学科の学生だなって感じがしたっつーか哲学科の学生の鏡だね。あれは。


でもなんかさずーっと哲学の話ばっかするって結構凄い事なんだなとは思ったよね。所謂、上辺の話じゃないディティールの部分ですげー色んな展開があってさ、んで俺がそれに対して「んじゃあこれはどうなの?」とか「こういう場合はこの定義はどうなるの?」みたいなさ、俺もミスターWhyだからなんでも聞くじゃん?で、それに全部答えられるとかって凄いよね。あとは彼女なりの論もあるからさ「私はこう思う」みたいな持論とかもあったりして凄く喋り甲斐があるなと思って。


まぁなんつーかさ、哲学とかの話が出来ないとダメとかさ、条件多すぎなんだよね。俺。まぁ可愛くてもどーしょーもない音楽センスの子とかすげーいるじゃん?だからまぁ無理だよね。基本的に。いないんだろうなと。それはアメリカでも一緒だよね。いや、これも昨日書いた話と一緒で俺はさ、性的にストイックなわけじゃないんだよね。常に誰かと付き合いたい!って思ってるけどまぁ出会いが無いっつーのもあるけど、色々と考えてみると付き合えそうな人がいないだろうなっていつも思うわけよ。だからまぁなんつーか俺が言いたいのはすげー欲望しているってことだよね。聖者ぶってストイックに女性などいらぬ!なんて思ったりは一切してないってことね。むしろ一緒に哲学の話とか出来るような子がいたら絶対付き合うよねっつってもまぁその求め方がナイーヴなんだよね。俺は。


すんげー俺って引き蘢ってるくせに人を求めてるよね。で、たまに理解者に会うと凄い喜びを感じるわけ。だからそういう意味で俺って本質的には引き蘢りではないと思うんだよね。生活スタイルが引き蘢りなだけでさ、喋れる人とは喋りたいわけで。ただでも人を求めるっつってもさ、人間関係って相互的なもんだからさ、俺が一方的に求めるようなことでもないよねっつーかそんな姿勢は傲慢だよね。でも基本的にやっぱなんつーかさ、分かり合える人ってのを人間ってのは常に探してるんじゃないかな?


っつーか話が逸れてるなぁー。会社の話だよね。なんで俺の自家発電の話になったのか忘れてしまったよ。あ、まぁ自家発電してるからそういう場のネガティブな影響は受けてないからだから別にニューヨークだろうが日本だろうがあんまり変わらないってことだよね。そういうことを言いたかったわけね。なんかさーでもさー、サラリーマン的な研究者だけじゃダメだと思うんだよね。俺みたいな内発的な動機がきっかけでやってるやつだっていてもいいじゃんね?まぁ俺は研究者っつー自覚は一切無いんだけどね。別にただ興味あるものを読んでるだけなので。でもそのさ、興味があるもんのをひたすら読むっていうライフスタイルだってあっていいじゃん?まぁ誰かに否定されてるわけじゃないからまぁ別にいいんだけどね。


んーでもまぁあれですよね、電車ってどうなんでしょうね?っていう。あとなんか全体主義的な移動っつーかさ、みーんな満員電車に乗って帰って・・・みたいなあのソ連みたいな感じってなんとかならんのかな?あんな生活まともな人間なら求めないよね。でも日本のデフォ的にはあれこそが社会人なわけじゃん?おかしいクリチャーだよねぇー。だったらロボトミー手術でも受ければいいのにって思っちゃう。なんであんなみんな元気がないんだろうな。俺も観察し過ぎだけどさ、楽しそうな人外で見ないよね。あのなんか電車の中のさ、基本みんなイライラしてて疲れてるのがデフォみたいな感じがすげー不気味なんだよね。俺は電車出勤とかしてないから実害はないけど本当に胸くそ悪くなるから余計に外に出たくなくなるね。こっちの場合は。あの外で感じる閉塞感があるから引きこもりももっと促されるんじゃない?一ヶ月ぐらい外界がニューヨークみたいな雰囲気になりますっつったら外に出る引きこもりって結構いるんじゃないかな?やたら人目を気にしなきゃいけないような雰囲気もあるからだからなんつーか対人不安とか視線恐怖とかが酷くなるってのもなんか環境的なものでやっぱ絶対あるなって改めて確信しちゃったよね。


なんかマジで実験やりたいもんね。引き蘢りを海外っつーかニューヨークみたいな自由な感じがある場所に連れて行って、んでそれで引き蘢りが治るっつーかさ、まぁ引きこもりってそんな簡単なもんじゃないんだけどね、いや、ただ外に出ただけで閉塞感のある日本って恐ろしいストレス社会だと思うわけよ。あんな雰囲気の中でまともにやってるほうが異常なぐらいなんじゃない?って思うね。だからといって仕事して帰って寝るだけの生活みたいなのが海外に行けば変わるか?っつーとそんなの変わらなくてさ、あっちにいっても所詮はそこにあるのはリアルにある生活なんだよねぇ。まぁエンジョイしまくってる人なら別だけど。


外に出なければ嫌な思いをしなくて済むみたいな一種の防衛本能だよね。引きこもりって。なんか特に今日はっつーかこないだの横浜でも感じたことだけどさ、こりゃー自殺したくなるよなぁーって感じだよね。自殺インフラ完備!って感じだもんね。そんな中で「生きよう!」とか言っても説得力無いと思うんだよね。もっとそもそも根本のああいう閉塞感を無くさないとダメだよねって大雑把な話になるけどさ、なんかでも最近母親とかもすんげー疲れ果てて帰ってきたりさ、妹もバイトしてるけど、リアリズムがキツ過ぎて現実逃避という意味での映画鑑賞ばっかしてるみたいなさ、まぁでもそうなるよねぇーって感じだよね。そんな家庭の中でも俺はKYまっしぐらなんだけどね。「もう物理学ヤヴァ過ぎー!」とか言って一人ではしゃいでるみたいな、まぁ軽躁の時オンリーだけどね。


仕事行って帰って寝るだけっていうことしか大抵の人にはそれしかないような選択肢に見えちゃうからまぁそういうのを選んじゃうんだけどさ、そんな中でもっとオルタナティブな生き方ってできないのかな?「会社行って帰って寝るだけってのが定年まで続くと思うと死にそうな気分になる・・・」とかそんなの人として正常な証拠だと思うんだけどね。それでも今の時代ならまだ仕事があるだけでマシとかって考えちゃったりするんだよね。なんかもう本当に異常な社会だよね。んであと交通費高過ぎとか家賃高過ぎとか、なんかもう良いところないよね。だからどっかに逃げるしかなくて、それがアニメだったり映画だったりさ、ホメオスタシスを保つ為の現実逃避でこれも防衛本能だよね。そんなのを必要とする生活ってどうなんだろう?って気がするんだけど。自己啓発本ブームとかもそうだよね。自分を変えられるかもしれない!っていう幻想に逃げ込む良い場所だもんね。空元気が得られる本って書店行っても多いなって思うね。中にはすげー実践的なのもあるから全否定はしないけどね。


ってことでもう寝ようかな。まぁ最初のほうに出てきたあの兄ちゃんには不快な思いをさせちゃってアレだけど、でもあそこまで集中したいんだったら耳栓してほしいなって感じですね。いや、俺のヘッドフォンは問題外だけど、でもまぁあそこまで電車に図書館みたいなサイレンスを求めるのもどうなのかな?っていう。


まぁそんな感じで今日はこの辺で。


オススメ書籍のコーナー。



いや、今日買ってきた本の一つなんだけど、理論的なことっつーよりかは不確定性原理の時代的背景みたいな感じで、なんつーか俺的には小説っぽい感じだよねってまだ途中なんだけどさ、読み物として面白いんだよね。ただなんかもっとボリュームが欲しかったなっていう。まぁ理論的な解説もあるんだけど、歴史的背景のほうに重点が置かれてる感じがしたかな。いや、面白いんでオススメですよ。