馬鹿の考え休むに似たり。

明日二億円が手に入るみたいな思考実験をしても悩みは解決されないなってリアルに感じるよね。今の俺の生活ってしかたなく労働してる人達にとっては凄く羨ましいものだと思うわけっつーかそれは俺の生活形態という意味ではなくて自由時間の多さね。寝て起きてからの時間が自由時間みたいなさ、でも俺はそれが長過ぎたんだよね。やりたいことをやりつくしちゃってやりたいことがないんだよ。ようは「やりたい」と思う事はもうやっていて生活に組み込まれるようになるから「やる」というような能動性が無くなるんだよね。生活化するわけよ。かといって別にルーティン化ってわけでもないんだけどさ、まぁんで学問というと大げさだけどまぁ読書だよね。学問に興味があるからやってるわけで、んでそれだけやってて時間が自動的に過ぎちゃうみたいな感じだよね。だからもうやっているという感覚が無くて。


でも学問にゴールはないしさ、あとポストが得たくてとかさ、学位を得たいとかそういう動機でやってるもんじゃないから分かりやすいゴールがないじゃん?エンドレスな本を読んでるようなもんだよね。本も1000ページあったとしても物理的に1000って分かってれば800ぐらいまで読み終えて「あと200か」なんて思えるけどさ、もちろん読破が目的ではないんだけど、でもやっぱゴールがあるって一つの動機にはなるよね。まぁかといって別に俺にとって分かりやすいゴールが欲しいってわけじゃないんだけどさ、でも別に金のためにやってるわけでもないし、それこそ自分の為にやってるからさ、ゴールが無いんだよね。そのendlessなpursueが哲学ってことなんだろうけどでもまぁ体感で楽しい感じじゃないよね。これを何十年と続けていくと客観的に見れば凄い積み上げの努力みたいに見えるんだろうな。俺は努力してるつもりは一切ないんだけどね。ただまぁズリネタ探しに時間をかけすぎたり有限な時間を無駄に使うという無駄な行為を避けるという意味ではまぁ努力らしいことはしてるかもな。「あ、時間が勿体ないな」っていう。


まぁそれだけだけどね。かといっても知的欲求とか刺激だけ求めていても地味な哲学とか数学とか古典力学にしてもそうだけど、そういうのは学べないじゃん?すげーつまんないかもしれないけどやっぱ知識としてっつーか予備知識として必要なのもあるわけでさ、その辺はまぁ自覚的にならないとなって思ってるけどね。数学なんかは典型的にそうだよな。やっぱなんだかんだで計算とかはちょっとはやらないといけないのかなって。でも全然やる気がしないんだよな。まぁんで手を動かしてみて理解が出来ることが多いらしいから理解にとって必要なことなんだろうけどね。


で、二億円なんだけどさ、いや、欲しいものもないじゃん?あれば買うだろうけどいつかは買い尽くすというのが分かりきっているよね。今まで欲しいものを買い続けてきたからそれこそお金の問題で手が出せなかったようなのも買い尽くして飽きるんだろうなってすぐ分かるよね。そもそもまぁそんなに値が張るもので欲しいやつって無いけどね。むかしは自分のスタジオ作りたい!とか世界旅行したい!とかって色々思ってたけどやっぱそれって若さ故だよねっていうか経験不足によるものだよね。まずまぁ周知の通り俺はもう海外幻想は無くなったから行きたい所が無くなっちゃったよね。ある意味で一番行きたかったところに4年近く住んでたからね。あとスタジオにしてもその欲しかったスタジオがもう手に入ってるんだよね。まぁ俺のマック内にね。防音とかはできないけどさ、でも別に爆音鳴らしたかったらスタジオ行けばいいじゃん?でも面倒で行ってないってことはそんなに行きたくないってことなんだろうね。まぁすげー爆音は出したいとは思うけどね。


まぁ豪邸は欲しくないわな。こんな性格だから管理が出来ないから家なんてなるべく狭いほうがいいよね。狭くて静かという意味だと前にも増して今の実家がその条件を満たしているから、そういう意味でなんつーか得たいものを全部得ちゃってるんだよね。リアリストだから豪邸に住むとかに憧れないっつーかリアルに豪邸を買ってその後のめんどくささとかが想像できるから逆にいらないんだよね。世界旅行然り。あんなの疲れるだけだよなって思うわけ。どうせまたすぐに活字が読みたくなるから風景を楽しんだりとかもしないんだろうなって。だから結局家の閉じこもって読書が一番良くなっちゃうんだよね。で、それを実行していても別に幸福感は無いっていう。まぁ当たり前だけどね。


ずーっと世界旅行してたら世界旅行が苦痛になるよね。旅が苦痛になるよね。飛行機とかもワクワク感とか最初凄かったんだよな。慣れないことで緊張するとかさ、あとはまぁあのニューヨークに降り立った後のワクワク感とかさ、逆もまた然りだよね。ニューヨークにずーっといてたまに日本帰った時の感覚とか、つまりは変化だよね。自分を軸にして考えた時の環境の相対的な変化によって一喜一憂してるっていうかまぁそんなもんだよね。それでウキウキしていられるのは若いうちだと思うんだよね。慣れればもうウキウキしないよね。まぁずーっとファーストクラスで世界旅行とかできたら違うのかもしれないけど、そもそも俺は旅行にそんな興味無いからね。それは無理矢理我慢しているという感じじゃなくて本当にもういいやって感じなんだよね。


ってことで二億円あればまぁ家族へのお金の返済とかはできるし、もうちょっと広い家に住めるかもしれないし、まぁそりゃー家族にとってはいいことだけど俺にとってはいいことか?ってまぁそりゃー家族にとって良い事だから俺にとっても良い事になるからそれはいいんだけどさ、でも完全に利己的な意味で考えた時には恐らく家族へのメリットとあとはまぁ自分の衣食住が生涯満たせるってだけだよね。まぁ2億じゃ足りないかな?足りるよね。


いや、んじゃあ仮に色々まぁ使ったとして一億残ったとして何をやるか?ってそれは困ったもんだよね。多分やることは今と変わらないよね。まぁあんまりお金を気にしなくていいというメリットがあるだけで逆に今は不自由していることがないからせいぜいそういう金銭的なことだよね。それがクリアされれば全部解決か?って俺にとっては全然そうじゃないね。むしろそういうことで悩んでいると絶望的になるから目の前でやれることをやっていくしかないっていうもちろん長期的な視差ありきで考えるっていうさ、そういうことはあるけどね、でもなんつーかやっぱお金じゃないよな。俺が何が出来るのか?ってことだもんね。何かやってやる!ってことじゃなくて何か出来ないものか?って考えるわけじゃん?それはお金では解決されないよね。


自家用ヘリとかクルーザー買えれば達成されるような夢なんて本当の夢じゃないよね。やっぱりそれはもうなんつーか俺がなるってことだと思うわけ。becomingだよね。変な言い方をすれば博覧強記な凄い人になりたい!っていうさ、まぁでもそれって永遠になるってことを実行するのみでなることはずーっと無いんだよね。そもそも博覧強記の人なんてそんな感覚だろうからね。端から見てそう見えるだけであって「自分は博覧強記だ!」なんて思ってるわけじゃないだろうし、別に俺はそんな風になりたい!と思って学問やっているわけじゃないしね。まぁそれでもライプニッツすげーなぁーとは思うからさ、憧れの人を持つってのは重要だけどね。


でもそれだったらやっぱそれに向かうしかないよね。自家用ヘリとかクルーザーってbecomingって意味だと内面的には全く意味ないじゃん?ただの鉄のかたまりを所有するということが人間の進歩に繋がるか?って俺は繋がらないと思うからさ、そもそも所有欲を満たすとかってすげー低俗なことだよね。でもそんなこと言い出すと買うのもなくなるじゃん?まぁかといって俺が何も買わなくなるか?っていうと今ですらそうではないけどさ、でも買う事の虚しさってやっぱ常に感じるよね。所有欲を満たすことの虚しさとかさ、買った時の一時的な高揚感とそれが過ぎ去った後の虚しさとかって今ですらあるんだからさ、金があったところで一緒じゃん?そういう意味で悩みは解決されないなってことなんだよね。


まぁ家族とあとまぁ俺も食っていけるっつーんでそれで十分かもしれないけどさ、そもそも食っていくってのが生きる目的じゃないからさ、だから悩みは解決されないんだよね。食う為に生きるなんて動物みたいなもんだもんね。食う為に生きて欲求を満たすだけなんてそれこそ動物化じゃん?そんなことじゃないよね。やっぱり。まぁ俺は馬鹿だった時期が長かったからやっとここまで来れたって感じではあるんだけどね。でも結構もう馬鹿じゃなくなったからこその厭世観ってあるよね。無知な時はどっかに行きたい!とかあれ欲しいこれ欲しい!ってことで必死だけどさ、知る事でそんなことは無くなるんだよね。まぁ俺はなくなったかな。小室哲哉がピザとかコンビニ弁当ばっか食ってゲームずーっとやってたってすげー分かるんだよなぁー。


別荘とか買おうがフェラーリ買おうがもう買うものとかやることがなくなるんだろうなっていう。俺にしたらゲームなんて腐るほどやってきたから大抵のインターフェースのものはもう飽きてるんだよね。FPSにしたってどんだけリアルになろうがもうどうでもいいよね。結局まぁ一緒だからね。あと実際やりたいゲームとかないしさ、ゲームも我慢してやってないわけじゃなくてもうやろうとも思わないわけだよね。時間が勿体ないし何も達成されないし。まぁ気分転換程度ならいいけどねってまぁそういう人が増えたからヘビーユーザー向けのゲームが無くなったんだろうな。逆にまぁヘビーユーザー向けのやつとかあれば俺はやりたいって思うけどね。でも好きな世界観とか雰囲気が合致するってのが本当に無いからね、困ったもんだよね。まぁやっぱ売っちゃったけどペルソナシリーズはいいよね。あれは本当にハマる。まぁでも戦闘があまり好きじゃないけどね。弱点当てみたいな感じに終始する感じがね。


まぁでも良いゲームなんて有限だからやり尽くすじゃん?ましてや俺ぐらい自由時間があればやり尽くすなんて一瞬だよ。ましてやゲーマーだからやるの早いじゃん?クリアするのが早いんだよね。あとすぐ飽きるし。結局なんつーかまぁ実存的な問題ってクリアされないよねっていう。物理的なものではね。高等遊民を洒落こむぐらいの遊民感ってもう出せないよね。まぁ客観的に遊んでる風にしか見えないだろうけどさ、遊びすらにも飽きるわけですよ。かといっても毎日が退屈なわけじゃなくていつも書くようにどのくらい時間があっても読みたい本を読み尽くせる感じがしない。一日の集中力とかも限られてるし、あとは馴化によって活字にすら飽きるっていうかさ、音楽だってそうだもんね。何もかも聞き尽くしたらそりゃー飽きるよね。でもまぁたまに聞くといいんだけどね。


それこそなんつーかあれだよね、俺が求めてるような人間に自分がなるしかないなっていう。詐欺師のサイモンに感じていた幻想だよね。「こいつすげー!」っていうさ、だったらまぁ実際俺がそれになるしかないよね。あいつは違ったわけだから。でもそこでまぁウジウジするような話になるけど、俺がそんな自分が求めているようなっていうか憧れるっつーかそんな人間になれるのか?ってことじゃん?でもそれぐらいしかやることがないしからやるしかないんだよね。だから自分がどうなってるか?なんて分からないわけで。


その理想が高ければ高いほど自分に満足がいかなくなるわけだ。だからこそ常に足りない感ってのがあって、それがなんつーか「もっと頭良くなりたい!」みたいなさ、知能指数なんて決まってるのかもしれないけどさ、いや、でも高めたいんだ!みたいなさ、だからやれそうなことは全部やるみたいなね、だからまぁ永遠と満足しないよね。頭良くなりたい!ってのは変な言い方だけどさ、上を見れば見るほどキリが無いっつーか途方も無いじゃん?だから永遠と満足できないって意味で人生かけてやれることになるよね。ましてやその辺の人と自分を比べて自分のほうが頭が良いだの物事を知っているだのそんなバカげた満足感なんて得られなくなるし、比較は意味がないけど仮に比較するとすれば凄い人との比較になるから常に絶望することになるよね。それでも諦めない感じっつーのかな?それは量でカバーできるかもしれないじゃん?ってことだよね。まぁ知識って量ではないけどさ、俺が言いたいのは取り組む時間ね。


一万時間の法則的なことだよね。あれなら俺に実行可能っつーかピッタリじゃん?しかもリアルに達成できそうな時間だしさ、俺にとってはね、だからやるんだよね。望みが無いわけではない。俺の場合は本当に後天的なものに望みをかけるしかないけどさ、でもそのチャンスは与えられてるわけだから使わないとね。そのチャンスを。絶望している時間があれば何かを読んでいたり考えていたほうがいいわけだ。それこそ考えた時間なら人類史上トップとかになれるかもしれないじゃん?それって自分のやりようと自由時間の使い方によるわけだからさ、まぁそんな「考えた時間」の測定方法なんてないけどさ、んでもそれでトップになるのだっていいじゃんね。馬鹿の考え休むに似たりかもしれないけどそんなの関係無いよねっつーかそれは解釈の仕方にもよるじゃん?馬鹿の定義だよね。


それを情報量とか知識量と仮定すれば馬鹿からの脱却なんてできるじゃん?その脱却を俺はしてきたってさっき書いたでしょ?だから何かを考えるなら馬鹿じゃしょうがないから情報を得るんだよね。今の俺ぐらいの数学の知識で数学のことを考えてもそれこそ馬鹿の考え休むに似たりだから数学を可能な限りやれそうなやつは全部やったほうがいい。そのほうが考えられるようになるわけだからさ、そのためのインプットだよね。地頭はそこまで問題じゃないと仮定すれば勇気も出てくるよね。それこそやる気になるじゃん?勘違いかもしれないけどまぁ勘違いでいいよねっていう。そんなの結果次第なんだし。


ってことですね。ストレスも無いとか脳を使うには最適な環境なんだから脳を使わない手は無いよね。そんな理想的な環境で脳が育てばそれは凄い脳になるかもしれないわけで。Cultivationだよね。ひたすらそれっきゃないでしょっていう。


今日のオススメ書籍。



今読んでる本なんだけど邦題がいいよね。