海老蔵事件について思う事。

時間無い。読みたい本が読めない。読む本がありすぎて。いや、何かな?これ?と思った時にこれって自由時間が死ぬほど増えた分、手軽な感じのすぐ読破するような本ばかり読んでいてもしょうがないというか、経済的にも大変だからっつーんでやり始めて読んでない本を読もうキャンペーンと重なって、結果的に今まで読もうと思わなかった本とか読めなかった本とか手が出せなかったジャンルみたいなのに平気で手を出せるようになったことだと思うんだよね。凄い進歩だね!これ。


社会的には完全にクソというかステータス的にもなにも達成できないまま金欠でアメリカから戻ってきてまた引き蘢りに戻ってるみたいな感じで負け犬もいいところだと思うんだけど、そういうのを気にしなければ進歩したなと客観的に思えるところが多くて結構最近は幸福感を感じるかなっていうかまだまだ上がってるな。俺。ってな感じで安心できる。もちろんその安心から常に危機感を持つというか、安心感に浸ってはいられないんだけどね。俺はまだまだ自分の事を信用できるなって思ったね。


あっちでもたまにレベルアップを感じて幸福感を感じてたことがあったけどっつーか頻繁にそういうのってウォール伝で書いてたけど、帰国後初めてだな。今回は。まぁなぜなの?って言われたら分からんけど、例えばさ、たくさん読むってことがもうどうでも良くなってきていて段階が熟読になっていてなおかつお手軽な感じの本には手を出さないというか、まぁ逆を言えばそういうのばっか読んできたってのもあって、ややこしい感じの大著とかを読んでるってことなんだけどさ、「何冊読んだ」みたいなことに完全に満足感を感じなくなってるのとかってまぁ馬鹿からの脱却だよね。


それもまぁ段階的にしょうがなかったんだけど読後感みたいなのに浸ってるだけみたいな白痴状態からは完全に抜け出せたっつーか、だからこそ本を300冊ぐらい処分しようとかって思ったんだろうな。蔵書数とかマジで意味ないなっていう。いや、むしろ少ないほうがいいよね。手元に置いておくべきものは大著ばっかで、すぐ頭に入るようなのはもう見返す必要がないんでどんどん手放しちゃうっていう。ようは読んできた本がそのまま頭に入ってるんで蔵書が少ないんですみたいな状態になったら最高だな!って思ったわけね。まぁ音楽で言えばそうだけどね。映画にせよ。あ、俺ね。それを次は本でやってみたいっていうかそんな境地に達してみたいなと思ったわけよ。


あ、んで今日書きたかったのはさ、暴力についてなんだけどさ、全然タイムリーじゃないんだけど海老蔵事件あったじゃん?いや、もっとタイムリーな時に書いておけばよかったんだけどまぁいいや。逆にまぁ収まったからいい時期かな?いやさ、暴力ってなくなっちゃいけないと思うんだよね。それはさ、例えば仮に海老蔵が泥酔して誰かに灰皿についだウィスキーだかテキーラを飲め!なんて馬鹿にしながら言ったらボコられて当然でしょってことだよね。そういうあまりにも行き過ぎた行為に対しては人間としての基本的なアグレッションってのが裁かれ過ぎてはいけないと思うんだよね。それこそそんなもんぶん殴られて当然じゃん?半殺しにされたのは相手が悪かったよね。いや、仮にだよ、海老蔵のうわさ話とか過去から推測する限りまたとんでもないキレさせるようなことをやったんだろうなって分かるじゃん?で、示談で「海老蔵さんは何もやってない」ってことになるわけじゃん?どんだけ金もらったのか分からんけど。


暴力ってなくなることで不健全になると思うんだよね。それこそ暴力がいけないからこそ相手の怒りにつけ込むっていうかさ、キレされるようなことをして頭を混乱させるみたいな手法が常套化するじゃん?例えばセクハラにせよパワハラにせよ条件付きで暴力解禁にしたら結構減ると思うんだよね。完全にちゃんと書けている博士論文をパワハラにより却下されました。で、その却下した教授は博士論文を提出した学生に刺されましたってまぁ全然ありだと思うわけ。まぁ今俺は法律をめちゃめちゃにするようなことを言ってるけどさ、最近っつーかもう結構書く事書いてきちゃったからパラダイムシフトしようかなっつーか法とかも超えていこうかなって思ってるわけね。それこそ学問とかやってれば法がいかに重要なことか?って分かるじゃん?だからこそあえて言うみたいなさ、それをもう法という縛りだと解釈して、主に人間性から物事を考えるみたいなさ、法で支配されていても人間がそれによって抑圧されたり不健全な権力構造が生まれたりしたらそれはダメだと思うのね。で、まぁそれが暴力だと思うんだけどね。


いや、でも昔ならあったしまぁその場で済んでたんだろうね。でも今はなんでも警察だなんだってすぐ犯罪になるじゃん?通り魔とかはともかくとして、あまりに酷い仕打ちをしたやつに対して暴力的な制裁を加えるって一番健全な方法だと思うんだよね。暴力ができないからこそ暴力に訴えないやり方みたいなのを模索していくと自ずと陰湿になっていくんだよね。法に触れないレベルで出来る嫌がらせを全部やるみたいな。それって不健全じゃないですか?仮に嫌がらせをしてくるやつがいたら殴っていいと思うんだよね。単純に。そうするとそもそも理不尽な嫌がらせとかいじめをできなくなるじゃん?ボコられたり刺される恐れがあるから防衛として嫌がらせをやらなくなるんだよね。それでいいと思うんだよね。


サービス残業を無言の圧力で強いる店長をリンチしようと思ったけどやめたってまぁみんなやめるよねっつーかそもそも暴力っつー発想を最初からゼロにされてるインポ状態みたいになってるから殴るって発想すら無いのかもね。それこそ任侠的な意味ではドスなんて常に携帯してていいと思うんだよ。もちろんおかしな正義ってのが暴力によってまかり通っちゃったりしてもいけないんだけど、でもやっぱ世の中って物理的制裁を受けるべき人間がすげー多いと思うわけ。殴っていいって言われたらとっくに殴ってるって相手いっぱいいない?俺は今いないけどね。こういう生活をしているおかげで。まぁもう実家がダメだからなんとかせにゃいけんのだけどね、でも俺ってどんどん社会性が無くなってきてるよね。どんどん普通じゃやれない体質になっていってる。だからもうこれを極めるっきゃないなって気がしていて。開き直りではなくてさ、もうそうなっちゃったからしょうがないっていう消極的な理由もあるよね。それはもうそういうとこに行ったら抹殺されるだけだから止めなさいっていう生体的な意味でのメッセージかもしれないしね。


食う事を人質に取られてない人間はやっぱり自由な発想ができるよね。俺は少なくとも今は自由だからやれるうちに自由な発想はやりつくしたいと思っていて。まぁそんな感じで一生自由だったら最高だけど、まぁ俺はそんな生活を望むよね。まぁともかくだな、耳蝉法により暴力オッケーになったら喜ぶ人多いと思うんだよねー。もうあの人格がおかしい上司はまともな身体でいられる国家ではなくなった!みたいな、俺はこっちのほうがよっぽど健全だと思うんだよね。物理的な暴力が禁止されているからこそ成立する言葉の暴力とか権力の暴力っていっぱいあるじゃん?それをぶち壊すには物理的な暴力解禁でいいと思うんだよね。よってリオンみたいなケースにはリオンオッケーみたいな。


まぁ分からん、なんかで読んだけどリオンか分からんけど芸能人相手に集りとかをやってるやつらもいるから別にそういう輩を正当化するわけではないんだよね。まぁリオンがどんなやつかはともかくとして、とりあえず思考実験的に海老蔵が灰皿にウィスキーを入れて「飲めよ!間の子!」とか言ったとしたら半殺しにされて当然ってことだよね。そこをなんつーか相手にしないみたいな態度を大人の態度にするっつーのもなんつーか人間的な本能に反してて不健全だよね。やっぱそれを我慢するってすげーストレスじゃん?いや、俺はストレスだな。身体的に弱っちいし喧嘩とか絶対強くないけどでもやっぱ俺は攻撃性は凄くあるよ。だからすぐぶっ殺すって発想になるからさ、だから道理が通ってる殺人とかにはむしろ犯人に同情するんだよね。こんな状況だったらそりゃー刺すよなみたいな。


むしゃくちゃしてたからやったっつー相手が不特定多数のアノニマスな相手じゃしょうがないけどピンポイントでその原因を作ったやつに行けばまぁ暴力が向く先としては健全だよね。まぁその具体的な場合だけだけどね。当然だからまぁ通り魔とか秋葉原事件とかは正当化されるわけがないわけで。まぁあれだよね、凄くやっぱイライラするよね。暴力が使えない状況って。上司と部下的な関係が典型だけどさ、アカハラ然りだけどさ、それをやったら社会から抹殺されるからやらないっつってもすんげー屈辱受けるわけじゃん?それでもそんな中でやっていかなきゃいけないからなんつーかどんどん人格的にダーティーになっていくしかないみたいなさ、だったらそんな前に暴力許せばいいと思うんだよね。


もちろんそんなの証拠が取れないしさ、耳蝉法をいい事に利用して暴力を正当化するケースなんていくらでもあるからまぁ難しいんだけどでも思考実験的にどうやったら可能か?って考えるのも面白いじゃん?絶対俺はそっちのほうがいいと思うのね。アカハラ受けた学生が自殺するよりもアカハラをした教授が刺されたほうがいいと思うわけ。ようは天誅許可だよね。それだとピンポイントで社会的な害悪みたいなのが合法的に取り除けるじゃん?それは潜在的にいっぱいいるけど分からないわけだよね。ヒミズの主人公みたいに探してもなかなかいないわけだ。だったら当事者っつーかさ「こいつゴミだな」って思わせるようなあまりに酷いことをやるようなやつは消されて当然っつーさ、まぁ消されなくても俺がさっき書いたようにボコってもオッケーってことになったらアカハラする教授とか怖くてできなくなるじゃん?生徒が絶対そんなことは出来ないって分かってるからやるわけじゃん?だったらそんなことねーぜ!っていう仕組みのほうが権力の横暴ってそれこそ個々のゲバルトによって防げる気がするんだよね。なんか逆説的だけどさ、小さい権力に関して言えばやっぱ物理的なゲバルトが一番いいと思うな。


それはロックがさ、政府が腐敗したらいつでも市民はその政府をぶっ潰せるっつー革命権みたいなのを主張してたじゃん?それの小さいバージョンだよね。あまりに腐敗が酷かったり嫌がらせにせよなんにせよ生存権を奪われるから逆らえないみたいなそんな状況を利用して嫌がらせをやっているやつに関してはいつでもぶっ潰してオッケーっつーさ、つまりはそれをオッケーにすることで良心に訴えないような自主的ないじめとかハラスメント全般の規制ができると思うんだよね。制裁の可能性があるんでやらないわけだ。だったら実際は嫌がらせをしたくても普通を装ってちゃんと接したほうが自分の為にもなる。まぁ怪我を負ったり下手すれば死ぬ事を防げるじゃん?だから性悪説に立った暴力の肯定だよね。結果的にそれは組織にとっても自浄作用的な感じで良い流れを作り出すと思うんだよね。何しろセクハラとかアカハラするようなやつはボコられるか殺されるわけだから。


そこを法を超えてでも天誅を下すのが例えば戦前の右翼とかだよね。爆弾とかを仕掛けずにピンポイントで国賊を屠るっていう。俺はいつも書くようだけどこういうテロはむしろ市民の安全というか、国家の安全のために必要だと思うね。だからといってまぁ合法化はできないだろうけど、でも別にそれってある種の革命権だと思うんだよね。ロックの発想と根本は一緒じゃないか?って思っちゃう。何しろアメリカの独立宣言の元ネタですからね。ロックは。説得力が違うでしょ?


それは別に思いつきじゃなくて昔から思ってたんだよね。合法的に店長殴れたらいいのになぁーってさ、この殴れなさがsicknessだよなってバイトとかしてた頃は思ってたのね。まぁそんなのを海老蔵事件で想起させられたわけだ。自浄作用としての政治/社会的な意味での暴力の肯定って俺は余裕でアリだと思ってるね。これはふざけてないですよ。マジです。もちろん耳蝉法導入には色んな矛盾とか問題があるんだけどさ、まぁそれはいいですねっていう発想からいかに合理的にそれを社会に組み込めるか?ってのを考えるのも悪くないよね。まぁ普通はそんなこと考えないだろうから俺が考えてるわけだよ。


とにかくまぁ「それはいけないことだ」みたいに言われていることを根底から疑ったほうがいいね。それって結果的にもっといけないことを許容しちゃってるバックグラウンドを作っちゃてない?っていうさ、結果的に社会や国家や市民のためになってなかったらそれはいけないことじゃないよね。その禁止こそがいけないことかもしれない場合だってあるじゃん?いけないっつーprohibitionみたいなのでもう思考停止になったらダメだよね。いや、それ違法ですから、とかさ、仮に違法だって建設的な社会を作る為に必要不可欠なんだとしたら合法にしなきゃいけないよね。まぁ別にそれは暴力に限らないんだけども。


最後にまとめるとまぁ海老蔵の暴走って暴力の禁止から来てるやりたい放題じゃん?殴られても当然のことばかりしてきていたんだけど、暴力が社会によって禁止されてるんで制裁を受けてこなかったみたいなさ、それでまぁ今回っつーかまぁ結構前だけどこういう機会があって本人としても良かったんじゃないかなって思うんだよね。反省の機会を与えられたって意味で海老蔵浄化作用があったわけだよね。凄くこれは肯定できる暴力だよね。これによって海老蔵が懲りて人間的にまともになれば社会的にもいいじゃん?これがターニングポイントになったかもしれないわけで。


ってことですね。今日は。


今日のオススメ書籍。



まぁ例えばこういう本をじっくり読むような精神的な余裕というか下地が出来たってことだよね。ずーっとこれも買って以来放置だったけど、今の心境だと熟読に最適な本で、んで結果的にハマるんだよね。何冊も読もうとかさ、多読とか速読を気にしてたらまぁ無理ですよねっていうっつーかそもそもそれが集中力ということに対して悪影響を与えるっていうさ、まぁ俺の経験で言えばそうだね。取っ掛かりとしてとりあえず速読とか多読でガーッ!と色々な本を読むのはいいけど、やっぱりそれは最初の段階っつーか超えなきゃいけない初期段階だよね。そんなのやってるうちはダメだってことだね。速読の本とか流行ってるらしいけどっつーか俺もやってたけど、まぁ熟読と使い分けられればいいけど、あれがデフォになるよ悪影響のほうが多いと思うね。まぁ超頭の良い人向きの読書法でパンピーには向かないね。小飼さんとかだから出来ることなんであってパンピーがやることじゃないよ。あれ。歴史上にも読書が異様に速かった人がいるけど、まぁ尋常じゃないぐらい頭が良い人達ばっかだから、まぁまずパンピーには無理って思っておいてオッケーだと思うね。思うに自己啓発本とかもそうだけど、ああいうのって実社会を舞台にしたファンタジーを提供してる感じだよね。速読とか自己啓発系のメソッドによって貴方も変わる!っていうさ、実社会でのシンデレラ的なパラダイムを提供するみたいな、サラリーマンにとってのファンタジーだよね。ああいうのって。まぁそれも色々読んできて思う事なんであって頭ごなしに批判するつもりはないんだけどね。まぁ役に立ってる人がいればそれでいいんだけども。