複雑なやつはもう凄くイヤですね。はい。

いや、これが近似ですとかって言われてもさ、式がぐちゃぐちゃだったりするじゃん?いや、そこで何が起こっているのかは分かるようになってるよ。そりゃ。でも厳密に式を理解するということがどういうことなのかやればやるほど分からなくなってくる。いきなりlogが出てきたりとかさ、そもそもlogとはなんぞや?ってもう根本から考えないと理解出来ないでしょ。そりゃ公式ですって言われたらそれまでだけどそれじゃ意味分からないじゃん?相変わらず三角関数も分からんし。三角関数なんかは暗記するしかないとかって言われるけど俺は暗記が無理なんだよな。


理解しないと頭に入らないし暗記じゃそれが何なのか分からないから全くやってる意味が分からなくなってニヒリズムの彼方へ落ち込んでいくわけよ。なんかの本で三角関数の加法だの合成だのをなんでそうなるのか?って解説してるやつがあったけどややこし過ぎて嫌になったもんね。あれじゃーそりゃー暗記しかないよなっていう。あとはもう何が起こっているか?っていう意味ではなくてこれは微分すればこうなるとか積分すればこうなるっていう記号操作で理解するしかないんだよね。


それで言うと微分積分なんかも初歩的なレベルならアレだけど高度になるとさっぱり分からないよねっていうか分かるけど考えるのが嫌になるじゃん?あんな細かくて煩わしいものなんて考えたくもないっていうか、まぁ工学系ってことでいいのかな?とか勝手に思ってるけどね。醜い近似の世界っていう。近似の醜さで言えばパイの近似とかも酷いじゃん?これぞugly mathematics!と言わんばかりのえげつなさだよね。で、例えばその近似の出し方ってのもさ、いや、作った人は分かってるのかもしれないけどようは客観的に見るとゴリ押しにしか見えないんだよね。


ひたすら計算計算!ですげー近い数字が出た!っていうそういう世界ね。法則とか理論みたいな知的なものが全然無くて、なんていうか機械的な計算の所産っていうかさ、だからもう物理とか俺は絶対無理よ。近似のオンパレードってイメージがあるし、実際まぁそうだろうし、まぁとにかく計算が無理だね。計算嫌いね。やっぱり。いや、物理自体をディスるつもりはないんだよね。近似ってのは理論をやる上で必要になってくるツールなわけで近似=物理じゃないでしょ。そりゃ当然ね。でもまぁそれをやるには近似計算的なゴリ押しの計算とかを永遠と出来るような忍耐力っていうか精神力とかが必要じゃん?で、俺にはああいうのは無理だし、そりゃあれは才能とかじゃなくてトレーニングで出来るようになることではあるけどようは作業的に言えばすんげー細かいプラモデルみたいなもんなのよ。


もうホントにああいうのって昔から大嫌いなんだよね。パーツがやたら細かくてちょっとミスるとやり直しで・・・っていうのがさ、あと細かい作業が嫌いだし複雑なものが嫌いなんだよね。数学の場合、まぁモノにもよるけどひたすら複雑に見えたものが実際にやることで理解して凄くそれがシンプルで美しいものだって感じられるようになるわけじゃん?まぁ本当にモノによるんだけどね。だからまぁ証明にコンピューター使うようなやつとか実験数学みたいなのは全然興味ないんだよね。ああいう煩雑な計算を避けてどのくらいまでやれるか?だよね。


まぁでも何が起こってるか分かってるからいいよね。でもまぁプロとは言えないよなぁー。これじゃあ。でも俗に言う数学者って全部の数学を理解してるわけじゃないじゃん?物理学者とかでも全然数学理解してない人とかいるみたいだし、そういう人の場合、理解っつーかやってないんだよね。やれば理解出来るんだけど物理数学ばっかやってるからやる機会が無いっていう。あ、数学者が書いた本に書いてあったことなんでまぁ信憑性はあるかと思いますが。ちなみにどっちが良いとかっていう価値判断はないよ。そりゃ物理数学知らない数学者がいるのと同じことなわけで。醜い近似の世界で言うと無理矢理角の三等分をしようとするやつらとかもそういう感じだよね。明らかに解がないものに対して力技の手練手管を使って近似を出そうとしてるっていう。もうそういう発想が下品で嫌ね。ましてや証明されれば凄いことだ!的な名誉欲みたいなのにトリガーされてるわけじゃん?もう最悪だよね。


あ、んで話を戻すとさ、なんかやっぱ先生っているといいよなぁーとは思ったよね。お前はこういう方面に優れているからこういうのをやりなさいとかさ、そういうやつはお前がやりたい方面のものでは全然出てこないからそんなに頑張らなくてもいいよとかさ、全貌を掴めてる人のアドバイスっていいよね。さすがに全部やるってのはないよなぁーって思うし。学部生とかどうなんだろうね?あんなもん全部やるって拷問だろ。だからまぁ数学科は脱落者が多いのか。でもまぁ俺はそんなにまだ高度なやつはやってないけど何が起こってるかさっぱり分からないってのはあんまりないからまだ絶望するのは早いなとは思うけどね。


結局でもなんつーか根底の理解ってことでもうそれは微分積分っつーよりかは解析学ってことになるしさ、結局はまぁもう位相とかやることになっちゃうじゃん?例えば高校数学みたいなのは型だけなんだよね。で、本質の理解は大学数学っつーかまぁもっと上のレベルなんだけど、この根底ってのが凄いんだよな。いつまでも学部3年か4年ぐらいのレベルでも永遠と基礎的なものがついてくるっていうか、結局は地続きなんだよね。3〜4年で詰むやつはそんなに考えてこなかったやつらだよね。計算だけ出来てたとかさ、意味とか考えてこなかったとかさ、だから凄くファンダメンタルな理解を要求されるぐらいのレベルになるとっていうか暗記とか計算できましたってだけじゃ通用しなくなるレベルになると「無理だ」って思ってやめちゃうんだよね。まぁでもそれはもうそいつは最初から無理だったってことなんだよね。選択を誤ったってことなわけだ。


なんつーかね、積み上げって言われるのも分かるけど、でも発展っつっても複雑化するだけだったらもう正直全然興味ないんだよね。ただ基礎的な計算がより複雑になったり色々と組合わさるだけだったらまぁもう興味失うと思うね。だからやっぱあれなのよ、例によってだけどかっこつけてるわけじゃなくてやっぱり抽象的な数学がいい!ってことになるんだよね。位相とか群とかなんつーかグロタンディークがやってたようなああいう感じのに凄く興味があるねっていうか俺が考える数学ってあれだよね。近似計算とかじゃないわけで。そういうのが高度な数学にあるって分かってるからだからやりたくなるんだよね。ひたすら計算!とか近似!みたいなぐちゃぐちゃしたようなもんばっかの発展系が数学ってことなわけじゃないからね。


んでもそれで言うと確率なんかもさ、正規分布だのコーシー分布だのガウスの誤差理論だのさ、いきなりあんな式出されても分からないじゃん?そりゃーそれを使えば値は出ますって言われても意味が分からないじゃん?なんでそうなってるのか?ってのが理解出来ないともう凄く嫌になる。だからまぁそれを分かるためにまた別の本を買うって感じでっていうかさ、ようは一冊で理解しようと思わないことだよね。良い本を買ってそれを熟読するってのが良いとは言われるけど、んでもその本が良いかどうかなんて初学者には分からんし、それは分かった後に結果的にあれは良かったとかって言えるわけじゃん?相性もあるしね。


だから確率にしてもザックリとしか説明されてないようなやつはとりあえず概論的に俯瞰して全体像を見る感じで、式の意味とかディティールに関しては細かく説明してある解説書みたいなのを読むしかないよね。俺にとっては大抵の名著とかって言われてる数学書って説明が雑だと思うんだよ。ラングの解析入門なんかも何が良いのかさっぱり分からないよね。あんなぐらいのディティールならどれも変わらないじゃんって思っちゃうわけ。


まぁジャンル違いにはなるんだけどやっぱ意味を解説してないとダメだよね。ようはピンポイントで概念なりディティールを説明してあるやつね。まぁすんげー頭良いやつとかだったら雑な数学書で理解できるんだろうけど俺には無理だわ。ホントに。何々とは何々と言われこれはこのように定義できるとかって言われたって何でですか?って聞きたいじゃん?いや、それは考えるよ。なんだろうなぁー?って。なんでこれがこんな式になるんだろうか?って。でも分からんやつは分からんのよ。だから解説してもらうしかないわけだけど、そんな丁寧な解説がされてるやつなんてないんだよねっていうかあるんだろうけどそれはもうなんつーか基礎概念のみを説明してるような本に限られるよね。定理証明の永遠の繰り返しの本じゃ無理だよね。


一個一個知りたいのよ。これはある意味で向いてるんじゃないかな?とは思うんだよね。ようはいつも書くように何でも知りたがるっていうさ、「そういうもんだから」っていう説明には納得できないどころか怒りすら覚えるっていうね、この異様なこだわりってのが長所になりうるのがやっぱ哲学とか数学とか物理だと思うんだよね。まぁ逆にあれだけどね、社会生活とか絶対無理だけどね。臨機応変にできないわけよ。もう納得いかないとダメなのよ。


で、その本で分からなくてもこの本の説明が全く無いか雑過ぎるからだって思うようにしてるんだよね。確率論で言えば伊藤清のやつなんかも全然ダメだよね。ただ永遠とこうでこうで・・・ってのが書いてあるだけでただの羅列なんだもん。それで言えば高木貞治の本なんかもそうだよね。で、ディスってばっかいてもしょうがないんで名著と言われるやつで良いなっていうか分かりやすいなって思ったのが松坂和夫の集合・位相入門ね。まぁもう知ってることが多いからってのがあるにしても何々とは何々のことで例えば何々で言えばこういうことである的なちゃんとした説明があるのよ。あとはやっぱクラシックじゃなくてやっぱ最近のやつのほうが断然分かりやすいよね。まぁ今手元にあるのだと松原望の「入門確立過程」ってのがあるけど図とか具体例とか解説が豊富で断然分かりやすいよね。それでもまぁ他を読んでないからこれが良書だと言えるかどうかは分からんけどぶっきらぼうなクラシック系の数学書に比べればそりゃー敷居は低いわな。


クラシック系ってしょうがないんだろうね。そもそも半世紀ぐらい前のやつばっかだから分かりにくくて当然なんだと思うけど激しく疑問なのはさ、なんでこんな分かり辛いクラシックスが今も有り難がって読まれてるのか?っていうさ、高木貞治とか伊藤清とかああいう岩波クラシック系のやつを今でも名著とかいって書く人達って何なのかな?って思うよね。ただ大御所が書いただけって感じだしさ、あと昔で言えば日本語で書かれてた体系的で幅広く色んな物をカバーしてるのがそういうのしかなかったっていうそれだけだと思うんだよね。アメリカのdoverとかじゃないね、現在形で使われてる大抵何万以上もする教科書あるじゃん?


ああいうやつのほうが絶対分かりやすいわけじゃん?でもなんで和書でそういう体系的な幅広くカバーされてる本ってのが更新されないのか?って話なんだよね。岩波とかも古い翻訳のやつとかを再販とかしないで新しい欧米の分厚いやつを翻訳して出せよ!って思っちゃうんだよね。なんかだからやっぱあれなんだよなー所詮は欧米系に叶わないんだよな。名著はあれど大抵古いわけだよ。それ以降これ以上のものが書かれてないって理由だけで今も読まれているっていうさ、でもみんな英語読めたらまずあんなもん有り難がって読まないよね。まぁ結局俺も大枚はたいて分かりやすいアメリカのやつとか買ったほうがいいんだよねー。で、doverとかは結局一緒なんよね。調べるとやっぱり記法が古いっていうね、いや、記号とかじゃなくて表現法が古かったりして無駄に難しくなっちゃってるとかさ、そういうのが多いわけよ。もう絶対簡単なほうがいいもん。分かりやすいほうがいいに決まってるわけだ。


いや、なんで岩波系のクラシックをわざわざ買ってるのか?ってまぁ前に書いたような日本語で数学書を読んでみようプロジェクトの一環でもあるんだけど、値段がマーケットプレイスとかで安いんだよね。ようは原理的にdoverと同じなんだけど、元が古いじゃん?だから50年とか60年とかの元のやつだとさ、新しいエディションが出てるから安いんだよね。所謂超古本なんだけどね。でも中身ほとんど変わらないわけだから。伊藤清のも600円で買ったし、解析概論なんかも500円ぐらいだったもんな。で、和書では4000円以上とかもう出す気になれんのよね。それだったら倍払ってもアメリカのちゃんとしたやつを買ったほうがいいじゃん?いや、先人は偉大ですよ。そりゃ。でもそれは歴史的価値じゃないですか?50年前のテキストを今も使うとかっておかしいよ。マジで。いや、あんなんだから数学って難しく感じられちゃうんだと思うんだよね。余計に。


だからまぁあれなんだよね、適当な説明とかしかされてないやつとかはもう本当にアレなのよ、それで分からなくてもしょうがないから色々と読むしかないって思ってるんだよね。で、結局はやっぱ古いやつじゃなくて今使われてるスタンダードでアマゾンのレビューとかでも良いやつとかを参考にして買うしかないなって結論になってるんだよね。いや、マジで高いんだけどしょうがないよね。結果的に安いけど古い本で苦労するよりかは高いけど新しいやつのほうがよっぽど楽なわけだから。まぁでも古い本を一応は読んだってことは全然無駄にはならないんだよね。分からないところが多いなりにも概論的なことは分かるじゃん?


大抵の定番の式なんか見覚えがあるし初見じゃないのばっかになるからやっぱ慣れが出てきてさ、最初がdoverとか岩波とかの古いやつだろうが、まだまだ全然分からん!ってことで読む次の本を読む時のある程度の基礎知識にはなるんだよね。んでもう気持ち悪さを解消するためにはとにかく色んな本を同じトピックでも色々と読むしかないなと思って。入門書だけで10冊とか普通にアリなのよ。いや、俺は50冊ぐらいですらいいと思ってるね。それでも分からなかったらさすがに向いてないんだろうって気がするけどまずはそんぐらい色々な人達が書いた古今東西の本を読んでからだよね。一個の本に固執して熟読だ!っつーのはダメだと思うね。金に糸目を付けずに良さそうなもんはとにかく買いまくって読みまくるのがいいと思うね。


恐らくまぁ熟読だ!っていうのは伝統だと思うのよ。古い人達が過去にそうやってきたわけだよねっつーのは昔は体系的なテキストの数とかが限られてたし、選択肢がないからそれをぼろぼろになるまで読むしかなかったと思うんだよね。でも今って専門書から一般向けの入門書まで腐るほどあるじゃん?いや、超専門的になるとそんなにはないけど基礎的なもんだったら腐るほどあるわけよ。だったらもう良さそうなのは手当たり次第読むってのがいいと思うんだよね。俺は哲学ではそうしてきたからね。原著って絶対分かり辛いから色んな人が書いた色んなレベルの解説書なり入門書なり新書なりってのをとにかく読みまくったよね。まず最初はそればっかなんだよね。で、掴めてきたら原著って感じね。だから最後に原著なんだよね。


実際、ハイデガーとかフッサールの原著を読み始めたのなんてここ数年だもんね。哲学なんて原著だけで言えば100冊ぐらいで大抵は事足りるんじゃない?んでも入門書とか解説書とかニーチェ論的なものとかさ、そういう色んな物を含むから膨大な数になるんだよね。で、それでいいのよ。哲学なんてデフォで分かり辛いし何より書き手がヘタクソなことが多いんだよね。もうごちゃごちゃしてて繰り返しが多かったりさ、イマイチ言ってることが分からなかったりコノテーションみたいなのが多かったり無駄に迂遠だったりとか。まぁそんな中でショーペンハウエルみたいな明快な人もたまにはいるけどまぁレアだよね。ニーチェなんかも私的なアナロジーとか西洋的な言い回しとかさ、宗教的なものに例えたりしてたりなんかして大抵の日本人にはさっぱりだよね。だから入門から入るしかないんだよね。いきなり原著ってのはありえないと思う。そんなやついたら相当疑わしいよね。


あとは日本人の哲学にしたって田辺元やら西田幾多郎やら廣松渉やら難解を極めるのばっかじゃん?まぁようはこれが哲学ってことだよね。分かる事はできるけど原著が分かり辛過ぎるから理解し辛いってだけで完全に理解出来ないものなんて無いと思うんだよね。だからそういう意味で俺は哲学とか思想での躓きってのはなかったし今もないんだよね。で、すんげー挫折というか躓きを味わってるのがまさに数学なんだけど、まぁだから今回書いたようなね、哲学を原著で読んでも最初からじゃ分からないのと一緒で色んな入門書とかすんげーレベルの低い所から始めてだんだん分かるようになってくるんじゃないかな?って思ってるんだよね。だから結局は数学も哲学と一緒で本質的に完全に理解不能なやつなんてないと思ってるんだよね。だってそれは人間が考えたことなんだし人間が理解出来ないわけないじゃん?そもそも俺は地頭は悪くないんだし百戦錬磨で鍛えられてるわけだし。そこはなんつーかだから自分を責めちゃダメなんだよね。


そりゃもう単純に解説が雑とかね、もっと詳しい解説がないと分からないってだけでこっちの問題じゃないってことなんだよね。そう思ったほうがいいわけだ。だから分かるまで分かりそうになれそうな本を探してひたすら読むってことを続けるしかないなって思ってるんだよね。あと同じ本を何回も読むよりも基礎的な既知のことも違う人が書いた基礎の導入とかさ、それを色々と読むってのはかなり有用だなと思ったよね。それこそ実数の定義の仕方とか集合論とかにしてもさ、書いてる人によるんだよね。で、「あーこんなやり方もあるのか!」って関心したりするわけじゃん?で、結果的に自分にとっては色んなアプローチなり導入を読んでいるっていう経験からの理解の深まりってのが増すわけだよね。読めば読むほど増すんだよね。それは。まぁただダメな本を読んでもダメだから良さそうな本を選択してんでも「これだ!」っていう決定版みたいなのは決めずに同じジャンルの同じ内容の本でも色々と読んでみるってことが大事なんだよね。


まぁ俺で言えばやるジャンルは限られてるわけだ。確率と解析と集合論と位相と代数っつーかまぁ群とか圏とかね、まぁこれだけでも結構な量になるよね。んでも全部繋がってるよね。結局代数の基礎的な理論っつーか基礎定理みたいなのも結局は解析的なやつとかって結構あるなって思ったわけで、だからまぁ代数の見方がだいぶ変わったし、代数なんて高度になればなるほど集合論とか位相みたいになってくるじゃん?だからもう全部一緒なんだよね。俺にとっては。確率だって解析と集合論と組み合わせ理論の混ぜ合わせみたいなもんだし。


だから色々ジャンルはあってもすんげー個別に概念を細部化していくと結局は数学ってことになるんだよね。境界線が無い感じね。結局は幾何だって他のジャンルから間接的に部分的に学んでることがあったりするわけだし、色々とやってるから数論だって分かるようになってくることもあるわけだしさ、結局はまぁ統合だよね。いや、統合って言い方が間違えなんだよな。そもそも一つの物を勝手にこっちの都合で分けてるわけだから。でもやっていけば境界線が無いってのが本当によく分かるよね。必要なのは数学の知識なんであって解析だの集合だの代数じゃないんだよね。数学をやるための代数とか解析とか集合なわけだよね。


んでもやっぱ一つのゴールである数学を作り出すってことで言えば本当に現代数学は煩雑さとか複雑さとか高度化ってのを極めてるよね。本当に。50年前なら数学者になれた人でも今は無理って人はいっぱいいると思うな。未発達だったから今から見れば初歩的なことで名を残すことができたりしたけど今は複雑過ぎて何も書けないっていうさ、何も書けなくて博士号とれない人が多いって本当に分かるもんね。あと基礎論なんかではそもそも院生とかが何か書けるようなジャンルじゃないから大学院で基礎論の研究なんてまだ学生の身分だったら自殺行為に近いとかなんだとかさ、おっそろしい世界だよね。本当に。


だからまぁ逆に良かったっつっちゃー良かったんだけどね。こないだ可能世界の話をしたけど、アメリカで学校に通い続けている俺がいたとしてもこの現実の残酷さは変わらないじゃん?大学にいることでのアドバンテージはあれど結局はペーパーを書くなんてことになっちゃったら敷居の高さは変わらないじゃん?与えられた物をこなしてるだけならいいけどさ、結局最後は違うわけじゃん?あとは別に博士とれたってペーパーを書き続けないとただのゴミみたいなもんになっちゃうしね。ゴミ博士ゴミ教授のほうが多いよね。まぁデフォでアカデミアはゴミが多いとは思うけど数学は特に顕著だと思うな。レベルが高過ぎて凡人の手に負えるものじゃなくなってるからね。


で、俺で言えばやっぱ目標は色々と書き続けられる人になりたいわけでしょ?まぁ昔から自分は何かを作り出すってことに凄く価値を置いてきたしなんかそれがないとやっぱダメなのよ。で、そういう欲求を満たすのでも数学って最適だしさ、そこはもう自分の実存の問題と直結してるんだよね。だからポストとかではないんだよね。職業云々ではなくて何かを書けるかどうか?ってのが問題なわけだから。逆に書ければいいんだよね。別に大学にいなくてもそれこそ書くことに一番最適な環境に身をおけばいいわけで、それが必ずしも大学とは限らないし、雑事とか絶対嫌だからさ、だからやっぱ何かに依存しなくても自分の力でやっていけるぐらいにしないと自分としても人生やってけないって思うんだよね。


お偉いさんの教授とかにごますりとかして上手くやってるような連中も多いんだろうけど、俺はそんなことはやりたくないっつーかそもそもできないし、そんなんで仮に何かのポストに就けても書けなきゃ意味ないじゃん?言わば作家と同じだよね。何かを書けなきゃそいつには価値がないってことだよね。まぁだから芸術とか文学とかっていう創造的な行為と形式とかタイプは全く違うけど似たようなところがあるんだろうね。だから凄く魅力を感じるんだよね。だから俺は凄く向いていたいわけね。それがやれればかなり実存的な問題は解消できるし。


向いていたいって言葉は変だけどさ、それは意志とは関係無いのが本当に残酷だよね。芸術も文学も結局は才能ありきなわけだから。これが本当に怖いよね。文学部出れば文学書けるのか?って書けないし、美大出ればアーティストになれるのか?ってなれないし、音大出れば音楽家になれるのか?ってなれないし、それは数学も同じで数学科出れば数学者になれるのか?ってなれないんだよね。なれる人は一握りのさらにまた一握りみたいな世界の話なんで、結局は敷居の高さって俺が俳優やるとかアーティストになるとか音楽家になるとかっていうそんぐらい無茶なレベルなんだよね。


それが分かってるだけでもまぁいいよね。それは色々と読んだり調べたりしたから分かった事で、あっちの大学で数学に専攻を変えた時なんて全然そんな風に思ってなかったわけだしさ、レールに乗ればやってけるぐらいに思ってたわけで、まぁそんな簡単な世界じゃないんだってことだよね。それが分かった上でもうコミットを決めてるわけじゃん?だからそれが故に狸さんとのやりとりにもあったように葛藤があるわけだよ。


もう努力とか何時間それに費やしたか?みたいなのとは関係無い次元の話だからさ、んでも周りに誰もいなくて自分で自分を奮い立たせてやるしかないっていうさ、自家発電するってすんげーパワーがいることなんだよね。でもなんでやれるのか?ってそこはやっぱ数学が今の所は面白いからだよね。逆を言えばもうやることが無さ過ぎて今後何をやっていいか分からなくなってるような状態で数学があるってことが凄く心の支えになってるわけよ。まぁアイデンティティが脆弱だから学問とかそういうところに何かを求めるしかないっていう負け犬っぽい構造かもしれんけど、でもそれが今の俺なんだからしょうがないよね。みっともないと言われてもそれは「そうですね」って言うしかないよね。自分ではみっともないとは思わないし人が何を言おうが俺は勝手に続けるからまぁそれはどうでもいいことなんだけどね。それこそ哲学のように作為性なしで自然体で永遠に続けていたいと思うんだよね。


ってことですね。んじゃまた。





↑これはやっぱ名著だよなー。あっちのブックオフで買ってさ、いや、自費出版で出してたほうね。で、後になって一般的に名著だってことを知ったんだけど、いや、それだけのことはあるよねっていうか俺が言いたい「具体的に分かる数学」ってのが言わばこういうことなのよ。俺が言う「解説」というのもようはこの本みたいな解説の事を言うわけね。でも数学者って数学やってるくせに説明とか解説が下手だったりするからね。良い数学者が良い数学書を書くとは限らないわけで。