文系「1=0.99999…っておかしいだろ!」ってなことについて。

理系ですら理解していない場合がある"文系「1=0.99999…っておかしいだろ!」"についてなんだけどさ、ようはこれは無限の定義なのよ。逆に言えば最小値なんてのが無いのと同じね。最小値ってないでしょう?だって0.00000000….を永遠に続けたとしてさ、でもそれってどっかでっつーか0000…が死ぬほど続いた後に1とかが出ちゃったらそれって0.0000…1なんであって0.000000….ではないからね。0.00000…ってことはゼロが永遠続くってことなわけでそれはゼロなわけだよ。でもそんな表記をする必要は無いってだけの話です。だってゼロはゼロだもんね。なんであえて0.0000000000…と書くのか?ってことだからね。あとはあれだよ、これが最小値です!っつってゼロを永遠と続けてさっつーかそれを値だと言いたいならどっかに1をつけないといけないでしょ?


ゼロが永遠と続いてしまってはそれはゼロなんだから。もしかしたらいつか1が来るかもしれないってことは少なくとも表記が0.000…になってたらありえないのよ。それは0が永遠と続くってことを意味してるわけだからいつか1が来るなんてことはないわけだ。残高がゼロの銀行口座があって、んでそれには絶対お金が入らないって条件をつければ残高はゼロのままでしょ?1秒ごとに銀行残高の変動をわざわざ値で出すっていう観測装置があったとして、で、それをグラフで書けばまぁ永遠と0だわな。で、その1秒ごとに記録された残高のゼロという数字はさ、あれでしょ?1日で8万6400個になるじゃない?まぁ1秒で一日を換算するとそうなるらしいから。で、それを一年続けたらっつーと単純に365を掛けるわけじゃん?そうすると31536000になるでしょ?ゼロの数が。


で、それを何百年と続けたらまぁ恐ろしいゼロの数になるけどさ、でもお金が入らないという条件があればゼロは銀行口座がある限り永遠と続くじゃん?いや、実際は銀行口座が無くなるかもしれないとか観測装置が壊れるかもしれないっていう外部的な話は別として、仮に永遠と観測できるとしたらゼロは永遠と続くでしょ?1円すらも入ることがないんだからいつか1が来るかもしれないなんてことが無いのは明白だよね。屁理屈言えばなんとでも反論できるんだけど論理的に文句をつけるのは不可能だよね。


じゃあその測定装置の観測の精度を最高まで上げてみましょう!ってことでさ、MITが開発した1兆フレームのカメラみたいな感じでさ、1秒間とは言わずにだね、1兆分の1の精度で銀行残高の値を観測できる装置があったとするじゃん?全く意味ないけどね、でもまぁそれで換算したときに1日でもうなんか桁数とかの名前が分からないような天文学的なゼロの数が出されるでしょ?イメージ的に言えば1兆分の1毎の銀行残高のデータが永遠と画面に出るっていうさ、で、その1兆分の1で観測されたゼロと1秒毎に観測されたゼロってどう違うか?って違わないでしょ?ただまぁ精度の問題ですわ。ゼロだったっていう何も変動が無いものをさらに超ミクロで解析してもゼロはゼロなわけで、フレーム数が兆と言わずもう天文学的なフレーム数で0を表示できたとしてもそれはゼロでしょ?


集合論で言うところの濃度ってのがまぁこれなんですよね。あーやばいな。数学の解説になってきてる。数学の説明はやらない!って決めてるのにやり始めちゃってるじゃん。まぁでもやってみるか。まぁこのね、結局はゼロなんだけど単純にゼロの個数を数えなさいって言われたらさ、この観測装置は永久機関だから永遠に観測が続けられるっつったら別にそれはフレーム数に限らずに永遠と0が続くでしょ?でも実数の稠密性を表すのはこの病的なフレーム数とそこから出されるゼロの数の膨大さだよね。1秒でも1兆フレームなら1秒観測するだけで0は一兆個になるわけだから。それを1年続けたらどうなるんですか?ってそりゃー普通に計算すれば何個かは出るでしょう。でもそんなことを問うのがナンセンスなわけよ。


1年後と言えばそりゃー数で出ますよ。今から1年後ならゼロは何個になりますって言うのが最初に書いた0が永遠と続いた後の1に似てるんだよね。いや、銀行の残高は0のままだから1ってのは来ないんだけど、天文学的なゼロの数が続いた後にとりあえずそこで数を数えてみましょうってなった時にはゼロはカウントできるじゃん?どうせ永遠とゼロが続くのは分かってるんだけど、でもその時点でのゼロはカウントできるよね。で、そこにんじゃあ1を加えちゃおう!って言うのが0.000…1なんだよね。0.000からのゼロの数が天文学的な数字でもどっかで1を入れちゃえばそれはもう0.000…じゃなくなるんだよね。でもまぁゼロが永遠と続く永久機関を観測している観測者がさ、恣意的な部分で1ってのを入力するなんてことはありえないでしょ?そもそもそんなことをしたらもうそれは観測にならないわけだから。


だからまぁその時点でゼロはこんだけありましたって数えられてもまぁまた1年後に来てもゼロは続いてるよね?で、別にわざわざ観察に来なくてもそんなもんは1年後数はどうなってるか?ってのは計算可能じゃん?だから来る必要はないんだよね。でもまぁ一応数えてみるってことでまぁ毎年数えてるわけだ。でもまぁ人間はいつか死ぬからさ、二代目の観測者に観測の仕事が移ったとして、まぁでも0は永遠と続きますよね。そもそもそんな仕事いりませんよね?最初からゼロが永遠と続くって分かってるわけだから。だからそもそもどこかで1とか5とかが来るかもしれないなんてことを考えるってのがそもそもおかしいってことになるじゃん?それはあまりに0が続くことが明白だからだよね。


このさ、病的なフレーム数の数が仮に無限になったとしたらさ、それはありえないだろうけど仮に無限フレームでの撮影が可能ってなったらそれって動かないじゃん?(笑)銀行残高然り。然りっつっても意味合いが違うけどさ、でも動かないものを永遠と観測してゼロの数を数えてるっていうことで言えば無限フレームの観察と同じなんだよね。俺がこうやってタイピングしている姿を1秒撮影した姿を無限フレームで撮影しましたっつってんじゃあフレーム数を無限にして何フレームあるか?って画像見たら永遠と俺の三十路の冴えない顔が永遠と吐き出されるだけだよね。見たくもない自分の姿を無限フレームで撮影されてるわけでさ、その1枚1枚がポラロイドのように毎フレームごとにプリンターから出てきますってことになったらんじゃあ何枚俺の静止画が出てくるのか?って無限じゃん?どのくらい写真印刷用のインクやら紙が必要か?って無限でしょ?だって無限フレームなんだから。


じゃあいつ俺のこの人前に出ることも無くなってすっかり覇気や精気を失った姿の1秒後がプリンターから出てくるのか?って出てきませんよね。フレーム数が無限なら永遠と0秒の撮影し始めの姿が永遠と出てくるだけで秒数は進まないよね。だから無限フレームなんだとしたらそれは進まないわけでゼロ秒だよね。カメラなんだからいつかは秒が進むでしょうっつったって測度が無限なんだから進まないじゃない?だからさっき書いた無限に俺の冴えない顔が吐き出されるということに矛盾が生まれるんだよね。だってさ、プリンター側は無限フレームだろうが吐き出すからにはどっかのポイントを最小値として俺の顔を吐き出すわけじゃん?


ようは0.00000…1秒の時の俺の姿ってのが吐き出されることになるわけでフレーム数が無限ならその1は介在しないわけだ。そもそもそういった顔の画像をプリンタが吐き出すということ自体がそもそもどっかにポイントを置いてそれを1フレームとして吐き出すわけだから、フレーム数が無限ならどんなに0が続こうが0は0のままなんだから進まないわけだ。だから1フレーム分を吐き出しますってことにしたら無限フレーム分を吐き出しますってことになったときに論理的な矛盾が生まれるからプリンタは1枚も俺の顔をプリントアウトできないわけだよね。


じゃあこれを最初の1と0.999…の話に持っていくとさ、1秒間俺の今のタイピングしている姿を無限フレームで撮影したものがあってさ、んで1秒から始点の0秒までをプリントアウトしましょうってことにしてさ、で、プリントアウトする方向を0から1なんじゃなくて1から0にしていこうと。でもフレーム数は無限なわけでじゃあ1秒からはじめますって言ったときにそこから進まないよね。でも一応機械の表示としては0.999…になってるわけ。だって0に進みたいわけじゃん?だから1秒の一個前ってことで0.999…からはじめたいんだけどフレーム数は無限だから永遠と9が続いてしまって止まったままになっちゃうってことになるんだよね。9が永遠と続くってのはそういうことでしょう。恐らく違和感としてはここなんだと思うんだよね。


永遠と続く循環小数になってしまうものを一つの数として定義するってところに違和感があるわけで、このフレームの話で言うと1フレームと言うなら0.99999…だったらそれは9が永遠に続くから1つのフレームとして扱えないから1枚もプリントアウトできないじゃないか!っていうさ、でもそれは逆にプリントアウトできないってことが0.999…と1の関係性を表してるんだよね。それは何か?っていうとようは両方とも同じ数ってことだよね。ようはフレーム数を無限としてしまうと進めないっていうことじゃん?


その進まないフレーム数ってのが言わば1と0.999…の差と言えるよね。つまりはそれはゼロってことなわけで、1から0.99999…を引けばゼロになるわけで差は存在しないってことになるわけね。進まないとはようはどういうことか?っていうと距離で言えばゼロでしょ。ゼロセンチ進むってことは1センチも進んでないってことなわけじゃん。当たり前だけどね。無限フレームでプリンターが俺の三十路の疲れた顔をプリントアウトできないのも1秒から進まないからじゃん?


分かりやすく言えばあれだわな、まず1秒目の俺の顔をプリントアウトして、で、次はゼロ秒に進むって前提でそこから無限フレームで撮影された俺の顔をプリントアウトしましょうってことになるんだけど、1秒の次のフレームってのはフレーム数が無限ではその「次」が定義できずに何もプリントアウトできなくなるってことになるんだよね。プリンターとしてはじゃあ次は0.9999…だなって思うんだけど9が永遠に続くんでそれは1秒から動かないってことで、んでも1秒目の俺の顔はプリントアウトされてるわけでもうそれは1フレームとしてカウントされてるじゃん?だから1秒目と同じ写真をプリントアウトはできないし、でも次のフレームといっても次と言えるものが無いからだから止まってしまうってことだよね。


それじゃあ困ったなぁーってことで例の1兆分の1にフレーム数を設定しようかってことになるとそれはもう有限なものになるよね。一兆枚印刷されるってことでしょ。例えそれが超微小でも1兆っていう限られたフレーム数が存在すれば0に近づくことができるよねっつーかようはこのプリントアウトの例で言うと1兆枚印刷すれば1兆分の1で撮影された俺の動画ってのは全部プリントアウト可能になるよね。まぁようはこれが可算性ってことだわ。理論上は無限にフレーム数をとれるといってもさ、じゃあ何を持って「次の1フレーム」とするか?ってことになるじゃん?それは人間の任意のフレーム数の設定が必要になるんだよね。


無限にしてると進まないからんじゃあ1兆にするかーっていう。だからさっき書いたさ、プリンタが次に行こうとして0.9999…で止まっちゃうっつーのも変な話ではあるんだよね。そもそもフレーム数を無限にしたら進まないから最初から設定してくださいってことになるじゃん?フレーム数を無限でプリントアウト!って決めてプリンタに仕事させることができないってことだよね。で、それを俺は0.999…の9が永遠に続くっていう話にしたんだけどね。


1から進んでないんだけどなんつーかゼロコンマっていうと表現としてはそうなるじゃん?当然次はゼロコンマになるんだけどでもフレームが無限で永遠に9が続いてしまってはそれは1と同値だから1秒の静止画から永遠に動けないってことになるわけだよね。無限にプリントアウトするには「次」の設定をしなきゃいけないからフレーム数が無限なら無理だね。これがようは実数の非可算性だよね。これが1枚目でこれが2枚目で・・・っていうような自然数の数え方が無限フレームではできないってことなわけだ。


1秒目から始点の0秒目からを無限フレームでプリントアウトしようと思っても無理ってのが非可算だよね。で、それじゃあ困るからフレーム数を1兆にすると自然数との1対1対応ができるんで可算になるっていう。まぁようは数えられるってことよ。1兆枚として画像を出力可能になるってことね。ようはフレーム数=個数だよね。もちろん自然数も数えられるけどどこまで数えられるか?っていうと無限じゃん?でもそれは人間が数えられるような感じの数え方でしょ?1の次は2で・・・っていうような地道な感じね。これが無限濃度では最小と言われる自然数の可算濃度って言われるものね。じゃあこれより大きい最小の濃度は何なんだ?っていうとそれは恐らく実数の濃度でしょうってのが連続体仮説なんだよね。


これより大きい最小の濃度っつーと分かりづらいんだけど、ようはこれより一個上の濃度って何だ?みたいな話だわ。1より大きい最小の数は2ってのと一緒で、そういう感じの比べ方をしてるんだよね。まぁ全然質は異なるものだけど。で、自然数の可算濃度と実数の濃度の間にはその測定値の集合みたいなものが無いってことを連続体仮説は言ってるわけね。自然数の場合、1から永遠と続く数の集合っていうその一般性から集合っていう括りができるわけだ。ようはさっきの測定器の話になると自然数っつー数の測定の精度があればそれはどんなに数が続こうが次の数と次の数の隙間って同じじゃない?1兆の分の1のフレームレートと同じ話だわ。


で、実数の場合も実数という概念においてそれは一般性があるよね。でももちろん基数の要素としての0.9999991112と0.928485817と・・・みたいな感じで数えられるものじゃなくて、散々色々と書いてきたように実数って数えられないじゃん?フレームレートの話で言うとフレームレートを無限にしちゃうと1秒から進まなくなっちゃうっつーのが言わば実数の稠密性なわけだ。だから数えられないわけね。でも実数の集合ってのは定義できるんだよね。それは実数ってのが明確に定義されてるからだよね。もちろん非可算の集合ね。


で、かなり語弊があるかもしれないけどこの集合で考えた時のさ、可算濃度の次の濃度って何なの?っていうとそれは実数の濃度でしょうってことになるんだよね。いや、何か実数と自然数の間に定義できる集合があるかもしれないっつってもまぁ無いじゃん?その間に実数や自然数のように基数を定義するときの測度の密度みたいなのを一般的に定義できるようなものがあるのか?っていうと無いでしょ?だからってわけだけじゃないんだろうけど連続体仮説では次に濃い集合の集まりは実数の濃度だろうってことを言ってるんだよね。


で、その後どうなったのか?ってのは今やってる最中なんで書かないわ。まぁ簡単に書いちゃうと実数が何個あるかは特定できないってことになるんだけどさ、まぁ勝手に俺が思うところだと実数ってそのものが離散的に扱うのが無理な連続体なんで、それは便宜的に任意で範囲なりなんなりを適当に切ったりして決めないとどうにもならないってことなんだよね。まぁ別の言い方をすれば実数って所謂数って概念で言っちゃえば1つなんだよね。まぁ分からんけどね。俺はこうやって「自分はこう思うんだけど」ってのをありきでやるようにしてるんで勝手な予想とかも色々書いちゃうけどさ、まぁ多分合ってると思うんだけどね。


物理とかだとようは近似っつってさ、実数でも誤差って所謂誤差の範囲内っていうことで切れるじゃない?まぁこれ以下の小数点は誤差ってことでこのあたりの数値に決めておきましょうっつって、で、別にそれでなんら問題ないわけだ。これはようは実数を切ってるってイメージだよね。液状のものを鋳型で掬ってる感じね。ようは数値って意味だと割り切れないってことは問題にならないわけだ。それこそ確率とかで言っても小数点何点以下なんて特に問題にならないわけじゃん?そういう測定とかってのはようは実数を離散的に扱うっつーかさ、色々と道具を当てはめて上手く行くように設計したり設定していくって感じだよね。


だから別に実数が何個あるかは分からないとかって別にどうでもいい話なのはゲーデル不完全性定理が別に数学や物理に何ら影響を与えないのと一緒だわな。集合論ってようは数学基礎論だからようはまぁメタ数学じゃない?だから別に実際の数学に影響は及ぼさないんだよねっつってもまぁ言い切れないけどまぁでも代数とかやる時に実数の数をどうしても知らなきゃいけないなんてことにはならんからね。でも実数の扱い方に影響があるならそれは数学全体に影響があるね。そういう意味で集合論って論理学ほど数学全体と全く関係がないわけではないんだよね。


まぁこんな感じでさ、書かないって決めてた数学のことを色々書いちゃったりしてさ、んでこういうのって間違ってたら最悪じゃん?間違ったのをあたかも合ってるかのように書いてアップしてるってさ、悪い影響にもなりかねないじゃん?でもそんなことを言ってると何も書けなくなるんで書いちゃえ!って思ったんでしたね。だってそれで言えばそもそもウォール伝の内容だって合ってる合ってないみたいな尺度で考えれば合ってないのもいっぱいあるでしょう。いや、それが意見ならともかくねっつーか意見ならそんな尺度は適用できないとして、例えば俺のニーチェ解釈とかシュトラウス解釈とかが間違ってる場合もあるじゃん?何を持って間違ってるとするかが問題なんだけど、でもそんな厳密性みたいなのを考えてたら何も書けないわけよ。だからまぁとりあえずこう思うってことで書いてるわけね。今日書いた数学の内容もまぁ説明したくなったんで説明してみたって感じだよね。


あ、んでちょっとまた繰り返しになるけど実数は一つって言い方には語弊があるなと。一つっつーかまぁそれこそ連続体ってことなんですよ。区切れないってことね。なんで人間にとって自然数が自然に感じられるか?ってまぁcountingの基本だからね。別に数学とか行き渡ってない部族とかでも個数ってのは恐らく普遍的だからさ、とにかくまぁ人間にとって自然なんだよね。でも実数ってのは全然自然じゃない。でも物理現象とか細かい解析とかになるとそれは普通なんだけど、でも数えるってことが不可能になるじゃない?「違う値」とは言えるけど、でもそれは小数点以下何桁を便宜的に省略して一つの離散的な値として扱っているってことなわけで、ある意味で自然数的な枠組みを小数点以下の極小の部分を省略することで得ているって感じだよね。いや、そうじゃないと扱えないからね。


でもそれは扱えるか扱えないか?じゃなくてそれでワークするのかしないのか?なわけでさ、例えばね、ディスプレイのサイズがなんたらですって言われたとして、でもそれを超厳密に計ったら同じ型番ですら若干の誤差があるわけだ。でも別に人間の世界にとってそんな誤差なんてどうでもいいじゃん?1センチとか違っちゃうとアレだけど、何ミリぐらいなら全く問題にならない。まぁミリ単位でも問題になるものがあってもナノメートル程度の誤差じゃそもそもそれは誤差とすら言えないって感じになるでしょ?でも数学的に一つの数と言うには無限にランダムな少数が永遠に続いていては一つの数とは言えないわけだ。そういうのを何体何的な比率で表せない数ってのを無理数って言うんだよね。まぁ無比数って言葉に変えちゃっていいと思うんだけど。散々書いてきた非可算の実数のほとんどは無比数なのね。


じゃあ0.9999...は無比数か?っていうと有比数でしょう。だって3で割れるじゃん?すげー簡単なことだよね。1/3を3で掛ければそりゃー1になるわな。三つに割ったものをまた戻せば1になる的な道理だわ。ただ小数点で表した場合、1÷3ってのは0.33333...になる。でもそれは割り切れないんじゃなくて割り切れてるわけね。試しに3つに割ったものを戻す道理でいくと0.333....に3を掛ければ立派な0.999...の出来上がりなわけよ。それは1を3で割ったから表現が小数点になったというわけではなくて、1個だったものを3個に分けたらそりゃ3個になるし、んじゃあそれを戻そうってことで戻せば元の一個に戻るってことだわな。クッキーでもピザでもなんでもいいや。それは。1/2×2は?っつーと1だよね。ピザを半分にして分けて残りを明日の朝に食べようと思っていたって状態の場合、1/2のピザが二つあるってことになるよね。でも元は一個であったピザを2つに分けたから数としては2つになってるっていう。で、半分食べたけど予想以上に腹が減ってて残りの半分も食べてしまったってことになったとして、じゃあ自分は何個のピザを食べたのか?って元の一個の数じゃん?1枚のピザだよね。


別に三等分してもそりゃ同じですよ。そもそも何個に割っているって時点でそれはもう有比でしょ?そもそも何個かに割っているわけなんだから元に戻せない道理はないよね。1枚のピザが2枚になるのか?ってバナッハ/タルスキーのパラドックス的なことは少なくともここでは起こらないよね。ポイントは実数は非可算であるってことなのよ。あ、んで話を戻すと0.3333...は1/3ですよね。1個のピザを三つに分けたわけだからそりゃー1/3でしょう。でも実数で表すと0.333...になるってだけの話ね。誤解が起きやすいのはやっぱり自然数がそれこそ文字通りナチュラルだから、実数って概念が凄くそれに反してる的なさ、そういうことだと思うんだよね。でも0.333...ってのは1/3だから有比数だよね。


で、長くなったんで数学的な証明とか検証の部分は次回にするわ。んじゃまた。


これが続きね。


http://d.hatena.ne.jp/mimisemi/20120914


nanasiさんの指摘による訂正です。「永遠と => 永遠に or 延々と」です。nanasiさん感謝です。