現実はオワコンという認識からはじめませう。その20。

いや、これなんだけどさ、



http://himasoku.com/archives/51765071.html


ネットってだけでネットっつーインフラは悪くないってことなんだよ。どうもね、「ヴァーチャルな繋がり」っつってそれをイコール2ちゃん的なものとか炎上するようなブログにすぐ繋げるってどうかと思うんだよね。それこそネットなんて複数性そのものじゃん?だってすんげー良く書かれてるブログとかハイレベルな議論が交わされてるページとかあるじゃん?それこそ物理とか数学とかでもあったりするわけじゃん?でもそういうところに脊髄反射的なバカは来ないんだよね。そもそもゾーニングされてるわけで、バカが見るような内容じゃないから来ないんだよね。逆にバカはバカが来そうなところに集まってあーだこーだやってるんであって、それはネットという空間が悪いわけじゃないわけだ。


昔はネットっつーと研究者とか科学者同士のやり取りとかあとは軍事的な目的とかそういうのに使われてたんだよね。それがインフラ化して誰でも使えるようになった結果、そりゃ比率で見れば大衆のほうが多いわけだから大衆の言葉とかやり取りが目立つようになるわけだ。で、超質が低いものになると仲正昌樹が言ってるような「ネット」のレベルになる。でもしつこいようだけどネットは悪くないからね。使ってる人間の質が悪いわけでネット自体は悪くないわけだ。そりゃ日本のネットってヤバいよ。つべとかもう終わってるもんな。凄い世界だよ。あれは。海外でもバカは多いけど日本のネットって特にバカが多くて本当にひどいんだけど、それは単純な豊かさの現れだよね。ネットで低レベルなやり取りをしてあーだこーだしている時間があるってことだから豊かってことだよね。主婦の井戸端会議みたいなもんじゃん?ゴシップとか近所の奥さんがどうのとかそんな話をしてる暇があるなんて豊かだよね。暇な奴らが多いからネットがそうなるだけでしつこいようだがネット自体は悪くないからね。日本は本当に酷い国だけどそれは日本人の質が低いだけで日本という国自体は素晴らしいわけだ。問題は人間なんであって場じゃないってことね。そういう豊かなインフラがそろってる日本っていう豊かな国で不幸な人が多いっつーそれに問題があるんであって日本っつー場は悪くないどころか飯はうまいし安全だし何も言うことないよね。そういう意味で俺は日本という国自体が糞だなんて思ったことは一度もないし、アメリカに行ってみてまぁ例によって愛国心は高まったよね。だからこそすげー勿体ない国だ!って思うのね。どうしようもない人たちが多いから。若い人たちとかデフォで絶望してるもっと若い世代は逆にまともなんだけどね。


問題は「複数性=人間らしさ」が発揮できない環境にあるわけだ。ネット然り日本然り。でもそれはシステムの問題なのか?って違うと思うんだよね。単純にそういうのを許さない環境でしょう。悪しき日本の村社会的な感じね。システムがそう流れるようにできてるのならともかく単純に複数性が許せなかったり違いを認めたがらないようなやつらが多いからじゃん?だからそれは人間の問題なのよ。絶対。まぁだからそういうやつがいるのもしょうがないし変えようとは思わないけど本当に人間らしい人たちの邪魔だけはしないでほしいね。俺はその棲み分けを考えてるわけじゃない?それが世界の話なんであって。


まぁちょっとすげー気になったんで書いてみたんだけど、仲正昌樹自体もまぁ人を見下すような感じの人なんだけどね。どういうときに幸福を感じるのか?って本人いわく高尚な哲学論文を書いているときにつけっぱなしにしてるワイドショーで下らない内容のものをやってたりするときのそのギャップなんだと。クズだなって思いましたね。ええ。宮台さんとの対談本の宮台さんの後書きで全部ばらされちゃってて。下手に攻撃したんでモロに攻撃し返されてるんだよね。で、しかも本人は宮台みたいになれなかった!って常にルサンチマンを感じてるから宮台さんに意地悪なことを言ったりしてて基本的になんつーか女々しいっつーか人間的に糞過ぎる中島義道みたいな感じだよね。糞っつーのは言いすぎか。中島義道はまぁゆがみ過ぎてるだけでまだ許せるけど仲正昌樹は本当に鼻につくんだよね。そういうやつがこともあろうにネットのレベルの低いやつらのことについてアーレントとかを出して書いてたりするとなんかそれこそさっき書いたようなワイドショーのレベルの低さと哲学の高尚さのギャップみたいなのを感じるんだよね。そういうメンタリティで書いてるから本人も楽しいんだろうなと。


日常・共同体・アイロニー 自己決定の本質と限界

日常・共同体・アイロニー 自己決定の本質と限界


ましてや表現力なんつっても仲正昌樹は教授会みたいなので小競り合いが起きた時に普段はバカは相手にしないらしいんだけど相手が食って掛かってきたとかでなんか押されたんだかなんだかしたんだよね。で、「暴力じゃないか!」っつったら相手は「押しただけだろ!暴力ではないぞ!」なんつーからその場はそれで引いて、んで後日に「お返し」をするためにその小競り合いが起きた教授だかの部屋にまで行ってご自慢の合気道だかなんだかで相手を押して倒してんで「こないだのお返しです」なんつったとかなんだとかね、で、「あれが暴力じゃないのならこれも暴力じゃないはずです」みたいなのをドヤ顔で言ったとか、バラされてるエピソードならともかく自分の著書で自慢げに話してるから呆れるんだよね。中島義道も別な意味で凄く呆れる。とにかく本人がこういう感じなのよ。あと童貞で女の人との付き合いとか全然ないわけよ。友達すらいない雰囲気みたいで。


だからなんかね、どうでもいいんだけど「お前が言うな!」って言いたくなっちゃったんでこういうことを書いてるわけね。中身的にはネットでどうしようもないことを書いている童貞のニートみたいな感じでたまたま頭が良かったから哲学やってるような人だからさ、いや、童貞かは分からんけども中身的に俺のイメージではどうしようもないことをネットで書いているやつらぐらいのレベルなんだよね。しかも雰囲気が凄く似ている。いやね、同じ内容でもすげーコミュニケーション力があってそれこそ宮台さんぐらいの感じの色んな人との交流がある中でこういう話をするならまだわかるんだよね。なんかその似たような人が似たような人を高みから批判すんなよな!って言いたくなるのね。しかも哲学っつーツールを使って。違いはそこだけじゃん?頭が良いか悪いかってだけで人間的にどっちも同じような感じなんだもん。あとそれこそ宮台さんぐらいの人だったらネットのクズの話をわざわざ学術用語とかを使って説明しないじゃん?宮台さんっつーのはまぁある程度のレベルの人ってことを言ってるだけね。崇拝してるんじゃなくてある程度の尺度だよね。尊敬はしてるけど崇拝はしてないんで。


んーまとめサイト経由の話だからまたバカが来てなんか言うのかな?とか思うんだけどまぁ書きたかったんで書いたわ。結局似てる者同士なんだと思うんだよね。クズだからクズにフォーカスが行くわけだ。なんでこの話を書いているのか?っていうと今回の世界の話と関係あるからなのね。こういう風に認識するものってのは同じ現実にしてもネットにしても認識する側が何を認識するかによって本人のとってのリアリティが形成されてるわけでしょ?だから仲正昌樹にとってのネットはバカが言い合いをする場なわけじゃん?でも俺はそんなの見ないからね。ネットっつったってさ、それこそ大学の講義とか載ってるわけじゃん?つべに。作業ゲーをやりながら講義を聞いたりもするしさ、いや、だからユーザー次第じゃないですか?あと昨日書き込みをいただいたmetarunaさんのブログを全部読んで気になる本は全部アマゾンのカートに放り投げたとかさ、これが俺のネットだからね。俺にとってのネットはバカがあーだこーだ言ってる場ではないわけよ。ね?これが俺にとってのリアリティでしょ?ノイズはカットするわけだから。そういうのが嫌でYou Tubeマッシュアップ上げるのをやめたわけだし。


だからね、なんかさ、こんな文章を問題文とかにして使うなよ!って思うんだけどまぁ日本の大学だからしょうがないかーとか思ったりしてまぁ結局、俺にとって「どうでもいいやつらの話」になるんだよね。でもなんかそのやっぱりネット=クズの集まりという固定概念を植え付けるようなやつは放っておけないんだよね。その構図がネット=悪なわけじゃん?なんでもかんでもネットのせいにするんだもん。それは人間側がアホでネットを有効に使えてないからなんですよ。むしろバカなことばかりに使ってるから日本の酷いネットってのが形成されるわけだ。でもまぁ才能の無駄遣い的なバカなことはウェルカムであと2ちゃんねるっつってもまとめサイトに乗るような面白いやつは良いネットカルチャーだと俺は思ってるけどね。スレッドで大喜利やってたりするじゃん?素人の笑いの場とかにもなってたりして一概にバカにできないんだよね。もう認めざるを得ない笑いのクオリティとかくだらなさがある。一時期は便所の落書きみたいになってたけど最近はなんか結構面白くなってると思うんだよね。あとまとめサイトとかのほうが「社畜乙」みたいなさ、奴隷であることを恥じるような空気があるぢゃん?俺の功績でしょ?これは(笑)まぁそれはともかくそれはもうどんどん広げていってください!だよね。あと少年愛を大っぴらに言えるっつー雰囲気を作ったのも俺だな(笑)


とりあえずいろんなことも含めてそういう良いタイプの人畜無害なニートは今の日本の宝でしょう。未来へのコネクションを作れるやつらだよね。だって奴隷が糞だと思えてるわけだし奴隷になるのが嫌だからニートやってるわけでしょ?まぁニートだけじゃなくて俺みたいな何をやってるのか結局分からない人ってのも大勢いると思うけど、とりあえずなんかブラック企業の内部事情とかさ、そういうのが語られてたりするのも2ちゃん的なものとかまとめサイト的なものじゃん?ネット右翼なんかも一時期よりかはマシになってきたし、あとはまぁ中国と韓国の話をするとあっち側があまりにもどうしようもないことをし過ぎてるからもうしょうがないなと思ってるよね。みんな嫌いになって当然みたいなことを最近はちょっとやり過ぎでしょう。あっち側が。右傾化というのが日本だけで進んでるんじゃなくて外からの力っつーのも強いからどうしようもないなと思ってるんだよね。こればかりはもうしょうがないとしか言いようがない。まぁあと俺が昔ほどド左翼じゃなくなったっつーのもあるのかもしれないけどそれは分からんな。今はスーパーナショナリストだからね(笑)スーパーナショナリストだからこそ若い人が自殺するような状況を許せないわけだ。でも変えようと思っても変わらない。んじゃあどうしよう・・・って考えてる中での今回の話の「世界」という概念ですよね。インフラとしての世界だからさ、それが結局は政治につながるって書いてたのもそれなのよ。


で、その一つとしてバーチャルとかサイバースペースってすげー重要な位置を占めるわけね。あとは小林よしのりが言ってるような必要とされるようなAKBの宗教性とかか。気持ち悪くても実存が救済されているならだれも文句は言えないどころか良い存在と見做さないとダメでしょう。あれによって生きることができてる人たちがいるならそれは凄いことなわけだ。アイドルとかバカにしてたけど本当に反省してますよ。凄く無知だったなと。いや、あれも世界でバーチャルなんですよってことなんだけど、まぁ例によってこのエントリーだけ読まれても結構困るなぁーという気がしてきたけどここまで書いたからもうそりゃアップするでしょうよ。


あと仲正昌樹に関してぼろくそ書いたけど哲学研究者としては一流ですよ。凄く分かりやすい解説書を書いてるし専門書もかなり書いてる。あと翻訳もよくもまぁーこんな本を・・・ってのをやってたりするんで人間的にクソでも学者としては素晴らしいと認めざるを得ないわけね。ただまぁ哲学の使用法で言うとダントツなのがやはり坂口恭平だよね。やっと「思想家」と言えるような人に出会えた感じだし、哲学とか知識ってのを凄く有用な形で社会に還元したりそれこそ国家のためになるようなことをしてる。だからまぁその結果自分の国家作っちゃえばいいんだって思うのは当たり前の帰結なんだよね。全然ぶっ飛んでないわけだ。生きた思想家だし思想が生きててなおかつそれが凄く人に力を与えて希望を与えてるって凄いよね。佐々木中みたいな根拠のないポエジーとしての希望なんて大嫌いだけど坂口恭平ってイデアリストでリアリストでアイデアリストだもんね。万能すぎて怖いぐらい。ああいう知識が統合されていてなおかつ人を救うっつーか国家を救うとかね、そういう目標に向かうものってのが思想なんですよ。だから彼がやっているのは思想なわけ。低レベルな人間批判なんて哲学の枠組みでやってても何にもならないわけね。だからまぁ知識なんて然るべき人間が持たなきゃただの持ち腐れになるってことだわ。ちなみに坂口恭平は自分で勝手に紡いでるよね。


ハイデガーの講演のタイトルだけ見てあとは連想して勝手に自分で解釈してるとかグロタンティークとかゲーデルみたいなレベルの数学者がやる数学のやり方みたいな方法で思想やアートをやってる。間違いない天才だわな。俺もまぁ知識あるじゃないですか?手前味噌ながら。坂口恭平が言ってることってすげー哲学的な伝統がある系譜がちゃんとバックにあるんだよね。それを知らなくても自分が図書館みたいなもんだから勝手に言葉が出てくるって言ってるけどそれは本当なんだろうな。俺も彼ほどじゃないけどそういうタイプですからって誰も信じないと思うけど(笑)いやさ、プルードンとかシュテルナーみたいなアナーキズム的なものとかクロポトキン的な相互扶助の考え方とかさ、あとは言葉のルーツに迫って概念を説明するやり方とかさ、多分天然でやってるんだよね。本をバカみたいに読んでやってるわけじゃなくて自分から湧き出てる感じだもん。あれが思想なんですよ!


俺が思想といっても誰も信じないから今後は彼が思想なんだ!ってことを言い続けたいね。俺を見習え!といっても誰もやらないから彼を見習え!と。彼も言ってるように音楽と一緒なのよ。なんかビートってのがあってさ、なんか叩いてると楽しくなっちゃってそれで色々と鳴らしてたら音楽になっちゃったって山塚EYEと同じじゃん?言わば天才の感覚ですわ。思想もそれと同じでビートみたいなのがってそこからまたどんどんいろんなものが連想されてそれ自体の運動体みたいなのが思想になるわけだ。だから哲学というのは存在しなくて哲学をするという行為のみが存在するわけね。哲学の概念だけ取ってきて自分の文章に権威付けするとか邪道もいいところなのよ。外道だよね。これは。坂口恭平的に言えば「パーン!」っていう粛清の対象だわ。ああいうジェノサイドの思想を持ってるやつって絶対信じられるね。そのぐらい現状に怒りを感じてるってことだもん。だからみんな彼を利用するべきなんだよね。ディオニュソスハブ的な意味で。自分だけではできないことを彼の力とかインフラを使って実現するっていうさ、そういうハブだよね。別に選ばれたものだけが彼の力を使えるんじゃなくて現状に不満があるならそのきっかけとして彼みたいな使えそうな流れがあるんだってことだよね。だからそれは信者的なセクトではないんだよね。あくまで個々が自分なりの不満の表れとか作りたいものってのを彼のハブを利用して実現するってことだよね。そういう意味で俺は坂口恭平を一種の機構だと捉えてるね。有機的機構みたいな。でも政治のカリスマってみんなそういうもんじゃん?


まぁそんな感じですわね。んじゃまた。


貼るまでもないような初歩的な内容なんだけど一応参考程度に。俺が言いたかった「機構」というのは空間のトポロジーの接続形態ね。言うまでもなくこれは場を必要としないので繋がり方は任意の個々のマインドセットによるわけだ。だからこそ個々が個々の世界を構築して位相空間のダイナミズムそのものを作り出すっていうことなわけね。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8D%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%82%AF%E6%A7%8B%E6%88%90#.E6.98.9F.E5.9E.8B.E3.80.81.E8.BB.8A.E8.BC.AA.E5.9E.8B.EF.BC.88.E3.82.B9.E3.82.BF.E3.83.BC.E5.BD.A2.EF.BC.89