幻視人さんへの返信。

幻視人 2014/03/31 02:00


一言で言えばアイデンティティの話かな?とは言ってもアイデンティティについて深く知ってる訳ではないですが...なんか違ったらごめんね(今現在を形作ってる社会の価値観とか娯楽とかスポーツとかetc...なんでもいいんだけど)そういう何かによってアイデンティティを見出そうとすると虚無を感じるのかなと最近自分は思う今目の前で広がっているミクロマクロ宇宙を含めたこの世界、それすべてが自分すなわちアイデンティティなんだってのが今なんかしっくりくるようなこないようなこれがいわゆる「悟り」ってやつのことかもしれないけど、じゃあそういう悟り的考え方にアイデンティティを見出すことも虚無に繋がって以下ループ的になるかなあてかやっぱ今思ってる事も意味ねぇなってなって、そもそもアイデンティティとかいう概念すら「無い」んだと自分的には考えて...


アイデンティティが無いならただ単にたまたま一宇宙の中にいるひとつの物体的な感じで...つまりするとやっぱ悟り的なもんになるのかなあとんでまぁやりたい事をやったりやらなかったりでいいのかなあと悟りって言ったけど深く勉強したりした訳ではないので、なんか全然本来の意味の悟りと違ってたらすいませんねあと、う〜ん...訳わかんない事言ってるかもしれないのでそんときはすいません;たまたまこのブログに来てしまって、かなり前の記事にコメントしてみましたが、今はどんな考えなんですか?


幻視人さんのおっしゃるような永遠ループは今でも起こり続けています。それは一概にアイデンティティの問題とは言えないんですが、アイデンティティの問題はループの要素の一つではあると思います。大げさな話ではなくて凄まじく卑近な僕の話をしますとですね、特に昔はまさしく幻視人さんが書いてくださったような何かによってアイデンティティを見出すということによって虚無を感じていたと思います。思えば何かを「極める」みたいなことにやたら固執していたのもようはアイデンティティの問題なんだなと思えるようになってきました。いや、それって別にどうでもよくてやりたいことをやればいいだけなんですが、まぁようは肩書きとかなんでしょうね。数学なり哲学を究めていたら数学者とか哲学者と呼ばれるとかは別として、そういった学問を極めたということが自分の属性のアトリビューションみたいになってそこにアイデンティティを見出せるみたいな幻想を抱いていたんだと思います。


んでもまぁ僕は一つのことに集中はするんですがその時々によって興味が変わり過ぎて何か一つのことに「これだ!」というようなアイデンティティを見出せるようなものが無いんですよね。まぁ「これだ!」というものがあってもそういったものにアイデンティティを見出すこと自体に結局は虚無感を感じるわけですが、でもまぁ色々とやってると「自分は何屋なんだ?」とかって思ったりはしますよね(笑)


でもまぁ何屋も何もまさしく僕はただの物体なのでその物体が自分の属性を決めるために「何屋」なんだとラベル貼りをすること自体がナンセンスなんですよね。まぁでも人間ってこういうところにアイデンティティを見出さないと生きていけないんだと思いますね。だからまぁ人ってやたら肩書きにこだわるじゃないですか?凄くこれって実存的に脆弱なんですよね。まぁでも学問にしても芸術にしても「自分にはこれしかないし、自分の存在理由葉これしかないんだ!」というようなストイシズムによって生み出されるものってのはあると思うんですよね。結局まぁそれをやってないと自分は無価値な人間だって思うことで何かにより没頭できるっていうんでしょうかね。精神的にキツイ話ではあるとは思いますが求道者というのはこういう側面はありますよね。僕はなぜかこういうのを求めようとしてしまう傾向があるんですよね。でも先ほども書きましたように興味が移ろいやすいので「何か」にアイデンティティを見出すのは難しいわけです。しつこいようですが仮に見出せたところでまたそれも虚しさに繋がるので意味無いんですけぢね。


だからまぁ端的に言うと幻視人さんがおっしゃるような「ひとつの物体」というところに帰結しますよね。ということでまぁそれは理解できましたと。自分はただの物体なんだと。で、問題は「で、どう生きていくの?」って話になりますよね。アイデンティティも肩書きも何も意味を成さなくなった今、必要なのはズバリ「楽しさ」だけだと思います。特に自分においてはこれしかないんじゃないか?って思ってますね。興味が色々なものに行ってしまって移ろいやすい場合、その時にめちゃめちゃ興味があるものを研究するとか何かを作るとか、結局人生ってそれの蓄積だよなって思ってますね。その蓄積が結果的にアイデンティティ的なものになる場合もあるというだけで、それを拠り所にするという感じではないんだと思いますね。ただまぁやっぱ何かを書くとか研究するとか作るとかって形で残りますよね。知識とか音楽とか何でもいいんですが。なのでやっぱり何かを作りたい!ってのはめちゃめちゃありますよね。楽しかったらずーっとゲームやってればいいんですがゲームって何も残らないですしほどほどにしないと逆に人生つまらなくなるなぁとは思いますね。何かを作るとか研究して知識を深めるということは自分の中に残るものなので、それがなんといいますか楽しさとか喜びに直結しやすいものだなって思います。


「蓄積」が「喜び」に繋がった最近の例としては、最近、現代音楽が再マイブームになっているんですが、元々音楽自体って凄く数学的なんですが、現代音楽は良くも悪くも理論を突き詰めた感じになっていて、数学的な部分が凄く大きいんですよね。で、昔は数学は大嫌いだったのでそういう理論的なことを知ろうとは思いませんでしたが、今はある程度の数学の知識があるし、何より数学が死ぬほど好きになったので、そういった現代音楽の数学的な構造の部分とか理論の部分に凄く関心が行くようになったということですね。これは本当に蓄積ならではのものだと思っています。


ちゃんとした返信になってないかもしれませんが、今考えているのはこういう感じのことですね。