武満徹について。

現代音楽にハマるようになって色々とディグってるんだけどそんな中で武満徹も聴いてるんだけど見事にハマったんすよねっていうか今までは何が凄いのかさっぱり分からなかったけど凄さが分かった!っつーかまぁ我流の理解なんだけど、ようはNovember Stepsってさ、シェルシとかのスペクトラム的な音なんだよね。あとは点描法的というかなんというか、んでもそれは前衛的な技法とかメソッドを利用したっていうよりかは尺八と琵琶をメインの音にするために使われた日本的な間っつーのかな?西洋的な言葉で言えばそれはスペクトラム的とか点描法的と言えるんだけどんでも違うんだよね。あくまで和楽器の間なんだよね。っつってもそれは「いかにも」って感じのわざとらしい間じゃなくて洗練された西洋音楽的な言語でもさっきも書いたけどスペクトラム的とか点描法的って言えるような間なんだよね。和楽器を使ってみました的な感じで今までに無い試みだったから凄かったっつーよりかは和楽器の使い方が尋常じゃないぐらい凄い!っていう音楽性によるものなんだよね。あとまぁあれだ、クセナキスも絶賛したっていう怪談のサントラとかも聴けば分かるように音に対する感覚が尋常じゃないぐらい鋭いよね。いや、でもこの頃ってまだシェルシなんて発見されてなかったわけだから、そんな意味でスペクトラム的な凄さを持ったものが割と早く60年代ぐらいに海外で評価されたってのは凄いことだと思うね。相変わらずいつものように逆輸入って形だったみたいだけどね。そもそも弦楽のためのレクイエムっていう武満が有名になったきっかけの曲も来日してたストラヴィンスキーがたまたまそのテープを聴いて「これ凄いよ!」ってことになって評価に繋がったんだよね。


いや、んでさ、武満ってめちゃめちゃ音響派なんだよね。後期になると調性音楽に傾いていくんだけど、んでも基本は音響派の人が色々やってるって感じなんだよね。そういう意味でクセナキスとかシェルシみたいなタイプの作曲家なんだよなっつってもんでも凄くリリカルであったり情緒的なものも素晴らしいしあとは映画音楽家としてこれまた非凡な才能を持ってるっていうまぁ滅多にいないタイプの作曲家なんだよね。偉大すぎでしょ。この人。同じぐらいの世代の作曲家として国内だと黛敏郎とか伊福部昭とか湯浅譲二とかいるけど格が違うよね。ようはこの辺ってまぁ普通の現代作曲家なんだよね。んでも武満はヴァレーズとかメシアンとかストラヴィンスキーっつーレベルの作曲家だよね。こういうレベルに入る作曲家自体別に国を問わずあんまいないじゃん?日本では唯一と言っていいぐらいかもしれないねっつーか日本初かもしれないよね。こういうレベルに属する日本の作曲家っていないじゃん?別に作曲家のなレベルが低いってわけじゃなくてどこの国にしたってそんぐらいのグレードの作曲家がいる国なんて少ないわけだ。んだからまぁ凄いよね。ホントに。あとやっぱ音響派っていうところがアツいんだよね。ヴァレーズとかも言わば音響派じゃん?作曲どうこうっつーよりかは音そのものが重要っていう。まぁそれで言うとやっぱシェルシはハードコア音響の人だよね。


武満が言ってたことなんだけど楽譜どうのはどうでもいいんだというさ、ようは音が重要なんであって楽譜はそれを指示するものであったり表すものであったりするということだけだみたいなことを言っててさ、まぁこれって本当に音響派的ですよね。まぁ音だけにフォーカスってことになるとまぁドローン系とかエレクトロニカと同時期に流行ってた音響ってのがあるけどそれとは違うんだよね。音を表現の手段として使うアーティストと音響派の作曲って全然意味合いが違うんだよね。ようはサウンドアート的な音響とは全然別物ってことね。別にサウンドアート的なものが劣ってるってことではないんだけど、ただまぁ音響派の作曲家ってレアだからね。ただの音響系の人たちは腐るほどいるけど音響派の作曲は非常にレアだよね。まぁそれで言うとやっぱクセナキスとかストックハウゼンとかも入るけどライリーとかラモンテヤングとかは違うよね。あれは音響系なんだ。ようは腐るほどいるタイプの音響系だよね。あとあれだ、モートン・フェルドマンね。音響派の作曲家。


音響系的な意味での音響系ってのはそういう音のジャンルってことだよね。ドローンを出すとかノイズを出すとか電子音を出すとかって意味で。音響派の作曲ってのは音にフォーカスした作曲で別にそれは音とは別に関係ないんだよね。調性音楽だろうがポップスだろうが音にフォーカスするっていう態度自体が音響派なんだよね。YMOで言えば細野さんが音響派の作曲家でジャンルとしての音響系なのが坂本龍一だよね。これは基本的に昔から変わってないと思うんだよね。ようはこれは方法論なんじゃなくて思想なんだよね。音に向かう思想っつーのかな?スタイルとしての音響はただの流行だったり簡単に作れるからみたいな短絡的な感じのが多いけど態度が音響な人たちってのは曲の形式に関わらずやっぱ思想があるよね。武満にはそれを尋常じゃないぐらい感じたわけね。凄まじい音響派だなと。そうなんだけど凄まじく情緒的な調性音楽とかも書いたりするから凄いよね。凄い歌心があるっつーのかな?


それにえらく感動していて、例によってアセンブラージュ2を作成中なんですよ。だからまぁ毎日楽しいですね。今は。まぁ何かを聴いて感動して作り始めるっつー典型的な例ですね。これは。今はまだそういうのがあるからいいけどそれも無くなるんだろうなーって今やってる最中なのに無常さを感じるんだよねー。作るの楽しいからずーっと作っていたいと思うんだけどいつかは完成しちゃうからねぇ。あと一回やっちゃうと飽きちゃうんで別バージョンとかを作ろうと思わないんだよね。だからやっちゃえば終わりなんだよね。それがすげーつまらない。現代音楽作曲家としての活動はいつまで続くんだろうか?ってはじめたばっかりなのに今から憂鬱な感じですね(笑)


まぁそんな感じで。んじゃまた。