finding fantasyさんへの返信。その2。

finding fantasy 2014/08/22 20:54


ゲーデルの話題から離れますがここのログを結構見て回ってきました。ニューヨーク編からあるんですね。その頃のただの悩めるパンク青年から相当の知的パワーアップをしていて正直驚きですよ。ここまで「確変」する人も珍しい。自分なんてこの7年特に知的成長してないですからね。人間に対する新しい見識が生まれたような気がしますよ。自分は謙虚にならんといかんなと言う感じです。


訪問者も色々いますね。悩める若者からアカデミズム志望、分っているようで分っていない人。耳蝉さんは案外実存系の人だったんですね。10代の引きこもり期間に読んでいたんですか?それならその頃から抽象的な文を読む訓練ができていたんですね。自分は案外実存系も読んでなくて、結構情けない思いをしましたよ。そこから純粋数学、数学の哲学に行く人はホント珍しいですよ。数学的プラトニズム、実在論の感覚は多分数学者なら持っているでしょうが、耳蝉さんのようにはこのブログの如く書かないので、貴重な生の声ですよね。感覚に根ざしているというのは大きいですよ。ペンローズゲーデルも同じなんだろう思います。哲学論文はそういう生々しさが抜け落ちているのでつまらないですよね。本当は実感が欲しいわけですから。ここのログは結構貴重なんじゃないかと思います、クワス算なんかいいですね。

 
それに分ってるようで分っていない人に関してですが、耳蝉さんが案外きつくて驚きましたよ、勿論理論的には耳蝉さんのほうが全然上手なんですけど、向こうに対するサジェッションも的確でしたよ。でも普通はスルーしちゃいますよね。その辺は耳蝉さんは相当真面目なんだと思いましたよ。根は実存系なんだと。その人の貼ったリンクに飛んでみたんですが、ちょっと笑っちゃうレベルでしたね、高校生の小論文以下でした。あんな人が代表を務めてる組織なんて御免ですね。耳蝉さんのログを読めば恥ずかしくて口に出せない程度の小話ですよ。多分耳蝉さんのブログにメンヘラ臭がするからだと思うんですが、浅すぎますよね。文章の緻密さが違いますよ。それは一目で分ります。耳蝉さんは雑なようでいて、網が細かい。口語調だから読みやすいんですが中身は濃いです。ラディカルではありますがね。ああいう人は哲学ワードを並べているだけですね。まあ自分のゲーデル理解もその程度なんですが。それを客観視できないのは重症ですね。古い哲学への失望もわかりますよ。


哲学者は数学か物理学、脳神経学辺りをやらなければもうなるべきじゃないと自分も思います。でなければもう文学ですよね。後不思議なのはそういう人に限って死後の世界を語る傾向があるんですよね。勿論死後は大きいと言えば大きんですけど、呆れちゃいますね。10から20代でおしまいの話ですよ。本当に哲学をしてるならそんなこと強調しないでしょう。まあこれはログの返信を読んでおどいてしまったからなんですけどね。色んな人を呼んでしまうのは文に熱があるからだと思いますよ。


いや、長々と付き合ってくれて本当に感謝です。


ウォール伝は「はてなバージョン」ってタイトルがあるようにもっと前からあるんですよね。これはニューヨーク編から始まってますが、元はロシアの耳ラボっていう意味の分からないホームページに今と同じような独り言を永遠と書いてたんですね。で、そのやり始めの頃はというとニューヨーク編初期の自分とは比べ物にならないぐらいそれよりさらに低レベルなやつだったんですよ(笑)雑魚ですね。10年以上前の話になりますが。だからまぁ本当に成長したよなぁーって自分で思いますね。逆にその実感がないと生きていけないですね。僕は何かと言うとゲームでも育成モノが好きだったりするんで、まぁその究極系って自分育成だよなって気がついたのがニューヨーク初期の頃ですね。で、その頃からはまぁ一段と色々と励むようになりましたね。あとまぁこれだけ人間は変われるんだ!っていう面白い記録になってるっていうのも良いですよね。元々何でも出来た人じゃないどころか登校拒否でド底辺高校出身ですからね。しかもまぁ通信制で金さえ払えば誰でも卒業できるみたいなところだったんでそもそも高校を卒業しているっていう実感がないんですよ(笑)実感できたのはアメリカの大学に入学できたときですかね。あーそういえば卒業してるから入れるんだぁーみたいな感じで。


で、勉強が出来なさ過ぎて怠惰で用意もしなかったので大学といってもまぁ誰でも入れるコミュニティカレッジで小学生の算数から始めたっていう。底辺にもほどがありますよね。よくゆとり世代だとかなんだとかって言われますけど僕のリアル10代の頃なんてゆとり世代なんて比較にならないぐらい学力低かったですからね。算数ですらも出来ないし漢字も書けないわけですから。まぁそういうルーツがあるので、だから今でも「学校の勉強できるできないってのはあんま関係ない」って言い続けてるんですよね。まぁ自分が実証してるわけですから。


あとあれですね、案外実存系なんですねって言われて驚いてますね。ずいぶんと時が経ったものだなぁーっていう。逆に今はそういう実存臭さがあんまりなくなったってことですよね。多分これも成長なんでしょう。いや、昔はそりゃ当然、実存バリバリで永遠と悩み事を書いていたので誰がどう見ても実存系かメンヘラーにしか見えなかったわけですが、逆に驚いているのが今の自分は「案外実存系だったんですね」って言われるほどまともになったのか?ってことなんですよね(笑)まぁ別に実存系やメンヘラーがダメとかまともじゃないってことではないんですが、なんかまぁ物凄く病理的っていうか薬品の臭いがプンプンするような病院っぽさってのがあったと思うんですよね。そこがまぁ垢抜けたっていうか、そこは悩みつくして色々と読んだおかげで克服できたんでしょうね。ドンブロフスキで言うところの積極的分離理論のレベルが上がってきてるってことですね。


ちなみに引きこもりの時期に主にやってたのは物凄く病んでいるノイズ製作で本はあまり読んでいませんでした。ただまぁ音に関する思想とかでまぁジョン・ケージとかに凄く影響を受けたりして抽象的なものに関しては元々の感性があったんだと思います。まぁ元々色々なことを抽象的に考えるってのがデフォの頭だったってことですね。なのでそこから哲学とか抽象的な分野に行くのは割と自然なことだったんですよね。特にトレーニングとか頑張って読めるようにしたっていうことは無かったです。


あ、そういえば今は数学とかやってるんで逆に分かるんですけど中2ぐらいで登校拒否になった時に知的欲求を満たしてくれたのが科学雑誌のニュートンだったんですよ。学校の数学は大嫌いだったんですけど、ニュートン別冊の相対性理論のやつとか量子論のやつとかが大好きでめちゃめちゃハマってたんですよね。今思えば数学的な素質ってのが元々あったんだなって分かるんですよね。んでもそれもまぁ本当に数学をやってある程度やれるようになったから「あ、そういえば中2のときに・・・」っていう解釈が可能になってるってことですね。自分がよく言う数学的素質とか抽象的に考える能力と学校でやらされるようなただの計算みたいな算数の能力は全然関係ないっていうのもまぁ自分の経験からなんですよね。数学が分からないんじゃなくて数式が分からないだけで概念としては相対性理論量子論を理解できたわけですから、全然数学の能力というか学校で言われるような学力としての数学のスキルなんて必要なかったわけですね。


でもまぁ当時もだいぶ後になってからもこれ自体が結構凄いことだったのかも?って分からないわけですよね。で、まぁ自律神経失調症になったり鬱が酷くなったりしてまぁ地獄のような10代だったわけですが、基本的にそこで刷り込まれるのが「負け犬のダメな自分」っていうところですよね。ニュートンとか読んでた割に学校の勉強は全然出来なかったんでまず自分の地頭が良いとは思えなかったしまぁ漢字も書けなくて数学も一切出来なかったら基本的にまぁあんま頭良くないみたいな評価はされますよね。そういうのが凄く強く刻印されてたんですよね。これがまぁ後に実存系に傾倒していくきっかけの一つにはなったと思います。「やろうと思えばなんでもできる自分」なんて夢にも思ってなかったわけですからまぁ死ぬほど悩みますよね。そりゃ。ホント、しょっちゅう死ぬことばかり考えてましたし。


まぁでもそのおかげで哲学にどっぷりハマることになって、あとまぁこれも書けば長くなるんですけど10代の頃に労働環境が結構苛酷な低賃金のアルバイトをやっていたのでまぁそれで色々と端折るとマルクス主義に傾倒するようになったんですよね。これが基本的に自分の政治的なものの芽生えなんですよね。今考えればそこそこ素養のある青年だったんじゃん!って思えるんですけどその頃の自分にはそれが分からないわけですからね。で、似たような感じのドロップアウターとかってそれで悩んで自殺しちゃったりするわけですよね。で、僕が普段からめちゃめちゃ強く言う「その判断ちょっとストップ!」ってのはもしかしたらすげー才能があるやつかもしれないからそんな10代の半ばぐらいで自殺するな!ってことなんですよね。ポテンシャルがあるのにその時点で評価できる人がいなかったり自分でも評価できないわけで「ダメな自分」とかって勝手に決め付けて自殺するのはダイヤの原石を捨てるようなものなんですよね。基本的にまぁ学校行けなくなるとか周囲に馴染めないって多分まぁちょっと普通よりIQ高いとか感性が豊かとかそういう場合が多いわけですよ。でもまぁ社会的にそれは「ダメ」だとされるんでそれで勝手に「ダメ」扱いされるじゃないですか?それで自殺しちゃうなんてすげー勿体無い!ってことになるんですよね。まぁ自分は死ななくて本当に良かったって今なら思えますけどね。


あ、自分語りが長くなりそうなんでこの辺でやめるとして(笑)自分的にも哲学から数学へって流れがなかなか神がかった展開だったんだなって思えるんですよ。で、まさしくfinding fantasyさんがおっしゃるようにゲーデルとかペンローズが持ってる感覚ってまさしくこういう感じなんですよねっていうか実際に色々な数学者の伝記とかを見ると大体感覚で把握してますよね。んだからこそいや、だったらなんか映画に感動するとか音楽に感動するみたいなそういう感覚のレベルの話なんであったらホントに学校でやらされるクソみたいな数学の成績で数学の向き不向きを決めちゃうなんて最悪じゃん!って思ってるわけですね。全く数学できなくても感覚を持ってればあとは別に数学っていう言語を学べばいいだけなのであとはもう理解できるわけじゃないですか?でもどの国もそうなんですけど学校でやらされる数学がクソ過ぎてみんな数学嫌いになっちゃうんですよね。ましてや感性豊かな人なんてあんなの絶対嫌うわけですよ。


だからまぁ逆に学校でやらされるような数学で「数学面白い!」って思うようなやつは多分レベル低いなって勝手に思ってるんですけどね(笑)あんな抽象性も何も無いただの計算の世界を面白いと思えるなんてただのパズル好きか何かなわけで多分才能ないですよね。だからめちゃめちゃ嫌ってる人のほうがむしろ才能がある場合もあるかもしれないって思うんですよね。学校で無理やり聴かされるクラシックでクラシック嫌いが増えるのと同じ感じですよね(笑)でも音楽なんつってもまぁダブステップとかドラムンベースとかハウスとかジャズとか色々あるわけで、学校で聴かされるようなクラシックが全部じゃないですよね。で、音楽の場合は学校で無理やり聴かされる音楽だけが音楽じゃないってすぐ分かるじゃないですか?実際にネットとかで探せばいくらでも音楽は聴けるわけで。でも数学の場合、学校でやらされるのが全部だって思っちゃいますよね。「これが数学なんだ」と。まぁでもこれって海外の数学のシンポジウムなんかでもシリアスに議論されてる話題でまぁある意味普遍的な話なんですよね。どこの国もそれで頭を抱えてるって感じですかね。


あ、それで僕のキツさというかどんなものにでも真面目に返信を書いちゃう感じってまさしくおっしゃるようにそれは根が実存系でクソ真面目だからですね。根が真面目で実存系なので基本的に知の分野で適当なことを言ってる人とか分かったようなふりをしてるやつとかが心底許せないって思うからキツくなるんですよね。だからまぁ馬鹿なのは言いとしてその知ったかぶりやめろとか詭弁で言い逃れようとするんじゃねーよとかってストレートに言うわけですね。


なんかでもこれ書いてて良かったなぁーって思えるのって今みたいなときなんですよ。まぁ僕と違った意味での変な人もたまに来ますがfinding fantasyさんみたいにログを丁寧に読んで的確に分析して理解してくれる人ってのがいて、やっぱりそれは人として嬉しいですよね。それはまぁ僕がまさしく根が実存系なので僕の実存を理解してくれていたり肯定してくれる人と出会えると本当に嬉しくなるんですよね。僕は理解者を求めて書いているわけじゃないんですが、結果的にまぁ切磋琢磨してる日々の積み重ねのおかげでずいぶんと成長した自分ってのがいてそれを理解してくれる人がいるっていうことですよね。まぁでも基本はやっぱ成長してダメなところとか知的に未熟なところとか理解できてないところってのをとことん突き詰めて無くしていくっていうプロセスの結果ですよね。そうじゃないとまぁ基本パンク青年のままだし、政治的にもお祭りデモみたいなのに参加して政治的活動にコミットしたような気になってる左翼青年止まりなわけですよね。数学で言うとまさしくfinding fantasyさんとの最初のやり取りにもあったようにとんでも系になっちゃうわけです。


「哲学者は数学か物理学、脳神経学辺りをやらなければもうなるべきじゃないと自分も思います」って本当にそうなんですよ!!基本、文学みたいな哲学やってるやつらってまぁ基本的に真剣に何かを分析しようとしたり理解しようとしたりしてないですからね。心に残りそうな名文を書こうとしてたり詩みたいな美しい文を書こうとしてるわけで、本来の哲学の仕事である物事そのものを検討するっていうことをやってないですからね。で、人間の心理とか経済学とか社会学とか知らないくせに政治について偉そうなことを言っていたりするんですよね。あとはまぁ理想だけを述べた左翼青年のイデアの世界ですね。こういうのは読むだけで寒気がします(笑)政治なんてのは実現しなければ意味が無いわけで、だからこそ権力抜きには語れないって話になっちゃうんですよね。僕がパンク左翼青年から権力志向になったのもそういうことなんですよね。実現しない理想なんてただの空論ですからね。


これは「意識」とか「身体性」とか「存在」についても同じで、基本的にこういうのは科学の知識が無ければ語れないものになっちゃってるんですよね。そういう科学が無かった時期には思考のごり押しで哲学が成立していましたが、科学が発展している現在ではそういうような過去の形骸化したような哲学を似たようなスタイルでやったって何も分かるわけないんですよね。んでもまぁなんかこの「古典的な哲学スタイル」って結局まぁ形式としての哲学のお手本みたいな感じでなぜか権威化されるじゃないですか?で、それがなんかアカデミックのスタイルみたいになっちゃって、だからまぁ哲学の本とか論文がクソつまらないものばかりになるんですよね。で、finding fantasyさんがおっしゃるようになぜか死後の世界とか超越的存在とか何か宗教がかったようなものを語ったりするんですよね。もう本当にクソですよね。まぁ色々なものに限界を感じるんで超越的なものを出したくなるのは分かるんだけど、そこはそれに頼っちゃダメっていうかそういうのに頼らないってのが哲学でしょって思うんですけど、そうじゃない人が多いですよね。


まぁそれとは別に神秘主義とか霊的な存在とかってのは僕は信じてるんですが、哲学とか学問の中でそういうものをdeux ex machinaみたいに持ち出してくるってのは知的退廃だと思うんですよね。でもまぁ古い哲学にしても宗教にしても結局は最後はそういう変なオカルト的な存在を匂わせて終わったりしてるわけですよね。宗教も大体まぁ神を出してきてそれで終わるっつーのもまぁそれを出してこないともうどうにもならないからなんでしょうね。まぁ宗教の場合、ガチで神を信じてたりはするとは思いますが、でも構造的に超越的な存在を仮定してそこに逃げるみたいなことに結果的になっちゃってますよね。だからまぁ何にも救いがないわけですよ。哲学やって自殺する人とかって多分めちゃめちゃ読んでそれが最終的に分かっちゃって絶望して自殺するんだと思いますよね。哲学の才能があるからこそ自殺しちゃうって勿体無いなと思うんですが、こういう人のほうがその辺の学者よりよっぽど哲学を理解してますよね。でもまぁ僕は絶望に留まるわけにはいかないし、ある意味での救いみたいなのはやはり数学的なものにそれを感じているので、そういう意味でまぁやっぱり根が実存系ってのは変わってないし、今は数学を見つけたから恒常性を保っていられるようになったっていうところはあると思いますよね。哲学オンリーだったら行き詰ってマジで自殺しちゃうかもしれないですからね。そういう意味で数学には人生を救われてる感じがしてます。まぁある意味自分にとっての神ってのが数学なのかもしれません。


なんかでもあれなんですよね、そのfinding fantasyさんがおっしゃる「熱」なんですが、僕が去年ぐらいから書いている価値観の創造っていうことで言うとやっぱりこのパッションってことに尽きるなぁーって思ってるんですよね。完全に内発的なものがベースのパトスですよね。それは合理性とか論理とかそれで食えるとかそういうことじゃなくて内発的に出てくるものですよね。なんか世の中ってまぁ効率で動いちゃうじゃないですか?経済学とか金融なんかやってて改めて思うんですが、効率とかお金ってのが行動のイニシアチブになるって本当に貧しいよなぁーって思うんですよね。まぁでも本当に内発的なものに動かされて動いている人は食えないからみたいな理由で情熱があるものをやめたりはしないだろうし、そういう意味でガチの人たちがガチでコミットし続けるっていうある種の自然淘汰が働くのでそれはそれで自然の流れなのかな?とは思うんですけどね。だからこそお金とか食える食えないとか役に立つ知識だとかなんだとかそういうことに左右されない内発性ベースでコミットできるものを見つけられた人ってのは生活が大変だったり色々なことがあったとしても基本幸せだと思いますよね。むしろそれが無いということが真の貧しさですからね。


でもまぁなんかあれですよね、文型じゃ食えないから哲学勉強したくでも選べない・・・とかっていう食える食えないっていうイニシアチブが負に働いてそれを選ばせないっていう力学はあると思うので、それに対してノーと言うって感じですよね。食える食えないじゃなくてやりたいかやりたくないかで決めろ!って話ですよね。お金っつーよりそれが好きであるってことが一番の幸せだと思うんですよ。まぁ哲学でもプラトンからショーペンハウエルからスピノザからニーチェまで基本的に似たようなことを言ってますよね。それが「善」だったり「幸福」だったり「快」だったり「力」だったりするわけですが、基本同じだと思ってますね。それを教えてくれるのが哲学だったりするんで、やっぱり食える食えないっつー強制力が働いてしまうっていう状況には憂慮するべきですよね。いや、だからまぁ基本的に文化的な活動って社会にある程度余裕がないと無理なんですよね。余裕が無いと時間は何か収入に繋がるようなこととかキャリアって意味でのスキルアップとかに使われてしまうので、だからなんか余計に哲学って「いらない」って感じになっちゃうんですよね。んでもまぁ逆説的にめちゃめちゃ成功してる人ってアホみたいに読書してて哲学なんかも読んでたりするんですよね。まぁ今はそれがhow to本なんかに書かれてて括弧つきの「成功者」になりたい人がスタイルだけ真似て哲学書を読んでるフリをしてるっていうのはありますよね。だからまぁ超訳ニーチェとか浅い感じの哲学の上辺だけを掬ったような本がたまに思い出したように売れるんでしょうね。


いや、今回はなんかウォール伝の生い立ちまで遡ることが出来て凄く楽しかったです!自分で言うのもなんですけどやっぱこれって哲学プロジェクトとして大成功してますよね。哲学の実践をモットーに切磋琢磨してダメ人間が立派とまではいかないまでも凄く向上心のあるポジティブなマインドセットを持った人間に生まれ変われたわけですから、結局、まぁこれ自体が知の偉大さというか知のおかげで人間は元がダメでもいくらでも生まれ変われるんだ!ってことを立証してますよね。まぁ元々知的なものに誘われるような素養があったにせよ、でも基本的に切磋琢磨のプロセスってのは厭世的にならずに哲学の実践としてのエロスの追及をするということなわけですから、元がどういう人間だったか?とか素質があったのかなかったのか?っていうよりかはそれを実践し続けてきたか?ってことが重要なんですよね。だからまぁこれは自分が凄いとか自分の努力が凄いってことじゃなくて本当に知のパワーですよね。Knowlede is powerって言葉がありますけどまさしくこれですよね。


そんな感じで凄まじいパッションで長く書いてしまいましたが、自分としても色々と振り返るきっかけになってなんか凄く良かったなって思ってます。なによりやはりそこまで理解してくださったfinding fantasyさんに本当に感謝です!