フィジカルと聖体拝領。

ドゥルーズがエリーフォールという美術史家を出してきてようは現代においての映画館というのはカトリックにおける聖体拝領なんだっていうまぁ暗闇で不特定多数の中で映画という聖体を受け取る儀式的な場所というか、まぁ映画館が現代における教会なんだっつーよりかはまぁ聖体拝領と似てるよねーぐらいの相似ってことなんだろうけどってなんでいきなりそんな話をするのか?っていうとまぁタルコフスキーのリマスターとかブレッソンとかに感激しててまぁそういうなんつーか二十歳前後の時に熱心に見てたような芸術映画みたいなのを今見るとまた印象が全然違う!だとかリマスターやべー!ってことでまぁやっぱ映画っていいなっつーかまぁああいう時期に見てた映画をリマスターで改めて見ると全然印象が違うどころかリメイクっていうぐらいの違うレベルだなってのを感じているわけでんでまぁ映画だろ!ってことでドゥルーズのシネマとか読んでなかったんだけど買って読んでるんですよね。

 

音楽やら映画やら脇道に逸れてて肝心のメインが全然進んでない感じなんだけど(笑)まぁんでなんつーか思ったのは他でもないフィジカルのことなんだけどフィジカルってまさに聖体拝領なんじゃねーの?って思ったんだよね。もちろんデジタルネイティヴというかストリーミングがデフォの人の場合、CDなんてAKBの握手券的なことに利用される時代遅れのメディアじゃね?ぐらいの認識なのかもしれないしそこは分からんのだけど最近DVDにしてもCDにしてもフィジカルで見るってのがまぁよく言われるように儀式的なんだよね。

 

前にも散々書いたけどレコードを聴くという一連の聴くまでのプロセスというのがもう聴くということの儀式なんだっていうね、だからそれはそのレコードに偶然出会うとかたまたまそのレコード屋で見つけた!的な出会いの感動とかそういうのも含めたところでそれはまずレコードを探しに行くっていう別な意味でのフィジカルですよね。聴くということのためにかなりの身体の労力を使うわけだ。

 

出不精の俺のしては外に出るまでがめちゃめちゃ面倒なわけでチャリで駅前まで行ってチャリ駐輪場に止めてそっから電車待って湘南新宿ライン乗れなかったら品川で乗り換えて・・・っていうこれ自体が聴くという行為なんだけどとりわけそこに身体のフィジカルってのとまとめて買うとレコ屋のビニール袋が手に食い込んで痛くなるみたいな(笑)ところまでを含めたプロセスというのが聴くということを通り超して傾聴というレベルになっているっていうね。

 

ただ聴ければいいということだとストリーミングが一番いいしそんな移動するだのレコード探すのに丸一日使うだのってことをしなくても聴けるんだけどその楽さ加減っていうのが実はリスニングっつー行為にすでに影響を及ぼしててまぁ簡単に言うとあれだわ、図書館の本より身銭を切って買った本のほうがちゃんと読むし元を取ろうとして熱心に読むっていうことと一緒でフィジカル然りなんだよね。昔のクソゲーとも似ててクソゲーなんだけどゲームなんて誕生日かお年玉をもらえる新年かクリスマスぐらいにしか買ってもらえない的な俺の世代ぐらいの子供の頃の体験ってまぁあるわけじゃん?

 

で、せっかく買ってもらってもクソゲーだからやらないっていうよりかは買える球数が絶対的に少ないなかで買うもんだからクソゲーだからやらないってことにならなくてクソゲーでも面白さを見出してなんとかやろうとするっていうようなところなんだけどこういう幼少期の体験とかの刷り込みとかも多いよね。

 

例えば極端な話、ストリーミングで中身が聴けるのにあえて聴かずにトライして買ってみる的な実験をしてみるといざフィジカルが届いてそこまでドストライクじゃなくてもストリーミングだったらすぐ停止して他のを聴いてるっていうレベルのをフィジカルだとそれを取り込んで別にダイレクトにCDを聴いているわけじゃないにしてもフィジカルで買ったものっていうことで隅から隅まで丁寧に聴くことになるんだよね。これを貧乏性といっていいのか分からんけど(笑)まぁこれってなんかあれよね、ゲーム然りだけど青年期でも買えるCDは金銭的な理由で限られてたから買ったやつが失敗でも頑張って聴く!的なことはあったよねっつー体験自体がゴースト的に残ってて今でもフィジカルを買うとっていうか買ってしまうと隅から隅まで聞かざるを得なくなるという強制力が発生するっていうことだよね。

 

んで最近俺が思うのはその強制力のおかげでストリーミングだったら停止してるようなものをちゃんと聴くようになって単純接触効果の音楽バージョンなのかもしれないけど聴いてるとだんだん好きになっていくってのはあるよね。まぁ去年熱心にロック好きになろうとして普段聞かないようなロックも聴いてみるとだんだん好きになっていくっつっても好きになるのは限られてるんだけどなんかまぁ試食コーナーで一口食うのと買ってガッツリ食うのとでは食べるっていう経験自体が変わってくるよねっていうところなんだよね。

 

でもそれはんじゃあ金を払っているからなのか?っていうとそうでもないんだよねっつーのがフィジカルがマケプレとかで出てても海外とかで2週間ぐらいかかるっつーんだったらもうmp3でいいやっつって買ったものは結構あるんだけどフィジカルほど大切に聴かないんだよね。フィジカルを店頭で買うのとネットで買うのとでもまた違ってくるんだけどでもまぁ俺の場合ネットだから買うプロセスは全く同じなんだよね。ただそっから現物が届いてビニール破いて中身取り出してライナー読みながら聴くとかっつーのがもうすでに聴くという体験の異化というかまぁそれが過去ではデフォだったのがストリーミングになるとフルバージョンをザッピングできるっつー贅沢さがあるんだけどザッピングできるからそこまで熱心に聴かないっていうね。

 

まぁそこでフィジカルが発生するっていうまぁ聴くという行為においてストリーミングだとある意味脳と電脳が直に繋がっててワード入れてクリックすればお望みの音楽が流れるっていうことなんだけどフィジカルの場合、その場ですぐ聴けるわけじゃないし届いた後もレコードほどではないにしても聴くまでにCDを取り出すとかセットをするっていう行為が発生するよね。

 

それがまぁ最初に書いた聖体拝領っぽいというか映画をDVDで見る場合、映画館ほど教会っぽくないだろうって思うんだけどストリーミング時代ではDVDもまた聖体拝領感がストリーミングに比べればあるよねっていうところなんだよね。まぁちょっと前からレコードがまた売り上げを伸ばしているっていうところもまぁその聴くという体験のディープさってのをエンハンスするための結果というかあとまぁ所有感とかってのもあると思うんだけど基本的にそれが音楽であれ映画であれそれが記録されたメディアってのがCDRとかDVDRじゃなくて製品版のパッケージでそれがあるっていうことに所有欲を満たせるっていうところもあるし基本的に人間ってまぁそれがフィギュアでもプラモデルでも模型でもアクセサリーでもなんでもいいんだけど好きなものに囲まれると幸せになるよね。

 

まぁそれってのが特にレコードの場合は顕著だっていうそれはストリーミングの便利すぎる体験から来る聴くという行為がなんか陳腐化しちゃうっていうところから来る逆アナクロニズムっていう感じだと思うんだよね。レコードは時代遅れなんだけど逆にその時代遅れなものがポストデジタルぐらいの時代に聴く手間とか物質感とかコモディディ感っていうとちょっと違う気がするけど良いメディアだなっていうことが再評価されるんだよね。

 

でもまぁなんで音楽はフィジカル感があったほうが良くて例えばゲームとかだとダウンロード版だろうがディスク版だろうがあんま関係ないってのがあるのか?ってのはなんかまぁ愛着の違いなんだろうか?ってまぁ色々と考える余地がありそうだけどね。映画ファンならやっぱDVDで倍速できないけどやっぱ高画質のブルーレイで持ってる!とかってまぁテンション上がるわけだしアニメファンが円盤買うの然りだよね。

 

まぁそんな感じでなんか中途半端なんだけど今日はこの辺でいいや。

 

んじゃまた。