行方不明の象を探して。その27。

あとパイロットウィングスの黒田教官が右翼なのか?ってことだ。パイロットになりたかったりロケットベルトの運用方法に興味があったのに強制的に軍用ヘリの訓練をさせられたわけだからね、そんなの聞いてないよ。俺は平和主義者なんだからね。フロイディアンスリップってあるだろう。言い間違いなんだけど実際に思っていることを「ウップス」って感じで言っちゃうこと。

 

マサ斎藤が「nWoの狙いは世界制覇」と言おうとして「世界平和」と言ってしまったのも、マサ斎藤がそう思っていたからそういう言葉が出たのであって、俺が心から願っているのもマサさんと同じで世界平和だ。でもそれをガチで願う人間は危険な人にならざるを得ない。思いが尋常じゃないからね。凡庸さからは革命も変化も何も生まれないんだよ。

 

いうことはあまりなくなったけど、あえて言うなら炎上しそうな危ない人にはなってはいけないよっていう昭和の時代だったらゴロゴロいたレベルの危ない人にすらなったらいけないという凡庸さの空気の支配が心配だ。危ない=かっこ悪いという図式みたいなのもあるしヘタすると中二病を拗らせているなんていう言い方もあるぐらいで、エクストリームに対する凡庸さからの軽蔑が実は一番危険だと言うことに気がついてないマスがヤバ過ぎる。

 

そういうマスがマジでヤバイことを起こしたりするからね。それだけは勘弁しておくれ。危ないものを避けるということはそれに対する認識が及ばなくなるということなんだ。そんな風にマスがなっちゃったらどうするつもりだい?一番怖いのは普通のフリをしているサイコなやつだっていつも言うだろう俺は。明らかに危ないほうがまだ危なくないんだ。普通の顔をしてサイコなことを平気でやっちゃう「自分は普通だ」と思っている人間が一番ヤバいんだ。そういうやつに比べれば半グレややくざすらもマシに思えてくるぐらい自称普通のサイコはヤバい。

 

祖母が亡くなった。祖母は生前「幽霊なんて怖くねぇ。怖ぇのは人間だ」って言っていたけど本当だよなって思う。クソみたいな小難しいインテリが書いた本を読むよりも人生経験を経た人間が言う何気ない一言のほうがよっぽど勉強になったりするもんだ。それはおばあちゃんの知恵というよりおばあちゃんのリアルなわけだ。そのリアルはリアルから乖離した言語ゲームとか「俺頭良いだろう」アピールのための本とかそんなんじゃなくてさ、リアルだろう?それこそが。

 

東急ハンズに行っても全てが武器にしか見えないってヤバイ人間が言う言葉かと思ったら武術の達人も同じようなことを言っていても、特に世間に認められている達人の場合、「さすがですね!」ってなって、無名な場合、「危ない人」になるのはなぜでしょう?

 

全身ファストファッションなのにバッグだけルイ・ヴィトンなのはなぜでしょう?記号なんですよ。記号。シカゴハウスで「ホウケトホウケトホウケトホー」って歌っているやつはジャミンとかファンクのやつが多いけどゲット・ホーだと思うんですよね。娼婦を連れて来いみたいなことか。でも「包茎包茎包茎ほー」としか聞こえなくて、でもなんかとにかく下品なことを言っているんだろうなっていう冊子がつくのがシックスセンス。

 

シックスセンスという冊子は3枚ぐらい出て無くなってしまった伝説のファンジンだ。ファンジンってファンザインって意味でファンのマガジンで同人誌って意味だろう?でも同人誌っていうと薄い本しか浮かばないよね。これも記号だろう?

 

なんでみんな大人になっちゃうんだろうね。危なかったやつも凡庸な大人になっちゃう。「いやーそれはイカンでしょー」とかっていうようになる。だから俺だけ危ない子供のままでホームアローンになる。ピーターパン症候群なんじゃなくて我を突き通すとピーターパンになるんだけどピーターパンだってヤバいやつだろう?海賊とナイフでやりあって平気で何人も地獄送りにするぐらいの実力の持ち主なわけで、そんなやつがネバーランドとか言ったりしているわけだから俺もまだまだだなって思う。ピーターパンになりたいのにピーターパンが偉大過ぎるからね。

 

ティンカーベルにそのうち会えるとかティンカーベル的なものに出会うという占いは出ているわけだよ。自分しか占わないけどね。もしくはもう居るとかね、でもいなかったら多分、俺なんて野垂れ死んでると思う。

 

フック船長の左手を切り落としてワニに食べさせて全く反省していないとか相当サイコな野郎だよな。俺なんてそれに比べたらファック野郎だろう。せめてバッドアスぐらいにはなりたいもんだ。ピーターパンはフック船長並の手練れと遊びながら戦って左手を切り落としてしまうぐらいの剣術なり短剣術の使い手だ。

 

モルダー、あなた疲れているのよってスカリーに言われたけど全く逆でエネルギーに満ち溢れているのに全く使う場所が無くて困っているという状況。そういうのを破壊し。墓石。使う場所がなくなっても墓石。文章として成立していないけどそういうところが瓦版を朝から読む男気というやつだろう。

 

原宿の裏路地を歩いていたら渋谷駅にたどり着いたという事実。洋服を買う前に何を自分が持っているのか?ということを頭の中にストックしておく必要がある。「こんなの持ってたんだ!」っていう発見があるから洋服の量が膨大になっても常にチェックしておくべきだ。

 

赤い布がクルクルと回りはじめ俺はモノと一体になる。そのためには最低1時間は必要だ。何かの現象を何かを恣意的に結び付けて意味づけをするでしょう。例えば最近、つまらないとかやりたいことをやるのに時間がかかりそうだとかなんだとか、だから憂鬱なんだと思っていたら実は食べ物に原因がありましたとかね、メンタルで起こったことを全てメンタルに帰結させないこと。

 

ただ単に疲れているだけかもしれないし内臓が弱っているだけかもしれないわけで、そういう状態で考えることはそりゃ憂鬱なことになるに決まっている。では白い布は回り続けるのか?刃物に慣れよう。意外とナイフは怖くない!ナイフを紐でぶら下げて振り子のようにナイフがこっちに向かってくるときに服を着ていればなんともないということに気がつく。表面を触っただけで切れるナイフなんてあるんだろうか?そうですか、刃物も慣れですか。では全ては慣れですね。

 

ボールは友達というとキャプテン翼いいいいいいいいってパスワードを入れると妙なセーブデータが読み込まれますよね?でもナイフは友達というとキチガイ扱いされるよね。でも武器とお友達になってみなさいよ。その武器の振る舞いが分かればそれもある種の護身術さ。

 

武装か非武装か?ですか?日本では徹底的に自衛の手段を根こそぎ持ってかれてますよね。明らかに武器としか機能しないものを持ち歩いているだけで軽犯罪なんですって。寸鉄のようなものも警察官が恣意的に判断すれば軽犯罪でしょう。自衛という手段が認められていないんだ。

 

護身という理由で武器を持つことが可能になったら悪用するやつが増えるといっても悪用するやつはそもそも常に何か持ち歩いているわけで、護身用だと言ってモデルガンを持ち歩いているやつもいたっけな。なんか嫌。武術を本質的に突き詰めるとヤバいやつになるからフィットネスとか運動程度のものにしておけというスポーツ化はさ、そもそもだったら武器を使ってフィットネスをする必要がないわけだよ。フィットネスをすればいいじゃない?なんで武器を使うのかしら?

 

太宰の謎のお姉言葉。武は矛だか武器だかを理性だか知恵で納めるっていう話があるけど後付けらしいぜ。元々は武力で解決するっていう元も子もない話なんだけどさ、それが武じゃない?それって崇高な行為じゃない?先人が生き残るために知恵を使いまくって考案した武器とか技術とかって尊いよね。命が消える瞬間とかさ、ミスったら死ぬかもしれないとかさ、それはヤバさじゃなくて精神性でしょう。

 

死ぬかもしれないわけだから練習もマジになるわけだよね。でも現在ではそんなことは起こらないけど過去のそういった崇高な精神性をトレースするというのが武術なんじゃないかしら?そして今の俺がここにいるという事実ね。beingなんだ。

 

だからね、身体性と精神の話が全く抜けた話って意味ないんだよね。AIとかシンギュラリティとかさ、肝心なのは魂だろうそれって。キリスト教以前の初期のエジプトとかのキリスト教にはそういう身体性が残っているよね。観念じゃないんだ。精神と肉体なんだよ。

 

江美子は相手の男の肩に両手をまわしてキスをしながら踊っていた。女の子にしては肩幅のある体つきをした彼女は顔の造りも大造りで、小麦色をしたその肌からは、女の子というよりは女の体臭がプーンと匂ってきそうな感じがする。

 

前衛的過ぎる暗黒舞踏のようなダンスを終えた江美子は、グッタリとした感じで顔を上気させながら席に戻ってきた。相手の男も一緒にやってきて彼女の横に座った。そうして彼女の耳たぶについているピンク色の女性器型イヤリングを指で軽くいじりながら時々「フーッ」と息を吹きかけていた。

 

しばらく二人は横でボソボソと話していたけれど、江美子は赤や緑や青の原色模様のスエードでできたバッグを書けにかけると、立ち上がりながら

 

「悪いけど、もう外へでるわ」

 

と言った。時間はまだ9時だったので、ザナドゥと言わずファザナドゥにすらいても良かったと思うのに目当ての男が見つからないと江美子は急にアシッド感を拭い取り不機嫌な様子で家に帰ることが多かった。なんで俺が知っている女はドラッグに溺れているくせに異様な耐性があるのだろう?

 

俺はドラッグのおかげで短時間に尋常じゃないスピードで何かを色々考えていたのだよね。ファザナドゥと武術は関係ないよね。クラブじゃなくてディスコの爆音の中でさ、でもラリってると面白いよね。なんで支離滅裂なことが頭の中で始まって、でも意外といい議論が頭の中で展開するから悪くないと俺は言った。

 

ちなみに聖書とかにもあるような「彼を知った」というのはつまりは「ヤッた」という意味があったりする。I know himって言ったら彼とオマンコしたのよってことになったら世界が大変になる。ラリってるときにラリったような文章を書いても意外とラリってないもんだと力説されてもやはりラリっているときはラリっている文章を書いているものだ。

 

例えば酒を飲んでベロベロになったとする。しかしそのディスコで目当ての女性が見つからないからという理由でアルコールを体内から消すことなど不可能だ。ベロベロになったのに目当ての女の子が見つからないという有様になるはずだ。自分でも何を言っているのか意味が分からなくなってきた。麻薬書簡だな。これは。一種の。ある種の。一種とある種はどう違うんだい?

 

ぶっ飛ぶことを忘れた俺がいかに凡庸でつまらないやつなのか?ということをここ数か月実感していたからこそ自分の凡庸さに対する嫌悪感があったのだと思う。ぶっ飛ぶことを忘れたんじゃない。ぶっ飛んでると意外と迷惑がかかることもあると知ったから抑圧していたのだな。そしたら体調不良になった。本来の自分じゃないから。

 

抑圧は良くない。ぶっ飛んでると家族が心配するけど俺がそれなんだからしょうがない。それを抑圧したらまさに抑うつ状態になってしまって心底色々なことがダメになってしまう。

 

お勘定をお願いします。森は細部のない闇の壁というか、絵の具で描いたような地形をかろうじて区別できる縦線の伸びのある黒いナプキンのようなものだった。どこかの手首が自分の一枚に貼り付けたような黒い絵。その表面にバルコニーが反射して、恣意的な角度をつけられた表面は、別の種類の反射を生み出すためにわずかに回転していることが想像された。しかし、どちらの角度も、その表面が単に声だけの反射であることを明らかにしなかった。

 

途中の静寂の中で、その声は、次に起こることをコントロールしているかのようだった。しかし、そうなのか?声に関するすべての問題は、次に起こることを制御していた。そして、それは起こった。森の中で枝が折れるかろうじて聞き取れる音。誰かが自分の位置を変えた。

 

気を惑わすのではなく、林床の自然に翻弄されながら。少年が忘れることにした想像力を学びながら、少年の中でホバリングしている、それは右と胸にサメの打撃の鋭い音として現れた。 この組み合わせでは、どちらが先かはわからない。 少年は彼の耳のすぐそばで話し続けている。