行方不明の象を探して。その61。

外を見る。上を見たり下を見たり、何かを探す。何か面白いものを探して、今度は左に曲がって、そしてまだ内側にいながら、何か面白いものを探し続けている。たった今、左に曲がって、あ、なんだ。まぁようはまだそこにいる。探し続けろ!何か面白いものを探し続けるんだ!神の御心のままに!ああ、エッセネ派の記憶と俺の記憶と小説家としての俺の記憶がごっちゃになってわけがわからなくなっている。

 

また左に曲がってまだ探している。僕たちは食べ物と夢を探しているのだ。お気に入りの靴と優しい石鹸。一人で年をとるのはわけが違う。問題を思い出せ!一つ一つの思考には未来がある。しかし、過去は常に抜け落ちている。しかし、彼は文明の黎明期に参加していると考えるがあまり、そのまま考え続けてしまう。 

 

僕たちの体を使っての仕事は、岩を動かすことだ。新しいものを作るのも、全体をアレンジするのも、彼女は真実が好きなのだ。週末になると彼らは旅に部屋を取る。彼らはもっと何かが欲しいと後悔している。でも、どうやってそれを見つけるのだろう? 結局のところ、スタイルは重要だ。それについてあなたが言うことは何でも。でも誰が望んでいる?

 

図書館で立ち往生している忙しい体を戻すこと、それは問題の一部だ。しかし、スタイルはすぐそこにある。例えば、彼らは昔会ったときよりも今はもっと異様だ。彼らはそっくりだった。今は何かを追加した。それは社会にとって危険なことについて話すために異質だと言うだろう。

 

象はなかなかのナイス・ガイだった。ホテルに入る前に肩を抱くといった湿ったことをしなかったのが奈緒にとっては好印象で、ミッション・スクールに入るきっかけを作ったのも象だった。オツベルさんに飼われているだけあってボンボンっぽい雰囲気があったし、話が面白いところも気に入っていた。

 

けれども奈緒は彼にそれ以上の気持ちを抱いてはいなかった。ただ彼と会うとこで彼女の心の中の鬱積を浄化できればそれでいい、という考えに変わりはなかった。バックスタブのやり方や爆薬の知識などは象からピロートークの際に教えられたものが多かった。特に象と一緒に講演旅行によく行っている純一郎以外の男に会うときは下半身だけ軽く洗い流すようにしていた。

 

「メェー」

 

「ヤギ?」

 

象はしばらく黙っていたが

 

「動物」

 

と、切り出してきた。それと同時にタイプライターの横に山積みになっていた本の山が崩れ落ちてきた。

 

「本を整理したほうがいいと思うわ」

 

奈緒は続けた。

 

「一緒に住んでいる男の子がいるのよ、あたし」

 

「そうかー」

 

「ショック?」

 

「象が?」

 

「あなたが」

 

「なんで僕がショックを受けなきゃいけないの?」

 

「だってあなた動物でしょう?」

 

象は椅子に掛けてあったバッグの中からタバコを取り出した。諸君は鼻から吸うと思うだろうが、象は律義に口から吸うのだ。象はりんごとお金以外のものを鼻で掴まない。そう言っただろう?

 

「だから今日だけにしておいた方がいいと思うの」

 

「俺にもロック・ステディな子がいるんだ。もう付き合って四年半になるかな」

 

それは象のブラフだった。象の片方の牙が折れている理由には複数の理由があるが、もっとも有名なものは以下のものである。「マハーバーラタ」の著者とされるヴィヤーサは文字を書くことが出来なかった。このため、ブラフマーがガネーシャをヴィヤーサのもとに遣わしマハーバーラタを口述筆記をさせた。このとき、ガネーシャは自ら右の牙を折り、その牙で執筆したとされる。

 

リアルタイムのことをリアタイとかって言うらしい。言わば略だね。コラージュで書くといってもリアタイで色々と使いしたりしていたらリアタイで書いている分量のほうが多くなってしまった。ってことは今の俺は書けているということか!やった!でもなんだろう、全然嬉しくない。

 

めちゃめちゃ執筆に熱を入れているときにこういう感動が欲しかった。あんまり考えることなくスラスラと書けてしまう感覚。でもこれは俺が書けているんじゃなくてアストラル体が旅した記憶の断片なわけだから、そこを下手に「俺凄い!」とかって思っちゃダメだ。

 

書いていると朝になっていることが多くなって朝寝て夜起きる生活になってしまった。時間を戻そうと思っても逆にこれが馴染み過ぎて朝寝て夜起きるという規則正しい生活を送れるようになる。いつも言うだろう?昼間は磁場がうるさいって。だから集中できないって。何かを書くときは他のやつらが寝ている時が一番いいんだ。キャッチしやすいだろう?ロマンでもレシでも。

 

そりゃお前にとっちゃロマンもレシも関係ないだろうよ。でもよ、精度に関して言えばそんなに悪くはないぜ。エネルギーフィールドにアクセスして何かを書く場合、修験道とかの人間が精神統一しながら「何か」にアクセスし続けるというような生活になるわけだから真っ当な生活を送れるわけがない。

 

じゃあ健康に昼間に外に出たりお喋りしたりすればいいのか?っていうとそういうのをやり出すとアクセスの精度が悪くなるだろう。あとアクセスのほうが楽しいだろう。圧倒的に。圧倒的だな、と思った。もう外は明るくなっている。でも相変わらず下のあたりが冷え冷えだ。なんで下は冷えるのか?

 

イエスの最後の晩餐だとかがユダヤ教の影響下にある中での儀式的なものだったとかって言われているけどそんなことは全くない。というよりユダヤ的なものと全く関係なかったのがエッセネ派なんだ。いや、他にも色んな教団はいたとは思うよ。でも俺が知っている限りのエッセネ派は所謂、お前が考えるようなお前の時代の宗教のような宗教ではなかった。自然に非宗教的に神のみを信奉する人々という感じだった。だから異端扱いされた。

 

異端扱いされる俺らがそれと見れば分かるような格好をするわけがないだろう。白いローブを着ていただのなんだのって、そんなの殺しに来てくださいって言ってるようなものだろう。俺たちは確かにローブ状のものを着てはいたが一般人に紛れて生活していたし目立つことなんてご法度だった。でもしょうがないよね。現代から見た古代なんて色々な断片的な情報から推測するしかないから事実と異なってしまうのはしょうがないよね。でもお前には分かっていてほしいんだ。全然言われているのと俺らの実体は違ったってことをね。

 

俺にとっての変な感じはそれが高次元の存在が語り掛けて来ているような内容が実は俺自身の記憶であるということだ。自分が自分のことを思い出して自分に語り掛けて「分かって欲しい」などと言っている。でも割とその感覚には最近は慣れてきた。特にそれを拒絶する理由もないし、なぜかすんなり入ってくる記憶が多かったからかもしれない。

 

なんだろう、この「そういえばそうだったな」というような既視感は。やはり事実だからなのだろう。異様な記憶が入ってきているという感じが一切しない。不思議だと思っているのに不思議ではなく必然と感じられる。神学に興味がなくなったのも当時のダイレクトな神の理解が頭に入ってきたからで、それがオリジナルで後は後世で尾ひれがついたものだということが分かったからで、なんだかそれで納得してしまったのだ。

 

スウェーデンボルグが霊界体験をしていたのかどうかはともかく、彼が霊界で見てきたという情報が今の俺らから見るとかなり新しめのキリスト教教義に基づいたものになっているのは彼の時代に霊界体験をしたからで彼が接していた霊界は彼のリアタイの霊界だったからで、だからこそ俺が違和感を感じるのも納得がいった。

 

でも俺はオリジナルの思想を知っていると偉そうにする理由はない。たまたま魂がそうであったというだけで選ばれしものでもなんでもない。そもそも神は人を選んだりはしない。でも寵愛を受けるものがいるのは事実だ。俺の魂はそうであったらしい。今の俺がどうなのか?あったとしても魂の名残なのか、その辺は分からない。