ストックハウゼンは守銭奴。

mimisemi2007-03-11

久々にカルネを見たらたまらんかった。というか日本語字幕版の最後は結局、娘と何があったのかイマイチ分かりづらかったような気がしたんだけど
英語字幕で見たらちゃんと書いてあるのね。「俺が娘を女にする」と。今更気がついたんだけど、ノエが挑戦的に「Danger」って出してるのは
あの妄想の中での暴力描写に関してではなく、結末に関してなんだね。恐らく。ある意味、ひっかけっつーのかな。まぁどの道、俺にとっての
星5つ星中10個の作品であることには変わりないけど。日本語版の場合、ポルノ映画館での映画が全部モザイクになっているんだけど、アメリカ版は
無いのね。もうむき出しセックス。あれってやらせ映画でも映ってるのかなーとか思ってたら、普通のポルノなのね。本番のやつ。
買った当初に気がついてたはずなんだけど、改めて見て色々気がついたことがあったわね。でも俺の精神状態はだいぶ健全になってきており
カルネの世界に完全に浸るということは出来なくなってたね。まぁオヤジに感情移入してみることはできるんだけど、前みたいな「オヤジ=俺」
みたいな構図ではさすがに見れなくなってた。やっぱこっちにきてポジティブになったのと、カルネみたいな環境じゃなくなったのが主な
理由だろうに。風邪?あーだいぶいいけどね、まだ本調子じゃないね。調子に乗って外でたら悪化しそうな感じ。明日でようやく病み上がりって
言えるぐらいかもしれない。あんまり書くことないや。まぁ本来、毎日こんぐらいでいいのかもしれないけど、まぁ俺としてはダメなのね。
そういえば昨日、カルちゃんにインタビューしてる夢を見たよ。「音楽ソフト以外でのソフトで音を作ることがある」って言ってたのが
印象的だった。ようはエクセルやパワーポイントでも音が作れるんだそうだ。別にこれはエクセルファイルをメタシンセとかで読み込むとかっていう
意味ではなく、俺の夢の中での話なんで、夢の中のカルちゃんはパワーポイントでも音楽を作ってしまうんだろう。

そういやーストックハウゼン嫌いなんだよね。俺。前にも書いたけどね。あいつさ、ガメツイやつで、自分に自信があるもんだから、自分の作品を
全部自分で買い取って自分のレーベルから出してるんだけど、法外な値段つけてるんだよね。しかもAcousmatrixっていうWDR音源のシリーズが
あるんだけど、そのボックス盤のライナーに、ストックハウゼンはアルバム化に同意しなくて残念だったみたいなことが書いてあってさ、
ようはそんな陳腐なマイナー盤に俺の作品が使えるかってなことなんだろうけど、もう大嫌いだね。こいつ。イバるほど曲もたいしたことねーし。
スキャナーとエイフェックス・ツインともう一人他の誰かの作品をストックハウゼンに聞かせて、その作品の感想なり意見を言うっていうのと、
その逆で、この3人がストックハウゼンの曲に対してコメントを言うっていう面白いやつがあってさ、やりとりってわけじゃなくて、編集者が
このインタビューをまとめて2つに分かれた文章にしてるんだけど、ストックハウゼンが偉そうに「ループは飽きやすいから使わないほうがいい」だの
もっと展開があーだこーだだのって言ってるんだけど、3人はこれに動じずに、逆にストックハウゼンの曲に対して批評的なコメントを残してて
これなんだよなーって思ったのね。特にこの3人はストックハウゼンに対して思いいれもないらしく、彼らにとってオーソリティー的な存在でも
ないらしく「ビートが無いんでつまらない」とか「5分〜8分で十分」だの的確なコメントを残してるのが印象的なのと、「ループを使わないほうがいい」
だののアドバイスに関しても、「俺は好きだから使ってるんで、言われる筋合いは無い」みたいなパンクな回答でナイスって感じ。ようはストックハウゼンの
若い世代の音楽に対するコメントが、若手芸人のネタに対して古い漫才師が時代遅れでおっさん的視点の役に立たないコメントを言っているのと同じなんだよね。
あんな国家予算使ってやりたい放題やってきた帝国主義みたいなやつの音楽が「巨匠」としてあがめられてるなんて嫌だね。本当に。ストックハウゼンは
ロクでもないやつだと思うよ。マジで。当時はコーネリアスカデューもストックハウゼンに嫌気が指して批判をしていたらしいけど、当時から恐らく偉ぶっていて
権威ぶってたに違いない。だからカデューみたいな左派な人にとっては最悪なやつだったに違いない。カデューは「ストックハウゼンは帝国主義の象徴」みたいな文も
書いてるぐらいだしね。内容は分からんけど。とりあえず俺は昔からストックハウゼンのがめつさが大嫌いなんだよね。だからCDは一枚も持って無いし、聴こうとも
思わない。かろうじてKontakteを聞いたことがあるけどクズだったように記憶している。昔のオーソリティーみたいな連中が書いた電子音楽というのは、パイオニアだの
歴史的だのという理由で神格化されていて、批判の余地が無いように感じるけど、実際、しょーもないのもあると思う。ただ歴史的に凄かったというだけで、音楽性や
創造性が比例して凄いというわけではない。これは盲点なんだよね。こういう歴史的な音楽に対しては。まぁ絵でもそうか。ゴッホとかって言われると批判の余地が
無さそうだけど、そんなの個人の趣味で好き嫌いって言えるわけよ。

デイリーザーメン。愛国心のテーマって曲なんだけど、偶然にもビースティーのラップの歌詞も911以降の影響で作られたアルバムからの
ニューヨーク賛美歌みたいな曲からのやつなんですが、特に深い意味はありませぬ。たまたまBPMがあったから使っただけで。
あとなぜかビースティーのラップは別々のやつが意味も無く混ざってますが気にしないでくれ。作った動機としては、当時、神風やら日の丸やら
っつー右翼なラップは多いのに、なんで左翼なラップが無いのかなーって思って作ったんだけどね。まぁ皮肉っつーか。
右翼とラップが結びつくのが意味分からん。パブリックエネミーとかThe Coupとかをもっと見習ってほしいですな。ラップって元々、世の中を斬る
みたいな要素もあったと思うんだけど、保守と結びついてどーすんねん?って感じだよね。日本の体制なのかしら。保守と結びついた音楽なんて
考えただけでも身の毛がよだつね。

http://members.jcom.home.ne.jp/0512168601/hp_mp3/patriotism_theme.mp3

結構十分に書いたね。とりあえずストックハウゼンは嫌いということで。ウォール伝から。

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前に書いたっけ?洋物のDVD買ったんだよね。これがすげーの。マジで鼻血モノ。
国産のって良いのもあるけど、なんか落ち着いてるっていうかハードコアじゃないでしょ。
でもさすが洋物だね。もう凄くてたまらない。一時期毎日見てたぐらい。見すぎて疲れたりしてね。
2本買ったんだけど、一本はニンジャチューンのZENTVというPV集。もう一枚はWarpのPV集。
ニンジャのやつはほとんどネットで見れるんだけど、やっぱ大画面で見るのはいいねって前に
書いた気がするなぁ。リージョン違いでDVDプレイヤーで見れないと思ってたら見れたのね。
これ実はリージョンフリーだったりして。WarpのほうはPCの設定をいじらないと見れなくて
家庭用DVDじゃ無理なんだけど、そんなのもあってかZenのほうはだいぶ前に書いたと思うんだけど
WARPのほうはあんまし見てなかったんだよね。PCでしか見れないし。で、最近通してみたんだけど
はっきりいって凄いわ。クリス・カニングハムは評価が高くて映像集なんてのも出たみたいだけど
なんつーか映像のレベル高すぎだよね。Come on My Selectorは最高だ。この人のってどれも徹底的に
音と映像がシンクロしてるんだよね。なんつーかPV用に撮ったVシネっぽい映像と音を合わせてる
んじゃなくて映像のレベルがもう映画レベルなんだよね。Vシネっぽいといえば国産PVか。
あとこの女の子が可愛い。ロリコン趣味は無いが個性的な子でこの孤児院だか子供の精神隔離病棟の
警備員っつーか見回りのおっさんもすげー個性がある。エイフェックスのやつも配役いいよね。
映像だけじゃなくて全部で見せてるっつーか。あともっと好きなのがLFOFreakという曲のPV。
一番テクノと関係無さそうな中国の固そうな学校の女生徒が先生をトイレに閉じ込めて学校放送で
この曲を流して踊りまくるっていう、このアンバランスな感じが凄まじく曲を引き立てていて、単体で
聞いたときは別にどうってことなかったんだけど、映像付きで見たらこの曲はかっこよさ倍増だね。
踊ってる中国人の女学生も妙に動きが良くて余計かっこいい。特に最初に踊りだすシーンの瞬間的
かっこよさは物凄いね。まぁそんな感じで最高のPV集なんだが、国内盤も出てるみたいで1500円ぐらい
高いけどDVDプレイヤーで見れるってことでこっちのほうがいいかもしれない。ってことでみんな買え。
まぁ全部が全部いいわけじゃないんだけどね。Antipopのやつはバロウズ風のほうはかっこいいんだけど
ゴーストなんたらってほうが恐ろしくかっこ悪くてまぁある意味で見ごたえがあるんだけどね。
Antipopって良い曲と悪い曲の差が激しすぎるよね。Zenのほうは2000円ちょっとで変える割にDVDで
見れる可能性が高いし2時間以上入ってるんで買え。特にColdcutのRevolutionというPVは最高すぎるので
これだけのためにも買ったほうがいい。

そうそう。DTでおはがきをいただいたのでこれついて話そうと思う。このはがきの主も凄まじいDT感を秘めているのだが
世間体を気にしてDTだなんておおっぴらに言えず、童貞という単語を見るたびに眩暈が起こるらしい。
ここで俺は思ったのだが、そもそも世間体ってなんだ?自分が童貞だろうがDTだろうがそれは事実なのだし、逆に
他人に迎合しながら抵当に自分の武勇伝を作り上げ騙し騙しやっているほうが余計ミジメになるのではないか?
このはがきの主は内向的なだけで自分の武勇伝を作ったりはしない。ちょっと思想型DTの気があるぐらいだ。
まぁ話ははがきから遠ざかって、俺が話したいのは世間体とDT。よく人は恥ずかしいだの他の人にどう思われるか?
なんてことを考えたりする。でもこれっていうのは自分の可能性を知らずのうちに狭めているだけのような気がする。
ちなみに俺は人一倍他人を気にする性格で、それ故にパニック障害や鬱症状になったり、その後ヒドくなったりした。
だがこういった死に際の経験から得たのはとてつもなく大きい金で買えないものだったわけだ。その一つにこの
世間体を気にしないというところにある。そもそも他人の目や考えていることやどう思っているのか?なんてことに
自分が縛られているなんて相当バカバカしいし、相当くだらないことだと思う。俺は10代の時はそんな呪縛に苦しんだもんだ。
でもある時から自分を表現するということと、自分は自分であるということに意識的になったとき、一気に周りや他人なんて
どうでも良くなったような気がする。それの一つにもう書き始めて5年ぐらいになるウォール伝がある。
これはある意味俺の暴露療法でもあるのだ。普段他人には言えないか、もしくは言っても変人扱いされるだけなので
言わないというか言えないことを書いたりしているのだが、全部本音で隠し事は一切無いというのは言うまでも無い。
一時期自分を出そうと思って他人との壁を越えようと必死だったこともある。マニアックな趣味であるとか変わった音楽を
作っているというのを隠さずにどんどん他人に言っていき共感を得ようとするものだ。まぁ無駄に終わったのは言うまでも無い。
でもこれは俺の段階的暴露療法が進んでいることを意味していた。もう他人の目や考えなんて気にしなくて良いし、自分は自分で
他人に迎合することなく生きていけばいいわけだ。もうそんな風に考え始めてから相当経つが、こういう考えのおかげで俺の
凄まじく重度な呪縛と病気から解放されたように思う。思うに今の精神病なんてPTSDや外部からの避けられなかった影響や
先天的なものを除けば全部社会恐怖だと思う。ようは自分が自発的に発狂したいたり悩んでいるのではなく、自分と社会(他人も含む)の
関係性を考えたときに酷く悩み落ち込んでしまうわけだ。さて話ははがきに戻ってこのはがきの主がパリに行ったときの話は
俺には相当興味深かった。というのもこの人はフランス語もさっぱり分からず地下鉄で黒人に怒鳴られたりしながらも、相当居心地が
良かったらしいのだ。これは勝手に解析すると日本という自分が生まれ育ってこれからも生きていかなきゃいけない社会からの
呪縛から逃れて、一人ボヘミアン的に旅をしているという感覚から生まれた開放感なのではないか?と思う。旅先でハメを外したり
妙に盛り上がったりするのもこういった抽象的な社会不安からの解放に他ならないと思う。かくいう自分もニューヨークに一ヶ月
滞在したときは凄まじく開放的で一生ここに住みたいなんて思ったぐらい居心地が良かったものだ。飯がまずいとかオナニーが
なかなかできないとか、そういったマイナス要因と差し引いてもここにいたいと思うぐらいだった。まぁ住むとなれば働かなきゃ
いけないし、自ずと社会からの呪縛とは逃れられないわけで、それはどこに行っても同じだと思うのだが、俺が言いたいのは
ならイギリスはどうか?カナダは?といった話ではなく、社会不安というものは相当に人の心を病むものであるということなわけだ。
そういった意味で楽観的に生きている人ですら色々なしがらみに取り付かれながら生きているわけで、生きていくということは
つまり社会の中で生きていくということで、遊んで暮らせる金が無い限りそれは避けられない。ところで話はDTに戻って童貞が
恥ずかしいと思うのも、「普通童貞なんて20過ぎなら喪失してるよね」とか「童貞は恥だ」みたいな風潮に振り回されているから
なのであって、ここで他者や社会との関係を考えなければその人がリアル童貞であろうがDTであろうが関係ないわけだ。
ただ「あーこういう風にやれれば」とか「こういう姉ちゃんがいいな」とかっていう妄想を膨らませているだけだろう。
つまり童貞というのがみっともないと思われがちなのはこういった風潮や世間体に他ならない。でもそんなのナンセンスだと思う。
他人に迎合することも必要だが、自分の本質的な問題や感性まで他人や社会に合わせることは全く無い。個々が自由に生きてこそ
人生があるわけで、他人や社会にあわせる人生なんて人生ではない。だから他人に合わせて童貞の喪失の平均は18歳ぐらいなので
18の夏ぐらいには喪失しておこうとか、20過ぎだからヤバイとか、そんなのは全く持ってナンセンスである。
そんなことより前に書いた自分の童貞力や創造性を生かすべきだし、少なくとも決して恥じることではないわけだ。
仮に俺がこの先女と交わる機会があっても、本質はDTだと思う。それは俺がDTだからだ。それは変わらない。少なくともプレイボーイ
にはならない。プレイボーイの創造性なんて亀以下だしね。ところでさっきこの文章は自分の暴露療法だとか書いたけど、
別に意識していないし、意識した時点で終わりだと思っているので意識しないようにしている。強いて言えば治療に使われる
暴露療法というものに酷似している部分が多いかなって前に書いたかな。これ。誤字脱字や点などの場所がおかしいのも
こういったスポンティニアスなものを失わないためである。バロウズが言っていたんだが、文章なんて訂正した時点でそれは
自分の文章ではないという。それこそ俺の目指すところだし、さっき書いた他人や世間体なんて関係ないってところだ。
誤字脱字という概念も正確さという極めて他者の目が入り込む概念から来たに過ぎなくて、脱字でも誤字でも伝わればいいのだ。

綺麗でサラッっとした文章を書く必要なんて全く無い。ましてや編集する必要なんて全く無い。訂正した時点でクラークノヴァが
暴走するとでも思っておけばよい。世間体や他人に縛られた表現や生き方なんて見る価値も生きる価値も無いと真剣に思っている。
思うに俺はネットという媒体は武器だと思っている。なにしろこうやって俺の書いた文章や曲などをごく限られた人にでも
配信できているからだ。中には面白いとか良いと言ってくれる人までいて至れり尽くせりである。でも思うにネットの存在にしても
なぜかこうやって自然に表現することをせず、匿名で誰かを中傷したり、普段の人間関係以上に他人に迎合したり世間体を
考えたりしている。ホームページにしてもありがちなデザインばかりだ。なぜ他には無いような自分が本当に作りたいような
デザインのものを作らないのか不思議でならない。匿名でなら言いたいことをいい、匿名でなければ当たり障りの無いことを
言うようなブログのようなものが横行している。なんであんなに他人の目を気にするのか全く分からない。自分は自分だと
思っていればMIXIみたいなのも流行るわけがないだろう。あれは個々のアイデンティティの欠如と他人と関わりあっていたいという
悲しい上辺だけの感情がそのままシステム化されたようなもんだ。存在はあっても良いと思うが、あれに何百万人も群がっている
と思うと不気味でしょうがない。なぜMIXIという媒体を通じないと他者と関わりあうことが出来ないのか不思議でしょうがない。
もしくは知り合いの知り合いと知り合って何か得することがあるのか?個々が個性を持っていればあんな共産的な脱個性のシステムが
流行るわけがないわけだ。あんなものシステムに縛られている時点でさっきの社会不安や社会や他人といった呪縛から逃れられていない
わけだ。世間体が無い人付き合いが出来る人ならMIXIなんて媒体はいらないだろうし、個人メールのやり取りで十分だろう。
あとネットの右傾化を見ても思ったのが、これも無駄な呪縛と迎合と匿名性の悪い部分ばかりが抽出された結果だと思う。
まぁどれだけ右傾化しているかどうかは分からないが、ネットで大声を張り上げて愛国心を語るのは、そこがネットという安全な
場所となんだかんだで個人が特定できない安全なバリア内での発言だからだ。俺がネットはイデオロギーの集積といったのは
ここにある。安全な場所から色々言えるから個々の思想や考えなどがより反映されやすくなるからだ。これが良い方向に運べばいい
のに、ネットという存在は広がれば広がるほど失望ばかりだ。結局は資本に吸収され金儲けの道具にされ、個々の個性どころか
脱個性やメディアの侵略が以前にも増して横行するようになった。特に日本では顕著なんじゃないかと思う。
だから本当に面白いホームページを見つけるのは一苦労だし、ネットサーフィンという行為も全然意味が無いものになってきた。
ネットが広がったことによって社会がネットに進出してネットも社会の一部になってしまったからだ。これではなんの面白みも
無い。でも言論や思想や表現が自由なのだから、ネットでああだこうだと世間話をしていないで、利用してしまえばいいのに・・・
なんて思うんだがもう手遅れっぽい。あーまた面白そうな話からお堅い話になっちゃったな。ネットですら自分を偽装する人間なんて
とんでもないってことが言いたいんだけど、ネットだからこそ童貞を隠す必要も無いと思うんだよね。というのは匿名性云々ではなく
それも自分なんだからね。それで人前でも言えるようになれば一人前だ。もうみんなグラスノスチしていこうよ。本当に。
グラスノスチの集合体かと思われたネット(俺が勝手に思い込んでいた)も余計に自分を飾るだとか自己欺瞞が反映される結果に
なったのはなんとも皮肉だと思うわ。他人との距離を短くするとかいつでも繋がっているとかネットにありがちなコピーも
実際はそれとは全く逆でどんどん他人との疎外が進んでいるように思えてなら無いな。本名でオナニー日記とか「今日のズリネタ」
とかやってる人少ないもんなぁ。前に何回か見たことあるけど本当に少数だよね。

ところで俺もネットを利用している一人として言わせてもらうが、ムーグ博士が無くなったというのは知っているかい?
まぁ相当な高齢だったのだろうし、話もだいぶ前なのでフレッシュな話題でもないんだが、俺が言いたいのはモジュレーションでの
ムーグ博士なんだよね。特にあのテルミンで演奏しているときのムーグ博士の顔。手に神経を集中しすぎて顔が緩んでしまい
口が開いたまま微妙な表情でテルミンを演奏している。あのシーンを見るたびに人間ってのは捨てたもんじゃないなって思える。
これはアビバの宣伝でのガッツと同じ事で、アビバでのガッツもダンスに集中しすぎていて顔が緩んでしまい、普段とは違う顔に
なっている。口が開きっぱなしになっているシーンもある。ガッツとムーグ博士はこんなところで繋がっているわけだ。
あややとかアイドルがプロなのはこういった顔の緩みをカメラが回っている以上許さないというところにあると思うね。
ところで最近オナニーの話をしなくなったけど、前はMegoのCDを聞きながらオナニーするのが好きだったんだけど、最近は
オナニー自体に愛着が湧かなくなっているね。歳のせいか。やっぱ。ここばかりは体育会系の食う・寝る・ヤルというのに
通じるものがあるね。俺も体育会系ではないけど、食う・寝る・オナニーするという人間の生理現象を守っているだけに
なっている気がする。保守化しているということだね。でも本屋で写真集とかきもちわるいCGのCG集みたいのを買っている
オタク系のやつを見るといっつもホームのゲロを発見したときのような顔になってしまうんだけど、こういうやつらの
オナニーに対する情熱というのは目を見張るものがあるね。俺もかなわない。色々なオナニーネタを仕入れて試してきたり
ネタにバリエーションを増やしてきたりしたが、こいつらの一貫性と情熱にはかなわないね。やっぱりスペシャリストが
いるってことか。前にも書いたけどズリネタに困っていた16ぐらいの頃はマジでリルルイスのフレンチキスで抜いたことが
あったし、吉田戦車の漫画のお色気部分で抜いたこともある。これぞ童貞力といった感じだが、今はこういったパッションが
本当に無くなった。悲しいことだ。でもオナニーはするけどね。前にも書いたかもしれないけど、タモリ倶楽部水道橋博士
「朝オナニーをすると一日中世の中を下心無しに純粋に見れるようになる」なんて言っていたけど、俺もオナニーそのものへの
愛着より、こういった煩悩を断ち切るという意味でのオナニーという方法論に移行してきたと思う。街をあるけば信じられない
格好をした姉ちゃんがわんさかいるし、もう欲情するなというほうが無理だから、やはり抜いておくとまさしく子供心なまま
街を歩けたり人と接することができるわけだ。でも本質的DTな俺はチンコを使う機会は小便かオナニーぐらいなので、
マジでパイプカットしたくなってきている。なんつーか無駄なんだよね。チンコが。チンコという存在が邪魔になってきた。
ただ切るというのは意味が違うし、小便も大変だろうから、やはり精子を作らないようにすればいいわけだ。
でも俺は色々な経験上、たんぱく質の重要性を知っているので、精子の元となる栄養素は欠かさないようにしているようになって
しまって、結果精子が出来てしまうのだ。んー男ってのは矛盾してるね。精子が無くなって悲しいこともあるだろうが、セックスの
機会が無い俺には関係ないことだ。とか思うのも俺がオナニーに対して情熱が無くなったというよりは模索していないという
ことがあるかもしれない。これを書いていて思い立って今日はちょっと特殊なオナニーを試みた。欲情しているときの頭の中で
繰り広げられる「どうやったら快楽が増すか?」という力は童貞力に似ているかもしれない。体育会系の男がヤルために必死に
女を口説こうとするその計り知れないパワーとも似ているかもしれない。ところでちょっと特殊だったので、予想外のところに
精液が飛んでしまい、上着とベッドのカバーにシミが出来てしまった。前もあったのはパソコンやるときに座っている椅子に
精液が垂れたとか、飛びすぎて枕がべっちょりになったとか、首まで飛んできたとか。こんな歳になって情けない・・・というのも
先ほどの世間体の話に通じるものがある。別に歳なんて関係ない。オナニーは永遠だ。さっきのおはがきの主の名言があるので
引用しておこう。「吉祥寺で飲み会とかやってはしゃいでる大学生なんか、アソコでテトリスをやりたがってるとしか思えない奴
ばっかりで、みんな顔がマンコとチンコに見えるよ」アソコでテトリスというボキャブラリーの発想にやられてしまった。
この人も底知れぬ創造性を持っている人なのだが、さぁ人生でどうやって生かしていこう?っていう部分で迷走し続けているという
点では俺と同じかもしれない。この人は「高度知的生物の子孫繁栄という名の快楽によって、地球上の生物が絶滅する日」という
論文を書こうとしているらしく、完成が今から楽しみでしょうがない。まぁ完成するのはそこまで期待せずに楽しみにしておこうと思う。
どの道、何かを作るという人はDTの呪縛からは逃れられないのだ。DT度が低くなった時点から創造性も薄れていくに違いない。
それにしても今日の特殊オナニーは後始末が大変だった。「ママが帰ってきたらどうしよう!」なんて小学生のような気分だった。
今でもベッドのシーツのシミが気になり、アニー大丈夫かい?とでもマイケルに言ってほしい心境である。明日にでも開き直って
「洗っといて」と何事も無かったかのように洗濯機の放り込もうと思う。この辺は実家暮らしの情け無い部分でありママが炊事洗濯を
してくれるという利点でもある。とりあえず自立したいもんだ。ニート自立支援センターが大流行!なんて世の中にならぬよう。

ところで最近駕籠真太郎という漫画家にハマっている。以前、ある人から読ませてもらったことがあったのだが、最初見たときは
そこまで興味が湧かなかった。とりあえずあの異常性と絵の気持ち悪さにこの俺ですら閉口したもんだが、ある時古本屋で
駅前浪漫奇行というのを買って読んでみた。凄く惹かれる部分もあるけど、古本屋にいったら探そうかな?ぐらいの気分だった。
ところが最近、新規オープンのブックオフがあったので悪名高いながらも、ブックオフのことだから価値が分からずにお宝が
埋まっているに違いないなんて思って色々探していたら色々見つけたわけだが、バラバラで持っていたカムイ伝の欠落も何冊か
手に入れたし、うああ哲学事典という凄まじく面白い漫画も見つけた。あと諸星大二郎の本も何冊か。俺は普段そこまで漫画を
読まない人なのだが、フラッっと立ち寄ると気になるのがあれば買ったりする。あと漫画という媒体に関して所詮は娯楽だろう
というような軽蔑を持っていなくも無かったのだが、最近は色々本を読んでいてもむしろ漫画から色々学んだり影響を受けたり
した部分が多いんじゃね?とか思ったりして、新書だろうが分厚い本だろうが哲学書だろうが漫画だろうが境界線は無いんだなって
いうのに気がついたので、漫画に抵抗無くなったどころかのめりこむようになった。特に最近。もちろんジャンプとかマガジンみたいな
娯楽だけの漫画には興味が無い。自分が好きな漫画家といえば東陽片岡つげ義春吉田戦車諸星大二郎駕籠真太郎青木雄二
白土三平って感じだが、これらの漫画家は娯楽というよりかは表現の媒体が漫画だったという感じで、それこそ色々な本とこういった
作家の漫画も差は無い。漫画という媒体だからとはいえ盛り込まれているものは非常に濃いのである。特に阿呆な俺には絵もあるし
すぐ読めるし非常に助かる媒体だ。つげや吉田戦車東陽片岡の話は前にも書いたような気がするので、今日はその駕籠真太郎
について書こうと思う。で、さっきのブックオフで買ったのは主に諸星大二郎の漫画がメインだったんだが、最近新訳の資本論ばかり
読んでいるのと、平行してロシア革命の本とかレーニンの本とか毛沢東の本とか中国の歴史の本とかばかり読んでいたので何気に
頭が疲れていたに違いない。諸星大二郎暗黒神話という本がいいきっかけになって、小難しい歴史の本ばかり読んでいるのもアレ
だし・・・というどころか「漫画ってこんなに良いものだったっけ?」なんて再認識したりして、書を捨て漫画を読もうということに
なったような気がした。そんなのもあってかつい先日スポンティニアスに駕籠真太郎の本を7冊ばかし注文した。で、一気に読破した。
もうとりこになってしまった。駅前シリーズなんて比じゃないようなインパクトのある作品が何冊かあって、もう惚れ込んでしまった。
ところでこの人はグロ系と極端な攻めと死体とスカトロと・・・なんかアングラの条件を全て満たしているような気がするんだが、
読んでいくうちに慣れてくるんだよね。死体の写真ばっか見てると慣れるのと似ているかもしれない。かといっても昼か夕方ぐらいに
起きてから明け方寝るまでにずーっとぶっ通しで読み続けているとさすがに車酔いみたいに気持ち悪くなる。感受性に訴えてくる
部分が多いからだと思う。なにはともあれこんなに漫画に夢中になったのは小学生の頃の吉田戦車との出会いとか中学ぐらいの頃の
ナニワ金融道以来である。俺の中では吉田戦車と同じぐらい重要な作家が出来てしまったわけだ。いやー恐ろしい。
ちなみに駕籠真太郎の作品は吉田戦車的なギャグセンスを感じられるものがあったり、つげ義春の影響があったり、ある時は白土三平
そのまんまだったりして、さっき挙げた自分が好きな作家と関連性があり余計に楽しめる。万事快調という作品ではゴダールの万事快調が
元になっていたりするし、胡蝶の夢だとか自分にとっては馴染み深い話がモチーフになっていたりして、元ネタを知っているから
二倍ぐらい楽しめていたりすると思う。んじゃ買ったのを簡単に書いていこうかな。まず万事快調ね。これは文句なしの傑作短編集と
いう感じ。あと傑作なのが輝け!大東亜共栄国ね。この人は共産やファシズムといった政治的なネタも色々なところで見られるのだが
どれもこれも一蹴して笑いに変えていたりする。ただ俺が思うのはギャグにしているにしても心底ファシズムを妬んでおり、かなり
リベラルな考えを持っている人だと思うのだが、自由と平等というのは建前だけだった数々の社会主義国の情け無い敗退っぶりも
笑いネタにしていると思う。あと俺と同じソ連好きなんじゃないか?とも思う。国家やイデオロギーどうこうというよりも、数々の
失敗した社会主義国をキッシュなものとして捉えており、文化としては面白いよねなんていう共産趣味な視点が見られると思う。
でも大東亜共栄国は昔の軍国主義の日本を凄まじく風刺しているように感じられて、ナショナリズムへの批判も見られると思う。
ここは笑いというよりかは本当に批判的に見えて、共産のような愛は感じられない。むしろ冷酷に批判して笑いに変えているとでも
言えばいいのか。俺寄りに解釈しすぎかな?笑えるんだけど、戦争ってこれかこれ以上ひどいんだよね・・・なんて感じたり
なんかして、そんな作者の聡明な視点が見え隠れしたりしていると思うのは少し買いかぶりすぎかもしれないけどさ。
アイコ16歳というのもアイコというキャラクターが軸ながらも大東亜共栄国と同じような視点やモチーフで書かれている戦争ネタが
あったりして、まぁまぁ楽しめる。あとは超伝脳パラタクシスか。まぁーこれはねぇ・・・人間を改造して戦車にするとか道具に
するっていう大東亜でも試みられていたというよりは、以前からこういう作品を描いていたみたいだけど、それのSF版といった
ところか。エヴァンゲリオンを感じてしまうのは俺だけでは無いはず。ちょっと悲しい。まぁメジャー路線ってことで入門には
いいかも。直接的な残酷描写は無いし怖い話なんだがちゃんとしたストーリーになっているし。そのポップ路線がパラノイアストリートね。
探偵と電波系の助手が色々な怪事件を解決していくのだが、毎回「禁」とか「恥」とか「病」とかテーマが決まっていて、
例えば病だとすればみんなが挙って病気になりたがる街だとか、恥を買ってその恥を恐れ穴に埋まったまま生活する街だとか、
そんな街を元に変な事件が出てきたりして・・・まぁ読むしかないね。書いてると面倒だわ。殺された同級生が死体のままサポーター
という黒子みたいな人たちに支えられながら街の設定で生きているっていうことになって主人公と結婚までするんだけど、その
事件が起こる1巻から終わりの3巻までレギュラーの登場人物として出てくるんだけど、死体が登場人物なんてこの漫画が初めてだね。
で、最後まで一緒になっていろいろ捜査したりするんだけど、毎回ファッションが変わっていたり腐敗が進行していったりして、まぁ
すげー好きな感じなのね。伝染るんですの上の人・下の人だよなぁ。これ。まぁ読んでみて。この人、タダのグロ漫画家じゃなくて
助手とこの死体の小夜ちゃんのファッションが今風の若者のファッションになっていたり、絵にしてもSF風から江戸から何から
多彩なんだよね。ただグロだけを書くヘタウマ漫画家ではない。この凄まじい描写力があるからグロも死体も生きてくるってもんだ。
またこの助手がいい役を務めていて漫画の基本のアイドルというのを忘れてないあたりが憎いね。こんな子がいれば付き合ってみたい
もんだ。なんか相当適当になってきているけど、人間以上という初期の作品集も今のスタイルの原型という感じでいいんだけど、
どちらかというとギャグの部分よりはグロの部分だけが濃い感じがするかな。まぁダイヤモンドの原石みたいなもんだ。
最初に出た人間以上は廃刊となっているらしく再刊が出たらしいのだが、俺が買ったのは最初に出たほうのしかも初版。500円だった。
結構レアに違いない。まぁレア度は関係ないけどね。で、大切に読んでいたのに1日で読破してしまったので、
今日は市内の古本屋で探してきたら、まぁどこもかしこも無かったわけだが、結局ブックオフで大葬儀とパラノイアストリート3と
殺殺草紙を手に入れた。なんつーか普通の本屋にも置いてないところをみるとやっぱマイナーなんだね。まぁ読む人少ないか。
でも好きな人にとってはワンアンドオンリーで一気に俺みたいにのめりこんでしまうに違いない。なんだかんだでこの3冊も読破
しかけているが、もう次の布石は打ってある。どうしても読みたかったソ連パロディを集めた踊る!クレムリン御殿をAmazon
注文した。古本で探すのはなかなか大変なわけだ。まぁ全然出費が痛いとは思わないぐらいのものなのでいいんだけどね。
あと他にも奇人画報とかすとろ式を注文した。一冊しか持っていなかった駕籠真太郎の本がこの2日で10冊以上になった。
自分でもこののめり込みっぷりは怖いけど、元々俺が熱しやすく冷めにくいという性格もあるんだが、これだけのめりこませるような
世界観を持った作家であるってわけね。それにしてもブックオフで発見できたのはラッキーだったかもしれない。ブックオフ
商法は嫌いだけど、欲しい本が安く手に入るという魅力にはかなわないね。そういった消費者の意識を逆手にとって商売をしている
って感じで鼻持ちなら無いけど、消費者にとっても徳だからしょうがない。古本なんて作家にとってはなんの徳もないんだけどね。
いやー明日奇人画報が届くのが楽しみだ。たぶん近いうちに全部読破してしまうに違いない。そのぐらい俺はこの人に入れ込んで
しまった。何もかも俺好みでもうたまらん。スカトロ好きにもなりかねない感じだ。なんかまた世間との距離を感じるけど、まぁ
世間体は関係ないから読破しようと思うよ。駕籠真太郎の漫画を読んでると人生が楽しくなる気がしてくるね。読んでから凄い
元気になってるもん。俺。パワーもらってるっつーか。ありがちなストーリーながらも面白いってのは映画によくあって
その時間はいいけど、そこまで生活に影響を及ぼさないってのが大半だけど、駕籠真太郎の漫画は俺にとって革命的な変化をもたらしたね。
なんで最初に読んだときに反応しなかったのか分からないけど、恐らく潜伏期間だったに違いない。あと潜伏期間でも色んな古本屋
や書店に行っても見つけられなかったので、何気に読みたいと思う気持ちが強くなっていたのかもしれない。いやー届くのが楽しみ
だなぁ。これを読んでからバイトに行けばレジもそこまで嫌にならないよ。ホント。思うに昔は音楽からこんな感じを受け取って
いたと思うんだけど、最近は全然無いね。聞いてるのも惰性っつーか新しいのは無いし。映画もなんだかんだでカルネ・カノン並の
感動があるのは少ないし、本当に俺に合ったのって限られてるんだなって感じるわけよ。そんな中で駕籠を発見したのは本当にデカイ。
日々の生活の中で何かといえばつげを読んだりカルネ見たりイレイザーヘッドみたりテロ2000年見たりっていう俺の中の大黒柱
みたいな超重要作品群の中に入ったわけだ。これは滅多に無いよ。ホント。物凄く嫌なことがあっても安定剤を飲んで、カルネ・カノン
イレイザーヘッドとかつげとかさっき書いたような大黒柱の作品たちを鑑賞すると本当の意味で自分の家に帰ってきたような
安心した気分になるんだよね。心が乱れていても自分を取り戻せる作品っていうか。そんな中に入ったのは凄いよ。本当に。

油断ちゃんや学活つやつや担任以降、そこまで感動するような何度も読みたくなるような傑作が少なくなった吉田戦車をカバーするかのごとく表れた存在だね。
俺にとっては。それにしても油断ちゃんは吉田戦車の中で一番好きな作品だ。吉田戦車の世界観なりギャグが極まってると思う。
なんというかこうやって文で書いても伝わらない面白さが凄まじい濃度で表現されてるんだよね。ぷりぷり県なんかも好きだけど
やっぱシリーズモノとして落ち着いた雰囲気があるけど、油断ちゃんは短い分、面白さが凝縮されてると思うんだよね。
あと甘えんじゃねえよ!かな。吉田戦車も書いてるけど、「最強のキャラは誰?」と聞かれたら「みっちゃんのママ」って答えるぐらい
凄まじいキャラなんだよね。俺のとっても最強のキャラであることには違いない。さっき吉田戦車との出会いは小学生と書いたが
まだ日野に住んでいたころの小3のときにタイヤを買ったのが初めてで、まぁ当時は理解できなかったわけだが、伝染るんです
ヒットと共に小5ぐらいの時に初めて楽しめるようになったね。伝染るんですは割と分かりやすかったし、あまりに俺が吉田戦車
ゴリ押しするもんだから、当時の俺のあだ名はかわうそだったし、かっぱ君もかえる君もいたわけだが、本人の承諾を得ず
たけひろとか斉藤さんとかって勝手に思っているほかの組のやつもいたりした。変わってるとか言われるっつーけど、俺は小学生から
あまり普通ではなかったなって今考えれば冷静に思えるね。小2で右翼系の嫌な小学校から帰った後はアリスを見ながら現実逃避を
しながらオナニーの真似事をしていたわけだがら、やはり3つ子の魂100までといった感じだ。油断ちゃんが「3つ子の魂100まで!」と
言って同級生の敵のスパイを捕まえるシーンがあったな。アリスとか吉田戦車は本当の意味で俺のルーツかもしれない。そう思うと
音楽なんてずいぶん後だななんて思ってしまうね。吉田戦車は全作品何回通して読んだか分からないぐらい読んでるな。なにしろ
子供の頃からだし、漫画好きではなかったので買うのも吉田戦車だけだったし。ホント、ジャンプとかマガジンとか何が面白いのか
分からなかったね。マジで。いやー吉田戦車って俺の中でデカイよな。やっぱ。人格形成にも相当影響を及ぼしたに違いない。
もしくは俺の人格に合った作品だったのかもしれな。どちらにせよ大きい存在なわけだね。それにしてもタイヤは何がなんだか
分からなかった。カレーの話にしてもジャンキーという概念が小学生の俺には無いし、受験でおかしくなった弟というのも
意味が分からなかった。でも理解できるようになってから読んだら前に書いたクライムファイターズの従兄弟と共に田舎に行くと
盛り上がっていたのを思い出すな。「象から電話で聞いたぜ・・・カ・・カ・・カレー作るんだってな・・・」とか従兄弟とバカウケ
だったなー。象から電話で聞いたぜっていう不条理な文章は吉田戦車にしか出来ないからね。今見たんだけどタイヤ初版だわ。92年。
当時は新刊だったわけだー。いやーそんな昔なのか・・・。なんかしみじみと日野の光景を思い出してきた。東京ながらもあのド田舎の
雰囲気・・・今はどうなってるんだろう。まぁノスタルジックな気分になるのはともかく、今手に入れてない吉田戦車の作品は
ニューはまり道と殴るぞの5巻なわけだが、殴るぞは面白くないので微妙なんだよな。ニューはまり道は買わなきゃな。
買わないでいてすっかり忘れてて5年も経ってしまったって感じか。殴るぞは吉田戦車にしてはずいぶんと普通なギャグ漫画なんだよな。
なんのひねりも無いっつーか。なのに4巻まで持っている俺ってなんだ。でも4巻以降買って無いね。山田シリーズなんてのも
あるらしいが、どうなんだろう。ホント、心配だわ。気になって今調べたらエハイクだのはまり道の弟だの兄だのと色々出てる
みたいね。でも油断ちゃんとかつやつや担任みたいなのが好きな俺にはどうかなー?象の怒りも好きだったな。必ずファックス送って
くるとか、あの文章とかセリフがたまらん。まぁ読まず嫌いは良くないので駕籠を読破したら久々に買ってみるか。
ところでまた調べてみたんだが油断ちゃんって99年ってことは6年も前のやつなんだなぁー。こんぐらいで俺の中の吉田戦車
歴史って終わってるんだよね。さるかに合戦もそこまで面白くなかったし・・・。

ところでまた話は進んで駕籠真太郎の本が届いた。念願のクレムリン御殿と他は奇人画報とかすとろ式。
クレムリン御殿は言わずもがなな大傑作だった。逆を言えばロシア好きじゃなかったり共産好きではないと駕籠真太郎
作品としてはそこまで面白くないかもしれない。でも共産フリークで大のソ連好きの俺としてはもう死ぬまで愛し続けたい
作品だったね。そういやゲームのペルソナってのやってるとき、ペルソナで安部清明とかいるならレーニンとかゲバラとかが
いたっていいじゃんって思ってたんだけど、似たような感じの話があったりして、俺のニーズに200パーセントこたえてる。これは。
コルホーズとかグラスノスチとか素敵な言葉がたくさんあるソ連。中国よりソ連が好きなのはそのキッシュさにあるね。
ロシアの人には悪いけど、俺はソ連好きだ。だからホームページも5年前からロシアの耳ラボだ。ソ連の耳ラボは語呂が悪いので
ロシアの耳ラボ。でも俺はソ連生まれ。特技は長時間睡眠みたいなね。かすとろ式も確かに帯にもあるように革命的な漫画かも
しれない。意識してこういった方法論の漫画ばかりを集めたのかもしれないけど、様々な実験が試みられていて興味深い。
漫画という媒体を使って実験や表現を行っているという感じで、その辺の胡散臭い現代アートよりよっぽどアートだと思った。
駕籠真太郎現代アートだ!って言うと安っぽいから、その辺のと比べてよっぽどこっちのほうが・・・といったほうが説得力
あるよね。残るは駅前シリーズとかアタラクシアとかだけど、ちょっと短期間に読みすぎたので間をおこうと思う。
貴重な文化の財産だから消費するように読んでしまっては勿体無い。また古本屋に立ち寄ったときにでも探すのが面白いわけで。
あとうああ哲学事典の下も読んだね最近。これはホント面白いね。哲学書なんて読む気がしない俺にはちょうど良い哲学書といった
感じだわ。よくもまぁ現在と哲学をこうやって結びつけたりギャグっぽいモチーフにしたりするよなぁーって感じで、これまた
一気に読み終えてしまったね。最近漫画ばっかだ。なにしろ漫画の偉大さを再発見してしまったからだ。
まぁそんな感じで漫画三昧な1週間でした。駕籠真太郎の本は15冊になりました。
共産といえばファミコンゴルビーのパイプライン大作戦とゲームギアのがんばれゴルビー!はマストアイテムでしょう。
一国の首相が主人公のゲームなんてほかに無いのと、なにしろ発売後にクーデターが起こって失脚するわけだから
なかなか笑えない。ゴルビーのパイプラインはパズルゲームソ連と日本をパイプで繋いで友好みたいなピースフルな内容だったと
思うが、まぁゲーム的にはクソゲーかな。別に格別面白くも無いパズルゲームなんだが、オープニングの画面と音楽が最高。
もうこれだけで満足。がんばれゴルビー!は超ハードコアなゲームで、前に書いたいっきやゲバラを凌ぐかもしれない。
というのもゴルビーが工場に潜入してベルトコンベアを操作して物資を人民に供給するといった今となっちゃ皮肉な内容なんだが、
救急箱を欲しがっている女性だの時計の車輪みたいなのを欲しがっている労働者だのパンを欲しがっている老人だの、あまり
大笑いしちゃいけないんだけそ相当大笑いできる。特にゴルビーがダッシュして工場に突っ込んでいき空は雷が鳴っているっていう
衝撃のオープニングとオープニングの画面はもう大爆笑必死だろう。工場内で邪魔をしてくる敵キャラはKGBだかロシア共和国の
軍だか分からないけど、ゴルビーの攻撃方法が口から出す音符。もう大爆笑。歌なのかアジテーションなのか分からないが、
シューティングゲームでいう弾で敵に命中すると一定時間敵がくるくる回ったまま動かなくなる。あくまで動かなくなるだけで
殺さないというところがノーベル平和賞受賞たる所以だろう。おばあちゃんとか母親にこのゲームを買ってもらったらもう一生
手放せなくなるぐらい愛着が湧くに違いない。好きな親戚の人に買ってもらったゲームなんだけどクソゲーだったというあの
なんともいえない侘しい感覚は忘れられないね。そんなのを思い出させてくれるのがファミコンやこの時代のクソゲーたちだ。
誕生日に親父に買ってもらったファイナルファンタジーとかってまぁ当たり前のように面白いんだけど、母親とかおばあちゃんって
新品は買ってくれなくて、しょうがないから中古を探すんだけど、またヴぃみょーなゲームを買ったりするんだよねぇ。
この嬉しいんだけど悲しい感覚が忘れられなくて今でもファミコンスーファミのソフトは捨てないで残してあるわけね。
別におばあちゃんとか母が作ったゲームじゃないんだけど、買ってくれたからゲームとおばあちゃんとか母親とか親戚が
結びついちゃうんだよね。そこでクソゲーだったりするとすげー侘しい気持ちになるんだよなぁ。でもモノを大切にするっていうのは
この頃にクソゲーから学んだ気がするね。まぁ同じく破壊もしていたけどね。ファミコンなんか3回ぐらい買い換えたもん。
破壊しちゃって。だいぶ前にファミコンを壊したときのエピソードは書いてあるんでそっちを参照してくれい。
スーファミはさすがに小学校低学年ではなかったのと、ファミコンほど理不尽なことが起こらなかったので破壊しなかったかな。
でも家が溜まり場みたいになっていて色んなやつがゲームやって帰っていくからボタンが潰れちゃったりしたね。当時の友達も
俺の家で治外法権みたいな感じだったもんなぁ。あ、なんか急にゲバラやりたくなってきた。あの激しさはたまらん。
FFのライブラって呪文の名前をグラスノスチとかに変えれたら最高だよねそうそう。Funky Kinky Groove完成したんだよ。
あと二ヶ月で制作期間二年とかになりそうだったんだけど、まぁ実質一年半ぐらいだったわけだが、その間の俺の人生が
凝縮されているような内容なので期待しててください。J太郎をはるかに上回る出来です。こんな長いやつはJ太郎以来だから
まさしく4年ぶりってところですね。まるで大御所のアーティストがやっと新作を出したような物言いですが、マジで良いです。
自画自賛しちゃいます。11/26日のアップリンクでBGMとして出るわけですが、ご来場の方全てに配ろうと思っています。
といっても「ロシアの耳ラボ見たよ。Kinkyください」という僕への合言葉が必要です。ピンキー頂戴みたいな感じで
言ってくれると僕も嬉しいです。まぁたぶんあんまり配れないだろうね。まぁいいんだ。いつか経済基盤が出来たら
絶対出してやるんだから。今レーベルに送るっていう手もあるけど、果たしてこんなの誰がリリースするのやら。
アングラレーベルから出してもしょうがないしね。なによりサンプリングばっかだから著作権とかどうなるんだろう。
Hotairに送ってみようかな。でもそれって自分のやつをコラージュだって自覚的に思っていてなんか嫌だよね。
テイチクとかから出たら最高なんだけどなぁー。でもどっかに送ってみる価値あるかもね。とりあえず数人に配ってそのリアクションを
まとうと思います。ネットにアップするのは未定です。なにしろ勿体無いので。

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去年ぐらいのやつかな。あんま読んでないから分からない。ところでもうPCが限界かなって感じ。最近のソフトはCPUを必要とするのが
多いっつーか、まぁ当たり前なんだけど、重いって感じるのが多いかな。マジで。処理落ちも多いしねー。当時は最速だったのに。

ケンローチってアメリカではどうなんだろう?基本的にみんな左翼嫌いだから見ないのかな。こういうの。アナーキスト嫌い、
左翼嫌い、共産嫌い、ってまぁアメリカの徹底したアレルギーを嫌うかのような左嫌いって、結果的にネオコンの台頭や
右傾化を促しているような気がしなくもないんだよね。とりあえずみんな国家大好きみたいな。盲目的に左派な意見が
まずありえないっつーのはお国柄なんだよね。軽蔑の目で見られるっていうかね。分からんけど恐らくね。
別にケンローチの作品はイデオロギー関係無く良いのが多いと思うんだけどな。まぁ特に政治的なのは関係なく見れなくない
かもしれないけど、政治的な背景を考慮しなくても映画として素晴らしいのが多いと思うんだけどね。必ずといっていいほど
ハッピーエンドじゃないし、そこがまたいい。安っぽいハッピーエンドほど嫌いなものは無いからね。個人的に。

ケン・ローチ (映画作家が自身を語る)

ケン・ローチ (映画作家が自身を語る)