プリマー区別!

mimisemi2007-03-31

そうそう。鬱っつーか無気力なんだけど、例のショックコーヒー飲んでもダメなのよ。ダメなときはカフェインも効かない。んじゃ語尾がイン繋がりでアンフェタミンか?って感じになってくるよね。すぬーず。すにーず。ただここが考える器官を持った人間の特権というと大げさだけど、シャブなんてやったら今は気持ちいいかもしれないけど、後々、後遺症やら障害が出てくるってのをもう分かってるわけで、目先の快楽に耽溺するような選択はしないわけ。でもやっちゃう人がいたり、他のことでも後のことが分かっているのに考えないでやっちゃうってことがある。ああすればこうなるってのが全てではないけど、ああすればこうなるってのが分かって防げることはいくらでもあるのになんで防げないのかね?千利休の話の中で、なんだったっけな、三歳の子供で分かっていることでも、80歳の老人が行うことは難しいみたいな話がって、これってのは例えば「悪いことをしてはいけません。良いことをしなさい」って誰でもわかっていることが、80歳の老人ですら出来ないってことがあるわけで、誰でもわかっている当たり前のことこそ、行うのが難しいみたいな例え話の中で出てくるエピソードなんだけど、シャブとか目先の快楽や欲に耽溺するなんて愚かなのは分かりきっているのにやっちゃうのが人間の本質っていうかね。まぁやらないでもっと良いことをするってことがいかに難しいことであるかっていう。まぁいいや。なんだか教訓めいてる感じがして嫌になってきた。そういえば変な夢を最近見るね。自分のお気に入りのメガネをなぜか路上で踏みつけられて、っつーのも作為的じゃなく、俺の前を素通りした人が、なぜか俺のかけていたはずのメガネを踏んでいってさ、で、「これフレームはそんな高くないけどレンズが高いんだよ!」とか思ってその人を呼び止めてさ、説明するんだけど、なぜかその人とその人の会社の社長だか弁護士みたいなのが、30パーセントしか出せないから、他を当たってくれみたいなことを言うわけよ。で、俺は他を当たるんだけど、それってのが完全にナニワ金融道チックな取立てで、俺はメガネとそのレンズの損失額を100パーセント回収するためにいろんなところを回って取立てをするんだよね。誰を取り立ててたのか分からないんだけど、もう目的がさっぱり分からん。で、最終的に取立てが思うようにいかないんで、結局、この俺のメガネを踏んづけつつ、30パーセントしか金を出さない女の人のところに戻るんだけど、「あ、良く見たら意外と綺麗な人だ」ってことに気がついて、お金はいいから付き合ってくださいみたいな話になるんだけど、恐らくこれってのは単純なことなのね。まず俺は例のお気に入りのメガネのフレームよりレンズが高いってことに憤りを感じてて、メガネ屋を恨んでるってーのと、お金が無いからお金が欲しいってことと、結局、女性を求めてないとかいいながら、良い女性とめぐり合うことをどっかで望んでいるという深層心理の表れなのでしょう。ってわけがわからないけど、それでいいよね。なんだか凄い覚えてるのよ。この夢。良い女性とめぐり合うっつーか、例のポーランドの姫のことが忘れられないんだよねー。もう滅多に無いことですよ。これは。かなり珍しいっつーか、生まれて初めてかもしれない。そりゃ子供の頃はあったけど、所謂、物心ついてからは親が心配するぐらい女性に興味が行かない危ないやつだったんで自分でも割と安心ね。然るべき女性がいればちゃんと恋愛はできるのだなという。ただ理想が高すぎるね。前にも書いたけど姫の召使が使う雑巾と姫ぐらいの差だからね。

id:magma890さんとのやりとりなんだけども、かなり良い本質的な返信をいただけたので、ここにのっけちゃいます。個人的なやりとりをブログの文章の中でやるってのは革新的だなーと思いつつ、やり方をそんままパクってみました。

まーなんちゅーか実はどっちかつーとアカデミズムに近い立場に現実生活的にはいるもんですから、あまり悪口も言いたくはないんですが、専門の事はぎゅうぎゅうだけど残りはどうなんでしょ、って言う人は、うーん確かにいて、そこらへんがつまんないなーって人はいますよね。自分なんかはこう書いてしまうとほんとドッチラケなんですが、そういう風にならんように、いや、それが主目的だとただの物見遊山男になってしまうんですが、しかし「それ以外」のことをいろいろと増やしておきたいなぁ、というのは思うんですよね。てか実はみんなそう思ってるんだろうなとも思うんですが。自分だけはー、みたいな。そうやって自分を特別扱いしてあげないとね、辛いですよ。でもねー、ホントに面白いものってよほど極端なところからしか生まれないし、えてしてそういう人って生き辛いもんですね。活きづらく逝きやすい、みたいなね。どーでもいいですね。まーあとメディアに載ってしまうとアカデミズムの人ってとたんにつまんなくなりますよね、かといってメディアに出て面白がられてるアカデミズム畑の人って怪しいからなー。相変わらず何言ってるかわかんないですね。

いやーなんだかすみませんでした!アカデミズムと近い立場におられるなら、アカデミズムに対しての批判はよくありませんね。ただなんか、僕の書き方が悪かったですね。「ダメなアカデミズム」ってダメなタイプのアカデミズムで「良いアカデミズム」もあるというのを書いておくべきでした。実際、僕は全くアカデミズムとは関係の無い人生を歩んできましたが、今はアカデミズムにいこうとしていますし、「良いアカデミズム」には憧れるところすらあります。まぁそれはともかく、スペシャリストは専門のことばかりがギュウギュウで他が欠けているというのは、なんというか、専門性を武器にしている人のいくつかは、他が何も出来ないので、それを埋めるために専門の部分で他を埋めようとしている人もいると思うんです。だから物凄い人ってのは変わった人が多かったりする場合があったり、社会性が無かったりすると思うんですが僕はこういう人はこれでいいと思います。ただ僕が言いたかったスッカラカンなアカデミズムって、社会的地位も高くて飯も食えててメディアにも出ていて・・・という専門性を武器にしているはずのアカデミック畑の人たちの肝心の専門性の部分のスッカラカンってことなんです。他がダメでも専門性の部分が高かったりすれば、僕としてはなんとなく許せる部分があるんです。ただ他もスッカラカンで専門的な部分もスッカラカンじゃ、もうなんだかダメ人間じゃないかって思えてきて、それでいて名前だけは知れていて、飯が食えてるというのがなんだかなーって感じなんですね。でもホント、面白いものはよほど極端なところしか生まれないというのは全く同意です。たぶん作っている本人は辛いだけかもしれませんよね。

これねー、そうだなーっていうか、岸野雄一さんが前によくおっしゃってたんですが、聴くって事は相当能動的な行為だ、と。たしかにそうなんですね、ただの受身じゃあない。選択だとか移動だとか購入だとかなんじゃらかんじゃら、いろいろやらんと聴けない。ほで、さらに聴いたものを鑑賞する側って価値付けますから、なんちゅーかどんなものでも、コールアンドレスポンスで、コールだけじゃなくてレスポンスもないと成り立たん、逆に言えばコールがあってレスポンスがあれば、そこにはもうライヴが成立してしまうんですな、お、なんか良いこと言った!自分でも意味がわかってないけどいいこと言った!

岸野さんがおしゃるように、確かに聴くとか鑑賞するってことが能動的な行為だと思います。コール&レスポンスに関しても全くその通りで、例えば鑑賞者が具体的に作り手にメッセージを伝えなくても、それを評価するとか評価しないだとかがもうレスポンスになっていて、それで芸術というと大げさですけど、表現物って成り立ってると思います。誰も定義をしてくれないと、それは芸術とは認められないし、これは前にも書いたと思うんですが、芸術だのなんだのって決めるのは鑑賞者ですからね。作家はジャンルだの定義だのを決める役目ではないと思うので。前衛的なものが成立するのも、magmaさんがおっしゃるライブのことと同じで、アヴァンギャルド過ぎてわけが分からないんだけどそれがライブハウスなりなんなりで公演されていて、つまらないでも分からないでも、何らかの評価が下れば、ライブって成立しちゃいますよね。こういった部分の作家と鑑賞者の関係に自明だったのが、例えばデュシャンのような作家だったんじゃないかな?って思ってます。

その、コールに対するレスポンスをしやすくする媒介が、メディアなんですよね、そのまんまなんですけども。こんなコール来てますよー、レスどうですかー、っていうお披露目をする。ソレに対してレスをするかどうかは、まぁリスナーに委ねられているわけで、さらに言えば、そのメディアとして、どれを選択するかっつーのも、リスナーの手に委ねられているわけですよね。金曜八時のタモステがメディアな人もいれば、土曜深夜のCDTVを使う人もいて、タワレコの試聴機横のポップだったり、リミクス誌だったり、音楽と人だとか、SHOXXXでしたっけ?そういう雑誌だったり、あとはーなんじゃろな、そうそうYOUTUBEだったり、最近はこういう個人のブログだったり…。

そうですよね。逆にこういったメディアを介さないと成立しないものもあったりして、そこでメディアに依存し過ぎると、媒介をコントロールするマスメディアってコントロールされてますから、おかしな現象が出てきちゃうんですよね。ようはタワレコの試聴機に入りやすい音とそうじゃない音とか、雑誌で一切取り上げられない音だとか・・・。でもネットがメジャーなメディアになってからは、今までのメディアと呼ばれてきたメディア(雑誌やテレビなど)に依存しなくても、作り手が情報を配信できるようになったのでかなり状況は良いと思います。でもやっぱりテレビだとか雑誌はまだまだ強いですね。テレビだとか雑誌的な牛耳り方がネットにもあるので、結局、インディペンデントな情報媒介であるはずのネットも、既存のメディアの一部分になりかけています。ここでやっぱり重要となるのがメディアリテラシー的な部分だと思うんですが、将来的には今以上に全てをコントロールされている人と、自分で情報なり媒体を選別するという人の二極化が激しくなると思いますね。僕は恐らく7:3ぐらいだと思っていますが。もちろん3がメディアリテラシーを持っている人です。

あと、音楽のレーベルというのも、音そのものをパッケージングするという意味で、メディア的な側面があるなぁ、とか。オムニバスの編集の仕方とかもそうですよね、編集してる人の名前を出したり。たとえば自分のELTとかジュリーのラジオをフィールドレコに混ぜたのが、どっかのレーベルから出るとか、誰か有名な人がネットで取り上げるとか、なんか知らんけどもしそうなったら聴く人増えますし…。まぁでもメディア側も「こんなん取り上げたらメディアとしての価値が下がるわ!」と思って取り上げないでしょうが。ともかく、音楽に限らずなんでもそうですが、リスナーつか受け取り側は、そこにまつわる様々な文脈も含めて受け取っているなぁ、と思ったんですよ。ほんっと当たり前すぎて申し訳ない話ですが…。しかも話しずれてますよね、ごめんなさい!

まさしくそれですよね!ELTとフィールドのやつも、有名な電子音楽レーベルとか権威のある場所から出れば聴く人も単純に増えるんですよね。メディアが扱えばもっと増えます。ただその「メディアの価値」ではないですけど、当たり障りの無いものを取り上げないと雑誌やらテレビ番組の価値に関わることになるので、リスクを背負ってでも変わったものを紹介するというメディアはなかなかありませんよね。マスメディアに関してはもう絶望的ですね。なによりマスですからね。そこでヨーロッパ的な、簡単に言ってしまえば理解しづらいものをアートとして捉える土壌がある場所では、メディアが取り上げるかはともかくとして、少なくとも人々もそういった理解不明なものに目を向けるという文化があると思います。でも日本の場合、美術館も含めて、リスクが高そうな、例えば前衛的なものとか、無名作家のものとかは一切、取り上げませんよね。こう考えると日本って国は表現物に関しては物凄く保守的ですね。大部分が保守的だから、アングラがまた極端になるのかも分かりませんね。

なんちゅーか、なんでも「伸び盛り」の時期とそうでない時期とありますよね、伸びと言ったら語弊があったら、変わり盛りというか…。90年代の、あの音楽、つーかクラブミュージックなのかなぁ、あの変化ぶりはすごかったですね、たしかに高度成長期!って感じはありました。まぁ、今は、音楽自体の変化よりも、メディアやリスナーの変化が激しい時期なのかも知れんですが。3年前にはYOUTUBEがこんなに力を持つって考えられなかったですもんね。これからはしばらく、メディアやリスナーの激変が起こって行くのかもなぁ、とか今思いつきました。

そうですねー。今考えると90年代の特にクラブミュージックの変化っぷりは異常だったなって思います。そういえばメディアとリスナーなんですが、よく評論なんかでメディアがリスナーに変化をもたらすとか、メディアが音楽に変化をもたらすとかってよく書いてあるのが、特に90年代後半から2000年前半ぐらいにあったと思うんですが僕としてはイマイチそれが実感できないというか、極端な話、90年代のクラブミュージックの変わりっぷりに比べると、もうさっぱり変化を感じないし、メディアの音楽に対する影響なんてさっぱり感じませんね。よく「ポストデジタル」だの「ナップスターと21世紀の音楽」みたいな、フューチャーレトロみたいな観念をデジタルに求めているのがありますけど、デジタルってそんな夢があるものじゃないんですよね。あとは媒体としてそこまで魅力的じゃないというか・・・。デジタル化が進めば進むほど、レトロ化が進んだりもしてると思うんですね。ネットと音楽が連動して違ったものが出来るだとか、映像と音楽の関係性はデジタルによって促進されるだとか、なんだか色々ありますけど基本的にメディアなんてそんなもんで、表現物の本質はやっぱり人間の創造性なんで、メディアって二次的なものでしかないですよね。そういった意味で90年代のクラブミュージックは本質的な人間の創造性が音楽に反映されていたと思うんです。高度経済成長が人々の経済発展への願いを反映したものであるように、それが音楽にも現れていたので、あんなに変化していったんだと思います。ところが今はデジタルだのメディアだのといっていても、そこに革新的な創造性が介在しない限り、事態があまり変わらずにいると思います。2STEPを例えに出すと、これって別に革新的じゃないんですけど、スピードガラージドラムンベースとR&Bのミクスチャーが一定のフォーマットを生んだんだと思うんですね。所謂、クロスオーバーじゃなくて、一つの音楽フォーマットになったと思うんです。定番のトンツカいってるハネ系のビートだとか、オルガンみたいな音色のベースラインとか、ドラムンベース的な曲展開とか、一つの大きい枠組みがあって、2STEP風にという言い方が出来るようなものだったと思うんです。でもこれってテクノロジーによってもたらされたわけじゃなく、クラブミュージックの変化の中で生まれたものだと思うんですね。ようはメディアが生んだものではなく、シーンなりなんなりといった生身の人間が介在するところから生まれたものだと思うんです。思えばクラブミュージックの変化ってこういうものだと思うんですね。だからデジタルってものは抽象的な一つのメディアの観点ですし、人間との関わりといえば、ソフトウェアやDSP処理といった、個人に委ねられる、あくまでテクノロジーの一環なので、それが音楽性にまで影響を及ぼすかといったら、そうでもないと思うんです。多く見られると思うのが、昔からのスタイルなり方法論をデジタルといったメディアで作り続けているというアーティストで、根本の部分は昔からのスタイルと変わらなかったりしていると思います。だから変わることといったら、音がソフトウェアベースのデジタルチックな音だったりといった表面的な部分だけであって、本質の部分は変わらないんですよね。それこそロックとジャズが混ざってフュージョンが生まれたとか、ディスコミュージックが生まれたとか、今まであったような歴史的な出来事というのがデジタルで起こらないのは、それがあくまでテクノロジーの進歩だからだと思うんです。もちろんハウスとかドラムンベースはデジタルによってもたらされた音楽ですが、デジタルによってというよりは、音楽的な流れから形成された音楽という感じがするのに対して、さっき書いたようなポストデジタルというのは、デジタルテクノロジーに対して過度な期待があり、ソフトウェアの進歩が音楽の進歩を促進するみたいなことを言いますが、実際は比例してないと思うんです。あ、で、magmaさん、僕の返信が毎回長くなってるんで、別に毎回返信していただかなくてもいいですよ。magmaさんは僕みたいに時間があるわけではないですし・・・。

で、ウォール伝に戻ると、急にSNK系のゲームをやりたくなって、コントローラーを買ってきたんだけど、二回失敗したね。一回目はボタンが潰れてる不良品ってのは書いたよね。前に。で、今日、また別のを買いにわざわざ遠くまで行って買ってきたんだけど、所謂、パソコンにつけて使うコントローラーって、SNKとかカプコンの2D系の格闘ゲーム向きなのが少ないよね。大抵、十字キーがショボくて、凄まじくコマンドを入れづらい。でもあれだよね、格ゲーを極めるなら、ジョイスティックだよね。懐かしいなー。俺、リアルにネオジオ持ってたからねー。
全盛期はサムスピなら右京を使えば無敵だったし、KOFでも京と庵を使えば無敵だった。スト2系は豪鬼を使えば鬼のように強かったし、龍虎の拳ではタクマを使えば無敵。みたいね。でもあれだね、やってないともう全然ダメね。すげー衰えてる。単純にコントローラーのせいだけじゃないっぽい。で、やり始めの頃って、大抵、リュウみたいなオールマイティキャラを使いこなせるようになるんだけど、通になると、投げキャラとかコンボ系キャラに移行して、結果的にそっちのほうが強かったりするんだよね。俺のザンギエフとかロレントも半端じゃなく強いよ。強かったよ。KOFでもシェルミー・クラーク・大門の組み合わせが一番好きなんだよね。かなりの玄人好みのキャラばっか。サムスピでは半蔵でモズ落しばっか狙って、飢狼では十兵衛で華麗に吸い込むわけね。そういえばサムスピ2で半蔵の超必殺技を出すと「プリマー区別!」って言うよね。そういえば小学生の頃は格ゲーやれば負け知らずだったんで、誰も俺と対戦しなくなっちゃったんだよね。でもゲーセンとかいくと上の上がいて、所詮井の中の蛙だなと痛感するわけ。そういえばYoutubeSNKのゲームの名前を検索すると、ゲームトーナメントみたいなやつの動画があってさ、もうレベル高すぎなのね。俺はあそこまで強くないよ。っつーかあのレベルは狂ってる。

昨日、食ザー忘れてすみません。

http://mushroom.cage.to/mp3/sakimori.mp3

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