死ぬなら他人に迷惑をかけずに死にましょう。

mimisemi2008-05-19

最近さ、っつーかホント、鬱状態が続いててね、で、何もやる気が起こらないからずーっと寝ながらゲームやってたらペルソナクリアしちゃったんだよねっつーか久々に手ごたえのあるラスボスだったね。それにしても長かったなぁー・・・。で、アイギス編なんてのがあるじゃない?内容はともかくアトラスお疲れ様って感じだよね。あんだけの内容を一つの商品としてパッケージングするサービス精神には関心しちゃったなっつってもまぁ最初にペルソナ3があって、んでその後フェスとか出してるんで、まぁ悪徳商法とも言えなくもないんだけどね。アディショナルパッケージをガンガン出しまくるゲーム会社とかってすんげー嫌いなんだよね。俺。アディショナルパックに金を出すとかってマジでありえないでしょ。まぁアトラスも同じだよね。それにしてもペルソナ3はつくづくときメモとペルソナの融合って感じがしたよね。まぁマスターピースではない。はっきりいって無限のように続くかのような学園生活は自分たちのリアリティを反映しているようで、ゲームをやっているのに妙な現実味を感じてストレスを感じたりしていたし、いつ死ぬか分からないタルタロスも相当ストレスフルだったな。ゲームやってて爽快じゃないんだよね。メガテン系のやつって。鬱状態でやってたんで余計に鬱っぽく感じたのかもしれない。それにしても最後は陳腐なヒューマニズムの話に落ち着くのか?と思いきや、アイギス編の冒頭で順平が「相変わらずの閉塞した世の中っつーか、これが俺らが命をかけて救ったものなのか?」みたいなことを言う場面があるじゃない?で、美鶴が「我々は世界を救っただけで変えたわけではない」なんて言うじゃない?いや、さすがアトラスだなって感じ。この辺のことを分かってるよね。凄く。リアリズムに立脚しつつそこにファンタジー的な要素があるんだけど基本的に世界観は絶望系っていうね、それってメガテンに一貫しているテーマでもあってさ、それが俺の世界観と凄く似ていてだからシンクロするんだよね。


あとあのさ、student councilのやついるじゃない?ソーシャルリンクのやつ。あいつがさ、ラスボス後の主人公との会話ですんげー良いこと言っててさ、「お前は今の社会がいいと思うか?」なんて聞いてくるわけ。んでまぁどう答えようともあれなんだけど、まぁまとめるとこいつは今の社会は最低なんだけど、社会が人々によって成り立っている以上、クオリティが人々に依存するってわけで、まず重要なのが教育だっていうんだよね。適切な教育を受けることで人々が自分たちのあるべき社会像を思い描きつつ成熟した市民社会を築いていけるようになるっていうことで俺は教師になりたいんだなんていうわけ。いやーすげーいいじゃん!!って思っちゃったね。その前にも革命がどうのこうのっつっててさ、基本的に革命家気質なんだよね。こいつ。ただ一時的な勢いで達成される革命はまた退廃を起こすだけだなんてことも分かりきっててさ、だから内部からの革命ということでまずは教育が必要だって説いてるんだよね。いやー素晴らしい!ナイスなグラムシ的発想ですよ!マジで。俺がペルソナ3の実写版に俳優として出るならこいつに配役されたい。他にも本質をついているような絶望的なダイアログとか今の閉塞した世の中を表すかのようなセリフがいたるところにあってさ、アトラス流の奥深さは全然失われてないなとか思ってちょっと安心したんだよね。もちろんキャラの大衆迎合化とかさ、所謂、フックとしてのキャラ的要素というところが今までのメガテン系に比べると顕著だけど、英語の場合さ、妙な日本的なオタク臭さっていうのが中和されてた感じがするね。あれで日本の声優がそれらしく声を当てていたら、そのアニメ加減っぷりに嫌気が指していたかもしれない。そう思うと日本臭さとか日本語というのがオタクネスみたいなのを規定しているのかもなとか凄く思ったんだよね。あとStregaだかのリーダーいるじゃない?あいつの言ってることは100パーセント正しいね。でもだったら人を巻き添えにせずに自分で死ねって話なわけで、今日、書きたい硫化水素自殺の話に繋がるんだけど、まぁそんな感じでっつーか自殺なんだけどね、硫化水素がマズいのは自殺者が二次災害を予想しないでやってるところに尽きるよね。家族も巻き添えになったとか、マジでシャレにならんと思うんだけど、俺は相変わらず自殺自体は悪いことではないと思うわけ。だって自殺する人がなんで自殺したくなるのか?なんて本人じゃないと分からないし、それを他人がどうこう言える問題じゃないんだよね。だから自殺を単純に「いけないこと」として定義するのは凄く勝手なことだと思うわけ。前から書いてることだけど、自殺防止というよりかは、なぜ自殺が起こるのか?ということを社会学的・精神医学的見地から解析しないと根本的な解決は無理だし、あと自殺ってのはある一定の数は常に起こってしまうものだから、人間が生きている以上、根絶というのは事実上不可能なんだよ。まぁ逆にイスラム圏とかだと宗教的な理由から自殺率が低かったりするんだけどね。


で、日本の状況は分からないんだけど、学者なりなんなりまぁ政府でもなんでもその原因の究明をしているのかな?って凄く疑問なのね。ただ単に「いけません」って言ってるだけにしか見えないっつーか、あれだと「迷惑だからやめてください」って言っているようにしか見えないよね。で、俺はどうもね、まぁ日本は極端だけど先進国なんかに自殺が多いのはやっぱりなんつーか閉塞的な社会のシステムに尽きると思うんだよね。もちろん自殺率に貧富の差は関係ないんだけど、生きているということ自体がもうストレスみたいな社会が近代社会なのだとしたら、もうあれだよね、根本的に自殺回避なんて無理よね。でもね、フィンランドだったかどこだったかは世界的に見てもいち早く自殺の原因解明に乗り出してて、んでその結果、自殺率は劇的に下がったらしいんだわ。そう、ある一定の自殺というのは人間が生きている以上しょうがない。ただ昨今の日本みたいな異常な自殺率はやはり何らかの社会的な要素が絡んでると思うっつーかまぁ散々書いてるけど日本って死にたくなりやすい国なんだよね。人間関係が面倒だしKYじゃないけど空気読まなきゃいけなかったりとか、所謂、社会から世間体を押し付けられやすいから物凄い閉塞感があるんだよね。お隣の韓国でも自殺が多いってのは本当に頷けるってのは、なんというかこの陰気な体質が日本・韓国とも凄く似てるんだよね。だからいつも書くけど、アメリカ人が「ストレスが多い生活だ」って歎くのと日本人が歎くのとでは質っつーかレベルが違うんだよね。アメリカの場合「ストレスが多い」って言えるけど日本の場合、恐らくそんなストレスなんていう言葉が出ないぐらい精神的に追い詰められている人が多いと思うんだよね。


ある意味でストレスって認識できれば解消しなきゃっていう解決法が見つかったりするよね。でもストレスっつーか原因すらも分からなかったらね、解消のしようがないし、常にそれに晒されながら生きていかないといけないわけで、そんなんじゃ精神的に持つわけないわけ。でもここでやっかいなのが、ストレスを抱えている人達がそれに気がつかないことが多いってことなんだよね。何が自分をこんなに追い詰めているのか?というのが考えられないぐらい追い詰められているというか考える癖が出来ていないというか、だからいつまで経っても解決できないし、例えば苦労してやっと入れた会社そのものにストレスの原因があるとか分かっちゃったら最悪なんだけどね。ストレスの元が不可避なんじゃん!って分かっちゃうと、それはそれで自殺の動機になりえるよね。いや、すんげー分かる。人並みにやってきて、んで一応会社に入って正社員になったのにそれがストレスになってて、んじゃ辞めようか?っつってもこのご時世じゃ再就職は難しいだろうし、んじゃあフリーターか?なんて考えちゃって、んでそんなのはダメだとかって勝手に決め付けちゃってんで落ちるぐらいなら今の状態のまま死んだほうがいいっていう選択になっちゃったりするんだよね。俺から言わせればまず落ちてからでもいいじゃない?自殺は?って思うんだけど、世間体を気にする人にとってはそうはいかないみたいね。まぁはっきりいって日本みたいな先進国における自殺は贅沢の賜物でしかないと思うわけ。はっきりいってフリーターだって餓死することは無いでしょ?極端な話。まぁもっとも最近ではいなくもないってことが問題なんだけど、後進諸国と比べたらやっぱり落ちても生活の水準は高い。んじゃあ何が原因か?っていうとやっぱりそれが個人の尊厳とかなんだよね。尊厳っつーと大げさだけど、まぁプライドっつーか、俺はこうあるべきっていうベッキーね。正社員でやってきたんだからフリーターになんてなれないとかさ、バツイチになるなんて汚名だから許せないとかさ、そういう過剰なバインドが本人達を苦しめちゃってるわけね。


でもあれなのよ、かといってもそんなに贅沢病ってわけでもないのは、基本的に先進国の人間達が後進国では生活するのすらままならないって人が大勢いるとかって言われたってリアリティが無いんだよね。先進国の人間達が抱えるストレスってのはそれ固有で他との比較対照はできないわけで、だからまぁこれはこれで深刻なんだよね。ストレスが存在するのは確かなんだから。まぁでもあれよ、自殺するなんて尋常じゃないからね。死にたいなって思うことと具体的に考えることってのは全然違うし、物凄い差があるわけだけど、その方法を具体的にネットで調べて試みている人が多いってのは、つまりはそれだけ自殺を望んでいる人とかいた人が多かったわけだよね。前々から死のうと思ってたけど、イマイチ踏み切れなくて、んでネットで調べたら楽な方法があったんで、それをコミットしてみたっていうだけで、繰り返し俺が言っているのは一連の硫化水素自殺というのはただの流行っている自殺の方法論の表象なんであって、これ自体は別に由々しき問題ではないんだよ。問題は今に始まったことではない、明らかに異常な日本の自殺率にあるわけだよ。しかも自殺率が異常に高くなって久しいのにまだ根本的な原因の解析に踏み切れていないというのは、なんだか凄く変な気がするんだよね。まぁただこれだけは言えるのは死ぬことは別に悪いことじゃないけど、死ぬんだったら人を巻き込まないで自分だけで死のうってことね。どうせ死ぬんだから人が巻き添えになってもかまわないってーのは死の宣告を受けて、んでその人が核兵器によって人類を終わらせる権利があってなおかつその起動ボタンが手元にあるっつーんで、どうせ死ぬんだから世界を終わらせてしまおうっていうような自分勝手な究極的な自滅方法となんら変わりはないわけよ。自滅と自殺は違う。これだけは本当によく覚えておかないとダメ。


で、ちなみに社会学で言うところのThe copycat effectってやつが常に起こってるわけで、これってーのはようはメディアのdysfunctionの一つでメディアがプロバイドしている情報に人々が惹起されて、似たようなことを起こしてしまうっていう、まぁよくあるあれよ、犯罪とかでもcopycat crimeっていうのがあるぐらいで、殺人というよりかは殺人の報道がまた殺人を起こすっていうね。で、これは明らかにメディアによるセンセーショナリズムによる弊害なわけで、自殺ってのが人々の関心を集めるネタになるからガンガン報道するんだよね。で、ちなみにアメリカでも例えばカート・コバーンの命日に同じような方法っつーかまぁショットガンで自殺する後追い自殺ってのが絶えなかった時期ってのがあって、
まぁ今でもあるそうだけど、これも命日に自殺した人がいるっつー報道をすると命日の後にも自殺する人が増えるっつー理由の一つが自殺の詳細を報道するメディアなんだよね。報道の内容が細かければ細かいほどそれに似た自殺が増えるっつーんで、まぁこれは潜在的にいる自殺願望者の意思をメディアがトリガーになってコミットさせているっていう良い例なわけ。だから自殺がありましたってだけ報道して、カート・コバーンがどうのだのショットガンがどうのだのってのを報道しなければ連鎖は少なくとも避けられるっていう仮説なのね。ただこれもなんというか方法論やら動機やら決断というのがメディアによって惹起されているだけで、根本的な自殺者の心のケアだの自殺の理由だのってのが解決されない限り、まぁ同じことなんだよね。カート・コバーンの報道があろうがなかろうが近いうちにどの道自殺してたって人が大勢いるだろうし。硫化水素自殺もそうね。あんなマズイことなのにメディアが「ネットで容易に情報が手に入る」だのっていう具体的な方法論を報道しちゃってるんで、それが自殺願望者達に伝達しちゃって、それがトリガーになってるわけ。それはメディアがセンセーショナルなネタとして報道すれば報道するほどその伝達の効果は大きいわけね。


自殺願望者が集まる掲示板とかもそうね。元々アングラだったものをメジャー化したのはメディアなんだよ。それによって連鎖が次々と起こる。メディアってのは基本的に見る側も馬鹿なんだけど、配信する側がメディアのファンクションやら影響ってのを理解してない場合が多いんで、こういうdysfunctionが起こっちゃうんだよね。ただ自殺に関してはメディアのこういった影響もあるんだけど、根本はなぜ自殺が起こるか?っていう原因にあるわけで、これはあくまでトリガーの原因がメディアっていうことなだけで、んじゃあメディアが自殺報道をやめればいいか?っていうとそういうことでもないっていうのは、潜在的にいる自殺願望者ってのはいつかは自殺をする可能性があるわけで、それがメディアによるものなのか、自分で考えた末の自殺方法だったのか?っていうのはあくまで方法論の話なんて、あんまり重要じゃない。メディアの報道によって集中的に似たような自殺が起ころうが、仮にそういった報道が無かったとしても、自殺願望者ってのはいつかは自殺をするかもしれないわけで、メディアに原因があるとは言いがたいんだよね。それはゲームとか暴力映画の影響にしてもそう。あれを規制すればいいかっていうとそうではなくて、あれってのは潜在的に存在する性犯罪者とか暴漢に対しての影響を与える材料の一つっていうだけで、これ自体が性犯罪者なり暴漢を生み出すわけじゃないんだよ。仮にそういったバイオレントな映画やゲームが無かったとしても、性犯罪者は仮に例えば犬の交尾を見てそれがトリガーになって性犯罪を起こすかもしれないし、暴漢もまた街での喧嘩を見て自分の暴力性が顕在化して暴力事件を起こすかもしれないし、社会ってものがある以上、原因なんて色々あるんだよ。自殺にしても犯罪にしてもね。だから俺が繰り返し書いているのは硫化水素にしても硫化水素を無くせばんじゃあ自殺がなくなるのか?っていうとそうじゃないっていうことなわけで、それはゲームとか映画にしてもそうね。ゲームとか映画をなくしたところで性犯罪者や暴漢が消えるわけじゃないわけ。まぁただ硫化水素に関しては冒頭にも書いたけど人を巻き込む危険性っていうのが大きいんでマズイってことね。楽かもしれないけど、人に迷惑をかけないように勝手に死んでくださいってことね。


ところで東浩紀動物化するポストモダンでオタクのロリコン趣味に対する良い考察があったってーのは、基本的に彼らに本質的なペドフィリアってのがいないってことね。ロリコンというのを彼らの性のファンタジーとしてしか捉えてなくて、実際の幼児を誘拐してレイプするというようなことは無いってことね。俺のショタコンとか残酷趣味とかネガティブ趣味も同じね。ネクロマンティックとか死の王とかが好きだったとしても、別に自分はネクロフィリアではないし、ギニーピッグとかアメリカ製ギニーピッグとも言えるmordumという映画が大好きだったとしても、自分がああいうことをするということは絶対無いわけ。あくまで趣味というかファンタジーとして好きなだけで、自分が大量殺人者になったり猟奇殺人者になるってことはまずないわけ。だから少なくとも俺みたいなおかしいんだけど無害な人間にとって色々な表現の数々が規制されてしまうというのは自分の趣味に規制がかかるのと同じようなことだし、極端な表現から何かが生まれるっていう文化的もしくは芸術的可能性があるわけで、それらを規制するなんていうのは本当に馬鹿げているわけね。何回も書くけどうちはリベラルだったから小学校低学年ぐらいからでもホラー映画とか見させてくれたんだよ。まぁ俺がおかしかったから金曜洋画劇場とかでエイリアンとかジェイソンとかを異常に見たがってたっていうのはあったんだけど、親もまぁ一緒に見てたりしたんだよね。という意味で俺は極端な残酷性みたいなファンタジーと共存してきたってことが言えるわけだけど、人間的にはもう善人以外のなんでもないからね。人を殴ったことなんてないし、暴力的な衝動なんて一切無い。まぁフロイト風に言えばそういうのを無意識に閉じ込めていて、んでまぁそういったゲームなり映画を見ることで解消しているとも言えるかもしれないけど、んじゃあフロイト風に言えば、そういった無意識に溜まった俗悪なものをリリースする何かってのが必要なわけだよね?それを規制するってことは無意識に溜まった俗悪なものがリリースされないってことなわけで、そういうのがつもりにつもったら爆発しちゃうってことにもなりかねないよね。まぁ俺は爆発しないけどね。


これは性風俗とかにも言えて風俗店の良い機能ってのがこういうところにあるんだよ。リテラルな意味で溜まった連中のザーメンを抜いてくれる最適な場所なわけで、あれが無くなったら溜まりに溜まった獰猛な男達が女性をレイプするようになっちゃうかもしれないわけで、ああいう抜きの場ってのは本当に必要なわけ。まぁちなみに売春に関しても絶対オッケーにするべきね。よく馬鹿なフェミニストが女性軽視だ!とかっていうけど、とんでもない。むしろ女性の立場に立てば立つほど、そういった職業の選択があったほうがいいわけよ。別に売春を許可するってことが売春を強要するってことにはならないわけで、娼婦という職業もあれば救われる女性も多くいるわけだし、男の欲求不満をリリースする良い機能も兼ね備えているわけで、性病とかの対策とかをちゃんとするという条件付であれば売春には良いことしかないんだよね。あとイメクラもいいね。凄く。援助交際とかはマズいんでオーバー18の子達をアンダー18に見立ててファックするっていうことで、男達の倒錯した性的欲望が達成されるなら、もうこれほどいいものはないよね。あと痴漢プレイだの強姦プレイだのっていう、多様なプレイがあればあるほどそれはいいね。それがそういった性的逸脱行為を助長させるきっかけになるとかいう本末転倒なことを言う馬鹿がいるけど違うんだってば。痴漢プレイがあるから痴漢が起こるんじゃなくて、痴漢的妄想があるから痴漢プレイがあるんだよ。妄想は行動に先立つってなわけね。これを逆にして物事を語ったりしているから、わけのわからないことになっちゃうんだよね。ゲームの規制とかさ、映画の表現の規制とかってのを言うんだったら、まず最初に女性の身だしなみに対する規制をするべきだと思うんだよね。ファックしてくれって股を開いているような格好をしている女ってのは男の性的注目を凄まじく集めるわけじゃない?で、会社だの学校だのさ、やらなきゃいけないことがあるのに、そういう対象を見ることで気持ちが乱れちゃうわけじゃない?で、いきなりオナニーしたくなるかもしれないし、セックスしたくなるかもしれないわけで、あれこそまさしくそれそのものが行動を惹起するような現象になるわけだよね。あんな格好の女が大勢いるなかでゲーム規制だの映画規制だのなんて本当に馬鹿げた話だよね。それそのものをトリガーするものを規制しようなんつったら世の中成り立ちませんよ。いや、だから俺はいいんだよ、アバズレみたいな格好の女がいても、それは本人が好き好んでやっていることなんだから、そんなものに規制をかける必要はないわけ。それこそ表現の自由だからね。


なんかね、今日は違うことを書こうと思ってたんだけどさ、ダメだね。もうすでにかなり書いたからいいや。それに関してはまた今度書くわ。ってことで。


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