誘惑的シニフィアンに対するその傾向と対策。

mimisemi2008-05-20

今日は最後の哲学のクラスだったんだけどっつーかテストだったんだけど、あーダメだ書くことが多すぎる。簡単に書くことにしよう。なんかね、また主観的な思い込みなんだけど
女の子のアプローチを感じたっていうのが、先週の哲学のクラスでさ、まぁね、ラテン系のよく発言する割と可愛い子なんだけど、テストとかエッセイの成績が良かったんで最終試験が免除されたのね。この子。ってことでこの子にとっては先週の哲学のクラスが最後だったんだけど、なんかね、授業中にあれなのよ、急にさ、普段は真ん中ぐらいの席に座ってるのに、いきなり授業中に立ち上がって俺の横に座ってきたのよ。まぁ横の定義も微妙だけどね。俺の横といっても、俺の横の横にとってはその人にとっての横だからさ、グラスの水が半分入っているのか、それとも半分空なのか?みたいな師匠1チックな議論になりそうだけど、まぁね、んでこの日にさ、また授業のレールを乱すようなややこしい発言をしたんだけど、割とウォール伝に沿ってるっていうか、普段から疑問に思っているようなことに似たようなものが授業の中にあったんで、まぁ発言したんだけどね、まぁ簡単に書くと言語そのものが意味を規定しているのか、それとも思考そのものが意味を規定しているのか?っていう、まぁ言語学的な疑問なんだけどねっつーかこれは前にも書いたからいいでしょ。よく俺が書くアメリカ英語ってのはアメリカンチックだからその言語自体がアメリカン的な性格を帯びているので、それを使うものは自ずとアメリカンチックになるっていうね、逆もまた然りってやつよ。アメリカンが日本語を使うと「ヨーメェーン!」って普段から言いそうなやつも、そういうキャラクターが日本的言語に変換されづらいので、そういった態度を例えば不器用な日本語、例えば「げんきぃー」みたいな感じで変換すると、元々のその人が持っていたヨォーメェーン!的なファンキーな要素が、不器用な日本語へと変容しちゃうわけよね。その結果、面白い日本語を使う陽気な外人みたいな、ボビーみたいな感じになる。


あ、話が逸れた。んでさ、まぁそういうややこしい質問をして、まぁ相変わらず先生は「そういう話は置いておいて・・・」って感じでまぁ特に返答は無かったんだけど、割とこのレールに沿ってないある意味で本質的に哲学的な質問ばっかする俺っつーかまぁもしくは俺の質問の数々ってのがクラスでは好評なんだよね。いつもビルは先生を困らせるみたいなさ、そういうまぁなんつーかクラスのマスコットキャラ的存在っていうと大げさだけど、まぁ目立ってるわけ。で、この日は本当に冴えてたからまぁ勢い良く困らせるような質問ばっかしてたんだけど、その横に移動してきたホットなガールがさ、質問し終えた俺に「クールだわ」とかって言ってるのか?って思えるようなちょっと魅惑的な笑顔でこっちを見るわけよ。まぁでもね、こっちって俺みたいなキャラを持ってるやつに対して寛大ってのはよく書くけど、なんつーかみんな笑顔が素敵なんだよ。気があるないではなく、基本的に「どう?調子は?」っていうようなニュアンスでも笑顔が素敵なんだよね。仏頂面が得意な日本人とは大違い。そういう意味で逸脱しているとかって言われている若者達を俺は悪く思わないんだよな。俺は日本的な感情を表に出さないのが美徳みたいな態度が大嫌いだからね。だったら今の若者っぽく「えぇー!マジでぇー!!!」とかって大げさに動きとかジェスチャーを混ぜたようなコミュニケイティブな要素があるものを使ったほうがいいわけね。そんなのが会社とかデカイ組織にまでも浸透する必要があるんだけど、そのためにはまず席に居座ってる化石と化した老人達を排除しなきゃいけないよね。リベラルだろうがコンサバであろうが表現豊かでコミュニケイティブな人間が色々な場所にいたほうが社会のコミュニケーション的な要素の意味での潤滑油としての役割ってのが生まれるよね。それが役割を超えて自然になるのがベストだと思うんだけど、俺はこれを欧米化だとは思わないのね。


まぁいいや。また話が逸れてるわ。んでね、どこまで話したっけ?あ、その誘惑的な笑顔でこっちを見てきた横に引っ越してきた女の子さ、なんかね、あれなのよね、最終試験を受ける必要が無いから、まぁこの日が最後ってことでなんかあれなんだよね、俺となんらかのコンタクトを取ろうとしてたのかな?なんて帰りに思ったりしたんだよね。この日。凄くなんつーか意識を感じたわけ。でもさ、こういうのがリア二千妄想を生んだり一連の期待が生む絶望を生んできたわけで、まぁこういう主観的な解釈はもうやめようと思うんだけどね。あ、リア二千に関してはまた今度書くわ。だけどさ、分からないんだよね。なんども言うけども。ただなんつーか凄く俺が好かれてるってのはよく分かる。クラスですげー人気者だからね。俺。それは前のセメスターでもそうだったけどさ、なんつーかポピュラーなのよね。それだけチャームがあるんでしょっつーか個性っつーのがプラスな要素として働くこっちだと俺みたいなやつは一気に人気者っつーか好かれるような人間になるんだよね。いや、それはもう二年前にもなるロードアイランドの学校でもとっくに感じてたことだよ。
俺がマンハッタンにトランスファーしたときのみんなの寄せ書きといったら・・・もう感動モノだったからね。あのブラジルのさ、アレクサンドロってやつにジョビンのアルバムもらったりさ、まぁいいや、んでね、こっちでは女の子も男に別に気があろうが無かろうが面白そうなやつだと凄く親しげな態度で接してくるんだよね。ちょっとニュアンスが違うけど、古いタームで言うところのコギャルに近いものがある。コギャルって男子に性的な意味がなくても「よー元気ぃ?」とかいって陽気に接してくるじゃない?ああいう突き抜けた陽気さっていうのかな?


まぁコギャルとは違うんだけど、所謂、日本の全寮制っぽい感じの女子と男子の断絶ってのは無いんだよね。凄くフレンドリーなわけ。で、その突き抜けた陽気さに慣れてない俺がそういったものを曲解しちゃうと「俺に気があるのか?」とかって思っちゃうわけ。もちろん全てを好き・嫌いの二択で捉える必要はないんだけど、どうも俺は女の子のインテンションが分からない。勘違いすると酷い目にあうからもう嫌なんだけど、それだったらでもああいう態度は男子は勘違いしちゃうよ?って俺は言いたいんだよね。よくさ、友達からとかっていうけど、そんなもの存在しないよね。最初から気があるんだけど中身が分からないんでお互い探りあうっていう意味で友達からはじめるわけでしょ?でもその友好関係の根源ってのは恋愛なわけじゃない?だったら探りあいも糞も無いじゃんって思うんだよね。興味があるなら興味があるで、無いなら無いでいいじゃない?って思っちゃう。なんでそこで友達なんていう概念が生まれてくるのかさっぱり分からない。あーダメだ。ADHDについて色々書こうと思ったんだけど、今回はこれについてだけ書くわ。早く寝ようと思ったのに長くなってるからね。ADHDの人って何かをリテラルに理解しちゃう傾向があるらしくて、ジョークとかが通じないことがあるっていうけど、俺ってそれも典型的だなって思っちゃったね。俺はジョーダン23好きだけど、他人の冗談は理解できないことが多い。よくそれに対してまともに答えちゃったりね、で、相手は「え?」みたいなさ。まぁいいや、ADHDに関しては積もる話があるから今度にして、まぁADHDと結び付けないにしても、俺は人の態度とか顔の表情とかに敏感なところがある反面、インテンション的なものには物凄く鈍感だったりするんだよね。これってのをこういう文脈で捉えれば、相手は俺に嫌味を言ってるんだよとかさ、出て行ってくれって言ってるんだよ?とかさ、なんかネガティブなもんばっかだけど、そういうのが全く通じないのね。で、後になっていろいろと言葉や態度を脱構築しまくって、んで色々な解釈を加えて全てをネガティブなものにしちゃってすげー落ち込むんだけどね。その場のインテンションではなく、その場の記憶が脱構築的に働くっていう感じね。


まぁいいや、んでさっつーかだからさ、分からないんだよ。なんであんな笑顔で俺を見るのか本当に分からない。友達としてはちょっとオーバーすぎるだろう?っていうような感じだし、それにしてもアメリカン男子ってーのも女子との断絶が全く無いように振舞うけど、やっぱ文化の違いなのかしらね?ここでアメリカンだったら相手が笑顔で見てきたら別にそれを性的なものとして捉えず、あくまで相手が興味を示しているっていうような、まぁ人間関係的な意味で捉えて、こっちも笑顔で返すのかもしれないね。まぁそこまで深く考えてないとは思うけど。笑顔や挨拶って一瞬の振る舞いのように見えて実はそこに凄まじい色々な隠れた意味があったりするんだよ。何気ない行動こそその人の本質が出るみたいなのってフロイトっぽいけど、でもそれはマジでそうだよ。だから俺はそんな自分の中身を露見させてしまうような振る舞いをしないためにもあくまで諸行動の全てに対して意識的じゃないといけないわけ。そこに無意識が介在してはいけないのよ。それって恥ずかしいでしょ?無意識が露見しちゃうなんて。まぁそれを出しまくるってのが自然なコミュニケーションなのかもしれないけど、俺としてはやっぱりそういうのって親しい人にしかそういう態度は見せられないんだよね。犬が飼い主にお腹を見せるような、それと同意義なことが、少なくとも俺にとってはコミュニケーションにおける無意識なんだよ。だからさ、そう思うともう人間の態度って記号だらけじゃない?常にこっちのシニフィアンに対する解釈を求められているような気がしてさ、すげームズいんだよ。で、その場では衝動的には答えられない。だからこのラテンラバーの女の子の笑顔とか席の移動に関しても物凄い記号の数々がそこに存在していて、俺の脳内では一気にそんな大量の情報はそこでは処理できないわけだよ。で、後になっていろいろと考えてみるんだけど、まぁ意味無いけどね。もうこの子とはクラスでは会わないし。まぁ可愛い子だったけどね。あともう一つ思うのが、一連の俺の恋と愛に関する違いの認識ってのもあってね、まぁあれよ、ソウルメイトっていうんだっけな?人間は生まれたときから魂も体も半分で、その半分を埋めてくれるのがソウルメイトであるっていうようなね、そういう概念があるわけ。で、別に俺はこれに則っているわけではないんだが、単純にこっちで色々とやっていくにあたって、それこそシリアスにロングタームでのこっちでの暮らしを考えるなら、自分の事を色々と喋れて尚且つ生活も共同的に営めるようなパートナーがいたほうが絶対やりやすいってことなのよね。別に一緒に住む必要はないんだよね。ただまぁ理解しあいつつ助け合えるみたいな、相互扶助的恋愛関係ね。そういうのを立ち上げたいと意識的に思うようになってから、俺の意識自体に今までブロックしていた女の子と付き合ってみるみたいな概念が露呈してきたのかなって気がするんだよね。そのブロックが外れたことによって女の子の自分への態度というのに過剰に反応するようになっちゃったっていうか、まさしく中2病みたいなのを今更やってる感じだけどね。


ニヒルでいれば逆に恋なんてのは人間のイマジネーションの副産物だから信じてないなんていう態度で女の子と接することができるんだよ。それこそメールの交換とかもできる。ただ俺は完全に相手を恋の対象として見ていないから出来ることなんだよね。それはまぁ今まで俺に一貫していた女の子への態度であったと思う。で、それがまぁ最近外れたんで、メタレベルで女の子というのを考えるようになったと思うんだよね。だから諸記号に対する解釈が必要になっているわけで、その場では処理しきれないというような現象が起こってしまうわけね。これは完全に俺っていうソフトウェアの変化なんだろうね。こういう変化がロングタームで見ると大きな変化をもたらすんだろうなって思うと、基本的にマルクスの革命論は間違っていないなとは凄く思うよね。なんだったっけ?例えとして沸騰したお湯が蒸気になって空中に広がっていくような瞬時的じゃない状態としての革命をマルクスは提示していたわけだよね。まぁ革命の概念か。方法論が正しかったとは言い切れないけど、まぁそれはいいじゃない。いや、でも変化ってのは常にマルクス的だよね。だから常に人々の心の中では革命が起こっているんだと思う。それが生きるっていうことなんだよね。そういう意味だとステイビリティーとは程遠い俺としては逆にそれっていいことじゃない?って思うけどね。だから俺は進歩的ではない保守的な人間が大嫌いなんだよね。変化を求めずステイビリティを求めるような輩が大嫌い。それは彼らの生き方だからいいんだけど、俺の主義とは本当に反するどころか反しすぎるものなんで許せないんだよね。見ててムカつくっていうか。もちろんそこで進歩的であることそれ自体をヴァーチューだとか美学的なものとして捉えちゃうと、それ自体が概念化しちゃって保守化しちゃうんで意味が無いから常に変化というのはスチーム的であるべきだって俺は思うんだけど、そういう観点から見ると、少なくともこっちに来てからの俺の人生って色々な変化の連続でネガティブなものもポジティブなものも全部含めて常に前進してるなって思うんだよね。だからあれなんだよね、常に自分の人生に対して前衛的じゃないといけないんだよね。もちろんそこであれよ、アヴァンギャルドっていう概念として捉えるって意味じゃないからね。それはさっき書いた概念化っていうことと同じことだから。


ダメだ、自称ADHDとしてはまとまりのある文章なんて書ける気がしない。まぁ色々調べたところによると、確かにまぁ大人になると所謂、ADHDのHにあたるハイパーの部分が社会的適応の必要性によって覆い隠すことが出来るようになることでHが抜けてADDになるんだよね。衝動性とか多動性を伴わない注意障害っつーのかな?それがADDなんだよね。大人に多いのがADDらしいんだわ。まぁいいや。これについてはまた別に書かないともうキリがないからこの辺でやめるわ。


とにかくね、モテモテなわけだよ。女の子からも好かれまくってるからね。俺。でもこれはモテモテなんではなく、これがアメリカンガールの態度なんだよね。別に俺を性的対象としてみているわけじゃないから、単純に友達なわけだよ。だって男友達が多いことがモテモテとは言わないでしょ?モテているという定義の中にはセクシャリティが含まれているわけで、そこに性的なものが介在しない限り、それはモテ足りえないんだよね。ってことでまぁ俺は興味を持たれやすいやつってことなんだろうね。まぁいいことだ。クラスで目立つのはいいことだよ。本当に。アジア人の留学生なんて下手すると普通のクラスで目立たないやつ以上に目立たなかったりするからね。ってことでクラス内でも前衛的じゃないといけないね。ホント。なんかもう完全にあれだな、とっととグリーンカード所得しないとダメだな。こっちでやってくしかないよ。マジで。こんな方法論が通用するのもアメリカだけだろうしな。しかも都市部ね。あー結局朝の7時になっちまった!早く寝ようと思ったのに・・・。短く書くっつっていつもこうだよ。ホントにさ。

Trapeziste

Trapeziste

↑聞いてていつも思うんだけどトラペジストの後のハウスっぽいトラックがさ、すんげイアンプーリーっぽいんだよね。