Political Compass。

mimisemi2008-07-04

なんだかんだでやっぱ帰ることになりそうなんだけど、リーディングのテストの結果次第なのね。もしパスできなくて、んで敗者復活戦とかあったら
それにチャレンジしたいしさ、まぁパスできれば速攻帰れる感じなんだけどね。ソッコーとかって昔の女子高生用語だよね。ときメモの朝日奈が使ってたね。
ところでポリティカル・コンパスというのがあるじゃない?ちょうど一年前にやってさ、んでその回答とか結果を載せたと思うんだけど、あまりに質問に対する理解が浅いっつーか、恥ずかしいようなことを書いてたりしたんで、また受けてみたのよ。ただ前みたいに一個一個に対してコメントを書くのが面倒だから今回は結果だけね。

Your political compass
Economic Left/Right: -9.25
Social Libertarian/Authoritarian: -7.74


ちゃんと質問を去年よりかは理解できたのか、なんつーか左翼度が高まってるよね。自分は左翼だから左翼っぽい回答をしなきゃいけないとかじゃなくて素で答えてこういう結果になったんだから、まぁそれはしょうがないよね。ただホント、最近はある意味で究極の権威主義者になってきてるんだよ。俺。基本的に自由を愛するんだけど、その自由を補完するためには統治が必要で、政治的に鈍い連中が烏合の衆のように集まってあーだこーだ言うのが民主主義なんだとしたら、一般意思なんてのは存在しないっつーか、それこそ全体を考えられないで気分で恣意的に政治的な判断とか投票をするやつらが多いんじゃー民主主義なんてやめちゃったほうがいい。一部の本当に政治を考えられるエリートが国を率先していけばいいわけで、愚民の考えなんていらないんだよね。それは日本が馬鹿だと言いたいんじゃなくて、アメリカにいてもそう思うっつーか、こっちも相当馬鹿が多いし、下手に俺らが最強とかって思ってる分、こっちの馬鹿は日本の馬鹿よりたちが悪いんだよ。馬鹿とは言いたくないんだけど、今のリーディングの先生もね、前に書いたかもしれないけどポリサイが専攻でさ、今もポリサイを教えてるらしいんだけど、昔は社会主義者だったんだけど、今は共和党が好きなんだって。っつーのは市場主義だのなんだのっつーネオリベっぽい政策がリッチな人を増やしたんで共和党を支持するんだとか。え?ソーシャリストじゃなかったの?デモとかに行ってたんじゃなかったの?学生時代に?それだったら貧困層の苦労なんて知ってるんじゃないの?マルクス主義的な平等というのは悪夢だけど、マルクス主義じゃなくマルクス的な機会の平等は良いことなんじゃないの?で、なんで共和党なの?っていうね、この話を聞いて以来、先生を信用できなくなったっつーか、俺も極端なんだよね。その人の政治的発言でその人がいい人でも嫌いになっちゃう。あとクリスチャンとかでも例外を除いて、特にアメリカみたいなケースのクリスチャンとかプロテスタントは基本的に好きになれないんで、教会に行ってるとかって聞くとそれだけでムカつくんだよね。教会のドグマがどんだけの人を殺してるか分かってるのか?って言いたくなっちゃう。それだったらインディーズ系の教会とかを自分で作ればいいのにって思っちゃう。なんで既存の権威主義的な宗教に寄りかかろうとするのか本当に理解が出来ない。俺はジーザスを人としては尊敬しているけど、ミスリーディングされたジーザスのドグマに関しては本当に大嫌いね。スピノザだかも言ってたように、アホな連中の手垢にまみれたミスリーディングだらけのドグマなんて間違いだらけなんだって。


こないだもさ、学校の帰りに哲学のクラスで一緒だったジョセフと会ったっつーか、ジョセフとその友達が外のテーブルに座っててさ、んで俺に声をかけてきたわけ。んで開口一番「エアフォースで一緒だったダチなんだ。こいつ」とかって友達を紹介するわけ。俺に。「エアフォース?ナイキ?」とかって思った俺だったけど、「あー!空軍ね!」って気がついたのはかなりの時間を要したね。瞬間的時間感覚で言うとね。だって「空軍仲間さ」なんて友達を紹介されるなんて思ってないわけじゃない?まぁいいや。で、雑談をしてたんだけどさ、ジョセフと、そしたら黒人のにーちゃんと白人のギターケースを持った兄ちゃんがジョセフに話しかけてきてさ、いきなり。んで「知り合い?」とかって思ったんだけど、なんかね、学校でも張り紙を見たことがあるんだけどBible Studyなるものがいろんな大学で開催されててさ、分からん、この2人が主催なのか分からないし、それがレクチャーなのか読書会なのか分からないんだけど、特に黒人のにーちゃんのほうがかなりマジでさ、ジョセフがそのBible Studyの勧誘のフライヤーみたいなのを見ながらさ「ムスリムについてはどう思う?」なんて聞くわけ。「あー出たよ!」って思ったね。アメリカの一方的な宗教観ね。ムスリムは狂ってるっつー一方的な考え方ね。実際、テロを起こすような原理主義者には本当のムスリムが迷惑しているのを俺は知っているしっつーか場所もあってかいろんな人がいるからさ、これはこっちで勉強する利点なんだけど、色々知ることが出来るんだよね。で、実際、本当に平和主義的なムスリム達は本当に迷惑してるわけ。あんなもんムスリムじゃないって言ってるぐらいだから。なんだけどアメリカのOne-Diminsional Man的な観点だと「ムスリム=テロリスト」なんだよね。で、ジョセフは直接的にはムスリムを攻撃したかったわけじゃないんだけど、明らかに含意があるっつーかさ、「あいつらについてはどう思うよ?」みたいな見下したような質問だったんだよね。それがイスラム原理主義者に関してはどう思う?なら理解できるんだけど、ムスリムについてって聞いてあるあたりがワンディメンションでしょ?で、この狂信的な黒人のにーちゃんはすんげーマジな目をしながらジーザスの偉大さを語ったりさ、ジーザスが僕らのリザレクションのために一時的に魂を体にシールドしてるんだとかさ、狂ったようなことをマジな顔でずーっと話し続けるわけ。で、話してる間にどんどん興奮してきちゃってさ、で、ジョセフが「キミの考え方をリスペクトするよ!」なんてインタラプトするまでずーっと狂った宗教者みたいに話し続けてたんだけど、俺はそれを横目で見ながらひいてたね。その場では分かったようなフリをしてたけどね。もちろん。アナーキズム!とかって書いてあるようなTシャツを着てなくて本当に良かったなって思った。


こういうまぁ行き過ぎた人はともかくとしてアメリカって本当に一次元的でさ、単純な考え方をする人がいっぱいいる国だから、革命は本当に難しいよね。革命っつーかちゃんとした社会への移行という意味での革命ね。革命っつーか改革か。こないだ有色人種が連帯して新たなヘゲモニーを確立するって書いたけど、こういうのって本当に細部を欠いた理想主義的な机上の空論じゃない?明らかに宗教の問題とか有色人種間での問題とかをオミットしてるからさ、ダメだよね。そういう意味でももっとプラクティカルに問題を考えていかなきゃなとかって思うんだけど、ああいう人を見ると絶望的な気持ちになるね。ジョセフもその友達も恐らく愛する国を守るために空軍に入ったんだろうし、ジョセフは話を合わせるとかじゃなくて、完全にこの宗教リーダーの話を聞き入ってた感じで、読書会も行きそうな勢いだったし、まぁこれだけでは判断できないんだけど、アメリカ人って大半がこういう感じだって思ってたほうがいいよね。一部のニューヨークとかボストンの知識人なんて亡命者とかさ、海外からのヘッドハンティングとかで大陸的な思想があくまで海外から直接輸入されてるだけであって、アメリカという国だけ考えると本当に単純な国なんだよね。だからキリスト教みたいな単純なドグマに染まるには適した場所っつーかさ、逆にあれなんだよ、イヴァンとかの話を聞いてても、コロンビアとかエクアドルとかあの辺なんてキリスト教の最後の土地とかって言われてるっつーか南米全般がそうなんだけど、そういう家庭に生まれてきても、宗教にマジになる若いやつなんて全然いないって言ってたからね。一応勉強としては学校の授業でもあるからやるけど、奇跡だの創生期だのを信じてる人なんてほとんどいないっつーわけ。それに比べるとアメリカって恐らくイメージとは違って進歩的なコロンビアとかエクアドルとかと比べて全然保守的なんだよね。だから一番革命から遠い国ってのがアメリカなんだよね。タチの悪いことに一番宗教だの政府だののとばっちりを受けているような貧困層みたいなのが政府とか宗教をマジで信じてたりするからね、まぁこれは自民党で言うところのB層みたいなもんなんだろうけど、基本的にポピュリズムの横行と国民の愚鈍度ってのは関係してるよね。ヨーロッパでもポピュリズムが横行してるとかって見るとさっつーかこの辺はラクラウが詳しいんだけど、基本的にどの国がとりわけ馬鹿が多いというよりかは、基本的にある一定の多くの人達ってのは政治的に鈍いんだよね。しかもフランスなんかだとさ、恐らくアメリカ以上に移民に排他的で差別的でしょ?フランスの白人とかってアメリカの白人なんかと比べ物にならないぐらいプライド高そうだからね、そういうのを俺はコーカソイ度が高いって言うんだけど、やつらはコーカソイ度がアメリカ人よりも高いんだよ。まぁそれはともかく基本的にそういう人が多いから民主主義とかって言っちゃうとさ、例えば国民の総意が民主主義をレペゼンする一般意思なんだとすれば支配的な階級の総意というのが一般意思になっちゃうよね。マイノリティの意思なんてのは反映されないか反映されづらかったりする。これがまさしくヘゲモニーなんだろうけど、こんなんじゃーダメでしょ?


だから俺は最近よく言うけど、ムフとラクラウの闘技的民主主義もいいんだけど、それよりも全体を統治する賢人政治というのをしたほうがいいと思うわけね。賢人というのはさっき書いたような国を率先していけるエリート達のことね。という意味で賢人政治を確立するためにまずは「やつら」とは別の独立したイデオロギー装置の元で教育を成す必要性があるわけ。それはアメリカなイデオロギー装置の元で育ったアメリカ万歳の青年とかじゃなくて、現状のヘゲモニーが届かないような、独立した政治機関が必要になるってことなのね。それはエリートを育てるための機関で、まぁ極めて国家にとっては危険な機関なんだけど、でもそういうところから国を率先していけるエリートが育っていけば賢人政治も不可能じゃないと思うのね。いや、まぁこれはとりあえず置いておいても、まず人々の一般意思による政治なんてのは無理ってのがもう証明されたんだよね。今は。だから次を探していかなきゃいけないんだよ。愚民に政治は任せていられないんだから・・・っていう意味で最近は俺の中でようやくホッブスが理解できるようになったんだよね。あーホッブスはこういうことを言ってたのか・・・ってのが身にしみるように理解できるようになったわけ。しかもホッブスってようやく最近「再発見された」とかって言われてるらしいけど、これってのは俺みたいに気がついた人が少なからずいるってことなんだよね。民主主義はダメじゃないっつーのに現状から気がついちゃった人が多くいるのでホッブスへの本質的な理解というのが生まれてきたわけ。勝手な俺の思い込みだけどね。まぁ簡単に書いちゃうと愚民どものニーズを尊重してばかりいたら、それは色々なものが交錯してカオス状態になるし、それは宗教も同じなので、全ての統治権を統治者に委ねたほうがカオス状態が抑えられるっていうような、極めて現実的な視点から生まれたプラクティカルな政治思想なんだよね。この辺は鈴木邦男さんの天皇論にも通ずるものがあって、なんというか政治的なものをアルチュセールが否定的に扱うような、妄想の産物としてのイデオロギーとして考えるのではなく、あくまで実践的に現実的に考えることの重要性というのを示唆していると思うんだよね。やっぱり現実的でいなきゃダメだよね。そこは特に左翼みたいなのに欠けているものだよね。ネグリみたいなのが象徴的だね。あとハートの講義みたいなのをYou Tubeの動画で見たことがあるんだけど唖然としたね。人との相互的な理解だの世界平和へ向けての理解とか思いやりみたいなものを政治的な概念としての「愛」として扱うとかいってさ、んでその後、ずーっとそのハートの考える政治的なタームでの「愛」について説明するんだけど、あまりにも理想的で非現実的過ぎて呆れちゃったね。さすがにあんなんじゃ馬鹿な左翼も騙されないだろうってぐらいお粗末なもんだった。実用性に欠けた政治的概念なんてゴミ以下だよ。創造的という意味でのイデオロギーは俺は肯定するけど、想像的という意味でのイデオロギーは否定するね。


なんかすげー話になってるな。帰国の話だったよね?たしか。で、なんでイデオロギーと統治と話になったんだろう?


とにかくまぁ鈴木邦男さんの「言論の不自由?!」という本はオススメなので読んでみてください。プチ右翼も鈴木さんのようなイデオローグに学んで右翼になりましょう。その分には俺は全く怒らないです。俺はちゃんとした右翼には一切敵意を抱いていませんので。むしろ俺みたいなやつにとっては、闘技的民主主義的段階ではちゃんとした右翼というのは良い意味でのアンタゴニストとして必須ですからね。で、弁証法的に闘技場での議論なり戦いというのが止揚されれば、それが来るべき市民社会への血肉になるわけです。そういった段階を踏むためにも、まず言論の自由というのは当然確保されていなきゃいけないことですね。ってことでまずみんなディベートをしよう。中島義道がしつこく書いているような、ソクラテス的対話をしたほうがいい。想像的イデオロギーのせめぎあいなんてもううんざりでしょ?まぁ今日はそんな感じで。何を書こうと思ってたのか忘れちゃったな。



↑秋葉のアレをテロとして考えるなら、まさしくタイムリーな本であります。まぁあれがテロだったかはともかくとして、テロとして想定して読むのもいいかも。言葉を持たない人間に言論の場が与えられるということの重要性が本当に分かります。で、そういった場が与えられるということが逆説的にテロへの抑止になるわけで、改めて言論の重要性というのを痛感させられますね。愉快犯はともかくとして、やっぱり前にも書いたようにヴァージニアの大量虐殺とかにしても、あれが彼らの表現だったわけだよね。社会に対するね。だからそれ以前に必要だったのはカウンセリングというよりかは普通の対話であったのかもしれないし、とにかく本当のキチガイはともかくとして、何かのネガティブな思念が表象してしまったというのは極めて政治的なこととして捉えないとダメだよね。被害者がどうこう加害者がどうこうというような単一的なことだけじゃなくて、もっと社会的なバックグラウンドを見据えないと事件の本質を取り逃がしちゃうからね。あ、ちなみに鈴木さんは当然、右翼のテロというのを題材に書いてはいるけど、俺が言いたかったのは、それだけではない、テロとして表象してしまった不器用な表現に対しての含意を注意深く分析する必要性の重要性というのが言いたかったわけね。