地下室で暗い現実ばかり考える。

mimisemi2008-06-29

分からないんだけどね、いきなりまぁ日本に「一時」帰国をするかもしれないんだよ。来月ぐらいにね。どの道、ちょっと用事があって今年中には帰らなきゃいけなかったんだけど、まぁ夏休みじゃないけどさ、冬休みよりかは長いわけでね、んでまぁんじゃあ帰国するかもねってことになったわけ。まぁいいや。まだ分からんから。で、AUGUST UNDERGROUND'S MORDUMなんだけどさ、改めて見てみたんだけどこれ凄いわ。病んでる映画トップ10の堂々第一位に輝くのも頷ける内容だった。


http://blogs.ign.com/Horror_Brain/2006/06/29/23243/


これって買ったのがだいぶ前でさ、たぶん発売してすぐ買ったんだけど、ニュージャージーに住んでた頃だからもうかれこれ二年前ぐらいになるんだよね。で、ちょうどすんげー落ちてた頃だったから、これ見て余計に落ちたんだよね。だからなんつーか凄いけど本当に気分が悪くなる映画としてしか認識してなかったんだけど、まぁ改めて見てみたら物凄い出来だったなって思ったわけ。スペシャルエフェクトチームっつーのが凄くてね、首をかき切るシーンとかもあのジェイソンとかの嘘っぽい感じじゃなくて、マジで生々しいのね。それこそ首が実際に切れて、そこから血が「ピュー」って出てるようなのが再現されたりして、あんまこういうのを見たことが無い人に「本物です」っつってもふつーに騙せるぐらいのクオリティなのよ。思うに上のIGNの記事にもあるように、これは歴史に残るゴアフィルムで、今後あんまこういうのは作られないだろうなぁーってぐらい強烈なんだよね。行き着くところまで行ったっつーかさ、特にレイプシーンとかはやらせっつーかマジっぽい部分多いからね。本当にサオをプッシーに挿入していないというだけで、実質レイプだなみたいなのが多い。あとスカトロとかゲロとか唾みたいな要素が凄くあって、レイプしている女に女が自分のゲロをかけつつ狂乱するとかね、で、そのゲロが本当のゲロなんで、やらせっつーかマジなんだよね。あと顔をよだれまみれにしたりとか、ゲロかけられたレイプされてる女も実際気持ちが悪くなって「オエェー!」ってなってたりして、こういうのに耐えられない人はマジで無理だね。あとメタボ女を柱に縛り付けて、んで生きたまま腹を掻っ捌いて、んで出てきた内臓を口にほおばりつつ、ウォーホールのヴァンパイア映画のウド・キアーみたいに内臓にチンチン挿入してオナニーっつーかファックするんだよね。で、「キュッキュッキュッ」とかいってさ、本当の動物の内臓みたいなのを使ってるから本当の内臓が擦れる音がしたりしてるんだよね。で、映像はこないだの短い動画みたいに全部ハンドカメラでさ、んで実際の衝撃で音が飛んでたり映像が乱れたりしてるのがそのまま作品になってるのね。まぁむしろこういうビデオカメラ感を狙うのが目的だったわけで、ホームビデオ並のローファイさとか音の悪さとか手ぶれとかが凄いんだよね。凄いっつーか素だから当然なんだけど。日本で手に入るのか分からないんだけど、メディアの影響がどうの規制がどうのって騒がれてるご時世にこれは絶対問題になるっていうような内容なのよ。これ。あ、公安委員会許可のネット通販で手に入るそうです。


http://shop.mandn.jp/shopdetail/002001000265/


良かった。こういうのまで規制されちゃうと表現の自由が無くなっちゃうからね。こういう過激な表現物を認めるってのは、それだけまぁ市民社会の成熟度が高いってことなのよ。分からんけど。タイとか台湾の場合、実際の死体写真が新聞とかに載るんで、残酷なもののメディア流通という意味だと微妙だけど、こういう創作物の輸入とか制作を認めるっつーのは基本的には必要だよね。それは差別的な言い方をすると、その辺でコカイン中毒の働きすぎのタクシーの運転手がビルに突っ込んで死んでるような国で過激な表現物が認められるっつーかほったらかしにされるっつーのと、ちゃんとした市民社会っつーか先進国みたいな監視が行き届いてるような国で監視からの許可を得られるっつーのが成熟度の証拠なのよね。まぁ証拠か分からんけど。でも分からんね、ネクロマンティックとかってドイツではフィルム処分になったんでしょ?で、ブッタゲライトは公安からチェックされてるとかされてないだとか。


でもさ、俺がガキの頃なんて残酷なやつっつーのがマジで裏っていう概念があったんだよ。ビデオ屋とかのアダルトコーナーっつーか子供が借りれなさそうなやつばっかが置いてあるようなコーナーで古いけどジャンクとかさ、事故はこうなる!とかさ、こういう本当の死体とか事故の映像とかっていうのをパッケージングしたようなビデオがあったんだけど、今ってこういう内容のってYou Tubeとかで見れるから恐ろしいよね。俺って実際の人が死んでるようなやつって映像は大丈夫なんだけど、人が死んでいるっていう悲惨さに耐えられなくて、こういうメンタルダメージの部分は本当に弱いんだよね。俺。だから表現物だったら、どんだけ残酷でも耐えられるんだけど、本当のやつだと絶対無理ね。あと解剖とかも結構ダメ。あ、でもさ、このAugust Undergroundだけど、実際の死体ビデオとかもツタヤで借りれる日本で規制されるわけないよね。むしろ日本ってのは表現の自由さでは世界レベルなわけだから、是非ともまぁ表現の自由は規制されないでほしいね。これは素晴らしいことだからね。マジで。死体ビデオといえば、実家にダビングが何本かあるんだけど、あまりに強烈なやつはやっぱモザイクがかかってたり白黒になってたりするんだよね。レイプされた首無しの膨張した死体に大量に蛆が湧いてて、マンコから大量に蛆と粘液みたいなのが垂れまくってるやつとかってのがあったんだけど、これはモザイクだか白黒になってたな。あとさっきも書いたバスの事故ね。完全にグチャグチャになってて修羅場になってたんだけど、刺激が強すぎて見せられないとかでモザイクっつーか白黒になってたような気がする。でも俺が思うにこういうのを見て精神的に有害か?っていうと全然そうじゃないんだよ。むしろ死とかレイプとか事故っていうような、普段は目を逸らしたくなるようなリアリティを見つめる良い機会なわけでさ、むしろ教育的だよね。まず人を殺したいって思わないし、事故で死にたくないって思うし、死ぬにしても綺麗に死にたいって思う。


こういうのを分かってないと例のどんなホラー映画もスプラッター映画も真っ青になるような修羅場を作り出してしまった熊本だかの農家の人の自殺みたいになっちゃうんだよ。もっと楽な死に方があるのに、あえて死に切れない割に、臭いが半端じゃないような農薬を飲んで病院に運ばれて嘔吐してそれが毒ガスになって病院テロみたいになっちゃったっつーのは本当に皮肉な話だと思う。毒ガスが発生してるのにも関わらず、60過ぎた母親は「助けてあげてください!!」なんて号泣しながらその場を離れなかったというし、死んだ息子は死ぬ前は非常に後悔した様子でもがき苦しみながら死んだらしいからね。不謹慎ながら俺はこの記事を先月だかに読んだときにゲームのLand of Deadの毒ゲロを吐いてくるゾンビを思い出してしまったし、あれが病院で繰り広げられている中、母親が号泣していて、それに巻き込まれた人も多数なんつー事実が俺のメンタル部分に凄くきたよね。こんな風になるぐらいならもっと普段から死というのを見据えて、死ぬときはちゃんとした自殺をしたほうがいいって思うわけで、俺は教育課程に死を見つめるような学科があってもいいと思ってるわけ。これって凄い効果あると思うんだよね。ドラッグでダメになった人のドキュメンタリーとかを見せたらまずドラッグなんてやりたくなくなるだろうし、中絶の動画とかを見せたら絶対、中絶なんてしたくなくなるっつーかゴムをつけてセックスをするようになるだろうし、エイズ患者の映像なんて見せたら、もっとセックスに気を使うようになると思うんだけど、こういうの一切やらないから性病だのドラッグが蔓延したり、飲酒運転とかであの世に行っちゃったりするんだよね。飲酒運転っていうのもCause and Effectを見せればあんなもん怖くて出来なくなるんだよ。あのマルホランド・ドライブのオープニングのティーンエイジャーみたいな無謀な運転の怖さね。そういうので死んだティーンエイジャーの死体とか事故後の映像見せればまず無茶な運転なんてしたくなくなるんだよね。これがリアリティってもんで、リアリティから学べる教訓ってものなんだよ。こういうのを徹底的に排除することというのは逆説的に本当に危険なのね。


前にガバガバなビッチとセックスをするということは、下水とか汚水にチンポを生でつけるようなもんだって書いたけど事実なんだよね。口の中がヘルペスだらけの売女とかさ、安全じゃないセックスなんてリスク以外のなんでもないんだよね。いや、俺が童貞である所以は、別にそんなやりたいと思わないっつーか出来ないと思うっつーリアルな考えがあるっていうのもあるんだけど、ハッスルしまくれる人達の気が知れないんだよね。どうやったらセックスが出来るのか、本当に分からん。あんな動物的な動きを人間が出来るのか本当に疑問だね。俺は出来ないな。だから理想は完全に縛られて目隠しとかされた上で徹底的に犯されるっつーやつなんだけど、こういう意味だとすんげーセックスしたいよ。俺。縛られてギャグとかかまされて一方的に射精させられたりしたいね。俺が映画ピアニストに共感を覚えるっつー理由の一つに俺が真正の変態っつーのもあるんだけどね。あれの逆バージョンが俺かもしれないとか思ったり思わなかったり。まぁあの映画へのシンパシーは半端じゃないね。そうそう、前に書いたけど難しい本チェンバーね。アップタウンに住んでるブロンドのキャリアウーマンに「これでも読んでな!」とか言われてさ、全身ラバータイツとか着させられた上でラカンのエクリみたいな本だけ渡されて密室で読み終えて内容を理解して説明できるようになるまで出られないとかね、最高だと思うんだよね。出られたらやっと女王様とプレイが出来ると思うと頑張って読むわけだけど、それを理解できない俺とか、それを無理やり読ましている女王様とか、こういう状況にすんげー興奮するよね。俺も数々の妄想を手紙にして書けばピアノティーチャーに匹敵するぐらいの長文を書けると思う。でも同じくピアノティーチャーみたいに妄想と現実は違うっつーのを思い知らされたり、まぁ俺はもう知ってたりするからさ、そのギャップを抱える寂しさっつーか侘しさっつーかさ、絶対自分の恋愛っつーか愛の形が成就しないっつースティグマを抱えながら生きていくしかないっつーのがマジで泣けるんだよね。


ところであと俺がすんげー変態だなって思ったのが、前のセメスターのヘルスの授業ね。先生はもうおばさんなんだけど、割と綺麗な先生でさ、ただ精子の説明とかするときに恥ずかしくて声が詰まったりしててさ、それにすんげー興奮したんだよね。で、精子には雑菌が多く含まれているとかっていうような説明をしているときに先生の顔に俺のパトスをぶちまけたいなとかってマジで思ったりして、俺ってどんだけ病んでるんだろう?ってあきれ果てたね。俺って本当にピアノティーチャータイプのムッツリ助平っつーかムッツリ変態だと思う。普段は割と大人しいっつーかちゃんとしてそうなんだけど、中身がマジでダメで変態なのね。SとMが倒錯しまくった形で共存しているっつーかさ、女を見てもこの人に縛られたいなって思うようなタイプと、すんげー犯したいなって思うタイプがいるんだよね。前者はブルジョワっつーか高貴なタイプな人で、後者は生意気な感じの女ね。一切挫折を知りませんみたいなタイプは俺みたいなどうしようもない変態のチカチーロ並の頼りないチンポに犯されて人生の初の挫折というか敗北感を味わえばいいんだとかって妄想のレベルで思ってるからね。だからSともMとも言えないんだよ。俺。ところでピアノティーチャーってツンデレだよね。モロに。


今日は本当にハードコアな内容ばっかでゴメン。あとあれ、俺が女王様に犯されている姿を覗きながらオナニーしているピンク・フラミンゴのコットンみたいな女の子とプラトニックラブな関係にあるとかっていうのも観念レベルで興奮するな。で、この子はコットンみたいに俺に触られることすらも嫌がるんだけど、凄まじく相愛なのね。で、俺が女王様に犯されているっていうことに嫉妬を感じながらも、そんなものを覗いて興奮してオナニーしてるっつー自分に興奮したりしているのね。この子。覗きと言えばピアニストのドライブシアターでの覗きのシーンがもう最高だよね。あの感極まって涙するシーンが本当にいい。これはストーリーっつーか撮り方もさることながら、やっぱりイザベル・ユペールブノワ・マジメルで成立しているよね。こんだけの変態だからピアノティーチャーも俺もヴァージンなんだよね。恐らく。一生ヴァージンね。恐らく。それにしてもカントって本当にいいよね。女性器の名前を持っているのにも関わらず生涯童貞だったっつーんだから。あとルソーの変態っぷりとかも最高だね。この人は極端なマゾと露出趣味があったらしい。ニーチェは女性軽蔑がありつつ、ずーっと過度なオナニー中毒だったらしいし、そういう意味だと俺は哲学の才能があると思う。頭はそこまで良くなくても、中島義道が言うような病んでいるような哲学病みたいなのを生まれつき持っているし、思い悩みこむ才能といったら負け知らずだからね。最近、だから凄く自信が出てきたのよ。学問をやるというか、何かについて考え込むというのに必要なのは頭脳の明晰さというよりかは人格の病理性なんだなって思ってさ、そういう意味だと俺ってちょー才能あるんだよね。マイナスの才能だったらマジで誰にも負けないからね。自分の欠落を埋めようとするために何かに没頭するだとか、無駄に色々なことを考え込みすぎてしまうとか、ADD的な過集中っぽい症状があったりだとか、歴代の哲学者が持っていたような変態性を持っているっていうか、誰とも話したくないみたいな自閉症的症状があったりだとかさ、何かを考え込む才能というのは桁外れなんだよね。


だからこれを続けていくために、なんとか生活の基盤を作ればいいわけで、だいぶ人生は見えてきたんだよね。今までダメだって思ってたことが全部良いことだったわけだからさ、あとは進むだけだよね。もうだからポジティブとかネガティブとかっていう次元じゃないんだよ。もうこの次元には思い悩んだり思い込んでいる自分しかいない。自分でいるということが思い悩むということなんだなって分かったから、そういう自分を否定したりすることもないし、下手に社交的になる必要も無いんだよね。まぁ元々社交的だけど、そのオン・オフモードが凄いからさ、そういうのをコントロールできれば社会とも折り合いがつくかなとか思って、若干楽になったんだよね。特に今みたいな地下という環境は考え込むには最適な場所だからね。もう3日も一切外出てないからね。ずーっと地下。地下で読書と妄想と思索ばっか。で、たまにスタバに行ってはコーヒーを飲みつつ読書なんて一時期のフランスのサルトルみたいな哲学者のスタイルで最高じゃない。そういう自分に酔っていたり、そういうスタイルでありたいと思ってマネをしているのではなく、自分がやりたいようにやるということをやっていると今みたいな生活になるというのを客観的に見れば、哲学っつーか何かに没頭する才能っつーのは凄まじいわけだよね。素で変人やっちゃってるわけだから。狙ってるわけでもなんでもなくて。これがベッキーを脱ぎ捨てた俺なんだなって思うとこれでいいじゃんって全てを肯定できるね。コンプレックスも悩みも性格も何もかも。世間体なんて糞食らえだ。マジで。自分がやりたいようにやればそれなりのスタイルが出来るっつーのを2年かけてようやく発見した感じだね。だからスタイルっつーのは真似たり作るんじゃなくて、生きることで生まれてくるんだよね。それは芸術でも同じだね。それは表象全般に言えることだと思う。今、俺が薄暗い地下に住んでいて、んでずーっと本ばっか読んでいて、んで変なことを妄想しながらオナニーとかして、んでプライベートでは全く人と会ったり話したりしないだとか、外に行くとしたらスタバで読書とかね、狙ってやってることなんて一つもないのに、こういう暗いライフサークルを見ると俺にとっては素であるということが一番素敵なことなんだよね。これが俺なんだったらいいじゃないかと。これは真似しようと思って出来るものじゃないから一種の才能だなって思うわけね。こういう生活をしているのが暗いながらも楽しくてたまらないっつーのが病んでるけど凄いなって自分でも思うのね。だから一般的にこういうのが病んでるだとか暗いだとかって言われても別に自分が良ければいいぢゃんっつーことなのね。


人が「そんなの嫌だ!」なんて感じるようなことに幸を見出せるというのは、徹底的に相対化できない幸なわけで、これは最高の部類の幸だよね。その人の主観でしかそれを「良い」と感じられないことってのは究極的な固有性であるし揺らぎないものだよね。だから誰かから与えられたイメージ的な幸なんかに幸が無いのは必然的だよね。我を通すということがここまで重要なことだとは思わなかったな。こういうのって特に日本的な風土では一番嫌われる性格っつーか生き方だからね。ってことで今日はこの辺で。

Divine Art of Torture

Divine Art of Torture

↑このToetag Picturesっつーのが相当いい感じね。Mordumもここのやつなのね。あ、んで書き忘れたけどグロいから気をつけてね。