コネリーママの奮闘。

mimisemi2008-07-13

15日に帰ることになったのね。いやーいきなりだよね。なるべく早く行けるやつっつったら15日があってね、まぁーあれなんだけど、ただ燃費が半端じゃないって前に書いたっけ?ちょっとこれでまぁ書きたいことがあるんで書くねっつっても相当短く。


なんかね、政府関係らしいんだわ。燃油が高いのは事実だけど、客に片道250ドル近くも負担させるのは異常だよね。仮にチケットが500ドルとかだったら、その半分をプラスって感じなんだからハードコアだよね。まじで。で、旅行会社の人に聞いたらね、同じ距離でも韓国行きなら燃費は80ドルぐらいで済むらしいんだよね。なんなの?これ?ちょっと気になるから後で調べてみるけどこれじゃあ海外滞在の人が日本に帰れないじゃんね?旅行会社の人も「航空券の手配はできるんですけど自分は帰れません」っつってたぐらいだよ。マジで。そんな感じです。短かったでしょ?


いやね、あれなのよ、映画見たのね。ほの暗い水の底からだかのハリウッドのリメイクで、なんで買ったかっつーと6ドルぐらいだったのと、なによりコネリーが俺は大好きなんだよね。前にも書いたよね。これ。俺ってヨーロピアンの顔立ちが好きだからあれなんだけどね、映画自体が凄く良かったっつーのがさ、基本的に原作っつーか日本版と話は当然変わらないんだけど、何が凄いかって、あのニューヨークな感じね。最初にコネリーとあの才能たっぷりの可愛い子役の子がルーズベルトアイランドに行くときにさ、「マンハッタンは街でルーズベルトアイランドは街じゃない」みたいなセリフがあるんだけど、これってすげーニューヨークなんだよね。っつーかあのマンハッタンの土地代が高すぎて、ジャージーシティーかルーズベルトアイランドぐらいしかマンハッタンにアクセスが良くて安い場所が無いっつーのも、なんかすげー生活感あるんだよね。別に自分がニューヨーカーだとかって言う意味じゃなくて、その場所独特の問題とか住んでないと分からないようなニュアンスがたっぷりなんだよね。まぁアメリカ全般かもしれないんだけど、特にさ、あのアパートの水漏れが酷いっつーか、あの管理人が全然直そうとしなかったりとか、大家に連絡してくれっつーと大家は管理人に連絡してくれっつって管理人に聞くと大家に連絡してくれだとかさ、こういう誰もやりたがらない感じとかがすんげーアメリカンなんだよね。ホームアローンの電話のシーンもこんなのがあったね。何番に繋ぎますからっつって誰も応対しないの。これってたぶんアメリカの自虐的ギャグなんだろうね。これはいつも書くことだけど、英語で理解すると違うとか、場所独特の感覚っつーのを理解すると映画が全然違って見れるっつーのはやっぱあるよね。凄く。それはまぁ逆に日本でもあるわけでね、どこでもあるわけ。そういうのは。ただ特にこのDark Waterに関しては凄く分かるっつーかすげーウケるところが多かった。たぶんアメリカ人だったらこういうところで笑うんだろうなってポイントで俺はすっかり笑えるようになってるんだよね。それはアメリカンぶってるっつーよりかは、そのニュアンスを理解しないと映画の良さが理解できないっつー部分が多いと思うと、映画の理解って個人の実存に委ねられてるよね。それは生活環境であったり経験だったりするのかもしれないけど、そこで内面的な共感が起こると、そのニューヨークの「そうそう!それそれ!」っつーポイントと同じように、「それあるある!」っつーシンクロになるわけじゃない?


で、アメリカ映画って移民社会っつーか多元的っつーのもあるのかね、たぶん映画のフックにこういった生活的共感性みたいなのを導入してくるのはそのつかみの良さだと思うんだよね。カルネのおっさんみたいなのに共感するのは少ないけど、「ニューヨークの生活」に共感する人は多いし、これは民族的なバックグラウンドが違ってもニューヨークに住んでれば感じられる共感性だから、まぁイージーだよね。凄く。それが高度になると内面的共感性ってことになってきてっつーのはさっき書きたかったことだったんだけど、個人の実存と映画の本質的内容がシンクロしてその一部の鑑賞者に多大なる感動を与えるってなわけで、そういうのが俺にとってカルネだったり死の王だったりするんだけど、安っぽい恋愛映画みたいなに人気が出るのはパンピーが安易に思い浮かべるロマンティックな恋愛っていうイメージに忠実だからなんだろうね。これはテレビの構造と一緒で安っぽいものであっても多くの人が共感を得られるものを作るってなわけで、まぁポピュリズムだよね。まぁんでアメリカ映画っつーのは歴史的に見てもなんつーか生活に根ざしたようなフックを使うのが上手いっつーか、だから逆を言えば内容がたいしたことなくてもヴィヴィッドな日常生活の描写次第ではどうにでもなるっつーか感情を操作できるんだよね。それこそ「あるある」なのよ。今あんま見なくなったけど、あるある探検隊ってそうだよね。それを映画でやるとアメリカ映画になる。


まぁただね、コネリーのやつはそれ以外にもいっぱいいいところがあってっつーのもまずコネリーの演技がいいね。この人はオーバーグラウンドになるよりもこういう映画に出てひたすら酷い目にあったりするほうが輝いてると思う。それはレクイエムフォードリームを見ても凄く思うよね。なんつーか幸の薄いママの役が凄くいいっつーか、コネリーのママっぷりが凄くいいし、何より子役の子が凄い。この2人で持ってるような映画だね。これは。それを言うとまぁ日本のほうも黒木瞳で支えられてる部分は大きいんだよね。まぁいい映画って大半がそうだけど。で、このDark Waterなんだけど、家族愛の欠落と重要性とかね、原作に忠実なテーマはあるんだけど、それよりやっぱ日々の生活のキツさに尽きるね。コネリーママはいい仕事が無いし、マンハッタンは家賃が高くて、ルーズベルトアイランドの精神病院みたいなアパートしかない。で、父親はPen StationだかニュージャージーのPathからFトレインなんて一時間かかる!なんてキレてたりさ、こういうディティールが恐らくニューヨークに住んでる人を笑わせるんだと思うんだけど、なんつーか社会派なんだよね。映画自体が。ニューヨークの住みづらさと結婚のリアルな結末と育児の大変さと経済的閉塞と・・・みたいな感じで、そういうリアルを考えると、貯水タンクの中で死んだ女の子の亡霊なんてどうでもよくなるぐらいキツイんだよね。それは凄くいいわけ。絶望的なシングルマザーを描いているという意味ではこれはピカイチ。それを描くのにニューヨークというロケーションを選んだのもベストだったと思うし、あの管理人のダメっぷり加減とかね、すげーいいんだよね。どっから来たのか分からないけど、とりあえずネイティブじゃなくて、んでも20年もずーっと管理人やってるとかさ、ふつーにニューヨークでありそうな感じなんだよね。なんつーかだからさ、映画見てても原作っつーか日本版みたいなさ、死んじゃった女の子へのシンパシーとかさ、親子関係の重要さにジーン・・・とくるっつーよりかは、これの場合、コネリーママの悲惨っぷりと日々の生活の面倒臭さっつーさ、それに尽きるし、その描写がピカイチなんで、あんま原作とか関係ないなっつーね。まぁいいや、とにかくコネリーママ凄くいいです。


あとね、こっちでずーっと廃盤だったロストハイウェイを買ったんだけど、これもまただいぶ前に見て以来、全然見てなかったんだよねー。久々に見た感想はっつーと相変わらずデヴィット・リンチだなっつーか、基本的にマルホランドドライブと構造は一緒だよね。何かがパラレルに進行しているんだけど、どれが真実で、どこがどう繋がってるのかがさっぱり分からないっつーね、この曖昧な繋がりのボーダーラインがリテラルにロストハイウェイの場合、あのハイウェイで、マルホランドの場合、マルホランドなんだよね。この場が何かのリンクになっていて、物凄い出来事同士を繋げてるっつーさ、その繋がりの部分を明らかにしてないあたりがまたリンチらしくていいんだよね。鑑賞者に委ねてるところがあってそこがいいんだわ。マルホランド・ドライブに関しては前に書いたからそれを読んでみて。いつだったか忘れたけど。


勝手な思いつきで適当にロストハイウェイを分析すると、あの自動車工の兄ちゃんとサックスプレイヤーの繋がりってのは両者の不全なんだよね。サックスプレイヤーはリテラルにEDで性的に不能なんだけど社会的には成功していて富も名声もあるのね。一方で兄ちゃんはプッシーが何個あっても足りないぐらい性的に完璧なんだけど、イマイチ貧しいっつーかなんつーか先行きが分からない感じなんだよね。で、この性的不能というの媒介しているのがサックスプレイヤーの妻であり、アリスであるわけね。ルネもアリスも同一的なペルソナが二つに分かれたような存在と言えるし、それはサックスプレイヤーと兄ちゃんも一緒なのね。後者はペルソナというよりかは肉体的・精神的・社会的不全の埋めあいという意味で相互的な関係なんだよね。だから体が入れ替わるというのもメイクセンスなわけ。両方が全く逆になっても全ては繋がっていてそれが必然的に性の象徴とも言えるルネとアリスに帰結するんだよね。だからアリスは兄ちゃんとの浜辺の熱いセックスの合間に「You can never have me」といってログハウスみたいなのに戻っていくでしょ?で、いなくなっちゃうんだよね。これは男性の性的不能を象徴的に表しているよね。その兄ちゃんとサックスプレイヤーの調停役をしているのがあの真っ白な顔のあいつね。まぁこいつは全能の象徴とも言えるしただの死神とも言えるんだけど、基本的に役割的にはマルホランドドライブのカウボーイみたいなもんで、意味ありげでそこまでそうでもないっつー、違う次元を行き来する異界的存在っていうだけなんだよね。だからつじつまとか意味とかを深く求める必要はそこまでないのね。まぁこんなところかな。基本的にリンチってリンチモデルみたいな映画作りの手法があってさ、そのフォーマットに忠実なんだよね。凄く。ある意味でスタイルが確立してるんでアヴァンギャルドに見えて意外とそうでもないっつーね。でもまぁ俺は大好きだけどね。


あとまだ映画についてあるんだけど今日はいいや。この辺で。とりあえず帰るからね。近々。16日にはそっちに着くんでよろしく。オススメは繋がらないんで今日はなしで。