ニート、パラサイト、プロレタリア。そのさん。

mimisemi2008-11-29

では続きです。


で、裁判員制度についてついでだから書かせてもらうけど、基本的にまぁあれは俺が予想してたよりガタガタなことなんだよね。最初はね、市民社会としてはね、一人一人が政治なりなんなり社会的なことにコミットしていくっていうことがまぁある意味で民主主義的なわけでさ、いいことなんじゃないの?とかって思ってたんだけど、内容がグダグダなんだね。無理がある話ばっかで、なおかつ肝心のね、裁判を経験したということが社会に活かされるようなシステムってのが全然無いんだよーっつのは個人的に候補者が呼び出されて、んでそこであったことは門外不出になっちゃうんで、議論が生まれないのね。「どうだった?」「こうだったよー」「色々考えさせられたよー」って会話があり得ないんじゃ全然意味がない。あるのはただの無駄なことだよね。無理矢理人を引っ張ってきて、無理矢理仕事を押し付けて、んで終わったらこのことは極秘にっつって終わりなんて全然意味ない。まぁただこれは俺が最近、通奏低音のように繰り返すような民主主義の大まかな問題なんだけどね、それは俺が繰り返し言うような、パンピーに政治は務まらないっていうのが裁判員制度では象徴的に表れるよね。


っつーのは裁判員っつっても裁判について無知な人が判断できるのか?って話になる。で、そこにあるのは恐らく内部での誘導的な判決だろうしね、明らかにおかしいことを無知な人々は裁判官なりなんなりが言ったことを鵜呑みにしちゃって、体制寄りのジャッジとかをしちゃうなんてことにもなりかねないんだよね。これはまさしく民度の低い連中がポピュリズムに動員されるような力学と同じことでしょう。政治的に無知な人達はなんとなく雰囲気でことを決めるんだけど、実はそれが国民の全体の生活に関わることであったり、下手すれば人の命に関わることかもしれないのに、無知な人達はポピュリズムに誘導されて票を入れたりしちゃうんだよね。そういう意味で各国のポピュリズムの横行を見ていると、民主主義なんてのは基本的にはやはり衆愚政治なんだなということがよく分かる。人々に政治は務まらないし、例えば経済的な政策の有無にしても、経済学を知らない人達にそれをジャッジしろと言われても無理なことなんだな。だってそれは分からないんだもん。裁判員制度も同じなんだけど、これがタチが悪いのはね、重大なケースとかの悲惨な写真とか話とかをさ、全然関係ない人達が一方的に聞かされるわけよね?しかも仕事とかを休んでさ、強制的に時間が束縛されるんだよね。これって荷が重過ぎるよね。


で、後にその経験が社会的な積み上げに還元されるということが守秘義務だかなんだかの徹底によって不可能になってるんじゃ、そこにあるのは裁判員を努めた人の精神的ダメージと身体的疲労だけだよね。全然意味ない。そもそもデカイことは人々には務まらないんだってことを考え直さなきゃいけないね。それは政治で俺が散々書いていることだけど、プロフェッショナルでもない人に政治を聞いたところでそんなの分からないんだよ。今回のアメリカのオバマ当選にしたって大半の人はオバマの具体的な政策については知らないだろうし、大統領がオバマになることで出てくる新たな外交的な問題なんて気にしないし分からないでしょう?でもまぁ今回はあの振り子というかさ、ブッシュという大バカものがいたおかけで、まぁ歴史が繰り返すようにリベラルの波が押し寄せてきたわけだけど、実際はただの雰囲気ね。アクチュアルな政治を考えた時だったら、まぁマケインが良いわけないんだけど、今更になるけど政策的なことだったらヒラリーのほうが良かったかもしれない。まぁ俺は前に書いた人種的なことで今回はオバマの当選は最高だと思うんで、これは手放しで褒めるんだけどね。


ただ国民の政治ってそんなレベルよ。雰囲気と恣意的な考え。そこにシステマティックでリアリスティックな政治の概念は無い。政治はでもいいよ。無知でも一票入れればあたかも市民の義務を果たしたように振る舞えるんだから。ただ裁判員制度の場合、下手すれば人の生死をジャッジしなきゃいけなくなるかも分からないわけでさ、その責任というか重みのレベルが全然違うんだよね。いや、さっきも書いたように政治的な一票でも、その背後にある政治的なことを考えれば、その一票が国民の生死を分けるような物凄いものかもしれないんだけど、まぁ大半の人はそれを知らないんだよね。でもそれはなんとなくの一票で済む。ただ裁判員の場合、なんとなくじゃ済まないんだよね。分からないけど、とりあえずこのムードでは有罪でしょうってことで死刑になったりしたらさ、その人のジャッジは死刑なんだよね。それって架空で丸山風に言うところの擬制デモクラシーにおける一票と重みが違うんだよね。両方とも形だけのものと言ってもやはり個々人の精神的ダメージとか重荷を考えると、やはりそれがそのリスクを背負ってでも市民社会に貢献するようなベネフィットでも無い限り、全くそれは意味が無いことだね。


ではこれについてのまとめ。裁判員が国民に務まらないし、義務にしないと国民が参加しないというのは、最初から政府も国民の自発的な行動なんて念頭に入れていないというのを前提にして考えているわけだね。俺がSOHOのちょっと大人びた洋服屋に行くと買わないだろうとか思われて店員から相手にされないのと同じね。政府は国民を相手にしてない。だから義務化する。で、義務化したところでそれは無知な国民には務まらない。擬制デモクラシーでもそれは同じ。国民の一票が世の中を変えるとか言われている割に、それらの大半の一票は無知な人達の雰囲気によるもので、例えばマケインよりかはオバマのほうが良い!というような単純な選択によるものが大半なんだよね。それがあるからこそ擬制デモクラシーは回り続けるわけだ。だから力学的に例えば自民党なり公明党がアホな国民相手にお金のばらまきを行って支持を得ようとするような、舐め腐ったやり方に象徴されるかの如く、権力者が擬制デモクラシーを通して彼らのアジェンダを維持させるためには、無知な国民の投票を稼ぐ必要があるんだよね。ってことで上手いことって騙すのが一番ってことになる。そこで国民に政治的なセンスや考えがあるなら安易なポピュリズムなんかに動員されないはずなんだけど、世界各国でのポピュリズムの横行を見ると、もうその各国の国民達のダメさ加減というのは目に見えているね。政治が多数決で決まってしまう以上、馬鹿が多い国ほど馬鹿な政治が横行するという結果になってしまう。典型が日本だし、ブッシュ政権なわけだね。彼らのその一票が大量の非正規雇用者を生み出すだとか空爆の被害者を生み出すだとかってのを全然分からずに投票するのがアヴェレージな国民なんだよ。だから政治は彼らには務まらない。だから国民にそういうのが務まらない以上、裁判には結局プロフェッショナル達が必要になるし、それと同じく政治にもプロフェッショナルが必要になる。で、さっきの話のまとめになるけど、エリートの育成はその政治を担ってもらうためのエリートの育成プラス市民エリートの育成ね。エリートによって行われている政治を常にチェックする市民エリートの存在ね。そういった社会と政府との関係性があって民主主義が成り立つというはさっき書いた通りね。


ムフやラクラウには悪いけど、俺はある意味でギリシャ的な共通善をヘゲモニーとする政治的主体とアソシエーションが必要だと思ってるんで、この辺は彼らとは全然違うわけね。考えが。なぜならムフやラクラウ的な多元的民主主義は簡単にポピュリズムによって、その多元とされていたものがだんだんと固まってきて同一になっちゃうのが目に見えているんだよね。ムフやラクラウは全ての国民は政治的主体であるといったような、俺が理想とするような政治哲学が必要になるような市民社会の上での話のことなんで、今の例えば日本みたいな成熟していない市民社会にとっては彼らの議論は適用されないんだよね。まだ段階が早いっつーかなんつーか。逆に市民社会が成熟していれば、そこでやっとラディカル・デモクラシーが成立するわけね。ただ俺が言う共通善のヘゲモニーというのは、抽象的な言いかたになるけど、ディーセントなポリティカル・コレクトネスを持った政治的主体とアソシエーションね。それが一旦ヘゲモニーになった後で、そのサバルタンによる新たな陣地戦やアゴーン的民主主義が生まれて、それが永遠と続くならそれでいいわけ。そこに合意形成を目的とする政治なんてのは無くなるんだよね。ただ支配しているのは、最低限のポリティカル・コレクトネスを持ったエリート達ってことね。まぁ簡単に言えば腐敗してない政府ってことだ。で、さっきも書いたような腐敗を監視するエリート市民の存在ね。そういった市民達によって多元的な社会が築き上げることが出来れば、それは本当に文字通りの成熟した市民社会になるわけだけど、まぁ結局、俺が散々書いてることって選民主義だよね。ムフ・ラクラウはドッグヴィルをも政治的主体として扱うわけだけど、俺にはそれが出来ない。それはさっきのルームメイトの話と通じる話だけども、彼らの政治もクソもないんだよ。だって政治を暇人のやることだなんて言うやつらに政治なんて任せられないし考えられるわけないでしょ?


だからやっぱ政治ってのはエリートがやらなきゃダメなんだよ。残念ながらスターシップトゥルーパーズみたいな話になってしまうね。なんだったっけあの市民とレジデンスの違いだっけ?で、軍に入ると社会の一員として例えば投票権を持つような市民として国から扱われることになるんだよね。まぁすんげー選民思想だけど、人間の能力の不平等性を考えるとこれはしょうがないよ。だから俺はホント、投票なんてのも免許制にするべきだと思うし、政治的主体になるということ自体にある種の苦労とか教育を必要とさせるわけだよね。ただその選ばれた免許のある政治的主体が票を入れるなり政治的なコミットをする際に、例えばコミュニティでランシエール風に言うなら言葉を持たない人達の意見を聞きつつ、それを考慮しながら自分の政治的判断をするっていうね、各地域に色んな政治的レプレゼンティヴがいるっていうね、それは政治家じゃないんだけど、政治的ロゴスを持った市民として、政治的主体として存在するっていうね。もちろんそこでコミュニティなり近しい政治的ロゴスを持たない人達の意見を聞くも聞かないもその主体次第なんだけどね。まぁ逆説的に言えば言葉を持たない人達がなぜ持たないのか?というと、それは彼らが前のルームメイトやドッグヴィルの連中程度のレベルの人間だからなんだよね。逆にその政治的ロゴスを持った市民に対してサジェスチョンなりなんなりが出来るぐらいの政治的ロゴス(政治的主体としての免許なり社会的な認証)を持たない市民がいたら、その市民はとっとと免許を得るべきだろうし得るに値するよね。だって政治的ロゴスを持ってるんだもん。いや、俺は全然右とか左とかは気にしないよ。政治的なものを考察する能力がある人にだけ投票権を持たせるべきっていうことね。まぁ全然民主主義じゃないけどね。でもまぁある意味で究極の政治的アソシエーショニズムだとは思うんだよ。少なくともその成熟した政治的ロゴスを持った市民達にはプロパガンダや一連の俗悪なポピュリズム的手法なんて通用しないわけだからさ、投票者がより本質的で政治的なコミットメントを保持していると言えるよね。


・・・ってことで驚いたことにまだ続きます。こんなような長い1エントリーの書きだめというか掃き溜めがまだまだあります。なので当分はハイペースで更新をしていくので楽しみにしておくれやす。

民主主義と支配

民主主義と支配

↑現代政治哲学思想の超凝縮版って感じ。素晴らしい。

前にブラックレボリューションのことについて書いたけど、思うにアメリカでさ、ブラックレボリューションが起こればいいと思うんだよね。まぁ贔屓めに見過ぎかもしれないけど、ブラック達ってのは気が遠くなるほどの長い抑圧の歴史があるんで、被差別側とか被抑圧側の気持ちが痛いほど分かってるんだよね。なので頭がいいやつになると、かなり左翼的というと変だけど、かなり反抗的な態度を持ってたりする。それはギャング的な意味ではなく、被差別側としての反抗心ね。それがまぁヤバい方向に行くとギャングになるんだけど、ブラックがヘゲモニーを握ればね、マイノリティの主権の確立というのが不可能でもなくなるんだよね。ようはブラックがマイノリティーをレペゼンして、で、そのマイノリティーによるヘゲモニーの可能性というのを示した後、他のマイノリティのヘゲモニーもまた立ち上がるみたいなね、だから思うにアメリカにおいてはカウンターヘゲモニーとしてのブラックヘゲモニーって相当有効だと思うんだよ。それが俺がアメリカにいていつも思うことね。ようはブラックに凄い可能性を感じるわけね。そんな意味でも今回のオバマ当選に関しては俺にとってはシンボリックな出来事なのね。