平等という勘違い。そのに。

mimisemi2008-12-11

いやーやっぱ英語の授業は酷い。今日なんてさ、英語のクラスの最終ペーパーの締め切りだったんでほとんどそのために行ったようなもんなんだけど、唖然としたのが授業をやらずに最終試験の話だけでんで解散だったってことね。で、呆れたのがこの台詞。「何もAを取る必要は無い。パスすればそれはペイオフだ」ってことなんだけど、まぁつまりはパスすればそれが単位という名の報酬になるんで、パスできるぐらいの準備はしておけってことなんだけど、本当に酷いよね。授業もあれから何回も図書室行きだったり休みだったりして、まともに授業をやったのは半分以下だよ。三分の一も無いかもしれない。で、俺のペーパーも直したやつは全部Cだし、この調子だと良くて成績はCだろうなぁー。今セメスターは本当に無駄だらけだった。つまりはモダンアートの授業以外は全部クズだったってことだ。で、モダンアートは最終ペーパーが明日戻って来るんだろうけど、まぁまた色々文句を言われるんだろうけど、アートのクラスは先生が好きになれなくてもちゃんとした授業をやるんで良いんだよね。成績が低くてもいい。授業をやってくれているから。それに比べて悪夢のスピーチとフレンチはもう散々だった・・・・ってのは前にも散々書いたけど、英語もこんな感じなんで、もう今セメスターは無駄だらけよ。マジで。まぁせめて単位がもらえればいいんで、英語はパスすればまぁ完全な無駄ではないんだけど、ただなんつーか学校が単位を売るみたいなシステムっつーか思考ってどうなの?って気がするよね。授業をやってほしいよ。マジで。大体のクラスがさ、単位を取るための試験をパスするためのエントリーなんだもんね。ようはそのクラスに入って宿題やらテストを受ければ単位がもらえますっていうような労働に対する報酬みたいな形態になっていて、肝心の授業はどうでもいいのばっかなんだよね。あまりに酷くて自殺したいような気分になったので、何か気を紛らわさなきゃと思って、んでゲーム屋に行ってペルソナ4を買おうとしたんだけど、さすがにもうゲームはやめるかってことでさ、もちろん残高も無いしね。


でもやっぱ悪い癖でまぁ日系のスーパーに行って意味の無い外出に意味付けをしたんだけど、気を紛らわしたいんで「見るだけ」と思ってまた例の本屋に行っちゃったんだよ。そしたらもうダメだよね。まぁ高い本は買わなかったけど、結局、本を3冊ほど買ってしまった。師匠1のエッセイ集っつーか英語では読んだことが無かったし、最近は読解力がマシになってきたんで読めそうだったんで買ったのと、あとは前に買ったけど読みづらくて読んでなかったアリストテレス政治学の別の割と読みやすいエディションのやつと、あと極めつけはロールズの政治哲学講義集ね。ロールズがハーバードで教えていた講義を本にした内容で結構分厚い本なんだけど20ドルぐらいだったのねっつーかさ、なんか本当に学校って意味無いよね。本屋に行けば自分の勉強したいことが勉強できるし、高い授業料やら死にそうな宿題とかに惑わされなくても、例えばこのロールズの講義集みたいなやつが20ドルで買えるんだったらもう学校行く意味無いよね。政治学者としてのロールズはともかく、まぁこの人は優秀な人だし、この人の政治哲学の講義が紙媒体になってるなんて感動じゃない?ロールズって日本で言うと丸山真男みたいなもんだよね。まぁそれはともかくゴミカレに何十万と金を使ってさ、で、その一方で肝心の勉強の部分は自主的にやれば20ドルで済むなんて皮肉だよね。家に籠って読書してればいいんだから。むしろ学校行くのって意味無いんだもん。労力を使うし電車賃はかかるし時間もかかるしなんら得なことが無い。だから行く動機といったら学歴のためなんだよね。だから俺が学校に教養みたいなものを求めようとするとKYになっちゃう。ちゃんとした教養を身につけたいならちゃんとした大学に行けってことだね。


例えばニュースクールなんかのカレッジレビューを見てるとさ、「高いけど授業が面白い!」とかって書いてあるのね。経済力のある私立の学校みたいなのが色んな大学から著名な教授とか優秀な教授をヘットハンティングするっていうのは有名な話だけど、そうなると中ぐらいとか下ぐらいの大学って残りかすみたいなのしか残ってないってことなんだよね。ようは売れ残りって感じ。中国産の野菜みたいなもんだな。安いんだけど体に悪いみたいな。ちゃんとした野菜が食いたいなら国産を買えってことなんだけど、これを教育に当てはめるとアメリカの場合高過ぎるんだってば。まぁあと俺の英語力不足も深刻だしね。授業を受ける分には問題ないんだが、エッセイとかやらなきゃいけないとなると書くのがまだ全然ダメだからダメなんだよね。だから普通のレベルの学校に入っても恐らくやっていけないと思うんだけど、そう考えると留学って本当にリスキーだよね。英語がまともになるまでの時間と労力と経済的負担が凄過ぎる。逆にそういうリスクを背負ってでもやる価値があるならいいけど、日本でもやれなくなかったら絶対日本の学校に行った方がいいなって最近は思っちゃうね。アメリカの学校っつってもある程度のところに行かないと日本のダメ大学みたいなのと一緒なんだろうなって思うしまぁ実際そうだと思うんだけどね。ある程度のところに行くには何が必要か?っつーとやっぱ金だよね。あとは凄まじく優秀で英語力があるなら奨学金をもらうとか、入っちゃえば授業料がタダみたいなエリート育成をしているような大学に入るかだね。俺にはどっちもないんで今の俺がどんな文句を言おうとも無いものねだりになっちゃうんだよね。これは完全に俺が悪いんだけど。学校のせいには出来ないね。だってそれを選んでるのは俺だし、そこから抜け出せないのも俺の英語力のせいだからね。


でもやっぱいくら下の学校とはいえ一応授業はやってほしいよね。台本の棒読みとかでもいいから授業をやってほしい。今回の例のスピーチとフレンチと英語なんてどれもこれも全くどれ一つとしてまともな授業やってないからね。一旦気が滅入って来ると最悪なサイクルに入るね。マジで。で、それから逃げるためにゲームとかエクリチュールに向かう。完全に不健全だな。最近俺って相当暗くなったと思うんだよね。鬱状態ってわけじゃないんだけど、もう家から出たくないもんね。学校に見切りをつけちゃったんで学校に行く意味みたいなのも見いだせないっつーかまぁステップとして考えればまぁ行く必要があるし、一応は行ってるんだけど、やっぱ今までがまぐれの連続だったなって思っちゃうのね。可愛い子がいたり良い先生がいたりして学校が楽しかったんだけど、いやー今セメスターはヒドかったな。マジで。あとあれなんだよね、悪循環なんだけど、例の日系のスーパーがあるところがヴィレッジなんだけどNYUがあるところなのね。駅の名前もNYUだし。で、そこを通ると出が良さそうな生徒が校舎のビルの前に群がってたりするんだけど、もうそれを見る俺の目はルサンチマンそのものだね。「けっ!なんだよ、ブルジョワ学校が!」みたいに思っている自分が相当情けない。自分も留学していてプチブルっぽいくせに、自分の英語力とか語学力の無さでコミカレにいるしかなくて、その怨念を良さげな大学に向けてるってルサンチマンそのものだよね。まぁどの道、年に250万も学費だけで払えないんで英語力の問題が解消されてもNYUなんて間違っても通えないけどね。


まぁでもいいんだよ。俺には本があるから。ロールズの講義がホイポイカプセルに入ってるとかって思えばいいんだからね。まぁ実際そうだしね。この本以上の政治哲学の講義なんてその辺の大学じゃやってないだろうしね。そう思うと結局、社会へのエントリー資格を買うという意味以外での学校なんてほぼ意味無いんだから、やっぱ俺にはやれることをやるしか方法が無い。だから結局、読書が一番なんだよね。自分のペースで勉強するのが一番。まぁ勉強っつーか哲学とか政治とか社会学みたいな学問は俺にとっては趣味なんで、ゲーム−読書みたいな趣味のサイクルを繰り返していればいいだけなんで楽だからいいんだけど、まぁ問題はお金だよね。ってことで当然自立しなきゃいけないってことで、まぁ仮にアメリカでやっていくにしても最低大学ぐらいは出ておかないと話にならない。ってことでどんなに無駄だろうが学校に行くしか無いんだよね。すんげー鬱だな。マジで。自由だー!なんて感じるのは最初の数年だけで、慣れてしまえばここにあるのは結局、社会という監獄なんだよね。いかに妥協してその中でやっていくか?という方法を模索することがメインの目的になっちゃう。


そういえばまた鬱なのがさ、地下鉄のカードを買う時にまた合法詐欺にあったんだよ。日本じゃ考えられないけど、まぁ分かりやすくスイカで説明するとだね、スイカに4000円分入れたのにお金が入っていませんでした。レシートも機械の都合で出なくて駅員に行ったら「証明を見せろ」って言われました。レシートが無いんで証明できるわけないってことで、結局、後日地下鉄の会社に直接メールなり手紙をして自分で解決するしかないってことになりましたって話なのよ。去年にも同じことがあってあれで懲りたはずなのになぜ今回またこんな合法詐欺にあってしまったか?っていうと、もうあれ以来、メトロカードはレシートが出ないところでは絶対買わないって決めたんだけど、最悪なのが今回はそんな表示すらも注意書きすらも無かったんで買っちゃったってことなんだよね。どうよ?これ?スイカに4000円チャージしてお金が入ってなくてそれを自分で解決するしかないって考えられないよね。ニューヨークに来れば分かるけど、地下鉄のメトロカードを売ってる機械とか全然メンテナンスされてない感じでボロいんだよ。クーロンズゲートの邪気が多いところにある端末みたいに磁場で歪んだような画面になってたり、画面の色がおかしかったりしてさ、で、俺が今回買った機械もそんな感じだったんだけど、早く直せよって話だよね。よくあれを放置しておくよな。日本じゃちょっとした騒ぎになるよね。こんなの。だって端末が合法的にカードから金だけ盗むわけじゃない?そんな機械が放置されてるなんて考えられないよね。


で、ニューヨークは一応まぁ比較的労働組合が強いんで、賃上げのストとかで電車が全部止まっちゃったりなんかして、んで結局、電車賃が上がったりなんかする。適切なサービスがあればそれはそれでいいんだけど、あれで賃上げとか言われてもなぁー・・・・。まぁ日本のJRとかってロンドンの地下鉄並に高いんで、そんなのに比べたら全然マシなんだけどね。今回の損失というかまぁ去年みたいに取り戻すつもりだけど、40ドルって日本で言えば俺の地元の茅ヶ崎から東京まで2日往復したらもう40ドルだもんね。まぁ比較してもしょうがないか。ただ単純に思うのは電車賃って安くなれば、例えばちょっと頑張って都内までバイトでも通うって人多くなると思うんだよね。ようは職場がカバーできる交通費内のレンジが広くなるじゃない?そうなると横浜から東京にバイトでも通うとかって可能だよね。まぁバイトじゃなくても、単純に交通費が安くなれば郊外から都内への移動が増えるよね。それは引っ越しって意味じゃなくて、単純に都内に何かをしにくるってことね。テロとかじゃなくてね。こっちで言えば住まいはジャマイカでクソみたいな街なんだけど、職場はマンハッタンみたいなね、そういうのってあるじゃない?交通費が一律で2ドルちょいとかだとマンハッタンまで行くのとかって仮に1時間近くかけてもジャマイカにいるよりマシだから移動するよね。日本の場合、交通費が高いからそれが無理だよね。ってことで郊外とか、もっと言えば地方の人達はにっちもさっちも行かなくなっちゃう。移動できないんだもんね。時間さえあれば移動できるって選択肢があるだけでも全然違うと思うんだけど。


もうすでに長いけどってことでここからは昨日の続きです。


だからね、やつらはレイジーだとかアホだってマジで言えるようになるような社会というのはある意味で健全なんだよ。つまりは個々のさじ加減でチャンスはいくらでも掴めるという社会であったら、そのチャンスを掴まずにゴロゴロしているやつらは正真正銘のレイジーな連中だという風に言えるわけじゃない?でもね、ゴロゴロしている人達がレイジーに見えても、その実態を見るとにっちもさっちも行かないようなバックグラウンドがあるということになると、そのゴロゴロ生活を一概にも否定できなくなるわけだよね。それは個人の努力云々以外の要素が介在しているわけだから、それだけでは判断がつかない。ただみんな平等だという風な建前を当たり前のものとして受け止めていると、そういうような考え方は出来ない。ロードアイランドで一緒にホームステイしてたロジャーっているじゃない?台湾人の。


まぁ個人的にはあいつとは仲が良かったし今でも好きだけど、鼻持ちならなかったのがね、ロジャーは凄まじいボンボンなわけだけど、彼が言うに「金が無い人達はレイジーだから金が無いんだ」って真剣に言うわけよ。恐らく親父から似たようなことを言われて育ったんだろうね。でもロジャーの生活を見れば明らかなようにロジャーは明らかなニート体質を持った人間でさ、家ではゲームばかりやっているし、ロジャーの話だと、キャビンアテンダントのガールフレンドもロジャーのゲーム中毒に嫌気が指して、それが原因で喧嘩になったこともあるぐらいらしいんだけど、でもロジャーがアメリカで留学生活を謳歌しつつディーゼルの300ドルぐらいするジーンズを平気な顔をして買えるのもさ、全部親の経済的なバックグラウンドのおかげじゃない?まぁ経済基盤のレベルは違うけど、俺も似たようなもんなんだよね。俺は贅沢できないロジャーって感じかな。親に支えられているから今の生活が成り立っているということから見れば状況はロジャーとたいして変わらない。


このロジャーの物言いってのは明らかにブルジョワチックな貴族的判断価値によるものだよね。彼らは金があるから色々なチャンスがあるというのを知らないんだよ。だからチャンスが無い人達を努力しない人達扱いするわけ。チャンスが無いのとチャンスを活かさないってのは凄まじい差があるからね。逆説的な言い方をしちゃえばね、経済的なバックグラウンドがあるニートってのはなんでも出来るんだよ。世界を放浪とか言ってさ、冒険家ぶったようなことも親の経済基盤によってできるかもしれないし、全然儲からないような趣味丸出しのビジネスに見えるようなビジネスを立ち上げられるかもしれない。自主レーベルとかイベントオーガナイザーとかさ、全部は親の経済基盤によるものなのにも関わらず、彼らはそういう活動をあくまで彼らのものとするわけだよね。これは凄まじい勘違いなんだよね。裸一貫でイベントをオーガナイズしている人と、親の金でイベントをオーガナイズしている人とでは雲泥の差があるわけだよ。でも皮肉なのはね、イベント自体にそういうバックグラウンドは関係しないんだよね。裸一貫でやっていてもイベントがクズじゃしょうがない。親の経済基盤を得て豪華な質の高いイベントをやれたほうがイベントとしては良いわけだよね。でもそんな経済的背景を客も出演者も気にしないじゃない?ここに皮肉があるんだよ。ボンボンが趣味でやってるのと、土方のバイトをしながら必死にイベントをオーガナイズしている人でも、結果はそのイベントの質で見分けられてしまう。だから例えば赤字を覚悟できるからこそ実現できるような、例えば出演者が豪華なバブリーなイベントとか、レンタル料が高いような場所で出来るとかさ、金があるからこそその質も金で買えるみたいな状況だとどうなると思う?これは資本主義の鉄則だけど、金があるもん勝ちなんだよ。その人の能力とかに関わらず、そこそこのものなら教育でも仕事でもイベントでもレコードでも出版でも、金があればなんでも買える。質はともかく実現なら金さえあればなんとかなることが多い。だから金持ちが有利になるわけだよね。金が無い人達はリスクを背負ってまでイベントのオーガナイズは出来ないし、クソ高い学費の学校に借金してまで行ったりできない。まぁ行ってる人大勢いるけどね。アメリカだとね。で、大学終了後何十年とかけて学費の返済をするみたいな人達っていっぱいいるんだよ。まぁ平均的に見ればアメリカの学生って日本の学生より貧乏だからね。


まぁそれはともかくだな、これは元相方が言ってたことで確かじゃないんだけど、青木なんたらっていうさ、ツジコとかと一緒にやってるやつがいるんだけど、ニートみたいなやつらしいんだよね。でも経済的に恵まれてるんで、フランスに住んでいて、んでエレクトロニカの真似事をしてるみたいなさ、こいつの場合、アーティストとしての素質はたいしたことないんだけど、経済的基盤があるんで、例えば人よりちょっと秀でたような部分を伸ばすことが出来るんだよね。労働無しで機材が買えるし、良い環境に住めるし、いくらでもレコードが買える。こういう裕福な状況ってのがリッチな制作環境を生むんだよね。だから哲学者とかアーティストってのは昔からそうだけど相場が決まっていて、リッチかパトロンがいたか糞貧乏かのどれかなんだよね。特に哲学者は本当に酷い。時代背景もあってか、まともな教育を受けられる人なんて限られていたから、100年前ぐらいからもっとそれ以前の哲学者とか学者ってのは大抵が経済的に
恵まれている家庭に生まれているんだよね。恵まれていない環境に生まれたらどうか?教養の無い親からは何も学べないどころか悪癖を学ぶかもしれないし、将来にやれることといったら親と似たような単純な肉体労働だけなんだよね。仮にそいつに絵の才能があったとしても、そんなものは発見されること無く終わるんだよ。何しろ絵を描くなんていう呑気なことをしているような暇がある家に生まれてないんだから。逆になんでも好きなことが出来るって環境だとまぁそいつもにもよるけど、例えばさっきの青木なんたらみたいに音楽みたいなね、没頭できる主題あると何の障害もなしにそれを実現できるんだよね。いや、こいつに才能が無いとは言わないけど、経済的基盤があるから呑気なフランスでの生活と創作が出来ているっていう典型的な例なわけね。まぁ俺も似たようなもんだけどね。中身も青木なんたら程度だったら俺は自分に大失望するけどね。


ってことで次回が最後です。帰国後、まともに誰とも会話してないのでウォール伝はどんどん長文化します。ホント、俺ってウォール伝に心の恒常性を支えられてるようなもんだよ。これって完全に暴露療法的だし、フロイト風に言うならカタルシスだよね。昇華。で、アクセス数とかブックマークとかたまにあるはてなスターとかで認証を得られた気分になるので完全に自己満足的な運営が出来る。変な言い方になるけど、こんなものを読んでくれてる人達に本当に感謝ですね。どっちがいいのかな?学校が充実してて喋ることは学校で言いきってるんで、ウォール伝がさっぱり更新しないのと、誰とも会話がなくて、いつ死んでもおかしくないようなふさぎ込みをしているんだけど、内面は戦争状態でデータが爆発しそうなんでウォール伝に出力することで心の恒常性を保てるっていうことが結果的にウォール伝の異様な長文化と過更新を促すっていうのね。そう思うとさ、素人でも「ネット言論」とかって扱いを受けたりすると、その扱いを受けている人の認証の満足度って凄いデカイよね。素人なんだけど一端の論者みたいな気分でいられるんだから。まぁ本当にラディカルな言論ってブログからしか出てこないと思うんだけど、俺みたいに知識とか知性が中途半端だとダメなんだよね。まぁそれは磨けばいいってことになるのかもしれないけど、中には磨いてる暇がないって人も多いわけでさ、そうなると結局ブロガーって相対的に暇人が多くなっちゃうよね。もしくは趣味がブログの更新みたいな人達ばっかになっちゃう。そうなると人間の質とかが偏るよね。どうしてもオタク系というか、内在系の人達の言論ばかりがブログにあふれるようになっちゃうよね。バランスって難しいですね。マジで。


でもね、アルファブロガーって本当の意味での有機的知識人だと思うんだよね。体制に迎合する必要が無いし、それを職にしていないんで好きなことが書ける。で、それが他者に影響を及ぼすって最高だよね。ってことでまぁ落ち込んでばかりいないでアルファブロガーになれるように頑張りたいと思います。ってことで次回で今回の話は完結します。

Viagem

Viagem

↑お宝ザクザクコンピです。

↑ようはコミカレってこういうところにいた人も来るからね。まーしょうがないっつっちゃーしょーがないんだが。ようはこのレベルの生徒を教える先生も大勢いるってことね。馬鹿が多いのは関係ないことなんだけど、それに比例して教師もアホだと悲劇が始まるんだね。アメリカの教育業界って完全に資本主義的な知的人材の独占ってのがリッチな学校によって行われてるって感じだね。ようはコミカレでも評判の良い先生はどんどんヘッドハンティングされちゃうんだからね。まぁコミカレは良いとして、本当に並の大学はたまったもんじゃないと思うんだよね。あと並の頭脳とお金しかない生徒達ね。これこそまさしく格差固定だよね。優秀な先生に学びたかったらまずお金を用意しろって俺みたいな留学生は置いておいても、アメリカ国民からしてみたら本当に酷い話だと思うんだよね。