平等という勘違い。そのいち。

mimisemi2008-12-10

はい。では今日はやっと建前の平等についてです。


ではね、建前の平等について書かせてもらうけどね、基本的にあれなんだよ、危険なのが「我々は民主主義社会にいる」というような虚偽の措定をしてしまうことなんだよね。それは平等も同じ。みんなが同じ位置に立ってスタートできる社会だとか、チャンスはみんなにあるみたいなね、アメリカンドリームのドクトリンが典型的だけど、ああいうのはただのプロパガンダなのね。ああいう風に思わせることで、実際はそうじゃないんだけど自分たちは平等やら民主主義の理念に立った社会に生きているんだなって勘違いさせることが目的なのね。それが意味するのはつまりはね、そういった虚偽意識を持たせることで問題の本質から目をそらせることなんだよ。それは擬制としての民主主義の機能を考えてもよく分かることで、みんなが平等な一票を持っているってことであたかも政治に参加しているように思わせることでさ、本質的な政治の問題から遠ざけるんだよね。だから俺が普段から書いているように、ポピュリズムによる政治も実際は全体主義的な洗脳によるものなんだけど、それが国民の投票によって選ばれたものである限りはそれは民主主義の名の元に実現されたものなんだけど、まぁナチスを出すまでもなく、あんなファシズムも基本的には民主主義というか、国民の投票によって作られたものなんだよね。だから俺は民主主義は危険だって言うわけよ。こんな政治的に鈍感なやつらに政治を任せていては国が崩壊しちゃうってのはいつも書いていることだけど、これはこないだ散々書いたことなんで、今日はあれだね、まぁ平等ということに焦点を絞りたいと思うんだけども。


まぁんで平等なんだがね、暴論なのは分かっているけど、真の平等を目指すには人間が本質的に抱えているような不平等性について、それがタブー的なものであっても取り組むことなんだよ。つまりアホに選挙権を持たせるべきか?とかね、もう人類ってのは本質的な不平等だらけで、それは前にも書いたようなあからさまな外見の差だとかさ、知能の差とかがあるわけ。それを覆い隠すのが建前の平等主義的な言い方ね。あの英語で言うところのEveryone has a qualityみたいなやつ。まぁ長所が無い人間なんていないんだみたいな言い方ね。いや、ちょっと待てよと。世の中には頭脳もあって見た目も綺麗でみたいな、まぁ俺の好みではないけど、ジョディ・フォスターみたいなのがいるわけじゃない?それに比べてドヤ顔で頭もドヤレベルの女ってのもいるわけだよね。こういうのを平等主義者は語りたがらないよね。


どうしようもない人間を擁護することが平等主義なんだみたいに勘違いしているのは、ドッグヴィルのグレースと同じような傲慢さなんだよ。ああいう馬鹿左翼ほど傲慢なやつらはいない。それはグレースのパパが言ってたのと全く同じ。俺はこういうリベラルな傲慢さが大嫌いなんだよ。だからね、徹底的にドッグヴィル程度の劣化した遺伝子を持ったような、助けようのない人間達が世の中にはいっぱいいるっていうその一方でジョディ・フォスターみたいなのも少数ながらいるっていう現実を見据えないといけないんだよ。そこでその遺伝子的な格差をどうやって社会が手当てするのか?とか包括するのか?ってのを考えなきゃいけないんだよね。ロールズの無知のヴェールはアイデアとしては良いけど、実用性はゼロね。だって人々がさ、自分たちの民族的なバックグラウンドとかステータスとかさ、そんなのを全部忘れて物事を考えるなんてことは物理的に不可能だからね。中流に育った俺にとってはゲットー育ちのブラック達の気持ちなんて分からないわけ。そこにシンパシーを感じるというのはまぁリベラル的な発想なんだけど、彼らの気持ちが分かるというのはグレース的な傲慢なんだよね。だから俺は彼らへの社会的な手当は必要だと考えるけど、個人的に彼らの立場に立って物事を考えるというのは、リベラル的な観点から政治的なコミットメントとしては可能かもしれないけど、本質的には無理だね。それはあくまで中流育ちのリベラルの俺が彼らの視点に立って物事を考えているというそれだけでしかない。それ以上でもそれ以下でもない。だからこれは無知のヴェールでもなんでもないわけ。


我々が平等な社会に生きているなんていうことが当然の概念になるとね、例えばスラム育ちのブラックやらプロジェクトに住んでいる連中がチャンスがあるのにそれにトライしない怠惰な連中だみたいな発想が可能になるわけよ。それはうちの親父がネット難民とかを批判するのと同じロジック。親父としては社会に出るチャンスなんていくらでもあるという前提に立って物事を考えるのが当たり前なので、彼らの酷い社会的コンディションやら家庭的バックグラウンドってのを念頭に置かないで彼らについて語るんだよね。だからそこに決定的な相違が出来るわけ。つまり親父の考えはアメリカの保守的なホワイトと一緒で、レイジーなブラックは働かずにプロジェクトに住んでいるみたいなね、チャンスがあるのにそれを活かさない人達という発想なわけね。これが凄く危険なんだな。


いや、実際、ネット難民になる人達にもレイジーな人達はいるかもしれない。でも中にはそうじゃない人もいるんだよ。デイトレーダーよりかはよっぽど働いているのに衣食住もままならないという人がいっぱいいるわけ。こういう社会的不平等性を平等の観念の元で考えるのが果たして建設的なのか?ということなんだよね。いや、実際は不平等なんだよ。機会の平等が保証されていない。逆を言えば俺みたいな機会のあるやつはこうやってニューヨークにいながらブログの更新とかが出来るわけだ。地下に籠って読書という生活が可能なわけだ。でもそうじゃない人もたくさんいる。これは俺が誰にでもチャンスがあるみたいなチャンスを活かしてやっている亡命ではなく、モロに特権階級的な、特に経済的なバックグラウンドを利用してやっていることなわけでね、俺みたいなチャンスは他の人達には必ずしも無いんだよ。それは俺がよく言うことだけど、例えば岡崎玲子みたいな恐らく経済的にも、当然知性的にも死ぬほど恵まれている人が「アメリカにはチャンスがある」と言ったところで、それは彼女の凄まじい高い基準によってもたらされているチャンスなわけで、ドヤ街の姉ちゃんに岡崎女史みたいなチャンスは一切無いわけだ。どうあがいても無理。パリスヒルトンぐらい金が自由になっても無理。なぜなら知性ってのはお金では買えないからね。だからチョート校に膨大な金を積んで入学できたとしても授業についていけるわけがない。まぁもっともそこまでの膨大な金があるなら学歴を買うという手があるけどね。あ、んで岡崎女史は別に「アメリカにはチャンスがある」と言ってはいないんだが、ようはエリートの吹きだまりみたいなところにいても、それは全然普通のアメリカでもなんでもないんだよってことね。むしろアメリカのリアルはコミカレにあるといっても過言ではない。高卒じゃどーしょーもないので、生きるために大学に入るしかなかったっていう人達がたくさんいるから。授業の質は良くないけど、観察するには最適な場所だよね。コミカレ。いや、観察っていうと失礼なんだけどね。いや、マジでアメリカ酷いよ。本当に。


まぁそれはともかくだな、こういうどーしょーもない不平等が存在するわけだよ。知性や外見はもうしょうがない。だからせいぜいね、経済的なバックグラウンドによってチャンスが変わるような、金中心の社会の構造を変えていこうよって話なんだよね。昔みたいにね、むしろ貧乏人は東大を目指すことで、その経済的格差を乗り越えられたみたいなね、学歴とか学問というのが格差を努力によって調整できるみたいな要素として機能していた時代は良かったんだよ。そこには学歴の価値もあったし学問の価値もあった。金が無くても頭や知識さえあれば東大に入れたんだったら、むしろ学歴社会なんてのはチャンスだらけの社会と言えなくもないわけだよ。つまりは貧乏人でも学歴を取れば上流階級に食い込むチャンスが出てくるみたいなね、それは例えば教育が平等に提供されていれば可能だと思うんだけど、実際はもう金勝負じゃない?DJみたいなもんでさ、センスだけあってもレコードを買う金が無いと他のDJと勝負にならないみたいな話になってるわけ。まぁDJに限って言えば今は状況は違うかもしれないけどね。ネットで落としたmp3を焼いてプレイなんてのも出来なくないからね。まぁそれはともかく、つまりは例えば進学塾とかさ、私立の学校とかさ、そういうところに子供を入れさせることが出来る家庭だけが、そういう学校に行けるようなチャンスを持っているんだよね。独学だけでは相当な地頭を必要とするというのは本当に機会が不平等だと思うんだよ。だからね、キャリアコースに子供の頃から乗ってれば、地頭はともかく、その恵まれた教育環境からそこまで頭が良くなくても良い大学に入れるチャンスというのがね、半ば受動的に提供されているわけよ。その経済基盤によってね。そういうのが無い人達は彼らより何倍もの努力をしないとそういうコースには入れないわけだよね。こりゃー酷い。


機会が平等に布置されていると想定すると、例えば良い大学に入らないやつらはレイジーだの頭が悪いやつらだのっていうような、さっきのネット難民やらプロジェクトの例えみたいなレッテル貼りが容易になるんだよね。でも最初から平等じゃないんだからさ、レイジーもクソも無いでしょってことなんだよね。経済的にも恵まれてて、良い進学塾とかにも入っていたのにドロップアウトしてニートをやっているとかだったらそういう物言いがはじめて有効になるわけよ。まぁこういうドロップアウターにしても千差万別の理由があるにせよ、まぁレイジーなんだなっていうようなレッテル貼りは、少なくとも機会が全くないような人達よりかは有効になるよね。まぁ変な話、親の七光りがあればブッシュみたいに大学を卒業できるんだから、もう基準もへったくれも無いんだけどね。


またまたまたまた長いから次回に続きます。

Infinitely Demanding: Ethics of Commitment, Politics of Resistance

Infinitely Demanding: Ethics of Commitment, Politics of Resistance