平等という勘違い。そのさん。

mimisemi2008-12-12

モダンアートの授業のペーパーなんだけど意外なことにBプラスだったっつーかグレード良過ぎだろうこれ。はじめてこの先生から褒められたよ。っつーかペーパー自体は本当に良く出来ているらしい。ただ問題はやっぱり多大なる文法エラーなんだよね。先生曰く「ペーパー自体は良いにも関わらず文法のミステイクが多過ぎる」とのことらしいんだけど、まぁ逆を言えば文法エラーが無かったらAだったかもしれないわけだ。いやーこれには驚きだ。一喜一憂とはまさしくこのことだけど、昨日まで死にそうな気分だったのが一気に晴れたね。それは俺の最大の問題である英文法だとか学校に関わるような失望というのが晴れたとまでは言わないけど、根本的な問題の部分で割と良いことがあったってことで気分も晴れたんだと思う。ちょっとは自信を持たないとな。英文法はまだまだマズいけど、書くことが頭にあれば割とペーパーは上手くいかないことも無いっつーのを肝に銘じておこう。脱構築だとかラクラウの引用だとか調子に乗りすぎたのを後悔してたんだけど、そこに関してはノータッチだったよ。まぁ悪くなかったってことだろうね。でもまぁダダのことだしさ、最初から知ってることを書いたわけだから、まぁリサーチとは言えないけどね。既存の知識プラスいろいろなデータの寄せ集めっつーかまぁこれがリサーチなんだろうけど、例えば「ショーペンハウエルについて書きなさい」って言われたら書きたいことが多過ぎて困っちゃうみたいな、好きなサブジェクトに関することだったからまぁ余計に良かったんだとは思うけど、逆に言えば全く興味が無いことのリサーチなんて全くやる気が起きないだろうなって思ったね。


脱構築とかラウラウの引用って書くとなんか凄そうだけど全然たいしたことないんだよ。ようはいつもの俺の表面的な哲学の理解を何らかの事柄に当てはめて説明しているだけなのね。まぁあれかな、書き直しもかねてここにアップするかな。書き直しをしなきゃいけないわけじゃないんだけど、自主的に書き直しと文法の勉強をしたほうがいいってペーパーに書いてあったし、まぁその通りなんだけど、提出の必要がないとやらないよね。ってことでウォール伝にアップしなきゃ!っていう動機付けでやろうかなと思って。アップするぐらいだからエラーがあったら恥ずかしいし、それはそれで強制的で自主的な勉強になるかもしれん。ってことで次回は今回の提出したペーパーの自主的なやり直しになるかもしれん。まぁ期待しないで待っててくれ。ホント、これ完全に個人的な目的だよね。まぁウォール伝自体がいつもそうなんだけど。ウォール伝にアップしようと思って書いて、んで書き直せたらアップしなきゃいいじゃんって思うかもしれないけど、それだとやらないんだよ。完全にアップするって思ってないと出来ない。そんぐらい俺は怠惰だからね。


英文法はマジで面倒っつーかまぁ英語全般なんだけどね、まぁあれだ、逆にこれさえクリアしちゃえばニートに金棒ってことだろう。そう思って頑張ろうかな。そういえばね、ヴィレッジのサブウェイでサンドイッチを食べたんだけど、店員が黒人のゲイでさ、で、こんなことを言われたんだよね。「アナタ、誰かにマイケル・ジャクソンに似てるって言われたことない?」いやーさ、なんじゃそりゃー!って思うよね。「え?俺が?え?俺?」みたいな戸惑いの後にさ、この店員が「別に悪い意味じゃなのヨ」なんて言うんだよね。ようは黒人のゲイの彼からしたら褒め言葉かもしれないけど、一応そういう面では常人の感覚を持ってる俺としてはもう笑うしか無かったね。で、笑ってたら「何笑ってるのよー」なんてちょっと怒らせちゃった感じだったんだよね。彼からしたら褒めてるつもりだったのにそれを俺は笑っちゃったんだから失礼だったかなとは思ったんだけど、でもさすがにマイケルジャクソンはないだろう。そりゃー笑うしかないよね。昨日、前髪が伸びてきたんでまたパッツンにしてマッシュルームに磨きがかかったのが関係してたのかな?でもマイケル・ジャクソンがマッシュルームカットだったことなんて一回も無いよね。まぁいいや。


あと感動したのが地域的な相互扶助ね。なんかさ、モゴモゴうめくだけしか喋れない黒人のホームレスがジェスチャーで金をくれって俺に言ってくるわけ。サブウェイでね。で、俺はペーパーの結果が悪くなかったから気分が良かったので25セントあげたんだよね。いや、ホームレスに金をあげるのは高度なことだって普段から言っているのと凄く矛盾するんだけど。まぁそんだけ判断が恣意的ってことなんだけどさ、まぁそれはともかくなんかね、顔だけDJクラッシュみたいなこの黒人のおっさんなんだけどね、このゲイの店員と知り合いなんだよね。で、「ウンウンオンオエオエウン」なんて言いながらジェスチャーで兄ちゃんに何か言ってるわけ。で、兄ちゃんは「しょうがないなぁー」みたいなそぶりを見せたと思ったら、このホームレスのおっさんがドリンクバーを飲んでるんだよね。タダで。で、その後、俺があげた25セントプラス持ち金の20セントぐらいでスープを買ってたのね。で、このスープってのは2ドル50セントぐらいするんだけど、ようはこの兄ちゃんの施しなわけよ。まぁ店のものだしバレたら捕まるんだけど、でもそれでもなんかさ、ホームレスとサブウェイの店員にこういう関係があるのって凄くいいよね。こっちってこういう光景が割と多いんだけどさ、これを見てペーパーが割と良くて気分が良かった俺の心がもっと晴れたね。だって素晴らしい相互扶助のシステムでしょ?ベタな言い方になるけど、地域社会が空洞化した日本じゃ考えられないことだよね。日本もかつてはこういう光景はいたるところにあったんだろうけど、今は世界でもトップレベルの冷たい国になっちゃったからね。日本。


なんつーかさ日々の生活でね、俺の実存レベルでは嫌なことだらけなんだけど、イレギュラーにこういう光景が見られたり、失礼だったかもしれないけどこういう店員の会話があったりすると荒んだ心が晴れやかになるんだよね。これはいつも書いてることだけどさ。生活は画一化してるんだけど、外部的なものでイレギュラーに様々なことが起こるのってフリーシナリオシステムのRPGみたいなもんなんだよね。一本道だと閉塞感を感じるけど、マルチだと自由を感じるでしょ?そのマルチもある意味では一本道の中に見えるマルチなんだけど、それでも実質的な一本道よりかは良いよね。来週のテストでセメスターは終わるけど、まぁ最後の最後でまぁちょっと良いことがあって良かったかな。せめてまぁ落ちない程度に最終試験を頑張るしかないな。


ってことで昨日の続きです。これで最後です。


こういうのが画一的なヘゲモニーを生むのは言うまでもない。文学にしても学問にしても芸術にしても、そこそこの経済基盤から来たような連中が作る、既存の何かに迎合したようなものが大半になるので変化が生まれないんだよね。ずーっと似たような体制がヘリテージされる。だからこそ変化は常にプロレタリアから生まれるっつーのが結構色んなことに説得力を生むんだよね。ブルジョワが有り余る金と時間をつぎ込んで作った何かってのに革新的な何かがあるか?っつーとその日和見的な環境から表現なりなんなりの必死さってのが出てこないような気がするんだよね。まぁ偏見だけどさ。だから貧乏なプロレタリアかそれ以下の芸術家が作ったものってのは、金も何も無いのに表現することだけを求めるみたいなある種まぁ異常な表現への固執というのがその諸作品の力強さみたいなのを生むと思うんだよね。それは思想とかも同じ。ブルジョワが研究室に籠って考える革命思想と、日々が階級闘争のプロレタリアが考える革命思想とでは、そのアクチュアリティなり実用性というのが全然違うよね。まぁただどっちもどっちと言えないのが、所謂、知識人が考えだした革命思想は実用性はともかく細部に渡ってのディティールが凄まじいかもしれない。で、プロレタリアの革命思想は実用的だけど大雑把かもしれないね。まぁプロレタリア=馬鹿だとは言わないんだけど、昔からの左翼が信じているような、知識人層のプロレタリアってのはあんまいないと思ってるわけ。何しろそこそこの脳を持っていると体制に迎合するか、学歴でもなんでも取って中流なり上流階級に食い込むと思うんだよね。ずーっと工場で働きながら思索を続けているという人がどれだけいるのかは分からないけど、そういう人達が大勢いるだろうという前提で考えているような世界単位での有機的連帯とかさ、マルチチュードとかは絶対ダメだよね。そんないるかいないかも分からないような想像的革命主体に革新を委ねたって、それは自分たちが書いた小説の主人公に革命を望んでいるような空虚なものだよね、


もちろんドヤ=馬鹿とまでは言わないけど、やはり社会的状況とか家庭ってのはね、馬鹿の連鎖を生みやすくなるんだよ。馬鹿の子でもインテリの親に育てられたらそこそこ頭の良い人間になるかもしれない。でも馬鹿の子が馬鹿に育てられたらそれはただの馬鹿の連鎖だよね。そういう馬鹿がずーっと下層階級に留まるのはしょうがないことなんだけど、才能なり地頭があるのに、その社会的状況からチャンスを活かせないか、レールに乗ることすら出来ないというのが問題なのはそれがまさしく格差の固定だからなんだよね。ドヤ=馬鹿、プロレタリアート=馬鹿ではないのにも関わらず、社会が勝手に勘違いしている平等な社会という間違ったコモンセンスが、彼らの状況なり階級に属するということを怠惰だの頭が悪いからだのと決めつけるわけだよね。それはさっきのロジャーの理論と一緒ね。


比較的に見れば上流階級のほうがインテリは多いだろう。それはほぼ間違いない。ただ下流階級にも上流階級に匹敵するか、それ以上の頭脳なり才能を持ったやつらってのはいっぱいいるわけ。それはさっき書いたような知識人層のプロレタリアートという幻想を認めることになって、まぁ自己矛盾を生むけど、でも仮にね、下流から能力次第でいくらでも上に這い上がれるというチャンスが布置されている社会なら、プロレタリア自身がそれを自分たちで体現すると思うんだよね。ドヤで育ったけど今は政治家ですみたいなね。こういうね、極端な言い方になるけど、ドヤっつーかホームレスも能力次第では大統領になれるような社会だったら、逆にそこで生じる能力格差についてはしょうがないんだよね。ただそれを放置するのではなく、最初に書いたように、人間ってのは凄まじく不平等なもんだよねっていう風に考察する立場から平等を考えて、能力的に恵まれない人達への手当を具体的に検討するわけね。ただでもその手当が極端になると福祉国家みたいになっちゃうから、国民の反感を買わない程度の手当でいいと思うんだよね。それはある意味で残酷なことだよ。だって能力格差を認めることになるわけだから。でもこれはしょうがないんだよ。何しろ能力格差を認めないということは、つまりはマルクス主義的な悪夢の平等を生み出すわけだよね。徒競走でみんな一緒にゴールしようっていうようなアホな日教組の考えなわけ。俺はこういうのに真っ向から反対するね。こういう考え方は傲慢だし、こういう平等ほど酷いものはないよ。


それは人間の本質的な不平等から目をそらそうっていうような対策だからね。運動神経抜群なやつも馬鹿なメタボに合わせなきゃいけないなんて悪夢だよ。それよりかは馬鹿なメタボもこいつなりの生き方なり能力を活かせる社会というほうがよっぽどいい。何も才能が無くて能力も平均以下だったら、もうそれはしょうがないよね。そこまで社会は面倒見てられないわけで。ただ死なない程度のセーフティーネットは存在していないといけないわけね。そういう条件が整った上での格差が生まれるならそれはしょうがないし、こうなってはじめて、さっきのロジャーの言うような「金が無い連中というのは彼らが働いていないからだ」というようなことが言えなくもない世の中になるわけ。つまりプロレタリアってのは労働者になるぐらしか能がないんでああいう階級に属しているんだよってことが残酷ながらもちょっとした正当性を持つようになるわけね。ただ今はこういう状況じゃないというのは明らかなわけで、だから階級が能力なんてのは規定しないわけだ。むしろボンボン達のほうが馬鹿なんじゃない?っていうのが露呈したような事件や事柄が今は多いよね。


あと人種による知能指数の平均についてだけど、これもまぁタブーっぽいトピックだけど、ユダヤ人が相対的に平均的な知能が高くて、ブラックとかが低いみたいなのが出ているけど、これもまずは社会の構造的な格差を生み出すような傾向性を無くさないと平均なんて分からないわけ。というのはね、スラムで育ったブラックがIQテスト受けたって、上流階級の名門校出身のユダヤ人とか白人にかなうわけないんだよ。それは彼らの能力以前に社会的状況ね。ろくな教育も受けられず、教育環境がプアな家庭とかコミュニティで生きるしかないような人達がさ、その彼らの知的ポテンシャルみたいなのを伸ばせるわけないんだよ。まぁマルコムXみたいなやつもいるからね、そういうのを見れば分かるように、人間ってのは元ギャングだろうが貧乏なゲットー育ちだろうが、後天的にいくらでもインテリ層に匹敵するような知能を育成することが出来るわけよ。もちろんまぁマルコムはただのギャングじゃなくてスマートなギャングだったんで、まぁやっぱ地頭は良かったわけだけどね。


全人種が似たような社会状況で似たような教育や栄養を取れていて初めて人種的な知能指数の差というのが明らかになるわけよ。仮にすんげー頭の良いユダヤ人でもオオカミに育てられたらIQテストもクソもないでしょ、それは今回散々書いている社会が生み出す格差と同じような話でね、人々のポテンシャリティなんてみんなが平等な機会を得られない限り相対化できないわけ。だからゴロゴロしている人を一概に批判できないし、IQが相対的に低いとかって言われているアフリカンとかを人種的に知能指数が劣っているなんて言えないわけ。ロクな栄養すらも取っていない人間と、すんげーリッチな環境で育った人間の知性の差があるのは当然だよね。それは彼らの民族性や遺伝子とか以前に、その生活環境が知性を規定しているわけだよね。ややこしい日本語という言語を使いこなす日本人は頭が良いみたいな馬鹿げた意見があるけど、そんなもんね、ブラックだろうがアフリカンだろうがコンゴからの移民だろうが、日本に生まれて育ったら日本語を使いこなすし、箸も器用に使いこなすわけよ。逆に全体的に頭が悪いと呼ばれている人種が住んでいる場所で、割と頭が良いと呼ばれている人種が育ったら、恐らく知性のアヴェレージってのは並ぶと思うんだよ。それが生活環境が知性を規定するということね。もっと根本的なことになると遺伝子とかの問題になるんだけど、これを言わせてもらえばね、俺の勝手な憶測だと、どんな人種でも一定の知恵おくれとパンピーとまれな知性を持った人間ってのが画一的に存在するわけ。大雑把に分ければ、例えば5パーセントぐらいがインテリかもしれない。で、ふつーが70パーセントぐらい。で、ふつー以下かモロンみたいなのが25パーセントね。それはIQの分布図を見ても明らかだよね。どの人種でもIQのアヴェレージのカーブって一緒なんだよ。だから仮に平均差があったとしても、そんなのはたいした問題じゃない。問題は社会基盤だよね。だから究極的に言っちゃえば人種なんてどうだっていいことなんだよ。問題はいかに彼らが生きるか?なんだから。


野蛮人みたいに呼ばれている部族の人間達がさ、文明化された社会に適応して育ったら、その文化相応の平均的知能を持つようになると思うのね。どのくらい時間がかかるかは分からないけど。つまり彼らが文明化された社会に住む人達にとって野蛮で単純で馬鹿に見えるのは、それが彼らの社会環境だからなんだよ。単純なこととプリミティブなことしかやらない環境で育った人というのは、仮に優れた遺伝子を持っていても、それは彼らの中での、ようはさっきのIQの分布図みたいな差の話で、そのインテリジェンスというのは、他の文明化された場所のそれと比べることなんて出来ないわけ。それは似て非なるものだからなんだよ。全く違う状況で作り出されて形成されてきたものなんだから比較なんてしようがない。これがまた文明化された国っつーかまぁティピカルに言えば西洋的な概念の傲慢なところなんだよね。彼らの基準ってのが普遍的な基準だと勘違いするわけ。だから何もかもを彼らの基準で考えて善悪を判断したりするわけね。まぁまさしくヘゲモニーだけど、これって本当にアングロサクソンの悪しき文化だと思うんだよね。歴史的にたまたま優位な状況でやってきたってだけで、もう世界を牛耳ってるみたいに勘違いしてるんだもん。で、最悪なのが、他の非アングロサクソンアングロサクソンヘゲモニーに支配されちゃってて、例えば洗練されるということが、イコール西洋的に振る舞うとか西洋的な生活をするっていうことって勘違いすることなんだけどね、こういう悪しき連鎖を断ち切る必要があるというのは前に確かオバマの時だったと思うんだけど、まぁ色々書いたんでここでは繰り返さないけどねってすでに結構書いてるけど。


ってことでとりあえず終わりです。結局まぁ多様性ですよ。これについてはまた別に書きたいことがあるんでその時にでも書くね。次回が多様性についてになるのか、ペーパーの自主的なやり直しになるのかは分からないけどね。


DJ Spinna All Mixed Up

DJ Spinna All Mixed Up

↑天気予報の固定カメラみたいな映像がウケるね。まぁこれプロモじゃないんだけど。ホント、これはキラーですね。スピナ良い仕事してます。