派遣労働と奴隷制。そのいち。

mimisemi2008-12-13

天才と分裂病の進化論という本を読んでいるんだけど、俺が天才かはともかくとして、これだけ割とまとまった分裂病に関する本を読むのは初めてだったんだけど、俺って明らかに分裂病じゃんって思っちゃったね。俺の精神病って色々な要素がありすぎるっつーか恐らく精神病ってそういうもんなんだろうな。軽少鬱みたいなのが流行っているけど、俺にとっての鬱って色々な精神の諸症状の一つなんであってこれだけじゃないんだよね。だから鬱を治そうと思っても無理なんだよな。だって鬱ってただのパーツの一つなんだから。思うにADDとか鬱とか分裂病って色々類似点があるし、特に俺みたいな複合的なやつって診断しきれないと思うんだよね。ADDだから分裂病的な症状や鬱や神経症があるのか、それとも分裂病だから鬱があるのか、たぶんそこいらの普通の医者じゃ分からないと思うんだよね。あとゲイもそうなんだけど、精神病とかって言うのをはばかられるじゃない?あまり好ましくないことなんで思い当たりがあってもあまり言いたくない。ゲイの場合もちょっと男に興味があってもゲイじゃないと思いたくないからそれを必死に否定しようとする気持ちが働いてそれを認めようとしないんだよね。だから恐らくゲイって分かっている以上にようは社会的にマズいっつーんで体裁を保つという意味で認めてないというような、まぁ潜在的な人達も含めると相当な数がいると思うし、そう思うと全然マイノリティでもなんでもないんだよね。


具体的な数字は分からないけど、恐らく普通に思うようなマイノリティな感じよりかはよっぽど多いと思う。で、分裂病も恐らくそうだと思うね。軽度な人は大勢いると思うんだよな。ただ被害妄想だとか神経症だとか、あちらの「ヤバい」人だと思われるのが嫌なんであんまり言いたくないとかさ、言わないまま死んでいって秘密が守られたみたいな人っていっぱいいると思うんだよね。そういう意味で俺はいつも何かのタブー視というのはその物事の本質や問題点を見失ったり思考する能力を削ぐものだと思ってるんで、タブー的なことでもオープンにディスカッションするべきだと思ってるし、自分が仮に色んな意味でマイノリティだったとしても、それは出来る限り具体的に自己分析をしつつ話せる人には話していきたいよね。まぁ嫌がられるだろうけど。たださ、例えばね、心臓病の薬を人前で飲むのって気が引けなくないけど、抗欝剤とか安定剤って気が引けるんだよね。人から見れば錠剤の種類なんて分からないからどれも一緒なんだけど、恐らく精神病の薬全般があまり語られないというか見せたくないと思うような対象になっちゃうのってやっぱ精神病に対する偏見だと思うんだよね。あ、ようはそういう偏見があるから勘違いされたくないから人にバレるようなことをしたくないって思うような、ようはゲイを無理矢理隠すのと一緒ね。俺から言わせれば両方とも凄まじい精神的な抑圧状態に自分の身を置くことでしか体裁を保てないっつーのは凄まじくストレスフルな状態だと思うし精神衛生上悪いよね。だから思うに日本のゲイもニューヨークのゲイみたいにおおっぴらにゲイ加減を見せても嫌がられないっつーか嫌がられても差別が通用しないようなさ、まぁニューヨークでも差別はあると思うけど、ようは多様な許容が必要なんだよね。精神病も一緒なんだよな。落ち込んでるなら落ち込んでていいんだけど、人前では元気に振る舞うって鬱の人にとっては最悪なサイクルだからね。こんなんで誰だったかアナウンサーが自殺したでしょ?悩みを他人に言えないっつー状況って最悪なんだよね。もしくは落ち込んでいるという状態が社会的に許容されないので、体裁を保つために元気に振る舞わないといけないような、作為的な振る舞いが必要になるというのは本当に悪いサイクルだと思うんだよ。


だからなんつーかもっとさ、ゲイにしても精神病にしてもさ、もっと他人に言えるっつーかむしろ隠すことが良くないみたいな社会じゃないといけないよね。そうじゃないと社会って病んでいく一方だと思うんだよ。これは一種の倒錯なんだよね。本来の姿をさらけ出せないというような抑圧的状態がデフォルトの社会ってさ、全部が立ち回りと振る舞いで満たされた表面的なものばかりになっちゃうじゃない?これだから不気味な二面性が生まれるんだよね。狂っていようがゲイだろうが多少おかしかろうが、そういったものも人間の一つのキャラクターなんだと認めるような社会じゃないと根本的なマイノリティの問題は解決できないよね。彼らがなぜ悩むかって彼らの症状もあるけど、やっぱそれが社会的に許容されないから隠さなきゃいけないとか正常に戻さなきゃいけないとかって思うことによる葛藤なんだよね。こういった葛藤が余計に精神病を悪化されてしまうのはフロイトを出すまでもないけどね。分裂病のどこがいけないんだ?って話だよね。ホント。こういうものをタブー視して見なかったものとして無視するのは過去の日本がやってきたようなハンセン病患者の隔離とかと同じようなことなんだよね。何らかのドミナントな規定から外れるものを排除するという構造は本当に良くない。ここでラクラウやムフのラディカルデモクラシーがまた出てくるわけだけどね。合意でも共存でもない、排除の無いそれらの存在自体が至る所に偏在するという形ね。認められない人は認められないままでいいんだけど、認められない側がそれによって排除されることなく社会でやっていけるという形だよね。だから「ああいう人もいる」で十分。だから精神病患者もゲイも奇人も含めて彼らの存在は容認されるべきなのよ。規範的な統一が画一的に根付いちゃっているような社会は本当にダメね。ストレスだらけになっちゃう。


あ、んで今日なんだけどね、あれなんだ、ちょっとね、アリストテレス政治学を読んでいて思ったことがあったので覚え書き程度に色々書いてみるね


ってーのはね、まぁアリストテレス奴隷制を擁護しているってことで悪名高そうだけど、これってのは非常に逆説的でつまりはね、まぁアリストテレスは支配者と被支配者が社会に存在するのと一緒で、奴隷というのも極めて自然な状態で存在するっつってさ、ようはギリシャ哲学お得意の共通善とかさ、国家の発展のために必要となる道具が奴隷だみたいに言っててね、まぁ完全に道具扱いなんだけどさ、まぁあとあれなんだわ、主人の一部となることが奴隷の指名だみたいな人権無視なこと言ってるんだけどちょっと待てよと。日本の蟹工船のプチブームを出すまでもなく、さすがに派遣労働だのIT業界の底辺で働くだのってことが奴隷と変わらないというようなFalse Consciousnessを打ち破るかのようなまぁ俺から言わせればプロレタリアートの自覚みたいなのが生まれたわけだけどさ、豊かな日本で階級意識が芽生えるのって世も末だよね。ましてや他国に比べて政治的に鈍感な日本人が危機感を感じているというのはただことではない。まぁただことではないからこそ俺はこうやって亡命をしているわけだけど、まぁそれはともかく、こういう人を使い捨てる社会ってのはさ、まぁ利益の名の下にね、これって奴隷制を社会的に容認しているってことだよね?


派遣労働者を違法に切るだとかってことが罰せられないで半ば合法的に行われてるとかさ、まぁそもそも派遣労働みたいなのが許されてるっつーか規制緩和してる時点でもう狂ってるんだけど、まぁ奴隷制の社会的な容認だよね。ようは「お前らは単純労働ぐらいしかやることが無いんだからこれでもやっとけ。仕事があるだけ感謝しろ」ってな話で、社名と中身が正反対なブーツの見た目と中身の差みたいな象徴だったグッドウィルなんかはさ、奴隷派遣を合法的にやってたわけよね。「お前らの主人が見つかったぞ。さぁ文句は言わずに働け」って飯場とかでやくざが仕事を斡旋しているのと同じ手法をデカイ組織で行っているんだからまぁ下手するとやくざよりタチが悪いんだよね。やくざはやくざだからさ、麻薬を売ろうが人身売買しようが、やくざだからまぁ悪の名の下に行ってるからさ、まぁ彼らもそれを承知でやってるわけじゃない?でも派遣業者とかがタチ悪いのってやくざな商売をあたかも普通のちゃんとした商売みたいにやってますって振る舞うことの非人道加減なんだよね。ニコニコ薬局っつー看板でコカインとかヘロインさばいてるようなもんでしょ。


まぁ社会は容認してると。奴隷制を。ギリシャはやくざと同じで非人道的だと分かっていても「あいつらは奴隷レベルだから奴隷レベルの仕事しかない」っつって奴隷制市民社会のために容認していたわけだよね。今の社会と古代ギリシャ社会のどっちがタチ悪いかっつったら今の社会だよね。いや、奴隷制なんて容認してません。彼らは市民です。投票権もあります。っていうようなね、見せかけだけの民主主義っつーかまぁ丸山風に言うと擬制ってことになるんだけど、まぁ丸山真男のタームでの擬制としての民主主義はともかくとして、これがたちが悪いのは奴隷にも人権はありますし投票権はあります。ということが意味するのは彼らは奴隷ではないということですというようなさ、「民主主義」というエクスキューズを使って見えない奴隷制を容認してるわけだよね。法的には派遣労働者とかサービス残業させられまくりの会社員とかバイト社員とかは労働法には明らかに引っかかってるとは思うけど奴隷じゃないよね。でも彼らは
奴隷なんだよ。ご主人様の利益のために尽くすのが彼らの役目なんで、だから彼らは最低限かそれ以下の生活を強いられるような賃金しか与えられない。剰余価値の話を出すまでもなく、資本主義というのは基本的にやくざ的な天引きで成り立っているシステムだから、例えばロックだかルソーだか真の自由は搾取からの解放であるといったところで、資本主義社会でやってかなきゃいけない以上、それは無理なんだな。まぁもうそれは無理だと措定しよう。まぁ実際無理だからね。んじゃあ何かね?人を奴隷みたいに扱うということが資本主義の名の下に行われていいのかね?これこそまさしく虚偽意識の布置だろう。The distribution of false consciousnessだろう。


学校も社会もメディアも一方的に「我々は民主制の元に生きている」なんてイデオロギーを垂れ流すわけだよね。実際はそうじゃないのに。むしろ日本なんて悪しき意味での社会主義国だよ。旧ソ連的な意味でのね。全体主義的で自由や多様性が無い。一部の特権階級のみだけが楽な生活を出来るし、社会の階級というのは能力というよりかは家柄で決まるみたいなさ、まぁようは親の経済力とかってことなんだけど、まぁそれだけじゃないんだけど、まぁこれについては前に書いたからいいけどさ、ソ連とあんま変わらないよね。グレードの高いソ連って感じ。アメリカはそれがもっと酷いんだけど、地域社会とか多様性とかパブリックな概念とか市民社会の成熟度なんかが日本より高いんでまだ助けようがあるというか可能性があるんだけど、日本の場合、虚偽意識で汚染されてるから、見えない糸で縛られきってるって感じだよね。国民が。


アリストテレスは奴隷は必要だと言う。今の日本みたいな社会は奴隷は必要だけど、体面上、認可しちゃいけないんで、民主主義社会だのなんだのって色々並べて誤摩化すよね。ギリシャ社会みたいなさ、哲学者が働かないで色々思索したり市民と呼ばれる人達が良い生活を出来ていたのって奴隷制があったからなんだよね。でもそれを考えると今の社会だって同じじゃないかって思っちゃう。企業なりなんなりが利益を生み出せている背景には奴隷制があるわけだよね。それによって支えられている企業が多いから禁止するわけにもいかないんだよね。90年代の後半なんかになんだっけ景気対策っつーかまぁ景気が戻ったとかって言われてたのって大量のリストラがあったからだよね。こんな非人道的なことをしてまで利益を生み出すことに必死になるってどうなの?もちろん企業が大変なのも分かるけど、そもそも企業がそんな奴隷制に依存した経営の仕方でのみやっていけるみたいな、奴隷制に依拠したようなやり方ってのをやめないとこれはいつまで経っても解決しない問題だよね。


長くなったんでまた分けます。


PS


五年ぐらいずーっと聞きたくても聞けなかったヴァギナ・デンタータ・オルガンの音源が聞けて感動したんでURLを貼ります。


http://onesdecrom.podomatic.com/entry/2008-06-29T12_54_10-07_00


特にジム・ジョーンズのやつが聞きたかったんだけど聞けてよかった。まぁ昔のノイズだからMBみたいな感じで音的にも技術的にもたいしたこと無いけどね。


2000人だかのドラムのやつはここからダウンロードできます。恐らく違法コピーじゃないと思うけど、まぁいいよね。廃盤だし。


http://www.killyourpetpuppy.co.uk/news/?p=535


追加。Cold Meat LP発見。


http://thethingonthedoorstep.blogspot.com/2007/10/vagina-dentata-organ-cold-meat.html

天才と分裂病の進化論

天才と分裂病の進化論