リアリズムからの乖離。

mimisemi2008-12-31

もう二週間位全く外に出てないんだけど、食料が尽きてきたので買い出しに行くかと思ってたらもう年末で店やってるのか?とか思ってたら今日はなんだかさ、起きがけに濃いコーヒーを飲み過ぎたのかなんなのか一日気持ちが悪くて全然食欲が無かったのよね。俺の人生と同じく日を浴びてない生活が続いてるんで、抗鬱剤だけじゃセロトニン足りないだろうって話なんだけど、いや、換気はしてるんだよ。でも今日は気持ち悪かった。で、9時ぐらいに寝ようと思って歯磨きしてたら出血してたんだよね。恐らく歯じゃなくて内蔵系だと思うんだけど、胃でもやられてるのかもしれないなぁー。いやーでも凄いね。昔だったら「俺は死ぬぅー!」っつって不安で気が狂っていたと思うんだけど、今はもう生に執着が無いんでどうでもいいんだよね。死ぬなら死ぬでまぁそれも運命かなって感じで。だからこういうの全然怖くない。


ところで年末に仁義を通して見るっつーのを今年はやらなかったんだよねっつーかその代わりに最近はずーっとゲームっつーかペルソナ4ばっかやってたんでさ、なんか燃え尽きた感じなのよね。10日ぐらいずーっとやってたから終わった後がもうなんつーかイッた後みたいな感じが永遠に続いてる感じなんだよね。読書癖とか戻ってこないしさ、ゲームばっかやってたからどう過ごしてよいか分からないって感じなんだけど、とりあえず今日は気持ちが悪くて話にならなかったね。


で、なんかね、今年見た映画のベストとかさ、今年聞いた音楽のベストとかって書こうと思ったんだけど、はっきり言ってあんまり無いんだよね。これってのが思いつかない。なのでこの企画は断念だね。いや、あるんだろうけどどれが今年みたやつでどれが去年見たなのかとか分からないからもうどうでもいいやとか思っちゃったりなんかして。


で、まぁゲームで燃え尽きた後はね、まぁ割と映画を見たりしてるんだけど、レクイエムフォードリームとかインランドエンパイアとかマルホランドとか何回も見たようなやつばっか見たりしてるんだけど、それにしてもまぁレクイエムは鬼レベルの出来だよね。これ。ドラッグの描写とかさ、メンタル的にダメな時の雰囲気とかって経験したことがある人なら分かると思うけど、すんげーリアルなんだよね。そのままって感じだもん。あとやっぱ俺はコネリーが好きだからコネリーが可愛くてもうたまらん。まぁ最後は双頭バイブなわけだが。今はかなりおばさんだけど、この人ってヨーロッパっつーかルーツが北欧系なんだよね。だから顔立ちが綺麗。ワンスアポンでさ、あ、あのアメリカのやつね、子役で出てるでしょ?コネリー。もうすでに可愛いからね。あれ。子供の頃に可愛かった子が劣化せずに上手くいった良い例だと思うよね。


あとあれだ、レザボアドッグスね。字幕無しで見たんだけど、やっぱ半分位分からなかったな。いや、何回も見てるから何を言ってるのかは分かるんだけど、それを台詞から聞き取ってる感じじゃないね。何しろスラングっつーかああいう言葉ってのは理解するのが難しいね。フォーマルじゃないんで大変。あんな会話普段はしないし。それにしてもいつも思うのがあのビッグ・ヴェガっているじゃない?あのサイコなやつ。あれってグッさんのアメリカ人バージョンって感じだよね。いるんだよねぇー。西洋人なのに妙に日本人に似てる人。まぁ逆もあるんだけど。それにしても俺はスティーブン・ブシェーミが大好きなんだけど、この人って本当に良い演技をするよね。


あ、んでそんなことはどうでもいいんだ。書いておきたいことがあったのね。それはこないだのウクライナの殺人動画の続きなんだけど、例えばさ、俺がよ、仮にリアリティを知るためには死や殺人や事故死といったことを具体的に知る必要があるっつってさ、ある程度まぁ普通に生活してたらそういうのを見る機会が無い人達にとってはさ、それってただのショッキング映像だよね。すんげー矛盾してるなって思ってたんだよ。俺の意見。だって普通の人にそんな重苦しいリアリティを背負えるメンタルなキャパなんてないじゃない?なのにそういうのを知ってることがデフォルトっつーかさ、まぁ必要なことっつーのもねぇー。なんか爆撃へのデモがあったらしいけど、あれは凄く良いことだよ。まぁそれはともかく世の中にね、例えばニュースで「ガザ地区空爆」って出て食欲を失う人がどれだけいるのか?ってことだよね。いや、食欲を失う人はそれを知ってるからだよね。俺の母方の爺さんが湾岸戦争の報道を見るたびに凄まじく暗い気分になっていたのは、爺さんの辛い戦争経験からだよね。爺さんはそれを知っているので戦争に対して激しい憎悪を抱いている。ただそれこそ戦争を知らない子供達が大半な今の世の中でさ、まぁ先進国に限って言えば一部を除けばあんま戦争って関係ないじゃない?少なくとも自分の身の回りのことじゃないよね?それってもう戦争っていう言葉と実際の戦争との乖離が生まれているんだよね。戦争と戦争を知らない人達に言っても、それはあくまで彼らにとってはバーチャルなものでしかない。報道で見る映像に戦争のリアリティは皆無だし、もちろん戦争にコミットしている国の報道機関がその国の戦争に関してのネガティブな報道なんてしないでしょ?だからアメリカみたいな国がさ、アメリカ軍が関わるニュースなんて見たところで、それって映画みたいな話なんだよね。あのハリウッドのプロパガンダ映画を見る感覚。で、Youtubeで味方だと思ってたアメリカ兵が凄まじい残酷な行為を捕虜にしている映像とかが流出すると「なんぢゃーごりゃあー!」ってことになる。それを知ってる人にとっては「戦争ってのはこういうもんなんだよ。だから俺はどんなものであれ戦争を一貫して反対するんだよ」って言うだろうけど、知らない人達は自分の国の兵士が自分の国を守ってるとか他国を助けてるとかってマジで思ったりするからね。これは明らかにリアリティと虚構の関係性なのね。


まぁ簡単に言っちゃえば、こないだも書いたように、こういったリアリティと虚構の関係というのは例えば自動車事故にもありえたり殺人にもありえたりまぁ色々なんだけど、ウクライナの殺人動画でも分かるようにあれを見て殺人の酷さというのを知った人は、それこそ道徳的な人だったらさ、まぁ書き込みであったけど「俺のスプラッタ趣味を一切やめる」なんて言うわけよね。これが何を意味するのかっていうと、その人にとってグロ動画とかグロ映画を見ていてもそれはあくまでバーチャルなものでしか無かったんだよね。ただああいうあからさまな殺人映像を見てしまうと、それらが一気にリアルなものになってしまって、偽の殺人モノとかに関してもリアリティを知ってしまったので嫌悪感を感じるようになるんだよね。それは戦争を知らないガキっつーかアメリカでの戦争ゲームの受容って本当に病んでるなって思うんだけどね、なんかバトルフィールドみたいなのが山積みなんだよ。こっちのゲーム屋って。アメ公ってどんだけ戦争好きなんだ?って気がするけど、こういうゲームを楽しみやつらって戦争の本当の姿を知らないからだよね。だからシミュレーションのレベルで楽しめる。でも戦争にトラウマがある兵士なんてのは戦争ゲームなんて死んでも出来ないだろう。


これが俺がずーっと言っているリアリティがバーチャルなものとして捉えられなくなる危険性なんだけどね、かといってさっきの話に戻るんだが、果たしてパンピーにそんな過酷な現実を受け止めるだけのキャパがあるのか?というと相当疑問だよね。あの動画を見てしまった人はあの哀れな爺さんの断末魔の姿が年越ししようがずーっと脳裏に焼き付いたままだと思うんだけど、あの惨たらしいリアリズムを受け入れる精神的キャパって普通の人間は無いよね。ああいうのが色々なところで起こっていたとしても、それをリテラルに受け止められるぐらいの精神的キャパはない。だから報道はライトに済ませるしかなくなるよね。死体映像なんて出すわけにはいかない。かといってそれをやりすぎると実際のこととの乖離が激しくなってしまい、報道というか言葉だけにリアリティが無くなってしまうんだよね。そこで社会的な共感や感情的なものや考えることというのが失われるのは言うまでもない。「あら可愛そうね」で終わってしまう。いや、映像を見たから共感が増幅されるとは限らないんだけど、でもやっぱさ、グロ動画サイトとかの書き込みを見てて思うのって、楽しみで見ている輩もいるけどかなりの数で「生命の尊さを教えられた」みたいな人達がいるんだよね。あと家族を大事にしようとかさ、自殺しようと思ってたけど思いとどまったとかさ、そうなんだよ。俺が言っていることは間違ってないっつーのはああいう映像ってのは教育的なんだよね。人にもよるけど、絶対何かを得るんだよ。でもそれを万人には勧められないんだよね。何しろキツ過ぎるからね。


どう思う?リアリティからの乖離って絶対にあるでしょ?空爆って言われてもピンと来ない人たちが大半だよね。実際は幼い子供の体が親の目の前で吹き飛んでバラバラになったりして、親が狂ったように泣き叫んでいたりするのが空爆なんだけどさ、「空爆」って言葉を見ただけでそこまで想像できる人って少ないよね?自爆テロとかもそうなんだけど。あー難しいなぁー。本当に。結局だから世の中のさ、大枠の社会的な問題とかってやっぱ一部のやれる人がやるしかないのかな?って気がしてくるよね。それは俺がいつも書くような民主主義はロクでもないもんだってことみたいな話になるけど、やっぱりパンピーにはデカイことに想像力を使うようなキャパとか余地って無いのかもね。それは単純に仕事が忙しくてそんなことにかまってられないって人が大半なんだろうけど、それじゃ社会的なものや政治的なものが腐っていくのは目に見えているよね?じゃあやっぱやれる人がやるしかないよね。そう思うと街頭でビラ配りとかさ、そういうのって意味無いのかもね。デモとか集会とかもセクトの祭りみたいな目で見られてるんだろうし、それが社会的メッセージになるには他者にそれを社会的メッセージだと伝えることと
もっと重要なのは他者がそれを社会的メッセージとして受け止めるかどうかなんだよね。人によっては派遣社員なんて自業自得なんて言うわけでさ、こういう人達に派遣労働者達のメッセージは伝わらないよね。彼らはそもそも派遣労働者をダメな人達だって思ってるからもうそこに対話の余地がないんだよね。だからデモも祭りで終わってしまうし、それを見た街の人達との距離も広がるばかりだよね。思うに特に日本みたいな政治的に鈍感な国では政治的な何かというのは無理かもしれないよね。政治的なメッセージを的確に発信する能力がある人も、同じく受け取る能力がある人も少ないので、結局マイノリティのお祭りになっちゃうんだよね。こういうのって。悲しいことだけどさ。


派遣労働者にしてもそうだよね。派遣労働者のリアリズムってのを知らない人達は「ダメな連中」って片付けるんだけど、これもまたリアリティとの乖離が生み出す差異なんだよね。空爆に反応しない人達と同じ。派遣労働者がデモとか死にそうになっていると言ったところで「負け犬が何を言っているんだ」としか考えない人達がいる。これじゃーもうダメだよね。何も望めることが無い。思うに何もかもをリアリズムに則って理解して判断できる人って少ないんだよね。大半はさ、哲学用語みたいになっちゃうけど、ドクサじゃない?臆見よね。臆見が社会を支配しているよね。社会的認識が臆見で出来ていたら、もうそこに政治的な何かが生まれる可能性は少ないし、何よりアプリオリなものというのがドクサで構成されてて再帰性もクソも無いんじゃそれはただのドクサの連鎖だよね。こういうのはランシエール風に言えば取るに足らない人達に起こりやすいことだし、なぜ起こってしまうのか?というと、それはパンピーに政治的なものを求めるからなんだよね。だからそんなの最初から求めなきゃいいんだよね。それなら「あー馬鹿がアホなこといってらぁー」で話は終わる。パンピーはドクサの連鎖の中を生きていて、設計者達は然るべき政治的・社会的を選択しながら国づくりをしていく。


思うに政治には政治的言語というのが必要なんだよね。それは前に書いた政治的ロゴスね。こういったことが前提じゃないとただの感情論のぶつけ合いになったり、根拠の無いただのののしり合いになったりしちゃうんだよね。まぁ意味のないイデオロギーのぶつかり合いってこういうもんだと思うんだけど、普通の人達が政治的ロゴスを持つなんて難しいし無理なことだよね。思うにちゃんとした話ってちゃんとしたことを前提にしていないと成立しないんだよね。それがリアリティを認識した上での会話なのか、虚構やドクサを前提とした上での会話なのか、みたいな差でさ、これらがごっちゃになっているのが世の中だけど、そもそも全員からドクサを無くすことなんて不可能だよね。だからポリティカルコレクトネスなんて普通の人には求められないってことだよね。


あれなんだよ、何が言いたいのかっていうとさ、結局まぁ政治的な何かとか社会的な何かって一部の活動家とかを除いてはパンピーが背負える問題じゃないんだよね。毎日が忙しい人やただの馬鹿や無知な連中も含めて色々な意味で無理が多過ぎる。だからこないだ書いたことはちょっと撤回だわ。まぁリアリティを知ることは重要だけど、それを全員に求めるというのは無理な話だってことね。あくまで彼らの実存レベル範囲内のことでしか物事を考えられない人達が大半の中で、殺人についてとか爆撃についてのリアリティを考えることなんて不可能だもんね。でもなぁー・・・・そうなると自分たちの実存レベル以外のことって全部バーチャルなものになっちゃうんだよねぇー。それってやっぱ危険だよなぁー。あーダメだ。まとまらないので今日はこれで終わるわっつーか今年最後のエントリーがこれか。まとまらないエントリーで今年は終わりか。まぁそれもいいか。

L'oevre Musicale

L'oevre Musicale

↑最近シェフェールが再マイブームで聴き狂っております。聴き狂うようなもんでもないんだけどね。

この映画すんげー見たい。まさしくヴァギナ・デンタータなんだけど、題名はTeethっていうらしいです。