パラダイス・ガラージ。

mimisemi2009-01-13

あれなんだよ、マエストロっつーさ、ラリー・レヴァンのドキュメンタリーがあるじゃない?で、これ久々に見たんだけど、元々クラブってあれなんだよね。ハレ・ケなんだよね。リチュアルなのね。普段はストレスフルで行き詰まったようなやつもパラダイスガラージに行けば居場所が見つかってなんとかなったみたいな台詞があるんだけど、これが凄く印象的だったね。特に集まってたのが当時は今よりまだ差別があったゲイとか黒人とかさ、あとは貧乏な移民とかね、客の大半がそういう感じで凄くアンダーグラウンドだったっつーのがさ、ようはあれなんだよね、こういう連中って所謂、60年代後半とか70年代前半のアメリカで言うところの「普通」の人、まぁつまりは平均的な白人が抱えるようなストレスよりよっぽどストレス抱えてるわけじゃない?だから行き場所が無いようなやつもいるんだよね。


で、パラダイスガラージがそういうやつを包括する救済の場みたいな役割を果たしていたというのが凄くシンボリックなんだよね。そこに今まで経験したことのないようなサウンドシステムで鳴らされる音楽というのがあったんだけど、もちろん言わずもがなドラッグのおかげでまぁその場ってのがもう神聖な儀式の場になってたんだよね。爆音の音楽とライトの効果なんかでトランス状態になるっていうような、所謂、古来からの呪術的な意味でのリチュアル的感覚というのがクラブで味わえたわけで、しかもそこには普段は抑圧されているようなゲイとか黒人といった連中が集まっていたというのが本当に社会的というか政治的だなって思ったんだよね。なんで政治的か?っていうとあれなのね、マンハッタンの土地代が上がっちゃって、んで今はあんな昔みたいなクラブのオーガナイズが出来なくなったってことなんだけど、ホント、資本主義って色々なものを壊すよなぁーって改めて思っちゃった。ドラッグとかエイズが充満している危ないセックスとかの問題もあって、まぁ80年代の中盤はクラブのダークな面が目立っていたらしいけど、これってあれだよね、なんだったっけ、モジュレーションだかでもさ、イギリスなんだけど、レイヴってのがアメリカで言うところのパラダイスガラージみたいな、所謂、ハウス文化のビッグバンなんだとしたらさ、すんげー早いんだけど90年代の中盤ぐらいにはドラッグでダメになるやつとかダークな面が目立ってきて、んでそれがムンベのダークコアみたいなのに象徴されるかの如く表れたとかってそれはまぁ都合良く結びつけ過ぎだろうとは思うんだけど、基本的にクラブカルチャーって栄光と衰退がすんげー激しいよね。


で、この栄光ってのがかなりの部分、かなりグレーゾーンな要素で支えられてたっつーのがあるんだよねっつーのは、本来はパーティーなんかやっちゃいけないところでパーティーをやったり、ドラッグなんかもそうだけどただそのおかげで場所代がかからなかったりさ、まぁパラダイスガラージとかはちゃんと払ってたんだろうけど、あとはドラッグとかなんかも特に70年代の後半なんてのはまだまだ全盛期だよね。で、時が経つとそのグレーゾーンだった部分に法が介入してきたり、それ自体が暴走して人間達が破滅したりなんかして、なんつーか究極的なトリップとかトランス体験って破滅と表裏一体なんだよね。だから栄光と衰退という風なシンボリックな意味で事柄が表れちゃうっつーのはその栄光と衰退のギャップが凄まじく激しいってことね。だからそこに栄光と衰退というものが存在することになる。一番いいのは平常心なんだよね。心って言葉を使うのもなんだけど、そこまで特出しなくても、それが社会的な要素としてそこに布置されたまま機能し続けてお金も回り続けるみたいなさ、そういう役割をクラブが担えるといいんだけど、結局今ってあれだよね、完全に形骸化してるよね。本来のクラブの意味がトランス状態なんだったとしたら、今はシステマティック過ぎるし、恐らくクラブって場が社交場というかイベントの場になっちゃったんだろうね。だからある程度の資本があるような人がバックにいないとイベントが成立しなかったり、人が集まらなさそうな実験的なことってのが出来なくなっちゃって、んで結局、コマーシャルな音楽ばっかりがクラブで流れるようになったりして、んでクラブって場が俗人の場と化すんだよね。つまりハレとケのバランスが無くなっちゃうってことね。ハレとケというのはパラダイスガラージと普段のクソつまらない生活みたいな凄まじい差がないと成立しないし、そこにトリップとかトランスが無いと成立もしないんで、つまりは本来のクラブの機能ってドラッグ無しじゃ成立しないんだよね。あとはそれこそ貧乏人でもいくらでも入れるような凄まじく安い入場料ね。


今の日本でパラダイスガラージみたいなのがあったら相当流行ると思うんだよね。それこそ一昔前のニューヨークみたいに、社会からいらないとか負け犬みたいなレッテルを貼られて行き場が無くなったアノミーに陥った人達がこういう場に集って日頃の鬱憤を解消するだろうね。もちろん日本ってのは最初からクラブってのが形骸化されたフォームで輸入されたんで成立してないんだけど、逆に今の日本みたいなどうしようもない状況だとこういった凄まじいお祭り状態を提供するような場ってのが相当流行ると思うんだよね。こういう場で日頃のストレスとかルサンチマンが解消されたらそれはそれで結構なことだよね。ただもちろんこれって貧困層みたいな人達がみんなドラッグやりだすって話なんて結局はまぁヤバいっつーか長期的に見れば良いことではないんだけどね。でもなんか日本ってホントさ、イベントっつーかクラブみたいなのが色々なものを発散する場っていう機能を全然果たしてないよね。だから全然いつまで経ってもクラブカルチャーってのが根付かない。日本の場合、変だよね。お洒落な人が行くとかさ、ミーハーな連中が行くとかさ、音楽オタクが行くとか、なんか病んでるんだよね。とにかく暴れたいみたいなワイルドさがないっつーか、まぁそこはお国柄なのかもしれないけど、クラブって日本には根付かないカルチャーだよなって改めてマエストロを見て思ったんでした。あれって欧米的なノリが無いと成立しないよね。あと欧米的なドラッグカルチャーね。マリファナ程度で騒ぐ日本じゃクラブカルチャーなんて絶対根付かないね。


マリファナも例えばクラブでのみ使用可能とかだったら救済できる人って相当増えると思うんだよね。それこそ踊らなくてもチルアウトルームみたいなさ、ダウンビートとかドープなダブが流れてるようなマリファナカフェみたいなのがあったらさ、疲れたらそこで疲れを癒すとかって出来れば相当いいと思うんだよね。それこそパラダイスガラージが凄まじく居心地が良い場所で、色んな行き場の無い奴が居場所を見つけていたってのが象徴的なように、日本に限らずなんというか、ハレの場所として本来的な意味でのクラブって必要だと思うんだよね。非日常的な空間がどこにでも開かれた状態であるっていうのはある意味で健全な社会を保全するために必要なことだと思うんだよね。イギリスなんかも昔から労働者が仕事終わりに疲れを癒すためにパブに行くっていう習慣があったんで、階級限らずっつーかむしろ労働者とかが仕事終わりにパブに行く感覚でクラブに行くっていうからね。まぁそういうクラブって大抵ガラが悪いらしいけど、でもこれってクラブが凄い社会的機能を果たしてるってことだよね。日本はなぜ居酒屋止まりなんだろうな?しかもグデングデンになるまで酔って喧嘩するとかさ、どうなんだろう?って気がするな。なんかサイクルが悪いっつーかソ連的だよね。イギリスとかアメリカは週末のパーティーのために辛い日常を生き抜くみたいなポジティブさがあるのに対して、日本の場合、べらんめぇーな感じで酒を飲むでしょ?嫌なことがあったから「今日は飲むぞ!」とか、それってどうなの?って気がするね。そこでクラブに行ってブリンブリンになって見知らぬ人と会話してダンスしながら音楽を聴いたほうがよっぽど健全だと思うんだけど。居酒屋とかって全然ケだからね。日常の延長上としてグダグダと何かの文句を言う場としてあったりさ、あとは特徴的なのが仕事終わりなのにも関わらず会社の組織的なヒエラルキーがそのまま居酒屋に移行するんだよね。つまり会社の延長上として付き合いとしての居酒屋があったりするって相当倒錯してると思うね。仕事終わってるのにまだ仕事しなきゃいけないみたいな話でしょ?思うに日本ってストレス発散が出来にくい社会環境にあると思うね。それはいつも書いているような過剰なサービス業みたいな体質に表れるかのような、労働者側の精神的な負担とかさ、組織的ヒエラルキーとか、徹底的にハレが無いとかさ、すぐアルコールに逃げるような体質とかさ、ストレスだらけだよね。だからいつも思うのがアメリカ人が「ストレスの多い社会だ」って言ったところで「なんでぇーこんぐらいで」って日本人の俺としては思っちゃうのね。


アヴェレージのハッピーじゃない日本人なんて倍以上のストレスを感じながら日々生きてますよって思っちゃうわけ。だからお前ら全然ハッピーだよって思っちゃうわけね。それに加えて欧米っつーかアメリカは割と平均的にみんなハレ・とケのバランスを知っているというか、ストレス解消が上手いんだよね。だから例えば学校とかでもさ、セメスターが終わる最終テストの週とかは他の生徒の話とか聴いてるとあれなんだよね、パーティーだパーティーだってすんげー楽しみにしてるやつらとかいるのよ。まぁ全員じゃないかもしれないけど、なんつーかやる時と気を抜いてリラックスしまくるときのバランスってのが絶妙に上手いっつーかさ、まぁこれってストレスコントロールの技術なんだけど、なんかさすがだなぁーって思っちゃうよね。元々ストレスが日本と比べれば少ないのに加えてストレス解消が上手いと来たもんだからこれ以上のことは無いよね。


草は合法化したほうが早い。草を入り口にケミカル系に走る人が多くなるとか言われるけど、散々アルコールっつー強い毒性を持ったドラッグが蔓延してる日本でこの理論はお笑いだね。草を合法化すればブラックマーケットが無くなるよね。単純に。使う人の裁量でどうにかなるものを禁止するとアメリカの禁酒法みたいにそのものの価値が上がってやくざとかの資金源になったり、妙な価値を生むものとなってしまう。だからどこでも手に入るようにすれば早いんだよ。で、体に合わなかったらやめればいいし、好きになれば肺がんにならない程度に付き合って行けばいいわけだ。付き合い方は酒と同じね。朝から草を吸う人ってのは無職以外はあまりいないっつーのはブリンブリンで出社したりしたらクビになるのが目に見えてるからね。まぁ酒と上手に付き合えない人が日本には多い気がするんだけど、そうなると草も乱用が増えるのかな?レクリエーションドラッグとしては一級だと思うんだけどね。草。で、単純な話をするようだけど、草が流行るとクラブカルチャーも流行るような気がするね。それこそよりよりハレを求める人がクラブに詰めかけるような気がするね。クラブってドラッグと一緒になってはじめて機能するものだからね。あとは単純にみんなで集まって吸うとかさ、映画を見ながらトリップするとか、なんつーか社交の道具として一級品なわけだよね。ジョイントを回したりすることで人間関係が強まるのは言うまでもない。西部劇とかでのカウボーイ同士のウィルキーの回し飲みみたいなもんだね。草を考える時にはやっぱりその害だけじゃなくて、他国の草を上手く利用している人達を見習って、そのトリップできるというようなことだけではない利点をもっと学んで考えるべきだね。日本ってドラッグ教育が全然出来てないから本当にダメだよね。逆にドラッグについて知ってる人ならケミカル系はヤバイなんつーのは分かるし、草ぐらいしかないなっつーのも分かるわけ。アメリカはドラッグが蔓延している分、その教育も進んでるんで、草はそれこそレクリエーションドラッグとして今でもあるけど、ケミカル系を使ってるのは常に純度が高いものを買い続けることが出来る富裕層っつーかハリウッドスターみたいなのか、あとは粗悪なやつかクラックを吸うような貧困層だけなんだよねっつーか俺の勝手な予想だけど。中流はやりたくても高くて日常的には使えないってのもあって手が出ないわけよね。だからそれこそ特別な時とかしかやらないとかさ、日常的にはやりたくても出来ないんだよね。


長いから明日に続くわ。昨日のも分ければよかった。長過ぎ。

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