オタクとイデア。

mimisemi2009-01-31

こないだの宇宙の話があまりに凄過ぎて、はてなブックマークが何千とかはてなスターが何千とかになってて、んでしかもこれに関して世界中でレクチャーをしなきゃいけなくなるだろうから学校とかどうしようかなぁ?とかって考えてたんだけど、全然違ったねっていうまぁそんなジョーダン23はともかく、ジョーダンと言えば最近は抱き合わせ商法が流行ってるよね。人気のあるジョーダン4とか5とかと人気がない後期ジョーダンを抱き合わせて売ってるの。で、人々は4とか5を目的に買うわけだけど、あれなんだよね、ジョーダンの20ってデザイン的に好きだったのよ。基本的になんつーか俺はあのマジックテープがいい感じについてるスニーカーが好きなんだけどね、20はカラーが全然よくないんだよね。ケバいやつばっかで、しかもテカテカしてたりするんだけど、あれなんだよ、3との抱き合わせっつーかカウントダウンパックで出た20がさ、ジョーダンの一連のBlack Cat系の色っつーか全部黒なんだけどね、いい感じにケバい感じが無くなってて、んであのエナメルっつーかプラスチックみたいなテカテカしたところも無くなっててさ、ちょーかっこいいんだよ!フライトクラブっつーナイキとかジョーダンの博物館みたいなヴィンテージスニーカーショップがあるんだけど、ここでバラ売りされててさ、即買ったね。即っつーか発売は去年ぐらいだったんだけど、知らなかったんだよね。こんなにかっこいいとは思わなかったわけ。しかもさ、3がメインなんで、3のバラ売りは230ドルみたいなありえない価格で、んで80は売れ残り商品みたいな感じで80ドルだったんだよね。俺のサイズの9.5が一番安くてさ、んでもまぁ平均価格が90ドルちょいなんだよね。いや、これすんげーかっこいいよ。ってことで最近のお気に入りのスニーカーはジョーダン20ってことでこないだのの話を続けるとね、俺が普段から言うようなね、女性が凄まじく大体ビッチだろうってのはね、こないだ書いたような個人の中で展開される性的シニフィアンと性的シニフィエの関係性の特に対象Xのブラックボックスの部分を常に予想しながら女ってのは行動するからなんだよね。


ようは男性/女性といった平凡な関係性を、性的シニフィアンによって、その関係性を性的な差異の体系として常に変換しようと試みているわけ。まぁ一般的に言うとこれを誘惑とでも言うのかな?普段はちゃんとした女性を装っているくせに、何気に男の気を惹くような若干セクシーな格好をしてみたり香水をつけてみたりするっていうのも常にこの平和な男性/女性という関係性を性の関係性に変換しようとしているんだよね。これが凄く厭らしいことだと俺は常に言っているわけよ。だからイスラムのね、あの女性は顔を隠すだとか脚を見せないとか、ああいうのに俺は共感を覚えるっつーかすんげー同意するってことなわけ。前に書いたよね。これ。実際は俺の個人的な理由としては抜ける姉ちゃんがそこら辺にいたほうがオカズに困らないし、外に出るのが楽しみになるからいいんだけど、どうも人間の関係性というのを考えた時にそれってどうなんだろう?って気がしてくるんだよね。常に女性が男性を性的シニフィアンによって誘惑しようとしているというのは如何なものか?と。だから誘惑する女性って人間の関係性を性的なものに変えてしまうデコーダーなんだよね。意識的にやっている娼婦とかなら商売だから
いいんだけど、普通の女が無意識的にデコーダーの役割を果たしてるってどうなの?って気がするんだよね。


で、現代社会の悪夢は女性が男性を常に誘惑し続けているのにも関わらず大半の男性は女性にありつけないってことなんだよね。俺みたいに筆下しすら出来ないような哀れな連中がいっぱいいる。俺は別にいいんだけど、2ちゃんとかで見かける「お前童貞だろ?」みたいなさ、童貞か否かみたいなのを必死に批判し合ったりしているのを見ると本当に居たたまれない気持ちになるんだよね。彼らはそれだけ抑圧されてるんだよね。女性にありつけないんだもん。だからどうしよう?ってことで二次元に逃げたりするんだよね。そこは斎藤環が言うような「象徴的去勢に失敗したオタクたち」というよりかは単純に「女性にありつけない男達」なんだよね。あとは斎藤さんの言う通り、現実的なセクシャリティを想像的なセクシャリティで埋める必要があるってなことなんだけど、だから二次元的なものがオタク達の性的欲望の一種の象徴というか集積みたいになるのはある意味で必然なのかもしれないけど、そこで俺が思うのはさ、イケメンとか女性に気を使える男性だけを馬鹿な女達は求めるんだったら、そこでだけ性的ゲームをやってればいいじゃんって思うんだよね。世の中には想像的なセクシャリティで現実的なセクシャリティの不在を埋める必要がある哀れな連中がたくさんいるわけで、下手に男性を誘惑するべきじゃないと思うのね。


アメリカってそういう意味だとアメリカの映画とか見ても明らかなようにセックスがスポーツでさ、割とあの赤松啓介の夜這いの民俗学みたいな開かれた性の感じってのがあるっつーのはさ、会って意気投合したらいきなりセックスみたいなさ、アメリカの映画って開始10分ぐらいでもうセックスしてるやつ多いじゃない?全部が全部そうとは言わないんだけど、でもああいうスポーツ感覚があるんだよね。で、洋物AVを見ても分かるような、ジムみたいな感じであそこでテトリスをするわけ。ちなみに「あそこでテトリス」というレトリックはある友人のオリジナルなんだけど、それはともかくとして、日本の場合、性的なものにオープンな割にイケメンと女性みたいな勝ち組性的ゲームみたいなのが氾濫してて、そのゲームに参加できないやつはムスコを立たせたまま帰宅しなきゃいけないんだよね。並の女でも平均以上の男を求めていたりするっていう変な思い上がりがあるんで、売れ残りのダメ男みたいなのがすんげー多くなる。そこまでダメじゃないようなやつもダメ男みたいなレッテルを貼られちゃう可能性もあるんだよね。秋葉原事件の犯人が「俺はモテなくて」なんて言ってたのが象徴的だよね。別にあいつの顔ってそこまで悪いわけじゃないのに、性的ゲームが全て勝ち組ゲームになってるんで、さっきも書いたようにそのゲームに参加できない連中=負け組みたいな構造になっちゃうんだよね。これはすんげー不健全だと思うんだよ。これが二次元創作物の極端なエロス化を招くのはある意味で必然とも言えるわけ。ゲームに乗るか乗らないかっつー二項対立が激しいんで、最初から乗れなさそなやつは無理だって最初から諦めちゃうんだよね。


で、もうイデアの世界にどっぷりになっちゃう。俺はそれが悪いことだとは言わないけどリアルに絶望しているオタクってのが大半ってわけじゃないんだよね。セックスできればしたいんだけど無理だからイデアに行くってやつが多いと思う。そういうやつらがすんげー哀れなんだよね。だからデコーダー的行為は残酷だからやめましょうってことなのよ。やるならお前らの枠組みでやってくれって話なわけで、そのゲームをパブリックに持ち出すなって話なんだよね。この負のスパイラルが繰り返されると、ダメ男達のルサンチマンってのは増える一方だよ。赤松啓介の言い方を借りて言えば、実践なき性教育だけして、あとは放ったらかしみたいな拷問みたいな状況が現代の日本なんだよね。なのにも関わらず女は男のことなんて考えず常に男を誘惑し続けるわけ。で、その性のゲームに乗れない男達は二次元に逃げたりする事で現実的なセクシャリティの不在を埋めるっていうね、すんげー不健全な構造だよね。これって。


リビドーの抑圧を想像的なもので誤摩化すっつーのが良いことなのか悪いことなのか?っつーのは微妙だけどね。二次元創作物に囲まれてすんげー幸せそうにしているオタク達ってのはある意味で究極的な性的勝者かもしれないし、それは人生っていう枠組みで見ても彼らは勝者かもしれないんだよね。だってある意味最強じゃない?絶対裏切られないものに色々なものを保証されているんだから。哀れっつっちゃー哀れだけど、社会っつーか経済の一部分もそれで回ってたり、人間の恒常性もそれで保たれていたりしたら、それってもう否定できないよね。だから女が「そんなキモいものに逃げてて悲しくないんですか?リアルな恋愛をするということが大事なことじゃないんですか?」なんて言うのはもうオタクに対する完全なる否定だよね。人間性の否定だろう。それは。やりたくてもやれないやつらがいっぱいいるって認識しつつ、でも啓蒙的にそういうことをあえて言うのなら分かるんだけど、やつらの哀れな状況というのも理解せずにそういうことを言うのって言葉の暴力だよね。


俺の場合、例のポーランドの姫が対象a化しているので、イデアなものにすがり続けるっていう概念が分からなくもないんだよねっつーか俺の恋愛もまたオタクのそれと同じで脳内でのみ起こるからね。恐らくオタク達にとっては2次元に勝る女性ってのが現実界にいないから想像界に行くんだろう。これが意味するのは日本の現実界の女性達が2次元に負けてるってことなんだよね。だから女性がオタクを批判することなんて出来るわけがない。だってそれはオタクの心を引きつけない彼女たちの魅力の無さが原因なんだからね。


まぁそんな感じで今日はこの辺で。

Pure Silk: a New Dimension

Pure Silk: a New Dimension


PS


良いレクチャーを見つけたんで貼っておきます。