日本人の倒錯した島国根性。

mimisemi2009-02-02

ディッキンの13なんだけど投票があってんで5になってたんだよね!あんまこういうのって意味ないんだけど、嬉しいぃー!って思ってたのもつかの間、なぜかRatingが3になってた。ここからは陰謀論になるのでいつものウォール伝と同じく真面目に読んだりしないでほしいんだけど、これはあれだよ、所謂、デルクイは打たれるってやつですよ。マヨネーズ空手部のね。「最近俺は調子が良い」とか「ポリサイのクラスで目立っている」みたいなノリに乗った俺の事が気に食わないっつー村社会丸出しなジャップが「いい気になりやがって」とかいってRatingを下げたんだと思うんだよね。


俺がかねてから特に才能とか特徴の無いやつは意味無いっていうことの背景には日本のクソサラリーマン横並び気質への批判があるんだよね。いや、普通の人がいてもいい。というか普通の人が多くないと社会は成り立たない。ただ日本の普通の人達ってのはなんだ?ちょっと目立つと蹴落とそうとしたり白い目で見たりして、別に才能とか能力が無いなら無いなりに平凡な生活してりゃーいいのに、ちょっと変わったやつとか才能のあるやつを妬むんだよね。これがもう本当に俺が心底「日本は沈没してくれ」って思う所以の一つね。日本が絶望的な理由って色々あるんだけど、政治は普段から俺が批判しているようにどうしようもないし、知識人の類も凄い人達は他国の先進国に比べて少ないし、何より他人の足を引っ張る村社会体質みたいなのが染み付いた凡人共が腐るほどいるから、凄い人達が伸びなかったり凄いって気がつかなかったりするんだよね。そういうクソ以下な同調圧力みたいなのを生み出す力学みたいなのが国民性になっちゃってるから、どうあがいても日本って国には限界がある。だからアカデミアもダメだし芸術もダメなのよ。それは日本人がダメと言っているんではなくて、そういうのを評価しない日本の体質が良くないって言ってるわけ。才能のある日本人なんていっぱいいるんだから。


言うまでもなく、俺は明らかにアメリカに来てから内面的に急激に伸びた。っつーのは学校とかで人気者になったり褒められたりしたからセルフエスティームが変わったんだよね。「え?俺って思ってるほどダメなやつじゃないじゃん?」みたいな気付きがあったわけだし、こっちではいつも書いているように変わっているとか個性ってのが高く評価されるんだよね。だから俺みたいなやつは本当に良く評価される。まぁ「正当に」評価されるって感じだよね。Ratingで思い出したのがね、俺のミックスは陰謀論にしても、すげーこの村社会っつーか足の引っ張り合いを感じたのが去年ぐらいのYoutubeでの鳥居みゆきの動画ね。とりみーが飛ぶ鳥を落とす勢いでブレイクしかけているときにYoutubeにアップされてたネタの動画とかのRatingがどれもこれも1になってたんだよね。鳥居みゆきの存在をよく思わない他の女芸人達がやってるとか色んな噂があったけど、それが女芸人によるものでも普通の人によるものでもまぁどっちでも一緒だよね。あれだけの卓越したネタをやる人ってのを良く思わない連中がいるってことなんだよ。だからなんつーかふつーの芸人のネタの動画だったらそれは普通だからアンチとか不当な評価とかがつかないんだよね。だってやっても意味無いから。普通だから。でも不当な評価とかディスりみたいなのってある程度卓越していたり目立ってないとそれ自体が成立しないんだよね。


前に俺のブログがアルファブロガ−アワードの候補に選ばれた時にウォール伝を批判してた書き込みがあったんだよね。今でもまぁ探せばあると思うけど、あれを見て思ったのが「俺ってやるじゃん!」ってことだったんだよね。アンチがつくほど俺って凄いのか!と。ただですらmalaさんに推薦されたということだけでも嬉しかったのに、ディスりがあるなんてそれこそその嬉しさを補強するようなものだったよね。ようは典型的な村社会的体質を持ったダメなやつが俺の事を良く思わなかったってことでしょ?良く思わないなら無視すればいいのに、わざわざディスるってことは相当気に入らなかったし何か言いたかったんだろうね。しかも匿名で。本当にへたれだよね。こういうへたれが日本には多いんだよ。で、同調圧力が凄いし長いものに巻かれろみたいな風潮が永遠と続く。だから俺が特にここ最近主張するようになった反民主主義ってのは特に日本みたいな集団で何かやってないとダメな村人達がいっぱいいる国には強いリーダーシップを持った本当のエリート達が必要って思うようになったから生まれた概念なのよ。比較してもしょうがないけど、そういう意味だとアメリカはまだ大丈夫。っつーか馬鹿も多いけど、市民社会にあるべき最低限のシチズンシップみたいなのはある。でも日本ってダメだよね。本当に。脱政治化したようなノンポリの連中が多いし、ましてやそういうやつらが卓越した人達の足を引っ張るっつーんだからもう烏合の衆が乗った日本っていう船が自分たちで沈没していってるようなもんだよね。愚者の船っつーレトリックがこれほど似合う国ってのは無いと思う。あ、まぁお隣の韓国とか似てそうだけどねっつーかもっと性質が悪質な感じがするけど。それは韓国人批判じゃなくて日本と同じく韓国社会批判ね。


いや、普通の人、大いに結構だよ。ただ足を引っ張るのはどうかな?ここで普通の人を批判すると必ずさ、おめーみたいな変人じゃない普通の人達が世の中を支えてるんだみたいなくだらねぇー言い方するやつがいるじゃない?んじゃあそういうことを言う前にてめーの抑圧された社会を目を見開いてちゃんと見てみろってことなんだよね。ただですら封建的な風潮やらシステムがある国で、さらにそれを補強するかの如くいるそういった封建社会というか抑圧的な社会の力学を担ってるような村人達ね。こういうやつらは本当に害悪以外の何でも無い。だからとっととこういうやつらから政治権を奪ってエリート達が率先して政治を担っていかないと国がどうしようもなくなるってことになるわけ。まぁかなりの飛躍があるけどね。


村人が村を支えてるんだって言い方そろそろやめない?愚者の船はもう沈没しかかってるよ。本当に能力がある人達が活躍できる社会を育んでいかないと船は沈没するよ?だからまず妬むのをやめようよ。村人どものどうしようもない才能の無さとかダサさとかへたれ加減は分かるけどさ、だからといってそれはそいつらがそんぐらいの能力しか持ってないってのが原因なわけで、他の才能のある人達をそいつらが邪魔する権利なんて無いんだよ。だからまずこういう陰気なことをするのはやめよう。いや、俺のミックスはどうでもいいんだよ。これは俺のミックスのRatingの変化を見て思いついたトピックなんで書いてるってだけで、それ自体はどうでもいいのね。


ホント何が憎いってこの他人の足を引っ張る村人達なんだよね。だから俺は日本が大嫌いなの。まぁだから死んでも帰る気はないんだけど。村人が村を支えてるって言い方は普通の人達が普通の人達の機能を担っていてはじめて成立する言い方でしょ。みんな普通の村人たるべしみたいな構造がある中でこんな言い方をしたらそれはただの全体主義だよ。だからこういう頭の悪い奴らの手当ってのはだから本当に大変なわけ。だから最低でも頭が悪くても他人の足を引っ張らないで自分のやれることだけやってればいいわけよ。はっきりいって今の社会学とか政治学の主要なトピックの一つって「馬鹿をどうするか?」ってことだと思うんだよね。それは日本に限らずかもしれないんだけど、その辺を露骨に言ってるのが昨日も書いたレオ・シュトラウスみたいな保守系のエリートなんだけどね。だから俺が最近保守主義に惹かれるってのはこの辺なんだよね。ようはガバナンスってことなのよ。もう人々は無理って諦めないと政治が始まらない気がしてきて。そこで幻想的な左翼のさ、妙なあの労働者階級への期待とか普通の人達っつーかようはマルチチュードの可能性みたいなのがすんげー苛立たしく思えてくるんだよね。お前らの「人民」への期待って何なの?っていう。書斎に籠ってるからそういうことが言えるんでしょ?っていう。こういうのを書いてるエリート左翼とかってぜってぇースーパーとかコンビニでバイトしたことないだろうからさ、パンピーのどうしようもなさってのが分かってないんだよね。


ふつーに良い成績取ってストレートで研究者になってから助教授になってんで教授みたいなやつらってーのは世の中について無知なんだよね。どんだけこの世の中にアホが多いかってのを分かってない。繰り返しになるけどアホはアホなりにいい。いてもいい。ただ他人に迷惑をかけたり変な政治的参加をしないでほしいってことなんだよね。竹中のB層に見られるようにポピュリストってのはこういうアホを動員する手法を研究し尽くしているわけだからさ、だからポピュリズムってのが横行するんだよ。


「お前何様だ?」とかね「自信がついたのは分かるけど、それは誇大妄想だ」みたいな意見は分かるよ。いや、俺は実存レベルでは昔とあんまり変わってないよ。むしろ自分に自信が無いから今でも人前でスピーチが出来なかったり綺麗な人と対面すると緊張するわけで。俺が言っているのは俺の自信とか頭脳とかとは関係が無いただの個人的な分析なのね。もちろん個人的な分析っていうからにはまぁ俺の実存が丸出しになっているわけで、Value Freeではないけどさ、でも別にそこで俺が「エリート」って言葉を多用する事が別に俺自身がエリートだっていうことを意味するわけじゃないっつーのは本当に分かってほしいね。俺は自惚れていてこういうことを言ってるんじゃなくて、ちょっと頭がおかしいのは分かるけど割と真面目に政治とか社会を自分なりに考えて色々書いたりしてるんだっつーのをね、分かってほしいよね。そういう意味で俺は日本ってのは沈没しかかった愚者の島だって言っているわけ。ダメな社会基盤に加えてダメな国民と来たもんだから救いようが無いんだよ。みんなで足を引っ張り合うから何もかもが頭打ちになる。で、知らない間に他国からどんどん無視されていって取り残されちゃう。これじゃーダメだよね。


ここでまた一気に左翼みたいな言い方に戻るけど、まずさ、人を妬むのを極力やめようってことなんだよね。人間そのものに妬みがあるのは分かる。ただ日本はそれが強過ぎる。だからまず他人の能力は他人の能力で認めるっつーさ、認め合うっつー相互的な人間関係を始めてもいいんじゃないか?って思うわけ。身近に凄いやつがいたら、むしろそいつをライバル視したりさ、そいつが凄いから俺も負けたくないみたいな、まぁ幼稚な相対主義ではあるとは思うけど、でもこれって社会の原動力になったりするよね?でもそれに比べて能力があるやつの悪口を言ってそいつの足を引っ張るなんて社会的に本当にマイナスだよね。そんなもん和でも協調性でもなんでもないただの悪質な妬みだよ。こういう日本的な妬みとかくだらない足の引っぱりあいっつーのはもう価値からいってそれこそ快楽殺人並に意味が無いことだよ。そういう精神があったからこそここまで経済的に伸びたっつー言い方は、まぁある意味でそういう陰湿に見えるようなことでもプラスになることがあるってある一面を肯定しているわけだよね?でも俺に言わせればね、快楽殺人という例を出したけど、本当に全く意味無いのね。意味無いどころかもう害悪でしかないのよ。加害者に関しては全く同情の余地は無いしそんなことをやる正当性なんて全くないし、社会的にも何にも有益なことはない。もちろんその加害者がなぜ殺人に及んだか?というプロセスを分析したり研究したりするのはいいことだけど、その事柄自体は何の得も無いわけ。だからんなもんやらないほうが一番いいんだよ。それを無意識にやってる人がどんだけ多いか?ってことだよね。


繰り返しになるけど、別にこれは俺を妬むなとか俺のミックスの良さに関して文句を言うなって言ってるんじゃなくて、一般的な日本の出る杭は打たれるみたいな社会性を批判しているわけね。あ、ただまた俺の個人的な話に戻るけどアルファブロガーアワードにしてもさ、あれは別に過去のアルファブロガーが選んだブログってことで選ばれたわけで、システマティックなことでしょ。それって。まぁいいや。別にそれが色んな人の投票でもいいや。別に。でもさ、「なんであいつが!?」って匿名で書き込んだり妬んだりする意味ってあるわけ?それだったらさ、例えば俺がアワード候補に選出されたときに書いたことだけど、むしろこんなブログを推薦することで、そのアワードの価値が揺らがないのか?って書いたよね。カンヌ映画祭にネクロマンティックが出展されたようなもんだって書いたよね。そういう批判ならいいっつーか分かるよ。俺もそう思うもん。いや、選ばれた事は嬉しいけど、でもちょっと正直微妙だったよね。いや、今では全然そうは思わないけど。あれはmalaさんの個人的なお気に入りだったってことで、それはシステム上そういう風な価値観で選ばれる事を前提としていたわけで、だから別に選ばれた事自体は全然いいんだけど、繰り返しになるけど「なんであいつが?」っつー批判が全く理解できないのね。


「あいつのブログはたいした事無い」ってそんなの誰もが知ってる事だよ。それをあえて言うっつーことはんじゃあ俺のブログってのはたいした事あるのか?って思っちゃってパラドキシカルにディスを見て嬉しくなったって書いたけどこれは挑発でもなんでもなく事実ね。ただ俺はこういうことを書き込む奴がいるっつーのが本当に悲しいことだなって思うよね。とりみーと自分のブログを比較するのはあれだけど、同じような陰気な妬みっつーのをとりみーの動画への不当なRatingとか俺のブログへの批判に感じるよね。だからまぁこういう例を出したわけだけど、別にこれ自体はだいぶ昔の話だからどうでもいいし、強がりでもなんでもなくディスに関してはマジで嬉しかったから個人的にはいいんだけどね。ただ現象的に悲しいなって感じるわけで。まぁだからとりみーの不当に低いVotingっつーのもラカンチックに言えば、逆にその現象自体がその事柄の本質を表してしまってるみたいなことなんだけどね。何かを隠す事でそれ自体の重要性みたいなのを人々が感知してしまうというのと同じことね。まぁ不当に低い評価とかつけるやつは頭が悪いからそういうことをするのは5つ星以上の評価を与える事になるっていう逆説的なことに気がつかないんだろうけどね。


日本の弱さってのは日本のアホな横並び気質と横並びシステムに原因のいくつかがあるってことだね。まぁあれなんだよね、俺も妬みはあるよ。すんげーある。何しろ人間だから。でもそれってのは特権階級への妬みなんだよね。つまりは金持ちの留学生とかを見ていて「やつらは経済的なことを気にしなくて済むから気が楽だよな。ケっ!」って思ってしまうような心ね。あとNYUの前とか通るときにも「ケっ!ブルジョワスクールめ!」って思ったりするわけ。でも俺自体はよく考えてみればこんな歳にもなって留学できていること自体がすでに特権階級だし、相当恵まれているから、まぁ俺のこういう妬みっつーのは本当に浅ましいものだとは分かっているけど、でもやっぱ経済的なものに対する妬みっつーのはあるよね。「あー僕、インテリアデザインに興味が出てきちゃって、あ、んでデザイン系の学校に通おうと思ってるんですよー」「でもデザイン系のスクールって学費が高いんじゃないですか?年間300万とか・・・・」「まぁー大体そんぐらいはしますよねー」って言われたときに「カチン!」と来るのはひとえに経済的なものに対する妬みだよね。


この人自体は悪くないんだけど、なんかあの金銭感覚にムカつくんだよね。呑気なこと言いやがって!って思っちゃったりする。ましてやアメリカに来て6年とかでようやくコミカレを卒業してんで学費が馬鹿高いデザイン系の学校行くとかさ、「どんだけ気楽な留学生活してるんだよ!」って思っちゃう。でもこの人自体は悪くないんだよね。別にこの人の実家が金持ちってだけで、俺がこの人を批判する余地なんて無いんだよ。でも俺は妬んでしまうんだよね。妬むっつーかムカつくのかな。俺は学費とかを気にしながら学校選びとかもしなきゃいけないわけだからさ、そういう意味で「いいなぁー」って心のどこかで思っている妬みなんだよね。本当に浅ましくてみっともないし、だったら頑張って勉強して奨学金ももらえばいいじゃんって話なわけで、俺の妬みっつーのは全く成立しないのは分かっているんだけど、でもあるんだよ。妬みが。


こういう妬みなら俺にも分かる。たださ、他人の能力に対する妬みって何なの?これに関しては俺はさっぱり理解が出来ない。「うわーこの人の曲すげー!」って思ったらその人の才能を凄いと思ってファンになるよね。俺は少なくともそうだな。それは学者とかにしても、俺と同世代ぐらいで俺とは違ったもっとちゃんとしたオーセンティックでアカデミックな社会分析とか論文みたいなのを書いている若い人達ってのを見るとやっぱ凄い人は凄いなって思うんだけど、妬みっつーのは生まれないよね。でもそこでさ、同世代とかってことに妙に反応して「こんなのただのマックス・ウェーバーの焼き増しじゃないか」とかって憎まれ口を言いたくなるやつらってのがいるんだよね。俺はこういう性質の妬みってのが本当に悪質だって思うし、さっきから一貫して批判しているのはこういう類の妬みね。


いや、この人はちゃんとした論文を書いているんだからそれはそれでいいじゃないか。社会にコントリビュートしているだろうし、若い世代にこういう人達がいていいじゃないかってなんで思えないのかな?ってすげー疑問なの。俺はそういう意味で他人の頭の良さとか才能に嫉妬した事は一度も無いな。まぁ比較して自分の凡人さ加減に鬱になることはいくらでもあるけど、それがその才能ある人達に対する怨恨、まぁニーチェで言うところのルサンチマンになったことは一度も無い。そんなことを思っているぐらいなら、自分でやれることをやればいいって思うし、むしろ誤解を恐れずに言えば、その凄い人達と競えるぐらいになれればなとかって思うわけだよね。そういう意味で俺は勝手にライバル視してる学者達やDJやアーティストってのが世界中にいるんだよ。恥ずかしくて言えないけどね。対象達が凄過ぎるから。でもこれってのがさっき書いた稚拙な相対主義というか比較ながらも社会的原動力を生み出したりする力になる関係性なんじゃないかな?って思うんだよね。そこで妬んでるだけじゃ何も生まれないんだよね。


才能やら能力への嫉妬っつーのは究極的に言っちゃえば自分の卑下だよね。「ケっ!」って憎まれ口を言うぐらいでしか何も表現できないわけ。だったら自分も凄くなろう!とかさ、凄くなれるように頑張ろう!とかさ、なんでそう思わないのかな?ってすんげーこれまた疑問なんだよね。なんで自分への卑下なのかっていうと、そういうちょっと凄い人達に対して悪口を言うってことは、自分はそれ以下ですって公言しちゃってるようなもんだからね。考えても見てほしいのが、例えば小学校の先生が生徒の作文を見て嫉妬しないよね?よく書けてたら「よく書けました!」じゃない?でもさ、中途半端な大学教授が凄い生徒の論文を見て「ケっ!」って思うのってもうそこであれなんだよね、そいつの凄さへの妬みがあるからなんだよね。何が言いたいのか?っていうと、明らかに上の人が下の人を見て嫉妬をしたりしないってことね。むしろ下の人がそこそこやってるなら「凄いじゃないか」って褒めたりするっつーその背景のはその人の「自分は上だ」っていう自負からだよね。上っていうとおかしいけど、ようは小学校の先生と小学生みたいな比較になり得ない関係性の上では妬みは生まれないってことね。


逆に大学教授と生徒とかの関係性だと下手すると生徒がそのへたれ教授なんかよりも良い論文を書いていたりするかもしれないわけでさ、そこにようは同じフィールドでの競り合いっていう関係性が成立してくるんだよね。高学歴ワーキングプアという本に書いてあったことだけど、博士論文の審査をする審査員達ってのの中にはただの4大出のやつがいたり大学院卒のやつがいたりして、ようはその生徒の博士論文を認めてしまうことで、自分より上の学歴をその学生に与えてしまうことになっちゃって、んで審査を渋るみたいなね、自分が逆さまになっても書けないような凄い論文なのにあえて認めないみたいなさ、これぞ日本村社会の真髄!とも言わんばかりの事実が書いてあって驚いたわけだけど、まぁメイクセンスだよね。こういうようなくだらない力学が至る所で働いているわけだから、日本ってのは凄い人達が育ちにくくなっちゃって、んで体制側に迎合するようなやつらばっかが社会でやってけるようになっちゃうわけだ。っつーか日本の大学って行く意味が全くないよね。特に大学院以降なんて完全に意味無い。


すでに上にいる連中達が下から来る凄い連中を認めないんで能力が頭打ちになっちゃったりしてるっつーのは本当に倒錯してるよね。その点、アメリカでは凄いのはやっぱ凄いって認めるんだよ。こっちってのは本当によく人を褒めるっつーのはいつも書いていることだけど、この人を褒めるとか認めるってことがどれだけ人材育成に貢献してるか?っつーのを俺は痛感しているよね。ようは俺が明らかにこっちに来てから伸びているわけでさ、逆説的に言っちゃえば日本にいただけじゃこんな自分は発見できなかったなってことなんだよね。まぁ中には日本でも育つ人はいるかもしれないけど、やっぱ褒めるとか正当に評価するっつー当たり前の基盤が無いとそれはなかなか難しいよね。特に日本みたいな社会だと能力なり凄さで認められるっつーよりかは、人間関係的な根回しとかさ、相手に気に入られてんで評価されようとかっていうようなことがむしろ重要じゃない?日本のDJシーンとかインディーズ系のライブとかの打ち上げとか見ててもすんげーそれって感じるんだけど、会社とかだったらもっと顕著なんだろうなって簡単に想像がつくよね。本当にくだらない社会だよね。全くコミットする価値がない。だから前にも書いたように勝ち組みたいなやつらってのに体制側とか既存の社会システムに迎合しているようなのが多いんだよね。むしろ狂ったシステム上で回ってる社会で上手くやってるやつらなんてその実力なんて怪しいもんだよね。実際は根回しとかよいしょとか人間関係が上手いだけなんじゃない?とかって思っちゃうよね。これみたいなことは早川和男の「権力に迎合する学者たち」っていう本に書いてあったと思うんで興味があったら読んでみて。何も学者に限った話じゃないなって思うはずだから。


反骨精神っつーのを発揮すると評価されたり伸びたりするアメリカとは対照的に、反骨精神を発揮すると蹴落とされる日本ってのはもうそれ自体が国力の低下のダイナミズムを作り出しているようなもんだよね。もちろん人間の本質というレベルで世界のどこにいっても妬みっつーのは存在するけど、日本の場合、特に強い妬みっつーのが社会の骨組みにまで浸透しちゃって、それがシステムの一部分になってたりするから助けようがないんだよね。そんな狂った倒錯したシステムの中でやっていかなきゃいけないなんて人生自体がもうただの苦痛だよね。それって。そんな意味でも前に書いたパラダイスガラージの話みたいにさ、まるで日本社会全体が一昔前のかなり抑圧されてたアメリカのマイノリティ達みたいな状況下にあるんだよね。だからドラッグ無しじゃやってけねぇーべってすんげー思っちゃうし、アメリカ以上にドラッグやハレの場が必要なのが日本だよね。


俺はまぁ体質的に精神病全般が酷いから、抗鬱剤と安定剤が無いと生きていけないジャンキーだけど、抑圧的な社会ってのは俺みたいなやつじゃないまともな人すらもドラッグを欲してしまうような不健全なものなんだよね。だから日本で大麻如きで大げさに騒いでいるのを見ると「そんぐらい別にいいじゃん。ストレス凄いんだから」って思っちゃうよね。別に人を殺さなかったり普通に生活できるんだったら俺はコカインとかも別にいいと思うよ。それはコカインの使用を問題視するというよりは、コカインを欲してしまうような人達が多くなってしまう社会っていう方に問題があるわけでさ、緊急的にやらなきゃいけないのは健全な社会設計だよね。ドラッグ規制なんかじゃない。例えて言えば都市伝説かもしれないけど、バブル期の日本の企業っつーのがさ、社員に残業とか徹夜させるためにコカインを配ってたなんて話があるけど、まぁこの話自体の信憑性はともかく、ここで見えてくるのは主体がコカインを使うという行動に至らしめている力学というのが会社ということだよね。普段はコカインを欲しないような人も残業や徹夜をするためにコカインにお世話になっちゃう。それはそういった構造的な力学がコカインの使用を促しているわけで、そこで主体に責任を問うのはお門違いだよね。むしろそんなドラッグでもやらなきゃやってられないような労働を課している会社自体が問われるべきなんであってさ、この構造的な力学ってのがようは特に今の日本社会みたいなのでは顕著ってことだよね。


異常な自殺率とかさ、最近流行ってるドラッグの使用とかさ、ドラッグはともかく自殺に関しては明らかに社会がおかしいからだよね。こんな自殺率をはじき出す社会ってのが健全なわけがない。ようは社会ってもの自体が厳しい労働とかさ残業とかさ、徹夜みたいなのを国民に強要してるようなもんなんだよね。まぁ労働とか残業とか徹夜以外にももっと色んなストレスフルな要素を生み出すものってのがあるわけだけど、そういった構造自体が人々を自殺に追いやってるわけでさ、そこで自殺者達が「無責任だ」みたいに批難されるのはこれまたお門違いなんだよ。洗剤どうのって言う前にもっと見直す点がいっぱいあるだろ!ってツッコミを入れたくなるよね。それはまぁ去年からずーっと言い続けてることだけどさ、だから俺は少なくともこういう異常なストレスフルな状況下においては自殺権ってのは人権に中に認められると思うわけ。自殺するってことがどんだけ追いつめられた異常なことなのか?っつーのをさ、もっと理解しないとダメだよね。あと社会の不健全さにもっと意識的にならないとダメ。


そういうストレスフルで非合理的で不健全な社会の力学の一端を担ってしまっているのが日本人の国民性なんだっつーのは言うまでもないよね。政府が狂っている上に人々も狂ってるんで社会は究極的に狂う。狂った構造を作る政府とそれを担う国民ってもう正気の沙汰じゃないよね。まぁその正気の沙汰じゃない一つってのがまぁ今日長々と書いた日本人のダメな島国根性っていうかさ、村人気質なんだけどね。


こんな長く書くつもりは無かったんだがね、いやーまぁミックスのRatingからずいぶんと話が発展したね。ウォール伝って言わばハッテン場ですね。色々と話がハッテンするんだが、射精ばっかしてて何も生み出さないっていう。ってことで今日はこの辺で。

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権力に迎合する学者たち―『反骨的学問』のススメ

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