シミュラークルな渋谷系。

mimisemi2009-02-14

チョコレートはもらえたかい?バレンタインの痛い思い出を公開したくなったので勝手に書くわ。


っつーのはさ、あれなんだよね、小3ぐらいの時に好きな子がいたんだけど、この子からバレンタインの日にチョコをもらいたかったんでこの日に必死に色んな事をしてアピールしたんだよね。無理矢理声をかけてみたり、特に痛かったのがこの子の前で縄跳びをするという行為ね。なんで縄跳びをするのか?っていうと、ようはこれが「クール」だと思っていたからなんだろうね。二重飛びとか女の子の前でできたらクールだとかって勘違いしてたんで無理矢理この子の前でビュンビュン縄跳びをやり始めてたんだけど想像してみてほしいんだよね。いきなり男がさ、女の子の前に唐突に現れては縄跳びをする様子を。で、一番痛かったのが帰り際ね。校門の前でこの子の待ち構えて、んでこの子が来たらビュンビュン縄跳びを始めて、んで華麗にスルーされたっていう。


小学生とは言えなんで男ってこうもイタイことをしてしまうんだろうね?他にも過去の事とは言え思い出しただけで「うわー!」っていてもたってもいられなくなるようなことってすんげーあるよね。なんでバレンタインなんていう俺とは縁のないことを思い出したのか?っていうとポリサイのクラスで誰かの鞄の中にずいぶんとちゃんとした包装がしてある包みがあってさ、んで「なんだろう?」って思ったのね。で、あ、そっかバレンタインかと。まぁ今日は13日だけど、明日は学校休みっつーか休みじゃないか。まぁ土曜だからね、今日のうち渡してしまおうっていうアレだったのかな?まぁいいや。モテない男達はこういうねつ造された恋愛系のイベントがある度に嫌な思いをするわけだよね。


で、ねつ造で思い出したのが、渋谷系ね。前から書こうと思ってて忘れてたんだけど、90年代半ばぐらいに世界的な現象として現れた「ラウンジ系」なるものが大いなる物語のねつ造と関係してたっていうのはさ、世界のいろんなラウンジ系、お洒落系のユニットに共通していたのが神話のねつ造なんだよね。ディミトリ・フロム・パリで言えばサクラブルーのねつ造された「いかにも!」って感じのフランスっつーかパリのイメージね。実際のパリなんて映画のハイネとかカノンを見れば分かる通りなんだけど、「花の都パリ」みたいな勝手に流布してる伝説的なイメージっつーのを利用してエンハンスして作ったのがサクラブルーだよね。あれは「パリのイメージ」の集大成だと思う。つまりこれはミュージックコンクレートのからくりと一緒で、ミュージックコンクレートってのは簡単に言っちゃえばシェフェールが言っていたところの「The sonorous object」って言う、ようは音を発する何かってことなんだけど、例えば人々がバイオリンの音とドアのきしむ音の違いを認識するときに必要とするのは「そこから音が出ているのだな」というビジュアルイメージだったりするわけだよね?実際は逆もあるわけだ。ドアのきしむ音をバイオリンの名手が再現することもできるし、逆にダメになったバイオリンみたいな音がするドアってのもどこかを探せばあるだろう。ってことで音の解釈ってのは恣意的で決定的なものというのは所与のイメージなんだよね。「バイオリンから出る音がバイオリン」というコモンセンスがバイオリンの音を規定しているわけ。


このからくりを上手く反転させて人間の認識そのものを現象学的にいじろうってのがミュージックコンクレートのオリジンなんだけど、渋谷系現象学的なミュージックコンクレートの面白い一致っていうのは、両者も所与の人々の既存のイメージというのを利用している点にあるんだよね。人間の知覚をいじると言う点で、渋谷系というか例えばディミトリのサクラブルーなどは世界に流布しているありもしない「花の都パリ」のイメージというのをジャケや細部に布置されたフランス語や過剰な「パリパリパリパリ」みたいなパリって言いまくるみたいなサンプルが人々の「パリ」のイメージを惹起しているんだよね。で、例えばマンシーニのストリングスだとかイージーリスニングだとか、50年代とか60年代のキッチュでレトロながらも華麗なサンプルっつーのがサンプルの出所がメイドインパリじゃないのにも関わらず「パリのイメージ」を作り上げる事に加担しているんだよね。ディミトリはその世界中の人々がパリに対してイメージしている幻想というのを客観的に理解した上で音楽作りに利用していたんだよね。その結果があの集大成的なパリのイメージに彩られたアルバムね。


で、ミュージックコンクレートの場合、「ギギギギ!!」という何かがきしむ音をビジュアル無しで「何かの音」とビジュアル無しのピュアな音として聞かせることで、その非音楽的な音から音楽を構成するというようなコンセプトなのね。もしくは「列車の音だ」と想起させておいて、それがいきなりリバースしたり、違う音と重なっていたりっていう、「あれれ?なんかおかしいな?」って言う、まぁ今の人だったらそんなの微塵も感じないだろうけど、当時、テープというものが珍しいものだった40年代みたいな時代には斬新な手法とアイデアだったわけ。特にシェフェール現象学からアイデアを得たというのもシンボリックなんだよね。凄く時代性を表しているというかなんというか、現象学と当時の最新のエレクトロニクスというのが合わさった音楽っつーのがさ、俺は勝手に凄いなって思うわけね。


で、渋谷系に話を戻すとだな、当時、同時多発的に出てきた他のユニット、例えばジェントルピープルなんかのレトロでキッチュな近未来のイメージだとか、ピチカートファイヴなんかも「東京の夜は7時」みたいな、「洗練された東京」のイメージってのを上手い事ねつ造していたよね。ピチカートはプロモを見れば分かるけどっつーか大体のラウンジ系ユニットのイメージって共通しているのが、60年代ぐらいのヒップでお洒落な映画とかのファッション感覚なんだよね。手法とか画の作り方とかを全部パクってきている。で、結果的にお洒落でノンストップでビジーな「トーキョー」のイメージや「パリ」のイメージや「マンハッタン」のイメージや「ロンドン」のイメージってのが作り上げられるんだよね。全部ねつ造なのは言うまでもない。ようは旅行会社みたいなのが良いイメージのコラージュで作るパリとかロンドンとかマンハッタンのプロモーションビデオとかと一緒なんだよね。それは俺がサブウェイでサンドイッチを食べているときに見ていた店内の広告を流すテレビで見た「ジャパン」のイメージそのものなんだよね。東京タワーとか京都のお寺だとか代官山とか原宿の街並みたいなのがすんげー美しく撮られてて、んで細部を見るまでもないぐらいその様々なアイコン的イメージってのが忙しく切り替わるんだけど、んでその映像の最後に「ジャパンに行こう」みたいなメッセージが出るんだよね。でも実際はそんな良い場所じゃないっつーのは今の日本の人々なら死ぬほど分かってるだろう。炊き出しに群がるホームレスやらネットカフェを住居にしている派遣労働者やら殺伐とした街の雰囲気やら何やら、世界的に景気が悪いんで、「イメージと違う」のは何も「トーキョー」や「ジャパン」だけじゃないんだよね。パリだって移民の暴動があったりするわけだし、マムハッタンなんて言うまでもなくホームレスが多い。まぁ治安は良くなったかもしれないけど、人々の「サバイバル感」ってーのは洗練されたセックスアンドシティーみたいなねつ造されたイメージとはほど遠いのは言うまでもないよね。あ、んでピチカートのデビューは80年代後半だけど、他のラウンジ系のユニットとシンクロしていたのが90年代半ばぐらいだったって意味でのシンボルとしての「東京は夜の7時」なわけね。


で、ラウンジユニットに話を戻すと、興味深いのが彼らのその何らかのありもしない幻想を作り出してイメージを想起させるっていう手法は50年代とか60年代ぐらいに流行ったBPM、バチェラーパッドミュージックにそっくりなのね。戦後景気が良くなってリッチになった独身のアメリカンが自慢のオーディオシステムで鳴らすために作られたようなイメージの音楽ね。それはマーティンデニーがありもしない「エキゾ」っていうハワイだとかアジアだとかアマゾンだとかをサイードで言うところのオリエンタリズム的偏見で混ぜ合わせて作ったわけのわからないハイブリッドな音楽とかね、まぁオリジンはレス・バクスターだけど、あとはエスキベルみたいなのもわけわからない漠然とした「宇宙」みたいなイメージでアルバム作りをしてみたり、Ferrante & Teicherなんかも宇宙服を来たジャケットの宇宙旅行だかなんだかをテーマにしたアルバムなんかがあったりしたり、あとは「アラブの王」だとか、なんつーか中近東系の当時は未開の地だった場所に関してのオリエンタリズム的な視点からのねつ造された勝手な中近東のイメージを西洋的な音楽感を利用してスポイルしたようなエキゾ音楽やBPMっつーのが凄く流行っていたんだよね。


これと同じような手法を自分たちの国に当てはめたのが一連の90年代に流行ったラウンジ系音楽なんだと思うんだよね。ようは「ハワイ」とか「ジャングル」とか「アラブ」とか「宇宙」みたいな漠然としたイメージを「トーキョー」や「パリ」に置き換えたってわけ。後者のほうがリアリスティックでなおかつスタイリッシュなので新たなモードとして流行ったわけだけど、現実とのギャップに苦しんで「パリ症候群」みたいになった人も少なくないだろうね。ただそのキッシュで陳腐な感じってのをあえて評価してオマージュを捧げていたのがマニュエラ界隈の人達だったりモンドミュージックだったりして、その白眉がまりんのCross OverとTipsyのTrip Teaseなんだよね。この2つの音楽性とサンプルの密度の高さと作り込みの異常さは半端じゃない。両者とも桁違いのモンドオタクが色んなレコードから抜きまくって作ったちょーハイブリッドなコラージュ音楽なんだけど、その音楽性の高さは「お洒落」なイメージをねつ造する渋谷系とかラウンジ系みたいなのとは一線を画する存在なんだよね。いや、別にラウンジ系が悪いわけじゃないのよ。同じくイルマ系みたいなネオラウンジみたいなのもあるし、それはそれでいいんだけど、ただやっぱ音楽性の高さはさっき書いた2つが半端じゃないんだよね。まりんに関してはTake off Landingも言うまでもなく凄いけど、モンドコラージュ感で言えばCross Overのほうがハードコアだね。


ということでした。ようはSABPM(スペースエイジバチェラーパッドミュージック)みたいな音楽の特徴ってのは何らかのイメージをねつ造して、んでそれを勝手にリスナーに植え付けて、んでビジュアル的な音楽とのコンビネーションでリスナーを未知の世界に誘うっていうような感じなのね。当然、その音楽の中核を支えるイメージが壊れると音楽も壊れやすいものになるっていうのはその音楽とイメージが表裏一体だからなんだよね。まぁもっとも多くのモンド音楽とかラウンジ音楽ってのは今でも全然聞けるし、あえて物語に洗脳されて楽しむっていう高度なリスニングの仕方ができるんで観念的なリスナーにはもってこいの音楽なんだけどね。そのラウンジ系の総本山がイルマなんだよね。ジャケから音作りからなにやらなにまでラウンジ系が育んできたものを見事に継承して、んでイメージを先行させて流通に成功したみたいな良い例なんだよね。まぁ90年代後半の話だけどね。レトロでキッチュでポップなアートワークとイメージを作ってしまえば、その勝手にねつ造されたイメージに合うようなライブラリ系の音源とか昔のサントラとかを集めればお洒落なコンピの出来上がりなんだよね。まさしくシミュラークルそのものなわけ。記号としての「ポップ」や「レトロ」や「ラウンジ」や「キッシュ」や「スタイル」なのね。実際、バックでモンテフィオーリ・カクテルみたいなのが演奏しているお洒落で小粋でナイスなカクテルを出すバーなんてのは無いからね。あったとしてもそれはイメージから作られた現実だよね。ようは「カクテルラウンジ」というイメージを模倣したバーってことよ。


はぁースッキリした。書こうと思ってた事が書けると本当にオナニーした後みたいに気持ちがいいわけよね。ってことで今日はこの辺で。あ、んで90年代中盤から後半のねつ造されたイメージを利用して作られた音楽の代表的なものは本文中で挙げたユニットの他にUrsula1000とかFPM(特にファースト)とかレディメイド周辺の連中とかアカカゲなんかがあるね。言い方は悪いけど、俺は大好きで一時期ハマりまくってたから、まぁこんなに色々と客観的に書けるわけね。俺は今でもモンドとか一昔前に流行ったラウンジ系みたいなのが大好きなのね。別に批判しているわけじゃないんです。

New Sound of Ursula 1000

New Sound of Ursula 1000

The Fantastic Plastic Machine

The Fantastic Plastic Machine

Raccolta No. 1

Raccolta No. 1

Soundtracks for Living

Soundtracks for Living

Trip Tease

Trip Tease

Crossover

Crossover

Pool Position

Pool Position

Sacre Bleu

Sacre Bleu