自殺と霊界管理局。

mimisemi2009-04-27

熱は下がったのか上がったのか凄い嫌な夢みたな。前に動画で見た心霊写真集とか心霊動画とかの霊が出てきてさ、なんか俺を苦しめるんだよね。苦しめるっつーか霊のイメージに脳が占領されてる感じ。あんま心霊写真とか動画って見ない方がいいなって思ったね。それこそ怖いもんだから忘れようと無意識に記憶とかイメージを抑圧するんだけど、明らかに無意識には抑圧されたものとして存在しているので、なんかの拍子にそのイメージが湧いてきたりするんだよね。精神的に有害ってこういうことかもなーとか思った。


そんなこんなでさ、たまにまぁ娯楽として見る癖がついてしまった2ちゃんねるまとめサイトで見つけた興味深いやつがあったんで貼っておくねっつーか自殺の話なんだけど。

8 :92-483 ◆jetmXjMp1Y :2009/02/09(月) 17:33:27 id:EuY8gy1J0
自殺はガチでヤバイからやめとけ。


少なくとも、分かりやすく自分で首つったり電車に飛び込んだり ガス自殺したりすると成仏できない。


本来49日で成仏、つまりあの世へ行くための道が開くんだけど、 自殺の場合は開かない。お迎えが来ない。 これは死んだ本人の都合で好きにどうこうできるものではないよ。


それと、死んだときの状況にもよるけど、基本、首つったら苦しいまんま。 練炭自殺でもそう。電車に飛び込むと体ズタズタのまま。


成仏できないから、そんな状態のまま、ずっとこちらに残る事になる。 普通の人はそもそも霊なんて見えないし、訴えても伝わらない。 下手に姿を現せば、心霊スポット扱いで噂になるだけ。 身内でさえ、相手にはしてもらえない。そもそも信じていない人の方が多いしね。


一応、他人に憑いたりはできるから頑張って必死に訴えて泣きついても、 霊感のある人でさえ、そのほとんどはあの世へ送る事そのものができないから、 基本無視を決め込む。面倒事だしね。正直うざったいから。


9 :92-483 ◆jetmXjMp1Y :2009/02/09(月) 17:34:12 id:EuY8gy1J0
それ=浄霊ができる人は確かに居ることは居るが極めて希。


普通は霊能者に直接泣きついても全く相手にすらしてもらえないし、 大方の霊の家族は霊能者と言う、胡散臭い相手には関ろうとしてくれない。


仮に本物に出会えて何とかなったとしても、成仏して行く先は普通の人たちとは違う。 平穏ではなく、その前に自殺した罰が待っている。残念だけどね。


幸せになりたい、楽になりたいと思って自殺をするならやめとけ。 とりあえず楽にも幸せにも成れないから。幻想を打ち砕かれて泣く人は多いよ。 それ以前に、死=無だと思っている人は死んだ事すら認められない人も居る。 自分の状況を認めないから、きちんと死に切ろうと自殺を繰り返すんだよ。同じ場所で。


そんな状況の霊はとても多い。見える人には割と常識なんだよ。 そんな風なまま、周囲は成仏してきっと幸せに成ったろうと、思い出に変えてゆく。 そんな霊と何度か関ってるけど、死んだ後では俺個人ではどうにもしてやれないから言う。


自殺はガチでヤバイからやめとけ。これが事実だと俺は書いておく。 見えない人がどうやっても真実に自力でたどり着けないのは仕方ない。


信じなくても良い。笑ってくれても良い。それでも自殺だけはするな、させるな。 認められなくても、これが事実かもしれないと言う可能性をちゃんと見て 先に回避する方法を考えて欲しい。 それでも自殺するなら、その先の状況は全て自業自得だよ。


コピペ元。


http://occult2ch.blog.shinobi.jp/Entry/79/


自殺を現世からの逃避として割と肯定している俺としては本当に恐ろしい話だよね。これ。これが仮に自殺防止のための教訓だったとしても、なんつーか戦慄が走るっつーかさ、世界各国でこういう現象って見られてるからねっつーのはね、自殺を繰り返す霊ね。ゲームの零の紅い蝶だったかでも飛び降りを繰り返す女性って出てくるじゃん。ああいうことだよね。で、こういう自殺を繰り返しているかのようなことを想起させる心霊写真とか心霊動画って世界中っつーと大げさだけどまぁ世界的に見られるよね。何かがビルから飛び降りたっつー動画とかさ、これって自殺の動画とかじゃなくて心霊動画なのね。ようは死んでも自殺を繰り返してるっつーね、あと片足が無い霊とかさ、首だけの霊とかさ、話が怖くて恐縮っつーか書いてる俺も怖いんだけど、ようはそれがそのまま残ってるんだよね。その死んだ状態というのが念として残ってて、んでずーっとそのまんまっつーね。落ち武者とかだったら頭に矢が刺さったままとかね、これは自殺じゃないと思うんだけど、不幸な死に方ってのをすると念が残ってしまうのかもしれないね。


現世で不幸だから自殺しようとするんだけど、その自殺が実はその自殺の際の苦しみを永遠と続かせるものになるって考えるとこれ以上の苦痛は無いよね。かといって現世で例えば飢え死にとかしたらどうなんだろう?とは思うよね。現世で死ぬような思いをしながら生きて死んでも結局、その現世で味わった苦しみというのが怨念として残るんじゃないか?とは思うよね。安楽死的に病理からの逃避という意味で自殺を選んだ人はずーっと死にきれずに怨念として存在することになるのかな?でもさ、現世で病理に苦しむっつーのも半端なことじゃないよね。で、病気と戦い切って死んだら苦しいながらもようはお迎えが来るんだったらまぁ戦う価値はあると思うけど、どうも色々考えるとさ、自然死と自殺の差ってどう線引きしてるの?っつーね、天国っつーかまぁ霊界みたいなのに厳しい規定があったりして、それをベースに霊界における職員達みたいなのが判断して入界管理とかしてるのかな?


何も分からずに事故死した人ってのは死んだ後も「え?」って感じで、んで死の49日後にお迎えが来て始めてまぁ死んだって悟るっつーかさ、で、自殺の場合はそれが一切来ないんで、ずーっと現世で首を吊ったままいなきゃいけないっつーね、心霊写真とかでも首つりで自殺した霊っつーのは首が異様に伸びてたりするっつーけど考えるだけでも恐ろしいね。毒ガス自殺した人はずーっと毒ガスを吸ったままっつーか苦しいまま現世に残らなきゃいけないとしたらさ、そりゃー自殺なんてするもんじゃないよね。ただその霊界側の規定っつーのが凄く気になるね。何を基準にその人に迎えをやってるのか?っつーのがマジで分からない。これがブラックボックスのままだと確かに下手に自殺は出来ないね。「よく頑張ったよ。よく生きたよ」って評価されないと入界は許されないっつーね、だとしたらどんなに苦しくても生き切らないといけないってことになるよね。


死後の世界って誰も定義できないし存在が確認されてないからマジで分からないよね。死んだら無に戻るって生前信じてた人も死んでみたら「全然違うじゃん」って思うのかもしれないしさ、でもこのなんつーのかな?お迎えの定義ってつまりはあれかな、現世における一般ルールみたいなもんでさ、自殺が許されてしまったら生と死の境目が無くなっちゃうっつーかさ、バランスが大変なことになっちゃうっつーんで霊界でルールが決まってるのかもしれないね。でも俺が思うに死ぬってことに意識的な人は死んだ後も死んだって分かってるはずなんだけど、問題は仮に俺みたいなのが自殺したとしてもさ、お迎えが来ないんじゃそれって死んだって分かってるのに現世で首を吊ったままいるしかないってことになっちゃってさ、これってもう史上最凶の悲劇だよね。これ以上の悲劇ってのは考えられないだろう。いくら死ぬまでのプロセスが拷問であれ事故であれさ、死後も永遠と苦しみ続けないといけないって現世で考えられうるどんな悲劇よりも悲劇っつーか強烈だよね。だってずーーーーーーっと苦しいままなんだよ?この先何千年もずーっと苦しいままいなきゃいけない。こういう風に考えると自殺ほどヤバいものはないよね。どんだけ辛くても自殺後の苦しみに勝る物はないってことでやっぱり生き切らないといけないってことになるよね。半ば自殺防止の宗教的な教義に聞こえるけど、でもさ、想像してみると怖いよね。あと自殺をずーっと繰り返しているらしい霊とか心霊写真とかって存在するからその存在が割と信じられるっつーかさ、でもそう思うとどうなんだろうな?例えばずーっとまだ行進している兵士の霊とかさ、彼らは死んだって気がついてないからそのままでいるってことになるのかな?でも彼らが仮に自殺をしたんじゃなければお迎えが来てもよさそうなのにね?それは落ち武者だってそうでしょ。戦死なわけだからさ、ずーっと念が残るってことはないんじゃないかな?もしくは念がありすぎて成仏できるんだけど現世に残って自分の悲劇というか苦しみを誰かに伝えたいみたいなね、んでさ、死って突然やってくるものだし、そこに原因って見つけづらいわけでさ、だからなんつーか死後のお迎えっつーのもどういう基準で規定されてるのかさっぱり分からないよね。


いや、俺はマジで霊国管理局みたいなのが霊界に存在してるってマジで思ってるんだけど、彼らがどういう仕事をしてるのか?っつーのがさ、大体は分かるんだけど、どういう基準で現世における死を定義してるのかが分からないんで、自殺とかに関しては常に未規定状態っつーかさ、まぁ仮に自殺ってのは例外無くお迎え不可ってルールがあったとしたら例えば川端康成とかもまだ現世でガスの苦しみに喘いでいるってことになるよね。どんだけ現世での評価が高くても死に際が自殺だったんでずーっとそれに苦しみ続けてるってなんかさ、皮肉だよね。成功した自殺者とかって悲劇っつー概念よりかは功績のほうが大きいからあんまさ、自殺だったっつーところに焦点はあてられないよね。でも実際は現世に残りながら苦しみ続けているっていうね。「いや、でもあんたは偉大な功績を残したから入界を許します」みたいなルールがあったら不公平だね。死後も苦しむのは弱者ってことじゃんね?だとしたら俺は霊界管理局のマネージャーとかになって自殺を許可してあげたいな。マジで。自殺だったからっつー理由で入界を許さないなんて酷過ぎるよ。霊界の政治はどうなっているんだろうか?霊界政治も現世と同じく腐敗してるからこんなように結局弱者が苦しむシステムが出来ちゃってるのかな?死後も自殺であれノーベル賞とか取ってたら楽な生活が出来るとかさ、それって最悪だよね。俺はどうやら死後もやらなきゃいけない仕事ってのがあるらしいね。霊界政治に関してもシステムを変えなきゃいけないわけだ。自殺法の再規定っていうね、また制定させるのが大変そうだけどでもやるしかないよね。


たぶんさ、死後はみんなイコールにお迎えが来るっていう風にしちゃうと霊界の既得権益を持ってるやつらとかが損を被るんだろうね。ようはさ、人々が完全に平等になっちゃったら面白く無いっつー特権階級とかっているわけじゃない?そういうやつらが霊界でものさばってるかもしれないわけだよね。そもそも魂ってののオリジンは人間なわけだからさ、その人間のマインドがそのまま霊体化したとしたらそれってありえるよね。霊界でも霊界を支配している権力者みたいなのがいるってことになるよね。そうなるとさ、もう人類にとっての逃げ道って無くなるよね。せいぜいまぁお迎えが来るように生き切るしか生前には出来ることって無いのかもしれないね。いやースケールがデカくなっちゃったよ。俺。死後の仕事もいっぱいあるなんて思ってなかったからね。霊界のコラプションって半端じゃ無さそうだな。なんか。霊界がコラプトしてるから現世でも理不尽なことが起こりまくるってまぁちょっと単純かもしれないけどまぁ無くも無い話だよね。いやー霊界にも政治ってあるよ。絶対。霊界ヘゲモニーみたいなのがあってそりゃー凄い世界かもね。桃源郷とはほど遠い戦争だらけの世界が天界ね。ありえなくもないよなー。マジで。一旦仕事やめて学校入ってキャリアアップするみたいなヨーロッパモデルみたいなのと同じのが霊界にもあってさ、霊界でのキャリアアップのために現世に肉体を借りて降りてんである程度現世で功績を残すっつーか何かをやり遂げるっつーので霊界での魂の評価っつーのが上がって霊界で高い位置につけるっていうね、現世ってのは霊界にとってのキャリアアップの世界なのかもしれないね。で、自殺ってのはドロップアウトってことだから霊界的にアウトっていうね、これに俺は納得がいかないから霊界comitteeみたいなのに提案を出すしかないわけだな。あー死後も頑張らなきゃな。俺。


There is no escapeってサルトルみたいだな。マジで。監獄から出るには結局、魂を磨くしかないっていうね、そう思うと道徳や倫理としての哲学や宗教ってやっぱ必要なんだろうね。まぁ俺は宗教は嫌いだからやっぱまぁ哲学っつーかまぁ魂を磨く道としての何かっていうね、それしか恐らく自分の魂を解放する道って無いのかもしれないね。だから自殺なんてのは全然選択としてアウトっつーね、まぁそれを考えるとちょっとまぁ自殺ノー!って立場にも納得がいくっつーかなんつーか、まぁちょっと考えを改めなきゃいけないかもな。霊界committeeに提案を出すにしてもまぁ現世でちゃんと生き切らないといけないわけだからさ、自殺なんてもってのほかだよね。でも俺の立場って自殺だっていいじゃんっつー立場だからさ、そう思うとまぁ提案書って受理されなさそうだね。んじゃあれか?現世で魂を磨く事の重要さを説く何たら法師みたいな存在になるしかないのか?でもなぁーそれって今じゃ食えなさそうだしなぁー。マジで。でも恐らくあれだよね、セックスをしないってことは霊界ポイントとしてはデカイと思うんだよね。聖人ってのがセイントである所以はやっぱりヴァージニティってのは大きいと思うんだよ。だからやっぱ煩悩を消しつつセックスをしないでずーーーーーーーっと魂を磨きつつさ、衆生救済を願うしかないのかな。そう思うとやっぱ即身仏のコンセプトって理解できるよね。まぁ俺と一緒じゃん。死後も世の中に尽くすってことでしょ?でも即身仏が霊界では自殺としてカウントされてたら過去の高僧とかって可哀想っつーか最悪じゃない?でも俺はこういう高僧みたいな人達が霊界を取り仕切ってるんだって信じたいけどね。でもだとしたら現世での理不尽なこととか自殺者の増大と地縛霊の増大とかってどうなの?って気がしてきてさ、そう思うとやっぱ霊界も現世と同じでコラプトしてるんだろうなって勝手に思っちゃうよね。


でさ、俺はね、霊界ってリサ・ランドールの宇宙多重創生論みたいなもんだと思っててさ、違う次元に霊体ってのが存在してると思うんだよね。それは物理学とかでいつかは説明がつくようなレベルでのエンティティとしての霊体っていうね、だからまぁ強ちオカルトレベルでもないっていうね、他の次元が存在するかもしれないって考えると霊界なんてのもオカルトを飛び越えて存在するかもしれないっつーのは言えないことでもないよね。霊道とかさ、イースターとかお盆みたいな概念も我々の次元と他の次元が一時的に結びつく時期とかって考えれば分かりやすいよね。霊道が映ってる心霊写真とかってそれこそ異次元的だよね。で、霊場とかってのはさ、我々の次元と他の次元を繋ぐターミナルみたいな役割を果たしていてさ、で、それはランダムに色んな場所に存在するっていうね、何も恐山とか金華山みたいな一般的に霊場と呼ばれるような場所以外にも全く分からないところで霊場ってのは存在しているかもしれないんだよね。ただそれは普通の人間には知覚できないもんだから定義できないし何も分からないっつーね、ただ一説によると霊道とかってコンスタントに移動しているらしいからね。で、たまたまその場に居合わせちゃったりすると大量の霊に囲まれちゃうっつーね、まぁ怖い話でもあるけど、でも霊界を異次元として定義するとこれらの現象ってかなり分かりやすいんだよね。それこそリサ・ランドールの言う人間には見えていない物質みたいなのがこの世に存在するとしたら、その一つに霊的なものってのが含まれててもおかしくないって話ね。でもまじであれだよね、リサ・ランドールみたいなのが奥さんだったら最高だと思うよね。マジで。お互い研究者で滅多に家で会う事はないんだけど、たまに休みにどっか行ったりするっつーすんげーシンプルな関係性ね。


まぁこの異次元の話とか霊界の話とかって昔からあると思うけど、俺はなんつーかもっと現実的なタームっつーか概念で霊界とか霊の存在って証明出来るときが来るような気がするんだよね。で、未来では霊界学みたいなのが存在してるかもしれないし、霊界との交信を行うことで現世と霊界を繋ぐ政治的なものが存在したりしてさ、んで自殺者について話合ったり、自殺者の受け入れについて検討したりね、まぁ繋がるっつーのは無理か。違う次元だから。でも次元っていう考え方はあってると思うんだよね。基本的に。人がある時タイムスリップしたみたいな話って色々あるしさ、クローゼットの先に何かが見えたんで入ってみたらカナダのホテルに着いちゃったとかさ、昭和初期だったのにビルが建ち並ぶ変な場所についちゃって、人々はレシーバーみたいなのを持って会話しているとかさ、これも時間軸の中に次元というレイヤーが存在しているとしたらありえなくない話だよねってまぁ俺は物理学の知識は全くないんでファンタジーレベルだけども。それこそワームホールみたいなのが半ばアクシデント的に一瞬存在していたってところに紛れ込んじゃった人ってのがいつの時代もいて、んでタイムスリップみたいなのを味わったとかね、神隠しとかの類も大体この一瞬のワームホールに飲み込まれちゃったみたいな話だと思うんだよね。ようは他の次元に吸い込まれちゃったっていうね、戻ってくる人もいるけど、戻ってこない人もいる。ただ吸い込まれた人は違う次元で暮らしているかもしれないっつーね、まぁ下手な次元に吸い込まれちゃったら人体ってのが適応出来るようなレベルの物理空間じゃなくて一瞬で圧死しちゃうとかねじれちゃうとかね、そんなのはまぁいくらでもありそうだけどさ、例えばブラックホールの先に何かがあるなんて全然考えられることだよね。そこにまた似たような人類があるっつーのはナイーヴ過ぎる議論で、それこそ人間が想像もつかないような次元の世界ってのが存在してるかもしれないんだけど、ブラックホールに飲み込まれると戻って来れないからさ、それは永遠と立証不可能っつーね、でもまぁ考えられなくもないよねっていうね。


見える物だけが全てじゃないと教えてくれるのが多次元的な概念だけど、そう思うと霊とかの存在とかもまぁ結構ありえるっつーかさ、逆にあって不思議じゃないよなって思えてくるよね。で、それってファンタジックなもんじゃなくて人類とダイレクトに繋がっている世界ってことでかなりリアリスティックなものだと思うんだよね。天国のドアがあるとか桃源郷があるとかっていうレベルじゃなくて、もっとファンタジーをぶち壊すような、生々しい世界ってのが別にあるっていうね、それを死後の世界と呼ぶかはともかくとして、まぁ違う次元にそういう世界が存在するかもしれないっつーのもまぁありえなくもない話だよね。


実際は至る所でね、違う次元でビックバンみたいなのが起こっててさ、違う宇宙とか違う次元とかってどんどん増えていってる可能性だってあるわけだよねってまぁ全部想像だけどね。人類が考えられる次元での宇宙ってのはそれこそ限られた存在なんだけど、それだけが全てじゃないっつーね、むしろそれを全てだと解釈するなんて逆におかしいじゃないかって話でさ、だからなんつーかね、人類ってのを意味論的に解釈できることもあるかもしれないけど、もしかしたら人類もビックバンとかと同じような物理現象の一種かもしれないんだよね。人類という名のアトムがただそこに形成されているだけで、実際の全体の把握しきれない世界ってのは膨大過ぎるっつーね、それこそスピノザが言っていた人間の概念では解釈しきれない概念としての神みたいなね、そういうのはまぁあると思うし、アインシュタインスピノザ的な概念での神を信じていたというのもそれは納得がいく話でさ、むしろそういうのが無い方がおかしいっつー話なんだよね。オカルトとか神学とかっていうレベルではなく現実レベルでね。


いやーすげースケールがデカい話になったね。いや、でもマジで分からないね。死後の世界に限った話じゃなくて違う次元の世界があるとすると人間がそもそも現世での感知可能なものだけを基準にしてものを考えることは出来ないんだよね。もちろん感知できるのが限られているのでそれを元にモノを考えちゃうっていうのはある意味で必然なんだけど、それってのは究極的な人間原理としての世界系の話になっちゃうよね。それこそ人類という名の独我論っていうかさ、ある意味で自殺ってのはそういった意味での独我論的な意思決定の形体の一つなのかもしれないって思ったね。だからまぁ自殺するかはともかくとして自殺すれば逃げられるって考えるのはやめようかなって思ったわけね。


ってことで今日はこの辺で。