有吉風に言うと「変態糞長ブログ野郎」が恐らく俺。

mimisemi2009-04-26

いやー凄かった。窓を閉めるのを忘れててネヴィエしちゃってさ、風邪気味だったんだけど学校が楽しかったんだよね。いやね、変な感覚に襲われて5時ぐらいに寝たのになぜか9時ぐらいに目が覚めちゃってさっつーかまぁ髪が痒かったからなんだけどね。で、シャワー浴びたらスッキリしちゃって目が冴えちゃってさ、んで本とか読んでたんだけど、そろそろ学校に行く準備をせねば!ってときに眠くなりだしてさ、で、もうここからは最悪だったね。微熱が出始めたのとさ、でも今日はソーシャルサイコロジーとポリサイなんで休みたく無いしね、だからまぁ学校行こうと思って行ったんだけど、ソーシャルサイコロジーのクラスでさ、2週間ぶりにお転婆娘と会ったんだけど、なんか照れてるんだよね。俺。また「ハーイ!ビール!」とか言われたら照れるなぁーと思って目を合わせてなかったんだけど、授業中に俺が発言したのがきっかけで目が合ってさ、んでまぁまたね、「ハーイ!ビール!」みたいな童貞男を誘惑するような挨拶があってさ、まぁどういうつもりなのか分からないんだけど、まぁ俺は一応まぁ笑顔で答えてたけどね。


で、またモテ話を自慢したいわけじゃなくてね、ちょっと面白かった話がさ、ソーシャルサイコロジーのクラスでね、メディアっつーか暴力的なテレビ番組とか映画によって子供はそれに影響されてアグレッシヴになるのか?なんて話があってさ、まぁだからね、先生に聞いたんだよね。「僕は凄まじくキンキーで残酷なものとかゲームが大好きで、そういうのに囲まれて育ってきたんですけど、凄まじい善人なわけですよ。僕は聖人か何かですか?」なんて聞いた時にまぁ「ビルナイス!」みたいな感じでお転婆娘と目が合って挨拶されたんだけど、まぁそれはともかく先生の言い分としては、まぁこれがソーシャルサイコロジーだけじゃなくて、サイコロジー全般に言えることで、個別のケースってのの定義は出来ないっつーね、まぁそういう弱点があるってことなんだけど、何を思ったのかさ、まぁ熱っぽくてしかも眠くて調子が悪かったんだけど、発言しようと思ってっつーか発言しないと気がすまなくなってきてるからね、最近。だから「この影響ってのは暴力的なものに限るんですか?」って聞いたのね。で、「つまりは例えばセクシャル的なものとかも影響があって、例えば変態的なTVプログラムとかがあったら、それに影響されて見た側はキンキーセックスをするようになったりするんでしょうか?」とかさ、一回話し始めるともう暴走するじゃない?俺。最近滑舌凄いんだよ。音読効果とあとはまぁプレゼンとかディベートとかで自信を得たってのもあるんだろうけど、最近、喋るの上手くなってきたんだよね。


で、持論を展開し始めてさ「フェティシズムの話なんですけど、僕は全ての男は潜在的にフェティシストだと思っていて、例えば僕は脚フェチなんですが、世の中にはセクシャル・コレクトネスみたいなものがあって、変態性を正すような独裁的なドクトリンが存在すると思うんですけど、メディアの影響というのは性的な要素にも影響を及ぼすんでしょうか?」って言う前にもうクラスが大爆笑ね。最初は「は?」って感じで静まり返ってたんだけど、俺が脚フェチだというのと「全ての男は潜在的にフェティシストである」みたいなね、ジェファーソン並のフェティスト宣言をしたわけだけど、ようは意外性だよね。まさかそんなことを言うとは思ってなかったし、そんな話になるとは思ってなかったし、なによりあいつがそんなことを言うやつだったなんて!っていう意外性とただのジョークではない授業との関連性というかさ、学術的な要素も含んだジョークならぬ質問っつーのがとにかくまぁあれなんだけどこれもまぁあれだよね、抑制を無くすっていうコンセプトから来る怖い物知らずの発言だよね。まぁそういう傾向は元々あるんだけど、もう怖がらなくていいよっていうね、なんつーかこっちに来たばっかりのときのフレッシュな俺を思い出したんだよね。もう3年前にもなるけど、英語学校でブンブン言わせてたわけじゃない?っつーかすんげーローカルな学校だからもうみんなのビルになってたわけだけど、なんかそういう台風の目っぽい感覚っつーのを感じるんだよね。


でも今に始まったことではなく、元々俺にはそういう要素があるんだけど、まぁ色々あって抑圧してきたんだなっていうね、だからまぁ本来の生き生きとした俺ってのを最近まぁ取り戻したっつーか、生き生きとしてていいんだよっていうね、だからまぁある意味で懐かしい感覚っつーかさ、まぁ爆笑を作るのってよくやることなんだけど、なんか改めてまぁ凄く快感だったね。あそこまでウケるとは思ってなかったから。笑い待ちしなきゃいけない感覚って最高だね。マジで。クラスの後はなんかさ、これまで全然話した事が無いようなやつが笑顔で挨拶してきたりさ、この感覚だよな!ってすんげー思ったよね。目立とうとするわけじゃなく、自然な振る舞いから来るポピュラリティーね。これこそ人間の魅力なんじゃないかとまぁ色々と考えたりしたね。


ユーモアっていうと安っぽくなるけど、ジョークっつーかさ、人を笑わせる術ってある意味で一番高度なんだよね。その場所の雰囲気とかカルチャーとか笑いのツボとかストラクチャー全般を把握してないと作れないじゃない?でもそれって考えて作り出すものではなくて、それらを理解した上で思いつく物なんだよね。即席でその場限りなんだけどその場限りにおいて凄まじい効果を発揮するっていうね、これがなんか笑いの本質なんだと思うし、この感覚ってアメリカも日本も一緒だと思うんだよね。いいなぁー。スタンドアップコメディアンに憧れてる俺としては日々の単位で色々試せるのが凄く楽しいね。例え風邪でもね。まぁ嫌がるやつもいるんだけど、出る杭って出過ぎるともうどうしようもなくなるから、それこそ出過ぎる杭になる必要があるんだよね。杭が出過ぎていればなんつーか叩けないじゃない?もう一緒に笑ったり拍手するしかないっつーさ、こういうダイナミズムを作り出すことが重要な気がするね。それにしてもあのドカーン!と受ける感じってマジでヤバいよ。ホント。すんげー快感だよね。プレゼンとかで拍手をもらったり褒められたりするのも凄い快感ね。ヤバ過ぎるね。あれは。


あ、んでさ、政治学のクラスがあってさ、まぁ風邪だったわけだけどっつーかちょっと風邪宣言しつこいか?卵は来てなくてロバートが来てたんだけど驚いたのがさ、「オバマムービー見たよ」とかって言いつつまぁ話しかけたんだけど、まぁ気は使わないよね。「陰謀論説止まりだし、陰謀論説を普段から唱えてる学者とかジャーナリストばかりが出ている」ってまぁここまでダイレクトじゃないにしてもまぁ言ったんだけど、それはともかくさ、ロバートっていっつも授業中にラップトップ広げて何かやってるんだけど、ロバートのミニラップトップみたらさ、youtubeの画面でさ「serial experiment」って書いてあるのが見えてね、「ままままままさか!!!」とは思ったんだけどさ、オバマの映画の話をしている最中だったけど「これは何?」って聞いたらレインでさ、もう大興奮しちゃったね!例によってレインかよ!!っていうね、ドラゴンボールとかさ、ナルトとかだったら「あージャパニーズアニメーション好きなんだー」で終わるけどレインって相当ヤバいよね。「こここいつ!俺とちけぇー!」ってマジで思ったもん。陰謀論説好きな電波扱いをしていたっつーかまああの映画の内容を信じているっつーさ、あの映画に限らずまぁ陰謀論説にどっぷりな感じがちょっと残念っつーのはあるにせよでもやっぱこいつは喋る価値あるなって思ったね。センスが似てるっつーかさ、レインってヤバいでしょ。ちょうど俺も最近また見返してたしね。すんげー興奮しちゃった。日本人だってレインの話できるやつなんてあんまいないだろうって思うのに、こんなさ、アメリカみたいな場所でレインをユーチューブで見てるってヤバいよね。マジで。


で、結局まぁレインの話からなぜかビルオブライツの話とかになって盛り上がってさ、で、結局授業後もまた一緒に帰ることになったんだけど、相変わらずまぁアスペルガーvsADDだから情報量が半端じゃないんだよね。普段の俺と同じぐらいの思考のスピードで話せるやつがいるってのはやっぱ凄いことだよ。で、盛り上がりすぎたんでさ、ロバートからのサジェスチョンで「突っ立って話すの嫌だからスタバ行こう」っつってスタバで話すことになったんだけど、まぁ1時間半ぐらい話したかな。まぁー凄かったね。政治の話から実存の話までさ、明らかに店で浮いてるだろっつーさ、特に俺が政治的に危ないことを言うじゃない?ここ1年ぐらいの風潮だとポリティカルコレクトネスゼロだったりするよね?そういうことも躊躇無く話せるっつーかさ、なんかまぁそれこそあれなんだよね、ウォール伝にたまに書き込みをしてくれるちょっとリアルワールドで変わってるって言われる人達と同じヴァイヴを共有してる感じなのね。最近だとCarchemishさんとの議論が凄く白熱したというかまぁ俺が一方的に色々書いている感は否めないけど、Carchemishさんもロバートもついてきてくれるし、あっちからもレスポンスがあるっつーのが凄く嬉しいんだよね。そこから発展する話とか、俺には無い観点とかがあったりさ、すんげー発見があるのね。まぁロバートは基本的にあれなんだよね、ホントのアメリカ主義っつーかさ、それはグローバリズムを許容するような立場ってことじゃなくて、古典的なね、paleoconservativeっつーさ、まさしくアレックス・ジョーンズ的な旧保守なのね。神が人々を作ったというのはもう絶対揺るぎない事実として彼らのアイデアの中で措定されててさ、んでそっから議論が始まってるんだけど、ジョーンズも左翼の陰謀論説論者って感じがするけど、実は旧保守っていうね、旧保守の立場から今のアメリカにもの申してるんだよね。ロバートもめちゃくちゃこういう立場ね。


今回は色々と深い話がまたできたんだけど、ロバートの全容が掴めてきた気がしたな。で、神が作ったっつっても既存のコラプトしたキリスト教とかにもすんげー批判的なのね。既存の宗教は全部退廃してるぐらいの認識がある。で、彼らこそが本当の神の徒だみたいな感じがあるんだけど、神の概念もファナティックじゃないんだよね。お祈りをしなきゃ死ぬみたいなそういうんじゃなくて、神の名の下に道徳なりインテリジェンスなりがあるっていうね、まぁあくまですんげーモラル的な立場の宗教っつーかさ、そういう意味でのまぁ最近の俺の傾向と似てるっつーか、まぁロバートも俺も特定の政治的概念を背負って何々派みたいな言い方はしたくない人達なんだけど、まぁあえて俗称で言うならまぁロバートが旧保守で俺が新保守って感じね。まぁあのあれね、クリストル的なネオコンって意味ね。ただ保守の部分で繋がってる部分があってさ、で、ロバートは根っこからの旧保守だから共産主義が大嫌いなんだけど、俺は元共産主義者っつーかマルキストだったからアレルギー的に大嫌いっつーね、まぁ元信者ってな感じだよね。洗脳されてたとまでは言えないけどまぁどっぷりだったっていうね。面白いよね。俺みたいな気違い極左が旧保守と話をしていて話が合うなんてさ、西部邁かよ!って感じだよねっつーかまぁ元左翼っつーか極左みたいなのが保守に転向するって歴史を問わず古今東西あるみたいだし、まぁ俺の転向も全然ありがちな話っつーかまぁ転向っつーかまぁ進歩なんだけどね、ちなみに西部邁に関してはまぁやっぱ路線は似ているんだけど、知識人としては全然好きじゃないね。ダサいしかっこよくないしペダンティックだし議論のマナーがなってないし、そういう意味で全然ダメね。とっとと言論界からいなくなってほしいって思う奴の一人だね。イデオロギー云々の話じゃなくて、人間としてもうアウトって感じがするんだよね。逆を言えばイデオロギーが正反対でも知識人としての役割っつーかさ、マナーとかがなってればそこはやっぱリスペクトできるところってあると思うんだけど、西部邁は本当にダメだね。左翼から右翼の転向例っつってもダサいからなんかイメージが良くないしね。だからやっぱなんつーか結局、左翼のほうがかっこいい人が多いように見えちゃうんだよね。それはまぁ世界中そうだと思うんだけど。


保守ってバカなのは本当にバカだからさ、知的なイメージって無いんだよね。ただの政治的な田舎者っつー雰囲気があるよね。右翼って大体そうだよ。どこの国もヤクザとかさ、田舎者とかさ、知的に底辺の人間が右翼になるみたいなのがあるよね。それに比べて左翼って鈴木邦夫さんがよく言うようにインテリじゃないとなれないみたいなところがあるからさ、それこそスタイルのレベルでもちょっと頭が良く無いとダメなんだよね。だから全体的に左翼って知的な雰囲気が漂うんだけど、結局、まぁ知の頂点ってのは新保守って言い方はあれだけど、まぁ左翼なり極左を経由した極右だよね。どう考えても現実に立脚すると極右的な極論に行き着いちゃうっつーかさ、結局は自由ってルールとか義務の元で成立するもんなんだなっつー考えに行き着くわけだよね。だからアナーキックな自由を叫べなくなるっつーかさ、現実主義的だからナイーヴなままじゃいられなくなるんだよね。で、こういう立場の保守はイデオロギー的には左翼っつーかリベラルとの相性がいいんだよね。ようはあれだ、リベラルな権力主義者ってのが極右っつーかまぁ新保守だよね。


権力的に自由を謳歌できるような秩序のある社会作りをしますっていうようなね、まぁ秩序とか道徳を自由よりもというか自由を謳歌するために必要なものとして考えるので、どうも言い回しっつーか言い方がジジ臭くなるっつーかね、モラルを説くジジイみたいな立場になっちゃうんだけど、でも中身はリベラルなんだよね。だから基本的に市場主義とかさ、派遣とかにしてもすんげー反対なの。だからまぁ転向じゃないんだよね。ここで俺がさ、派遣切りとかにあってるやつらはあいつらが悪い、だからこれは自己責任の問題だとかって言い出したらマジで転向なんだけど、まずそうはならないからね。派遣の問題を自己責任論にすり替えてるような右翼っつーか保守っつーのが所謂、バカなタイプの保守ね。こういうやつらは本当に害悪でしかない。仮に知識人としてのマナーがなっててもあまりに議論の枠組みがバカ過ぎるし下手な言論を作るのでこの世からいなくなったほうがいいっつーような連中がまぁこういうタイプだよね。こういうバカには俺みたいな立場の保守とかロバートみたいな立場の保守とかはほぼ同意見で批判するわけね。つまりはあれだ、ロバート的な旧保守もね、俺みたいな新保守っつーかまぁシュトラウス派みたいなのもね、リベラルも共闘できるんだよ。細かいイデオロギーの違いはあれ、基本的に政策の面で見ればリベラルだからこのリベラル繋がりで共闘できるんだよね。これはマジでヘゲモニー足りうる力を出す源泉になると思うんで結構真面目に考えてるんだけどね。


ようは俺の立場としてはシュトラウス派みたいなのがリベラルの立場にいてもいいって思うわけ。権力主義的で独裁とかを望んでたりするんだけど、あくまでリベラルなやり方でってことでね、政治的ヘゲモニーとしてはリベラルに属するっていうね、ここでシュトラウス派みたいなのがさ、権力主義的って意味だけで右に流れちゃうっつーのは勿体ないと思うんだよね。むしろシュトラウス派なんてリベラルなわけでさ、それはシュトラウスを読めば分かるように、所謂、保守ではないんだよね。全然。現実主義的という意味でちょっとファシスト臭がしちゃうんだけど基本まぁリベラルなんだよねっつってもシュトラウスはリアルポリティクスには一切口出ししてなかったみたいなんで、まぁ具体的なリアルポリティクスの面でリベラルか保守かなんて決められないっつーかまぁ後付けみたいになっちゃうんだけどね、でもまぁ俺は基本的にシュトラウスはリベラル派だと思うねっつーかまぁ俺が読んでいる限りではまぁ俺の理解の範疇では所謂、世の中で言われているような右の悪魔的ファシストではない。ただアホな左翼が悪魔化しちゃったから、ロバートみたいな立場の保守からも嫌われてるし、既存の保守からも、当然左翼からもめちゃくちゃ嫌われてて政治的には完全に孤立してるんだよね。いやーでもそうじゃないんだってば。あれだけリベラルエデュケーションの重要さを説いてる人なんて滅多にいないわけよ。シュトラウスはもう究極的な民主主義者だね。マジで。それは民主主義という政治形体を信望している民主主義者という意味ではなく、民主主義的な社会をどう作るのか?ということをシリアスに考えていたという意味で民主主義者なのね。


なんで究極的か?っていうとそれは古代ギリシャからの議論の伝統にもあるように民主主義ってのが結局は衆愚政治を生むものでなおかつ民主主義という形体が市民の自由を脅かすもの足りうるという意味で危険と見なしているっていうことなわけね。ランシエールみたいなのは民主主義もまた寡頭政治の一形態なので、くじ引きによるランダムな確立での統治という意味での本当の民主主義を達成するべきであるみたいなさ、あくまで民衆が統治するっていうコンセプトにこだわり続けるとランシエールとか柄谷行人みたいな話になるわけね。まぁ同じ既存の民主主義という形体に対しての批判論でも全然切り口が違うっつーね、まぁ理解は出来るけど、俺は全くそれは支持出来ないけどね。でもまぁ民主主義的であるってつまりはそういうことだよ。裁判員制度が最たるもんね。あれはマジで民主的だよ。法の体系とかさ、そんなのを無視したあくまでとるに足らない人々による判断に判断を任せるっつーのはね、マジで民主主義的だけどさ、これも前に書いたように「有罪だと思った。だって顔が犯罪者顔だったから」とかさ、そんな恣意的な判断によって人が死刑になったりする可能性もあるっつーのがまぁ民主的なジャッジだよね。俺はこういうのには真っ向から反対するわけ。こんなバカにジャッジなんて出来るわけがないわけでさ、ましてや法とか論理学ですらさっぱり知らないようなやつらにジャッジさせるなんてすんげーヤバいことじゃん?車の運転知らないやつに車を運転させるようなもんだよね。民主主義ってのはこういうことよ。


んじゃあみんながジャッジ出来るようになるためにみんなが法の体系を歴史の蓄積という意味での膨大な知の体系として理解しつつ、アリストテレスに始まる論理学を完全に理解するってまぁ無理でしょ?シュトラウスは民衆が統治をするということは、つまりは全ての人々にリベラルエディケーションが与えられているという前提が無いと成立しないって書いてるけど、これはようは俺が書いたジャッジと同じ話でさ、民衆が政治にコミットするには高いレベルの教育が必要になるわけ。でもみんながこういう教育を受けてなおかつみんなが賢くなるって無理じゃない?理念のレベルでは目指すべきだと思うけど実際無理じゃん?ましてやさ、中卒ですんげー賢いやつもいれば、博士で頭が白紙で白痴ってやつもいるわけでさ、学歴とか教育を受けたってことが人の賢さを規定するわけじゃないしさ、そういう意味で現状を見ても仮にリベラルエディケーションが行き渡った世の中でも個人差があるから結局、そんなアンバランスなものに社会の未来を託せないって話になるよね。ロバート的なアメリカの旧保守はアメリカ憲法みたいなのをバイブル扱いしてるけどさ、でもジェファーソンってエリート主義者だったと思うんだよね。まぁそれはエリート主義者であるシュトラウスがOn Classical Political Philosophyでさ、ベストな人間が統治するべきであるっていうようなジェファーソンの文を引用してきてるけど、ジェファーソンはおいておくとしても、言うまでもなくフェデラリスト達は完全に議論の余地なくエリート主義者達だったわけだよね。俺の勝手な定義では民主主義の父達であるアメリカ建国の父達ってのも結局、エリート主義者だったってことなんだよ。つまりは衆愚政治なんて信じてないっつー立場ね。所謂、ランシエールや柄谷的な究極的な民主主義者ではなかったわけ。つまりは民主主義という政治形態を条件無しでとにかく最上の物と考える立場ね。俺の理解だとこういう人達はアメリカの建国の父達にはいなかったと思うのね。彼らにも当然、ルールあっての自由だっていう自明の利があったと思うのよ。でもアメリカの憲法ってどうもさ、自由主義的に理解されてるっつーかさ、人々の自由が何より最上であるって理解されてる気がするんだよね。


だからアメリカの場合、右翼も左翼もアメリカ憲法大好きなのね。でもあれって実際は統治のための道具っつーかさ、国づくりのための建前としてのマニュアルだったわけでさ、彼らが思ってるほど理念的にもプラクティカルにも崇高なものではないんだよね。いや、でもね、アメリカ憲法みたいなさ、ああいう一種のイデオロギーに寄りかかれるっつー信念的地盤があるっつーのはね、すんげー国民性を規定するわけよ。日本ってそれが無いっつーかまぁアメリカ的な政策でっつーかまぁマッカーサーみたいなやつのおかげで無くなっちゃったじゃない?でもアメリカってアメリカならではの伝統があったりさ、歴史は浅いんだけど、浅いからこそ断絶が無いっつーね、そういう強さがあるんだよね。で、アメリカ憲法っつー一種の国民のバイブルみたいなのがある。ようはもうアメリカに生まれたら誰もがそれを信じるように教育されるし、反対する余地がないってぐらい立派で守る価値があるものっていうさ、それこそバイブル的な価値だよね。こういうものの存在のおかげでさ、実際は移民だらけで文化も歴史もへったくれがないっつーか基盤はイギリスで、んでヨーロッパ的なものも色々流れてきたコピペ文化っつーかコピペ社会なんだけど、でも一つのアメリカ的精神の名の下に連結しているっつーかさ、そこに国民性を規定する何かがあるっつー縦軸の精神性みたいなのがあるのがようはアメリカのカオティックで多文化的でごちゃごちゃしてる割に妙な統一性というか譲れない絶対的な縦軸っつーのがさ、アメリカ的なものの基盤を維持してるんだよね。


だからさ、「アメリカって結局なんなの?」っていうさ、「他の文化と比べても食べ物っつってもステーキとポテトでしょ?」みたいなさ、それこそ日本みたいなこれが日本です!って言えるようなカルチャーってアメリカに無いんだよね。でもそこにアメリカ的な精神っていうさ、建国の父達が作った精神とか憲法を元にエートスが形成されていて、常にそれが維持されつつ見直されもするんだけど、でもそれが常に存在するっつーのがね、ようはアメリカのアイデンティティみたいなのを規定している重要な要素の一つなんだよね。それに比べて日本ってすんげー誇れる歴史とかがあるのに特に戦前と戦後とかさ、西洋化という名の文明開化があったから古典的な歴史とかさ、古典的な日本の精神性って断絶されちゃったんだよね。だから実際の歴史はあるんだけど、エートスだけがアメリカでさ、で、肝心の憲法とかって言えばアメリカ人がその場しのぎってことで一時的に書き上げたインスタントなものがそのまま使われてるしさ、みんなそれを信じてるしそれを軸に社会が動いてるってそりゃーワークするわけないよね。劣化したようなアメリカ憲法を軸に日本的なエートスを持った民族が社会を形成していくってさ、完全に倒錯してるよね。カップ麺を水で食べようとしてるような感じっつーかね、そりゃー旨いわけないだろーっつーね、そんなのが日本だよね。


で、これで言えば歴史や文化が無いアメリカの方が全然強いわけ。何しろすんげー強い縦軸があるんだから。でも日本ってアメリカに無いような独自のこれが日本です!って言い切れるような歴史があるくせにさ、縦軸の精神性とかさ、日本人らしさみたいなのを規定している何かっつーのが無いんだよねっつーか無くなっちゃったんだよね。だから完全に社会が形骸化しちゃってるっつーかさ、慣習としての日本みたいなフォーマットだけは残っているんだけど、精神性とか言葉にはできないようなあり方そのものみたいなさ、ハイデガーで言うところのDaseinみたいなのが無いんだよね。そこにあるあり方とあったあり方とそれを通したあり方みたいなあり方のフォーミュラというかあり方の相対性理論っつーかさ、慣性系という意味での慣性の法則的なね、マッハ的な慣性の力学とかさ、人間のあり方を座標系で考えたときの物理学ならぬ人間学というか実存学というかさ、人間のあり方を規定するために必要な座標系のフォーミュラってのが日本は欠如してるんだよね。そのフォーミュラのあり方ってのがアメリカの影響もあるんだけど、西洋化によって狂っちゃったっていうさ、これはまぁ様々な文化全般で起こりうることだと思うんだけどね。でもそういう意味だと西洋って有利なんだよね。それこそ程度の差はあれ西洋的な個人主義とかさ、キリスト教みたいな宗教的バックグラウンドとかね、生活様式全般とかさ、大雑把に「西洋」って括弧付きで表すと西洋的なものって根本的なフォーミュラをシェアできてるんだよね。


でも東洋っつーか特に日本みたいな特殊な国がさ、文化も歴史も宗教も違う西洋的なフォーミュラを取り入れると上手くいかなくなるんだよね。今までは日本なりに独自に日本のフォーミュラの要素として外来からのものを日本風に書き換えながらフォーミュラを形成してきたんだけど、特に戦後からはもうこういうやり方とかあり方みたいなのがなくなっちゃったんだよね。例えばJ(日本)=A(B+C+D)+CDTみたいなフォーミュラでやってきたとするじゃない?これをさ、J=D(A-C)-B(E+T)みたいな全然違うフォーミュラに置き換えちゃうみたいなもんなんだよね。今までは中身の値を変えたり代入を変えれば良かったっつーかそれで文化が形成されてきたんだけど、フォーミュラそのものを変えちゃってさ、んで代入とか値だけ違うフォーミュラで計算しても結果って全然違うじゃない?それが今の日本だよね。


なんかすんげー思ったより長くなってるんだけど、なんだったっけ?ロバートとの話だったね。んでまぁさ、あれなんだよ、ロバートとの会話でさ、面白かったのが「仮に普通の人達が俺らみたいなやつらを変わり者扱いしてたら、考え自体も変わり者の変わった考え方扱いされて終わりだよ」っつーかさ、こういう言い方をしつつ「変わってるって言われない?俺、よく言われるし、ジロジロ見られたりするんだけど」みたいなことを遠回しにいったらやっぱロバートもそれは常に感じているみたい。あ、俺が変わってるって意味じゃなくてロバートも普通の人達から変わり者扱いされるしジロジロ見られて嫌な思いをしているってことね。まぁお互いこれに関してはポジティブな見解を持っていて別にこれは悪い事じゃないって考えを違うやり方なんだけどまぁお互い持っててさ、まぁこれに関してはいいんだけど、やっぱロバートも感じてるんだよね。さすがアスペルガーvsADDだけあるな。自閉症vs多動症ってなんか漢字にすると強烈だよね。お互い変わり者扱いされるのに慣れ切ってるっつーのがマジでウケたな。まぁ他人事じゃないんだけどね。


で、色々と喋ってたらさ、隣に座ってたマックで何かを聞いてた人が帰り際に「盗み聞きするつもりはなかったんだけど、君たちの会話を聞いていてもうただひたすら凄いなって思ったよ。僕は社会学を専攻してきたんだけど、君達はさぞかし勉強をしてきたんだろうね」なんて言ってきてさ、んでロバートが「いや、勉強じゃなくてただの読書なんだけど」っつってさ、俺は「それ俺のセリフだよ」とか思いつつ「俺も読書だよ」とか言いつつまぁこの社会学の人と挨拶を交わしつつまぁこの人は店を出たんだけど、ロバートも俺も明らかに社会不適応者なんだけどDeep thinkerなんだよね。で、徹底した独学タイプっつーかさ、学校意味ないってお互い思ってるしいつもその話をするしさ、まぁロバートも言ってたけど、だからって俺たちが凄いってわけではないんだよねっていう、まぁそういう話なんだよね。まぁ俺から言わせれば俺等はそういう特殊な頭脳を持っているかもしれないけど、それを仮に秀でた部分として捉えても、他の部分でマイナスっつーとあれだけど、普通の人が簡単にやれることがやれなかったりするわけでさ、まぁ結局、プラマイゼロだからっつーかむしろ今はそのプラスの部分を活かせてないわけだからプラスの部分を徹底的に磨き上げてこれを活かしながらやっていかないとただのダメ人間だよねっつーのはね、まぁあるわけよね。でもまぁ本当に恐るべき類友だよな。日本にも鬱病とかパニック発作持ちの友達はいるけど、ここまで系統が一緒の人ってのはいないからね。マジで。細部は違うんだけどね、でもなんつーか大枠は大体似てるっつーのがすげー面白いんだよね。まぁ変人なりが全然違うんだけど。でもまぁ精神病では俺が勝ってるかな。


スタバ出た後もさ、10時過ぎてたからお互い「そろそろ帰ろうね」みたいな話にはなってたし、何しろ俺は風邪なわけでさ、早く帰って寝なきゃいけなかったのに、結局、まだ夜はちょっと寒いニューヨークのシティーホール前で40分ぐらい立ち話をしたんだよね。結局もう11時回ってたっていうね。お互い話し始めると長くなって、その会話がまた会話を生むっつー無限の連鎖っつー特色を持ってるからキリないんだよね。だからいつもこんな感じになっちゃうのね。で、ロバートは疲れたっつーんだけど俺は疲れないんだよね。全然。っつーのはたぶんね、俺の場合、普段からウォール伝やってるっつーのが強みだと思うんだよね。色々な疑問とそれに対する自分なりの考えの一種の体系みたいなのが割と整頓されて頭の中にあるからさ、ある意味でまぁその場でリアルタイムに話を紡ぎだすことがそこまで必要とされてなくてさ、で、大抵の話題に上がるような話って少なくとも俺の頭のレベルでは俺の脳内レベルで議論済みっつーか検証済みなのが多いんだよね。だから俺が難しいなって感じるのって英語で喋るってことだけで思考自体にはそこまでエネルギーを必要としないんだよね。常に必要なのはデータベースへのアクセスとそれの出力だけっていうね、まぁ自分でも引き出しの多さに感嘆するんだよ。いつも。よくもまぁ英語なのにあれだけスラスラと色々と考えが出てくるなって。あとはまぁ考え慣れてるっつーのもあるね。新しいことでも考える事に慣れてるから、例えば物事を説明したりアレゴリカルに説明したりっつーさ、そういう脳内の癖っつーか、脳のある部分を使う癖みたいなのがついてるんだよね。で、ロバートはロバートで凄いんだけど、俺ほど整頓されてはいないのね。


いつも夜遅くまで喋ってると後半に大体いつも「考え自体が脳内で混乱してバウンスしまくってるから喋れば喋るほど内容が劣化する」みたいなことを言い出してさ、まぁこれが帰るいいきっかけになるんだけど、まぁ知恵比べをしているつもりはないんだけど、変な話ね、あそこまで喋りまくるロバートを疲労させる俺ってすげーなって思っちゃうのね。で、俺はまだ話足りないっつーかさ、全然疲れてないのね。恐らく脳の使い方にも効率ってのがあると思うんだよ。で、俺は普段からその効率というかデータベースへのアクセスとかハードディスクの最適化ってのが常に行われてるから、だからアクセスが速いと思うし、ストレスとか疲労無く出力できると思うんだよね。喋る事自体に一切疲れを感じないっつーのはようは最適化とアクセスのスムーズさの所産だと思うわけ。で、ロバートはその場その場で考えていることが結構多かったりするから疲れるんだろうなって思うんだよね。頭の差っていうよりかは使い方の差っていうかさ、ロバートは常に全身全霊で言葉を紡ぎだす事にすんげーフォーカスしているのに対して、俺は常に入力と出力の最適化を行いながらスムーズに色んな事を出力しているっていうね、ロバートはハードディスクへのアクセス音とかCPUのファンの音とかをガンガンに立てながらコンピューターを動かしているのに対して、俺は最適化されたマックっつーかさ、ダメだ。やっぱやめた。これじゃー俺が勝ってるみたいな言い方になっちゃってるもんな。いや、比喩はかなり正しいと思うんだけど。


でもこれもまぁ訓練の所産だと思うんだよね。俺は普段からこういうことをやってるからあんま出力とか入力に困らないっていうね、ロバートは俺より明らかに若いし、経験不足なところはあると思うんだよね。まぁ歳をとればいいって話でもないんだけど、でもまぁ訓練の差ってのは出るよね。俺ってそういう意味でフルタイムでずーっと考える事が出来るから恐らく世界の誰よりも考えるということに関しては有利な位置にあるんだよね。物理的な労働とかが無いし、やらなきゃいけないことも忙しい人に比べればたいしたことない。で、圧倒的な孤独と自分の時間があるっつーかまぁ自分で作ったり大切なものとして意図的に捻出しているという部分もあるんだけど、それも含めてまぁ考える時間が大量にあるわけだよね。だからまぁ哲学みたいなさ、すんげー時間と労力を必要とするようなものにダイブ出来るのね。忙しかったらもう無理。だから俺にとっては忙しさって大敵なんだよ。将来でもさ、いつも書いているようにいかに経済的に自立しつつ今みたいな生活の仕方を続けるか?っつーのがね、一番のポイントなのね。


極端な話、今みたいな生活ができれば職種って問わないんだよね。つまりはさ、今みたいな生活が出来るってことはさ、例えば今で言う学校に行って何かをやるっつーようなレベルの労力が労働力に置き換わるぐらいのレベルなわけでさ、通うってこととかね、コンスタントにやるってことはそれだけで結構面倒だけど、でも精神的になんとかなるレベルだし、考える時間とか読書をする時間ってのが確保できてるからオッケーなんだよね。それこそさ、ワニトカゲキスの主人公みたいなさ、まぁあのバカ2人が来る前の主人公とかね、斎藤君みたいな感じとかさ、ああいうのってある意味で理想的なんだよね。でもああなっちゃうと社会との関わりがミニマムなまま思考なりを続けることになるから、それ自体がある意味で独我論的な思考パラダイムを形成しかけないっつーかさ、今の俺の思考も学校とか人々との関わり合いの中で形成されているわけだから、あまりに孤独になりすぎるっつーのもどうかと思うんだよね。まぁどっちかって言われたらやっぱ孤独を選ぶけどね。俺は。人との関わり合いはあるんだけど、それ自体で大変になっちゃうような感じだったらやっぱ孤独のほうがいいよね。


あ、んでなんで精神病で俺が勝ってるって思うかっつーとさ、ロバートはよく「たまに酷い鬱になる」とかって言うんで、まぁ自閉症っつーか恐らくアスペルガーってのもあって固有の諸症状ってのがあるんだろうなと思ってさ、何気にメンヘラーかどうかって探ってみたっつーかさ、日本の自殺率の話から抗鬱剤の話になったんで、何気に「俺はもう10年以上もお世話になり続けてるよ」なんつったらさ、珍しくロバートは驚いててさ、んでまた抗鬱剤に対する見解ってのを長々と喋り始めたんだけど、ロバートは過去に薬を試してみて、んで最悪の思いがしたんで飲んでないらしいんだよね。薬飲んでなくてもなんとか普通に生活していけるんだったら「なんだー俺より全然マシじゃーん」って正直思っちゃったよね。結局俺のほうがメンヘラーで症状も酷いんじゃんっつーさ、見た感じではロバートのほうが病んでそうな感じなんだけど、実際は俺の方がヘヴィーに病んでるんだよね。繊細さで俺が勝ってるみたいな言い方はしたくないんだけど、例えるならロバートはCDとかDVDサイズの傷つきやすいっつーかナイーヴな面を持っててさ、それに比べて俺はレーザーディスクなんだよね。あまりの色んなことに敏感過ぎて精神崩壊するきっかけが多過ぎるっつーね、繊細過ぎるっつーとかっこいいけど、実際はまぁここまで来ると障害だよね。もう。ロバートはギリで障害者じゃないレベルって感じがしたな。抗鬱剤を飲んでないっつーのは偉いし、飲まなくてもやってけるっつーのはまぁ羨ましくもあるかな。まぁ俺は断片化しないけど、やたら精密な整備と取り扱いを必要とするマックを持っているって感じだね。これまた良く言い過ぎかな?


いや、ロバートと比較とかするつもりはないんだけどね。でもまぁ比較というか相対化してみるとそんな感じかなって気がするだけで。まぁいいや。ちょっとでもかっこよかったらあれだ、究極的なネガティブなワードがあるよ。俺は精神障害者ですっつーね、まぁ立派な障害者ですよっつーね、だから全然誇れるようなことでもないのね。本人は整備と取り扱いに苦労しているわけだから。恐らく障害ってまさしくレベルの話だと思うね。ロバートは十分変だけど、薬とかに頼らず自分でやってけるってなるとさ、それって健全なんだよね。でも俺って薬があっても鬱になったりパニックになったりさ、色んなことでも普通にやってくのが難しいってレベルだからこれってやっぱ障害っつーレベルだと思うんだよね。だから社会保証くれって話じゃなくて、まぁ十分障害と言えるレベルなんだろうなって思うのね。で、なんであえてこんなことを言うのか?っつーとそういう精神病とか変な人に対する偏見とかに俺は抗いたいんだよね。いや、変だし障害があるかもしれないけど基本的にすげー良い奴で善人ですよっつーのをね、まぁこういうやつもいるんだよっつーのを俺は言いたいんだよね。それは障害者を代表してとかっていうようなデカイレベルではなくね、それはあれなのね、ゲイだったらゲイということをカミングアウトしつつ、自分の態度でゲイに対する偏見を少なくとも知人とかのレベルでは無くして行くっつーね、そういうアクティビティとしてのカミングアウトね。恥じる事ではないし隠すようなことでもないっていうね、当人がタブー化してたんじゃそれはまた偏見や憶測を生むだけですよっつーのが俺の意見ね。


もうさすがにやめるわ。長くなりすぎた。いや、こういう感じね。ロバートとの会話も。特に俺が色々と思いついて勝手に質問したり話を進めることが多いから話が途絶えないのね。それがまたロバートを疲れさせている原因の一つなのかもしれない。となるとさ、仮に俺とほぼ同じようなタイプの人間がいたらさ、それって会話が成立しないんじゃないか?って逆に思ったんだよねっつーのはさ、お互いの考え方とか考え方の傾向とかスピードとかデータベースの量とか内容が似てるってなるとコミュニケーションの必要が無くなるじゃない?だから逆にすんげー会話がシンプルになるかもなとかって思ったのね。だからやっぱ違いって素晴らしいよね。完全に同じような人間だったら話してて面白く無いと思うんだよね。そういう意味でロバートとは特に政治では同じような傾向の保守傾向がありつつも袂を分かつ部分ってのがあるからさ、それは関係性を断つって意味じゃなく、まぁランシエール風に言えばその不和から政治的な議論が始まるんだよね。その思考の差異の戯れとしての会話というかさ、差異がなければdialecticって成立しないんだよね。そこにアンチノミーというdialecticのドライブとなる源泉が無いと議論は白熱しないわけ。


あ、もうさすがにやめるね。熱が出てるのが分かるんだけど、ずーっと色々と考えてたりタイプしてると身体感覚にフォーカスが行かなくなるんで実質的に体が楽になったような気がするね。昨日はソーシャルサイコロジーのクラスをきっかけにロバートとの会話までずーっとそういう感じだったな。心頭滅却とはこの事だね。それは雑念を消すというよりかは雑念に注意がいかないぐらい自分の思考に全てをフォーカスするってことだよね。恐らく無ってこういうところからしか生まれないんだよ。何も思わないということから無は生まれないわけ。むしろ有ありきの無という概念から無我の境地に向かう意志の力によってのみ無って到達可能なんだよね。まぁ俺の勝手な禅っつーか無の解釈だけどね。