学校とか喪男の哲学史についてとか。

mimisemi2009-05-03

いやー全く繋がらないね。アメリカ文学とかさ、ジューイウィッシュ・スタディーズとかいってさ、そういうのを大学とか大学院で勉強してきてさ、んでなんで事務やってるの?っつーね、事務とアメリカ文学って全然関係ないよね?でも事務みたいな仕事を得るために学歴っつってとりあえず大学院ってなんだかなぁーって感じだよね。留学生が移民関係の法を違反してないかっつーのをチェックする仕事をやるためにアメリカ文学を勉強するの?おっかしいよねぇー。教育システムは完全に崩壊しておる!それを教育システムって言っていいのかどうか分からないけど、比較文学とかやってたやつが公務員とかさ、公務員の仕事と比較文学って全然関係ないよね。まぁ文学部ってことで文章力とかさ、語彙があったりするのかもしれないけど、公務と文学って全く関係ないよね。俺は昔から言い続けてるけどさ、「そんなことない」とかって言われても全然理解できねぇーんだよ。マジで。実際、だってさ、繋がってないし関係ないじゃん?今の学校の留学生担当の毛深いおっさんもさ、恐らくまぁユダヤ人なんだろうけどユダヤ系何かに関する勉強をしていて、んでそれでマスター取ったらしいんだけど、やってることっつったらただの事務とオフィスでのダベリだからね。オフィスでダベりつつ留学生の事務をやるためにユダヤについて研究してたわけ?全く教育と仕事が繋がってないよね。これに俺は凄まじい苛立を感じるんだよな。マスターだからまぁ凄いのかもしれないけど、でもやってる仕事がただの事務じゃね、マジで意味ないよね。


この成り行き加減っつーかダラダラ感が凄く嫌なのね。ユダヤ関係の研究でマスター取りましたっつってさ、んで就職活動してたらコミカレの留学生担当の事務っつーのがあったんでそれにしたら受かったとかさ、まぁ他も受けたんだろうけど、とりあえず学校ってことでアカデミックってことでさ、ここにしたっつってんでずーっと年中留学生関係の書類だのなんだのっつー仕事をしつつ、オフィスで仲間とダベるってさ、なんなんだろうな?ってマジで思うよね。このご時世に仕事があるってだけでまぁある意味で特権階級的っつーかさ、それだけでソーシャルステータスは高いのかもしれないけど、学校でやってたことと仕事が関係ないっつーのが俺はマジで許せないね。俺みたいに勝手に色々と読みつつ勝手に考えるっつーのを続けるためにワニトカゲギス的な夜間警備員をやるとかさ、実際ああいう仕事があるかはともかくとして、まぁそれだったらいいんだけどね、あくまでまぁオブジェクティブが自分の研究の延長じゃない?で、それを続けるためにまぁ詰め所にいなきゃいけないみたいなことでそりゃーいいんだけどさ、事務やるとかってマジでありえないよね。それは贅沢っつーよりかはさ、だったらなんで学校に仕事にもならないようなジャンルの学科があるの?って話なんだよね。学科があるからには仕事が無きゃだめだろう。ユダヤ研究家とかさ、アメリカ文学なんつー広過ぎる分野を専攻してたとしたら、そのアメリカ文学に関わる仕事をするとかさ、勉強した事が役に立たないとマジで意味ないよね。で、本屋に就職っつってさ、一応、アメリカ文学と本って繋がってるから意味あるとかそんなのただの言い訳っつーか正当化ね。


誰でもさ、他人に理解されないかもしれないけど、こういうの見るとムカつく!っつーのってあると思うんだよね。ジーパンの足首あたりをめくってるとかさ、まぁ俺はムカつかないけど、なんかムカつくってのあるじゃない?かまととぶってる女とかさ、キャラ作ってるやつとかさ、俺は同じ次元で大学の頃の専攻と職が繋がってないやつっつーのが凄く嫌なんだよね。いや、関係なくても成功してればいいけどなんか冴えないっつーのは本当にムカつくね。それで大学院とかまで行ってさ、比較文学とかやってた割に事務やってるとかマジで許せないんだよね。それは社会のシステムもそうだし大学もそうだしそいつ自身もね。特にさ、重箱の隅をつついたような学問を専攻してたやつがサラリーマンとかさ、営業マンになるとかってどうなの?って思うんだよね。だったらさ、最初から営業学とかさ、人心掌握術とかさ、人間関係学とかさ、ビジネス心理学とかやっとけよ!って話でしょ。そんなのが大学の学科になるかはともかくとして、社会が求めてるのってそういう技術じゃない?比較文学の知識じゃないよね?


このさ、アカデミアと現実社会の乖離が死ぬほど許せないのね。ある意味でアカデミアはオールドスクールだよね。現代社会では役に立たないような学科ってのが大半でさ、人気があるのはプラクティカルなビジネスとかマーケティングとかなんだよね。これを学校の職業訓練所化だって嘆くのもアリっつーか分かるけどっつーか俺はそう思ってるけど、でもしょうがないんだよね。比較文学とかやってビジネスマンとかになるなら最初からビジネス専攻してたほうがいいじゃんっつーさ、合理性から言えばそれはむしろ当たり前でさ、社会のニーズに学校が答えるっつーか人々が社会のニーズに選択肢を求められちゃうっつーのもまぁしょうがないよね。マックとサブウェイしか無いからどっちにしろアメリカンな食事を摂るしかなくなるみたいな選択肢だよね。そう思うとさ、大学側ってなんでまだ呑気に比較文学とかやってんのかな?って思うんだよね。哲学然り。それ大学でやってもしょうがないんだったらその存在価値って何なの?っていうさ、学者とか研究者になるやつだけそういうのやればいいんじゃない?って思うんだよね。哲学科で勉強すればジャーナリズムやライターなど様々な職種に対応するような広い見識を持つ事ができます!みたいなキャッチコピーっつーかうたい文句みたいなのがあるけど大噓だよね。ある程度まではあってるかもしれないけど、まぁ80パーセントぐらいは誤りだね。20パーセントぐらいしか役に立たないからその20パーセントの良さを全面に出すしかないってことでさ、まぁ無理に哲学の良さとかを語ってるのが大学の学科っつーかさ、まぁ広告とかだよね。ある程度の生徒を集めないと潰れるから学問が商売化しちゃうっつーさ、最低のサイクルだよね。


ところで哲学と言えばさ、本田透喪男の哲学史って本あるじゃない?アカデミシャンとかが怒りだすっつーか「ケっ!」とかって言いそうな内容だけど、それってさ、まぁまず見た目っつーか本の雰囲気っつーにあるんだけど、アカデミシャンは認めたくないんだろうね。こういう人が書いた本を。アカデミシャンって大抵が本田透が批判してるようなソフィストだらけだからさ、難しい言葉を使って知的ヘゲモニーを掌握してるようなしょーもない権力者どもだからさ、簡単な言葉と俗っぽい内容で語られた哲学史とかってのを認めたく無いんだよね。この本ってオタクカルチャーとか喪男カルチャーとかを軸にして結局はある程度の哲学史を語れてるんだよね。分かりづらい言葉で書かれた本なんかよりはよっぽど入門書的でさ、しかも面白いんだよね。高度な内容のことを簡単に説明するって難しいことだと思うんだけど、ダメ人間みたいに見える本田透みたいなのがこういうことをやっちゃったんで、本業の人達は実際はタジタジなんだよね。認めたら自分が終わりだ!みたいな感じで認めないっつーかさ、いや、分からん。世間の評価は分からないけど、まぁ歴史に残る名著だと思うね。これ。読んだ事ないし興味ないけどラッセルの西洋哲学史ぐらいの名著だと思うね。


解釈が大雑把とかさ、ザックリ説明しすぎだっつー批判とかがありそうだけど、ようはさ、そんなのは個々のやつが興味持ったら原著なりさ、専門書に移行すればいいだけの話でさ、本田透自体は批判されるべきじゃないんだよね。でもまぁ俺の理解だとっつーか俺もアマチュアだけど、すげーよくクリアに説明出来てると思うね。マジで。小難しいっつーか厄介なことを現代オタクカルチャーとか分かりやすい形で説明してるっつーのが本当に良いことだと思う。こういう感じで哲学の世俗化ってのが起こったとしてもそれはいいことだと思うんだよね。割と哲学がメジャーカルチャーになるっつーね、上辺だけのモテアイテムとしてのニューアカみたいなのじゃなくて、書籍のジャンルっつーかさ、普段読む本の一つとして哲学があるみたいなさ、哲学の敷居の高いイメージっつーのをぶち壊したのがこの本だと思うね。まぁ逆を言えば敷居が高いイメージを作ってきたのってソフィストどもなんだよね。元々身近にあるものなのに晦渋なレトリックとか文体を使うことでさ、なんか崇高なものっつーかちょーインテリしか理解出来ないようなものみたいなイメージが形成されたと思うんだけど、実際は生活圏に存在するものなんだよね。


所謂、哲学の難しいイメージとか賢そうな感じっつーのをぶち壊すって可能だよね。だから俺は真剣に哲学をポップカルチャー化するべきだと思ってるのね。良い意味での世俗化ね。それはハルヒみたいなやつとかでもさ、まぁある意味で哲学的なアプローチのアニメっつーのとさ、萌えみたいなのとか声優カルチャーみたいなのを融合させてさ、それを堕落という人もいるかもしれないけど、それはマトリックスとかと一緒でさ、ポップな媒体で哲学を提供するってすげー良い事だと思うんだよね。で、俺が真面目にやってほしいと思うのが古代ギリシャ哲学のアニメシリーズね。それこそハルヒとか図書館戦争とかNHKへようこそ!みたいなああいう軽いノリとかを維持しつつ内容っつーか根底はシリアスっつーか古代ギリシャ哲学っていうね、プラトンとかアリストテレスとかソクラテスがキャラ化してさ、すんげーお馴染みのキャラになるっつーかさ、それって面白いと思うんだよね。で、ダイアログのベースがプラトンのリパブリックだったりさ、ソクラテスの個人的なエピソードだったりさ、漫画で読破!みたいなシリーズもあるけど、アニメ化してほしいね。恐らく世界中で大ヒットするに違いないよ。


で、近代シリーズとかではデカルトとかが出てきたりさ、うああ哲学事典っつーのがあったけど、ああいう感じじゃなくて、もっとハルヒ的っつーかさ、もっと過剰なキャラ化をするのね。もしくはプラトンとかソクラテスじゃなくても似たような枠組みで萌えキャラを利用して馴染みやすくするとかさ、ようは女性化とかしてもいいってことね。萌化とかショタナイズみたいな技術があるように、哲学者っつーのも全然そういうのは可能ね。哲学は死んだっつー言い方はマジで馬鹿げてると思うんだよ。哲学っつーのは知識への渇望とかなわけでさ、ある意味で道なんだよね。生活形態の一つっつーかさ、それに没頭しなくても、くだらない学校の学科のレベルとかじゃなくてアニメとかさ、そういうので表現可能だと思うしやるべきなんだよね。そう、俺ね、哲学の小難しいイメージとか好きじゃないのね。所謂、変わり者が本にかこまれながらブツブツ言ってるみたいな電波的なダメな感じは好きなんだけど、洗練されたかっこいい感じっつーの?実際は哲学ってかなりダサイんだよっつーのをさ、本田透の本では一貫して描かれていたと思うんだけど、元々崇高なもんじゃないんだからさ、アニメ化とかがガンガンやればいいと思うんだよなぁー。あ、もちろん原案は俺ね。で、ヒットしたら印税がっぽりでお金の心配はする必要ないっていう。もうダメね。これ。俺のアイデアだから盗んだりしたら訴えますよ。マジで。こないだの映画のシナリオとかもダメね。原案俺なんで。


日本のアニメっつーかさ、全然ご無沙汰で元々そんなにハマってないけど、最近っつーかさっき書いた図書館戦争とかさ、まぁラノベとかが原作なんだろうけど、日本的なアニメのノリを維持しつつ内容が割とシリアスなのが多いよね。根底にあるのが社会問題だったり実存的な問題だったりさ、ああいう問題提起みたいなのをアニメみたいな形で出来ているのは凄く良いことだと思うんだよ。まぁ元はラノベだけどね。でも活字ダメでもアニメなら見れるでしょ?で、世界にも配信されるし。まぁ著作権とかはおいておいてね。この哲学とか実存的問題とか社会問題のアニメ化って日本的なカルチャーの特権だと思うんだよね。十八番っつーかなんつーか。アメリカとかだとサウスパークとかさシンプソンズみたいなフォーマットになるけど、日本って多様性があるし、それこそイケメンとか萌えキャラみたいなのを利用して現実的な世界観とかを維持しながら提示出来ているので凄いと思うんだよね。アメリカのやり方っつーか欧米のやり方って恐らく問題のカリカルチュアライズだと思うんだけど、日本のアニメの場合さ、見た目がただの日本のアニメなんだけど根底に深い問題があるっていうね、そこがいいんだよね。可愛いキャラとかさ、面白い展開とかをフックにしつつ、様々な問題ってのを鑑賞者に投げかけるってやり方はさ、どんな哲学書よりも啓蒙書よりも有効だよね。その敷居の低さとアクセシビリティっつーのかな?だからマジで啓蒙したいとかさ、世の中を動かしたいとか思ってるんだったらグラムシじゃないけどメディアを利用するしかないよね。メディアを利用っつーか本を書いて啓蒙するっつーよりかはポップカルチャーの中にメッセージを潜ませて大衆にアピールするっつーね、それがラノベであれアニメであれさ、そういう方が効果あるんだよね。


まぁそういう意味では旧来的な意味での哲学ってのは死んだかもね。つまりは旧来的な哲学のあり方というのはもう死んだと思う。もう有効じゃないっつーかなんつーか。ましてや活字離れとか進んでてさ、んで世界的に若者とかが別に哲学書とかを必要としなくなってたり、そんなものより没頭出来ることとかコミット出来ることってのが増えているわけでさ、哲学の存在って重箱の隅どころじゃ無くなってるんだよね。もう好事家の趣味に成り果てているっつーかね、それは哲学が没落したんじゃなくて社会が変わったから社会と哲学のあり方が変わったってことなのね。だから哲学も現代社会にアピール出来るようなやり方ってのを模索していかなきゃいけないんだけど、まぁ哲学かどうかはともかくとして、大成功しているのが日本の特に近年のメッセージ性の強いアニメね。萌えっつーかオタクカルチャーと表裏一体なんだけど根底に問題提起があったりするんですげー関心するんだよね。ペルソナとかもそうじゃない?すんげーメッセージ性強いよね。晦渋な文章とかで限られたフィールドで何かを発表するとかっても本当に文字通り意味がなくなっているよね。左翼系が特に酷いと思うんだけど、ああいうのってもう大衆の心をつかまないと思うんだよね。過去の左翼運動みたいなことももう起こらないだろうし。マルクーゼとかマルクスがイデオローグだったとかって言うけど、実際、どれだけの人が読んで理解してたのかは疑わしいよね。マルクスとかマルクーゼ理解してたら会社員になって安泰みたいな生活とかってあり得ないだろって思うんだけど。


まぁいつの時代も哲学って本質的に理解されることなくデマゴーグに利用されるドグマみたいな感じになっちゃうんだよね。必ず劣化して伝わっちゃうっつーかさ、ただそこでね、具体的な哲学への参照はともかくとして、実存的な問題とか社会問題とかが劣化せずに上手く大衆に伝わってるっつー良い例が日本のアニメなんだよね。まぁメッセージを受け取るかはともかくとして、ああいうフォーマットがあるっつーのは本当に良いことだと思うね。攻殻機動隊みたいなのは理解しづらいけど、ああいうアニメなら誰でも理解出来るでしょ?いや、バカにしているわけじゃなくて、あの理解のしやすさがいいんだよ。凄く。分からないやつにもまぁエンターテイメントとして消費されるわけだけど、それはまぁアニメのあり方として別にいいしね。退屈じゃ意味ないからね。そういう意味でやっぱキャラ性とかさストーリーとか話の展開とかがすげー重要なんだよね。普通のリパブリックのダイアログやっててもつまらないから、そこはまぁジャパニメーション化するっつーかさ、リパブリックにしてもやり方は色々あると思うんだよね。誰かやってくんねぇーかな?マジで。古代ギリシャ哲学っつーか特にプラトンのダイアログ系ってマジで適材だと思うんだよね。アニメ化とかラノベ化にね。


ところで今回書きたかったのはさっつーかまだ本題じゃなかったんだけど、本田透喪男の話だけど、どうも同意できないところがあってさ、それってのはね、確かに哲学ってのは喪男によるものだったんだけど、例えば本田透ほど悶々としている喪男の歴史ではないんだよってことなんだよね。本田透って性とか女性とかにすんげー憧れを持ってるじゃない?あとイケメンとかモテ系へのルサンチマンね。そういうのを源流として哲学をやるっつーのも分かるけど、そうじゃなくてさ、まぁ俺が思うに哲学の喪男ぷりってのは現実からの逃避とか自分は喪男であるっていうような実存的な問題が全てを占めているのではなく、そういう要素があるにしてもね、まぁ俺なんかがそうだけど、哲学とか読書が好き過ぎて女の子とかに現ぬかしている場合じゃないっていう話なんだよね。現実での煩わしいプロセスとかさ、人間関係とかが全部時間の無駄に思えてくるんだよね。それだけ哲学とか読書って時間のかかることだから、そんなことやってる場合じゃねー!っつーのがまぁ哲学者だと思うんだよね。


まぁ俺は本田透と違ってモテているからだみたいな言い方はしないけど、でもこれは本音なんだよね。仮にお誘いがあっても興味ないんだよ。ウットリしたり人を好きになることはしょっちゅうあるけど、でも基本的に読書と比べるとそこまで時間を割く価値はないっつーかさ、読書優先なんで他の事をやってられないっつーのがあるんだよね。これがようは真の哲学的喪男なんじゃないか?と思うわけ。モテていようがモテていまいが基本的に引き蘢りながら思索をしたり読書をしたりするのが好きなんで、それに代わるっつーかそれを凌駕するような何かってのが喪男には存在しないって意味でのまぁ哲学者としての喪男だよね。それはセックスしたくて悶々としているというよりかは手元にある本を読んだり何かを書くのに忙しくてそんなことやってる場合じゃないっつーね、なんつーかハマっているゲームが常にあるみたいな状態だよね。ハマっているゲームがあるとどんなことがあっても家に帰って続きをやりたくなるじゃない?あれが哲学者には常にあるんだよね。とっとと家に帰って引き蘢って読書を再開したいっつーね、これがまぁ喪男たる所以なんだよ。


何もかも断って家に帰るんだからさ、モテていようがモテていまいが女性との交際とかってのがありえないんだよね。それは俺はマジでそう思うし、かっこつけているわけでもなんでもなくてね、偉ぶっているわけでもなんでもなくて、それはマジなのね。思索とか読書以外のことも含めて自分の時間ってのが何よりも重要なことだから、その自分の時間より重要なことって現実にはあんま存在しないっつーね、だから結果的に引き蘢りがちになるし隠者的になりがちだしずーっと童貞だったりするわけ。過去の童貞だった偉人とかってみんなこういうタイプだと思うんだよね。悶々としているというよりかはもうそういうのに惑わされていなくて、自分のことをやるってのが最優先過ぎて他の事は目に入らなかったっていうね、そういう意味で本田透ってルサンチマンだらけなんだよね。


いや、批判するつもりはないけど、ただああいう負け犬型の哲学者のあり方がデフォルトではないんだってことね。本田透のことを負け犬だというつもりはないけど、喪男の哲学史ってのはデフォルトがそうなってるからさ、それはまぁギャグとしては全然オッケーなんだけど、まぁ事実ではないっつーね、まぁ本田透的な喪男哲学者ってのもいたかもしれないけど、実際はモテるモテないとかね、現実に良い事が無いとかね、そういう実存レベルの問題と思索の問題っつースケールの小さい話じゃなくて、思索っていう宇宙の中にドップリな連中ってのが哲学者なんだよね。本田透的な喪男哲学者達はあくまでそこに嫌な現実とかモテているソフィストとかチャラチャラした女子っつーのと同じ次元で哲学があるじゃない?でも大半の哲学者にとっての哲学ってそんな現実の次元にはないんだよね。彼らの脳内っつー宇宙の中に存在するものなんであってさ、あり方のレベルが違うんだよね。だからまぁモテの魔の手から逃れるみたいな努力も実際は必要ないのね。哲学が好きならずーっと哲学とフォーリンラブしてるわけでモテていようが女の子達となんかやってる暇はないっつーさ、魔の手から逃れるっつーのはそこに欲望があるからじゃない?未練があるっつーかさ、モテたいっつーのがあるんだよね。


でも哲学ってそんな次元じゃないんだよってことだよね。逆を言えば現世に未練があるルサンチマンが原動力となったような哲学ってのは限界があるってことね。あくまでそれは現世との相対的な関係性によってでしか概念が生まれてこないっつーかさ、現世への否定とか恨みとかそこに現世が介在していると限界って自ずと見えてくるよね。でも哲学っつーか知の体系ってもっと宇宙的なんだよね。ダークマターがいっぱいある宇宙っつーかさ、その90パーセント近いダークマターの存在そのものがソクラテス的な無知の知なわけだしさ、でもずーっと宇宙に居続けながらその存在を確認したり考えたり吸収するっつーのがさ、ようは無知の知の体系っつーか道としての哲学だよね。モテとか非モテみたいな低い次元ではないってことね。本当は女の子とどっかに行きたいんだけど、それを我慢して家に帰るとかね、本当はモテたいんだけど、モテないんで哲学やエクリチュールに逃げるとかね、そういうあり方はソクラテスだかも言ってたように不健全なのね。そうじゃなくてとっとと家に帰りたい!って思うぐらい哲学なり読書が好きじゃないと哲学者になれないっつーかさ、その異常な知への愛ってのが喪男的状況を生み出すっつーのがフィロソフィアなのね。肉欲とか物欲とか食欲とかの低級な欲求より知への欲求が勝っているっつー状態ね。で、それに没頭しすぎているので引き蘢りになっていたり女性との付き合いがなかったりっていうね、これがまぁフィロソフィアね。で、このフィロソフィアを体現したような人間がシュトラウスね。だから俺はシュトラウスの思想もさることながら、あの哲学者としてのあり方に関しても凄く共感しているのね。本当の事を言い続けるんだけどスポットライトは一生浴びない隠者が哲学者であるみたいなさ、まさしくそれがシュトラウスなんだよね。まぁ現代では違った意味でスポットライトを浴びちゃってる感じだけど。


あ、んでシュトラウスはリアルで喪男だったわけじゃないのね。一応奥さんもいるし家庭もあったんだけど、すげー隠者的でさ、んでまぁ当時のゴジェーヴとのやり取りにもあるようにまぁ結構冴えない感じだったんだよね。それこそサルトルとかさ、リアルタイムに評価されてスターみたいになった人じゃなくて、すんげー陰の人だったってことね。とにかくまぁ知への愛みたいなのが半端じゃないんだわ。この人。だから憧れるっつーかさ、まぁ俺はミメーシスしちゃってる感じなのね。だからまぁ色んなのも含めてその思想のあり方も含めた人間のあり方みたいなのにも凄く憧れているのね。だからまぁ俺のヒーローなわけ。


PS


あれね、だから哲学者っつーかさ、フィロソフィアってプライオリティの問題なのね。知識欲が凄いんでそれが性欲とか物欲とか食欲に勝っちゃってるっていうある種の変わった状態でね、だから全然解脱ではないのね。俺も解脱者ではないし。仮に俺の知識欲ってのがなんかのアレで無くなっちゃったら、俺の欲ってのは物欲とか性欲が最優先になると思うんだよね。だからストイックに我慢してるっつーよりかはそれが最優先なんで他の事はあんまやらないっつーね、まぁある意味で究極的な自分勝手っつーかさ、それがフィロソフィアね。だから煩悩を断つ的な発想とはあんま関係ない。あとはまぁ低級な欲求ってのは意味無いって分かっちゃってるんで、知識欲以外の欲があんま無いみたいな状態もまぁフィロソフィア的なのかな?でも俺って全然凡人だから普通に性欲とか物欲あるからね、仮に知識欲が無くなったらそれこそふつーのダメ人間になると思うのね。


PS2


ってことでまぁ世俗のことを気にせずにずーっとフィロソフィアな状態っつーのを続ける若者っつーのをまぁ僧職系男子って命名することにするね。もちろん童貞じゃないとダメね。


ってことでした。ただ本自体は凄く良く書かれているんで是非読んでみて。本当に面白いと思うので。

喪男の哲学史 (現代新書ピース)

喪男の哲学史 (現代新書ピース)