耳蝉、勝手に宗教に目覚めかける。

mimisemi2009-05-10

社会的サインに鈍いっつーのは自閉症的なのかもしれないけど、俺もやっぱ酷いね。分かるところと分からないところが極端っつーか逆なんだよね。構造が。社会では分からないとされているものを見抜く感性みたいなのがありつつ、社会的サインとかに関してはめちゃくちゃ鈍いっつーね、あ、人間関係ね。だからあれなんだよね、恐らくアメリカンガール全般にしてやられてるんだと思うよね。リア二千の時もそうだったけど、リア二千からのキューを理解してない俺がいてさ、んでこんがらがってわけが分からなくなっちゃってるっていうね、いやさ、俺って童貞でしょ?でもさ「ぼぼぼぼぼぼ僕はそそそそそういうものには興味がないもので・・・」とか言いつつ哲学とか読んでるようなタイプじゃなくて、まぁウォール伝見れば分かるけどかなりナンパなところもあるんだよね。極端な話、リア二千とかにしてもさ、可愛いと思ってたから目が合ったら笑顔で返したりとかさ、チラ見してみたりとかさ、で、リア二千の反応がめっちゃ可愛かったんだよね。ナイーヴな子が照れてる感じっつーの?でもいざ相手からアプローチがあると怖くなるんだよね。そこまで来るか!っていうさ、近くなるから怖くなるのね。お転婆娘も同じね。あんまりあっちから来られすぎると困るんで「いや、もういいです」ってなっちゃうのね。まぁ自分勝手だよね。だったら最初から相手に勘違いされるような愛想とか振りまかなきゃいいのにってさ、結局俺ってお転婆娘が八方美人で色んな男からアプローチがあるっつーその状況を楽しんでるのと一緒なのかもなとか思ってかなり反省したんだよね。相手に勘違いさせているのは俺だもんね。まぁ例のクリティカルの子には全然愛想は振りまいてなかったけどね。


被害者面した加害者って一番タチ悪いよね。あ、いきなり二次元の話になるけどさ、マリクとエリスみたいなのがベストなんだよね。対象a的というかさ、好きな対象は申し分無いんだけど、それだけに恋が実らないみたいなね、で、実らないからって関係がダメになるってわけじゃなくて、ずーっと片思いが続くっていうさ、これがある意味一番ハッピーかもしれないよね。こっちは従者なんで立場的に無理なんだけど、でも逆に従者であるからこそずーっとこの関係は続くみたいなね、頭の中身までは規制できないわけでさ、マリクがどう考えようがマリクの自由っつーね、これがある意味でベストかもしれないねってことなんだけどさ、いやさ、例のキャリアウーマンの人に相談のメール送っちゃったんだよね。この人はモデルとかやってただけあって綺麗だし恐らくモテモテだっただろうし今でもモテているぐらいだからまぁ恋愛経験豊富だろうと思ってっていうか本当に凄い人なんだよね。俺の「凄いな」って思う心を裏切らない人なんだよね。卵とかってそういう意味で俺を裏切ったんだけどね。


そう、だから俺は大体いつも裏切られてばかりなのね。だからこそ俺の期待を絶望に変えない人ってのは死守する必要があるよね。滅多にいないから。これで恋愛感情が介在してたら完全に俺とこのキャリアウーマンの人との関係って付き合ってるって感じになると思うんだけど、まぁそうじゃないんだよね。だからといってそうじゃないと否定する事で関係性の価値が下がるわけではないんだよ。まぁ難しいね。ようは人間関係って一筋縄ではいかないっつーとティピカルな言い方になるけど、色んなレイヤーがあるんだよね。言語とか社会的立場とか年齢とか趣味とか精神性とか外見とかも含めた総合的なものによって成り立っているのが人間関係でさ、すんげー色んなレイヤーがあるんだよね。だから恋愛感情無しの全くもってカップルとか夫婦みたいな関係っつーのもありえるわけ。夫婦みたいだからっつってそこで愛とか恋みたいなのが介在する必要はないのね。逆に愛や恋があるからといって夫婦になる必要はない。夫婦になった途端、違うレイヤーにおける人間関係のレベルを維持したりすることが必要になってきて、それが原因で不和が生じるなんてことはいくらでもあるでしょっつーか大体そうだよね。セックスだとか外見だとかっていうような見た目だけのレイヤーで愛だのを育んできた仲なんて脆いんだよ。マジで。クラスメートとの友情ぐらい脆い。セメスターが終わったら自然消滅みたいなね、そんぐらい脆いよ。


でもこれって人間の性みたいなもんでさ、本能レベルで肉体的に魅力的な子とかに恋をしちゃうんだよね。俺はいつでもそうだな。俺の動物的な恋愛感情とプラトニックなレベルでの恋愛ってのが両立した試しが無い。俺も男だからチンポはインポでも反応するんだよね。可愛い子には。そういうのに俺は惑わされてるわけねっつーかまぁみんなそうか。で、アメリカってプラグマチックな国だからさ、観念的なものが苦手じゃない?もうプラグマティズムみたいなのがこびりついちゃってるような国だから大半の人はかなりナイーヴなんだよね。平均的なレベルは高いように見えて表面的なものしかないっつーかさ、まぁマテリアリスティックなんだよね。で、アメリカンの恋愛って典型的にマテリアリスティックね。まぁーこれは日本も一緒かな。ただまぁ戸惑うような原因になってもやっぱこういうのがあったほうが楽しいよね。可愛い子がいないセメスターってだからマジで地獄だからね。ホントに。


まぁそんなことよりさ、また陰謀論説を展開しようと思うんだけど、あの犬の本で泣いたって日にあった嫌な事を書こうと思うんだけどね、当日はあまりに傷つきすぎて立ち直れなかったっていうのもあるんだけどさ、天文学のクラスでね、相対性理論とかの話を大雑把にやってたんだけどね、そこでまぁ俺はリサ・ランドールの5次元理論についての質問をしようと思ったんだけどっつーのはさ、また高度な質問をしてるじゃん!って突っ込まれそうだけど、そこまでKYじゃないのはさ、まぁこの日はラボだったんだけど、俺と同じテーブルのやつが「11次元みたいな話もありますよね?」って聞いててさ、んで先生は「いやーそりゃややこしすぎるから考えたくないなー」なんて言っててさ、あ、やっぱKYか。考えたくないなぁー難し過ぎるっつってんのにリサ・ランドールの5次元について質問するなんてアウトか。


でもさ、その前にさ、風邪でずーっと引き蘢りになってたってのもあって喋る機会が無くてさ、声が小さくなっちゃうんだけどさ、「質問があるんですけど」って言った後にさ、リサランドールの話をし始めたんだけど、先生が意図的に無視してたんだよね。俺の顔を見て喋り始めているのを知っているのにあえて無視して「さぁラボの実験を始めよう」なんて言い始めてさ、んで自分が無視してるっつーのが分かってるからっつーか嫌な事をやってるっつーのが自分で分かってるから顔色が変わってたんだよね。顔が真っ赤になってた。でもまあ俺もさ喋り始めてるのに「さぁラボを始めようか」なんて言われたらさ、なんかあれじゃない?「いや、喋ってるんですけど聞いてもらえますか?」って生徒として正当なことを言ったらさ、「何かね?」みたいなすげー改まったような態度で話を聞く素振りを見せてさ、んで俺が喋り始めたら声が小さ過ぎるのは分かるんだけど顔を真っ赤にして「ワーット!?はぁー!何言ってるかわかんねぇーよ!」みたいなさ、すんげー無礼な態度取るんだよね。わかんねぇーよ!なんていう侮辱は無かったけど、あのワーット!?っていう態度がもうすでに侮辱っつーか嫌がらせにしか見えないんだよね。これまたもう前にも増してこの人顔真っ赤っか。で、「5次元理論なんてのがありますけど数学的に証明されたことでも不可知なものであればそれは存在しているって言えるのでしょうか?」ってやっぱゴメン。日本語で書いてて思ったけどKYだわ。


でもさ、俺は普通の質問としてこういうのが浮かんじゃうんだよね。それは浮かんじゃうから頭が良いんだとかさ、こんな高度な質問をしているんだぜい!ってのを見せつけたいわけじゃなくてさ、まぁクラスで発言するっていう癖をつけてるっつーのもあって割と自然に色々なことを聞けるぐらい喋れるようになっているんだけどさ、この質問をした後に先生はもう凄い顔っつーかさ、普段は落ち着いた感じなのにもう一気に取り乱したような感じでさ「5次元?そんなもの簡単だろう!それはあれがこうしてこれがあそこにこうあればこれは5次元って言えるだろ!」みたいなさ、ワーット!って明らかに侮辱した後に俺がちゃんとした英語で言い直したのを聞いてこんな態度を取るんだよ?まぁ俺がこの先生を侮辱していることになるのかもしれないけどさ、でも例えばね、他のやつが「5次元なんてのもありますよー。それはどうなんですか?先生」って聞いたらあそこまで怒らないと思うんだよね。思うに初日にさ、まぁ詳細は面倒だからやめるけど「それはゲシュタルトみたいなものですか?」って質問したときからもう目をつけられていたんだよね。この質問をした後にさ「ほーらみろ。こういう生徒ってのは必ずどっかにいるんだよ」みたいなさ、これまた皮肉ね。なんつーかこないだ書いたようなインテリ嫌いの風潮っつーのかな?俺もまぁ色々読んでるから普通の人との知識の乖離があるのは分かるけど、かといって一般的な感覚が無いわけじゃないんだよ。だって一般的な感覚が無かったら左手でオナニーするみたいな冗談とかを言いながら笑えないじゃない?そういう意味でさ、まぁちょっと言葉が書き言葉っぽいところはあるにせよさ、普段でも他人を気にせずにジャーゴンを使いまくるほどケアレスなやつじゃないってことね。


で、この天文学の先生ってインテリ嫌いの風潮を体現したかのような人なんだよね。まぁクリティカルの先生もそうかもしれない。ようは博士号とかコロンビアのマスターとか持ってても別にインテリじゃないってことだね。ようはパンピーがバイトして買ったブランドモノみたいなもんだよね。自分が知らない事を質問されて生徒に逆切れするってどうなの?って思うね。俺もKYなのは認めるよ。めっちゃベーシックなクラスで5次元の話とかするべきではないと思うけど、でもさ、授業っていうコンテキストの中ではかなりあってることなんだよね。だって次元の話をしてるわけだから。で、聞いて何が悪い?っていうさ、まぁ聞くのがマズかったにしても、まぁ聞いた事に対して逆切れする必要ないよね?だからこういうのを見てなんつーかさ、インテリっぽいやつに対する僻みたいなのを感じるんだよね。前にも書いたようにね。朴訥なやつの質問には「その通りなんだよ!うん、良い質問だね!」とか答えるくせにさ、インテリがちょっと高度な質問をするとキレるって最低だよね。それこそドッグヴィルのグレース的な傲慢さだよね。


アヴェレージの中ではちょっと頭が良くて学歴があって専門知識があるっつーんで自分の教職っつー地位に甘んじてるっつーかまぁ誇りに思いつつさ、ようは上にいるって感覚なんだよね。生徒は無知だから教えてやっているっつーか生徒は無知だっつー前提がある。俺は先生なんだからこのクラスでは一番頭が良くて専門知識がなきゃいけないみたいなさ、無駄な自負があるんだよね。でもさ、そうじゃなかったときがあったとしてもそれってその生徒に対して逆切れすることじゃないよね。もしくはあまりに俺が頻繁にKYな質問を連発してたらさ「キミはいつも高度な質問をし過ぎだから控えてくれるかね?」って言うとかさ、やり方はいくらでもあるじゃん。ましてや俺はそんなに頻繁な質問してないしね。で、ちなみに俺も素人として質問してるんだよね。物理学とかの話は全然分からないけどさ、でも5次元に興味があるんで素人として質問したって別にそれっていいことじゃない?同じテーブルのやつが11次元の質問をするのとどういう差があるの?っていうさ、絶対さ、「こいつはバカだから答えてやろう」みたいなさ、お山の大将的なところがあるよね。ダメ大学の教授は特にだと思うんだけど。バカの中の頂点に君臨してボス面してるアホってバイトみたいな底辺の世界に多いけど、アカデミックな世界でも底辺にはこういう人間がうじゃうじゃいるってことだね。俺にはまぁこれが何も底辺に限った事じゃないと思えるんだけどねっつーのはさ、ただの度合いの差であって、基本的にどこも一緒っつーね。巡り合わせが悪いとどんな社会レベルにいようがダメなやつに会っちゃうっつーかさ、こういうのは必然っていうね。


で、先生が逆上しながら俺の質問に適当に答えた後、顔を真っ赤にして「そんなことより実験を始めよう」なんてさ、焦りをすげー隠すかの如く冷静を保とうとしてる感じってのがバレバレで見てて痛かったけど、俺の心はもっと痛かったよね。ああいうのってマジで傷つくんだよ。それってのはね、例えばボクシングのリングで殴り合いしててもさ、その殴られた感覚ってそれだけだよね。でもリングの外でさ、思わぬところで思わぬ人に殴られたらそれって心理的ダメージのほうが大きいじゃん?「なんで?」っていうようなさ、ようは殴られることを期待していないような人に殴られたらショックを受けるってことなんだよね。まさしく天文学のクラスでの俺がそうだったね。KYだったのは反省しなきゃいけないけど、あそこまで酷い言い方をされる覚えはないっていうさ、これで例えばまた俺が怒ってクラスとかドロップしちゃうとダメなんだけどさ、立場的にしょうがないから従うしか無いってホントあれね、底辺のバイトでの店長と俺みたいな関係性なんだよね。人間的に相当レベルが低いのに立てなきゃいけないし気を使わなきゃいけないし従わなきゃいけない。そこでキレてやめたら無職ってことで我慢するしか無い。凄く身に覚えのある経験だよね。これは。そういう意味だと学校って意味で全然マシなんだけどね。常に嫌がらせを受けるなんてことはないし、やることやってりゃーまぁなんとかパスできるし。


でさ、実験を始めようっつってやらなくてもいいような実験っつーかもう実験とかやる必要が無いようなさ、説明すればそれで分かるよっつーようなのを実験でやるんだけどこれがまた幼稚園のお遊戯レベルですんげーアホだなって思うんだけど、こういうのをやらせてる先生もやっぱアホなんだよね。分からん。もしくは規定ってのがあってバカバカしくてもやらなきゃいけないんだろうけどさ、俺が先生だったらクラスの様子を見て実験が必要だったらやって、全員理解しているようだったらそのラボの時間を利用して授業を進めたりさ、その浮いた分で授業を早めに終わらせたりすると思うね。ホント、バカバカしいんだよ。概念レベルで理解出来るようなことばっか実験でやるの。実験って物理的な現象とかがその場で起こるってことで体感的に理解出来るっていう意味でのまぁ教材というかさ、教育のフォーマットとしての実験だよね?でも今なんて実験なんてやらなくても実験動画みたいなのをネットで見れるしさ、ようは学校のやり方ってのが社会の進歩についていってないんだよね。古典的な理科室での実験っつーフォームだけがコンセプトを置き去りにして形骸化された形で残っているっていうさ、この天文学のクラスの実験が典型だね。本当にくだらない。で、俺は「幼稚園みたいだね」ってサラッと何気に本音を言っちゃったりするんだけどさ、これって他のヤツもそう感じてるだろうからっていう前提で言ってる皮肉なんだけど、もしかしたらそうじゃないやつとかがいたりしたら俺って嫌なやつだよね?で、俺は思うに一環してこういうKYな嫌なやつなんじゃないか?と思っちゃったわけ。いつも暗い色の服を来てクラスの隅っこで授業が始まる寸前までずーっと本を読んでて滅多に喋らないんだけど喋ると不可解な事を言い出すみたいなさ、ミステリアスなインテリフラグが立ってるんだよね。俺。だから目をつけられたりするっていうかさ、インテリ気取りみたいに見えちゃうのかもね。俺はただ本が好きなだけなんだけど他のやつはそれを「読書家なんだな」と解釈するわけじゃないよね。まさしくシニフィアンシニフィエの戯れだよ。


でさ、この実験やってる間っつーのがさ、俺のテーブルにいた他の3人っつーのがさ、先生を怒らせたのか先生に怒られたような感じに俺がなってたからみんな目を合わせようとしないんだよね。学校行ってた人ならみんな分かると思うけど、こっぴどく怒られたやつって授業の後とかに喋りづらいじゃん?ましてやそいつが落ち込んでたりするとさ、アメリカだったら「元気出せよ」とかって言うんだろうけど、日本とかだとさ、なんかやっぱ声をかけにくいみたいなのってあるじゃん?まさしくそういう感じだったね。何も悪い事をしたわけじゃないのに先生を怒らせたやつみたいな雰囲気になっちゃってるっつーかさ、んで俺もまさかあんな言われ方をされると思ってなかったからすんげーショックでさ、一気に気持ちが沈んでいくのが分かって、んでもうその落ち込んだ感じってのが雰囲気で出ちゃってたんだろうね。他のやつらも声をかけづらくなるのは凄く分かる。元々浮いてるけどこれに関してはもう他の人達はどうしようもなかっただろうなって思うわけ。


で、結局でも悲しいのがさ、ラボの実験ってのが3人で行われてて、俺は完全に無視されてるんだよね。それは意図的な無視ではなくあいつから話しかけてこなかったらあえて話しかけるのはやめておこうっていうような配慮がある無視ね。だから無視自体にショックは受けてないんだけど、でもその状況を俺が客観的に見るとすげー惨めなのね。一人でボーっとしながらさ、みーんなラボの実験やってるって状況で俺だけ一人ポツンとイスに座ってるっていう状況ね。すげー悲しい気持ちになるね。これがやっぱり人間ってのは政治的動物なのかなってのを感じさせるところでもあるよね。本能のレベルで同族からの排除を受けると不安とか悲しさを感じるっていうね、だからそれを避けるために一緒にやっていくみたいな協調性とか妥協とかを必要とするっていうさ、そのシステムの体系が政治であるみたいなね、まぁ俺のアリストテレスに立脚した勝手な定義だけどそんなことを思ってた俺だけどまたさ、クラスでこの状況でこんなことを考えてるやつって俺だけなんだなっていう寂しさがあるよね。


調子が良い時だったら「なんて俺はクリエイティヴなんだ!」とかって慢心したりするけど、こういう状況で落ち込んだりしていると浮いている自分とか一人でいる自分とか他人と違う自分っていうのが凄く惨めに思えてくるんだよね。だからもう立ち直りが出来ないぐらい落ち込んじゃう。そんな中でまぁ本屋に行ってあの本を見つけて号泣しちゃったわけね。この日の条件にピッタリみたいな内容だったし、それプラス色々と過去の事も思い出して号泣しちゃったっていうね、基本的にやっぱ俺って辛いんだよね。他人と違う事を誇るべきだみたいなことを言ってるけど、それっていうのも全部寂しさから来る強がりっていうかさ、まぁ強がりのつもりはなくてまぁマイノリティの意見なんだけどね、でもやっぱ普通であるということに憧れが無いと言えば噓になるんだよね。普通でありたいって思うときのほうが生活の中では明らかに多い。でも自分の長所を見た時に他人が真似出来ないレベルの何かを持ってたりするわけで、こういう長所を持っていれば他の膨大な短所すらも相殺されるなっていうさ、そういうまぁポジティヴシンキングね。なんかさ、あのみんなっつーか俺のテーブルのやつらが俺とやりづらそうにしている感じとかマジで悲しかったな。それはもう人としてしょうがないっつーかさ、そいつの人間性とかに限らずそれは普通の反応としてそういう反応をしてしまうんだけど、でもその反応すらもああいう時の俺には凄く寂しく感じるんだよね。


「なんだよっケっ!」で済む事が済まないのが俺みたいなやつの特徴なんだよね。繊細さみたいなのが良いことに運ぶこともあるんだけど、大半は辛いんだよね。本当に辛い事だらけ。そんな中でまぁあの本を読んで号泣した後に例の自衛隊連中と飲みに行って、んでなんかすげー尊敬されたっつーかさ、ああいうことがあったりするとまた勇気づけられるっつーかさ、理解してくれる人達もいるんだよな!って凄く励まされるっつーかね、マジでドラマティックだったけどね。本当に。ドラマがまた別のドラマを生んでる感じかな?天文学単体でも政治学単体でも十分ドラマなんだけど、この2つか相関してるようにまぁ俺の時間軸では感じてしまうから、だからそれが余計ドラマ化されるんだよね。死ぬほど落ち込んで号泣した次の日に自衛隊3人からのべた褒めね。落ち込んでいるときは「もう人間なんて信じられない!」って思うんだけど、励まされた時っていうのはさ「孤立しては生きていけない!」って本当に感じるんだよね。痛みを与えるのも人間なんだけど、それを癒してくれるのもまた人間なんだよね。だから俺は孤立しては生きられない。all dogs have ADHDにも書いてあったことだけど、理解者とかサポーターとかパートナーがいればADHDの人達のポテンシャルってリミット無しになるんだよね。一人じゃ何も出来ないんだよね。これがリアリティ。ADHD的な能力を伸ばすには理解者達の力が不可欠なんだよね。それ無しでは成立しないんだよね。


でもさ、あれだけ泣くことが出来るんだ俺!ってちょっと関心しちゃったよね。全てを悟り切ったような態度で日々生きているけど自分の生身の人間性みたいなのを凄く感じたね。強がったり自己肯定をしたりするけど、それは全部弱さとか脆さからくるものなんだっつーのを改めて思い知らされたっていうかさ、それをあの本が俺に語りかけてきた感じだったよね。「毎日たいへんだね」って言ってるように見えたっつーかさ、泣くっつってもさ、例えばおじいちゃんの葬式とかでもさ、親父とかもそうだったけど涙目になるぐらいのレベルじゃん?日々の生活である悲しさってさ、成人してるとっつーとあれだけど良い歳してると全部涙目レベルだよね。号泣するようなのって事故とかさ、不運に見舞われたりっていうようなアクシデンタルなことだけだと思うんだよね。会社クビになったっつっての涙目で絶望するっていうような感じだと思うっつーとあれだけど号泣って半端じゃないことだよね。それこそ根本的な何かを揺さぶるものってのが無いと人間は号泣できないんだよね。それこそあれだけ嗚咽するっつーのはさ、半端じゃないことだよね。そんなまぁ自分の人間性を感じたわけね。


で、今はあの本を読んでもまぁ特に正常な時だったら涙目レベルか「そうなんだよねー」とかさ、「よく出来てる本だなぁ」っていうレベルなんだよね。あの条件が揃わなかったら俺はあそこまで久々に泣いたりしなかったんだなって思うとある意味すげー奇跡的なんだよね。あそこで本屋行かなかったりしてもまたただの鬱だったわけでさ、薬飲んで寝てただろうしさ、でもあの号泣から次の日のバーでの出来事っつーのがさ、連鎖してマジでドラマティックに見えてくるんだよね。まさしく辛いときの俺とこっちの人達に認められて評価されている幸せな俺っていうさ、「辛」と「幸」って似てるよね。文字が。表裏一体なんだよね。恐らく。陰陽みたいな関係性だよね。どの道、全てのことは社会とか人々ってのを通して起こってるっつーのを俺は自覚するべきだね。いつも厭世的になりがちだけど、社会とか人々がいなかったら俺もいないし今の俺はありえないしああいう経験も無いんだなって思うとさ、やっぱ社会で生きていかなきゃなって思うよね。孤立しては生きていけないなって本当に思う。独立はできるけど孤立はできないんだよね。独立と孤立って違うからね。


ってことでしたよ。でさ、昨日書いた自衛隊の途中からジョインしてきたクラスメートの友達がさ、俺がね、前に書いた洞窟のジレンマの話をしたのよ。哲学するってことは洞窟を出るってことだけど、全てのシステムが洞窟の中で動いているので、結局、生きるためには洞窟に戻らなきゃいけない。で、それには妥協が必要なので精神的には洞窟を出ていても身体的には洞窟の囚人のままになってしまうみたいなね、そしたらさ、このジョインしてきたやつがねCharles IvesのThe unanswered questionって曲を是非聞いてみてくれっていうわけ。で、聞いたらその曲の感想をメールで俺に送ってくれっていうわけ。で、実際、俺は今日聞いたんだけどね、その曲ってのがさ、まぁ詳しくはウィキとかを読んでほしいんだけど、基本的にまぁ川のように流れている旋律っていうのがまるで日々の日常のように淡々と流れているんだけど、たまに不協和音のトランペットだかがさ「人生って何?何なのこの苦痛は?」みたいなことを問いかけるわけ。で、それに別の楽器が答えるんだけど、そのダイアログってのの激しさが曲が進むごとに激しくなるんだよね。で、最終的にトランペットの質問ってのは答えられる事なくフェードインしちゃうっつーかさ、無に帰するっつーか誰も答えられないまま終わっちゃうっていうね、ウィキ見れば分かるけど、まぁこれは作者の意図っていうよりかは後付け的な解釈なんだけど、でも内容とタイトルは本当に一致してるよね。で、こいつが俺に「この曲を是非聴いてみてくれ!で、感想を送ってくれ」って言ったのはさ、まさしく今の俺が洞窟のジレンマというthe unanswered questionを抱えているからだと思うんだよね。



http://en.wikipedia.org/wiki/The_Unanswered_Question


例えば今の俺みたいな答えが無い矛盾みたいなのを抱えてているっつーのをこの曲が表してるわけね。ちょードラマティックじゃない?脚色一切なしだからね。落ち込みから号泣から本からバーでのべた褒めからこの曲との出会いまでさ、全部脚色無しで起こったことだからね。何かが俺に起こってるっつーのはこっちに来てから常に感じていることだけど、こういうときには本当に感じるよね。日々のドラマってレベルじゃないドラマっつーかさ、逆に将来例えばちょっと安定したらこんなに激しいドラマは起こらないだろうなってぐらい凄いんだよね。それだけ俺も感受性を揺さぶられるし楽しい事だけじゃないから精神的に疲れるんだけど、こういう一連の奇跡みたいなことから色々と学べる事っつーかさ、こういうのがある度に自分が進歩して行く感じっつーのかな?そういうのを本当に実感するんだよね。誰かが意図的にやってるんじゃないか?ってぐらい俺には辛い事も楽しい事も色々と起こるけど、それが全部自分の進歩とかさ、認識の発展みたいなのに全部貢献してるんだよね。全部っつーのは言い過ぎか。


これを神によるものだと解釈するか、引き寄せの法則的に俺の意志がこういった事柄や人々を呼び寄せているんだって解釈するかは俺次第だけど、どの道、ライプニッツとかゲーデルみたいな話はおいておいてもとりあえず証明しようが無いことじゃない?だから最近さ、あんま神とかってくだらねぇー概念だなって思えなくなってきたんだよね。スピリチュアリズムとかっていうような安っぽいものじゃなくて、俺自身が神的な何かの力の介在みたいなのを感じる事がこっちに来てから多くなったってことでちょっと宗教体験っつーかさ、言葉では言い表せない感覚ってのを味わってると思うんだよね。偶然にしては出来すぎているっていうようなさ、まぁ自分の人生をドラマティックに見すぎているのかもしれないけど、なんか誰かに感謝しないとやってられないってぐらいなんらかの力の恩恵を受けてるんだよね。俺。god bless youなんつーとくしゃみした時みたいだけどさ、だから逆に怖いんだよね。今の俺みたいな意志を持ち続けないと俺は一瞬でその何かから見放されて転落したり前みたいな人生に逆戻りするだろうなっつーのがこれまた言葉にできない感覚としてあるんだよね。この恩恵みたいなのは俺の今の意志からもたらされているというか、その意志を評価してくれている何者かが俺に恩恵を授けてくれてるんじゃないか?みたいなさ、神が自らのイメージを人間に投影したっていうけど、そのイメージに近い人間が選ばれるみたいなさ、選民主義っぽくなるけど、選ばれるっつーよりかは神がアファーマティヴに協力してくれるっつーのかな?


でね、これは金曜日の自衛隊3人との日なんだけど、学校の行きの電車でさ、座ろうと思ったらいきなり俺に何かを渡してくる人がいてさ、んで見てみたら「あなたは神に選ばれしものです」みたいなことが書いてある宗教団体の小さいパンフレットみたいなのを渡されてさ、で、俺はその人の隣に座ったっつーか隣に座ろうと思ったからその人に向かって歩いていったってことになるけどさ、まぁその時は「捨てるのもアレだしブックマークにでもしておくか」ってADD大学ガイドの本に挟んでおいたんだけどさ、で、家に帰ってからまぁじっくり読んでみて、んでまぁ典型的なキリスト教だかの勧誘っぽい感じだったんでパンフレット捨てたんだけど、今、これ書いてていきなり思い出してさ、偶然にしては凄いな!と思ってゴミ箱から出してきたね。パンフレットを。くしゃくしゃになってるけどこれは捨てないでおこうって思ったね。いや、で、別に俺が宗教団体にジョインするってことじゃないんだけどさ、ただ俺の中での俺が思う神への信仰ってあってもいいんじゃないかな?って思ったのね。ようは俺の宗教ね。


それにしてもあれなんだったんだろうなー?あの人俺の目を見てさ、立ち上がって渡してきたからね。なんつーのかな?ふつーの人なんだよ。で、特にそういうのを配ってる感じの人じゃないっつーのかな?いっぱいそのパンフを持ってる感じの人じゃないっつーの?いかにも!って人だったら俺は呆れるけどさ、普通の人だったから驚いたんだよね。で、冊子の内容がこれだからちょっと今、こうやって書いてて驚いてるんだけどね。見える人には俺が聖なる光に包まれているのが見えるとか?言い過ぎ?「この人だ!」って思って渡された感がその時にはあったんだけど偶然にしては本当に面白いなって思っちゃうわけ。で、まぁそこはさすがに俺だからこのパンフに書かれた宗教団体にジョインすることは無いんだけどね、ただまぁ前にMaimonides繋がりでトーラを読もうと思ってるとは書いたけど、それは別に今回のことと関係なく読もうと思ってることだからね。俺の一連の経験とさ、俺の最近の宗教への傾倒が繋がってるんだよね。で、今も机っつーかまさしく今使ってるマウスの横にはさ、the unanswered questionを聞いたらメールしてくれ!って言ってたやつのメアドのメモとさ、たまたま今、ゴミ箱に捨ててあったクシャクシャの宗教のパンフレットがおいてあってさ、で、その宗教のパンフレットが開かれててんで聖書の言葉が書いてあるわけ。あまりにちょっとドラマティック過ぎるから画像をアップしようかな。全部意図したことじゃなくて偶然なんだけど偶然にしては面白いし創作じゃないんだよってのを証明したいのもあるから写真アップするわ。



で、写真を撮ったわけだけど、最初、携帯のカメラで撮ろうと思ってさ、んで携帯探したんだけど無いんだよね。でさ、「なんとしてでもこの聖なる瞬間を撮らねばなるまい!」と思って必死で携帯探したんだけど無いんだよね。で、結局、マックのフォトブースで撮ったんだけど、携帯探してる時に色々気がついたのがさ、まず今の大家さんがクリスチャンってことね。家がめっちゃ宗教的でエンジェルの像が庭にあったり玄関にあったりするような家なのね。で、この写真に写ってるのは地下鉄で渡されたパンフレットと例の自衛隊だった人からのメアドのメモなんだけど、さらにその後ろにある冊子みたいなのは「市民のハンドブック」っつってさ、変人ロバートがメアドをくれたときのメモ帳代わりとしてくれたんだよね。前にも書いた通りロバートは常にこの市民のハンドブックを携帯しててさ、何冊も持ってるっつーんでまぁその使い古された冊子の余白にメアドを書いて俺にくれたんだけど、まぁこのさ、曲を教えてくれた人がクリスチャンっつーか宗教的な人かは分からないけど、ロバートは間違いなく神ってのを信じてる人だからね。宗教右派とかそういうんじゃなくて。ところで写真なんだけど灰野敬二の天使の擬人化が写ってるのとか偶然ね。これまた偶然。で、ティッシュはオナティッシュじゃなくて鼻くそのやつなんで気にしないで。あと数字みたいなのはアルカディアの画像のスキャンが欲しかったんでメガテン2を攻略してた時に書いたセンターとかの暗証番号ね。これまた宗教的!いや、別に狙ってやってるわけじゃなくて全部たまたまだからね。


なんつーかなんかさ、宗教的っつーか神的なものがたまたま手元のマウスのところに3つも重なってるとさ、なんか妙なものを感じるよね。まぁアメリカ自体が宗教的な国なんで偶然の積み重ねでそんなことはいくらでも起こりうるんだけどさ、そういえば留学する前に恥ずかしながら俺は斡旋業者を使ったんだけど俺の担当だった人が女子パウロ会の人でさ、なんで分かったか?っていうと俺が全てのプロセスを経てこの人と最後の分かれになった時に女子パウロ会だかの絵はがきみたいなのにさ「頑張ってください」って書いて俺にくれたんだよね。まぁ担当した人全員に渡してるんだけど、これが俺の留学のスタートだったわけでさ、まぁ過剰なドラマ化かもしれないけど、結構凄いよね。全部神のお導きか?っていうさ、迷える子羊だった俺は使徒になったのか?っていうさ、まぁ半分ジョーダン12.5だけども。でも偶然みたいなのが重なってそこに人間の意志が介在して意味というか意味論みたいなのが形成されるってまさしく宗教的なものの根源だと思うんだよね。俺は今そんな中にいるわけでさ、妙なものを感じるよね。ただの意味論でしょ?ってだけじゃないさ、まぁ当人にしか分からんだろうね。この凄さっていうのかな?偶然にしては凄いな!っつー感じ?


今の家にしてもさ、こんだけ宗教チックな家ってうちだけだからね。アメリカの家ならそんなのいっぱいあるでしょ?って言われそうだけど、うちの宗教チックな感じは半端じゃないんだってば。マジで教会みたいな感じなんだよ。庭っつーか外のレイアウトね。家に帰ってくるたびに俺は天使とかと対面してるわけでさ、まぁ日々のことだからね。これは。過剰な意味論に走りすぎているのは分かるけど、いやーでも凄いよ。神秘体験的っつーのかな?「偶然でしょ?」とかで済ませたくないっつーのかな?使徒って辞書で調べたら福音を伝えるために選ばれた12人っつーのが最初にあるんだけど、そこからの意味でさ「神聖な目的に献身する人」ってのがあってさ、いやーこれでいいぢゃん!って思ったね。もうこれで説明を済ましちゃいましょうって感じ?俺の目的とピッタリだもんね。まぁ一生童貞でいなきゃいけなさそうだけど、どの道それしかないだろうからちょうどいいやってことで。


ってことで今日はこの辺で。


PS


今回のはちょっとスピリチュアル過ぎたんでいつもの耳蝉節を宗教的な感じで書かせてもらうわ。いつも俺が書くようにさ、クリスチャンとかさ、宗教とかのプラクティスしてる割にダメなやつっつーか全然良い人間じゃないっていうのがいっぱいいるじゃない?で、この今回の天文学の先生もさ、南米系がルーツで恐らくカソリックかなんかなんだろうけどある時にさ、「自分の名前はスペイン語で神の子って言うんだ」みたいなことを自慢してたっつーとあれだけど、まぁ言ってたんだよね。スペイン系っつーか南米系ではメジャーな名前でさ、で、まぁこれはクラスが始まる前の先生と南米系のやつとの会話だったんだけどね、別に盗み聞きするつもりはなかったんだけどってまぁだいぶ前の話だけどね。で、何が言いたいのか?っていうと恐らく神は怒ってるんだと思うんだよね。この世の中の現状に。「神の子」とかっていう名前のくせにロクデナシだったり、神の名を利用したビジネスなり宗教なりが幅を利かせすぎているんで、「ダメだこりゃ!」ってことでちょっと怒ってると思うんだよね。で、恐らく中には本当に神に選ばれしものみたいなのが世直しを目論んだり慈善事業にコミットしたりっつーさ、ようは似非宗教とかね、名ばかりの「神」って言葉にイライラしてる誰かってのがいるんだよね。恐らく。


で、神の投影の一つである俺はそういった世の中の腐った物に対する感受性が異様に強くて、それを神にシグナルとして送ることでまぁ情報伝達の役割を果たしてるっつーかさ、神の子っつってこんなロクデナシがいますよとかさ、クリスチャンだとか言ってる割に差別主義者ですんげー性格悪いですよとかさ、そういうのを全部俺が経験して苦痛を味わうことでさ、まぁキリストで言えば受苦を味わうことでさ、魂の苦痛を味わうみたいなね、使徒にとっての必要な受苦が現世での全ての苦痛っていうね、それを越えて俺は神聖な目的のためにこの身と精神を捧げないといけないっていうね、でもそれは犠牲ってことじゃなくて進んで捧げてるっていうね、それこそが俺の人生というか、神のイメージの投影としての俺っていうね、つまりは俺なんていうものは存在しなくてさ、そこには魂の苦痛を味わいつつも目的に向かって歩き続けるっていうようなね、言わば聖者としての役割しかないのね。だから俺は神のイメージとしての投影として、神からの使者としてパッションに耐えながら前に進んでいかないといけないのね。洞窟を出るということが哲学をするということなんであって、それは太陽の光という名のgoodを浴びながら真のgoodを知っている賢者として生きるということなわけだけど、人類のルーツを創世記で考えた時に、人類は神に歯向かい善悪の知識の実を食べることで生まれたわけで、そこには知識の実を食べる知を欲するものとしての人間のささやかな神への抵抗があったわけだよね。その禁断の果実の実の名前はそれこそパッションフルーツみたいな語呂合わせでいいんじゃないかと思うんだよね。受苦を受けても真実から目を背けず、常に揺るぎなき善悪の判断を持つ聖者としての人生みたいなね、神への抵抗は神のセルフイメージとしてのアダムによって結果的に生み出されたっていうね、それこそが人間の知のあり方なんだよね。恐らく。


ってどうよ?相当電波でしょ?宗教とかってそうだからね。マジで。マジで信じると電波との差があんまり無いっつーかね、まぁ俺は結構信じるようになったけどね。神っつーのが形あるものではなくて、何らかのまさしくスピノザが言ってたようなさ、全く人知を越えた何かであったとしたらさ、創造主としてにヤハウェとかもありえなくもないって話だよね。だってそれは不可知なものなんだから存在の否定はできないよね。ってことで宗教研究が俺の研究に本格的に加わりましたよ。こりゃ大変だ!読むのがまた多くなったぞ!いやー神様っているんですねぇー。マジで。んでね、人類ってのは神のセルフイメージのシミュラクラムなんだよね。元々がシミュラクラムなんだけど、ダビングを繰り返せば質が劣化していくように、世の中ってのは質が劣化しまくったシミュラクラムとしての形骸化された神のセルフイメージの残りかすみたいなのでいっぱいなわけ。で、アダムに直結している劣化コピーではない子孫達のみが人類の真の繁栄を築けるんだよね。祝福されたものたちのみが地を支配できるしするべきなのねって完全にヤバいこと言ってるけどね。俺。でも基本的に俺の最近の考え方の風潮と、今、思いつきで書いている宗教的なことってあんまり差はないんだよ。宗教的なタームで説明するとこうなるってだけで、基本的にコンセプトは一緒ね。まぁ大っぴらには言えないけどねっつーか刺されそうだもんな。「神のイメージの劣化物だって?」とかって言われそうっつーかそんなの誰も認めたくないもんね。ましてや俺が使徒だなんて誰も認めないに違いない。だから俺は恐らく久世みたいにパフォーマティヴにその使徒っぷりを体現することでしか恐らく人々に何かを示せないと思うんだよねっつーか大体行為ってのはそんなもんだろう。


ってことでした。


PS


耳蝉、神秘主義シリーズ。タイトル「真実の光」




地下室に差す朝日を受けて輝くレオ・シュトラウスの本。ってな趣。