1パーセントの悲劇と喜劇。

mimisemi2009-05-23

今セメスターはちょー頑張ったから報酬を与えてあげたいとか思ってさ、俺が一番好きなのって本とかレコードを除けばスニーカーと洋服とメガネだけど、メガネが欲しいなと思ってさ、でも高いでしょ?で、どうするか?っつーとさ、あれなんだよね、溜まりに溜まった教科書を売ればそこそこの金になるだろうと思って売ったらさっつーか暑い中、レコードケースに教科書を詰めて、んでガラガラでDJみたいに学校に頑張って持って行ったんだけど、全体的に定価の2割ぐらいにしかならなかったね。まぁ中には中古のやつも多かったからしょうがないと言えばしょうがなかったんだけど取らぬ狸の皮算用とかよく言ったもんでさ、全然期待と違ってたんでメガネなんてさっぱり買える感じじゃなかったね。中には学校の掲示板っつーかBBSってことじゃなくて張り紙とかにね、「教科書売ります」みたいなので売ってるやつもいるんだけど、一冊一冊さ、お金のためとは言え誰かとコンタクトしてんで独自にそいつと会って取引をするってちょー面倒じゃん?時間は金で買えないからね、その時間と労力の事を考えるとまぁしょうがないかなって気がするね。贅沢って言われるかもしれないけど、そんなんで時間を費やしてたら時間が勿体ないよね。ましてや俺ってもう若くないっつーかまぁ若いけど大学生って意味だとかなり歳の大学生だから暇がないんだよね。今までの遅れを取り戻さないといけないっつーかさ、すげー遅れてるわけじゃない?まぁ遅れてるって思いたいんだよね。実際はストレートで卒業したりしたやつのほうが遅れてたりするんだけど。


ポーズというか装置としての謙虚さね。「もう若くない。ドロップアウターだ。頑張らねば」っていうガッツっつーのかな?そう思う事を行動原理に埋め込むっつーのかな?まぁ半ば人工的なハングリー精神だよね。でも実際、自惚れた言い方すると俺より物知りなやつに会った事ないんだよ。マジで。だから最近は全然遅れてるって感覚が無くなったんだけど、でもまぁアカデミックには遅れてるよね。何しろ学位が無いわけだから。どうでもいいものだとしてもまぁライセンスとしての学位っつーのかな?それが無いでしょ?だから遅れてるって思わなきゃいけないの。バカなやつでも学歴持ってりゃー社会的に待遇されるっつーか上だからね。ホント、そう思うと学歴と知性ってほとんど関係ないんだなって思うけどね。普通の人が頑張ってもコロンビア大学とか卒業出来るんだーって関心したのがまぁ最近だけどさ、アメリカの大学幻想も無くなってきたね。


そう思うと。ハーバード出とかNYU出とかっつっても全然たいした事ないやつもいるわけでさ、そう思うと努力次第なのかな?って気がするよね。どうNYUなりハーバードの敷いたシステムに自分を合わせるか?っていうさ、適応力っつーかリクワイアメントの遂行なんだよね。ハーバード出るためにはこれが必要ですっつーのを頑張って満たすっていう。それが学位ね。だからすんげー頭が良いやつでもぶっ飛びすぎててシステムに適応できないやつとかだったら学位取れないのね。で、そういうやつはアウトサイダーとして消えて行くか、勝手に研究続けて歴史に名を残すかね、まぁそれはそれでも勝手に研究出来る経済基盤ってのが必要なわけでさ、逆を言えば勝手に研究出来る経済基盤があれば学位っていらないよね。自分で独自に研究してればいいんだから。英語を話すのに英検を取る必要がないのと一緒ね。英検を取ってなくても英語に達者だったりするわけでさ、英検っつーのはまぁIQテストみたいなもんでさ、ただの結果だよね。なんかの能力を計る基準の一つっつーの?逆を言えばその基準の結果を高くするための勉強をすれば英検っつー枠組みでは英語力と関係無しの良い結果とかスコアを出せるんだよね。学校もこれと一緒だね。基本的に。だからもうさ、学校から学べるものって何にも無いんだなって分かっちゃったね。「ふん、俺は頭が良いのさ」ってふんぞり返るって意味じゃなくて、自分で勉強出来るやつにとっては学校なんていらない。でも俺みたいなやつの場合、社会恐怖症克服プログラムっつーかさ、ソーシャルアクセプタンスを感じる場としての社交場としての学校っつーのは凄く重要な役割を果たしているんだよね。


今日は政治学のテストの最後でさ、ただ政府のシステムとか法律がどうのって話だったんで例によって全然準備できなくてさ、んでテストもさっぱりで適当に予想して色々書いたんだけどさ、んで出す時にさ「ADDなんてこういうのは出来ないんです」って説明したのねっつーかね、今は診断されてないけど、これってまるでさ、ADDを口実にテスト勉強をしなくてもいいみたいに見えるじゃん?でも違うんだよね。テストとかでもさ、ましてや興味が無いのって文を読んでてもさ、文は読めてるんだけどその文の意味が無いんだよね。で、最近買ったADDのアカデミックな本を読んだらさ、こういうのってかなりメジャーな徴候らしいんだよね。ADDでね。ある人はさっぱり数学が出来ないっつーし、ある人はさっぱり書く事が出来ないっつーし、ある人はさっぱり読む事が出来ないっつーしなんつーか立派な学習障害なんだよね。俺だけじゃなくて世界中に同じような人がいっぱいでもないけどまぁ結構いるっていう事実があるとさ、俺が勝手な言い訳をしているようには見えなくなるよね?もしくはまだ懐疑的な人は、そういうことを口実にエクスキューズをする輩が世界中にいるだけだって言いそうだけど、もうこれはね、ライ病患者に対しての差別と同じレベルだよね。隔離しなくても大丈夫なのに気持ち悪いからとかっていう偏見で隔離を続けるみたいなさ、これと同じことがADDとかにも言えるんだよね。事実に立脚していない偏見に立脚したドクサね。本人達の苦しみは外見で言うと怠惰にしか見えないからさ、まぁ偏見があるのはしょうがないことなんだけどね。


で、「仮にこのテストで10点しか取れなくても落ちませんよね?」って先生に聞いたらさ、「何言ってるんだ。ビルは僕にとってのベストな生徒だよ」って言ってくれてさ、マジで感動だったね。「このクラスで」じゃなくてムーア先生の歴史でトップっつーのが凄く嬉しかった。これは二年前ぐらいにインテリ先生に言われたことと一緒だな。インテリ先生にも「あなたは私のお気に入りの生徒の一人よ」って言われたしさ、こういうことだよね。ようは。俺みたいなのがこういう良い先生に会って社会認証というプロセスを経ることで無くしてきたというか育まれてこなかったセルフエスティームとかセルフイメージと実際の自分のズレとかをさ、矯正するんだよね。もう俺は自分を卑下する必要は無いどころか、明らかに頭が良いんだ!って実感出来ることが自信に繋がるっていうのかな?逆にまぁ妬まれるケースもいっぱいあるっつーのはいつも書いていることだけどね。かといって妬まれないようにバカみたいに振る舞うことを身につけるとかっつーのは死んでもやりたくないんだよね。そんなの傲慢だしただの妥協でしょ?知識を見せびらかすとかさ、衒学的な振る舞いさえしなければいいと思うんだよね。ナチュラルな物腰からインテリジェンスが溢れ出ているならそれは俺の特性なわけで隠す必要は無いしバカみたいに振る舞う必要は無い。つまりはまぁこれってのは究極的な自己肯定だよね。ナチュラルでいるってことを最善のこととするっつーのかな?で、俺は変わっているけどナチュラルでいても受け入れてくれるような場所を探す必要があるんだよね。地頭は相当いいんだから後は場所探しだけだろうって感じがするよね。


そういえばさ、気がついたことがあるんだけどって前にも書いたっけ?ADDのやつに会ったって書いたじゃない?お転婆娘とソーシャルサイコロジーの男子ね。でもさ、こいつらってエキセントリックじゃないし普通なんだよね。メンヘラー臭一切なしっつーの?健全な体と精神なんだがADDという名の学習障害なり行動障害があって困ってるっつー感じ?困ってるように見えないやつもいるけどね。まぁ実際は困ってるんだけど。でも俺って相当酷いよね。ディープなメンヘラーだし、見た目も明らかに異様で振る舞いも全然ダメっていうさ、ダメっていうか変わってるっつーの?このエキセントリシズムとADDとかADHDって関係ないんだなって思ったんだよね。まぁ中には変なADDのやつもいるんだろうけど、でもみんながみんなそうじゃないっつーかさ、前にCarchemishさんが書いていたことだけど、アスペルガーとかADDだからっつってもみんながそこまでハイパーだったり爆発してるわけじゃないっていうね、普通なんだけどちょい問題アリのレベルの人もいっぱいいるんだよってことなんだよね。だから俺みたいなやつが「ダイナマイトとして生きろ!」とかって言ったところでそれは俺の行動原理にしかならないわけで、このフレームワークが普遍的に通用するか?っつーとさっぱりそんなことはないんだよね。


つまりは相当俺ってイカれてるってことなんだよ。まぁもうみんな知ってるかもしれないけど、でもここまで変わってるっつーか違うと思わなかったね。ADD仲間と会っても彼らは俺ほど症状が酷くないしちゃんとしてるんだもんな。だからさっきも書いたようにエキセントリシズムとADDとかADHDはあんま関係ないってことね。で、自己分析を色々とするとさ、やっぱ俺って分裂病なんだと思うんだよね。過度な被害妄想とかさ、精神状態が酷くなると幻聴っていうと言い過ぎだけど、でもさ、最近分裂病の本買ってきたんだけど、やっぱ度合いってのがあるみたいでさ、なんつーのかな?CIAに狙われてるって思うほどのレベルじゃないんだけど、でもまぁ普段のウォール伝を読めば分かるように被害妄想とかさ、ありもしないことを事実だと認識してそれを元に現実を考えちゃうとかさ、それを元に不安になるとかってさ、モロに分裂病的なんだよね。鬱になると被害妄想が酷くなるって俺はよく書くけどさ、これってつまりはさ、ADHDとかアスペルガーとか分裂病とかの複合体なんじゃないかな?ってことなんだよね。


どれか一つではなく色々な症状が絡み合ってるのが俺っていう主体っていうね、そこでAセクシャルとかもプラスすれば人口の1パーセントになるわけでさ、この1パーセントって数値も面白くて、遺伝ではないADDとかADHDとか、あ、分からん。忘れた。分裂病だったかな?まぁどっちか忘れたけど親とは関係なく発症するのって1パーセントなんだよね。ってことは俺ってちょーレアな人間ってことじゃん!すげー!!!!!!!!!!今はこのレア度で自己肯定が出来るよね。「なんだ俺マジで選ばれしものかもしれないんじゃん。考え方によっては」っていうさ、ネガティブに考えたら自殺するしかないんだけど、ポジティブに考えるとすげーレアなわけでさ、だからまぁ悩むのっていうか他人との差異を感じるのは当然だってことだよね。何しろ違いすぎるわけだからね。俺は全部をADDとかADHDに還元してたような気がするけど、それとは関係ないところでまた他者との差異があるんだなって最近は気がついたね。まぁ今更?って感じかもしれないけど、マジで酷いんだよ。俺。


治療が完了しないのも納得っつーか相当レアなケースなんだろうね。特別って意味ではなくてマジで精神病院レベルって意味でね。で、テストが終わった後にさ、飲みに行くって話があったんだけど、テキストを運ぶのにクタクタになっちゃって全然ダメだったのとたいしたお金にならなかったっつーのでかなりヘコんでたのもあるし、正直、もう騒がしいところに行きたくないっつーのもあって断っちゃったんだよね。お転婆娘も来るようなことは言っていたけど、もういいやっつーかさ、それはまぁこないだも書いた通りだけどね、彼女は彼女の道を歩むべきでさ、俺なんかに貞操器具をつけられるべきではないんだよね。あそこまで自由を愛する人間なら絶対俺となんか一緒になっちゃいけないんだよね。明らかにアンハッピーになるからね。マジで。結構これは辛いよ。マジで。俺は相手の事がクリティカルの子にしてもお転婆娘にしても嫌いじゃないのに付き合えないんだもんね。ちょー寂しいね。相手に俺への深い理解なんてのも求められないしさ、それは人間の理解ってことではなくて、特殊な人への理解じゃない?それって大変だからね。マジで。だからさ、それこそAセクシャルだとかさ、そんなこと言ってもかまわないっつー子がいればその子とは付き合えるかな?って気がするっつーか凄い愛情だなって思えるんだけど、やっぱそうじゃないとさ、つまりは俺が代替可能な彼氏レベルだったら絶対無理なんだよね。「インポの彼」っつー響きと俺自身はほぼ同一だからね。「インポでもいいです!」って言える子がこの世の中にどれだけいるんだっつー話でしょ?だから俺はそういう理解を相手に押し付けることは出来ないのね。だからさりげなくかわすのが一番いいっつーのかな?はぁーーーーでもやっぱ寂しいぜえぇぇぇぇ。もう二人に会えないんだもんなぁー。会うべきじゃないしー。下手に恋愛感情みたいなのを俺は持っているからさ、余計に辛いんだよね。


で、今日三人目の告白があってさ、自慢みたいになるんだけど、例の英語のクラスの子とさ、テストの後に会ったっつーか教室の近くのベンチに男友達だか彼氏みたいなのと座っててさ、んでテストが始まる前にも適当に挨拶しつつさ、終わってからもまだいたんでっつーかその時にまぁ会話が発生したのね。で、なんつーのかな?すんげー深い話になったっつーか人間がアトムであるっつー俺の最近の論調あるじゃない?そんなレベルの話にまでなったんだよね。なんやかんやで1時間ぐらい喋ってたのかな?もう凄かったっつーかあそこまで深い話が出来る子だとは思わなかったな。ADDとか分裂病とかの話もしつつさ、まぁ簡単に書くとさ、魂がどうのって話を俺がし始めてさ、んで冗談半分で「君たち2人は良い魂を持ってるよね。俺には分かるよ。目を見れば分かる」みたいなことを言いつつさっつーかこの子の横にいた男友達ね、実際良さそうなやつなんだけど「2つの良い魂が合わさってるなんて最高じゃん!」とかって言いつつさ、ここからがアレなんだけどね、その時は気がつかなかったんだけど「あーもうビル!あなたは本当に私の心を理解してないのね」とか言いつつさ、目を瞑って笑いながら何かを堪えてるっつーかさ、「え?」って感じだったけど、今思うと恐らくさ、この子は前からやっぱり俺の事が好きなんだけど、俺はそれを理解してなくてさ、理解してないから「お似合いのカップルだね」なんて言えるんだなっていうさ、そういう嘆きっつーのかな?マジでそのときは分からなかったけど今思うとそうだったんだなっつーね、ビックリしたけどね。かなり。今セメスターで告白された子の総数が3人ってマジでありえねぇーよ。ホント。自慢になっちゃうけどね。


この子もそんな風に思ってたんだぁーと思うとまたちょっと付き合いづらくなっちゃうっつーのかな?メールアドレスは交換したけどかなり微妙な気持ちだね。付き合いづらくなるって友達としてね。知らない方が良かったな。「もしかしたら?」っていうのはただの予想として思ってたけどマジだったとはね、かなり驚きなんだよ。で、そういうのにやっぱ鈍感な俺っつーのがいるっつーのは確かだね。ちょっとは感じているけど普通だったらそれが明らかなサインだっつーのを理解しなきゃいけないところを俺は理解しないので相手とのズレが生まれちゃうっつーのかな?俺が答えてないんで俺があたかもその子に興味が無いような振る舞いをしちゃうっつーのかな?恐らく普通の社会的コンテキストでは明らかにラブサインなのに俺はそれをそうとは捉えないっつーさ、捉えてても俺自身がさっきも書いたようなさ、分裂病的気質があるから俺の認識っつーのが頼りないんだよね。どこまでが妄想でどこまでが現実なのか?っつーのが分からなくなることが多いんで、だからあんまラブサインとかに関してもリテラルには捉えられないっつーのかな?「いや、思い込みだろう」とかって思っちゃったりするのね。で、相手からすればさ、明らかなサイン送ってるのに無視ってどういうこと?っていう風になるよね。これがダメなんだよな。俺。かといって調子に乗りたくもないしね。このまま調子に乗ったらただのプレイボーイだからね。まぁプラトニックなプレイボーイってかなりアリだとは思うけど。


ただやっぱかといって悲しませたくないっつーかさ、相手が思ってるほど俺って良くないんだよね。何しろ凄まじい差異が普通の人に比べてあるからさ、俺と付き合うってことはようはさ、要介護の人間と付き合うようなもんなんだよってことなんだよね。言い方が悪いかもしれないけどでもまぁ実際そうだからね。で、俺は相手にそんな重荷を課せたいと思わないのね。仮に俺がモテてたとして、色んな子からアプローチがあってもどれにも答えられないっつーかさ、リア二千の繰り返しになっちゃうんだよね。今考えるとリア二千も完全に俺の事を好きでいてくれたんだなって思うんだけど、当時の俺はっつーかブログを見返しても分かるけど彼女のその気持ちを理解してないし、逆にはしゃぎすぎててさ、「あんな子が俺のことを!?まさかな!」とかって世界系な捉え方をしていたっつーのかな?俺がどうとか俺の経験がどうってことじゃなくて、相手の態度でさ、そこは俺がちゃんと理解しなきゃいけないところを俺が全部自分の中っつーか自分の世界観に還元して理解しちゃってるっつーのかな?だから相手にルードになっちゃうのね。俺はそんなつもりはないんだけど結果的にルードになっちゃう。で、俺はもうそういうことはしたくないから、まぁ俺なりのやり方で答えていこうかな?って思ったっつーののまぁ実行例が今回のクリティカルの子とお転婆娘なんだけどね。なのでまぁ後悔が無いわけだ。相手が完全に理解したかはともかく、まぁちょっと違うっつーのは理解出来たっつーかさ、白馬の王子様じゃ絶対ないよっていうことは伝えられたっつーかさ、嫌いで無視してたんじゃないとかさ、そういうのも理解はしてくれたと思うんだよね。恐らく。だからまぁやれることはやったかな?っていう感じがするのね。


で、このさ、英語のクラスの子とはメンヘラートークっつーかさ、この子は精神病っつーかサイコロジー全般にかなり詳しくてさ、んで俺がAセクシャルだとかさ、ADDだとか鬱だとか分裂病だとかっつーのを勢いに任せて全部行ったんだよねっつーかまぁさりげなくだけどね。押し付ける感じじゃなくてさ、会話の流れの中でなんとなく言うっつーの?押し付けると相手が苦しくなるじゃない?だから自分を対象化するんだよね。自分を自分の事として喋らずに、こういう症状がある人間として対象化して話題として喋るっつーのかな?だからそこには俺の実存的葛藤がありつつも「大丈夫だよ。元気だしなよ」みたいな話に行き着くんじゃなくて「差異って大変だね」とかさ、「精神病って結局なんなんだろうね?」みたいなようはさ、話としてそれが帰結するんだよね。俺の実存的なことが話題になるのではなく、俺の実存も含めた徴候全般が対象化されて話題になるっつーのかな?だからまぁある意味で俺は不自然なんだけどね。自分の事なのに他人の事みたいな喋り方をするっつーかさ、まぁこれが異様だって思われたらそれでおしまいだけど、そうじゃない子もいるわけでさ、特にこの子はまぁそういう感じかな。かなり詳しいっつーのもあってね、かなり色々と話が出来たんだけど、これと恋愛はまた別ね。


モテてもそれが成就しないっつーかさ、そこにあるのは差異の戯れだけってさ、天才の素質があるんだけど能力が発揮できてなかったり、既存のシステムとの葛藤で能力が認められなかったりっていうようなさ、歯がゆい状態と同じだよね。実際は凄いのに数値として出ないとかさ、社会的なコンテキストの中で普遍的に認知されるようなものとして出ないっつーのかな?俺はポテンシャルがあるんだ!っつー負け犬の泣き言って意味じゃなくてね、出し方とか振る舞い方とかが分かってないやつっつーのかな、これはこれでなかなか辛いものがあるよね。人から認めてもらわないとやっぱ自分の能力って分からないからね。マジで。それは恋愛も一緒ね。相手がありのままの俺を受け入れてくれて、所謂、バイオロジカルに「彼素敵!」とかっていうレベルではない理解のレベルで愛が育まれればいいんだけど、大体はまぁそれが成就しないまま終わるっつーか、相手がそれを理解しづらいっつーか認めづらいっつーのがあって成立が大変っつーのかな?今の俺ってのはさ、それを分かりやすいフォーマットでなんとかできないかな?って思って大学に行ってるわけだよね。誰でも理解出来るような形で俺の考えとか色々なことを出力出来ればなっつーかまぁやればいいんだけどさ、今ね、ただまぁ英語なんだよね。アカデミックな世界で通用するレベルのものを書かないとダメってことね。それにはやっぱ基礎理論っつーかさ、基本とあと英語力が必要でしょ?で、俺にはそれがまだまだ足りなさすぎるってことでまぁ頑張らなきゃいけないんだけどね、恋愛に関しても恐らく俺の表出のあり方というか相手への俺の伝え方ってのをもっと凝ったやり方っつーと変だけど、伝わりやすいやり方で出来ればなちょっとはマシになるかな?って気がするね。まぁ成就しづらいっつーのは両者とも同じだけどね。


ただなんつーのかな?ペーパーとかでもまぁある程度褒められてたりさ、恋愛とかに関してもある程度モテてるんだからそこまで悲観しなくてもいいんだよね。成就は難しいということと蓋然性って関係ないからね。難しいけど達成する可能性が高いっていうことはさ、つまりはプロセスとか道は大変だし、滅多に達成できる人はいないけど、ある程度の特殊な能力とかがあれば達成可能ってことになるとさ、逆にそれって達成可能な人にとっては難しくても達成可能でさ、つまりはさ、一般的な確立で言われている難しい心臓に関する手術をさ、神の手を持つと言われるスーパーな医師がメスを握ることで生存率が低いと言われている患者も助かるっつーのかな?これって数値としては絶望的だけど、その神の手にかかればなんとかなるってことでさ、つまりはその先生に手術をしてもらうってことで一般的に言われる生存率ってのが覆るんだよね。その先生にかかればほぼ100パーセントっつーのかな?それはその先生だから可能なんであって、一般のデータ的に言えば生存率は低いっていうね、言ってる意味分かるでしょ?だから俺もそういうなんつーのかな?神の手を持つ医師にならないといけないんだよね。ほとんど無理って言われていることを成し遂げられる可能性がある能力持った人っつーのかな?その能力にかかれば一般的な確率論みたいなのは関係なくなるわけだからね、ようは俺に残された道ってこれしかないんだよね。恐らく。ギフテッドとか天才っつータームを使うことなくそれっぽくあってそれらしい結果を出す事っつーのかな?ちょっとややこしいけどね。概念が。ここでまぁあれなんだよね、世の中に認められなければ天才はただの変わり者か凡人っていうことでさ、俺ってそのジレンマの中にいるよね。それは自分が天才ってことじゃなくて、認められることでしか自分の中の差異を他者に認めさせることが出来ないんだなっていうね、だからなんつーかゴールはエキセントリックな天才しかないって感じなんだよね。自分が仮にそうじゃなくてもそうなるしか道が無いのでやるしかないって感じ?なんか凄いところがあるとさ、変なところも特徴として認められるっつーのは色んなところで経験してるんだよね。


変なだけだと変なヤツだけど「うわ!こいつすげー!」って思わせるようなところがあればエキセントリックなところも「変わってるけど凄い」とかさ「凄いから変わってるんだ」みたいな変わってるところに関しての理解っつーのも寛容になるんだよね。だから政治学のクラスとかでは俺はポピュラーになってるわけ。良い人が多くて良い意味で俺をアクセプトしてくれている人が多かったりしたんで、だからまぁ俺の変なところも含めてまぁ許されるっつーのかな?凄さで免罪みたいなね、とりあえず頭良いからオッケーみたいなね、想像力が凄いからオッケーとかさ、それなんだよね。で、それをローカルなレベルではなくもっとパブリックなレベルで達成する必要があるっつーのが今の俺なわけね。達成出来る確立は普通に考えて1パーセントでも、俺が色々なややこしいマニアックな障害を抱えている1パーセントなんだったら、その1パーセント対1パーセントってことでようは100パーセントじゃん!って理解して頑張るみたいなことかな?まぁこじつけだけどね。1パーセントぐらいしか発病率が無い病気にかかっている人が、1パーセントしかない確立の何かを達成するっつーその可能性って全然関係性が無いからね。でもさ、結局なんつーの?そのさ、100人中99人は無理でも1人はやるよっつーそういうやつになるしかない。少なくともバイオロジカルなレベルで俺はそんなレアな人間なんだからやる価値はあるよね。それはエジソンの言う1パーセントのひらめきって概念と似てるかもね。マジで。その1パーセントさえ持っていればあとは努力でなんとかなるってことだよね。彼は天才だからそれを成し遂げた!とかってことじゃなくて、それを成し遂げられたのは彼が天才だったからだ!っていうさ、事実なり根拠なり結果ってのが先立って後天的に天才性とかギフテッドな感じってのが定義されるってことでさ、まぁ天才ってみんなそうだったんだろうけど、でもまぁ改めてそうじゃないとダメだよなっていう風には思ったよね。そうじゃなくてもそう思わせるしかないなっていうさ、そのぐらいの生きる意志と何かに向かう情熱が必要ってことね。まぁ哲学的に言うとエロスそのものだけどね。ってことで最後にシュトラウスの引用で今回のかなり前向きなエントリーを締めるとするか。

"Men are constantly attracted and deluded by two opposite charms: the charm of competence which is engendered by mathematics and everything akin to mathematics, and the charm of humble awe, which is engendered by meditation on the human soul and its experiences. Philosophy is characterized by the gentle, if firm, refusal to succumb to either charm. It is the highest form of the mating of courage and moderation. In spite of its highness or nobility, it could appear as Sisyphean or ugly, when one contrasts its achievement with its goal. Yet it is necessarily accompanied, sustained and elevated by eros. It is graced by nature's grace." Leo Strauss, "What Is Political Philosophy?"