埋まらない勘違い。結び。

mimisemi2009-06-16

では埋まらない勘違いの結びねっつーか帰国まであと一週間切ったっつーのに新しいI-20が用意できてないとかマジでありえない感じなんだけどな。話が合うスコットというオフィスの人なんだけど、俺の大事な銀行残高とかのオリジナルを無くしたとか言ってさ、でももうチケット買っちゃったじゃない?キャンセル出来ないし。まぁまた明日行くけどねっつーか今日は風邪で休みってことだったんだけど、別にスコットのことは恨んでなくてさ、このアメリカに漂うレイジーな感じって凄まじいよなって思うんだよね。それはさすがにレイジーといえどもちゃんとやっておかなきゃダメだろうっつーのをやっとかないっつーのかな?アメリカの大学のアドミンって大体そうらしいけどね。なんでいつも俺は色んなことで窮地に立たされなきゃいけないんだろう?窮地に立っている自分を楽しむとかっていう余裕が無いぐらいマジな窮地なんだよね。いつも。


なんか変な言い方になるけどさ、アメリカに日本の感覚って通用しないんだよね。無くすっつーレベルじゃない書類を無くすとかって普通にあるしね、あと俺が提出したっていう証明が無ければ相手が「そんなものは受け取ってない!」って言っちゃえばそれまでっつーか言い逃れるみたいな考えがあるのね。アヴェレージなアメリカンって。スコットはそういう言い方はしないけど、でもまぁ結構あるのね。授業であったからね。あの激しくぶつかり合ったバイトの爺さんね。あの2年前のライティングの。提出したやつを「無いからそれは受け取っていないと言うことだ」って言い切るからね。謝ったら負けだから謝らないっつー態度っつーのかな?あ、スコットはそんなんじゃないんだけどね。でもまぁなんつーか考えられない感覚ってのがあるね。長蛇の列の理由はオフィスの人の雑談だったりさ、テキパキしない動きだったりするんだよね。日本じゃ考えられない。日本だったら絶対クビになってるだろうなって人がスーパーとかオフィスでも働いてたりするんで驚きだね。それはいつも書くように逆を言えばまぁゆとりがあるんだよね。日本の週5勤務とアメリカの週5勤務は同じように見えて全然違うね。


あ、んで例のキャリさんなんだけど、出発の前日に会う事になってるのね。ボロクソ書いているというよりかはまぁいつものさ、物事を対象化するってことで、ようはその人自体を批判してるんじゃなくて、あった事に対しての分析とかまぁ批判なんだよね。罪を憎んで人を憎まずみたいなやつ?だからまぁダブルスタンダードってわけじゃないので。本人にも会ったら色々と言うつもりだし。ってことでまぁ今回の結びもそうだけど、埋まらない勘違いシリーズは個人攻撃じゃなくてただの物事に対する分析だと思ってねっつーかまぁ個人攻撃なんてしてもしょうがないからね。ってことで今日は結びです。


今回の例の波乱のメールのやりとりで学んだ事は多かった。凄く嫌な思いをしたけど、所謂、彼らが言う「現実社会」とやらで通じているであろう、猪口才なトリックやら言い方の手口、人を惑わせて揚げ足を取ろうとするような誘導などなど、まるで現実社会のダーティーでダメな部分がそのまま顕在化したような感じを受けたね。自称、リアル社会を生きる凡人が使う猪口才なトリックのカタログといった感じだったので、これは俺の一生モンの宝になったと思う。メールのやり取りがあったばかりのときは正直、メールでは冷静な調子で感情的にならずに答えていたけど、俺も当たり前だけど人間だから感情的にはなっていないけど、感情的には物事を捉えてるんだよね。だからこそ色々な意味でのショックが大きかったと書いたけど、エントリーの本編にあった伯母さんの時と一緒でさ、酔っぱらった伯母さんに説教を受けたその日はね、持ち歩いてたノートに伯母さんが俺に言った事を書き綴って客観的に考えたんだよね。今回もそれができるっつーかさ、ある意味で適材なんだよね。


彼女が俺に送ったメールの俺の名前が書いている部分は気にせずに内容だけをスケルトンとしての枠組みで考えると、そのあまりにお粗末な議論の展開とロジックがより露骨に露になるんだけど、このお粗末さから学べることはたくさんあるんだよね。ようはこういう変なロジックとか誘導の仕方をしてくるやつがいるのかみたいな感じの傾向と対策が練られるっつーのかな?そういうのは本でも「こういう人間がいます」みたいなレベルで学べるけど、やはり実際の人間関係で学ぶことは多い。俺の場合、反面教師ばかりだけどね。本当の教師は本しかないって感じなんだけどまぁそれはともかくとして、誘導尋問みたいなのに感情的に乗ったらあっちの手に落ちちゃうんだよね。


例えば「アメリカに来て何を学んだの?」みたいな諭すような言い方とかね、それに真面目に答えちゃいけないんだよねっつーか例えば最悪なのが「多様な価値観や人のあり方を学び、しかも一人暮らしという経済的ではないが、物理的に自立した状況下に身を置く事で・・・」みたいなのね。それが事実であってもまともに答えるとまた諭したようなメールが来る。相手は「ウシシシ」って思ってるわけだね。「引っかかった引っかかった」って。もしくはそこまで戦略的ではない人は「アメリカに来て何を学んだ?」というような誰もが一瞬「ギクっ!」としてしまうようなことに対して、一定の説得力があるのだと思っている可能性もある。ようは本人も何が言いたいのか分からないし、完全に論破されているわけだけど、「若いね。人生はそういうことだけでは分からない」と言ったような含みがあるように見せて実はエンプティーな言い方っつーかフィギュアティヴな言い方ってあるじゃん?「若い」とかって何の理由にもなってないんだけど、年長者はそれを言うことで若者に対して説得力を持たせることが出来るとかって勘違いしてるんだろうね。バカはそれでダマせるのかもしれないけど、こんなロジックでダマされるバカがいたらそのバカが悪いな。騙される方が悪い。オレオレ詐欺みたいなもんだわ。かといってオレオレ詐欺の存在の正当化は出来ないんだけどね。


個人的なメールのやり取りの暴露なんてのはするつもりはなくて、ようは内容ね。こういうロジックっつーか論調で批判してくるっていうような分析ね。あとは目立ったのが「キミは勘違いしている」というような諭しね。ようは俺は間違ったパラダイムで物事を考えているので、だから辻褄があったりしなくなるんだっつーような言い方ね。これも一瞬ギクっ!とするというかこういうある意味で技巧的なギクっ!とするようなことだけを書いてくるのを見ると、こういうやり方で世の中を渡ってきて、なおかつそれで通用していたんだなっていう所謂、上流ではない下流中流ぐらいのふつーの社会のあり方のレベルの低さが垣間みれるよね。こんな人でもやってこれたんだ!という驚き。むしろこういうところが上手いからやってこれたのかも?という想定も出来るよね。ようは三下みたいなのをそういうロジックで騙したり説得したりしてコントロールしてきたっつーかさ、噓と詭弁で塗り固めた事実とかをねつ造して、んでそれでやってきたっつーの?そういうのが全部メールから見えてしまったので、だから俺の事を勘違いしているというよりかはもうその人のパーソナリティみたいなのが剥き出しになっちゃってる感じだったよね。そこに俺はダークな悪意を感じたわけ。


リアル社会で泥にまみれて来たものの知ったかぶりのダークさっつーの?「キミはウブなんだよ・・・フフ」というような知ったかぶったようなニヒルな感じっつーの?いや、俺はそういうのも分かっていて、そういうくだらない人間と付き合うのが嫌で、そういうゲームに付き合うのが嫌なんで独立して自律してピュアに生きようと思ってるんだっつーのが青二才の青写真にしか見えないんだよね。それは彼らが一次元的な俺のあり方しか見てないからそうとしか判断出来ないのね。ダークで汚い部分も分かりつつ、あえてナイーヴでいるのだというような、ある意味でのイロニーっつーのかな?イロニーを経てもニヒリストにはならないというあり方というのが理解されないんだよね。ようはイロニーが発生するほどの次元が彼らに存在しないからなんだよね。噓をつくか詭弁で騙すかぐらいの次元しか無いので、そういう次元があるんだっつーのは想像もつかないんだろう。


勘違いされてるっつーのでも相手の真摯さとかが伝わるケースはあるよね。あと過去にウォール伝をはてなにするように提案してくれたここではお馴染みのよーこさんがいるでしょ?彼女と俺がかなり若い時に壮絶な喧嘩をしてさ、あれはお互い若過ぎたし、何よりまともじゃないもの同士が大げんかしてるんで大変なことになってたんだよね。今思えば俺も変なことを言ってたような気がするしさ、あとはなんつーのかな?よーこさんの純粋さっつーの?純粋だからこそ分からなくてもそう言いたくなっちゃうっつーさ、悪気があって言ってるんじゃないんだけど、すんげー失礼に聞こえるみたいなことに俺も過剰反応して怒鳴ったりしちゃうっつーさ、まぁ典型的な青二才同士のやり取りなんだけど、お互いピュアなんだよね。いや、むしろ俺の方が策士だったかもしれない。俺の方が汚い手を使って相手のあら探しをしたり揚げ足取りとかをしていた可能性もあってさ、いやね、表面上は仮によーこさんが俺に一方的に失礼なことを言っているように見えても実はそれは悪気があって言っているのではなく、彼女の表象がそのまんま出ちゃってるんだよっつーようなね、彼女もアーティストじゃない?その過剰な表象と表出のスポンテニアス加減っつーのかな?俺は同じような感性を持ったものとしてそれを理解しなきゃいけないし、今なら理解できるんだよね。逆を言えばそれが無かったら俺は彼女と復縁しなかったと思う。彼女と復縁出来たのはひとえに彼女の純粋さと悪気の無さなんだよね。


一時期は凄まじく恨んでいたけど、その感情的なものを取り除いてみると、ただただ純粋な俺とぶつかってしまった彼女がいるんだよね。逆に俺はそんな純粋な彼女に口汚い言い方を色々としてしまったかもしれない!って彼女の純粋さが逆に俺の不手際を目立たせたりもするわけ。ようは彼女が純粋過ぎて俺の汚い部分が彼女とのやり取りに見えてしまうとかね、つまりはどれだけ彼女の言っていることに説得力が無かったとしてもね、あ、当時の話ね、そこにピュアさっつーかさ、悪気の無さがあれば許せるんだよね。ようはその悪気の無さを理解して包括してあげられるような包容力があれば些細な言葉の暴力になんていくらでも耐えれるし、むしろ耐えるべきだと俺は思うのね。いや、図々しいのは分かるよ。当時にしたら俺も酷いところがあったわけでさ、それはお互い様なんだけど、俺はこれ以外にも些細な喧嘩とかぶつかり合いってのは彼女としょっちゅうあったんだけど、それでも彼女に見切りをつけないのはさ、彼女の内面だよね。絵を見れば分かるけど凄まじく純粋なんだよね。ただ彼女は俺と違って現実社会を生きているので、俺より妙にリアルなところはあるよね。俺が「アーティストとはこうあるべきだ!」みたいなことを言えるのに対して、彼女は「いやーそんなこと言ってたら食えなくなりますー。いや、言っていることはもっともなんだけど」みたいなことを言えるのね。


そこは俺が論破されているとかそういう意味ではなくて、彼女にはナイーヴさだけではないリアルさというのも存在していてさ、そういうのも含めて全部評価できるんだよね。あと元相方も同じ。変な人だけど悪人じゃないのは凄く良く分かる。ハーシュな言葉遣いをしたり、貶しているようにしか見えないようなことが多々あるんだけど、それは凄まじくギラギラした悪意の元に出ているのではなく、彼の頭の回転の速さだとか、回転の速さ故に見える他人の粗とかダメなところをジョークとして指摘しつつもジョークになってないみたいなね、そういうところがあるんだけど、でもこれって悪意じゃなくてさ、表象がそのまま表出になっちゃったって言うような感じなんだよね。だから許せるの。彼に対してもずーっと一時期怒ってたし、だからそれが彼との決別の原因にもなったわけだけどっつーかきっかけは南京論争だったんだけど、まぁ完全に俺が論破されててさ、しかも彼の方が情報量とか理論が優れてるから、そういうのに引け目を感じてた俺もいるんだろうね。それプラス「もう我慢ならん!」っつー積み重ねが爆発して無言でキレてたっつーの?俺が悪かったとは思わないけど、でもこれも所謂、彼の悪意が元になって起こった決別ではないんだよね。よーこさん然り。


俺の中で凄まじい喧嘩があったというのはこの二人なんだよ。ある意味で少ないのかな?で、二人とも良い意味での変わりもので、明らかに良い意味で普通と違う人達ねって俺が言うのもなんだけど。俺が彼らを変人度で凌いでいるというのは自明で語っているんだけどね。で、なんて彼らの話をここで出してきたか?っていうと悪意の話なのね。それに比べて今回のメール騒動の場合、彼女は一見してパーフェクトに見えるんだけど、それが噓や欺瞞によって塗り固められてきた薄汚いリアル社会を渡り歩いてきた狼だったんだっつーのを見せつけるきっかけになっちゃったんだよね。そういう気はしてきたというのは前に書いたけど、「やっぱりそうだったか!」と思ったときはもう時既に遅しってやつだね。親父がよくやる失敗と全く同じ。俺は親父を反面教師として本当に色々と学ばなきゃいけないわけだけどさ、これって逆でしょ?ここに以前書いてくれたデイジーさんと全く逆っつーの?魂が汚いから汚い振る舞いや雰囲気になっているのではなく、そういう振る舞いをする必要があるからそういう風になってしまっているんだということね。


それに比べて彼女の場合っつーか今後はキャリって記号的に書くけど、キャリの場合、完璧そうに見える感じがねつ造でさ、それは社会で生きる上で必要だった処世術なのかもしれないけどさ、それが噓で塗り固められられたものだったというのがメールで露呈してしまったという感じね。メールでは全く逆で優しい言い方とか諭しているように見える言い方をしていて実は凄まじい悪意やら意地汚いやり方やら粗を出そうとしている感じやらがヒシヒシと伝わってくるのね。「うんうん。全然怒ってないよ!」ってイノセントに振る舞いつつ、実は凄まじい言葉の暴力を優しく見える言葉で色々と放ってるっつーの?これは悪意の成せる技でしょう。悪意かもしくは社会で薄汚れた魂を持った人が出来ることだよね。


それに比べてよーこさんや元相方の場合、言葉がハーシュでもその背後には何も無いということが多い。つまりは良い意味で一次元的なんだよね。それで言ったらもうそれ自体がそうっていうそういうこと。それは彼らが単純という意味ではなく、実際は含みで言うべきであろうイロニーとかをそのまんま言っちゃったりする元相方とかね、「それ言ったら失礼だよ」とかさ「女の子がそんなこと言うなよ」っていうようなことを平気で言っちゃうようなよーこさんとかね、その場にいると「ったく!」とかって思ったりするんだけど、実体はイノセントだよね。そういう意味で彼らはピュアだと俺は言っているわけ。あり方にあり方が現れているので信用出来る。つまりは問題点も嫌なところも出ているので、逆に「こんな人だったとは!」というような、今回みたいな化けの皮が剥がれる感じというのが彼らには絶対無いというのが言い切れる。


そこに彼らのあり方が出ているので深く考える必要はないし「実はこういう意味だったのでは?」というような俺がスキゾに妄想しがちなこととかを少なくとも彼らと接している時には感じないんだよね。それは全てだから他のバリエーションを考えなくていいのね。だからそれが失礼だったとしても逆に楽なんだよね。「なに?その言い方?」っつって俺も彼らにキレることが出来るし、そういうマジなあり方でのぶつかり合いができるのね。逆に騙し合っている間柄では不健全なさ、褒めているようで貶しているみたいな言い方とかさ、細かいことダメージをあたえるとかさ、俺がもうもっとも悪徳だと思うような事柄を平気でやり合うんだよね。それが彼らの喧嘩なわけ。


で、キャリさんはそういう経験をいっぱいしてきていて、なおかつ百戦錬磨だったのだろうなってのが容易に想像がついたんだよね。だからこそああいうやり方とか振る舞いとか言い方が出来る。パーフェクトに見える感じとか振る舞いとかも全部、実は悪魔が天使に見せていたということだったわけでさってそれは言い過ぎにしても、信用出来なくなるよね。作り笑いと本当の笑いって俺はすぐ分かるけど、この人にはいつも作り笑いを感じていたね。で、たまに見せる素な素振りが良かったりしたけど、素を見せないというのもようはジャングルでの生き方だったのかもしれない。そう思うと彼女も現代社会という弱肉強食のジャングルにおける被害者の一人だったのかもしれない・・・・って二流の大学教授とかライターが書きそうな言い方だけど、マジでその可能性はあるよね。まぁ同情的に見ればね。「可哀想に!そこまでしなければいけなかったのかい?」って虐待されて来た子が過剰に自分を防衛しすぎて暴力的になっているっていう自己防衛という点から考えた上での彼らの攻撃性に対する同情的な観点ね。


それは彼らの経験から考えれば必要なことだったので、むしろ同情の余地があるのではないか?というような考え方も出来なくもないけど、俺はそこまで考えないかな。そこまで慈悲深くない。切るときは一瞬で切るから。そこまで考えたりして甘いのがうちの親父なんだよね。優しいんだけどその優しさが外に出てなかったり他人に伝わってなかったりするっつー悲劇の人なんだよね。彼は。俺の父だから当たり前のように純粋な心を持っているんだけど、それ故に彼も苦しんでいるというところが多い。むしろ今の状態で言えばある意味でもうパーフェクトになってしまった俺に比べて親父の場合、リアル社会での葛藤があるので俺の精神的な葛藤より大変かもしれないんだよね。昔はそれでいても俺の方が酷いと言えたぐらい俺の精神状態は酷かったけど、今となっては俺がある意味で突き抜けてしまったので、親父のほうが葛藤が多いのでは?とかって思ってしまうね。だからこそまぁ絶対、なんとか成功してっつー言い方はあれだけど、無理をしてもらってきた分の恩返しとそれ以上の恩返しと親孝行をしたいなって思ってるのね。これも机上の空論?でもいいじゃん。これも俺の夢の一つっつーか夢を実現するデカイモチベーションの一つなんだよね。彼らの老後の蓄えまで食いつぶしている穀潰しである俺がやる義務であると同時に責務であると同時に自発的にやりたいと思う事なのね。


当たり前でも当たり前以上のことがしたいのね。だからそう思うと自殺なんて言ってられないんだけどね。自殺しちゃったら両親を裏切ることになるからね。それを考えると俺が苦しくてもなかなか死ねないよね。「いや、いいよ。自分で決めたなら」って言われたら死ぬと思うけど、彼らを裏切ってなおかつ悲しませるような結果になってしまったらそれは絶対嫌だって思うね。親の財産を食いつぶしているという意味だと俺に自殺という選択肢は無いのかもしれないな。道徳の面で考えればそれはないだろう。それはカント的な道徳ね。責務を果たすこととしての俺がやらなきゃいけないことではなく、カント的な意味での道徳で俺はいかなる状況においても死ねないってことね。


あ、話が死に傾いてきたから話を戻すとして、深い人だろうが浅い人だろうが裏表が無い人がいいよね。嫌なやつでもそれは同じ。嫌な感じがそのまんま出てるっつーのは分かりやすくて処理がしやすい。所謂、深遠な分析をしなくて済むから処理が楽なんだよね。どうも特に日本社会って社会的人格を作るのが良しとされるようなところがあるっつーか所謂、今回のキャリさんみたいなあり方が「やり手だ」とかって言われるような風潮っつーのかな?ホリエモン的なマキャベリズムっつーの?ホリエモンっつーキャラで売ってバカなこともして大衆を騙すっつー冷酷な策士ね。だから化けの皮が剥がれた彼が好かれるわけがない。逆に俺は皮が剥がれてからのキャラを作らなくなった彼自身が好きになったけどね。そういう意味でキャラ作りをして、姉ちゃんとかと豪遊していた俗もの時代よりかは今の方がムショに入ったりしてハクがついたのかな?って気はするよね。今の彼の言うことなら信じられるって気がするっつーかさ、それが冷酷なままであったとしても自然なままでいる彼が好きっつーの?本当のことをサラッと言っちゃう感じっつーのも好きだね。今は。昔は大嫌いだったけど、それは単純に俺が変わったのではなく、彼が変わったんだよね。よって俺みたいな人間に愛されるようになったわけ。愛されるっつーと言い過ぎだけど。


それに比べてキャリさんの場合、終止、ブイブイ言わせていたころのホリエモンみたいな感じだったわけだよね。素顔はなかなか見せず、社会で成功してきた自分としてのペルソナをかぶり続けて人を欺き続けるっつーの?もしくはもうそのペルソナに飲み込まれてそれ自体がもう独立した人格と化しているという可能性もあるけどね。城さんの本で言うところの20年ぐらい同じ新聞社にいると書き方とか論調までその新聞社みたいになってきちゃうっつー染み付き加減っつーのかな?そういうのに飲み込まれた人間っつーのをリアルに見た気がしたね。昭和の負の産物を間近に見たっつーかなんつーか。だからこそ俺等の世代は変われるよね。彼らのような昭和的な反面教師を持っていることで反省できたり変われることがある。これこそが俺らの世代が持っている可能性だよね。社会が傾いていても変われる可能性があるとすればそれは変わろうとするか、既成の概念に縛られない生き方をする若者達によってだよね。そんな意味でも俺は常にアウトサイダーとしてのロールモデルでありたいね。今は説得力無いけど、ケルアックとかじゃないけど、ニートとかさ、好きでホームレスやってても小説売れれば一気にそのスタイルがかっこよく見えるじゃん?まぁすでに俺の事を「かっこいい!」とか「アウトサイダーそのものだ!」って思ってくれる人もいるだろうけど、そうじゃない人間にも「いいでしょー?」って見せつけられるっつーのかな?


で、ケルアックで言えば路上が売れて印税ガッポリじゃない?まぁ彼の場合、実家が金持ちなんで関係ないことだけどね。バロウズ然り。ビートってみんなニートだったんだよね。ケルアック・バロウズギンズバーグは3人とも親の脛かじり。「ビートはみんな」っつーかビートを代表するこの3人はニートだったってことね。ビートジェネレーション、ニートジェネレーション、この二つに実質的な相違はない。でも俺が自分で「俺は現代に生きるビート族だ!」と言っても説得力無いでしょ?だから説得力を持たせたいって思うんだよね。それが俺の社会とかキャリさんみたいな人達への復讐でもあるし、「本当のキミに会えることを楽しみにしているよ」みたいなこれまた知ったかぶったようなキャリさんの物言いに俺が答えた「そうですね!お互い成功して笑顔で再開出来れば最高ですね!楽しみにしています!」っつーのを実現させるってことでもあるしね。まぁ本質を考えれば社会の評価とか影響力なんてどうでもいいんだけど、そこにはやっぱ元暗黒騎士の俺が持つさ、負のオーラっつーのがあるんだよね。「やつらを見返せる」っつー負の動機はやっぱあるんだよね。「バカにしてただろ?ほら見た事か!」って言いたいし思わせたい。それは大人げないことかもしれないけど、これが俺の出来る彼らへの唯一、彼らにとって説得力を帯びる彼らへの反抗と反論だからね。それを思い知らせてやりたいっつーのはあるね。


こういう色んな動機に支えられてるから異常な読書とか英語へのオブセッションとかが続けられるんだよね。普段書くような単純なサバイバル術としての英語とか読書っていう意味だけではなくて、そこには両親への恩返しとか色んな連中に対する復讐とか、複合的な動機があるのね。プラスなものから負のものまで。ただ負を完全に無くすということは出来ないんだなって思ったねっつーのは特に今回みたいなことがあると「今に見てろ!」って思っちゃう俺がいるし、それが自然な感情だったらもうそれはそれでいいんじゃないかと。それも原動力の一つになるなら取り込んじゃえって感じね。ただそれだけが原動力になるとダメな気がするね。俺は以前に負のオーラを変換するという理論を展開してたけど、これだけに頼っていてはダメなんだなっつーのはやっぱ感じるところだよね。それもありつつ、もっと大きな動機を持ってそれを主な動力源とするっつーのかな?これによってより効果的な動力とか強さとかサステイナビリティみたいなのが発揮出来るわけね。俺がギフテッドとかADDとかって話はまぁどっちにせよ、どっちに転ぼうが脳機能的な自然な知識への異常な渇望があるよね?それプラス俺の今挙げた社会的な動力っつーのが伴ってるから鬼に金棒なんだよね。気違いに本とでも言おうか。


だから逆にこの力学を持っている俺としてはさ、俺のIQなんて知りたくないけど、動機とかパワーって意味でIQとかを超越出来る可能性があるんだよね。ようはモチベーションの低い俺よりIQが20ぐらい高いヤツを打ち負かせるぐらいの能力が身に付くかもしれない!ってことね。まぁ打ち負かす必要は無いし競う必要も無いんだけど、ただ単純に俺はソクラテス的に生きたいってことなのね。で、俺の事を悪く言うようなやつに権威とかを利用して「ははー!」って言わせたい。「お前らみたいなのは分からないだろう?俺が言っていることは?この印籠が目に入らぬか!」っつって業績とかを見せてバカなやつらも納得させるっつーね、そこまでやりたいって思うね。だから隠者的であり社会的でもあるんだよねってまぁ業績を見せつけることが社会的だとは思わないけど、ようはある意味での俗っぽい社会性も持ち合わせた隠者ってことね。あとはそういう権威とか印籠があるとマーケットに出たときに振る舞いやすいっつーのがあるじゃない?バカに後ろ指刺されなくなるというのは単純に良いことなわけ。それぐらい出来ればいいなって思ってるね。まぁ大きなビジョンとしてはね。でもこれはまだウォール伝に書けるレベルで、言うのも憚られる恥ずかしいレベルでのビックビジョンについてはまだ言えないなー。まだそこまでの蓋然性が見えないので。あとデカ過ぎて言うのが恥ずかしいってのがある。まぁ王様になるとかって話じゃないからね。


ある意味で「なーんだそんなこと?」なんだけど、かなり俺にとってはデカイことで言うのが恥ずかしいのね。だからまだ言えない。権威とかは可能なレベルだからね。学歴とか取ればいいんだから実現不可能ではない。バカをダマせるレベルの権威を身につけるということはそこまで不可能じゃないよね。学歴関わらず。ただこういうレベルではない夢についてはまだ語れないんだなぁー。大き過ぎて。


まぁいいや。夢の話は。まぁでも俺みたいなニートが華を咲かせて昭和世代を「ギャフン!」と言わせるしかないんだよね。そんぐらい俺は無知な彼らに色々と分からせてやりたいって思うしね。いかにあんたらみたいな概念を持ってきた連中が右翼左翼関わらず社会をダメにしてきたか?っつーのを深く反省させたい。これはまぁさっき書いた負のオーラと同じことだし、「色んな人への復讐」に入っていることだけど、まぁ俺としてはありな負のオーラなのね。良い動力源の一つであるわけ。これは日本に限らずだけどね。「哲学だって?ばっかばかしー」みたいなことを言ってきたっつーかあざ笑うようなアホなアメリカ人にも思い知らせてやりたいって思うしね。


俺は彼らの人生を否定はしないけど、でもあんたらに哲学を批判出来る筋合いは無いんだよって説得出来るだけの道具を用意したいね。まぁこれは権威があれば簡単だから金次第ってところだけど。日本への復讐もあるけど最近ではアメリカの大衆への嫌悪も凄くなってきてるんで彼らへの復讐心も結構凄いね。アメリカのバカって前にも書いたように日本よりタチが悪いからさ、なんつーのかな?だから相手にしないっつーとさ、シニシズムとかニヒリズムに陥るんだよね。ニヒルな隠者になっちゃう。そうじゃなくて大衆と戦うソクラテスでありたいんだよね。「ふん。くだらん」って隠者になるのは楽だけど、闘争的ソクラテスになるのはかなり大変なことだよ。だからこそ俺はそれをやりたいんだよね。俺は実は平和主義者に見えて好戦的だし喧嘩とか大好きだからね。かなり暴力的なんだよ。実際は。喧嘩は弱いけど好きっつーか好きではないけど必要であればやるよね。返り討ちにあっても黙っていられないって思うからね。売られた喧嘩は買うっていう主義?それをやってるから特定の先生とか生徒に嫌われるのかもな。我慢するってのは良くない事だよ。「相手にしなくていいや」ってぐらいの境地に入ればいいけど、明らかに頭に来たときは我慢する必要は無い。最近ではなぜか必要な暴力すらも過剰に規制される感じだけど「お前表出ろ!このやろー!」って言えるような人間味ってやっぱあったほうがいいのね。俺はそういう意味で「フッ。くだらん」とかって言うようなニヒリストにはなりたくない。バカにされたら「ちょっとちょっと何してはりますの?」ってツッコミを入れるわけよ。まぁ滅多に無いけどね。


あとは「何話してるの?何?俺のこと?何なの?」とかって聞く事もあるかな。明らかだった場合ね。そうすると大抵彼らはビビるんだよね。で、俺と目を合わせなくなる。そういう意味で良い人ではありたいけど、親父みたいな人がいい人間には絶対なりたくないって思うね。闘争的な人間でありたいと思う。ポストモダンとかもう嫌だけどガタリの言う闘争機械ってようはこういうことでしょ?彷徨うノマドがインディペンデントに闘争を続けるって感じ?


・・・ってことで今回の話題については完全に終了ね。


Phenomenological Interpretations of Aristotle: Initiation into Phenomenological Research (Studies in Continental Thought)

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