脳科学ブームとか自己啓発ブームとか近状とかなんとか。

mimisemi2009-07-04

脳科学ブームが凄いじゃない?自己啓発本ブームっつーか脳科学ブームっつーかなんつーかそういう本が売れてて翻訳も凄いみたいね。まぁ俺はワトルズのアレを信じているけど、基本的に原則レベルだとワトルズ的な原則が根幹に流れていてさ、あとはあれなんだよね、脳科学的裏付けとかアプローチとかさ、認知科学的裏付けとかそういう感じなんだよね。苫米地とかはそれを徹底的にシステマタイズしてるっつーのかな?金儲け臭さが凄いけど基本的にためになるっつーか良いことを書いてるんで許せるんだよね。タレント本がバカ売れしてるよりかは数倍良いっつーかなんつーか。


基本的に成功本っつーか自己啓発本の核はさ、自己イメージとポジティブシンキングと目標の定律なんだよね。自己イメージは実は簡単でまぁ俺みたいなもんでさ、昔の俺は自分はキモくてモテないと思っていたし、頭が悪いし冴えない男だって思ってたんだけどアメリカに行って色々と経験したことでセルフエスティームが上がったわけじゃない?で、高くなった自己イメージが目標を呼び寄せてネガティブシンキングを殺すっていうさ、まぁ最高のサイクルだと思うんだけど、俺がアメリカで色々と経験して開眼したプロセスが様々な自己啓発本とか成功本に書かれているのは驚きだっつーのはシークレットとかワトルズを読んだ時に書いたけど、ここ数日で20冊ぐらいのそういう感じの本を読んでいるんだけど大体同じだよね。言っていることは。


こうなりたい!とかこれをやりたい!とかっていうイメージが具現化するっつーね、ワトルズのあれだけど、苫米地が面白いことを言っていて、デカイありえないぐらいの夢を定律させるとコンフォートゾーンがそこに置かれるんでホメオスタシスがその抽象度の高いあり方に合わせられるんでどんどんそれに引き寄せられていくっつーかそれを基準にバランスが保たれるってことなんだけどさ、これはまさしくあれだよね、前にも書いたかもしれないけどさ、俺が今こうやって日本にいてあまり心地よく無い感じってのがあれだよね、実家ってのがもはや俺のコンフォートゾーンじゃないんだよね。アメリカで地下潜伏をしつつ死ぬほど本を読んだり語学に熱心になっている自分ってのが最高のコンフォートゾーンでさ、ホメオスタシスは俺の夢を基準にバランスが保たれているから大変でもあっちにいるほうが幸せっつーか心が満たされるんだよね。


まぁハウツー系の話はともかくとして気になるのがドリームキラーっつーかどうしようもない人達だよね。ニーチェが言うThe last manっつーのかな?元相方とよーこと会ったっつったけど二人とも基本的に人間っつーかやりたいこととかさ、あり方とかはある程度できてるんだけど何に悩まされてるか?って他のしょうもない人間達なんだよね。元相方で言えば会社の同僚だったり上司だったりしてさ、ありえないぐらい彼らのレベルが低いんだよね。それは俺もいつもあっちにいるときに感じるし色々と文句を書くところだけどさ、これが大敵だよね。いくら自分が出来ていてさ、自己改造とか出来てても外部のドリームキラーとかさ、しょーもない同僚とか教師とかクラスメートって不可避じゃない?壁を作るとか存在を気にしないとか色々とやり方はあるんだけどさすがに毎日会ったりしてるとさ、いつもバリアを張れたりするわけじゃないじゃん?たまにバリアを張り忘れて相手に飲まれちゃうとかさ、親父なんかが典型的だけど、人間的にちゃんとしてるが故に会社で孤立してるんだよね。腐った人間ばかりが会社にいるんで親父みたいなちゃんとした人間が孤立しちゃうのね。なんつーアイロニーなんだろう。


ファミレスで元相方と喋ってるときにさ、元相方が俺に言ってくれたことはさ、俺みたいな健全な人間がアメリカっつー外に出る事を社会から強いられるってどういうことなんだろうね?っていうことなんだけどさ、ようは俺みたいな高潔さっつーとあれだけど、気高い感じで生きていこうとすると汚らしい日本社会っつーのがそういう生きかたを許さないじゃない?かといってアメリカでそういう生活ができるか?っつーとまた別なんだけど、あっちって放っておいてくれるじゃない?その人はその人だからっつってある程度尊重するでしょ?日本の場合、なぜか無理矢理何もかも並列化しようとするじゃない?異質なものを排除するか同質にしようとするっつーのかな?


まぁそれは前に書いたからいいんだけど、こういう不可避的な負のパワーが周りを囲んでいたらさ、ちゃんと高潔に生きるってことはつまりは孤立を生むよね。自己改造は出来るけどそれをやると孤立するし、むしろそれが怖いから自己改造を実行できないんじゃないか?って思ったよねっつーかまぁなんつーのかな?ふつーの人っつーかさ、みんな孤立が怖いのね。苫米地をはじめとする色々な自己啓発本とか成功本とかってさ、実行出来れば最高だしワークするんだけど、それに立ちはだかる敵ってのが多いじゃない?常に同調を周りから求められてるからそれを実行出来ないっつーのかな?それはある種の弱さでもあるんだけど、強烈な同調圧力がある中でその力学に抗って自己改造なりを施すってさ、結構大変だよね。


自己改造を実行するだけでも大変なのに、既存のシステムとかさ、それこそ身近な同僚とかさ、会社とかっつーのに抗わないとそれが実行できないってさ、ある意味でホームレスになる覚悟みたいなのが無いと実行出来ないよね。生活基盤とか経済基盤ってのを考えた時になかなか実行出来ないことが多いと思うんだよね。逆に俺みたいな親に守られている人間はいくらでも自己改造が出来るしどんどん高みに近づくことが出来るんだけど、それを許してるのって俺の親による経済基盤じゃない?だから矛盾してるんだよね。だれかに守られてるから修行が出来るっつーかさ、まぁ結果的に俺が修行を続ければもっと高みに行けるっつーのは必然的に分かるんだけど、それを保持しているのが親による経済基盤って皮肉だよね。


社会に出るっつーかさ、自立したらキャリさんみたいな人間がうじゃうじゃいる中でやっていかなきゃいけないんでさ、隠居マインドのままで生きていけなくなるしさ、モードも仕事モードっつーかさ、迎合モードとかになっちゃうよね。俺が思ったのはさ、似たような啓発本とかはいっぱい出てるからもう同じようなのはいらなくてさ、必要とされているのは例えば対ドリームキラー本とかさ、ドリームキラー達とどう付き合うか?とかさ、そういう環境からどう逃げ出すか?っていう処世術だよね。メンタル面での修行は逆を言えば環境さえそろえばいくらでも出来るんだけどさ、それを許さないような環境からどう逃れるか?とかさ、変な影響をどう受けずに修行を続けるか?って話だよね。


今度会う別の友人もバイトをなんで辞めたか?ってありえないぐらいダメっつーか意地悪な人間が同僚だか上司でいたっつーことだったしさ、それは彼の弱さっつーよりかはその同僚の邪悪さだよね。ああいう人間が社会に蔓延っているんでちゃんとした人間が苦労したりやっていけなくなっちゃってる。俺もキャリさんとか前のルームメイトみたいなのが上司だったりしたら気が狂うなって思うもん。プライベートだから俺のさじ加減で付き合うも付き合わないも調整できるけど、仕事とかだったら別じゃない?やっていかなきゃいけないっつーか共存を強いられるよね?そこでどうサバイブしつつ自分を高めて行くのか?っていうのがまぁ求められてるっつーかさ、啓発本とかに足りない要素だと思うんだよね。


苫米地とか茂木さんにしても最初からエリートでさ、彼らって凡人と付き合う必要がなかったから高尚なことを言い続けられるっつーパラドックスがあるよね。彼らは良い意味でも悪い意味でも世間知らずだと思うんだよね。それは批判ではなく、彼らが高潔で頭が良いエリート過ぎるって意味での賞賛なんだけどさ、ホントダメな人間多いじゃない?俺の場合、学校の先生にしてもダメなクラスメートにしてもさ、キャリさんにしても前のルームメイトにしてもさ、人知を越えたダメさっつーかさ、清い人間を陥れる悪意の塊みたいな人間がいるんだよね。がん細胞的存在っつーのかな?そういう人間に巻き込まれると元相方でも俺でもさ、ある程度のマインドを持ってても彼らの攻撃とか呪術の強さに負けちゃうっつーか飲まれちゃうよね。あとは完全にマインドブラストを受けていなくてもさ、受け流したりこなしたりすることに凄まじいエネルギーを要するじゃない?これは元相方が言っていたことだけどね、ようはそういうことにエネルギーを浪費せざるを得ないっつー環境があるんだよね。そのエネルギーの浪費によって生活費は稼げているんだけど、創造性とかさ、やりたい事へのエネルギーとかがそれに吸い取られちゃうんだよね。マインドまで腐ったりはしないんだけど、エネルギーが吸われるっつーのは由々しき事態だよね。


俺はそういう意味でそういう人間とか環境とそこまで深くコミットすることなくさ、自分から閉ざせたりできるけど出来ない人達はどうなるの?って話だし、俺もそういう環境にいたらどうしていいか分からないもんね。だから俺はそうならないように頑張るっつーかさ、それがサバイブの方法でもあるんだけど、とにかくドリームキラーは怖いよね。マジで。俺は強力なドリームキラーの一人と付き合ったりやり取りをしているだけでも疲弊してたのにさ、ああいうのに囲まれたらもう降参だよね。勝てる気がしない。そこでも勝てるぐらいの意志の強さっつーか力への意志があればいいんだろうけどさ、どんだけ力への意志が強くても彼らの悪の意志っつーかさ、彼らの悪の力って凄い強いじゃない?HPが9999あって防御力が高くてもずーーーっと攻撃に耐えてたらいつかはHPは0になるじゃん?ドリームキラーに囲まれて四面楚歌的状況に身を置くしかなかったらさ、それってもう終わりだよね。


そこから逃げるしか無いけど逃げるってことが職とか社会的地位の放棄にもなったりするわけでさ、生活基盤を維持したかったらその四面楚歌的状況に身を置くしか無いっつーさ、これって辛いよねぇー。マジで。そういう状況にうちの親父とか元相方みたいなのがスポイルされてるっつーこの現状が俺にはマジで許せない。実存レベルで言えばキャリさんの怖さっつーかさ、軽蔑があるけど、そういうのって俺の経験だからいくらでも忘れたりさ、まぁある意味で許せたりするじゃない?二度と会わないけど許すっつーね、そういうことが出来たりするけど、ああいうのが世の中に溢れてて色々な人間を陥れようとしているっつーこの状況が許せないんだよね。俺がどうにかできる問題じゃないんだけどさ、だからこそ歯がゆいっつーのかな?「俺はそういう場にいなくても生きていけるからよかったー」って一瞬でも思えないのね。だから絶望的だよね。


方法論でいくらでも超越者になれるし超越系になれるんだけど、それを許さない同調圧力があって、しかも生活とか経済基盤ってのを考えるとそれらに抗えないっつーさ、それこそフーコー的なバイオパワーが張り巡らされてる感じじゃない?そういう中でどう自己開発をしていくのか?っつーのはなかなかの難題だよね。苫米地で言うとさ、抽象度の低い世界が世界の大半を占めていてさ、その中でも抽象度の高い思考を保つって心頭滅却みたいに難しいことだよね。落城して火の海になってるお城でも顔色一つ変えずに「心頭滅却すれば火もまた涼し」って言ってるような超越系の高僧っつーかさ、誰がそんな高次元の抽象度を保てるんだ?って話じゃない?


自己啓発本を読んでるとさ、やり方は簡単なんだけど到達レベルとかが高過ぎて「どうもなぁー」って思っちゃうんだよね。俺はもうそっちに到達した人間だけど、そういう人間から見てもさ、所謂、人間のデフォルトを精肉とかコンビニのバイトをしていた俺みたいな人間に当てはめるとさ、当時の俺みたいな抽象度の低い人間がこんな方法論なり考えを理解して実践出来るのかな?っつー疑問があるよね。苫米地とかは最初からもうエリートじゃん?だから恐らく凡人レベルってのを理解できないのかもしれないよね。でも凡人にとってはさ、すんげー高い壁があるんだよね。簡単に言うけど壊したり越えられない壁があるっつーさ、その壊し方を凡人目線で考えつつシステマティックに超越出来るやり方ってのがあればいいんだけど、どうもそういうプロレタリア目線に立っている本とかって無い気がするね。自己啓発系は全部成功者とか頭が良い人達が書いてるんでさ、三谷のおっさんとかが実行出来そうなのが無いのね。「あなたは」って語りかけていてもそこに三谷とか西成のおっさん達が入ってないっつーのかな。それがまぁ致命的だよね。大乗に見えて小乗なんだよね。ああいうの。


だから前にも書いたように超越系の方法論とか思想を理解できるのってもう入り口を垣間みたりしてる人達なんだと思うよね。俺がまさしくそうだったからね。ワトルズとかシークレットとかを読んだ時には自分なりのメソッドなり認識とかがあってさ、それをなぞってるだけっつーかさ、別の語り口でシステマティックに語っているのがああいう本でさ、俺がいつも哲学とか思想で感じる「それ!そうなんだよね!」っつー共感だよね。もちろんそういう本を読む事でより考えがクリアになってさ、もっと高まったりシステマティックに理解できたりするんだけど、その理解の背後にあるのは悟りだよね。すでに自分の力で到達した悟りありきで理解がある。だから逆を言えばそういう世界が見えてない人達が読んでも「なんじゃこりゃ?オカルトか?宗教か?」って話になるんだよね。


だから今さ、俺が自己啓発系を読んでるっつってもさ、もう観察だよね。得るっつーよりかは「やっぱそうなんだな」っつー確認ね。あとはさっきも書いたようにもっとクリアに色々なものが見えるっつーのかな。だから朧げながらもう見えていることばかりなんだよね。問題は見えてない人達がどう感じてどう理解するか?ってところなんだよね。そういう敷居の低いブレイクスルーみたいなのが永遠に不在な気がするね。凡人に優しい本が無いっつーかなんつーか。全部超越系の人達が超越系目線で書いてるものばかりでさ、凡人には実現不可能なものが多い気がするんだよね。凡人にも実質可能なんだけど、どうそれを可能にするか?っつー方法論が不在なのが多いのね。


俺はそういう認識をアメリカでの孤独な生活で得られたからいいけどさ、この今、俺がこれを書いている実家の俺の狭い部屋で得られるか?っつーと得られないんだよね。本だけ読んでも分からないことだらけだよね。自己啓発本とか成功本とかがさ、派遣切りにあったおっさんとか若者とかにワークすればそれは凄いなって思うけど大体無理だよね。無理だから自殺したり強盗やったりするわけじゃん?無理だからずーっと抽象度が低くてスコトーマだらけの生活を送ることになるわけじゃん?んじゃあそのレベルに至るまでのプロセスをどう踏めばいいの?っつーのがね、やっぱ書かれてない気がするよね。俺もそれは語れないしどう説明したらいいのか分からないしね。


でもこれだけは言えるのはさ、成功本とか自己啓発本とか書いてる人達って平均より知能指数が高かったりするわけでさ、それは彼らの知能レベルだから可能なんであって凡人にゃー無理だよっつーのも多分に含まれてると思うんだよね。だから彼ら目線っつーか彼らの基準で方法論とかを語っても凡人にゃー理解できないし、彼らも凡人の低いレベルを理解出来ない。だから彼らと凡人との間に埋まらない隙間みたいなのが生まれるんだよね。小さいようで越えられない隙間っつーのかな?その隙間を埋めてからだよね。方法論の実行とかは。いかにそういう本とか彼らとかさ、所謂、コーチみたいな人達が凡人を高められるかだよね。そのレベルに到達してない人にやり方を教えても無理じゃない?まずはその入り口に立たせるのってどうやればいいの?っつーのはさ、結構疑問だよね。


釈迦の弟子が釈迦に「どうすればあなたのようになれるんですか?」っていう質問に答えられなかったっつー一種のアポリアみたいなのがあるけどそれって昔から通念してるんだなって感じだよね。苫米地を含む様々な成功本とか自己啓発本とか自己改造本を書いている人達が書いてることってほぼ大体合ってるし、やればいいことだしためになることばかりでさ、内容に全く文句は無いんだよね。むしろ釈迦の認識の高みみたいなのを分かりやすい言葉で説明している大乗仏教っつー感じでさ、尊敬すら出来るんだけど、問題はそれが実際のところ小乗止まりになっちゃってるってところなんだよね。もしくは彼らは元々小乗のつもりで書いているのかもしれないけどね。


でもモノによっては大乗のつもりで書いているようなのもあるじゃない?それが凡人に別の絶望を与えてしまいかねないっていうことにはある程度自覚的でいるべきだね。大乗のつもりで小乗的な教えを説いているのだとしたら俺はそれに関心できないんだよね。それは本が売れていることへの僻なんじゃなくて、彼らの自己認識って意味ね。それこそ彼らのエフィカシーが高ければ彼らのレベルの高さがどれだけ凡人と違うのか?っつーのは分かってるはずじゃない?それを分かっていて大乗的な物言いで書いてたらそれは最高に傲慢だって思うのね。それはマジで許せないね。それがそうだとしたら小乗の教えを大乗に見せてビジネスにしてるって感じになるじゃん?小乗の教えを大乗に見せて金儲けしてるって感じになるよね。


頭の良い人の超越系の語り口とか方法論を聞いてると「ホント、彼らは凡人の頭のレベルが理解できてないんだなぁー」って思っちゃうよね。だから俺はさ、最初から小乗でやってるようなエリート主義の人達に好感を持てるのね。彼らは人間の個体差とかに自覚的じゃない?小室直樹とかが典型的だけど、俺は小室直樹みたいなタイプの人が好きなんだよね。小室直樹は絶対大衆に語りかけないもんね。もう徹底的にエリート主義で小乗だもんね。そこがいい。理解できるやつだけついてこい!っつー態度ね。大乗に見える小乗の場合、「世界が変わります!」とかっていう大乗的語りかけが実は凄まじい排除の形なんだっつーさ、理解できないやつは凄まじい疎外感を感じるわけだよね。それに大乗系の人達はどれだけ自覚的なんだろうな?って思うよね。「そんなこと言われてもなぁー」っていうさ、そういう反応も想定して書いてるのか書いてないのか分からないけどさ、あとはやっぱさっきも書いたようなさ、そういうのが実行出来ないような環境だよね。クリーンな環境にいれば実行可能な方法論ってあんま意味ないよね?


だって俺みたいなやつは限られてるわけでさ、大半の人はドブみたいな汚い社会とそこに巣食うドブ粥を食いながら生きている腐った人間共と付き合っていかなきゃいけないわけじゃない?そういうドブにいながらにしてどう実行可能か?っつーのがね、どうも不在な気がするよね。全部クリーン過ぎるっつーかさ、実践哲学とか実践自己改造計画とかって唱ってる割に実現不可能なのが多いんじゃあんま意味無いもんね。ただそれが小乗ならいいんだよ。やれる人だけやんなさいっつーある意味で突き放した態度じゃない?それを大乗でやるのが嫌なのね。俺は。もう同じ事に繰り返しになってるんでそろそろやめるわ。


ただ補足じゃないけどね、特に苫米地が素晴らしいのはさ、まぁいかにもなエリートで俗っぽいんだけど、難解な哲学とか仏教とか宗教とか数学みたいなのをさ、持ち前のありえない高いレベルの頭脳で噛み砕いて分かりやすく説明しているところね。で、それを実践哲学みたいなさ、日々使えるプラクティカルなレベルでの方法論にシステマタイズしているところね。そこが素晴らしい。彼は哲学も数学も心理学も認知科学も宗教も中途半端なレベルじゃなくてその筋の筋金入りの研究者とか学者並かそれ以上に理解しているっつーのが凄いよね。様々な筋のスペシャリストが何人も集まったぐらいの知能レベルがあるんで凄いなって思うね。天才ではないけどまぁ滅多にいないタイプの秀才だね。で、その知識を世の中に広めようっつーかまぁ社会貢献しようとしているところが素晴らしいって思う。まぁその対価を受け取り過ぎって気もするけど、それはマイケル・ジョーダンとかイチローとか松っちゃんがその才能に応じた報酬を得ているのと同じでさ、そこは批判できないよね。凡人とか中途半端な研究者とか学者が「大衆に迎合した知的エリート」とかって批判しそうなのが苫米地だよね。学会とかアカデミアでも「苫米地は凄い」とか言おうものなら排除を受けたりさ「バカじゃねーの?」って言われたりするみたいな感じが見えるね。普通の学者の無能っぷりっつったらありえねぇーからな。マジで。


ってことで俺の今年っつーか来年とかもそうだろうけど超越は出来たからさ、あとはドリームキラーとか汚らしいリアル社会との付き合い方っつーのに焦点を当てて行こうと思うよね。自分を高める修行はいくらでもできるから、その修行を脅かすような存在に対してどう対処していくか?っつーのに自覚的でありたいと同時にまぁ気がついたことがあったら色々と書いていきたいって思うよね。前のさ、キャリさん事件のやつはまぁそれのプロトタイプって感じだね。低い次元でのリアル社会で通用しているような猪口才なロジックとか物言いとか批判に飲み込まれないっつーか付き合わないっつーかさ、いかに負のオーラに巻き込まれずに自分を高めていくか?っていう合気道的な自己防衛ね。そういう意味で前のルームメイトもキャリさんも俺のマイルストーンだね。彼らの存在は強烈過ぎて学ぶ事が多過ぎたって感じね。まぁ別な意味で感謝はしてるんだけどね。でも俺の人生においてデカイ教育者っつーかさ、教師って反面教師ばっかりなんだよね。リアル社会だと。本とかのレベルだと師匠レベルの人間はいるんだけど、リアル社会だと反面教師ばっかね。


PS


凄いの発見した。


http://www.youtube.com/user/MrAllanBloom


シュトラウスの生声?生レクチャー?いやぁーすげーな。インターネット万歳!って感じ。



ドクター苫米地の新・福音書――禁断の自己改造プログラム

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↑最後のほうのフィボナチの件が俺の黄金律の話と若干かぶってるな。またやられたって感じ。


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