神の存在証明みたいな話の続き。

mimisemi2009-09-03

こないだの神の証明みたいな話の続きだけど、ゲーデルの神の証明について書いてある本をさっそく買ってきてまぁそこだけ読んだんだけど、ようはゲーデルが言いたかったことだけどね、Axiomの1は


Axiom 1. (Dichotomy) A property is positive if and only if its negation is negative


なんだけど色々なツッコミがあるようにそもそもポジティブな特性とか固有性とか特性って何なの?っていう。で、また例のあんま熟考無しの思いつきで色々書くけど、とりあえず俺は勝手にっつーかそもそも論理学の基礎とかやってないんでアレなんだけど、雰囲気としてまぁただのトートロジーなんだけど、まぁこれはあれだ、無を有さないものというのは無ではないから存在はあるみたいなことね。多分。無いものは無いわけで、あるものはあるっつー話。


で、次のAxiom2ね。


Axiom 2. (Closure) A property is positive if it necessarily contains a positive property.


必然的にポジティヴな性質を持つものはポジティブであるみたいな感じでいいんだとすると、人間であるにあたってちんこが必然的についていなければいけなかったらそいつは男であるみたいなことと一緒だよね。Axiom1だと女じゃなかったら男じゃないかと。まぁそんなノリで次に行ってみよう。ちんこがついてれば男だと。


Theorem 1.A positive property is logically consistent(i.e., possibly it has some instance)


で、前の例で言えばまぁそうならまぁ男ってのはロジカルに構成されてるじゃん?みたいな話ね。なんかまぁ単純って気がしなくもないけどね。禅問答的というか、無いということが無いということを意味するものは従って在るということであるっていう存在性の単純な二項対立で、つまりはそれによってclosureが成立するということだよね。存在の特性を必然的に有していればそれは存在であるっていうね。まぁだからその存在ってのが曖昧なものではなく確実に「在るもの」だということが証明されるということね。いや、分からん。完全に俺素人だからね。しかもバカの一つ覚えっつーか昨日の数学のクラスがきっかけでやってるだけなんでまぁそんなに真剣に捉えないでね。はい。次。これが俺にはコアのように思えるんだけど


Definition. Something is God-like if and only if it possesses all positive properties.


これが昨日の俺の存在証明と同じなんだけどっつーとちょっとアレかな?「何を言うか!」ってことになるか。まぁ基本的に俺が宇宙の話とかで言ってたことと一緒なんだけど、これはゲーデルによる神の概念の定義なんだよね。これはスピノザチックな汎神論で、つまりは全ての存在を包括するものが言わば神みたいな存在であるということね。なぜそれが神になる?と聞かれるともうこれは終わりね。なぜならこれがゲーデルの神の存在証明の仮定なのであって、神の定義が例えばキリストなのであればこの定義自体がすでに成立しないし、他の神も然り。もしくは神々っつー概念であればなおさら違う。でもゲーデルスピノザチックな神の概念に依拠したと。もし全てのポジティブな要素を持った「有」の全てを有する存在があれば、それは神みたいな存在であるみたいな話。で、続きね。


Axiom 3. Being God-like is a positive property.


つまりは神も実在的なものであるのでそれは実在的な性質を有するものであるってことね。いや、しつこいようだが俺の勝手な理解でやらせて。実存は実存であるので人間も神もようは同じ実在的な性質を持った「有」であるということね。


Axiom 4. Being a positive property is (logical, hence) necessary.


これはまぁTheorem1のやつね。ロジカルな構成を有するという特性を持つということが必然的に証明されるってことね。


Definition. A property P is the essence of x if and only if x has P and it necessarily minimal.


これまたトートロジーだよね。xがPの性質を持っている限りにおいて、Pはxの本質であるっていうね、昨日書いた


φ' = U
U' = φ


と同じことね。無のコンプリメントはユニバースで、ユニバースのコンプリメントは無であるっていうことね。ユニバースに組み込まれている無のコンプリメントはユニバースそのもので、ユニバースのコンプリメントは無ってことね。


Theorem 2. If x is God-like, then being God-like is the essence of x.


もしxが神のようであれば、神のような存在であるということはxのエッセンスであるってことでようは、xが男の要件を満たしていれば、男であるということはxのエッセンスであるってことね。ちょっと微妙だが次に言ってみよう。


Definition NE(x): x necessarily exists if it has an essential property.


NEっつーのが分からんけど、ようはxにエッセンシャルプロパティであるちんこがついていればそいつは男としての存在に間違いないってことね。xで言えばan essential propertyがあるということはそれだけで実存性が担保されているので、つまりはxは必然的に存在しなければいけないって話ね。


Axiom 5. Being NE is God-like.


従ってNE(x)であるってことは男であるってこなわけで、ようはxは存在であると。で、仮定通りxは実在を持った神の存在であると。


Theorem 3. Necessarily there is some x such that x is God-like.


なので必然的にxのような神の要件を満たすxがあるってことなんだけど


いいや、個々の話は置いておいて大枠だけ説明すると、実在的要件を満たすもの全てを包括している存在が神のような存在なのだとすれば、実存的要件を満たす個々の実在も全ての実存を包括する神の一部であると。これがどういうことなのか?っつーと、全ての実存的要件を満たす存在としての神というのは汎神論そのままで、在るとされるものは全て神の一部ってことなんだよね。で、神が無い世界というのは存在しないということが何気にこの証明で証明されているのは、オントロジーが存在しないものなどそれは無なので、それは実在としては看做されないというわけで、全てのものは実在によって構成されているので、その一つ一つの全てを持っている神のような存在というのがいたと仮定するならば、それはどの実存の実存性が証明されても、それは必然的に神の証明になるってことだよね。つまりは全ての実在は神に還元されるからね。


極端な話、うんこでもなんでもバクテリアでもいいから実在が確認されるのなら、それは「有」のポジティブな構成要素である要件を満たしているので、それは実在と看做されるし、無ではない有だということね。それに付け加えてスピノザ的なGod-likeというのを「全ての要素を包括するもの」として仮定すると、演算していけばそもそも個々の実在があるということはつまり神の存在を証明しているということになるわけね。それはリサ・ランドールが4次元の存在を証明したところで、それ自体も神の要素に含まれているし、四次元の存在自体がポジティブなオントロジーの要件を満たしているものなので、実存という意味では「有」という意味において同じということね。


俺なりのゲーデルの神の証明の問題点を指摘するとっつーかまぁプロの指摘は色々とあるみたいだけど、俺としてはとりあえずやっぱライプニッツデカルトにツッコんだのと同じ感じで、「変な仮定入れるなよ」ってことなんだよね。God-likeの定義がゲーデルの神の定義、つまりスピノザ的な神の定義に依拠しているので、それは客観的とは言い難いのね。仮にこれが証明されたとしても、現世との繋がりの証明にならないじゃないか!とかね、それが神だと言えるのか?っつーまぁツッコミがあるんだけど、ようはここはもうイデオロギーの問題でさ、汎神論的な神の実存があるとすればこんなんだろうっていうような前提というか仮定が必要なんだよね。


その上ではまぁ恐らくこの証明は完璧なんじゃないかと思うけど、神の定義によって証明の公理が変わってくるので、つまりはそれは公理足り得ないということね。God-likeの仮定がつまりはもうすでにそれは自明な事として組み込まれているというのが問題なのね。でも俺はまぁこれは問題じゃないと思うんだけどっつーのは俺もスピノザ的な神の存在を信じてるっつーか無神論者だったけど色々と考えたり物事を知ってくるとそんなようなアーキテクト的な神がいるに違いないとしか思えなくなるという意味でこういった形の神の存在を信じているということなんだけどね。


ってことでなんつーかあれだ、数学っつってもあれだね、計算と数学ってのは違うんだっつーのを思い知らされたよね。実際、今の数学の授業は面白くてしょうがないんだよ。もう体が熱くなるぐらい興奮する。みんな辛そうにしてるしあくびしてるけど、これは味をしめればこれほど面白いものはないなって思ったね。だから計算嫌いでも数学好きになることは出来るんだよね。数学好きとしてのマスマティシャンになることはできる。哲学者にはなれないが哲学を愛することはできるみたいなあり方と同じものを見た気がするね。ってことで確実にディグるブランチが増えた感じだわ。まぁちょっと前から数学理論的なものに目覚めてはいたけど、なんつーか今は完全に目覚めたって感じだね。ってことで俺がカバーする範囲は従来で言えばサイコロジー全般と哲学全般と社会科学全般と政治学全般と宗教学全般だったんだけど、ここに数学全般が加わったって感じなのと、あと宗教学とは違った意味での神学っつーのもまぁちょっと加わりかけてる感じだけど、まだそこまでディグってないんであれだけど、神学じゃないんだけど、宗教関連だとアキナスは面白いなと。何気にコミュニタリアンの元祖なんじゃねー?とか思ったんだけど、この人はようはアリストテリアンなんだよね。あ、まだいいや。そこまで詳しくないから細かい話はやめておこう。


まぁそんな感じでした。またなんか気がついたことがあったら書くね。あ、あとまぁ思いつきでさ、A-B=A-Bじゃん?でもB-AはA-Bとは違うっつーのはA-BはAからBの要素が引かれたAってことじゃん?だからBからAの要素が引かれたものとは違うってことなんだけど、つまりはホッブズ的な自然権の概念というのはこの引き算なんだよね。自然権ってのが存在するから第三者によってそれを剥奪されるようなことがないようにしなきゃいけないってまぁ人権の概念もそうだけど、国家がその国家に属する国民の人権の保障をするのではなく、人権というのは人間の自然権として生まれてきたらそれは自然発生するものなので、それはいかなる理由によっても脅かされてはいけないってことだよね。いや、俺の自然権の理解もまた相当曖昧なんだけどさ、free fromってのがネガティブライツなんだよね。で、free toってのがポジティヴだと。つまりは奴隷状態には人権が保障されている国ではならないっつーのは奴隷状態からの解放って意味でネガティブライツになるんだよね。habeas corpus然り革命権然り。ポジティヴライツは社会保障とか最低限の生活だとかっていう主張する権利だよね。ネガティブなのはアクションが無い負わされた権利ってことなんだよね。


共産系の人達はポジティブライツもネガティブライツみたいに主張するから自由主義者と対立するわけよね。良いか悪いかはともかくとして。つまりはネガティヴライツというのは追わされた権利なので剥奪されてはいけない権利なので、つまりはHとしてのHumanからのsubtractionは許されないということなんだよね。つまりはH+negative rightsなのではなく、HをUとして考えた時に包括されるものはつまりはH(U)=(negative rights)ということになるんだよね。そこにポジティヴライツが加わるとつまりはadditionになるので、Uにpositive rightsを足すというよりは、positive rightsの存在が想定されている上でのH'(プライム)ということになるね。つまりはH'={x|x is an element of U and x is not element of H}.ってことになるわけ。positive rightsもnegative rightsも人類の闘争や政治哲学などが育んできた財産なので、それは人間がpreserveする必要があるものだし、常に考えないといけないことなんだよね。権利というものは。


まぁいいや。そんなところで今日はこの辺で。