俺ってデフォルトがときメモの藤崎ぐらいだからね。

mimisemi2009-10-26

Zaraっつーブランドのウワモノが良さげなのが多くて冬用に買ったのね。値段はフレンチコネクションとかアルマーニエクスチェンジみたいなのと同じぐらいの価格帯ね。で、もうさ、冬物買おうと思うから気合い入れて買うじゃん?もうこれ買ったら何も他に買えないぞ!みたいな気合い?まぁその結果、あと一万弱ぐらいで二週間強過ごさなきゃいけなくなったんだけど、まぁそれはともかくだね、ヒットマンの話したっけ?で、隠密系のやつをやりたくなってさ、いやね、洋服買った後っつーかその直後って意味じゃなくて、何日後かぐらいにさ、なんつーか週末になるとさ、それまでが基本的にバス停待ちで読書。電車で読書。学校で授業。


で、帰りにサンドイッチ食ったりしつつ、また帰りの電車で読書っつーのが永劫回帰的に続くじゃない?それプラス家でも読書してるとまぁさ、読書してるって意識が無いにも関わらずすげーはかどるのね。読書が。まぁそれにしてもまぁ読むやつが多過ぎて手元にあるのを読破できる気がしないけどね。ホワイトヘッドとかローゼンのプラトンのやつとか、ああいう長いやつはやっぱ放置になっちゃうね。まずは読みやすい早く読み終わりそうなやつからみたいな感じで本を選んでさ、んで未読のやつが分厚いやつばっかになるのね。で、手を出しにくいんでまた読みやすそうなページ数が200前後ぐらいのを買うんだよね。それの繰り返し。シュトラウスも1冊完全に読破したってやつはOn Tyrannyぐらいだよね。あとはまぁNatural Rightね。他のは特にあんま知らないやつっつーかさ、ユダヤ系のやつとかさ、ようはシュトラウスの本ってエッセイの寄せ集めなんだけど、政治系だけ読んで放置みたいな感じになるのね。


あー!もうダメだ。いやね、あれなんだ、んでゲーム屋でさ、隠密系だと思って007のソラリスなんたらってのを買ったのよ。20ドルだったんでまぁ金が無くても買えたんだけどやってみたらふつーのなんつーかレザボアドックスみたいな感覚のFPSでさ、悪くはないんだけど隠密系を期待してたんでガッカリっつーかさ、あとなんつーかBlackとかやっちゃうともう他のがショボくなるね。銃声とかが嘘くさいっつーかなんつーかこれがまぁ目が肥えるみたいなもんかな。感覚が肥えるっつーか。いや、Blackと007は比べられないんだけどさ、言ってる意味分かるでしょ?


いや、まぁいいや。んでゲーム屋でレジで待ってる時にさ、気管支炎みたいなさ、気管系が末期みたいな咳をしてる人がいてさ、「うわーうつりそう」とかって思ってたら案の定うつってたね。いや、これがうつったのか分からんけどね、学校でも風邪気味のやつ多いんだよね。インフルエンザなのかなんなのか分からんけどまぁ風邪は流行ってるみたいでさ、んで俺もモロに風邪になっちゃったんだよね。でもまぁ熱は微熱程度でまぁ全然オッケーなんだけどさ、そんなんでまぁ例のボロクソ書いてるサイコロジーのクラスに行ったらね、あー書き忘れたんだけど何を思ったかペルソナ3をいきなりやりたくなってさ、アイギス編がただのダンジョンループでつまらないんで放置してもう一年以上経ってたんだけどさ、久々にやったら面白かったっつーかまぁ結局、新鮮さって記憶だよね。


ペルソナ3の本編やってからアイギス編なんてやったら飽きるじゃん?でも一年置くとまぁ単調でもやれるみたいなね、忘れてるじゃん?そういうことだよね。音楽にしてもそう。ムンべばっか聞きすぎてたからテクノ聞いたら良かったみたいなね、まぁそれはともかくいつもの調子でさ、サイコロジーのクラスのイメージがどんどん自分の中で悪化していくのね。普段の被害妄想もそうなんだけどさ、ありもしないこととか勝手なイメージとかが膨らんじゃってさ、そっから勝手に自分の中で状況が進んじゃうんだよね。あーまたフロイトおばあちゃんかー・・・みたいな感じでなんつーか敵対心みたいなのがすんげー膨らんでいくのね。そんな中でまぁペルソナ3にハマりすぎてたんだけど朝の6時ぐらいまでやってたんだけど、昼から何も食べてなくてさ、だからまぁ余計に調子悪くなったのかな?で、4時間ぐらい寝て学校みたいなね、ただ短時間睡眠の場合、起きるタイミングが良いと割と動きやすいよね。長時間睡眠の場合、まぁある意味で体はrestoreされてるんだけどボーっとするじゃん?あーもういいや。ダルいから短めに終わらせるか。


もうあれだ、凄まじく飛ばせてもらうよ。もうアヴァンギャルドなぐらい話題を変えてやる。髪を切ったんだけどさ、日本で切ってからだからもう3ヶ月近く放置になってたんでとみよしさんみたいになってたっつーと大げさだけどまぁ京本みたいになりつつあったからね、短めにしてもらったんだけど珍しく態度の良い店員でビックリしたな。ニューヨークの美容院の人が俺のブログとか見て接客態度を改めたのかな?まぁジョーダン13はともかくとしてさ、すげー良い人だったね。すげー上手くやってもらったんだけど、前髪をあんま切らないでそのままにしてもらったんだけど、俺ってくせ毛だからクルンってなっちゃうのね。少女漫画の王子様みたいな先端のみカーリーヘアーになっちゃうんだけどね、それが嫌で嫌でさ、いや、美容師の人は完全にグッジョブをしてくれたんだが、まぁもういっかーと思ってまたパッツンにするかーと思ってクルンとなってるところだけ全部切ったらまたクラムボンみたいに短くなっちゃってさ、坊ちゃん刈りそのものになっちゃったのね。これでこの日は鬱になったね。かなり。いつもこのパターンだね。前髪が嫌で伸びてくると勢い余って短くしすぎちゃってまことちゃんみたいになっちゃうっつーかさ、また同じミステイクを犯した感じだね。


で、恥ずかしいじゃん?学校行くの。せっかく良い服買ったのに髪がこれじゃー台無しじゃん!とか思いつつさ、んでまぁサイコロジーの話に戻すとさ、あれなのね、前にエリザって勝手に名前つけた子いるじゃん?あの英語で一緒だった子。彼氏がいるのになぜか俺に興味津々の子ね。いやさ、なんつーか俺が勘違いさせちゃってるのかな?とかって思ったりしてどう接していいのか分からないっていつも書くけどさ、なんつーかあえて無視しようと思ったりしてたんだけどさ、休み時間とかにさ、俺が他の子っつーか日本人の子と話してたら「あ、お話中なんだ」みたいな感じで邪魔しませんよーみたいな感じで一応俺だけチェックして邪魔しませんみたいなさ、んで教室に戻ったらジェスチャーで「髪切ったのね!グッドよ!」みたいなジェスチャーを送ってきたんだけどさ、まぁ髪型は良いわけないっつーかまぁまことちゃんそのものなんだけどさ、なんつーかふつーに良い子だよね。この子。彼氏がいつつ俺を狙ってるみたいに考えるのが不謹慎なぐらい良い子なんだけどさ、でも人間の実態って分からないからね。


すげー人だ!って勝手に自分で思って実は違ったって俺もよくあるし、いつも書くようにうちの親父はそれで失敗してきた人だからさ、俺は同じミステイクは犯さないぞとか思いつつもモロに同じようなミステイクを犯してるんだけどさ、でも相手のことを分からないうちは「でも何考えてるか分からないな」なんて考えるのってまぁ失礼っつーかなんつーかそれってもう人間不信じゃん?今までのパターンでいくとまぁ基本的に人間ってロクでもないんだけど、んでも結局、俺は俺でコミュニーションは求めてるっつーかさ、特に学校に行くと誰かと話したくてしょうがなくなるのね。引き蘢りタイプではあるんだけど、んでもやっぱsocial animalじゃないけどさ、コミュニケーションって求めてるもんだよね。


何を書こうと思ったんだっけ?いや、なんつーか女の子の笑顔って凄まじいものがあるよね。武器っつーかさ、風邪の身にしたら最高の良薬だよね。それだけでパワーが湧いてくるみたいなさ、いやね、もう一人まぁ割と可愛いなーって思ってた子がいてさ、んでいつもの調子で勝手に引き寄せの法則だ!とか思いつつさ、気になってる女の子があっちからコンタクトを取ってくるみたいなイメージっつーか妄想を抱くとそれが具現化するって今までずーっとそうだったけど、今でもずーっと続いてるのねっつーのが今日は一回も話したこと無いこの子が帰り際に「バイバイ」みたいな感じですげーチャーミングなウィンクをしてきてさ、いや、まぁアメリカンウェイで言えばこれがデフォルトなのかもしれないけど、なんつーかすげーなって思うのがさ、前に一回話したことがあるやつがいてね、んで先週はそいつが隣の子とちょっと話す機会みたいなのがあってさ、んで授業が終わった後とかもなんか一緒に帰ろうみたいな感じになっててさ、んで俺は邪魔をしちゃいけないなーと思ってまぁそいつとは話さずに一人で帰ったんだけど、今日そいつとその子を見たらめっちゃ仲良くなってるのね。もう長く付き合ってるみたいなそんぐらいの貫禄があるぐらい仲が良くなってる。


俺ってデフォルトがときメモの藤崎ぐらいだからね。3年ぐらい色々とやった結果、伝説の樹の下で・・・ぐらいだからね。恋愛値っつーか恋愛の基準が完全にそんぐらいでさ、まぁ女の子だよね。完全に。しかも滅多にいないぐらい奥手で長い期間を要する子ね。男はそこを攻めていかに早く仲良くなるか?っつーのに腐心するわけじゃん?男の仕事がまぁそれなわけで、そういうので世の中が成り立ってる以上、女の子が男を攻略するってことは無いわけだよね。そういうのがあってもいいじゃんって書いたのが前にあったけど、んでまぁ攻略されたんだけど断っちゃったみたいなさ、童貞っつーかもう処女だよね。「ぼぼぼぼぼくは」みたいな感じじゃなくてセックスは結婚した後にぐらいの奥手な感じっつーかまぁやらないと思うけどね、いや、なんかでも俺の勝手なイメージだとアメリカンガールってキューは送るね。ちょっと気になる男子みたいなのにはキューを送る。んで相手の出方を待つみたいな待ちガイルソニックブーム的なのがまぁキューだよね。で、懐に入ろうと思ったらサマーってことじゃないんだけど、基本的にまぁ懐に来るのを伺ってる感じはあるよね。でも俺はそういうのを一切やらないんでさ、相手も「?」って感じなんだろうなとは思うけどさ。いや、それがキューなのか分からないしさ、アメリカではああいう挨拶がデフォルトなのかもしれないけど、んでもまぁちょっとは気になってるんだろうな。で、ああいうのがあったら男としてはさ、「やぁ元気かい?」みたいな感じで声をかけなきゃいけないんだろうね。すげー俺ってオリジナルにFXだからさ、ダメなのね。そういうの。基本的に。まぁシャイってことなんだけどね。


いや、でもなんつーかさ、学校の醍醐味ってここら辺だよね。セメスターが始まって中間試験があるぐらいの時って割とみんな顔見知りな感じになってるじゃん?で、そうなってくるとさ、セカンダリーグループ的な親和性が生まれるっつーのはまぁ心理学的にありそうな気がするけど、それによって気がつく可愛さってあるよね。お転婆娘とかは完全にそれだったな。人目惚れというよりかはクラスで一緒になってることで「結構可愛い子だな」とかって思うようになるっつーかさ、それはまぁセカンダリーグループの親和性がもたらす相乗効果だよね。だから基本的に学校って恋愛が起こりやすいんだろうね。恋愛が起こりやすいファクターが詰まってる気がするね。


でもなんつーか一番良い時期をメンヘラーの引き蘢りでときメモで過ごした俺としては今が黄金期っつーかさ、本当に神様にも親にも感謝してるよね。失われた時間を完全に今取り戻してるって感じでさ、しかもそれがアメリカのニューヨークって最高だよね。暗黒期様々だなと。いや、学校の醍醐味ってもうこれだよね。各クラスにそこそこ可愛い子がいてさ、可愛い子がいるんでみっともない格好でいけないからっつってまぁ服装を気にするみたいなね、それがまぁ通学っつー儀式じゃん?で、そこで読書がはかどるみたいなね、ただ可愛い子がいないクラスしか無い日はまぁあんま学校行く気になれないんだけど、まぁようは可愛い子に会いに行ってるようなもんだよねっていつも書くけどさ、会いに行くっつってもまぁ別に話すわけじゃないんだけどっつーかまぁその辺は繰り返しになるんでやめるけどさ、いやね、まぁそうなんだよね。基本的に本当に俺も男だなと。可愛い子の笑顔には本当に負けるね。可愛い子は自分が可愛いと知っているからだからこそあんなナイスな表情を作れるんだろう。ブサイクって可愛い表情しないじゃん?それって生まれつきブサイクだからさ、だからなんかずーっとヤジロベーみたいな顔つきでいるっつーのかな?そういうのができないっつーこともあってまぁ性格が歪んでるブサイクって多いよね。人間が本質的に持っている不平等の最たるもんだよね。富とかの不平等とかって後でもなんとかなるけどさ、見た目とか才能とか知性って金があっても買えないからね。


いや、可愛い子ってなんであんなに可愛いのかね?ありゃ狡いよな。本当に。どんだけ人生で得してるんだ?ってことでしょ?いや、ああいう笑顔はね、無理だね。ブサイクに生まれてきたら絶対無理っつーかあんまりかわいくない子がああいう顔しても苦笑いしかできないっつーようなさ、可愛い子じゃなきゃ成立しないっつーものってまぁロックスターみたいなもんだよね。ほんこんさんみたいな人がロックスターの素振りをしてもまぁ笑いにしかならないじゃん?決まらないっつーのかな?女の子の可愛い表情とか笑顔ってそれと一緒だよね。基本的に。彼女達は生まれつきそれが決まる条件下で生まれてきてるんで、だからまぁああいう顔ができるんだよね。実家の小さいほうの犬とかまさにそうだからね。女の子なんだけど自分が可愛いと分かってるんでだからまぁ可愛い子ぶるのね。可愛いと言われながら育ってきてないと身に付かない性質っつーのかな?あのぶりっ子感は凄いよね。それがまぁ可愛くてしょうがないんだが、まぁそれはともかく女の子の笑顔が語ることって多いよね。それ自体の情報量が凄まじいんだよ。割とモテてきたんだろうなとかさ、可愛いって言われながら育ってきたんだろうなとかさ、色んなバックグラウンドがその笑顔に凝縮されるのね。


顔ってまぁそうだよね。人間ってマジで顔を見れば本当によく分かるっつーかまぁ一枚岩じゃないやつも多いんだけど、基本的に単純に嫌なやつとかってすぐ分かるよね。あとまぁあんまり頭が良くない感じとかも見た目に出るよね。いやー今日は何を書こうとしたんだっけな?いや、サイコロジーの先生っつーか例のフロイトおばあちゃんにはさ、敵対心を感じていたからこそなんつーか前に会得したさ、天文学の先生との和解みたいなのがあったでしょ?話せば分かるみたいなさ、まぁとりあえず話してみようっつーかまぁ前にも色々と質問はしてたけど、特に今日はすげーガッチリ話したよねっつーかまぁ俺の精神病の話とかさ、なんかカウンセリングみたいになってたね。授業後に先生とマンツーマンであれだけガッチリ話すのってまぁすげーなって思うんだけど、ある意味で俺が一番満足できるコミュニケーションって先生が多いんだよね。まぁそれは前に書いたからいいか。


まぁいいや、なんつーかまぁ先生自体はすげーいい人だからさ、まぁあんまり怒るのやめようと思ったね。前にも書いたけどなんつーかその人が良い先生でも政治的見解が違うっつーんですんげーその先生に怒っちゃうとかさ、まぁ先生に限らずなんだけど、そういうのなんとかしないとちょっと厄介なことになりかねないなとは思ったね。俺の怒りが半端じゃないっつーかなんでそこまで真剣に怒る必要があるの?っつーかさ、「いやーそれは違うんだ!これはこうなんだ!」って言う憤りもあるよね。俺はプロじゃないけど俺なりの見解ってのがあるわけで先生の精神分析とかセラピーとかのプロセスを受け入れられないんだよね。まぁ他の学科でもそうだけどね。その相違が無いのが数学だっつーのは最近しつこいぐらいに書きまくってるよね。


あーまた熱が出てきた。でも明日は休みたくないなー。英語はワッツがいるし数学はガチで面白いっつーか先生にプロジェクトの話がマジなのか?っつーのを聞きたいっつーのもあるしさ、明日は休めないよね。いやーそれにしてもなんで数学っつーか集合論とかさ、グループセオリーとかって面白いのかね?数学って本当に天才が作ってきたもんだよね。ガロワ然りカントール然り。あと最近、グロタンティーグとかさ、ブルバキとかのバイオグラフィー的なものがクロスしながら展開していくっつーまぁ面白い本を読んでるんだけどっつーかいつも思うのがなんで欧米系の出版物ってここまでクオリティが高いのかね?日本の本とかってクソみたいなのばっかだよね。いや、それは言い過ぎにしてもなんつーかまぁ別に許せるんだけどさ、あまりに差がありすぎるっつーかさ、それは日本系の出版物がダメってことじゃなくて欧米系のが特に世界でもトップクラスのクオリティを保ってるってことだけなのかもしれないけどね、それにしてもまぁなんつーかすげー密度だよね。


構成とかさ、文章もそうだけど情報量とかが半端じゃないよね。飽きさせない作りとかにもこだわってるしさ、まぁそれはともかくだな、ブルバキとかと構造主義とかが絶妙にクロスしてたんだな!とかって読んでて思ったんだけど、なんかどんどん哲学と数学が繋がっていく感じだよね。特にストロースとブルバキのメンバーとかさ、色々なことが戦前のニュースクール界隈で起こってたっつーのもすげーなって思うよね。アドルノとかも一時期居たしさ、アーレントとかもそうだしシュトラウスもいたしさ、なんつーか戦前ぐらいの頃のアメリカに来た学術系の移民って凄いのばっかなんだよね。しかも同じニューヨークって場所で色んなジャンルの人が来たりさ、まぁ当時はナチスとかね、戦争とかのアレがあったんでまぁ大量に移民が流れ込んできたっつー流れでまぁ知識人とかもまぁ来たんだけどアインシュタインとかもそうじゃん?ゲーデルもそうだしさ、エルディッシュとかもそうでしょ?アメリカってすげーよな。世界の頭脳が集まり過ぎっつーか過去にたまたま集まってきたっつーかさ、まぁ国のポリシーでまぁ移民は受け入れるっつーのがまぁ憲法みたいなのにあるじゃん?アメリカンスピリッツみたいなさ、それもあってなんつーか偶然が重なりまくってアメリカってすげーものを得まくってたよね。色んな分野で。


それが今のアメリカの学術系の基礎を支えてると思うとアメリカにトップレベルの頭脳が集まるっつーのもまぁ頷けるっつーかさ、まぁそういう歴史があるし今もまぁリアルタイムで集まってるんだなって思うとすげーなとは思うよね。マルクーゼもそうだねっつーかドイツにあったソーシャルリサーチっつーのをアメリカに作ったのがニュースクールの始まりだったんじゃなかったっけ?分からんけど。だからまぁThe university for exileとかって言われてるんだよね。


ここがアメリカのいいところでさ、自分もいい線行ってればそういう連中と会えるかもしれないっつー可能性があるんだよね。日本じゃ絶対無理じゃん?上にいるのがクズばっかでさ、すんげー頭が悪いのが平気で教授とかやってるでしょ?で、オーバードクターが自殺したりワープアになったりまぁどうしようもない国だけど、アメリカはなんつーか追いつめられてもアカデミックな分野なら能力があればなんとかなるっつー能力主義が逆に絶望に光を射すよね。まぁアカデミックな分野に関わらずまぁ色んな分野でまぁ能力があればまぁ基本的にオッケーっつーのがアメリカだからね、そういう意味だといいよね。アメリカとしてもいいよね。


そういう流れがあるんで放っておいても良い頭脳とか能力が集まるじゃん?アメリカはそういう国だっつって来る人も多いからだから集まるんだろうね。その能力がある人に対するオープンドアポリシーと能力がある人自体の利害関係が見事に合致してるっつーのがアメリカだよね。その結果、まぁ色んな頭脳が集まってくるっていうね、引き寄せの法則に対してさ、それが仮に真実だったらなぜ貧困とかが無くならないんだ?みたいな現実的な批判ってあるじゃん?まぁ当然そりゃあるよね。まぁ完全に科学的なものだとは立証できないけど、あれって量子論とかもアレゴリカルに使ったりしてるじゃん?で、変な話さ、エネルギーが満ちあふれているところではそれを引き寄せることができるっつーのがまぁ所謂、エネルギーがある場所で何かを行うということに付随する引き寄せなんであってさ、砂漠のど真ん中で引き寄せようと思ってもまぁ無理なんだよね。エネルギーがそこにはないからね。


ある程度の中流とか文化的なバックグラウンドが無いと成立しないことだっつーのもまぁこれのあり方をよく説明していてさ、文化とか中流みたいなのとかさ、エネルギッシュな場所とかってもうそれ自体がエナジーだからね。エナジーが無いところではエナジーを引き寄せることはできないよね?恐らく日本って負のエナジーが溢れている場所の典型だと思うんだけどさ、んでなんかそれを感じられる人って感じることができるんだよね。だからまぁ例えばニューヨークに来てエネルギーを感じて日本に帰ったらエネルギーの無さというよりかは負のオーラが余計に目立ってしまって鬱になるとかさ、それってまぁニューエイジ的な言い方しかできないんだけど、でもそのなんとも言えないエナジーってあるんだよね。変な話、まぁエーテルみたいなもんだろうね。


人間を原子とかまぁparticleって考えたとしてもまぁすげー核融合みたいなのが起こってるエネルギーがすげー場所にいたらそれってエネルギー凄いじゃん?その凄いエネルギーに曝されることで核融合とかするかもしれないよね?でもそれにはその場のエナジーが必要っつーかさ、ようはエネルギーが少ないところでどれだけそれを望んでも無い物ねだりっていうかさ、まぁいいや。それはまぁ勝手に思ったよね。The Secretとかの話とかはとりあえず置いておいてもまぁエネルギーっつーのはあるだろうなっていうね、人間がそこにいるっつーのは自販機がそこにあるっつーのとは違うっていうことだよね。まぁ別にそれで波動がどうのとかさ、そういう話になるとまぁそういった類の宗教っぽい話になるけど、でも恐らく原理があるとすればそれは普遍なんだろうなーって思うよね。それは数学の世界とかをちょっと垣間みても凄くよく分かる。


いや、まぁ数って概念は人間の概念だけどでも数って客観的に見ても普遍じゃん?2が2ではない世界というのは異次元とかさ、想像がつかないような世界ではありうるのかもしれないけど、人間の意志によって知覚されるシステムとか構造とか世界の中では数って普遍だよね。まぁそこをヴィトケンシュタインはさ、なんだったっけ?2の次が別に4とか1000でもいいじゃないか!みたいなことを言ってたらしいけど、まぁそれはごもっともだけど二つのオブジェクトがあるということを数というシステムで説明しようとすると2になるわけじゃん?どんな言語でも数を示す言葉ってのはあるわけでさ、まぁそれが別に「に」とか「さん」っつー呼び名がついてるわけじゃなくてさ、概念は共有されてるんだよね。例えば「実存」と言ったときにそれが英語のExistenceと全く同じなのか?っていうとまぁちょっとアレっつーかまぁ言語になると抽象度って高まるけどさ、数って確実にシェアされてる概念だよね。中国語でのイーでも英語のワンでもフランス語のアンでも日本語のイチでも1は1だもんね。そこが凄いよね。クラフトワ―クのナンバーズって曲は見事にその数字の普遍性みたいなのを表現してるよね。色んな言語で1234って数えるけど全部意味は一緒っつーね、それってよく考えると凄いよね。


で、数とか数学的概念って抽象度が高まっても枠組みは一切そのままなのね。その人の解釈に委ねられるってところが少ないのが凄い。分かる人には分かるとかってことじゃなくてそれはそれなんだからそれでしかないっていうそのStillnessみたいなのが妙に詩的に思えてきてしょうがないんだよね。「静寂」とかさ、「寂」みたいなさ、そのジャクが意味するところってすげーシンプルだけど奥深いじゃん?で、恐らく「数」もそうなんだよね。数学は理系だと言われるけど俺としてはかなり思想寄りというかなんつーか仏教的だよね。それをそれとして受け止めるみたいなさ、仏教的な概念の仕方が数学の概念の理解に仕方にそのまま当てはまる感じがあるのね。


それが前に書いたドクサとかで穢れることが無い清い存在としての数学ね。永遠の処女っつーかさ、穢そうとしても穢れないところが凄いんだよね。スターリニズムとかポルポト派とかみたいなのがマルクス思想がザーメンまみれみたいになった汚らしいものだとするじゃん?で、前にも書いたけど数学って劣化が起こらないのが凄いよね。で、その凄さってやっぱ因数分解とかただの方程式みたいなただの計算みたいなレベルだと全然理解できないのねっつーかその仏教的な曼荼羅が広がってるマトリックス世界みたいなSFチックながらも凄まじいstillnessと普遍性があってさ、んで概念がちょっと空にも似てるじゃない?数って両方に寄り添ってるじゃん?2だけっていうことがありえなくて2は1と3に寄り添っているし、実数ではまぁすげースキゾなことになるけどね。0.1は0.213も含んでるみたいな世界だからまぁあれなんだけどさ、でもそのチェーンが永遠に続いてる感じって何か縁起っつーか因果みたいなのを感じない?定理にしても定理が始まる因果ってのがあって、んでそれが証明によって終了されてそれがクローズドなプロパティとして認識されるっていうさ、まぁそれ自体がある種のグループであると考えると凄まじい量の無限に近いパッチの組み合わせが数って世界でさ、仏教の縁起にしても深く考えると凄まじことになるじゃん?慣れるとそうでもないけど気がついたときとかにそれに思いを馳せると場合によっちゃー精神を病む場合もあるよね。


そのぐらいなんつーか複雑というよりかはあまりに物事が繋がりすぎているというか、この縁起とか因果っつー概念を掘り下げていくと自分の存在とかさ、目の前にあるコップですらもある意味でそこにあるのが奇跡みたいなもんじゃん?で、これってまたカオスセオリーとかとも繋がっててさ、例えば変な話、このコップが俺の手元にあってさ、んでこういう汚れがついていてこんな感じで使われている結果、今、このテーブルに放置されているっていうその確立とかさ、元のcausalityとかってのを考えると凄いと思わない?素材から始まってコップとして加工されて店に並んだのを俺がたまたま数ある中からそれを選んでさ、んで偶然的についた紅茶のシミとかが汚れっつー模様を作り出していてさ、で、それが今、この机に置いてあるっていうさ、ティーパックが使い終わったコンドームみたいにだらしなくコップの中に入ったままみたいになってる状態とかも全部原因があるじゃん?


で、その結果が今のコップの状態だけど、でもそれは常に変わってるよね。明日には俺に洗われてまた紅茶をそれで飲むわけでさ、この途方も無い繋がりっつーのがなんか数の世界に似てるんだよね。そのディーティールすらも気にしようじゃないかっつーのがある意味で実数の世界なのかもしれないけど、んでもまぁとりあえずコップはコップでいいじゃん、はい次以降って細部をオミットしてるのがまぁ自然数だよね。ふつーのコップとしてのあり方が自然数の中での「コップ」というエレメントを規定しているみたいなね、そうなると世の中っつーのも凄まじい集合とかグループとかの複合的なものの所産だよね。で、その構成要素といったら天文学的な終わりが無い数学の世界みたいなもんなんだよね。


恐らく数学ってのがイデアな世界で現実界か、もしくはそれ以上に凄まじい世界を形成しているというよりかはもともとそれがstillnessとしてあるんだけどまだ見つかってない要素がいっぱいあるみたいなさ、unknownな世界っつーのがまぁ数学じゃない?人類もまぁ当分は続くだろうけど数学のそれとは比べ物にならないよね。数学が完全に全てが発見されて証明されたりなんかしてやることがなくなるっていう時は恐らく来ないだろうね。そのぐらい世界観が膨大なんだよね。構造主義とかの考えもそうだけど基本的になんつーかinterdependencyみたいなところがあるじゃん?データとしてそれが客観的に見られるというよりかはなんつーかシステムとか構造の中で現れてくるデータがそれ自身を表してるっていうさ、で、その相互依存で成り立っているシステムの中でまたメタ的に成り立っているシステムとかがあってさ、それが永遠なんだよね。まぁ数学の限界だかってチャインティンの本があったと思うんだけど、まぁそれはともかくなんつーか逆に限界を知ることができるぐらいになるまでディグりたい感じではあるよね。


今は分からないから世界が広く見えるだけかもしれないしね。ただカントールの言葉にもあるように"The essence of mathematics lies in its freedom"ってことなんだよね。システムとルールの中でそれに束縛されながら何かをやっていくイメージってのがあったけど、数って概念は言葉よりも自由度が高くて具体的なのにも関わらず抽象度が高くてさ、言語の限界とかに規定されない自由があるんだよね。勝手にやっちゃっていいところがこんなにあるんだな!っていうのがまぁ驚きだよね。もちろんそれは基礎とかをやってさ、数学的な言語を使えるようになってからの話とかではあるんだけど、でもまぁ自由度が高いっつーのは本当によく分かったね。勝手にやっていいっつーのってまぁ音作りと似てるよね。俺は音楽は作らないけど音は作るじゃん?ってのはまぁ音作りって自由度が高いからね。俺って音を加工するかコラージュするかしかできないけど、音加工にしてもコラージュにしてもバリエーションはほぼ無限だからね。何やってもいいっつーので逆にアイデアが無いと何も作れないっていうさ、数学も恐らくそんな感じなんだろうなっつーのはよく分かったよね。


こんな長く書くつもりはなかったし、数学の話なんてするつもりは無かったんだけど、まぁなんつーかプラトニズムだね。基本的に。本質はプラトニズムにあるね。本当に。数学はプラトニズムと仏教のインターセクションって感じだね。もう寝るわ。風邪だし。あ、んでアイギス編をクリアしたんだけど、なんつーかモロにピノキオだったね。ピノキオを現代劇でやってる感じ?いや、それは貶してるんじゃなくて褒めてるんだけどね、ただなんつーかペルソナってある意味でまぁ世界系の世界観だよねっつーかさ、人々の欲望とか悲しみとか絶望とかが形になってそれがシャドウになったり何になったりっつーのがあってまぁある意味でみんなが個々で自分のシャドウと闘い続けてるとかってまぁサイコロジカルなことでさ、まぁ前にも書いたけどペルソナって理論的には完全にフロイトじゃん?まぁそれはいいんだけど、絶望的な世の中を生きるみたいなさ、終わりなき日常を生きるじゃないけどさ、実存的な葛藤もあるんだけど、実は大半はシステム的なことでもたらされてるんだよってところが盲点だよね。それは現状の社会のシステムがある種の絶望を生み出すってことがあるし、人々の怒りとか不安とかってサイコロジカルエージェンシーの問題とかじゃなくて、外部的な要素にトリガーされて起こる実存的葛藤なんだよね。


そこにはやはり社会っつー構造というかシステムが作り出すダイナミズムっていうのがあるじゃん?それによって作り出されている絶望というのが実は大きくてさ、それってサイコロジカルエージェンシーの統合とかによって解決できる問題ではないことも多いんだよね。世の中には自分がどうしようが解決しきれない問題ってのが自分の問題ですらもあるから、だからこそそこで疎外が起こるんだよね。システムには一切関与できないという人間の疎外がある。システムと人間の疎外とかって話になるとまぁ一気に話が政治寄りになってきてさ、階級闘争だの革命だの権力闘争だのって話になるけど、なんつーかペルソナ4ではそこが改善されててさ、社会的な要素とかが相当入ってきたじゃん?そこがまぁ凄いと思ったっつーのは散々前に書いたからいいんだけど、不安とか怒りとかってさ、単体の感情ではないんだよね。さっき書いたようなcausalityがあるわけでさ、結局たぐり寄せていくとどうにもならないシステムからの疎外によって引き起こされている不安とか怒りもあれば、単純に個人の精神的な問題ってのもあるじゃん?


で、実験的にいきなりここでエントリーを終わらせてみるわ。途中もいいところなんだけど今回のぶつ切り度っつーか話の飛び飛び度は凄かったと思わない?エンジンが温まってきたのが数学の話ぐらいでさ、それがむしろ今回のメインみたいになった感じだよね。ところでザーメン・スワローズって言葉前に書いたっけ?「精液口に苦し」とかね、とりあえず言葉にしておきたいなと思って書いてみたけど前にも書いた気がするな。ザーメンと言えば今、痰が出たけどさ、人間の免疫システムって凄いよね。免疫システムというのも人間というシステムの構成要素の一つで、言わば人間の中のサブグループみたいなもんだよね。そういうサブグループっていう構成要素の集合が人間という存在でさ、基本的なフレームワークは一緒でもエレメンツの個体差がどれもこれもユニークってのが凄いよね。


あ、もういいや。寝るわ。