GPAって結局ゲームの結果だなっていう。

mimisemi2009-11-01

グレードなんだけどさ、気にしなさそうなやつでも気にしてるやつが多いっつーかさ、すんげーGPAにこだわるのね。GPAを3.0以上にすることにこだわってるっつーかさ、そのためにテスト勉強したり宿題やったりって感じだもんね。だから変な話、誰とは言わないけどさ、結構いるのよ。GPAが高いのにあんま頭良く無さそうなやつね。


なんかね、これってゲームと一緒でさ、良い記録が出たらそれをセーブしてダメだったらリセットって感じなんだよね。それがシステム的に可能になってるっつーかセメスターが始まって一ヶ月以内ぐらいだったら金は戻って来ないけど授業を落とせるのね。いや、散々前にも書いたけどさ、すげー変なシステムだよね。いや、変でもないか。だからなんつーかお試しでやってみて、んでテストとかの点数が悪かったら落とすっていうさ、だから変な話、良いグレードが取れそうなクラスじゃなきゃ落とすっつーのを繰り返して、んでGPAをキープし続けることができるわけね。留学生とかは基本的に無理っつーかまぁ最低でも12単位取らなきゃいけないからね、そりゃ無理なんだけどね。


なんかホントに終わってるなっつーかさ、アメリカの大学は卒業するのが大変っつーのは確かにそうだけど、だからっつって別にこれが必ずしも良いってわけじゃないんだなっつーのは最近本当に感じるよね。結局、まぁほとんど無駄なことばっかやってるって意味で何もやらないでも卒業できる日本の大学とあんま本質的には変わらないのかな?って思ったね。まぁコミカレ程度で何を言うか!って感じだけど、マルクスじゃないけどさ、その人とか教授がどうのっていうよりかはさ、まぁマルクスで置き換えれば資本家だけどさ、システム自体がもたらすものってやっぱあるじゃん?それ自体がどうのっつーよりかは構造的なものから出てくる力学とか流れみたいなのね。


で、基本的にGPAばっか気にするっつーようなシステムがあるからさ、だからなんつーか学問云々じゃないよね。いかに良い記録を残すか?ってことが重要なんであってさ、それ自体がどうのって話じゃないよね。なんかホントに大学って矛盾してるシステムだなって思うよね。明日テストなんだけど相変わらずテストの意味が分からないんで全然やる気が起こらないな。宿題も月曜締め切りであるんだけど意味が無さ過ぎて全然やる気がしない。あ、んでテストも月曜にあるんだけど何をテストするの?って感じなんだよね。授業でテストするようなこと何もやってないのにテストするってすげー変だよね。テストって得たものをテストするわけじゃん?ちゃんと学んでますか?っていうのをテストするっつーかさ、んで授業で何もやってないんじゃテストもクソも無いじゃん?あとはまぁ授業で何かしらはやってても別にテストするようなことじゃなければテストって意味ないじゃん?


演習系なら本当にテストの意味ってあると思うんだよね。例えばスナイパー育成施設みたいなのがあって、んで中間テストで500Mのシューティング試験があるとかさ、ようはそれって実務とダイレクトにコネクトしてるじゃん?正確性みたいなのが求められるんで、だからこそテストが必要っつーかさ、テストが意味あるよね。実戦で外したら終わりなんだから。でも学校のテストって大半がその場限りじゃん?one night standっつーかさ、その場で暗記してんで忘れるって感じじゃん?


今のね、俺をスカウトしてくれた数学の先生はいつも言うんだよね。「メモライズなんてする必要は無い。重要なのは理解だ」って。まぁ数学だから言えるのかもしれないけど、例えばtruth tableにせよ、色々なダイアグラムにせよ暗記っつーよりかは理解すればダイアグラムとか表が書けるようになるわけで、変な話、表の値とかさ、表自体を暗記しても何にもならないんだよね。その無意味さを先生はいつも言っていてさ、まぁ強調してるわけじゃないんだけど、すげーそれが好きなのね。だから俺はこの先生に好感を覚えるんだろう。教科書なんて使わないとかさ、先生流の教科書より分かりやすい教え方っつーのがあってさ、自分のノートをベースに授業をやってるんだけど、実際、教科書より先生の授業のほうがよっぽど分かりやすいんだよね。俺が数学に目覚められたのもこの先生のおかげっつーのもあるね。まぁ集合論とか群論とかにせよまぁ概念自体が面白いんでどの道、ハマっただろうなとは思うけど、でもあの分かりやすさっつーかすんなり入ってくる感じは俺の地頭もあるかもしれないけど、先生の教え方が良いんだなっつーのはこないだ本当に感じたね。


それに比べてというとあれだけど、紀伊国屋でわざわざ高い金出して買った数学の本っつーか慶応とかで使われてるやつとか書いてあったんで買ってみたんだけど本当にダメだったね。説明がザックリしすぎてて全然エッセンスを伝えられてないっつーかさ、数学の嫌な感じっつーのがすげー出てるね。数学関係の本も何冊か日本のやつを読んだけどダメなのばっかだね。つまらないのばっかっつーか全然数学の良さが伝えられてないのばっかっつーかさ、アメリカ系の数学系の本って俺が読んでるのだと大体が数学のエッセンスとかmathematical literatureみたいな感じとかね、時代背景とかさ、群論にしてもガロワの生涯とかが載ってたりさ、ドライな理論だけの数学じゃなくて、数学の熱さみたいなのがすげー伝わってくる本が多いんだよねっつーか多いか分からないけどなんつーか面白いやつが多いなとは思うね。


同じ数学でもこの違いは凄いよ。マジで。ようは数学がドライなんじゃなくて伝え方が下手だからドライに見えちゃうんであって数学自体はかなり熱い分野なんだよね。日本の教科書は本当にダメっつーのはまぁライフスペースな定説だけど、こういう伝え方がヘタクソなことで起こる学問の劣化とか偏見が広まる感じとか本当にダメだなって思うね。そうなのよね。受験の本とかも大体そうだけどさっつーかまぁありゃー受験用だからしょうがないのかもしれないけど楽しくもなんとも無いじゃん?あんなのに楽しさを覚えるなんてただの変態だよね。それに比べて学問っつーのは好きになれることが割と普通っていうさ、「えー学問?」っていうイメージは恐らくつまらん教科書とかダメ教授のダメ講義によって広まってるイメージなんであってさ、エッセンスは芸術みたいなもんだよね。


あれあれ。バッハとかをつまらねー音楽の授業で聴かされると嫌いになるじゃん?バッハ自体は良いのにさ、音楽の授業ってイメージがついちゃうとそもそもクラシック音楽とかさ、オーケストラ編成の音楽自体に嫌なイメージってつかない?俺はそれがすげーあったんだよね。モルダウとか聴くと胃が痛くなったもん。学校の嫌なイメージと直結してるんだよね。モルダウが。数学も一緒だよね。あの数学のいやぁーな感じって全部が学校によって作られたただのイメージなんであってさ、そう思うと学校の罪って重いよね。学問をダメにしてるとか劣化させてるとかつまらなくしてるとかってもう最悪じゃん?犯罪だよね。ほとんど。だからやっぱ教職って聖職なんだよね。はっきり言ってどの科目でも生徒の興味をprovokeさせるような授業ができない限り先生なんてやっちゃいけないね。ヘタクソな教師は数学にせよなんにせよ学童にせよ学生にせよトラウマを埋め込むじゃん?これが何気に由々しきことなんだってことだね。


そう思うと今の数学の先生はモロに良い意味で数学者でさ、まぁ興味が無い人にとってはまぁつまらない授業なんだろうけど、んでも知的好奇心を凄くかき立てられるような構成になってるんだよね。だから俺みたいなのがすげー駆られるわけよ。これが重要なのね。もしかしたらその分野で才能あるかもしれないやつっつーのを目覚めさせるきっかけを作るのが教師じゃん?そういう意味で今の数学の先生は開きかけてた俺の数学への覚醒を完全に促したって感じだよね。あれですげー嫌な感じのつまらない教師が教えてたらまた違ってたと思うよね。そういう意味で今の大学でも良い先生もいっぱいいるんだよね。まぁ割合は少ないがまぁ例えばフーコー先生ってあだ名がついてる哲学の先生とかね、あとはリア二千と一緒だったサイコロジーとかさ、モダンアートとかムーア先生の政治学とかなんつーかすんげー明るいイメージがあるよね。嫌な学校っつーよりかは楽しい授業って意味で逆にその日は行きたくなるぐらいの勢いのものっていうかさ、これってすげー重要だよね。良い学校に行けばこういう先生が多くなるか?というと恐らくそうではないだろうね。レベルと先生の質って関係無いからね。レベルが高いことを教えてても先生がロクでもない感じでさ、生徒に厳しくてテロライズさせて授業を進めるような先生だったらさ、生徒は学んでるかもしれないけどでも楽しくないよね。監獄で受ける一方的な神学みたいなもんでしょ?やっぱ楽しくなきゃダメだよね。


まぁそれは先生にもよるだろうってことは言えなくてさ、これは最低条件なんだよね。ようは今の数学の先生みたいな先生が先生じゃなきゃいけないわけ。他のロクデナシは辞めなきゃいけない。特に学問に嫌なイメージを植え付けるような教師どもは百害あって一利無しだからやめさせなきゃいけないよね。もちろんそこでさ、雇用を奪うのか!っつーかさ、クビにするなんて酷いじゃないか!っつーあれもあるんだけど、そんぐらいまぁ責任っつーかさ、役割が大きい職なんだよね。教職って。所謂、サラリーマン感覚でやれるようなもんじゃないよね。まぁ全部の看護婦がナイチンゲールみたいであるべきっつーのはまぁ難しい話だから、まぁ俺が言ってるのもこの類の理想論なんだろうけど、なんつーか看護婦で言えばさ、しょっちゅうミスして患者を死なせてるようなもんなんだよね。ダメ教師って。毒を植え付けてるって意味で本当にその罪は大きいよ。まぁそこでさ、教師の場合っつーか学校の場合さ、単位が取れればとりあえずオッケーじゃん?命を預けるわけじゃないからまぁいいやっつーのがあるじゃん?だからビジネスみたいになるんだよね。良いグレードを取って終わりみたいなさ、学問の良さっつーか強度みたいなのが置き去りになってるのね。


もちろん学問みたいなのに良さを感じられる人間ってのは少数だろうけど、でもそれを目覚めさせるのって教師の役目なわけでさ、多くなくてもそれは重要だよね。少なくとも面白い授業をやる先生っつーのはさ、ようは授業が面白ければその学科に対するイメージって良くなるじゃん?小難しいイメージがあった哲学だけどやってみると意外と面白いもんだなとかさ、そういうのって先生が担うところも大きいよね。勝手に自分でディグってるやつはそれはそれでいいんだけど、んでもディグれないとかディグらないようなやつでもディグさせるようなものを与えるっつーのがまぁ教師の役目だよね。だからグレードどうのじゃないよね。なんかさぁー本当に冷めるんだよね。風俗みたいなもんなんだよね。実際はまぁそういう行為をやるけど、一時間いくらのコースになっております。キスや本番は不可です。みたいなさ、で、終えたら終わりみたいなね、そういうcontractualでドライな関係なんだよね。その場だけでも凄まじく愛し合えればいいのにそれをやらないっつーかできないっつーかさ、いや、風俗はそれでいいんだけど、なんつーか学校がソープみたいじゃダメだろって思うのね。


あの子の笑顔がたまらん!っつってリピーター続出みたいな風俗であるべきなのよ。学校って。これやってくればこういうグレードが与えられてんでグレードの内訳はこうなっておりますみたいなさ、それってまぁおかしいよね。そうならせいぜいまぁ良いグレードを取りやすくしてほしいよね。何もしないでやたらと仕事ばっか与える教師が多過ぎて困ったもんだなって思うね。俺が恐ろしいと思うのは生徒の適応性ね。学校ってのはこういうもんなんだって思って仕事を淡々とこなしたりさ、嫌々ながらもやってる姿とか見ると辛くなるよね。学問をマジで楽しんでるやつなんてこの学校で俺ぐらいじゃないか?って思うぐらい終わってるね。多分他行っても同じだろうなって思うね。もっと厳しくなって内容が高度になって全体的なレベルが上がるだけでこのドライなモチベーションってのは変わらないだろうなって思うね。これが俺がさっき言いたかったマルクス資本論ってことね。生徒とか教授どうのってことよりかはもうシステムがそうなってるんでまぁ無理ですっていうね、逆に本当に学問が好きなやつは学校に絶望するし学校なんて行かなくなるだろうっつーのがまぁ普通だよね。元相方は彼が通っていた一流大学の惨状を見て「学問がレイプされているのに耐えられなかった」って言っていたけど、多分、学問好きなやつにはどこもかしこもそう見えるんだろうね。本当のセックスしか知らないやつが風俗の「サービス」を見て冷めるみたいなね、そういうもんだよね。


もういやだね。本当に。テストばっか気にする生徒とかさ、テストがあるってことばっか言う教師とかさ、うんざりだね。マジで。これがまぁ不可避的なシステムの所産なんだよね。教師もそれをやるしかないし生徒も適応するしかない。悲しい現実だね。だから俺には夢があってさ、仮に俺が何かのコースを持てたとしたらさ、すんげー楽しいことばっかやってやろうって思ってるのね。変なテストとか一切無くてさ、テスト的なものは本質的に理解力を試すものって意味で何も従来のテストみたいな形式だけでやらないとかさ、実験的にそういうのをやってみたいってのもあるし、それに対する生徒のリアクションも見たいっつーのはあるね。俺が思い描いているベストな授業ってのを実際に俺が実演してみて、んでそれで生徒がどう思うか?っていう反応が見たいっつーのかな?仮に大成功したら俺のモデルは基本的に良かったってことじゃん?まぁ学科にもよるから普遍性は無いかもしれないけど、でも凄く興味はあるよね。アヴァンギャルドなフォーマットでコースをやるっていうね、一風変わったどころじゃない型破りなコースみたいなさ、型破りなんだけどコースを終えたら理解できてるみたいなね、それって最高だよね。行くのが楽しみでんで散々楽しんで身につけるべきことを身につけられるって最高だよね。


こういうのって教師の創造性だと思うんだけど本当にダメ教師が多いね。本当に。だからこそ良い先生が目立つんだよね。少ないんだけどすげー存在感がある。それは大抵の教師がダメだからなんだよね。俺が思うにこれってのはシステム的なことでレベルとか関係無いと思うのね。国とかも変な話、関係無いかもしれない。同じようなシステムで成り立っている大学とか学校っつーシステムは資本主義の疎外と一緒でまぁ学問との疎外を生むんだよね。だからまぁしょーがないっつーっちゃーしょーがないことでもあるんだけどね。大半の生徒がそういうもんだっつって無駄なことばっかやってんでその場で忘れてGPAが高いっつって自己満足して終わるっつー一種の社会と結託した大学っつービジネスモデルに飲み込まれるっつーのに納得してるやつが多かったらまぁそれはそれでいいよね。逆にアヴァンギャルドにされたら困るっつー人が多ければ現行のままで行くしかないだろうね。そういうのは私立とかでやってくださいってことになるよね。


まぁいいや。学校の話はここまでにしてあれなんだよね、Haunting Groundっつーゲームをやったんだよね。日本のタイトルだとデメントっつーゲームなんだけどね、バイオのインターフェースでクーデルカみたいな洋館をシャドウタワーみたいな感じでサバイバルするっつーまぁ既存のものの組み合わせのものなんだけどね、なかなか雰囲気が良くてさ、特に狂いっぷりが凄いんだよね。特にあのメイドは最高だな。もう一瞬で俺のフェイバリットキャラになったね。すんげー淡々とした感じで襲いかかってくると思ったらいきなり体をガクガクさせて笑い出したり、そう思えばいきなり襲うのをやめて普通に掃除してたり、あの狂気の感じが凄く良かったね。そういうなんつーか演出の部分っつーのかな?そこがすげー二重丸な感じだったね。あれでグラフィックがショボくてキャラとかダメだったらクソゲーになるだろうけど、雰囲気とか演出とか音とかね、そういうのですげー良くなってる感じね。なんか異様に恐ろしい感じっつーか不条理に恐ろしい感じってサイレントヒルで完全に確立されたと思うんだけどなんで日本ってああいう狂気を作り出すのが上手いんだろうね?絶対日本以外の国で生まれない感じの狂った感じっつーかホラーな感じだよね。


あ、そうね。デメントはモロサイレントヒルなところもあるね。雰囲気とか音楽とかモロにパクってるところがいっぱいある。んでもなんつーかあの狂気と特にメイドの狂いっぷりで全てオッケーになる感じね。色んなもののパクリで本家より良いものを作り上げたってやっぱパラサイトイヴ2だと思うんだけど、デメントは他のゲームの要素の組み合わせなんだけどすげークオリティがあるって意味でなんつーかパクリでもいいじゃんって気分にならせてくれるっつーね、そういうもんだね。いや、凄いよ。あのメイド。10年に一度ぐらいの名キャラだと思うね。すんげー綺麗なのにI'm not complete!とか言い出していきなり発作的に襲いかかってきたりさ、自分の姿が写る鏡を見るとパニックになったりさ、手がボロボロだったりさ、ただなんかゲームの中で生い立ちとか深いことが語られてないのがまたいいんだよね。なんであんなに異様なのか?っつーのがさっぱり分からないところがいいね。結局あれなんだったの?っていうさ、ディティールが語られてないことで良くなってるっていうかね、とにかく凄いね。本当に。あの斎藤静六をデカくしたような庭師の気持ち悪さも良いっつーかさ、可愛がってる人形から刺激臭がするとかさ、そういう細部のところがすげーいいじゃん?すんげー部屋が臭そうとかさ、あの異様な感じ?で、メイドに関してはあの襲ってくるときのBGMとメイドの淡々とした感じが妙にマッチしててすげーかっこいいんだよね。


斎藤清六がデカ過ぎたんでその後なんで気分的に楽になるかと思いきや妙な恐怖感っつーか違和感があるっていうさ、この感じが凄いね。その後はある意味で減速かな。マントを被った竹中直人みたいなおっさんはまぁ敵としては全然ダメだしね、まぁメイドがピークだね。斎藤清六とメイドが良さ過ぎるんで後半減速する感じがあるね。いや、それは逆を言えばそれだけ静六とメイドがすげー存在感ってことなんだよね。やることは一緒で謎解きとかさ、逃げながら部屋の行ったり来たりなんだけど静六とメイドの時と竹中直人の時って全然違うじゃん?竹中になってからふつーのアヴェレージのゲームになるよね。まぁあの白いおっさん達が異様だからまぁそれはそれでいいんだけど。なんつーかいかにキャラってのがゲームの中で重要な要素を占めてるかってことだよね。それの良い例がデメントだね。ホントにこれはキャラがダメだったらふつーのアヴェレージのゲームだからね。清六とメイドのおかげでAクラスって感じだもん。


あ、もう寝るわ。一応明日テストなんで。何も準備してないけどね。いつも思うっつーか思い出すんだけど必ず学校で「えー!テストかよー!何もやってきてねぇーよー!」とか言いながらモロに準備してきてるやつとかっているじゃん?っつーかあの当時からの違和感ってああいうアヴェレージのバカに対する軽蔑だったんだなって今更ながら思うよね。今はアメリカでも普通の教師とか生徒に似たようなのを感じるからね。ああいうのが多いってことはああいうのが普通ってことなんだよね?それは学校がバカだからってことじゃなくて人類のバランスがああいうもんなんだろうってことなんだよね。そこで俺は「俺様はなんて頭が良いのだ!」って思えなくてただひたすらアヴェレージのレベルの低さに愕然とするんだよね。優越感も何もああいうのがベースになって社会が組織されてるってことに絶望感を覚えるよね。そこで俺がどんなに違おうが彼らが基準の世の中では俺なんてただの変わりものじゃん?思うに優越感を抱けるレベルってAのやつがCばっかりの場所にいて感じるっつーような小さい差異の中でだよね。そういう小さい違いじゃないと優越感ってのは抱けない。フレームワークが違うとそんなもの抱けないからね。俺のほうが凄い!とかって思うのって同じスケールとか枠組みで考えてるからそう思えるんであってさ、そもそもそこで考えてないとかだとさ、テストの点とかグレードが低かろうが高かろうがそんなの全然関係無くなるじゃん?まぁ金もそうだよね。たいしたことしてないくせになんとなく流れで金持ちになったような成金が中流ぐらいに対して抱く優越感ってそれだよね。人間的なレベルが一緒なんで金銭っていう差の中で優越感を抱けるわけね。


そもそもそんなものに価値観を置いてない人はさ、そんなんで優越感って抱けないからね。だから俺って一生優越感抱けないと思うね。俺と同じような枠組みで物事を考えてるやつって滅多にいないからね。仮にそういうやつがいたとして、んでそいつが俺と似たような思考の枠組みの中で凄いことをやってたりしたら劣等感を抱くだろうね。なんつーか始めて差を感じられるっつーのかな?これがようはスケールが合ってるってことじゃん?そういう意味で恐れ多いけど、俺っていつもスケールを合わせるのって偉人ばっかなんだよね。うわーゲーデルは25歳の時に不完全性定理を書いたのかー!とかさ、ショーペンハウエルは20代後半にすでに彼の哲学体系を構築してたのかーとかさ、ああいう偉人に対して抱く劣等感はいいと思うね。スケールがデカイじゃん?ああいうスケールで考えてるからこそだからまぁ永遠と自信が持てないんだよね。だから優越感も抱けないわけ。だって世の中にはゲーデルとかショーペンハウエルみたいなのがいるわけでさ、俺が優れてるなんて到底思えないよね。


いや、でもなんつーか天才みたいなのとスケールを同じにするって重要だと思うね。クラスメートとか同僚とかそういう低い次元のレベルじゃダメなのね。まぁそういう次元で勝負してる人はその人自身のスケールがそんなもんなんだろうからまぁしょうがないんだけど、でもなんつーか勝手にライバルとかさ、心の師とかを過去の偉人とか天才とかに設定するってまぁ浮世離れするかもしれないけど、んでもこれって何気に俺が昔からやり続けてることだよね。意識的にじゃなくて元々そうだったんだけどさ、いやね、ただ比較とかじゃないんだよ。彼らに比べて俺が劣ってるとかそういう風に考えるんじゃなくて、知なら知のスケールをそんぐらいでかく持つってことだよね。知のスケールがクラスメートとか同僚程度じゃダメってことだね。そういうレベルでせめぎ合いしては一喜一憂してる連中ってのが恐ろしいほどこの世の中にいてこれまたまぁ絶望するっつーか唖然とするよね。本当に。だからこそまぁよく思うのがまぁ逆に俺もそんぐらいのスケールで一喜一憂できるぐらいのレベルだったら楽なことも多いだろうなとは思うよね。そんぐらい単純になれることで精神的に楽になることって相当あるよね。まぁただ俺は死んでもそんな風になるのはゴメンだけどね。大変だけどああいうのと違うスケールで生きられる自分ってのがまぁ最高だよね。何回も書くようにまぁ大変だけどでもそれは最高。


あと俺が嫌いなのは欺瞞ね。だからといって俺以外が全てゴミってことじゃないのは明らかだけど、でも世の中はゴミが多いのは事実だけど、でもさ、そこを自分の違いを認めつつもゴミにもリスペクトを示すとかって最高に傲慢で欺瞞的な態度だよね。実際軽蔑してるのにそれはダメだとか思ってあたかも完全に対応してるかのように接するとかってさ、最悪だよね。まぁそれで世の中渡っていけるならいいけど常に欺瞞的な態度を持ち続けなきゃいけないってことだよね。逆にその中で色々と伺ってみてさ、「お!こいつは!」って思える人がいたらその人にオープンになるんじゃん?今ではある意味で唯一気を通わせることができるのが今の数学の先生だもんな。


いや、それでいいんだよ。ちょっと自分の知性的優越を認めつつも普通の人に笑顔で接するとかって俺にはできないな。「うわー!なんて単純なマインドだ!」って思っちゃったらもうそこで軽蔑が起こってるもんね。だからそいつとはもう話さないし話すこともないじゃん?良いやつとかだったらまぁ挨拶程度はするかもしれないけど話すようなことはないよね。その心に浮かび上がってる軽蔑をポリティカルコレクトネスとかの名の下に正して笑顔で接するっつーその欺瞞が大嫌いだってことね。実際そう感じるならそう感じることに忠実であれってことだよね。もちろんその感じたかも変なフィルターがかかって間違ってるかもしれないから早合点はいけないんだけどんでもなんつーか表彰に忠実であるってことはまぁ感覚とか直感に忠実であるってことだよね。そこを「いけない」って思うのはある意味で知識の介在によって表彰と表出の間にある種のプロセスを設けるようなもんなんだけど、「あ、いけない」っつーのがただのコモンセンスなんだとしたらまぁそんなのいらないってことだよね。ただ事実に忠実であればいいと思うのね。


あ、ダメだ。タイムアップ。もう寝ないと・・・。あ、んで最後にGPAだけどね、バイオとか今回の話で出たデメントでもいいんだけどやり方を知ってるやつは上手いこと進めて良い結果をもらうじゃん?でもそれって経験とか方法によるものじゃん?ここで大量にゾンビで出てくるんでショットガンを用意して進むとかさ、ただの準備というか予備知識だよね。それを利用して進めれば誰でも良い結果を得られるじゃん?あータイムロスした!とかさ、そういうのでリセットしてんでまたセーブポイントから始めてんで良い記録だけを残すっつーので進めて得た結果がようはGPAってことなのね。バイオで言えば何回かクリアしてコツとか敵の出現場所とかアイテムの場所とかやること全部知ってて効率よくクリアするのと一緒ってことね。本当に凄いのってさ、最初のプレイで攻略サイトとか見ないでそこそこ良い結果を出すってことなんだけど、結果は結果じゃん?


ゲームの結果自体はその人が自力でやりましたとかさ、予備知識ゼロでしたとか考慮しないじゃん?予備知識だらけでセーブアンドリセットばっかで進めてきたやつでも結果は結果でゲームの結果としては良い方が良い結果ってことになるでしょ?これって本当に大学のシステムと一緒なんだよね。ゲームを楽しまずに仕事をこなすかのようにやって良い結果を出すってどうなの?ってことだよね。バイオだったら結果よりもゲーム自体を楽しむとかさ、やってるときの時間の強度とかっていうそういうことじゃん?まぁ俺はそれが重要だよ思うのね。でも結果だけ重要視されるようになるとhow to的なことが重要になるんだよね。いかに早くクリアするか?とかさ、それだけにフォーカスするってつまらないことじゃん?デモ画面とかも全部スキップとかさ、それってただの作業だよね。まぁ上級者がタイムアタックに挑戦!とかでやってる分にはいいんだけど、バイオを買ってきてんでいきなりタイムアタックに挑戦するとかって馬鹿げてるよね?ストーリーとかを全然楽しまずにさ、いかに早く進めることばかりを重要視して結果だけを考えて進めるとかってゲームの結果としては良いかもしれないけどゲーマーとしてはクズだよね。で、まぁ俺が言いたかったのはつまりは学問としてクズなゲームばっかりやらされるのがまぁ大学って場所ってことね。