鬱になったので一人カウンセリングを行います。

mimisemi2009-11-05

もうそろそろ限界になってきた。あ、学校ね。まぁ今セメスターは数学とAbnormal Psychologyと英語2と中国語なんだけどっつーかまぁこれだけだったら我慢しろよって話だけどさ、特に英語が酷いんだよね。特にって言い方はおかしいな。中国語と言わずもがなだけど数学は凄くいいんだけどね、あとまぁおばあちゃんにも耐えられるけど英語がマジで耐えられないっつーのはさ、英語って基本的になんつーか教師が何にも教えることが無いんだろうね。前に取った英語1の酷さについては前に書いたよね。ペイオフになるからやることやってパスしろ。それがリワードだみたいなことを生徒に向かって言うのね。まぁいいや。その話は。


で、英語なんだけどさ、基本的に先生がアホなのね。前にも書いたかもしれないけどなんか常にネタ切れって感じなのよ。喋ることが無いからなんか適当にグループ組ませてディスカッションとか言ってさ、なんかやらせてんで自分はいなくなっちゃうっつーかトイレ行ったりとかさ、基本的に何もしないのね。で、宿題は色々あるっつーかさ、まぁ多くは無いんだけどその一つの中に日記っつーのがあるんだけど、その内容っつーのがさ、英語のクラスと関係があるものとかいう縛りがあるんだよね。ようはこの授業でやったストーリーとか詩とかについて書くっつーかまぁ別に決まりはないんだけど関係がないといけないのね。


んでもさ、授業で何もやってないのに授業のことについて書けってすげー無理だよね。半ば仏教的じゃない?まるで無について語りなさいって言ってるようなもんじゃん?まぁ仏教での無は意味がある無なんでまぁ何も無い無とは違うんだけど、今の英語のクラスはマジで無だね。プレスクリヤンな無だね。433が仏教の無って感じか。433はサイレンスを聞くことになるけど、プレスクリヤンってコンセプト上は何も起こらないっつーただのサウンドスケープをそのまま音楽として出すっつーやつじゃん?まぁ簡単に書くとね。で、まぁ音楽ではそれはいいんだけど授業でそれやられると最悪じゃん?クラスに行ったらシーンとしててみんな瞑想してるみたいな無に関するクラスならいいんだけど、クラスに行っても何も起こらないのね。授業もなければ適当な先生のダベりが続くだけっていうさ、それを録音したらまぁプレスクリヤンだよね。講義じゃなくてただの教室のサウンドスケープになるわけ。


先生が遅れてくることはよくあるし、遅れてきても凄い授業やればいいけど何もやらないしさ、で、最初の30分とかは今後の予定とかテストで何があるとかさ、宿題返すとかさ、そんなのに30分費やすのね。で、何も始まらないから生徒も携帯とかいじりだすしさ、そりゃーいじりだすよね。逆に授業やってれば携帯いじるようなタイプの生徒でも雰囲気的にいじれなくなるじゃん?まぁようはオーガナイズの無さって話なんだけどさ、本当に酷いんだよな。


で、これは恐らくまぁ英語つーか文芸系のクラスの共通点なんだろうけどテストがことごとく意味無いのね。チャピター1から5までのが出ますっつってテストの内容っつったらさ、デイジーの友人の名前は?とかさ、何々メダルをもらったのは誰?とかさ、トムはどこに住んでるでしょうか?とかもうバカさ加減にもほどがあるっつーテストなんだよね。逆にまぁそんなんだったら楽じゃん!って話でさ、文句言ってないでこなせばいいじゃん!って話なんだけど、なんつーかもうすんげー鬱になるよね。「プー!」って声を出したくなるっつーのかな?テスト見た瞬間に頭を抱えちゃうっつーかさ、で、テスト終わりにさ、友人の名前はジョーダンでした!「あー!間違えたー!」「よっしゃー!」みたいなそんなレベルなのね。いや、これが俺が書きたいさ、このクラスに限らないバカさ加減なんだけどストーリーの内容のテストっつってさ、例えば俺は太宰は大体読んだけど人間失格の主人公の名前とかさ、出てくる女の名前とか覚えてないし細部は忘れてるよね。でもそれって別に重要なことじゃないじゃん?場所が斜陽とごっちゃになってるとかさ、そんなんでも別にそれって致命的なことではないよね。


いやさ、俺が言いたいのはさ、仮にテストっつってんじゃーこういう問いが出ますってアナウンスしてればみんな100点取れるじゃん?だってデイジーの友人の名前とかピンポイントでチェックできるしさ、あとはまぁオープンブックテストだったらまぁその場所探せばいいじゃん?でもこれって別にストーリー読んでなくても可能だよね。かといってまぁすんげー深い理解を求められるようなエッセイのテストとか出されても逆に困るんだけどさ、なんかもうホント意味ないよね。カルトQをやることに何の意味がある?って話だよね。そんなの好事家がやってればいい話じゃん?そういう意味で数学はってしつこいようだけどまぁ理解が必要だし、逆に理解しちゃえば暗記することなんて無いからいいよね。


なんつーかさ、登場人物の名前とかを覚えてる覚えてないっつーのが重要ってどんな世界?って話なんだよね。仮に読んでてもそんなこと覚えてないかもしれないしさ、逆に読んでなくてもあらすじだけ読んで覚えてるかもしれないわけで、まぁどの道どうでもいい話だよね。まぁそういうテストに疑問を持たない生徒とかそんなんで一喜一憂してる連中ってのに一番問題があるんだけどね。こんなの意味無いってまぁ普通の頭があれば分かりそうな気がするけどさ、適応するやつらも許せないんだよね。こういうフォーマットでやってる授業っつーのにも本当に腹が立つけどさ。それに異を唱えない生徒にも本当に腹が立つよね。


今日なんて最悪でさ、相変わらずダラダラと時間だけが過ぎていってさ、んで問題のこの教師が「今日は早めに授業を終わらせないといけない」とかって言うわけ。終わらせるっつーよりかはまぁ早めに解散ってことだね。で、生徒は「なんでですか?」って聞くわけ。あとはまぁわざとからかってるのか「えー!早く帰りたくなんか無いですよ!なぜですか?なぜですか?」なんて聞くやつもいてさ、んで先生もからかわれてるのが分かってるのか分かってないのか「アハハ」みたいな感じで対応しててさ、んで理由と言ったら「孫を迎えにいかなきゃいけないから」なんだよね。「は?」って感じでしょ?こういうのってアメリカの悪い所なんだよね。Too much freedomっつーかさ、最低限やることはやろうよって感じじゃん?義務は果たそうよっていうさ、それを生活上の理由とかを持ってきて平気でそれを理由にするとかってこっちだと割と当たり前だよね。まぁちゃんとしたところは別なんだけど、所謂アヴェレージだとこういうのが多い。だからちゃんとしてるところとか人とか組織ってのがすげー珍しく思えてくるぐらいなのね。


まぁ早めに解散しようがしまいが結局何もやらないんだから一緒なんだけどさ、んで挙げ句の果てに「ドロップするなら今だ」みたいなこと言うわけよ。成績が芳しくないならまだ落とすのに間に合うわよみたいなことを言うわけ。もう殺意すら覚えるよね。いや、これが俺の問題なんだけどね。Don't take personalってのはまぁ個人的に捉えないっつーかさ、切り離して考えるっていう英語の意味なんだけど昔から俺はこれができないのね。フロイトおばあちゃんでもそうじゃん?フロイトセオリーではそうなんだからそうだってとりあえずスルーしなきゃいけないっつーかさ、あとこのおばあちゃんの患者に対する観点が動物みたいで許せないとかさ、そういうのをマジで捉えちゃうっつーかスルーしないで怒っちゃうんだよね。で、こんなやつが教師やってるなんて!って怒り狂っちゃうわけ。ここが俺のアホなところだよね。まぁフロイトおばあちゃんはいいよ。


例えば今の英語の先生で言えば「あーまたバカがバカいってらー」ぐらいでスルーすればいいのにバカがバカなことを言ったりバカかバカなテストを出したりするのに一個一個怒り狂ってるんだよね。これの無駄さ加減といったら半端じゃないよね。そもそも俺って現実への変な期待をしてるよね。何もかもがスムーズに行くなんてことはありえなくてさ、4つぐらいクラスがあれば一つぐらいはまぁ酷いのがあってもしょうがないだろうっていうさ、残りの3つがセーフなんだからいいじゃん!って話なんだけどさ、まぁ会社とかバイト先で言えば一人嫌なやつがいるけど大体はまぁ普通だったり良い人もいるんで割と良い職場だって思うようにするっていうかさ、その一人の嫌なやつにフォーカスし過ぎてんで職場が最悪だ!って思うのってある意味で贅沢じゃん?完璧を求め過ぎっつーかさ、嫌なやつが一人しかいないんだからまだいいじゃんって思えばいいのにそう思わないっつーかなんつーかさ、んでそいつのことも別に無視すればいいのにまともに受け取り過ぎちゃって精神的なダメージを得てるとかさ、すげーバカバカしい話だよね。


そう。バカとか猪口才な連中をスルーできないって俺の最大の弱みだよね。スルーできればある意味で最強になれるんだよね。ゴミみたいな連中は眼中に無いぐらいでいれれば最高じゃん?でも眼中に入ることでイライラしてるってレベル低いよね。で、俺は今、そういうゴミがいない場所に行かなきゃいけない!って思ってるんだけど、恐らくゴミが無い場所なんて無いんだよ。道路とかと一緒でさ、一つや二つぐらいゴミって落ちてるもんじゃん?で、それにすげー神経質になってイライラするってすげーアホだよね。でも俺ってそういうのに神経質になりやすいんだよね。道路の比喩で言えばそれがいかにバカバカしいことかが分かるじゃん?


こないださ、スケールを天才に合わせるみたいなことを書いたけど、そういう意味で俺って実戦し切れてないんだよね。完全にそういうフィールドにマインドをおけばゴミなんて気にならないはずなのに気になってるってやっぱ俺のレベルがそこまで高くないってことじゃん?それが知性に由るものだとは思いたくないんだけどね。考え方の問題だからさ。ただなんつーか学校にしてもまぁ恐らく大半の働いてる人とかもそうだけどさ、結局そういう連中と付き合わないと自分の生活に支障が出るっつーかようはそいつとやっていかないと職場の人間関係が続かないとかさ、学校でも「ばからしい」っつって何もやらなかったら落ちちゃうじゃん?どんだけ先生がアホでもそのアホな先生のディレクションに沿ってやらないとパスはできないわけで、そういう意味でまぁダメ教師ってアホな上司みたいなもんだね。


で、今の俺ってそういうアホが多いとか思いつつも自分が社長とか会長になれないっつーヘタレなんだよね。「俺だったらこうするのに!」って思うなら自分でビジネス立ち上げればいいじゃん?それをやらないっつーかできないっつーかさ、それで現状に文句ばっか言ってるってダメだよね。まぁ現状への文句ってまぁ明らかに客観的に見ても問題がある教師とか授業のあり方っていうさ、まぁまともな文句ではあるんだけど、でもそれを言い出すとキリがないよね。完璧って存在しないからね。本当に俺って親父に似てるんだよな。親父も頭が良いからアホな同僚とかにイラついてるっつーか呆れてたりしてさ、んで仕事とかも意味無いのばっかで時間の無駄だって思ってるんだけど、仕事って観点から見ればそれが仕事なんでしょうがないってことになるじゃん?それは客観的に見てもくだらない人間とか仕事なんだけど、んで会社員であるってそういうことじゃん?で、それをそのまま学生にするとまぁ同じだよね。上司や同僚がアホだろうがさ、グレードという名の給料をもらえるように振る舞わないとクビになっちゃうじゃん?まぁようはもう一回そのコースを取らなきゃいけないとかになってさ、無駄のまた無駄みたいになるじゃん?だったらまぁイエスマンになってでもルールに従わなきゃダメってことになるよね?


これがようはterrorizeなのね。教師がグレードという鍵を握ってるんでその権力を乱用して生徒を震え上がらせて意味が無いことでもやらなきゃいけないこととしてやらせるっていうさ、アホであればあるほど権力って持たせると酷いことになるよね。生徒もそれが怖いんで文句を言わないでやらなきゃいけないことをやるっつーさ、それがまぁ慢性的な奴隷マインドを作り上げているっつーのはいつも書いてることだけどさ、笑っちゃうのがね、まぁ話が変わるけどこの英語の先生がさ、生徒がいなくなった後に俺ともう一人の中国人の留学生が残っててさ、んでその中国人の留学生が先生からの添削を受けつつさ、先生が言ってたのが「どの学校も一緒よ。他の大学の英語1でも生徒は同じ感じよ。ルールは守らないしやることやらないし・・・・」みたいなことを言ってたわけ。いやさ、それってちゃんと授業やってる教師が言うことじゃん?ダメな上司がどいつもこいつも使えねぇーやつばっかりだって言ってるようなのと同じだよね。


で、なんかさ、自分が点数をあげているっつーかさ、自分が教師であるってことに妙な権力的な観念を持ってるっつーか偉そうなんだよね。教えるっつーよりかは仕事をやってきたのかやってこないのか?っていう感じっつーのかな?大学って会社じゃないじゃん?ああいうババアが上司だったら最悪だなとは思うけど会社だったらある程度はしょうがないって気はするけどそれを大学でやるって何なの?って話だよね。で、もっと呆れるのがそういうもんなんだって受け流せない俺ね。ナイーヴ過ぎる俺っつーかさ、だから俺ってリアル社会でやっていけないんだよね。


んでなんか呼び出し食らったんだよね。エッセイが全然書けてないとかで今度の月曜日にオフィスに来いとかって言われたんだけど、まぁこれは俺が悪いんだけどね。書けてないのは事実だしさ、まぁ書くほどのもんじゃないからバカバカしくてやってられないって理由にならないじゃん?学生としてはやらなきゃダメだよね?だからまぁこれはしょうがないんだけどさ、「はーなんだかなぁー」とか思いつつエスカレーターで降りてたらさ、クラスメートの中国人の子から「ハーイ。元気?」とか言われてさ、いや、この子は可愛いって感じじゃなくて別にドキドキはないんだけどね、いや、なんつーかドキドキ系のフラグではないってことが言いたいってことなんだけど、「元気でもないかなー・・・。いやぁーさ、先生に軽く怒られちゃったんだよねー」とか言いつつ「アハハ」みたいな感じで苦笑いしてたらさ、この子っつーかまだ相当若いと思うんだけど何を言ったか?っていうと「ナイスでいなさい」って言われたのね。ようは常に笑顔で好印象を保つことが重要だっていうわけ。一回りも年上の子に諭されるとは思わなかったけどまさしくこういうプラクティカルな面では彼女のほうが全然俺より上手だよね。どんだけ授業がクソでも笑顔でいて好印象を保って良いグレードをもらうことに終始するってまぁある意味でリアリスティックじゃん?まぁ本当にそうだよなーって思っちゃったよね。


そうなんだよね。俺って地頭は良いかもしれないけどさ、んで抽象思考とかが得意かもしれないけど、こういうreal thingsっつーのが本当にダメだよね。こういう面では本当にバカだなって思うね。インテリジェンスって結局総合点だと思うのよ。適応力とかね、対処能力とかさ、コミュニケーション力とかさ、何も学術的なことだけがインテリジェンスを規定するわけじゃないんだよね。そういう意味で俺は本当に偏り過ぎててバランスが悪いと思う。だからこそそのアンバランスな偏った部分で特化してないとただのダメ人間になっちゃうんだよね。いつも書くようだけどメガテンとかのパラメーターでさ、6種類ぐらいある中でポイントが100あったらまぁバランス良く振り分けられてるほうがいいじゃん?まぁそれがいいかはともかくとして俺の場合はそのパラメーターの振り分けが偏ってるんだよね。例えば力が60あるとかさ、んでも防御力がほとんど無いとかさ、そういうのってキャラクターで言えば力関係のことはそいつに任せられるじゃん?堅い敵がいたらそいつにタルカジャかけて一気に殲滅するとかっていうことでそのバランスの悪いやつっつーのも使えるじゃん?でもそのパタメーターの偏りがさ、例えば力が30とかで別に偏ってなくてもバランスが良いキャラクターでもそんぐらいの力があるやつっつーのはざらにいるよってレベルだと悲劇じゃん?力だけに特化してるようなステータスのくせに別にその特化した値は対したこと無いっていうね、それがまぁ悲劇ってことなんだよね。


だから俺が尊敬するのってこの中国人の子みたいな人だよね。別に地頭はアヴェレージなんだろうけど処世術を得てるっつーかさ、世渡りが上手いってすげー羨ましくなると同時になんつーかちょっと尊敬しちゃうんだよね。やらなきゃいけないことはどうあがいてもやらなきゃいけないんだからやらなきゃいけないっつーことに葛藤を覚えないっつーか意図的に葛藤を無くしてるのか分からないけどさ、例えば完全に意味ないことやらされてるけど仕事だからしょうがないっつって割り切ってやれる人って凄いなって思うんだよね。ようはそういうのが俺に完全に無いところなんでだから尊敬しちゃうんだろうね。嫉妬はしないよね。俺に無いところなんで憧れみたいになっちゃう。


いや、この子のことを褒め過ぎかもしれないけど、なんつーかあのクールさが欲しいよね。最初から大学なんてものに何も期待してないならさ、荒波を立てないようにやっていくしかないじゃん?そこを一個一個何かがある度にギャアギャア騒いでるってある意味でガキ臭いじゃん?いや、騒いでる理由は正当なものなんだけど、んでもリアル社会ではそんなことはスルーするもんだよってことがスルーできないっつーか一個一個許せなくてそれに抗っちゃう感じっつーのかな?反抗心が凄まじく強いよね。ADHDとかADDの特徴にこういうのがあるんだけどね。俺のこの辛さってさ、変に頭が働くから辛くなることもあるんだけど、さっきの彼女みたいな「そういうもんだよ」っつークールさが無いが故に一個一個まともに捉え過ぎちゃうっつーのもあるよね。だから一概に頭が良過ぎるから辛いんだとも言えないっつーかさ、逆にそういうのをクールにやり過ごすのもインテリジェンスじゃん?ギャアギャア騒ぐのはある意味でバカだよね。そういうプリミティヴな幼稚な部分と洗練された知性っつーのがごっちゃになってる感じはあるよね。それがまぁバランスの悪さってことなんだけどね。


でもこれってアクセプタンスでさ、例えば数学の先生とかがそうだけど、ある程度の知性がある先生なら「ちょっと困ったやつだなー」とか思いつつも純粋な俺の知識欲へのリスペクトがあるっつーかそういうところを評価してくれるっつー下地があるんだよね。バカな教師だと変にアヴェレージよりちょっと高いと怒るじゃん?サラッと答えられないような質問をするな!みたいなさ、恥をかかせるな!みたいなね、そういうのがあるけど、ある程度の知性がある先生なら割とまともに評価してくれるっつーか、まぁ逆に不完全性みたいなのがあるからこそアクセプトできるっつーかさ、完璧過ぎるエリートとかだったら逆に嫌味じゃん?すんげーロジカルに喋って凄まじく高度なことばっか聞いてくるみたいなさ、でも俺の場合ってすげー普段ダメそうな雰囲気が醸し出されてて、んで数学の基礎の無さとか英語の下手さとかがその洗練された部分に不完全性を与えるっつーかさ、可愛い感じだよね。ようは。ちゃんとしすぎててすんげー頭が良かったら嫌味にもなりかねない要素とかがある意味で幼稚な部分とかダメな部分とかで上手く中和されてるっていうね、不完全性がもたらす可愛さって生物学的にあると思うんだよねっつーかなんかで読んだよね。足りないところがあるから助けてあげようって思えるやつとさ、完璧過ぎるんで放置しようみたいに思えてくるやつとかさ、あ、書いてて何を書いていいのか分からなくなっちゃった。


まぁなんつーかすげー鬱になるね。これもOEの一種だと言えば聞こえはいいけど実際は辛いよね。攻撃を食らってるわけじゃないんだけどバカと付き合うのが本当に苦痛だな。だから変な話「フッ!愚民どもめ!」ぐらいのメンタリティでもいいんだけどそういうのが無いっつーかそこがようはクールさの無さじゃん?ようは妙な知的好奇心がある子供って感じだよね。本当に。


余計なこと考えちゃうよね。孫っつってさ、あんなばあさんの子供ってロクでもないだろうしさっつーかさ、あんな身勝手でバカな女に子供がいて、んで孫までいるとかってもう悲劇的だよね。そういう種が蒔かれてるって現状にも絶望するんだよね。ああいうダメなのがああいうダメなまま終わればいいのに遺伝子が引き継がれているのが本当に苦痛だわ。まぁ結局こういうのって優生学にたどり着いてさ、だからまぁ俺の政治思想って変な話、ナチスみたいなところがあるからさ、だからこそまぁやっても無駄だなってある意味思ったっつーかPCゼロだからね。俺は俺としてやるけどPCとの両立性は無理だなって思ったからだからまぁオーバーグラウンドでやるなんてことは絶対できないっつーのはよく分かったよね。


諸悪の根源って基本的に頭の悪さだからね。そういうのを利用する小賢しいやつらと利用される愚民っつーのが人類だよね。だから小賢しい奴らを武力で壊しても愚民がいれば同じになるっつーのはまぁロシア革命とかと一緒でさ、かといって小賢しいやつらが愚民は静粛だ!とかっていうとナチスみたいになるじゃん?もっともナチスの場合、全く科学的根拠がないものだったけどね。ユダヤ人なんてむしろ知的に優れてる連中なわけで。ただなんつーか優生学的な考えにはやっぱりシンパシーを持ってしまうね。特に有害なバカを見ると本当に根絶やしにしたくなるよね。ああいうのがブッシュとかに投票してたり差別主義団体とかをサポートしてたりするわけでさ、まぁ必ずしもそうじゃないにしても単純さがもたらすプリミティヴな暴力性とか悪とかって凄まじいもんがあるからね。だから俺はある意味で平等主義が嫌いなんだよね。


バカでも権利があるっつーのを行使し過ぎた結果みたいなのが今の英語の先生みたいなもんでさ、ようは彼女は馬鹿でもやることやったんでなぜか博士号持っててさ、んでテニュア持ってるのか分からないけどまあとりあえず職を得る権利があるっつーんでまぁ職を得るじゃん?でも明らかに教師にふさわしくないんだよね。かといってんじゃあその人に教師をさせないっつーと人権侵害になるわけでさ、仮にその人がくだらない授業をやろうがその人は一応職務を果たしてるって意味でその職でいられる権利があるっつーかさ、それが逆にバカの横暴をもたらすっていうかね、ある意味でまぁだから右翼的な議論だよね。福祉とかやりすぎると怠け者が働かなくなるとかさ、バカが社会に寄生して食えるようになってしまう!とかさ、分からなくもない議論だよね。人権を守りすぎることによる弊害って意外とあるんだよね。かといってまぁ俺みたいなある意味で一方的な意見で彼女をクビにすることなんてできないよね。変な話、俺みたいな価値判断を持ったやつが政治的判断をするようになったりしちゃうと危険なんだよね。


だってモロに能力主義になるからね。劣ってる人は飢え死にするっていう社会になるじゃん?いや、俺は基本的に左翼だからそういうのは許せないんだけど、んでもその一方でアホを見てると右翼的な能力主義みたいなね、福祉反対!みたいなさ、弱肉強食を支持するような考えも出てきちゃうっつーかさ、かといって弱肉強食って言っても何を弱として何を強とするか?っていうのもあるじゃん?俺が言う「ダメ」が必ずしも「弱」なわけじゃないわけでさ、まぁ一般的な価値観から言えば俺のほうがよっぽどダメだよね。で、先生のほうが職歴が長いキャリアがあるまともな人間ってことになるじゃん?いや、かといって別に俺が能力があるってわけでもないんだけどね。ただ考え方が能力主義的ってことで人権寄りではないってことね


あーもうダメだな!ホントに。解決できんね。彼女みたいなのでも命は命だから教師をやり続ける権利がある。でも彼女がやってることはギャラ泥棒みたいなもんであるってところで有害な社会因子として看做すことができるんだけど、だからといってそんな理由でクビにはできないっていうさ、その根底には彼女みたいなのでも生きていく基本的な権利ってのがあるじゃん?だからまぁ人権が勝つんだよね。彼女が職を失うことよりかは彼女が毒を吐き続けるほうがまだマシっていう議論になっちゃうんだよね。職を失うことは社会的に許されない。かといって彼女が社会にいれば毒を吐き続ける。んじゃあどうすればいいの?っていうと殺すしか無いじゃん?あんなのが教師をやり続けてるなんておかしいわけでさ、少なくとも教職なんて続けちゃいけないはずなんだけど、んでもまぁやる権利があるんだよね。


だったら別にウェイトレスでもやってればいいじゃんって話なんだけど、彼女がウェイトレスになることで彼女の生きる権利を守りつつ毒を吐き続けることを避けることができたとしてもまた彼女に変わる毒を吐き続ける因子ってのが彼女の不在を埋めるかの如くまた現れるわけで、まぁ量子論っつーかさ、なんつーか原子同士が行き来してる感じだよね。それを取り除いたところでまぁ似たようなのが出てきて同じような職につけば同じことなわけで、つまりは別にその問題ってのは彼女に特化したことではないっつーかさ、そこまで彼女に特化した固有の問題なのではなく一般的問題ってことなんだよね。こういうのってどこでもどういう社会でも起こりうるっつーか起こってるじゃん?あんな感じでアメリカの組織っつーか会社でもああいうダメ上司がいるだろうしさ、日本でも教師でもああいうのはいるし会社員とかでもまぁいるじゃん?つまりは人間の問題なんだよね。特定の個人とか社会って問題じゃないんだよね。


俺がイライラするのはああいうやつのおかげですげー嫌な気分になってる多くはないけど少数のセンシティヴな連中ってのがいるわけでさ、なんでああいう存在が跋扈することをマイノリティが我慢しなきゃいけないの?って話だよね。これがまぁTyranny of the majorityだよね。おかしいって思うことがまともな感覚であるはずなのにそれはもうしょうがないっつってスルーするしか無いっつー概念が通念し続けるっつーのって何なんだろうね?って話だよね。いや、俺がナイーヴ過ぎるのは分かるよ。まぁピーターパン症候群と言えばそれまでだけど、前にも書いたように汚れるってことがデフォルトっつーのも何なの?って話だよね。繊細でナイーヴで子供っぽいっつー特徴みたいなのが括弧付きの「ナイーヴ」というタームによってネガティヴな概念になってるっつーのもおかしな話だよね。子供が子供であることは美しいことみたいに思われてるのに大人がある程度のまぁ社会的常識を踏まえながらも子供みたいなマインドで居続けるってことがなんでこんなに受け入れられないことなのか?ってことだよね。いや、ある意味でまぁ今の英語の先生は子供だよね。それは悪い意味で自分勝手で全然義務をこなさないっつーまぁすんげー勝手な感じって意味で子供なんだけどっつーのを考えるとchildishnessみたいなのの定義が必要になるね。良い子供っぽいファクターと悪い子供っぽいファクターってあるからまぁ一概に子供っぽいということが良いことだとは言えないんだけどね。


いや、ただなんつーか今の英語の先生ってアメリカの自由の行き過ぎの悪い面だよね。労働者と言う面で考えれば日本では考えられないぐらいのストレスの無さなんだけそサービスを受ける側としてはたまったもんじゃない!って感じ?かといって日本みたいにサービスが過剰過ぎると労働者側の負担が大き過ぎてすんげーストレスフルな社会になるじゃん?しかも日本の場合って慣習としてのサービスってのがあってそれが必ずしも生産性に繋がってないのが問題だよね。無駄に頭を下げたり声を出す暇があったら体力とか集中力を保全するためにも淡々と作業をやるほうがいい場合もあるじゃん?かといってアメリカみたいに行き過ぎた自由で店員がダベってて計算ミスしてるとかすんげープロセスが遅いとかさ、そういうのも問題だよね。でも前から俺は日本がデフォルトの俺から見ればその適当さが魅力的っていつも言ってるけど最近は慣れてきたのかそれが嫌に思えることも多くなったね。いや、社会的に見れば今の英語の先生みたいなのがクビにならないで色んな学校で先生を続けられるって雇用って面から言えば素晴らしいことだよね。


でもサービス面で言えばっつーか客から言えばとっととクビにしろ!っつーか金返せ!っつーレベルじゃん?でもそれを言うと彼女の職が無くなって人権侵害っつーかさ、いや、職が無くなるってことイコール人権侵害ってわけではないんだけど、なんつーか条件が厳しくなり過ぎても労働者側の負担が増えるよねってところでサービスと雇用とのバランスが難しいんだよね。ちょっとぐらい適当でもいいほうが社会がまったりすることもあるんだけど、それによる損失も大きいし、あまり行き過ぎるとろくなことにはならないっていうさ、かといって厳しくしすぎるとストレスフルになるっていうね、まぁー難しいね。政治っつーか社会的なことってこういうのが多いよね。どっちとも言えないっつー状況が永遠と続いてさ、んで政権とか権力によってそれが恣意的に右から左へ行くっつーのを永遠に繰り返すっつーさ、ずーっと社会が安定してたっつー歴史は無いからね。ある意味で安定した社会って封建社会とかじゃないと無理なんだよね。それこそ昔の日本とか古代エジプトとかさ、400年続いたとか言われると「えー!!」ってなるよね。あの安定は恐らく封建制によるところは大きいだろうな。権力のバランスが人民に行き過ぎてもある意味で社会のバランスって崩れるよね。だからこそやっぱ結局縦の力の統治が安定をもたらすんだよね。かといってそれってどうなの?っていうかクフ王とか徳川幕府とかなんていらないじゃん?


やっぱベストなのは社会が不安定ながらも常にチャンスがあるっつー社会だよね。職を失うリスクとかも大きいけどいくらもまた得ることができるとかキャリアアップを図れるとかそういう社会がいいよね。安定ってのはある意味で硬直化っつーかさ、例えば今の英語の先生みたいなのがずーっと教職に就いていられるっつーのを許すわけじゃん?だからああいうのがクビになってガンガン新しい人が入るとかさ、若い人とかね、で、また能力次第で職の流動性が確保される・・・っつーことを言うと結局能力主義になっちゃってさっきの話じゃないけどある意味でこの英語の先生みたいなのが職を得られなくなるんだよね。


もういいや。堂々巡りだわ。考えるのを放棄はしないけどなんつーか長くなり過ぎたんでやめようかなっていう。俺ってなんつーかシステム的なものと相性が悪いんだよね。ルールが決まり過ぎてるとかそういうのが嫌いなんだよね。だからまぁダメなんだろう。それは人間的にダメってことじゃないんだけど、まぁシステムに適応することを求められるでしょ?基本的にどの社会でも。だからどこ行っても俺はアウトローだよね。ボヘミアン的なアウトローならかっこいいけどただ適応できないだけのアウトローだと惨めじゃん?だからまぁ俺は前者でいたいんだよね。だからこそまぁシステム側から文句を言われないような実力を身につけたいって思うわけねっつってもまぁー実力って言葉も曖昧だよなー。常に社会との相関関係によって実力とやらは規定されるからさ、必ずしもその人をベースとするものではないよね。まぁただこれだけは言えるのは実力が無ければまぁ結局文句を言ったりできないわけで我慢して歯車になるしか無くなるよね。それが嫌だからまぁ頑張るしかないんだけどね。


で、結局、その頑張りとやらが今の学校に繋がるわけ。今俺が頑張らなきゃいけないことってそれなんだよね。結局はまぁバカと付き合うことだったりシステムと付き合うことじゃん?くだらなくてもそれをこなすことがステップなんでやるしかないっていうさ、親にもいつも言われるんだけど、なかなか難しいことだよね。すんげー葛藤の中で「よし!」って思ったら目の前にバカがいてそいつを付き合っていくことがあなたが成すべきことですって言われたら「よし!」っつーモチベーションが無くなるよね。なんつーか「はぁー・・・」ってなるっつーかなんつーか。まぁこれってみんな同じだろうね。大半の人はこういうジレンマの中を生きてると言えるよね。俺が思ったのはまぁそれって時と場所を選ばないってことね。どこでも起こるジレンマっつーかなんつーか。ばっかみたい。やってらんねーっつって放棄することが生活の放棄に繋がるってすげー辛いよね。生活のためには我慢してやるしかないってことに耐えながら生きてる人が世の中の8割ぐらいだろうな。俺は労働を強いられていないという意味で全然自由だけど、こんな生活ですらこのジレンマがあるんだもんね。これで今の自由が無くなっったら文字通り地獄だよね。とても生きていけるとは思えない。だからまぁこういうことを考えると結局はまぁそうなったら死ぬしか無いなってことになるんだけど、こればっか考えるのは建設的じゃないんで分かり切ったことだけどまぁあえて考えないようにするのね。そのために何かに夢中になる必要がある。


で、今は数学が俺の精神を支えてくれているといっても過言ではないんだよね。いやさ、音楽に人生を支えられてる人って多いじゃん?音楽が無くなったら終わりだ!って人いるよね?俺も昔はそうだったけど今はその支柱が数学って感じだね。一時的じゃないことを祈るばかりだけどね。いや、まぁ実際、楽しいからいいんだけどね。嫌なことがあっても数学の授業とか本読んでれば楽しくなるからだからまぁ生きていけるって感じだよね。この「数学」という言葉は支柱になる何にでも代替可能だよね。それが「音楽」でも「家族」でもなんでも。これが苦痛からの回避なのか現実逃避なのか分からないけどさ、でも人生に能動的になるためにはリアルを見据えつつやっていくしかないもんね。例えば数学だったら今の数学の先生みたいな人達とだけ付き合っていけば生きていけるっつーんだったらまぁ安泰じゃん?それは音楽でもそうじゃん?音楽を夢見る人にとってそれだけでやっていけるようになったら最高だよね。いや、まぁそれイコール音楽好きとだけ付き合っていけばオッケーって話にはならんのだけどさ、いや、難しいよね。好きなこととか自分の得意分野のことで給料を得ることができているけど人間関係が最悪なのと人間関係は最高だけど仕事は苦痛ってさ、なんかまぁ難しいよね。まぁ別にどっちかを選べってことでもないんだけど、意外に後者の場合、環境的な意味でいられそうだからっつってそれが仕事になったって人も多いだろうね。色々と転々としていてんで最終的に良い職場に巡り会えたんでそこに落ち着いたって職種とか得意分野って問題じゃなくて環境的な問題じゃん?


あ、いきなりだけどもうやめるわ。こうやって色々と書いてみると俺がなんだかんだで贅沢を言ってるのが客観的によく分かるよね。数学の授業とか可愛い子とか労働を強いられてないとか自由時間には好きなことができるとかアメリカにいれるとかそれだけで十分じゃん!って話だもんね。だからまぁ我慢するしか無いっつーかまぁ我慢というほどの我慢でもないよね。っつってもまぁこれも相対的なんだよなー。これって日本のワープアの若者に比べたらマシみたいな概念もあるからね。意識はしてないけど明らかに相対的なものってあるよね。いや、俺の葛藤は俺の葛藤なわけでさ、日本のワープアとかと比べて「俺はマシだな」って思うのって嫌なんだよね。凄く厭らしいっつーかまぁアフリカの飢餓とかみて衣食住があるだけマシって考えるのと同じようなもんだからね。いや、日本のワープアがアフリカだとは言わないけどさ、でも日本のワープアにならないために頑張ってるわけじゃん?だからまぁ結局我慢しなきゃダメだよね。


なんかさ、最後にね、いつも思うんだけどI need get out here!ってよく言うセリフなんだけどこれって動機がネガティヴだよね。今の状況から逃げるために何かを頑張るとかさ、脱出のために何かをやるっつー動機ってなんかヒップホップ的だよね。こういう人って本当に多い。なんつーか別に生まれが中流だろうが基本的にゲットーだよね。飢えと苦痛から逃れたいっつーのはみんな共通してるわけでさ、なんかでも悲しいね。監獄で生まれてそこから脱出するために頑張って勉強するとか努力するとかって結構悲しいよね。


いや、昨日も書いたように基本的にあんまほとんど意味ないよ。俺が数学の授業が楽しいと感じるのは先生のおかげもあるけど数学が好きになったっつーか数学が面白いものだと知らなかったっつーのがあったっつーか誤解があったからだったり中国語の授業が割とまともなのもまぁ先生のおかげもあるけどまぁ単純に言語を学ぶって面白いじゃん?数学も中国語も何のために?っていうとまぁリベラルアーツのリクワイアメントだからってことになるけどさ、そういう意味だと英語も一緒なんだよね。ただ英語の授業が苦痛なのはストーリーがつまらなすぎるのと先生が馬鹿過ぎるっつーかダメ過ぎることだよね。こう考えると大学がダメって言うのは言い過ぎて基本的にかなりこの先生がダメなんだろうね。この先生が俺にとって苦痛過ぎるから全部がクソみたいに思えてきちゃうぐらい精神的ダメージがデカイってことだね。


いや、こうやって色々書くと客観的な分析ができていいんだよね。だからいつも嫌なことがあるときって凄まじい長文になるからね。これを一人カウンセリングって俺は呼んでるけど英語にしてもまぁ別にこれが永遠と続くわけじゃないから我慢するしか無いよね。とにかくDでもいいからパスしなきゃな。んであれだよね、いつも書くけど学問で勝負するならグレードなんてどうでもいいんだよね。先になって何が自分でできるのか?とか書けるのか?ってことになるわけでさ、だからこそそれを磨くことが重要なんだよね。良いグレードで卒業して就職することが目的だったら宿題をやるとかテストを頑張るっつーのがモロにまぁ就職活動の一環になるっつーかまぁそういう感じじゃん?先生がそれで生徒を脅すっつーのはいつも書いてることだよね。今は企業は学歴よりも成績を見るとかいってさ、だからちゃんと学業に専念しなさい!ってすげーアホなロジックだと思うんだけど、これ続けてるとまぁエンプティーになるよね。頭は。まぁエンプティーになるっつーかまぁずーっと奴隷になるための訓練を受けてるって感じじゃん?そうならないためにも磨くしか無いんだよね。何かを。とにかく学業=就職っつーチェーンを自ら切り離して学校にいつつオルタナティヴを探すのが自由への第一歩だよね。まぁ学校に限らず人生全般そうだね。ようはシステムの中にいつつシステムを脱構築していくっつーかずらしていく感じだよね。それによってシステムを利用したり活用したりして自分の自由に役立てるっていうさ、そういうツールとして扱えるような方法論が必要だよねってまぁ難しいことだけどね。


あ、もういいや。この辺でやめるわ。それにしてもさ、前に書いた音楽の授業のバッハじゃないけど、今で言えば英語の授業でやるストーリーが苦痛でしょうがないね。それ自体に罪は無いんだけど、授業とか先生自体が嫌だからそれに付随してっつーかその嫌なイメージってのがそのままストーリーにもこびりついちゃうのね。数学で起こりやすいことってのがこれだっつーのはまぁ散々書いたよね。それにしても本当に良かったな。数学があったから助かってる感じだな。今は。ある意味でまぁ精神的な窮地ではあったのかな?哲学とか政治学への情熱は消えていないけど社会性という意味でのコンパチビリティに疑問を持ち始めた頃に数学に出会えてまぁ良いターニングポイントだったかもしれないな。とにかくまぁすげー数学に感謝してるんだよ。本当に。精神的な支柱って凄く重要だね。本当に。イデアという意味でオタクで言うところの萌えと同じだよね。萌えがあるから仕事とかバイト頑張れるみたいなさ、週末はライブでオタ芸とか秋葉巡りとかさ、それによって人生が支えられてる感じ?だからオタクって自分で勝手に物語を作り出せるって意味でポストモダン的な21世紀の究極のサバイバーであるんだけど、恐らく学問も同じだと思うね。低俗か高尚の差はあれど構造はほとんど似てると思うな。


もう本当にやめるね。


PS


あ、これが本当に最後ね。いやさ、日常を生きていて虚しさを感じるっつーのが実はストレスとか疲れによるものでそれは鬱かもしれないし休養が必要ってことのサインなのかもしれないっつーことよりかはただ単純に本当のことに気がついてしまったっていうことからくる絶望だとしたら回避のしようが無いよね。だからイデアに逃げるしかなくなる。だからオタクが21世紀のサバイバーになるわけだ。皮肉な構図だね。本当に。本当のホラーっつーかテラーってこれだよね。虚しさが鬱とかストレスとかによるものじゃなくてただの現実に対する精神の健全な反応だとしたら・・・・ってことね。キルケゴールはまだ読んでないけど、死に至る病ってまぁこういうことだと思うよね。今の俺みたいな恵まれた環境でもこれからは逃れられないっつーのが本当に怖いなって思うね。生活のランクが下がったイコール死じゃん!ってリアルに思っちゃう。